幼児教室・学習塾の羅針塾では、現在夏期講習の真っ最中です。塾生それぞれの為すべき学びを懸命にしています。
さて、
「なぜ勉強しなければならないのか」との問いは、子供達にとって昔も今も変わらないテーマですが、「なぜ勉強したほうがいいのか」は、考える観点が異なります。
それについて、山口真由氏(信州大学特任教授・ニューヨーク州弁護士)がわかりやすく説明されていますので、引用してご紹介します(President Online https://president.jp/articles/-/47504)。
勉強が苦痛なのはあたりまえ
世の中に「勉強が好きな人」は、いったいどのくらいいるのでしょうか?
「勉強が好きなのね」と小さいころから言われ続けてきたわたしは、身もふたもない実感として「勉強はとくに好きではないな」と思っています。だって、勉強より楽しいことは、世の中には山ほどありますから。遊んでいたほうが楽しいに決まっています。
だからこそ、勉強が嫌いだったり苦痛を感じたりしている人に、わたしは強く伝えたい。
「勉強は楽しいものではない」と。
むしろ、これを認めないと、面白くもないことを続けることはできません。もちろん、勉強をしていて難しい問題が解けた瞬間や、知的好奇心が広がっていく感覚を楽しいと感じるときはあります。
でも、それはあくまで一時的なもの。勉強の大部分は、覚えるべきことをひたすら覚え、同じルーティンを繰り返していく、まさに忍耐の連続です。そんな勉強に苦痛を感じるのは、むしろ正常で、あたりまえの状態だと思いませんか?
では、いったいなんのために、人生の貴重な時間を費やして、楽しくないことに延々と取り組むのでしょうか?
それは、「目標を達成するため」です。
苦しい勉強に時間を費やす自分に思い悩むのではなく、そのように割り切ってしまう気持ちこそが大切です。
・・・確かに、学年で一番の中学生の塾生に尋ねたときに「勉強は好きではありません。しなければならないと考えるから勉強するのです」と明言。
勉強は手段に過ぎない。
わたしは、いつもこのように考えて勉強を続けてきました。あくまで、自分が設定した目標を達成するための手段と割り切っていたのです。だからこそ、つねに最小限の勉強で目標を達成できる方法を模索し、それを実践してきました。
(中略)
わたしと同じように、勉強が面白く感じられなかったり、挫折しがちだったりする人がいたら、「勉強は手段に過ぎない」と声を大にしていいたい。
勉強を「目的合理的」にとらえたときにはじめて、勉強の方法も戦略も変わります。
いかにして、最大の成果を上げるか。
これがわたしの勉強に対しての考え方なのです。
・・・東京大学法学部を「オール優」で卒業した山口真由氏は、「勉強をすれば、そのぶんだけ活躍できる場所が社会には用意されている。勉強ほどコスパ(*)がいいものはない」と言います。
(*)コスパ(Cost Performance: 支出した費用に対して得られた満足度の割合)
「勉強は好きではない」「楽しくもない」「手段に過ぎない」と書いてきましたが、勉強には、良いところももちろんあります。
それは、取り組んだぶんだけの成果が手に入る点です。猛烈に勉強したらすごい結果が出るだろうし、より大切なのは、ほんの少しの勉強でも、一歩ずつ前へと進んでいけることです。
(中略)
勉強はオール・オア・ナッシングではなく、社会にさまざまな受け皿があります。そのため、社会で生き抜いていくためには、じつは勉強はかなりコストパフォーマンスが良い方法だと見ることができます。
なにごとも、将来の目標をしっかり持っていれば、努力を続けていくモチベーションになります。でも、ぜひみなさんにお伝えしたいのは、たとえその目標に勉強が必要なさそうに思えても、勉強はしておいたほうがいいということです。
・・・「勉強が苦手」「勉強が嫌い」という気持ちになっているときは、人は大抵勉強をしない理由を探しているものです。無論、「あれをしたい」「これをしたい」という気持ちの時には、机に座ることすら苦痛になっています。
その段階を乗り越えるための工夫が必要ですが・・・
結局のところ、「学ぶ」ことを素直に受け入れる年齢、つまり就学前の六歳くらいまでに、「学ぶ」習慣、「学び」癖をつけることが肝要です。
https://rashinjyuku.com/wp/post-2951/