長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、日々の学習の確認を送迎されるお母様方といたします。ご家庭で確認して頂くことや、復習すべきことなどをお伝えします。
さて、
『新しい歴史教科書』(新版・中学社会)(自由社)英訳シリーズ Chapter3の英和対訳部分からの引用です。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%203%20Section%201,%202.pdf
大航海時代に世界へ進出したポルトガルやスペイン。日本との最初の接点は、種子島にあります。
Topic 33 – The arrival of the Europeans
What impact did the European imports of firearms and Christianity have on Japanese society?
33 ヨーロッパ人の来航
ヨーロッパ人がもたらした鉄砲とキリスト教は、日本社会にどのような影響を与えたのであろうか。
Christian missionaries and the introduction of firearms
In 1543 (Tenbun 12), a Chinese junk sailing from Siam (modern-day Thailand) with Portuguese merchants on board was struck by a storm and shipwrecked on the southern Japanese island of Tanegashima (in modern-day Kagoshima Prefecture). These were the first Europeans to reach the shores of Japan. The lord who controlled the island, a member of the Tanegashima clan, paid them a hefty sum in exchange for two firearms, which he ordered his swordsmiths to carefully study.
In no time, Japanese swordsmiths were manufacturing their own firearms in various parts of Japan, such as Sakai (modern-day Osaka). The new weapons were highly sought after by the daimyo, and Japan quickly rose to become the world’s largest producer of firearms. The adoption of firearms by the daimyo dramatically changed battlefield tactics and served to hasten the process of national unification.
In 1549, six years after the introduction of firearms, the Jesuit missionary Francis Xavier1 arrived in Kagoshima in Kyushu, Japan, and worked to convert the local people to Christianity. Later, more missionaries came to Japan alongside Portuguese merchants and proselytized aggressively. Christianity spread rapidly, gaining an especially large number of converts in western Japan. The missionaries won the hearts of many Japanese through their charitable deeds such as the building of orphanages, and the daimyo prized the rare imports that Portuguese merchants brought in their wake.
*1=Francis Xavier was one of the founders of the Society of Jesus. He was running a mission in Malacca in the Malay Peninsula when he is said to have met a young Japanese samurai named Yajiro. Surprised by his remarkable intellectual curiosity, Xavier acquired an interest in Japan and became determined to do missionary work there.
鉄砲の伝来とキリスト教の布教
1543(天文12)年、シャム(現在のタイ)からポルトガル人を乗せた中国船が、暴風雨にあって種子島(鹿児島県)に漂着した。彼らは日本に来た最初のヨーロッパ人だった。領主の種子島氏はポルトガル商人から鉄砲2挺を高額で買い取り、刀鍛冶に研究を命じた。
やがて、堺(大阪府)など各地で刀鍛冶が鉄砲の生産を始めると、戦国大名たちが新兵器として盛んに買い求め、日本はたちまち世界一の鉄砲生産国となった。さらに戦国大名が鉄砲を採用したことは戦闘の方法を大きく変え、全国統一を早める結果をもたらした。
鉄砲伝来の6年後の1549年、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル(*1)が鹿児島に到着し、キリスト教の布教を開始した。その後もポルトガル人の商人とともにやって来た宣教師たちは孤児院を作るなどして人々の心を捉えた。戦国大名は、ポルトガル商人がもたらす珍しい舶来品を珍重した。
*1=フランシスコ・ザビエルはイエズス会創立者の一人。マレー半島のマラッカを拠点にして布教活動をしていたが、ヤジローという日本人の青年武士に出会い、その旺盛な知識欲に驚いて日本に興味を持ち、布教する決意を固めたと言われている。
・・・ヤジローという日本人の青年武士との出会いによって、ザビエルは日本での布教を開始しますが、その布教の2年の間に、イエズス会への手紙の中で次のように記していました。
「彼らの大部分は読み書きを知っており,すぐ祈りの言葉を覚える」
「日本人よりすぐれている人々を異教徒の中に見つけることはできない。彼らは親しみやすく,善良であり、そして何より名誉を重んじる。人々の多くは貧しいがそれを不名誉とは思っていない」
そして、ザビエルは日本での布教の成功を期待しましたが、残念ながら「理性的な日本人」は、キリスト教の中に潜む不合理性を見過ごしませんでした。
たとえば、
・デウスが全能というなら、どうして今まで日本人には啓示を与えなかったのか、
・デウスを礼拝しないと地獄に堕ちるというなら、我々の先祖に啓示も与えずに地獄に落とすのは無慈悲ではないか、
と言うのでした。
当時の日本の一般大衆でさえ 、そのような宗教的な疑問を発するのですから、ザビエルや他の宣教師もタジタジになったことでしょう。それだけ日本人は世界的にも教育程度が高く、識字率も高かったのです。
それは、現在の日本人の子孫たちに受け継がれているはずです。