長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、言葉、語彙の意味合い(定義)をしっかり学ばせたいと考えています。つまり、「〜とは」と問われた場合に、自分の言葉で説明できるか、出来なければ、辞書を引いて「字義」を確かめるよう指導しています。
さて、毎年11月23日は、現在の呼び方では「勤労感謝の日」と呼ばれる祝日です。しかし、勤労感謝とは、誰が、何を、何に、感謝するのか。筆者も子供心に疑問を感じていました。
「国民の祝日」とは、国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)により、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために定められた「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」です。
これについて、謂れを踏まえた論が掲載されていました。引用してご紹介します。
「日本文明に基づいた祝日の名に」文芸批評家・新保祐司(産経新聞令和4年11月23日号)
「新嘗祭」が名を変え
今日は、「勤労感謝の日」である。祝日法には、その趣旨として「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」とある。明治初年に「新嘗(にいなめ)祭」と定められたものが、敗戦後に名を変えたのである。福田恆存は、昭和29年に「『勤労感謝の日』といふことばからは、なにか工場労働者の顔が浮んでくる。下手すると戦争中の勤労動員を憶ひだします。官僚的、乃至(ないし)は階級闘争的です。率直にいつて、百姓仕事や商業と勤労といふことばとは、ぜんぜん結びつきません」と語った。それに対して、稲などの五穀の収穫を祝う「新嘗祭」は、日本文明の根底としての農耕生活に基づいている。日本文明の保持が重要な課題となっている今日、この祝日の名の変更は、改めて考えてみるべきだと思う。
その年の収穫を祝う行事は、世界中で広く見られる。日本の「新嘗祭」も同じような趣旨であり、そのままでよかったのであるが、占領下ではそうはいかなかった。
福田は、「戦後は、皇室中心主義も神道もいけないといふことになつた。農耕生活も非合理でばかばかしいといふことになつた。そこで過去の祭日は、全部否定してしまつて」、「勤労感謝の日」などのような「奇妙な祭日をでつちあげたわけです」と語っている。アメリカでは11月の第4木曜日がその年の収穫を感謝する「Thanksgiving Day(感謝祭)」であり、「感謝」という言葉は、この「Thanksgiving」からきたに違いない。
正月の四方拝、春季及び秋季皇霊祭、神嘗祭、新嘗祭などの「過去の祭日」については「いづれも皇室の行事に、あるいは祖先をまつる神道に関係がありました。しかし、もつと深く考へれば、(略)それらは日本の農耕生活にもとづいてゐたのであります。むしろ皇室のほうが、それに拠(よ)つたのです」と、それらが日本文明の根底から生まれたものであることに注意を促している。
「奇妙な祭日」と感じるわけ
「勤労感謝の日」を「奇妙な祭日」と感じさせるのは、趣旨にある「国民たがいに感謝しあう」という文言にもある。「新嘗祭」は天神地祇(てんしんちぎ)に感謝し、アメリカの「Thanksgiving Day」は本来、神に感謝する。しかし、日本では「戦後民主主義」の通念の中で、感謝する対象が失われた。そこで、国民が「たがいに感謝しあう」こととなった。水平的な感謝である。このような感謝は、垂直性がないために空疎なものになりがちだ。
「勤労」ならば11月ではなく、企業の決算が多い3月末とか夏や冬の賞与が支給される頃がよいのではないか。他の祝日に比べて、「勤労感謝の日」に、その趣旨に関連した行事が少ないのは、これらの不自然さから生じていると思われる。「新嘗祭」という祝日名ならば、日本の伝統行事を広く社会に伝承することができる。
すでに70年余りこの名でやってきたのだから、拘(こだわ)らなくてもいいのではないかと考える向きもあるだろうが、名は正しくなければならないのである。
『論語』に、「子路曰(いわ)く、衛君、子を待ちて政を為さしむれば、子将(まさ)に奚(なに)をか先にせん。子曰く、必ずや名を正さんか。
子路曰く、是(これ)あるかな、子の迂なるや。奚(なん)ぞそれ正さん。子曰く、野なるかな由や」という問答がある。訳すると、次のようになる。弟子の子路が、孔子に衛の国で政治を任されたら、何から手をつけますかと尋ねたところ、孔子は何よりも名を正しくしたいと答えた。それを聞いて、子路は、これだから困りますね先生は、現実離れしていますよと言った。すると、孔子は、愛弟子の子路を、事の本質が分かっていないなあと言って、たしなめた。名と実が合っていること
名が正しいとは、名と実が合っていることであり、それが、国家の根本なのである。例えば、大東亜戦争が太平洋戦争、敗戦が終戦という名で言われていることが、日本という国家と日本人の歴史観の根底を崩れたものにしてしまっていることを思えばよい。「新嘗祭」が、「勤労感謝の日」という実と合わない名になっていることを問題にするのを「迂なるや」と捉え、経済対策や軍事費の問題などが喫緊の課題だというのは、「野なるかな」なのである。
名と実が合っているという点では、「紀元節」が「建国記念の日」になっているのは許容範囲かもしれない。しかし、「新嘗祭」が「勤労感謝の日」になっているのは、「明治節」が「文化の日」になっているのと同じく、名が正しくないということなのである。
日本の産業構造は変わり、農耕生活の様相も変貌した。しかし、今でも稲穂の実る風景を眺めるとき、「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいおあき)の瑞穂(みずほ)の国」の思いがこみ上げてくる。祝日は、日本文明に基づく名であることが必要なのだ。それによって、将来の日本人によっても心から祝われるものとなり、日本のアイデンティティーが確固たるものとなるからである。
・・・新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)は、「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくことを意味し、収穫された新穀を神に奉り、その恵みに感謝し、国家安泰、国民の繁栄をお祈りします。現在、このお祭りは毎年11月23日に宮中を始め、日本全国の神社で行われていますが、特に宮中では天皇陛下が自らお育てになった新穀を奉るとともに、御親(おんみずか)らもその新穀をお召し上がりになります。収穫感謝のお祭りが11月下旬に行われるのは全国各地での収穫が終了する時期に、御親祭(ごしんさい)を行われたためと考えられています。(神宮H.P
https://www.isejingu.or.jp/ritual/annual/kinen.html)
天皇陛下が新穀を天神地祇に供え、その恩恵を謝し、自らも食する祭の意義を、日本の敗戦によって、米国の占領政策の一環として「勤労感謝」の日に変えさせられたことは、本来の日本の伝統文化を毀損するものだと考えます。
日本の祝祭日を本来の意義あるものに戻すことから、私達は日本の伝統・歴史・文化を学ぶことができるようになります。