教科書に載らない歴史上の人物 29-2 出光佐三

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、何故「国語力」を最重要視するのでしょうか。

それは、母国語である日本語で世界各国の文献を翻訳してきた先人達の恩恵を受けることが出来るからです。つまり、自然科学・人文科学のあらゆる分野で必要と思う文献を、先人達が英語であれ、フランス語、スペイン語、ドイツ語等等であれ、相当な数の文献を刻苦勉励して翻訳してくれたからこそ、現在の私達が原語を習得しなくても日本語で読むことが出来る訳です。恐らくその様な文献を母国語で理解できる民族は、日本人だけではないでしょうか。

裏返すと、世界の様々な民族は、母国語で書かれた文献が無いので国際的に共通語である英語を学ばざるを得ない、ということです。

さて、以前 教科書に載らない歴史上の人物 29  出光佐三でご紹介した出光佐三氏の別のエピソードを『国際インテリジェンス機密ファイル』公式ブログから引用します。(https://ameblo.jp/jyoho2040/entry-12454489710.html

◆出光佐三『私の履歴書』を読み解く

※要旨

・私の生まれたところは福岡県宗像郡。
門司との間に城山トンネルがあるが、
そのトンネルを出たところの赤間というところだ。

・私の育った町は特殊な土地柄で、
宗像神社という有名な神社があった。
私はそのご神徳を受けたと考えている。

・そういうことで非常にいい恵みを
受けて育ってきていることは間違いない、
と思っている。

・私はいま神社の復興をやっているが、
神というものを今の人はバカにしている。
私どもにはバカにできない事実がたくさんある。
それは私の会社は災害を一度も被っていない。

・戦時中、あれだけ中国から満州、朝鮮、
台湾、南方とほとんど全域に1000人もの人が
働いていたのに、一つも戦禍を受けていない。

・上海の倉庫の近くに爆弾が落ちたが、
倉庫の外側に落ちて破裂したので
倉庫は助かっている。
そういったことは数え上げれば際限がない。

・理屈はいろいろつくかもしれないが、
社員は神のご加護と信じているんだからしょうがない。
また信じないわけにはいかないだろう。

・古歌に、

「心だに誠の道に叶ひなば祈らずとても神や護らむ」

とあるが、
私のところでは神様を祀ってあって
私はこれを一応おがむ。

・すると若い社員が入ってきて
どういうわけで神様をおがむのかと
質問する。
それから私は説明してやる。

→「君らは3年か5年大学にいったために
うぬぼれ過ぎている。
そして人間が完成したように思っているが、
人間というものは実は何も力はないのだ」

→「ここの会社に入ったならばまず俺は大学を出た、
卒業したという気持ちと卒業証書を捨てろという」

→「人間社会の人情の複雑な中に飛び込んで、
その中で鍛えて鍛えて鍛え上げていくところに
人間としての偉さが出てくる。
苦労をすればするほど人間は完成に近づくのだ」

→「私は神様をおがむが、
そのときはただ無我の状態に入るのだ。
家庭では神様と仏様を拝むし、
一日に何回か無我無心の状態に入る。
それは非常に尊いことだ」

→「どうぞ金儲けさせてください。
いい思いをさせて下さい、
というようなことを頼んだことはない。
無我無心になる、これだ」

・・・出光佐三氏は、幼少期から宗像大社を崇敬していたそうですが、昭和12(1937)年、宗像大社に参拝に訪れたところ、神社の荒廃した姿を目の当たりにし、心を痛めたそうです。

そこで宗像大社再興のため、出光佐三氏を中心とした宗像神社復興期成会が結成されます。佐三氏自身も初代会長に就任しました。そして再建のために活動していく中で、政府高官から神社史の作成を勧められたのです。

それを受け、佐三氏達は資料の収集・調査・編纂作業に当たりました。戦争によって、一時的に作業は中断されましたが、昭和36(1961)年に上巻、その後下巻と附巻が完成します。

神社史を編纂していく中で、沖ノ島の学術調査が必要となりました。実はそれまで沖ノ島に関することは、あまり良くわかっていなかったそうです。そこで昭和29(1954)年、初めての調査が行われました。

その調査の結果、4~9世紀のものとみられる祭祀の跡と大量の宝物が発見されます。出光佐三氏が、沖ノ島は“神宿る島”であることを明らかにしたと言っても過言ではないようです。なお、この時発掘された宝物は約8万点、そのほとんどが国宝に指定されました。現在では、宗像大社辺津宮境内にある神宝館で見ることができます。

出光佐三氏が宗像大社再建のために費やしたのは、約30年という歳月と数十億という莫大な私財でした。沖ノ島の調査費用の他にも、辺津宮本殿の修復工事や神宝館の建設などにも援助を行ったといいます。

出光佐三氏は宗像大社に多額の寄進を行ったにもかかわらず、境内にはその名前は残されていません。宗像大社側は名前を残すことをお願いしたそうですが、出光佐三氏は「畏れ多い」との理由で辞退されたと言われています。

境内に名前が刻まれた碑などはありませんが、太鼓橋の前にある燈籠は出光佐三が寄進したものです。また、第二宮・第三宮の手前にある手水鉢に刻まれた「洗心」という文字は、佐三の揮毫(きごう)だといいます。

<出光佐三と宗像大社>(https://www.idemitsu.com/jp/enjoy/history/idemitsu/founder/movie/mov1.html) 当動画は2015年3月22日にRKB毎日放送で放映された番組「出光佐三と宗像大社」を短縮したものです。(RKB毎日放送提供)

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