‘ 羅針塾 ’ の投稿記事一覧

小学校学年末の学び

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
https://rashinjyuku.com/wp

学年末試験に向けての学びが日々続いています。
一人一人に合わせて問題をピックアップし
取り組ませています。
各学年に重要な学びがあります。
中学校に向けて準備の学びがあります。
基本基礎を丁寧に説きすすめていくことが大切です。
小学校の日々の積み重ねが中学以降の成績に現れます。

「小学校一年生の時には、学校の宿題や塾のちょっとした宿題が残ると
泣きながら帰っていたのに。日々の訓練のおかげで
勉強が残っていても自宅でサッサと取り組むようになりました。
その結果が学校の成績にも、漢字検定・算数検定の結果にも
反映されています。
本当にコツコツとできるようになりました。」

羅針塾学習塾では学校の学びが大切と考えています。
日々の学びを完璧に覚えている子は成績も優秀です。
しかし、どの学校行事が多い。
子供達は習い事が多い。
低学年から「受験」「受験」と詰め込まれていく。
疲れている子供が多いのが現状です。

「ハキハキ!元気!賢い子」
本当の「勉強の楽しさ」を知らない子が多すぎなような気がします。
「こんなことが書いてあったから調べてみよう」
「あそこに行きたいから計画を立ててみよう」
「これを作ってみよう」
余裕がなく疲れていると「学び」に対しての発展がありません。
ただただ、タラタラと解いている。そんな感じです。
羅針塾学習塾の学びは
自主的に。しっかりと考えて。次の学びに結びつくように。
一人一人の将来の為に。
なんとなくではなく。「わかった!楽しい!」になるまで
向き合っています。

posted by at 10:21  | 学習塾・幼児教育

英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 16

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生の「音読」の確認を筆者がします。音読の出来具合で、塾生のその日の調子や、内容の理解の確認をします。筆者が学んだ小学校高学年の恩師は、音読の重要さを常々語っておられました。句読点、間のあけ方、登場人物の心情などを表現するよう指示されました。

最近の子供さん方は、鼻呼吸できないことが多く、その矯正から音読は始まります。

さて、英語と歴史を同時に学ぶ」シリーズです。第4章 近代の日本と世界(1) 幕末から明治時代 第1節 欧米諸国のアジア進出 の続きになります。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%204%20Section%201,%202.pdf

  Section 2 – From the end of isolationism to the Meiji Restoration

Topic 49 – Commodore Perry and the opening of Japan to the West

What events forced Japan to open its doors to the outside world?

The arrival of Perry

In June 1853 (Kaei 6), four heavily-armed American warships, dubbed “black ships” by the Japanese, appeared at the entrance of Edo Bay off the coast of Uraga (in modern-day Kanagawa Prefecture). The commander of this fleet was Commodore Matthew C. Perry, who carried an official letter from the President of the United States.

The shogunate was left with little choice but to accept the letter, which demanded that Americans sailing in the Pacific Ocean be allowed to enter Japanese ports if their steamships required food and water or were shipwrecked by a typhoon. Perry departed after informing the Japanese that he would return the following year to receive their reply.1

*1=If Japan refused to end its policy of isolationism, Perry planned to occupy the port of Okinawa as a storage site for steamship coal.

ペリーの2回の来航  ペリーは1852.11.24にアメリカ東岸ノーフォークから出発から出発。アフリカ南部やシンガポールを経由してマカオ・香港に到着。

 

 第2節 開国から明治維新へ

49 ペリーの来航と開国

 日本が開国せざるを得なくなった経緯は、どのようなものだったのだろうか。

ペリーの来航

 1853(嘉永6)年6月、4隻の巨大な軍艦(黒船)が、江戸湾の入り口の裏が(神奈川県)沖に姿をあらわした。率いるのはアメリカの海軍提督ペリーで、大統領の国書を携えていた。

 幕府はやむなく国書を受け取った。国書には太平洋を航行する蒸気船が食料や水を補給したり台風で遭難したりしたとき、日本の港に入ることを認めよと記されてあった。ペリーは回答を得るため、翌年また訪れることを告げて立ち去った*1。

*1=ペリーは幕府が開国を拒否した場合でも、蒸気船の燃料の貯蔵のために琉球の港を占拠する考えだった。

 

Elder Abe Masahiro’s dilemma

Once Perry had departed, Elder Abe Masahiro agonized over resolving the unprecedented crisis confronting Japan. Up to then, Western ships approaching Japan had been driven off with cannon fire. This policy was called joi, which means “expel the barbarians”. However, it was not possible for the shogunate to simply reject Perry’s demands, given the overwhelming military superiority of the US Navy. Even though the shogunate held the exclusive right to conduct diplomacy with foreign countries, Abe decided to break with tradition and solicit the views of the Imperial Court, the daimyo, and even the shogun’s retainers. Simultaneously, he ordered the creation of Odaiba, an artificial island in Edo Bay to be used as an artillery emplacement, and lifted the prohibition on construction of large ships. Though the daimyo had no useful ideas on the issue of national defense, the very act of consulting them enhanced their political influence over the shogunate. As the strength of the shogunate declined, the prestige of the Imperial Court also increased.

老中阿部正弘の苦悩 

 ペリーが去った後、老中・阿部正弘は、未曾有の国難に直面して頭を悩ませた。要求を拒否し、外国船を武力で打ち払う攘夷は、圧倒的な軍事力の差のもとで不可能だった。外交はばむふの専権事項だったが、安倍は慣例を破り、朝廷をはじめとして、諸大名から幕臣に至るまで、国防についての意見を求めた。その一方で、お台場(砲台を据えた人口の島)をつくらせ、大船建造の禁を解いた。諸大名らには名案はなかったが、幕政に対する発言力を強め、朝廷の権威が高まり、幕府の統制力は低下していった。

ペリー提督・横浜上陸の図 1854年2月、ペリーの第二回来航。前年を上回る7隻(後に9隻)の艦隊を引き連れ、約500名の兵士が儀仗兵のいでたちで上陸。その整然とした隊列の動きは、さらに日本側を威圧した。

 

What Did Perry Think of the Japanese People?
(Excerpts from Perry’s Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan)

“The people are universally taught to read and are eager for information… The Japanese with whom the Americans were brought into communication were not only thoroughly acquainted with their own country, but knew something of the geography, the material progress, and contemporary history of the rest of the world. Questions were frequently asked by the Japanese which proved an information that, considering their isolated situation, was quite remarkable…”

“Once possessed of the acquisitions of the past and present of the civilized world, the Japanese would enter as powerful competitors in the race for mechanical success in the future.”

“The Japanese are hard workers, but they compensate themselves with occasional holidays, and in the evenings and hours of leisure with frequent games and amusements.”

“The young girls are well formed and rather pretty, and have much of that vivacity and self-reliance in manners, which come from a consciousness of dignity, derived from the comparatively high regard in which they are held.”

 

ペリーは日本人をどう見たか(支那海と日本へのアメリカ艦隊遠征のペリーの物語からの抜粋)

 「読み書きが普及しており、見聞を得ることに熱心である。・・・lあれらは自国についてばかりか、他国のチリや物質的進歩、当代の歴史についても何がしかの知識を持っており、我々も多くの質問を受けた。」

「日本人が一度文明世界の過去・現在の技術を有したならば、機械工業の成功を目指す強力なライバルとなるであろう」

「日本人は一所懸命に働くが、時々の祭日を持って埋め合わせをし、また夕方や暇な時には勝負事や娯楽に興じる」

「若い娘は姿よく、とても美しく、立ち居振る舞いは大変活発で自発的である。それは、彼女たちが比較的高い尊敬を受けているために生じる、品位の自覚からくるものである」

・・・ぺリーの日本人に対する観察眼は、冷静で客観的です。1853年当時の世界を見回しても、日本人の識字率の高さや教養(和歌・俳句を日常的に嗜むことなど)は群を抜いていたと推察できます。温和で誠実、人を揶揄しない特性は、今に至るまで現在の日本人に受け継がれています。

阿部正弘(文政2(1819)〜安政4(1857))は、江戸末期の備後福山藩第七代藩主。江戸幕府の老中首座を務め、幕末の動乱期にあって安政の改革を断行。嘉永7年(1854)、ペリーの再来により同年3月、日米和親条約を締結、約200年間続いた鎖国政策は終わりを告げました。正弘は江川英龍、勝海舟、大久保忠寛、永井尚志、高島秋帆らを登用して海防の強化に努めました。更に講武所や長崎海軍伝習所、洋学所などを創設しました。後に講武所は日本陸軍、長崎海軍伝習所は日本海軍、洋学所は東京大学の前身となります。また、西洋砲術の推進、大船建造の禁の緩和など幕政改革(安政の改革)に取り組みました。三九歳の若さで亡くなりましたが、日本の改革の先鞭をつけた偉人と言えます。

posted by at 16:54  | 塾長ブログ

英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 15

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、漢字・平仮名・片仮名や数字を丁寧に書くよう指導します。大人になった時に、人前で文字を書く機会があるときに、恥をかかない為です。特に、一生書き続ける自分の名前は、丁寧にバランスを考えて書かせています。

さて、英語と歴史を同時に学ぶ」シリーズです。第4章 近代の日本と世界(1) 幕末から明治時代 第1節 欧米諸国のアジア進出 の続きになります。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%204%20Section%201,%202.pdf

アヘン戦争の図 中国の帆船を砲撃するイギリス艦(右端)は最新の蒸気船で、産業革命によって生じた西洋とアジアの力の差を象徴している(東京・財団法人東洋文庫蔵)

 

The Opium War and Great Britain’s advance into China

Tea-drinking grew in popularity throughout Europe over the course of the eighteenth century. In Great Britain especially, Chinese tea became a daily necessity. Britain paid a hefty price in silver to Qing China in exchange for the tea. However, in order to recoup its losses, Britain started to grow the narcotic opium in India and secretly export it to China. As a result, silver flowed out of China.

When China banned importing of opium, Britain sent an armada to China, in the name of defending free trade. In 1840, British and Chinese forces clashed, marking the start of the Opium War. Great Britain used its naval superiority to blockade the Chinese coastline and, in 1842, finally forced China to sign the humiliating Treaty of Nanking, which ceded Hong Kong to Britain. Hamstrung by hefty war reparations, China soon had to sign similar unequal treaties with the other Western powers.

The Western powers were thus gradually consigning China to a quasi-colonial status. News of this reached Japan where it was met with great alarm.

Topic 48 Recap Challenge! – (1.) What word would you use to describe the state of the nations of Asia during the West’s age of expansion? (2.) Explain what methods were employed by the Western powers at this time to extend their influence over Asia.

 

アヘンを巡る三角貿易 ① 茶を輸入してイギリス本国で売り捌き、② イギリスの安い綿製品をインドに売り、③ アヘンを栽培させて清に売った。

 

インドのアヘン倉庫 広大なケシ畑と大規模な工場で生産されたアヘンが格納、管理されていた。

 アヘン戦争とイギリスの中国進出
18世紀になると、ヨーロッパ人に紅茶を飲む習慣が 広まった。特にイギリスでは、真から輸入する茶は生活必需品となり、代価として多数の銀を清に支払った。そのため、イギリスはインド人に麻薬のアヘンをつくらせ、これを密かに清に輸出したため、今度は清から銀が大量に流出した。
 清がアヘンの輸入を禁止すると、イギリスは自由貿易を口実に軍艦を派遣して戦争を仕掛け、1840年、アヘン戦争が始まった。圧倒的な力を持つイギリスの海軍が海上を封鎖して、1842年、清は香港の割譲などを含む屈辱的な南京条約に調印した。清は多額の賠償金に苦しみ、他の欧米列強とも不平等条約を結ばされた。
 こうして清は次第に半植民地の状態に置かれるようになっていった。この情報は日本にもたらされ、大きな衝撃を与えた。
 まとめにチャレンジ
① アジア諸国は、欧米列強の進出を受けてどのようになったか、一語で考えてみよう。
② その時の欧米諸国の進出の方法は、どのようなものであったか説明してみよう。

ケシの実 イギリスはインドの高原地帯でケシを栽培させ、アヘンに精製さした。今日、日本を含む多数の国で、ケシの栽培は固く禁じられている。

 

・・・現在の麻薬や禁止薬物の蔓延は、多くの国の人々を苦しめ、各国が撲滅運動を行なっていますが、その蔓延の端緒となったと言える歴史的な事実が、イギリスの行ったアヘンをめぐる三角貿易です。イギリスなどの欧米諸国が行なった「奴隷貿易」同様、世界史に記す大きな汚点です。力を信奉する国々の争いは、現在も続いています。

posted by at 15:54  | 塾長ブログ

今、学んでいることを丁寧に

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
https://rashinjyuku.com/wp

羅針塾学習塾で学ぶことは「学校で学ぶことを完全に理解する」ことから。
学校での学びが本当によく理解していないと、
いくら応用ををしても分からない。
これでは本末転倒になってしまいます。
学校での宿題を観ていると、
本当に毎回これだけ?やこんなにたくさんの量?と
不思議に思うこともしばしば。
宿題がなければしっかりと復習予習を取り組めるから
あまり問題はないのですが、
宿題の量が多すぎるとこなすだけでアップアップになってしまします。

学校で学んでいることを「正確に!丁寧に!」
しっかりと理解していなければ
後々つまづくことになってしまいます。

算数検定のお話をお母様から伺いました。
「しっかりと復習を何度もして臨みました。
他の子よりは歩みは遅いかもしれませんが
きちんと理解して丁寧に解きこなす。これが出来るようになったからこそ
子供も分かった!と言えるようになったと考えています。」

毎回の通塾時に集中して丁寧に解き進める。
身についているからこそ、算数検定も準備をきちんとして
確実に解けたのではないかと考えています。
そして、お母様のサポート力です。

本当に賢い子にするために。
我が子のために何が必要か常に考えないといけません。

「ハキハキ!元気!賢い子」
流行りや噂や子供の甘えに惑わされない。
我が子のために何が必要か?を
しっかりと考えているご家庭が
通塾してくださっている羅針塾学習塾。

「私も学校の勉強をしっかりと理解していました。たくさん問題を解いたりしていませんでした。
今は無駄に解き過ぎなところもありますよね。我が子には必要ないかな?」とお話ししてくれたお母様。

学校のどんな試験でも常に100点ならトップ1番なのです。
理解が深い子は日々に余裕があり
様々なことを観たり聞いたり考えたり出来ます。
毎日の生活が余裕で!楽しい!そして未来を描ける子を
育てていきたいと考えています。

posted by at 17:17  | 学習塾・幼児教育

算数・数学検定日

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
https://rashinjyuku.com/wp

今日は算数・数学検定日でした。
羅針塾学習塾の塾生さんも幼児さんから高校生まで、たくさん受験してくれました。
算数・数学検定の試験問題は良問。
基本問題から応用問題そして思考力の問題がバランス良く入っています。
塾生さん達は検定を前に再度勉強やり直し!
途中で過去問テストをやったり
苦手なところを集中して取り組んだりしました。
みんなよく頑張っていましたよ。
結果が良き方向に出るように。

「ハキハキ!元気!賢い子」
羅針塾学習塾では「検定」という機会を設けて
現学年の復習や先取り学びをした知識の定着を確認しています。
漢字検定や算数・数学検定だけね。と言われるかもしれませんが
この「検定」という機会がなければただ学びっぱなしになってしまいます。
一つづつ積み重ねるように。階段を登るように。
しっかりとした理解力が必要です。
今回出来たこと、出来なかったことをよく見極めて
春期講習に結びつけていきたいと考えています。

posted by at 21:46  | 学習塾・幼児教育
さらに記事を表示する

月別アーカイブ

長崎|羅針塾学習塾トップページ

羅針塾 SNS

  • Facebook
  • Instagram
  • Twitter
PAGE TOP

新着ブログ

  1. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  2. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  3. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  4. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  5. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…

月別アーカイブ

羅針塾 SNS

  • Facebook
  • Instagram
  • Twitter