‘ 羅針塾 ’ の投稿記事一覧

教科書に載らない歴史上の人物 悪者編 2

教科書に載らない歴史上の人物 悪者編の続きです。

平泉澄著「少年日本史」(皇學館大学出版部)P.160〜からの引用でのご紹介。

 

姉の法均、元の名は廣虫(ひろむし)と云う。

弟の清麻呂と共に、早くから孝謙天皇にお仕えして、御信任をいただいて居ました。そして天皇が佛門に入られますと同時に、自分も出家して尼となり、名を法均と改めました。

天平寶字(てんぴょうほうじ)八年に、恵美押勝(えみのおしかつ)の亂があって、死刑に處せられる筈の者が三百七十五人ありました。法均は、固く天皇をお諫め申し上げ、これらの人々の死刑を減じて、流罪や禁固にしました。

その一亂終わった後に、飢(うえ)と病(やまい)とに苦しんで、棄子(すてご)をする者が澤山(たくさん)ありました。法均は、藪の中に棄てられている子供を拾い集めて、自分の養子にして育てました。それが八十三人あったといいます。

そういう人でしたから、重大な問題に就いて神意をうかがう大任を、天皇は法均に命じられたのでしょう。ところが何分女性の身で、九州まで参る事、容易で無く、これを弟に譲ったのです。この姉から見込まれて、代行を命ぜられたのですから、清麻呂の人となりも分かりましょう。

法均と和氣清麻呂(和氣神社HPより)http://wake-jinjya.com

 

宇佐へ向かって出發する時、道鏡から「一寸来る様に」と云われました。行って見ると、「首尾よく大任をはたしたならば、大臣にしてやるぞ」と云いました。その誘惑や強迫をしりぞけて、神勅をありのままに報告し、「我が國は開闢以来君臣の分定まれり、無道の者はこれを排除せよ」と云ったのは、実に偉いと云わねばなりません。道鏡は大いに腹を立て、大隅へ下る清麻呂を、途中で殺させようとしましたが、果たさなかったといいます。

清麻呂は大隅へ流された翌年の八月、稱徳(しょうとく)天皇おかくれになり、光仁(こうにん)天皇御位(みくらい)におつきになりました。天智(てんぢ)天皇の御子(みこ)施基皇子(しきのおうじ)の御子であります。その時には、國を憂うる重臣達が敏活に働いて、道鏡の動きを封じましたが、それには坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ)が、道鏡の陰謀を知って朝廷へ報告したのが、役に立った様です。

稱徳(しょうとく)天皇がおかくれになってより十七日後には、道鏡は下野國(しもつけのくに:栃木県)の薬師寺に追われ、同時に習宜阿曾麻呂(すきのあそまろ)は島守(しまのかみ)として多褹島(たねがしま)へ使わされました。そして其の翌日には、道鏡の弟であって、大納言を始め、いくつかの顕官要職を兼任していた弓削浄人(ゆげのきよひと)を、その子三人とともに、土佐の國(高知県)ヘ流され、又その翌日には道鏡の陰謀を探知して報告した坂上苅田麻呂に正四位下(しょうしいのげ)を授け、其の十三日後には和氣清麻呂を大隅より、その姉法均を備後より、呼び戻されました。

前(さき)には清寧(せいねい)天皇お隠れの後といい、また武烈天皇おかくれの時といい、皇子ましまさずして、皇室の危機と云って良い時でさえ、國體(こくたい)を乱そうとする者は出なかったのですが、その後、不幸にして蘇我氏の如き、また道鏡の如き、君臣の分をわきまえぬ不埒な者が現れましたのは、いずれも御信任に甘え、身の程を忘れて増長して来たからであります。その蘇我氏を排除せられたのは、てんじ天皇でありましたが、今度道鏡を退けられたのは、天智天皇の御孫(おんまご)光仁天皇でありました。

 

・・・結果として、弓削道鏡の悪巧みは、法均と和氣清麻呂姉弟をはじめ多くの人々の国を思う気持ち、天皇の尊厳を守ろうという気概によって、防ぐことが出来ました。

平泉澄著「少年日本史」は、少年・少女向けとは言え、旧漢字には読み易いようにルビが振られています。また、正しい言葉遣いや敬語の用い方など、現在の教科書では物足らない国語力が補える良書です。

posted by at 18:48  | 塾長ブログ

教科書に載らない歴史上の人物 悪者編 1

幼児教室・学習塾の羅針塾では、我が国の伝統や歴史をしっかりと学ぶことが、塾生の「志(こころざし)」を醸成(じょうせい:ある気運を次第に作り上げていくこと)し、「学ぶこと」の意義を理解し、刻苦勉励(こっくべんれい:苦労をものともせずに、一所懸命に努力すること)できる人に育てていくと考えます。

宮崎正弘氏の新刊「こう読み直せ!日本の歴史」(WAC)にも取り上げられている和清麻呂(わけのきよまろ)は、二千年以上も継続して存在する日本の国体(国のあり様、国柄)を守った歴史上重要な人物です。

その対極にあるのが、弓削(ゆげ)の道鏡(どうきょう)。

弓削道鏡は、河内国弓削郷(大阪府八尾市)出身の僧侶です。孝謙上皇の看病僧として寵愛されました。仏教政治の時流に乗って政界に入った道鏡は、太政大臣禅師、ついで法王の位を授けられて、ついに皇位を望むに至りました。

その後の顛末(てんまつ)は、平泉澄著「少年日本史」(皇學館大学出版部)P.158〜からの引用でご紹介します。

神護景雲(じんごけいうん)三年(西暦769)の正月になると、道鏡は、大臣を始め、朝廷の高官の年賀の挨拶を受けています。時に左大臣は藤原永手(ふじわらのながて)、右大臣は吉備真備(きびのまきび)ですが、それらの大臣豪族、頭を下げて、年頭のご挨拶に行ったのです。

さあ、ここまで来ると、道鏡は間も無く天皇の位を狙うのでは無いか、という疑が出て来ました。

そうと見て、早手廻しにご機嫌を取って置こうとしたのが、九州の太宰府で神事を擔當(たんとう)していた習宜阿曾麻呂(すきのあそまろ)で、「八幡の神のお告げがありました。道教が天皇の位につけば、天下太平との事です。」と言い出しました。

流石に天皇は御心配になり、御信任の深い尼の法均(ほうきん)をやって、八幡の神のお告げ、本当か、どうか確かめたいと思召(おぼしめ)されましたが、夫人の身で九州まで行く事、容易で無い為、その弟の和氣清麻呂(わけのきよまろ)を代わりに派遣せられました。

清麻呂は、この時、近衛将監(このえのしょうげん)でした。将監は、長官・次官・判官・主典の四等官(律令制で諸官司の幹部)のうち、判官に當りますから、かりに云えば、近衛歩兵中尉とか大尉とか云うあたりでしょう。(中略)

清麻呂は、勅命を奉じ、姉に代わって九州へ下向しました。嗚呼(ああ)是の時、日本国の運命は、三十七歳、近衛将監、和氣清麻呂、是の人只ひとりの雙肩(そうけん)にかかったのです。清麻呂は宇佐(大分県)へ参り、八幡の神前にぬかずいて、謹んで神意をうかがいました。

忽然(こつぜん)として、神が出現せられました。仰せられるには、

我國は、開闢(かいびゃく)以来、君臣の分、定まっているのだ。しかるに道鏡、なんたる無道(ぶどう)であるか。臣下でありながら天位を望むとは。汝(なんじ)、帰って天皇に上奏せよ。天位は必ず皇統を以て継承されよ。無道の者は、早く取り除くがよい。

清麻呂は奈良へ帰り、ありのままに上奏しました。

怒ったのは弓削道鏡、清麻呂を因幡(鳥取県)へ追放しようとしましたが、また處分(しょぶん)を一層きびしく變更(へんこう)して、清麻呂を大隅(鹿児島県)へ、姉の法均を備後(広島県)へ流しました。

→続く

 

・・・旧拾円紙幣には、清麻呂公が印刷されていました。

日本銀行 旧拾圓兌換券

posted by at 14:32  | 塾長ブログ

小学校英語から中学校英語へどうなるの。

長崎市五島町にある
幼児教室・学習塾 羅針塾です。

中学校の教科書改訂があり、
春から新しい課程での学びとなります。
特に気にしているのが
「英語」新しい教科を観たり、
問題集を観たりすると

「やっぱり・・・」

これからは
とんでもないことになるなあと実感。
小学校教科書で使った会話中心の学びは、
習得したことになり
中学校の教科書は
その後からの学びになります。
と・・・いう事は。

小学校で習った会話、
出てきた単語は全て覚えました!
会話以外でも英文を読み、
英文を書くことも、
和訳することもできますね。
という事です。

私立中学校へ進学予定の
英語の宿題を見せてもらいました。
もちろん、アルファベットから
書くことをおさらいしますが
文法は中々難しい。
みんな、わかるかな、出来るだろうか。と不安に思います。

塾生さんは、羅針塾で
しっかりと学んでいましたから
「簡単すぎる。」と
言って解いていました。

「ハキハキ!元気!賢い子」

これからは、
更に「英語」で
成績に差がつくと考えている先生達。
中学受験にも英語が
組み込まれてくるだろうなあ。
と考えています。
聞き、話すことも大事。
しかし、読み理解し書くことは
成績を左右し大事な事だと考えています。
英文法をしっかり学ぶ事は
大切だと考えています。

羅針塾では
「小学生英語文法講座」
を開講しています。
他の子と差をつけるために
国語力を磨き英語力を磨いていきます。
中学進学に不安があるなあ。
小学校の授業だけで大丈夫かな。と
考えられている方は多いかと思います。
一緒に英語を学んで
得意科目にしてもらえたらと
考えています。

詳細はトップページに書いております。

https://rashinjyuku.com/wp

教科書に載らない日本の歴史 1 日本の縄文時代は「世界五代文明の一つ」

長崎市五島町の幼児教室・学習塾の羅針塾では、語彙力や漢字力の上がってきた塾生には、折を見て塾長の勧める大人が読む様な一般書も読ませます。年齢の如何を問わず、理解力があるので若干の説明をすると得心出来るからです。

さて、

国際政治、経済の舞台裏を独自情報で解析。また、中国ウォッチャーの第一人者で知る人ぞ知る宮崎正弘氏の新刊「こう読み直せ!日本の歴史」(WAC)から、興味深い記事(p.18〜)を引用してご紹介します。

日本の縄文時代は「世界五代文明の一つ」

歴史教科書が一顧だにしなかったしなかった先史時代が日本にあった。

縄文以前、日本には四万年前から旧石器人が生活していた事実は近年の考古学の発達で客観的・科学的に証明され、それまで歴史学者が否定していた旧石器時代が日本にあったことは北関東で「岩宿遺跡」(群馬県みどり市)が発見されたことで裏付けられた。

日本の「考古学」は比較的新しい学問であり、ようやく明治時代から始まった分野である。

従来の歴史解釈では「縄文時代」とは弥生時代との区分けに使われただけの名称に過ぎず、世界史と並列してみれば縄文時代は「石器時代」のこと。まったく文明の香りが希薄な時代とみられていた。

ところが近年、次々と日本列島の随所で発見された縄文遺跡からは夥しい土器とともに土偶が出土した。歴史解釈を塗り替えるほどの画期的な発掘が続いた。土器は無数、土偶も今では一万八千点を数える。

思想家として世界に大きな影響を与えた社会人類学者、レヴィ・ストロースは、縄文は「独自の文明」だと日本の歴史家が思いつきもしなかった見解を遺した。「世界五代文明の一つ」だというのだ。

 

・・・日本の歴史教科書は、縄文・弥生時代の記述が何十年も変わらず、狩猟と米作の区別で時代を分け、内容に興味や関心を持てないものです。

そもそも我が国の歴史に児童・生徒が関心を寄せない様に記述しているのではないか、と疑っているのは筆者だけでは無いと思います。

何故なら、大人の女性に歴史が好きかと問うと、殆どが好きではないと答え、それが学校での歴史授業と試験に原因があるからです。

しかし、俗に「歴女(れきじょ:歴史に興味や関心の高い女性)」といわれる女性陣が、各地の神社・仏閣、歴史的な遺跡などで熱心に渉猟している姿をみると、本来男女を問わず我が国の歴史的な事跡を辿ることに関心があり、歴史に興味を持っていることが分かります。

 

縄文時代に作られ、世界史的にみても最高芸術と言われる土器、土偶、仮面などはフランスやスペインで発見された同時代の壁画にまったく引けを取らず、また縄文前期の太陽信仰からくるストーンサークルや副葬品、祭器なども世界の考古学者、歴史学者ばかりか芸術家を驚かせた。

秋田の山奥で発見されたストーンサークル(環状列石)は、マルタなどの巨石神殿や、英国のストーンヘンジなどと同時期の遺跡であり、謎に満ちた神秘性を共有する。

縄文の芸術的価値の再発見は岡本太郎らによってもなされた。縄文土偶の豊かな表情、凛々しさ、奥ゆかしいデザインの卓越性は、たとえば映画「スター・ウォーズ」の想像力にまで繋がる。漫画の多くのキャラクターの原型ではないかと思うほどに創造性が豊かなのである。縄文土器の表情をみるとある意味ではポケモンのピカチュウではないか。

 

・・・我が国の歴史を児童・生徒に語る為には、世界との比較、現代に繋がる関連性など、興味を持てる授業にしなければ、子供達は眠たい時間を耐えることになります。

 

さらに重要な事実は、縄文中期に日本の伝統文化の中枢にある天皇制の原型が誕生したことである。

「国宝」と指定されたヴィーナス土偶、合掌(がっしょう)土偶、仮面の女神、中空土偶等を観察すると、副葬品として使われたかもしれないが、集落の長(おさ)が大集落を統合し、やがて地方の王となり、弥生期には大王スメラミコトとなっていったことに並行している。自然信仰、太陽信仰はアマテラスオオミカミ(天照大神)に通じる。したがって縄文中期に天皇制の原型が誕生していたことは確実である。

神武天皇の誕生までにも文明の利器ばかりか国語という重要な言語の形成に最低千年の長い歴史が刻まれていたことになる。

神話が伝承されたということ自体が言葉の確立と共通性、その創成から成熟までに長い年月を経ているのだ。

*注:ヴィーナス土偶 国宝土偶(縄文のヴィーナス)茅野市尖石縄文考古館HP https://www.city.chino.lg.jp/site/togariishi/1755.html

茅野市尖石縄文考古館HPより

合掌(がっしょう)土偶

国宝合掌土偶(八戸市HPより)

八戸市HP

https://www.city.hachinohe.aomori.jp/bunka_sports/bunka/zekawajomonnosato_hakkutsuchosa/9917.html

仮面の女神

茅野市尖石縄文考古館HPより

 

中空土偶 Akarennga(アカレンガ)HP

https://www.akarenga-h.jp/hokkaido/jomon/j-06/

国宝中空土偶 Akarennga HPより

posted by at 14:25  | 塾長ブログ

試験への追い込みをどうするか

幼児教室・学習塾 羅針塾です。
受験や検定試験の時
どの様に追い込みをかけていくか。

子供のやる気と力
サポートするお母様にかかっていると
考えています。
焦っても仕方がない。
何から手をつける・・・

基本に戻る事。
沢山の問題を目の前にして
やる気を無くすより
自分自身が自信を持って
取り組めることが大切です。

同じ様なことを反復・・と
思うかもしれませんが
基本に立ち返り出来ることを
完璧にすることが本番への
自信へとなっていきます。

「ハキハキ!元気!賢い子」

受験に送り出す時の子供達の
表情は本当に楽しそう。
やる気満々!頑張るぞ!と
なっています。

賢い子の学びは日々コツコツ
丁寧にです。
諦めずに取り組んでほしいと
考えています。

posted by at 18:17  | 学習塾・幼児教育
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