長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。
言語脳科学の分野から「脳は紙の本でこそ鍛えられる」と提言を行ってきた東京大学大学院教授・酒井邦嘉さんのお話が掲載(月刊『致知』2013年5月号特集「知好楽」)されていますので、引用してご紹介します。
紙の本がなぜ必要なのか
言語や音楽などが脳にどのような影響を与えるか、
人間だけがなぜ言語を発達させ、
クリエイティブな活動ができるのか、
という最も難しくて好奇心をそそられる研究を今日まで続けています。
・・・MRI(注)によって安全に人間の脳が可視化され、現在脳機能イメージングの方法論が確立されつつあります。
(注)磁気共鳴画像法(Magnetic Resonance Imaging 強力な磁石と電波を利用して体内の情報を画像化する検査)
まずは言語に関する脳の働きを簡単に述べておきましょう。
文字を見ると、その視覚情報は脳の視覚野に入り、次に音声の情報に変換された後、膨大な記憶の中から単語や「てにをは」などの文法要素が検索されます。
その情報が言語野(音韻・単語・文法・読解の四つの領域)に送り込まれることで文章として理解される。
これが基本的な言語のメカニズムです。
・・・読書をすることは、一字一字文字を見続けて、語句から文章へと瞬時に情報を取り込んでいきます。
つまり、
文字という視覚情報→音声情報変換→文法要素検索→言語野へ、というプロセスを経て読解するという流れです。
言語といっても文字で読む場合、音声で聴く場合、映像で見る場合など様々ですが、脳に入力される場合のそれぞれの情報量を比較すると、多いほうから映像・音声・文字の順になります。
朗読などの音声には、文字では出せないニュアンスやイントネーションなどの韻律が含まれ、映像は音声に加えてさらに多くの視覚情報が加わるため、音声は文字より、映像は音声よりそれぞれ情報量が豊富だということになるのです。
視点を変えると、文字のように情報量が少なければ、当然足らない部分を想像力で補う必要が生じてきます。
想像力で補われる情報量を比較すると、今度は多いほうから文字・音声・映像の順番です。ここでいう想像力とは、「自分の言葉で考える」ことです。
脳の中でこの想像力を司るのは言語野であり、分からない所が多いほど、脳は音韻・単語・文法・読解の4つの領域を総動員して「これはどういう意味だろう」と考え始めます。
・・・動物の中で人間だけが持ち合わせているものが言語です。
言語脳科学とは、その言語を中心にして人間の脳の働きや機能を研究していくサイエンスの新分野だそうです。
見たり聴いたりするものが即座に消え去ってしまう映像や音声に対して、文字の大きく違う部分がまさにここです。
活字を読むことは、単に視覚的に脳にそれを入力するだけでなく、能動的に足りない情報を想像力で補い、曖昧な部分を解決しながら「自分の言葉」に置き換えるプロセスなのです。
・・・やはり、「活字を読むこと」は脳の働きを活性化し、更に「自分の言葉」を紡いでいくことが、表現力や説得する力をつけていく源になると言えます。
入力の情報が少ないほど脳は想像力を働かせるわけですが、逆に脳の出力はどうでしょうか。
出力の場合は、入力とは反対に情報量が多いほど物事を想像して補うことになります。
例えば、相手に何かを伝えたいと思った時、少ない情報で用件を済ませてしまう電子メールに比べて、人と直接会って会話をする場合は、様々な言葉を駆使し自分の意思が相手に伝わっているかを想像力を働かせながら確認しなくてはいけません。
つまり、メールよりも会話のほうが脳の働きを促すことになります。
このように考えていくと、
脳を創るためには、「適度に少ない情報の入力」「豊富な情報の出力」の両方が必要だと分かります。
要は十分な読書と会話を楽しむことであり、これこそ最も人間的な言語の使い方だと言えるのです。
・・・・・幼児期から活字を紙で「読み」、一文字、語句、文章へと情報量が増えていくに従って、脳が活性化していく様が上記の「言語脳科学」の話からよく理解できます。
教科書のデジタル化を進めるという流れもありますが、矢張り「紙の本がなぜ必要なのか」ということを再認識する必要があると思います。