長崎市五島町の幼児教室・学習塾の羅針塾では、学びの合間に塾生に応じた会話を交わすことがあります。学ぶ教科に関連することから、敷衍(ふえん:押し広げること、展開すること)したり、時には話が脱線してあらぬ方向へ行くこともあります。塾生には、世界情勢や、歴史や自然科学の方面など、様々な物事に興味を持って欲しいものです。
さて、時折引用しているブログからご紹介です。→「加瀬英明のコラム」「パンデミックは奇貨となるだろうか」http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi
ようやく全国に外出自粛を強いていた、緊急事態宣言が解除された。
といっても、相手は疫病神(えやみがみ)だからまだ安心できない。しばらくはマスクを着用して、人々とのあいだの距離をとることになるのだろう。
武漢(ウーハン)ウィルスの大流行という奇禍によって、自宅と近くの事務所を往復して逼塞する日々を過していたが、自分の時間を落ち着いて持つことができたのは、珍しい財貨――奇貨というものだった。
予想もしなかったが、おとなになってから、はじめて長い休暇に恵まれたと思った。
インスラ、アウタルキア
2つの小さな島に似た、自宅と事務所に籠るうちに、英語で「孤立、隔離」を意味するアイソレーション*1の語源が、海外に留学した時に学んだラテン語の島の「インスラ」insulaであるのを思い出した。英語のアウタルキー(自給自足)*2の語源が、ラテン語の「アウタルキア」autarkiaだったと、頭に浮んだ。
自粛中は人出や、交通量が大きく減ったから、喧噪が失せて静かだった。
仕事や会合や、絶え間ない都会の騒音によって、関心がつねに散らされて、自分をおろそかにしていたが、案じることから感覚まで自給自足するようになった。
自宅が表通りの裏の路地に面しているが、狭い庭に集まったスズメの囀りや、近くの皇居の森から飛んでくる野鳥が鳴きかわす声が、はっきりと聞えて嬉しい。
街が静かになったからだ。玄関を出入りする時に、家人が植えた花の甘い香りに気がついて、狼狽(うろ)たえた。喧騒のなかで視覚や聴覚を酷使していたために、五感が鈍ってしまったのだと思った。
つい、4、50年前までは、私たちは東京に住んでいても、自然が心身の一部になっていたから、自然を身近に感じたものだった。
だから樹木が芽をふくころに、屋根や緑を静かに濡らす雨は、春雨(はるさめ)だったし、五月に入ると五月雨(さみだれ)、秋から冬にかけて降る雨や、通り雨は時雨(しぐれ)といった。
春なら霞(かすみ)、秋は霧といったのに、いまでは環境が人工的になったためか、心が粗削(あらけず)りになってしまったためか、1年を通してただ霧としか呼ばない。
英語は季節感が乏しいので、霞も、霧もすべて「フォッグ」fogか、「ミスト」mistか、「ヘイズ」hazeであって、季節によって呼び分ける繊細さを欠いているから、味気ない。
*1 isolation=隔離、分離、孤立、絶縁 *2 autarky=経済的自給自足
・・・外交評論家としてご健在な加瀬英明氏は、該博(がいはく:広く物事に通じていること)な知識と、軽妙な文章表現をされるので、読んでいても楽しいものです。氏が述べられている様に、日本語の情趣豊かな表現は、外国語の追随を許さないと言えるでしょう。
筆者は、日本語字幕の外国映画をよく鑑賞しますが、セリフが英語表現の際に、度々上手く字幕を訳しているなあ、と感心することがあります。英語のセリフは、場面が違っても同じ様な英語表現であるのに、日本語の字幕は漢字を交えているので、場面に応じて日本人の翻訳者が上手に表現していることが多々あるのです。
『源氏物語』を読む
私は『源氏物語』、川端文学の優れた訳者として有名な、エドワード・サイデンステッカー教授と昵懇(じっこん)にしていた。
「サイデンさん」と呼んだが、下町をこよなく愛していたので、山の手で育った者として、下町文化のよい案内役をえた。永井荷風文学をよく理解できるようになった。
(中略)
私は『源氏物語』を、サイデンさんの知遇をえるまで、製紙、香料の産業史の本として読んでいたが、サイデンさんの導きによって、王朝文学として親しむことができた。
香りは舞台回し
『源氏物語』には数えたことがないが、50種類あまりの紙が登場する。溜漉(ためす)き*3の紙は中国で発明されたが、源氏に「唐の紙はもろくて朝夕の御手ならしにもいかがとて、紙屋(かんや)を召して、心ことに清らかに漉かせ給へるに」(鈴虫)と、述べられている。
流し漉き*4の丈夫な和紙は日本で発明されたが、物語のなかで紙が重要な役割をつとめている。
*3溜漉(ためす)き=紙の手漉き法の一。簀 (す) をはめた漉桁 (すきげた) へ紙料液をすくい入れ、揺り動かして繊維の絡みをよくし、水を漏下させて紙の層を得るもの。
*4流し漉(す)き=手漉き和紙の漉き方の一。ねりとよぶ植物性粘液を混ぜた紙料液を、ばね式につるしてある漉き桁 (げた) の中へ手前からすくい入れ、揺り動かして繊維の絡みをよくし、向こう側へ余分な水を流し、これを数回繰り返す。漉き上がった湿紙を重ねても、ねりの粘度が急速に減退するので、1枚ずつはがせる。
・・・源氏物語の中で、「唐の紙はもろくて朝夕の御手ならしにもいかがとて、紙屋(かんや)を召して、心ことに清らかに漉かせ給へるに」の部分は、与謝野晶子版「源氏物語」でご紹介しますと・・・
すずむしは釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)のおん弟子の君のためににと秋を浄(きよ)むる
夏の蓮(はす)の花の盛りに、でき上がった入道の姫君の御持仏の供養が催されることになった。
(中略)
仏前の名香(みょうこう)には支那の百歩香(ひゃくぶこう)がたかれてある。阿弥陀仏と脇士(わきし)の菩薩(ぼさつ)が皆白檀(びゃくだん)で精巧な彫り物に現わされておいでになってた。閼伽(あか)の具はことに小さく作られてあって、、白玉(はくぎょく)と青玉(せいぎょく)で蓮の花の形にした幾つかの小香炉(こうろ)には蜂蜜の甘い香を退けた荷葉香(かようこう)が燻(く)べられてある。経巻は六道を行く亡者(もうじゃ)のために六部お書かせになったのである。宮の持経は六条院がお手ずからお書きになったものである。これを御仏(みほとけ)への結縁としてせめて愛する者二人が永久に導かれたい希望が御願文(がんもん)に述べられてあった。朝夕に読誦(どくじゅ)される阿弥陀経は支那の紙ではもろくていかがと思召(おぼしめ)され、紙屋(かんや)川の人をお呼び寄せになり特にお漉(す)かせになった紙へ、この春ごろから熱心に書いておいでになったこの経巻は、片端を遠く見てさえ目がくらむ雅さはことさらにいうまでもない。
・・・とあります。
それに付けても、平安時代の高貴な方々の世界とはいえ、優雅で心の持ちようが現代人では想像を絶するほどのものです。現在の私達よりも、自然を敬い、仏道を如何に大事にしていたかが理解できます。