‘ 羅針塾 ’ の投稿記事一覧

就学前の学び〜何を取り組むのか〜

長崎市幼児教室・学習塾 羅針塾では
小学校受験が終わると
早速、小学校準備に入っていきます。
「国語力」へのさらなる磨きです。

羅針塾の幼児期の学びは
「国語力」を基本基礎として
受験等の取り組みをおこないます。
様々なことに
一つづつ段階を経て学んでいきます。

小学校受験が終わる頃には
誰もがハキハキ!と話をしてくれる
様になり、大人の様な意見も。
日々、
しっかりと聞き
しっかりと読み
しっかりと観て
しっかりと考える
しっかりと伝える。に取り組んだ
成果だと考えます。

就学前の学びは
今まで、物や書くことで
考えていたことを
どうやったら、その答えに
導く事ができるのか。という
ことに繋げていきます。
この学びで小学校一年生の
大まか輪郭の学びは終了していきます。

「ハキハキ!元気!賢い子」

小学校に登校するということ。
初めての環境
初めての人間関係
初めての通学
独り立ちして何事も
自分自身の力で取り組まないと
いけません。
その上、机に座り
新しい学びが主となります。

羅針塾の私達は
初めての不安が和らげば。
自信持って登校できる様にと
願っています。
入学前までに得意を沢山作っておく
とても大事なことだと考えます。

小学校に上がるまでの数ヶ月
「国語力」による学びは
トップになるための基本基礎です。

 

posted by at 15:17  | 学習塾・幼児教育

躾は誰がする?

長崎市 幼児教室・学習塾 羅針塾
お母様達の相談で「躾」を
どのようにすればいいか。

現在、言い聞かせる。
褒めて育てるが一般的。
本当にできる。と
私達は聞いてみます。

「それが、無理なんですよね。」
「怒らないように、私が考えます。」

無理は理解できます。
しかし、考える・・・
よくよく話を聞いてみると
お母様が先回りして何でも
やってしまっている。
んん〜どうしたものか。

そんな時にネットに
こんな記事がありました。
一部抜粋です。

『とにかくしつけが厳しかった。
食事のときに肘をつくとか、
お箸の持ち方、
茶碗(ちゃわん)の持ち方ですね。
お箸で皿を動かしたらすごく怒られた。
お箸を持つときの肘の角度のことで
バーンとたたかれて「ハアーッ?」と
思ったことがあったんです。
ちょっと上げすぎると
「肘、広げすぎなんだよ」と怒られ、
狭めたら「狭めすぎ、45度だよ」って。
そういうとき、
ずっと茶碗を持たされていた。
口ごたえすると頬をたたかれた。
それくらい厳しかった。
でも、何回も何回も言われているうちに
少しずつ直っていくんですね。
今、社会に出てみて分かるんです。
厳しかった母親は
大切なことを教えてくれたと。
いくらお金を出してもしつけは買えない。
どんなにお金持ちになっても買えない。
プライスレスです。
お金では買えないものを
身につけさせてくれたんです。

母親は何もない、何も知らない自分に
善しあしの判断がつくことを
教えてくれた。
それも最高のものを厳しく。
これは最高の贈り物ですよ。
人は最高を知っていると、
落とすことができる。
人は最高のものを知らないと、
どうやってというのが分からない。
たとえば友達と、
あるいはそうでない人といるときには
「違い」がある。
言葉遣いや立ち居振る舞い、
服装などTPOというか。
これは最高のものを知っていないと
対応できないんです。
そこは本当に感謝しています。』
※<話の肖像画>
歌手・郷ひろみ(65)
産経ネットより引用しております。


「ハキハキ!元気!賢い子」

躾はプライスレス。
躾は最高のものを厳しく。

なるほど!
私達が伝えたいことを
書いてくださった!と感謝。

お母様達に話します。
「私達に叱られているお子様を
見たいですか。」

みなさん、いいえ。と
お答えします。

では、お母様が一番厳しく
なって下さい。
どんなに厳しくても
お母様の愛情は伝わり
子供はお母様が一番大好きです。

お母様、皆さん涙したり
納得したり。と
各御家庭の
子育てストーリーがあります。

躾は誰のため。
子供達を恥ずかしくないように
一人前に育て
立派な社会人にするために。

お母様の気合ひとつで
子供は変化していく。
どのような子供になって
もらいたいかで変化する。
躾次第で子供が変化していく。
だと考えます。

お母様の躾が行き届いている
子供達はやはり賢い。
「今」できていなくても
一つづつ丁寧に積み重ねれば
良いと考えます。

春から中学生!
沢山の本を寄贈して頂きました。
塾生の皆さんに
読んでもらおうと考えています。
本当にありがとうございました。
感謝申し上げます。

posted by at 22:14  | 学習塾・幼児教育

幼児期からの学び 中学校受験

長崎市にある幼児教室・学習塾 羅針塾
全ての受験が終わり、次のステージへ
塾生さん達が学んでいます。

年長さんから御縁がある塾生さん。
小学校受験を頑張り
日々、enjoyし
羅針塾で学んでいます。
小学校の担任面談では
「何も言うことがありません。」の
六年間。
成績は常にトップです。
苦手としていたことも前向きに
取り組み仲間や先生方にも恵まれ
児童会長となり中学校受験に臨みます。

羅針塾の私達は
中学校受験までに
漢検の二級(高校卒業程度)を取ろう。
算数は六年生の課程を終わらせよう。
英検四級程度の文法を
完全にマスターしよう。
塾生さんに合わせて少しずつ
負荷をかけていきました。

塾生さんは黙々と取り組み
全てクリア!!

中学校受験の結果は
トップの成績で入学と
なりました。

本人の努力と
お父様、お母様の
御理解と御協力のおかげです。
日々、読む本
学びへの取り組み方
長期休暇の旅行先
御家族で学べることは
些細なことでも相談して
下さいました。

何事も前向きに。

様々な可能性を試し
一つ一つを繋げた結果だと
考えます。

今、塾生さんは
漢検一級の為の学び
英語は中学校課程を
終わろうとしています。

先生達は聞きました
漢検や算数検定は嫌ではなかった。

「最初は嫌でしたが、
当たり前になるとやらないと
嫌になります。」

これが賢い子の学びです。
日々、ブレることなく
コツコツ積み上げる。
何があっても。

お母様達には
子育ての時間はわずか。
周りに流されることなく
賢い子になるための
最短の道を歩んでほしい。
と願っています。

合格!おめでとう!
幼児期からの成長に
目がウルウルの先生達です。

posted by at 12:00  | 学習塾・幼児教育

教科書に載らない歴史上の人物 28 緒方洪庵 3

長崎市五島町の幼児教室・学習塾の羅針塾では、学年(年齢)を超えて切磋琢磨をできるだけの自律性を持たせる工夫をしております。年齢の如何を超えて、人の良い所を真似することから「学び」は始まります。

さて、

教科書に載らない歴史上の人物 28 緒方洪庵 2の続きです。

5.「ついぞまくらをして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない」

 適塾での生活を、塾頭を務めた福澤諭吉が活き活きと書き残しています。常時、百人ほどの塾生が適塾に寄宿しており、一人一畳ほどのスペースしか与えられていません。

__________
 夕方食事の時分にもし酒があれば酒を飲んで、初更に寝る。一寝して目がさめるというのが、いまでいえば十時か十時すぎ、それからヒョイと起きて書を読む。夜明けまで書を読んでいて、台所の方で塾の飯炊がコトコト飯をたくしたくをする音が聞えると、それを合図にまた寝る。
寝てちょうど飯のでき上がったころ起きて、そのまま湯屋に行って朝湯にはいって、それから塾に帰って朝飯をたべてまた書を読むというのが、たいてい緒方の塾にいる間ほとんど常きまりであった。[緒方、p113]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 寝るといっても、「机の上につっぷして眠るか、あるいは床の間の床縁をまくらにして眠るか、ついぞほんとうにふとんを敷いて夜具を掛けてまくらをして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない」という具合でした。

 そんな塾生たちに、洪庵は暖かく接していました。諭吉は「先生の平生、温厚篤実、客に接するにも門生を率いるにも諄々(じゅんじゅん、よくわかるように繰り返し教えさとすさま)として応対倦(う)まず、誠に類(たぐ)ひまれなる高徳の君子なり」と記しています。

・・・適塾へ全国から参集した若者の「勉学」に対する意気込みや姿勢には、現在の人は誰も太刀打ちできないのではないでしょうか。まさに学問をすることの「氣合い」が根本的に異なります。

福澤諭吉の述べる「寝る」は、現在の一般に考える「寝る」という概念ではありません。つまり、「仮眠」でしかありません。常に考え続けている結果、その様な「寝る」で当たり前だったのでしょう。一日も早く「蘭学」を習得したいという執念が為せる技だったのでしょう。

 

6.辞書の書写で自活できた塾生

 塾では五日に一回は10人ほどの会読があり、オランダ語の文法書や文典を読んでは訳していく。その出来によって、塾生としての等級があがっていく、という純粋な実力主義でした。家柄も年齢も関係なく、勉学ができなければ、何年塾にいても等級は上がりません。

 オランダ-日本語の辞書(ズーフ)は1セットだけ、3畳ばかりの「ズーフ」部屋に置いてあって、持ち出しは禁じられていました。塾生たちは分からない単語が出てくると、その部屋に行って調べるのですが、塾生が多いので、昼間はじっくり調べることもできません。そこで深夜にズーフ部屋を使う塾生もいて、夜通し灯りがついていました。

 適塾の蘭学は、当時、日本第一と称されていました。江戸でも蘭学はさかんでしたが、江戸から学びに来る者はいても、江戸に行く時は教えに行くのだ、という気概を塾生たちは持っていました。

 これほどの塾でも、塾生の食費も含めた費用は1日100文以下でした。現在の価値では2千円以下でしょう。当時需要の多かったオランダ語辞書を1日に半紙10枚(1枚に10行20字)写せば160文になるので、塾生はそれだけで自活できました。

 1日100文以下というのは、洪庵が治療などで受け取った謝礼を適塾につぎ込んでいたからだと言われています。そのため自身の生活は質素にしていました。ある時、改まった場所に出るのに上下(かみしも、礼服)がないので、知人に借用したということもありました。すでに大阪の名士と交わる地位にありながら、自身の名利には無頓着な人物でした。

 こういう人物のもとで、明治日本を躍進させた人材が大勢、巣立っていったのです。

 

・・・「五日に一回は10人ほどの会読があり、オランダ語の文法書や文典を読んでは訳していく。その出来によって、塾生としての等級があがっていく」

これは「会読」の同一の本を「研究・討議」する利点を生かしたものです。当然、力のないものは発言する機会も無くなりますから、自然にそれぞれが必死になって学ぼうとします。

現在の大学等の受験生で、誰にも頼らず自らの力で受験科目の基本書や問題集を読破していく、という自律・自立型の若者はどれくらいいるのでしょうか?

 

「緒方洪庵と適塾」 梅渓昇著 大阪大学出版会 (1996/10/31)

7.「医の世に生活するは人の為のみ」

 洪庵が訳した『扶氏経験遺訓』の原著末尾には、「医師の義務」と題する付録がついており、洪庵はそれに感動して、「扶氏医戒之略」と題した12カ条に訳しました。その一部を拙訳とともに紹介しましょう。

__________
一 医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其業(そのぎょう)の本旨とす。安逸を思わず名利を顧みず、唯(ただ)おのれをすてて人を救わんことを希(ねが)うべし

(医者が世に生活するのは人の為だけである、自分のためではない、という事を仕事の本旨とする。安楽を思わず、名利を顧みずに、ただ自分を捨てて、人を救うことを願うべきである。)

一 病者に対しては唯病者を視るべし。貴賤貧富を顧(かえりみ)ることなかれ。長者一握の黄金を以て貧士双眼の感涙に比するに、其心に得るところ如何ぞや。

(病者に対しては、ただ病者だけを視るべきである。身分の高低や財産の多寡を視てはならない。金持ちの一握りの黄金と、貧者の感謝の涙を比べてみれば、どちらが心に迫るだろうか。)

一 病者の費用少なからんことを思うべし。命を与うとも、其命を繋ぐの資を奪わば、亦何の益かあらん。貧民に於ては茲(ここ)に斟酌(しんしゃく)なくんばあらず。

(病者の費用が少なくなるように考えなければならない。命を救ったとしても、その命をつなぐだけの資金がなかったら、何の益があろう。貧しい人々に対しては、この点を思いやらなければならない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 洪庵の精神は、塾生の間にもよく浸透していたと見えて、橋本左内などは、夜ひそかに塾を出て、貧しい者の病の手当をしていました。

 現代でも、この「扶氏医戒之略」12カ条を額に入れて掲げている病院・医院は多いといいます。コロナ禍の中で、医療従事者の無私の奮闘が社会を支えてくれています。我が国の近代医学の祖が、こういう精神を残してくれた事の有り難さを感じます。

 

・・・正に、緒方洪庵は医者として、人を導く先生として、その人間性が見事に発揮された偉人であると言えます。明治維新後、慶應義塾を創設し、明治期の言論を主導した福澤諭吉にとって、緒方洪庵は学問の大恩人であるとともに、遥(はるか)高みにある目指すべき大人物であったのではないでしょうか。

 

教科書に載らない歴史上の人物 28 緒方洪庵 2

長崎市五島町の幼児教室・学習塾の羅針塾では、日頃から漢字や熟語の語彙力を増やすことをそれぞれの塾生の課題にして日々研鑽しています。

さて、学力向上の鍵である漢字〜漢文に繋がる話が「近代医学の祖 緒方洪庵」の中にも出てきます。「国際派日本人養成講座」から「国のため、道のため」〜近代医学の祖 緒方洪庵(http://blog.jog-net.jp/202101/article_1.html)を引用してご紹介します。

3.適塾にて20数年、600人以上の塾生を育てる

 洪庵は、コレラの治療法や種痘など近代西洋医学の普及による民生向上に打ち込みましたが、同時に将来の日本のための人材育成にも力を入れました。そのために創設したのが適塾(てきじゅく)です。

「適塾」とは、洪庵の号「適々斉」の塾という略称ですが、この「適々」とは、諭吉が自作の漢詩を書軸にして適塾の玄関に掛けたものから、次のように解されています。

__________
 師洪庵の「適々」の生き方が俗世間から逃避して「悠々自適」することでなく、俗世間の中を他より束縛されず、みずからの心に適(かな)うところのものを堅持して強く生きぬくことにあるととらえた、「適塾」の精神を表した貴重な遺品であるといえよう。[梅溪1、p131]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 俗世間の中で、コレラや天然痘と戦い、また国の近代化のための人材育成に励むなど、洪庵は自ら見つけた心に適(かな)う使命に勇んで取り組んだ人でした。

 洪庵は適塾を、天保9(1838)年に29歳にして長崎での修行を終え、大阪で医業を始めるとすぐに創設し、文久2(1862)年江戸での西洋学問所頭取就任まで自ら経営し、その後は養子の緒方拙斉に任せました。

 直接、塾を見ていた時期だけでも二十数年。その間の塾生は600人を超え、青森と沖縄以外のすべての地方から来ています。そのほか、教えを与えた者は3千人に及んだと言われています。塾生のなかには長州出身で陸軍建設の祖と言われる大村益次郎、福井藩主・松平春嶽公の側近として活躍した橋本左内(当ブログ「橋本景岳(左内)https://rashinjyuku.com/wp/post-2290/)、慶応義塾の創立者・福澤諭吉、日本赤十字の創始者・佐野常民など、幕末から明治の日本を導いた人材が輩出しています。

 

 

 

適塾 (大阪市中央区北浜3丁目)

・・・我が国の明治以降の近代化は、緒方洪庵の「適塾」で切磋琢磨して学んだ俊秀(しゅんしゅう:能力や才知に優れた人)によって、進められたかの如くです。江戸時代の教育レベルは、世界に比しても相当に高いと評価されているのは、全国の高名な塾(広瀬淡窓の咸宜園など)を筆頭に、様々な塾や藩校で学び、常に向上心を持つ若者達を育む土壌があったからです。

 

4.「国のため、道のため」

 この4人を見ても、医学に関わりのあるのは佐野常民だけで、他の3人は軍事、政治、教育と分野を異にしています。洪庵は分野も勉強方法も自主性に任せて、人材育成にあたりました。福澤諭吉の後に塾頭をつとめた長与専斎*(ながよ・せんさい)はこう言っています。

__________
 元来適塾は、医家の塾とはいえ、その実、蘭書(オランダ書)解読の研究所にて、諸生には医師に限らず、兵学家もあり、砲術家もあり、本草家(JOG注: 薬学者) も舎密家(JOG注:化学者)も、およそ当時蘭学を志す程の人はみなこの塾に入りてその仕度(したく)をなす。[梅溪1、p114]
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 英国艦隊が清国を打ち破ったアヘン戦争や、アメリカの黒船艦隊来航など西洋諸国がひたひたと極東に迫っている状況で、洪庵は「当今必要な西洋学者を育てるのを自分の任務として専念している」と甥に書き送っています。[梅溪1、p111]

 また弟子などにあてた手紙でも、よく「国のため、道のため」に力をつくすように、と結んでいました。「国のため」とは、「当今必要な西洋学者を育てる」という使命に通じ、「道のため」とは医学のため、という意味です。

*長与専斎ー肥前國大村藩(現長崎県大村市)に代々仕える漢方医・中庵の子。藩校五教館(現長崎県立大村高校の前身)で学んだ後、大坂適塾に入門し、福澤諭吉の後任の塾頭になる。

・・・緒方洪庵は教育者としての役割を認識し、人の伸ばし方を弁えて塾生と接していた様です。

人柄は温厚でおよそ人を怒ったことがなかったという。

福澤諭吉は「先生の平生、温厚篤実、客に接するにも門生を率いるにも諄々として応対倦まず、誠に類い稀れなる高徳の君子なり」と評している

学習態度には厳格な姿勢で臨み、しばしば塾生を叱責した。ただし決して声を荒らげるのでなく笑顔で教え諭すやり方で、これはかえって塾生を緊張させ「先生の微笑んだ時のほうが怖い」と塾生に言わしめるほど効き目があった。

更に、

語学力も抜群で弟子から「メース」(蘭語の「meester」=先生の意味から)と呼ばれ敬愛された。

福澤諭吉は洪庵のオランダ語原書講読を聞いて

「その緻密なること、その放胆なること実に蘭学界の一大家、名実共に違わぬ大人物であると感心したことは毎度の事で、講義終り、塾に帰て朋友相互(あいたがい)に、今日の先生の彼(あ)の卓説は如何(どう)だい。何だか吾々は頓(とん)に無学無識になったようだなどゝ話した」

と評している

原語をわかりやすく的確に翻訳したり、新しい造語を考案したりする能力に長けていたのである。洪庵はそのためには漢学の習得が不可欠と考え、息子たちにはまず漢学を学ばせた。

(ウイキペディア)

・・・「原語をわかりやすく的確に翻訳したり、新しい造語を考案したりする能力に長けていた」緒方洪庵が、「そのためには漢学の習得が不可欠と考え、息子たちにはまず漢学を学ばせた。」という件(くだり)は、然もありなん、と深く同意します。

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