長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、日本の価値のある教育の歴史を踏まえて幼児教育の重要性について述べることが多々あります。
従来は、「小1プロブレム」対策は、即ち入学したばかりの小1が小学校での学習に慣れることができるようにするための、幼稚園から小学校の生活に適応させることに主眼が置かれている対策、という意味合いで用いられていました。
ところが、文部科学省が次期の学習指導要領で方針の転換を図っているのです。
そこで、
「幼稚園・保育所の学びが小学校の基礎に」という産経新聞(2017.5.19 )の記事からの引用です。
http://www.sankei.com/life/news/170519/lif1705190049-n1.html
次期の学習指導要領(小学校は2020<平成32>年度から全面実施)と幼稚園教育要領(18<同30>年度から全面実施)は、幼児期と児童期の教育の連続性・一貫性を強調しており、幼稚園などでの教育と、小学校低学年での教育の目標を「学びの基礎力の育成」と位置付けています。
そこで重視されるのが、幼小接続期カリキュラムです。同研究所は、幼小接続期カリキュラムのうち「幼児期の学びが小学校の生活や学習で生かされてつながるように工夫された5歳児のカリキュラム」をアプローチカリキュラム、「小学校入学後に実施される合科的・関連的カリキュラム」をスタートカリキュラムと説明しています。
具体的に言えば、幼稚園などと小学校が連携して、幼稚園などで5歳児後半にアプローチカリキュラムを実施したうえで、小学校では入学後直後にスタートカリキュラムを実施することになります。
カタカナの外来語ばかりで、何を言わんとするかがわかりにくい表現ですね。
ギュッと圧縮して言いますと、
小学校入学前に、しっかりと読み書きができて、
「小学校入学後に実施される合科的・関連的カリキュラム」に対応できるようにすることが当面の目標である。
つまり、国語や算数といった単科科目の枠組みを超えて、科目を横断したり、関連づけられた問題にも対応できるだけの、理解力や判断力をつけておくこと、
が必須である!・・・ということです。
要は、「5歳児後半」までに、少なくとも小学校就学までには、しっかりとした読み、書き、その意味合いを理解できる力を身につけさせておかなければ、
小学校一年生からは、どんどん授業は進みます。
遅れた子供さんは親御さんの自己責任とならざるを得ません、ね。
・・・と言っているように、筆者は考えます。
何故なら、先進諸国との苛烈な競争に生き抜いていくためには、日本も本腰を入れて所謂「エリート教育」をせざるを得なくなっています。
「みんな仲良く一緒にゴール」といった、日本の悪しき平等主義の教育では、全く通用しないと認識し始めているのです。
もともと、江戸、明治期までの日本では「分に応じた」教育がなされていたのですが、
大東亜戦争に負けて、米国から日本の素晴らしい教育制度をズタズタにされ戦後七〇年を過ぎて、やっと気付かされて修正を始めたかのようです。
さらに、
次期幼稚園教育要領では、幼児期の終わりまでに育ってほしい姿として、「健康な心と体」「自立心」「協同性」「道徳性・規範意識の芽生え」「社会生活との関わり」「思考力の芽生え」「自然との関わり・生命尊重」「数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚」「言葉による伝え合い」「豊かな感性と表現」の10項目を示しています。
一方、小学校の次期学習指導要領では、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿を踏まえた指導を工夫することにより、幼稚園教育要領等に基づく幼児期の教育を通して育まれた資質・能力を踏まえた教育活動を実施」するよう求めています。これについて同報告書は、幼稚園などと小学校の教員の間で、「5歳児修了時の姿が共有化されることによって幼児教育と小学校教育との接続が一層強まることが期待されている」としています。
「健康な心と体」「自立心」「協同性」「道徳性・規範意識の芽生え」「社会生活との関わり」「思考力の芽生え」「自然との関わり・生命尊重」などと列挙されているのは、
実は江戸期までのエリート教育である「士道教育(武士として踏み行う行うべき道義教育)」を標榜しているかのようです。
エリート教育の定義は様々ですが、
日本人として「世の為人の為になる」人を目指すのがエリートとすれば、それぞれ分に応じて切磋琢磨することは、優秀な人材にとっては大事なことではないでしょうか。