‘ 羅針塾 ’ の投稿記事一覧

初心に戻る。

幼児教室・学習塾 羅針塾の
夏期講習も明日まで。
ノンストップの長い夏休みでした。
受験生にとっては大事な時間です。

幼児さんから中学生まで
成長の時間だったと思います。
苦手と向き合ったり、新しいことに
挑戦したり。と。
塾生さんの努力の結果は模擬試験や
検定試験に反映されていると思います。
全ての塾生さんの語彙力が上がり
作文を期間内に
書き上げることもできました。

二学期からは「初心に戻る」
丁寧に読む。しっかりと読む。
理解して書く。
大切なことです。

「ハキハキ!元気!賢い子」

塾生さんに
二学期になったら、学校の先生から
夏休みよく頑張ったね。と
褒められるように取り組もう。と
夏期講習中伝え続けていました。

そして、幼児さんのお母様から
「急にしっかりしてきましたね。」と
幼稚園の先生に褒められました。と
教えていただきました。
コツコツと取り組んだことは
結果として現れてきます。

ある塾生さんが
「学校の先生、
両親の言うことを素直に聞いて
トップになります。」と
作文内に書いていました。
この夏期講習で一所懸命に取り組み、
決意したことは
有言実行になると思います。

夏期講習で一つ成長した塾生さん達。
また、二学期から初心に戻り
素直に前向きにコツコツと
取り組んで欲しいと願っています。

posted by at 17:39  | 学習塾・幼児教育

小学校受験 空間把握のセンス

幼児教室・学習塾 羅針塾の小学校受験生
毎日、様々な図形や立体の学びに向き合っています。

「センスあるなあ〜」

「この子は習得が早いなあ」
という塾生さん。
絵画、工作も得意。
観たままを写真で写したように
記憶していきます。

「図形や立体を得意にするには
どのようにすればいいですか。」と
良く質問されます。

空間把握の得意な子は
遊びの様々ことで手作業に
取り組んでいます。
幼い頃から、知らず知らずのうちに
センスを磨いています。

小学校受験の学びで大事な図形。
毎年のようにどの学校でも出題されます。
しかし、子供達にこうなるよね〜
これとこれは・・・と
教えることに先生達は疑問を感じます。

こうなるよ。と指導すると
小学校の図形の学びでつまづくからです。
全ての学びの基本が幼児期にあると
考えています。
自分自身の眼で、手で感覚を身につけて
欲しいと願っています。

「ハキハキ!元気!賢い子」

図形の学びを取り組む時
本人の取り組み方を観察します。
どこから観てる?
どこから組み合わせる?
どこから描く?
一人一人様々なやり方です。

一人一人のキラッとしたセンスを
伸ばしていくために
正解の方法は何通りもあると
考えています。

羅針塾の塾生さん達
幼児さんが図形の学びを取り組んでいると
やりたいよ〜と目で訴えています。
やるっ?と聞くと大喜び。
幼児期に取り組んだことは
その後も楽しい!
気分転換になっています。
賢い子はコツコツ黙々と取り組んで
自分の強みへと変化させていきます。

posted by at 17:06  | 学習塾・幼児教育

日本語の崩壊 「字幕離れ」

幼児教室・学習塾の羅針塾では、幼児期の基幹教育(小学校就学前の学び)を終えたら、国語力をつける為の基本である漢字の学びを始めます。

その際、漢字の熟語は漢字・仮名交じりでは読みません。例えば、「国語」を「国ご」「食事」を「食じ」の文字では読みません。

さて、

致知出版社の人間力メルマガ 2021.8.24に、字幕翻訳者の戸田奈津子氏のインタビュー記事がありました。

筆者も仄聞(そくぶん:噂などで耳に入ること、人伝(ひとづて)に聞くこと)していたことですので、得心した次第です。引用してご紹介します。

 

字幕翻訳者の戸田奈津子さんか゛いまとても憂慮されていることがあります。
若い人たちを中心に「字幕離れ」が進んでいることです。
そしてそれは、日本語の崩壊にも繋がっていると戸田さんは指摘されています。

日本語力という話と少し関連することだけど、ここ20年の間に若い人たちの間で「字幕離れ」が進んでいるんです。
つまり、吹き替え版を好む観客が増えてきている。
ある時、映画が字幕版と知った観客が「普通の映画はやっていないんですか」と尋ねたという話を聞いて驚きました。
その人にとっては吹き替え版が普通の映画なわけですね。
おそらく字が読めない若者が増えているからなのでしょうけど、日本国としても実に憂うべきことでしょうし、文化が死んでいくことを私もとても心配しています。

これも少し前の話ですが、映画会社から「若い人は〝安堵〟という言葉が読めないから〝安心〟に変えてほしい」と言われて、強く反発したことがあります。
「安堵と安心はニュアンスが全く違う。それがどうして分からないの」と。
このことが誰も気にならなくなっているというのは怖いですね。
安堵という日本語を含めて、毎日言葉が死んでいる。
もう、あちこちに死体がごろごろ。

(──確かに日本語の崩壊は深刻ですね。)

(戸田)

何を基準にしてそうなっているか私には分からないけど、〝拉致〟を〝ら致〟と書いたって、それだけでは分かりません。
漢字なら見て意味が通じるんです。
私は絶対に〝ら致〟なんて書きたくないから、必ず漢字で書いてルビ(読み仮名)を活用するようにしています。
そんな例はたくさんありますよ。

日本は世界でも珍しい字幕国なんです。
外国映画を字幕で観る習慣がなぜここまで日本で定着したのかと言えば、
一つには日本人の識字率が高かったこと。
もう一つは本物志向が強いことです。

ゲーリー・クーパーのようなステキな声は生で聞きたいという映画ファンは多いはずです。
いわゆるヒーローものの声優さんが吹き替えをやったって、あの味は出せませんよ。
でも、それすらいまの子には通用しない。
ないものねだりというか、それが時代の流れなのでしょうけど、
字幕を取り巻く環境の変化は残念ではありますね。

洋画(外国製映画)の字幕翻訳の歴史は約90年前に遡るそうです。日本で初めて日本語字幕がついた映画は、1930年に米国で制作された『モロッコ』です。日本公開は翌年の31年。翻訳者は田村幸彦氏です。田村氏は日米を行き来して翻訳技術を学び、字幕づくりの基本的なルールを作りました。1秒3、4文字、縦字幕で1行13文字(現在は10文字)、最大2行とされる田村さんの制作のルールは、今も映像制作における字幕翻訳の基本ルールとして根付いています。

・・・映像の下部(乃至は右横部)に流れる字幕を読みながら、映像を追いかけることが出来ない若者が増えている。 驚きです。

戸田奈津子氏のお話は、日本人の高かった識字率が低下している、また国語力が落ちてきている証左(=証拠)を表しています。

更に、

国語力の低下の一因として、外来語又は外来語的な言葉を「カタカナ」表記したり、用いたりする悪しき流行り(はやり)も問題です。日本語で書いたり表現するべきなのに、わざわざ「カタカナ」に変える愚は避けるべきです。例えば、「危機管理」を「リスク・マネジメント」、「適切な距離(を保つこと)」を「ソーシャル・ディスタンス」と表記することなどです。

仮に、どうしても英語表現をしたければ、「Risk Managemennt(リスク・マネジメント)」「Social Distance(ソーシャル・ディスタンス)」と、英語などの綴りを表記すべきです。そうすれば、英語の辞書で意味を確認出来るからです。

字幕翻訳者の戸田奈津子氏の言われる「字幕離れ」は、結局、小・中学校の義務教育期間に、しっかり国語教育をしなければならないことを示しています。そして、家庭で普段から国語辞書や漢字辞書を使いこなし、日常的に語彙力を増す工夫が必要です。

「漢字や語彙力の無いことは恥ずかしいことです。常識がないと言われない様に、しっかり学ばなければなりません。」と、筆者は母親から常々言われていました。

これは、昔も今も変わらない事実です。

posted by at 15:36  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

「いのちの森」 宮脇昭・横浜国立大学名誉教授

幼児教室・学習塾の羅針塾では、学びを通して将来の「自分のあるべき姿」を見つけていって欲しいと考えています。コツコツ努力して学年で一番の中学生である塾生は、近い将来米国の一流大学への進学を目指しています。明確に、米国の大学で何を学びたいか、そしてその先の目指すべき仕事についても、しっかり考えています。

さて、

日本本来の常緑広葉樹で、津波、土砂崩れ、火災から国民を守る「いのちの森」づくりを提唱してきた宮脇昭・横浜国立大学名誉教授が、令和3(2021)年7月16日に93歳で永眠されました。

一般社団法人「森の防潮堤協会」http://morinobouchoutei.comから引用。

 

再々引用する「国際派日本人養成講座」No.1230 「宮脇昭 いのちを守る4千万本の植樹」をご紹介して、引用します。http://blog.jog-net.jp/202108/article_5.html

 

■1.東日本大震災の津波に耐えたタブノキやシラカシの森

(前略)

生態学者の宮脇昭教授は以前から、国内の防災には松や杉ではなく、タブノキなどの常緑広葉樹を植えるべき、と唱えて、植林活動を指導してきました。今までに国内および12カ国で指導して植えた木の数から「4千万本の男」とも呼ばれています。東日本大震災は、宮脇教授の理論が正しいことを証明しました。

■2.タブノキとの鮮烈な出会い

 宮脇教授とタブノキの出会いは、被爆後の広島市街でした。赤茶けたがれきの残る市街のあちこちで雑草こそ芽を出していましたが、樹木は原爆の熱や放射能で失われていました。

__________
 爆心地から一キロ半ほど離れた小さな社(やしろ)に、高さ一メートルほどの本が三本、枝葉を枯らして棒のようになって立っていた。三本ともタブノキ。近寄って足元を見ると、なんと根は生きていて、根元からは、タブノキ特有のピンク色の新芽が十本ほど出ていた。その感動は、八十年たった今も忘れない。・・・
 なぜタブノキだけが再生しているのか、不思議だった。私とタブノキとの鮮烈な出会いでもあった。[宮脇昭『いのちの森づくり 宮脇昭自伝』、藤原書店、p84]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 宮脇教授はその後、ドイツに留学し、「潜在自然植生」という理論を学びます。人間の手が入らない、土地固有の植生がもっともその土地に適性を持っており、生命力も強い、という理論です。そして、宮脇教授は鎮守の森などに残っている樹木種の調査から、日本の土地本来の樹木はタブノキであることを発見したのです。

・・・確かに、広島・長崎の原爆被災地の写真などの映像を見ると、松などは燃え尽きているのに黒焦げの樹木が幹だけで立っているように見えます。長崎市坂本町の山王神社の所謂(いわゆる)「被曝楠」は、見事に命を繋いでいます。

現在の山王神社「被曝楠」

 

■7.「自ら額に汗し手を大地に接して、小さな苗を植えていく」

 宮脇昭教授は、本年7月16日、永眠されました。享年93歳でした。平成24(2012)年、84歳の時に教授は天皇皇后両陛下に「常緑広葉樹の植樹による海岸防災の森づくり」についてご説明し、こう結びました。

__________
 日本人一人ひとりが、自分の愛する家族の、日本の国民のいのちを守るため、そして本物の緑豊かな国土を守るために、自ら額に汗し手を大地に接して、小さな苗を植えていく、その成果とノウハウを日本から世界に発信していきたいと願っています。[宮脇昭H25『瓦礫を活かす森の防波堤』学研パブリッシング, p33]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 説明が終わると、陛下は宮脇教授の目をじっと見つめ、「よろしくお願いします」と言われました。そのお言葉に宮脇教授は「日本の明るい未来と平和な世を願う陛下の切なる祈りをひしひしと感じた」そうです。

 国内外で2700カ所、4千万本以上の木を植えてきた宮脇教授は、両陛下への誓いをすでに十二分に果たしている、と言って良いでしょう。後に続く我々が、宮脇教授の遺した「成果とノウハウ」を継承発展させていくこと、それが宮脇教授にとっての何よりの手向(たむ)けになります。

 

・・・「いのちの森」づくりを提唱し、学問の道を極め実践する素晴らしい人生。

これからの日本を支える若者達の一つの指標になる偉人です。

感動的なお話は、「国際派日本人養成講座」No.1230 「宮脇昭 いのちを守る4千万本の植樹」をご覧下さい。http://blog.jog-net.jp/202108/article_5.html

posted by at 12:49  | 塾長ブログ

努力の大切さをどう説くか。

幼児教室・学習塾の羅針塾では、夏休み期間に普段できないことをしっかり学びます。

例えば、漢字の練習。

意味を調べ、書き順を正しく、偏や旁(つくり)、訓読み・音読みに気をつけて、繰り返して練習をします。

そして、熟語や諺(ことわざ)もあわせて学びます。

国語力の基礎となる語彙(ごい)は、漢字が基本です。漢字は、表音文字であるとともに、表意文字でもあります。一見すると複雑ですが、漢字をマスターすると、様々な表現をできる様になります。

従って、小学校の頃に努力して漢字力をつけると、国語力を大きく向上させることができます。

その「努力」をすることの大事さを伝える戦前の修身の教科書から一節を引用します。

「ヨイコドモ」下(小学校2年生)(昭和16年2月発行)

「ヨイコドモ」下  六、ヤナギニ蛙

六、ヤナギニ蛙

昔 ヲノノタウフウト イフ 人ガ アリマシタ。

小サイ 時カラ ジノ ケイコヲ シテ ヰマシタガ、思フヤウニ

ウマク カケナイノデ、ヤメテシマハウカト 思ヒマシタ。

アル雨ノ日ニ、タウフウガ、庭ニ オリテ 池ノソバヲ 見ルト、

一ピキノ蛙ガ、シダレヤナギノ枝ニ、トビツカウト シテ ヰマシタ。

トンデハ 落チ、トンデハ 落チ、何ベンモ 何ベンモ 

クリカエシテ ヰマス、

トウトウ ヤナギノ 枝ニ トビツキマシタ。

タウフウハ コレヲ 見テ、コンキヨクスレバ、

何ゴトモ デキナイ コトハ ナイト 氣ガ ツキマシタ。

タウフウハ、ソレカラ イッシンニ

ジ ヲ ナラヒマシタ。

ズンズン ウマク ナッテ、ナダカイ カキテト

ナリマシタ。

小野道風(おのの とうふう)平安時代中期の貴族。能書家(能筆:文字を書くのが上手なこと)。醍醐天皇から冷泉天皇まで四代の天皇に仕え、中務省に所属し宮中の文書を書くことを仕事とした。唐風な書体から脱して、和様書道の基礎を築いた人。小野道風・藤原佐理・藤原行成を「三蹟」(さんせき:平安中期の三人の能書家、またはその筆跡)と称される。

 

・・・努力をし続けることの大事さを、分かり易い例えで当時の小学校2年生に伝えています(現在の八十四〜八十六歳ぐらいの年齢に成られる世代でしょうか)。

戦前の修身や国語の教科書は、正しい日本語を用い、綴り方(書き方、読み方と並ぶ国語教育の一分科。現在の作文。)の練習にもなる様な文章が多いので、大いに参考になります。

 

 

 

 

posted by at 16:11  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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