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世界大学ランキング2018

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生の個性に応じた将来をイメージしながら、今日為すべきことを指導します。

さて、「世界大学ランキング、日本勢が振るわないのはなぜ?」http://www.sankei.com/life/news/170925/lif1709250027-n1.htmlという記事が産経新聞に掲載されていました。

日本トップの大学である東京大学は前年の39位から順位を落として46位と過去最低となりました。ランキング(1,000位以内)には日本から71校が入っているものの、上位200位以内に入っているのは東京大学の他には京都大学の74位(前年91位)だけです。

なぜ日本の大学の順位は伸びないのでしょうか。

日本の大学には不向きな評価基準

英国の教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)の大学ランキングは、世界的にも権威があり、主要国の有名大学がランキングをめぐってしのぎを削っています。日本政府も大学改革の一環として、2023(平成35)年までに世界ランキング100位以内に日本の大学を10校ランクインさせるという目標を掲げていますが、その目標実現は非常に困難であるのが実情です。

しかし、その理由は日本の大学の実力不足ばかりとは言えません。

そもそも大学をランク付けすること自体に意味がないという意見も大学関係者の間には根強くありますが、グローバル化の時代には何らかの指標は必要でしょう。

ランキングの1位はオックスフォード大学(英国)、2位はケンブリッジ大学(英国)、3位はスタンフォード大学(米国)とカリフォルニア工科大学(米国)で、トップ10はほぼ英米の大学で占められています。

THEのランキングは研究力や国際性などに重点を置いた13指標で決められており、教育に重点を置く日本の大学の評価には不向きです。また、外国人の教員比率、論文の被引用数など国際化の面でも、日本の大学は日本人教員が中心で日本語の研究論文が多いという点が大きなマイナスになっています。

ただ、同じアジア圏でもシンガポール国立大学や北京大学などは東京大学よりも上位にランクされており、日本の大学がグローバル化に乗り遅れているというのは事実なようです。

 

予算削減など日本の大学政策にも原因が

これに対して文科省は、スーパーグローバル大学創成支援事業を展開し、旧帝大系など13大学を、世界100位以内を目指す「トップ型」に指定して、重点的に予算を配分していますが、あまり大きな成果は得られていないのが現実です。

一方、国立大学の主要財源である国からの運営費交付金は年々削減が続いている他、私立大学への私学助成も実質的に減少しています。大学教育全体の予算を削り、一部の大学に少しだけ財源を上乗せするという現在の政府の大学政策は、必ずしもうまくいっているとは言えません。日本の大学の世界ランキングの低迷は、日本の大学政策にも大きな原因がありそうです。

一方、英国の教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)教育力などに重点を置いて評価した「世界大学ランキング日本版」を作成しています。https://japanuniversityrankings.jp/rankings/

これによると、総合ランキングを「教育リソース(どれだけ充実した教育が行われて可能性があるか)・教育満足度(どれだけ教育への期待が実現されているか)・教育成果(どれだけ卒業生が活躍しているか)・国際性(どれだけ国際的な教育環境になっているか)」の4分野で評価しています。

1  東京大学 88.5

2   東北大学  87.4

3   京都大学 86.8

4   名古屋大学 86.3

4   東京工業大学86.3

6  大阪大学     86.1

7  九州大学  85.1

8  北海道大学   82.8

9 筑波大学  81.7

10 早稲田大学 75.9

11 慶應義塾大学 75.4

12 広島大学  75.2

13 神戸大学  74.4

14 一橋大学  72.4

15 国際基督教大学71.8

16 千葉大学  70.6

17 長岡技術科学大学69.8

18 上智大学  69.1

19 金沢大学  68.6

20 国際教養大学 67.9

以下、150位まで掲載されています。エリア・学問系統・大学名での絞り込み、総合順位・分野別スコアでの並び替えが可能ですので、上記アドレスにアクセスしますと、様々な参照ができます。

子供さんの将来を考えると、現時点でのこのような情報も一つの判断材料にはなります。各大学でも、意欲が高く有能な学生を集めたいわけですから、このようなランキングによって切磋琢磨するのも必要ではないでしょうか。

 

posted by at 09:20  | 塾長ブログ

親の熱意 親が示す道

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室
羅針塾学習塾です。https://rashinjyuku.com/wp

長崎大学教育学部附属幼稚園
長崎各私立小学校
長崎各私立中学校
受験へ向け本格化しています。

今から、面接指導かな?と
思われるような服装と表情をした
親子連れを通勤中見かけます。
今年もそんな時期になってきました。

幼児期から中学校までの受験は
親の熱意!これありき。だと思っています。
この熱意が子供達のハートを動かすのだと。
羅針塾学習塾では
そんな熱意からびっくりするような合格をたくさん
ご縁させてもらいました。

先生達の納得のいく仕上がりを
持ってくるのも
「親の熱意」

ある日突然。
きたな・・・・と思います。

これは経験と数値と
最後は研ぎ澄まされた第六感。

親が示す道を照らしていると
不思議と素直に子供達は伸びていきます。
一つ一つ一歩づつ着実に。

「ハキハキ!元気!賢い子」
高い志は必要ですよ。と
いつも声掛けをします。
「ここだ!」と思うところで
子供達が学ぶことができるのは
親として最大の喜びです。

どんなことがあっても
親の熱意、親の示す道は
揺るがず・・・
賢い子へ導くための土台です。

posted by at 16:17  | 学習塾・幼児教育

四季折々に触れる考える

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室
羅針塾学習塾です。https://rashinjyuku.com/wp

幼稚園受験・小学校受験・中学校受験に向かうとき
四季折々のものに敏感になります。
暦・行事・食べ物・草花
今日は何?と調べてしまう勢いです。

「旬」「行事」が感じられない時代。
便利すぎて何かを忘れてしまったような・・
そんな日本人としてのあり方を問われるような
問題を幼児期・小学生に出してきます。
嬉しくもあり、知らない大人はアタフタです。

だからこそ、親子で一緒に学びましょうね。と
話しています。
家族の出来事
家族の行事は一生の思い出です。
一生の思い出は子供達が語り継いでくれます。
だからこそ伝承・伝統なのです。

「ハキハキ!元気!賢い子」
知らないことは子供と一緒に学ぶ。
先生たちも、毎回勉強中。
まだまだ知らないことばかり。
塾生さんたちとどちらが早いかな?
たくさん学んで教え合いっこしましょうね。

posted by at 17:17  | 学習塾・幼児教育

子供の質問どこまで答える?

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室
羅針塾学習塾です。https://rashinjyuku.com/wp

「なんで〜?」「どうして〜?」
「もっと〜?」
子供たちのなぜ?をどこまで聞いてあげていますか?
この答えは、わかる範囲は永遠に。です。
賢い子の第一歩は「なぜ?」「何?」「もっと!」です。
この欲求に一所懸命に答えてあげれば自然と賢くなります。

お母様、お父様のわかる範囲から始まり
調べたこと、一緒に学んだことでもいいのです。
その時、その時を一所懸命に理解する。させる。
とても大切なことだと思います。
ここから、子供たちの興味はもっと、もっと
広がっていきます。

面白いことにはどんなに難しいことにでも
興味を持つことができる子供たち。

「どうせ」「やっぱり」「私もね」ではなく
「ほらね」「そうだったね。」「あなたはすごいね。」と
前向きな言葉で色々な興味を引き出してください。
この一言でも『子供の質問に答えている』のです。

「ハキハキ!元気!賢い子」
羅針塾学習塾の保護者の方々は
本当に前向き勉強熱心。
だからこそ、塾生さんたちが
いいライバル関係です。
「あの子ができるから頑張りたい」
「あの子のおかげで、うちの子もできるようになった」と。
一人一人が何事も前向き。
この前向きな気持ち行動は
そのまんま子供たちの意欲に繋がり
成績に繋がります。

一人一人が本当の思いのある場所へ。
学ぶ意欲のある場所へ
導いていきたいと考えています。

posted by at 17:07  | 学習塾・幼児教育

英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 5

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、挨拶を大事にしています。物事の始まりと終わりには、剣道に始まる武道の精神と同じく「礼に始まり礼に終わる」ことが大事です。

さて、

『新しい歴史教科書』(新版・中学社会)(自由社)英訳シリーズ Chapter3の英和対訳部分からの引用です。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%203%20Section%201,%202.pdf

織田信長の進取の気性は、所謂バテレンによるキリスト教の布教に寛大でしたが、豊臣秀吉の天下どりの後は、状況が一転します。それについてのコラムがあります。

I WANT TO KNOW MORE ABOUT…

Why Hideyoshi Expelled the Missionaries

もっと知りたい

秀吉はなぜバテレンを追放したか

Takayama Ukon’s refusal to convert

Japan was a polytheistic country since antiquity and was open to new religions from foreign lands. Thanks to the pro-Christian stances of Oda Nobunaga and Toyotomi Hideyoshi, Japan profited greatly from the flourishing trade with Christian nations. In that case, why was it that Hideyoshi promulgated the Priest Expulsion Ordinance?

It has been said that in June of 1587, on the night before Hideyoshi issued the ordinance, the Buddhist priests who had accompanied him to Hakata complained to him about the misconduct of the missionaries and Christian daimyo. They brought to his attention that the missionaries had been instigating the Christian daimyo to forcibly convert their subjects, destroy the shrines and temples within their domains, and banish the Shinto and Buddhist priests.

Enraged to hear of this, Hideyoshi immediately dashed off a message to Takayama Ukon, a Christian daimyo in his encampment. The message read, “Either give up Christianity or give up your domain.” Ukon replied, “I will stay true to my faith and agree to leave my domain”, and Hideyoshi promptly ordered him to be divested of his lands.

高山右近の棄教拒否

日本は昔から多神教の国であり、異国の新しい宗教に対しても開かれていました。信長も秀吉もキリスト教を優遇したため、南蛮貿易が盛んになり、大きな利益がもたらされたのです。その秀吉が、なぜバテレン追放令を出したのでしょうか。

1587(天正15)年6月、追放令が出される前夜、博多で秀吉に対して、瑞香の僧侶たちがバテレンやキリシタン領主らの所業について訴えたと言われます。バテレンは領主をそそのかして領民を強引に入信させ、領内の神社や寺を壊し、新刊や僧侶を追い出していると訴えました。

それを聞いて激怒した秀吉は、直ちに陣営内にいるキリシタン大名・高山右近に書状を送り、「キリスト教を棄てるか、両国を追放されるか」と迫りました。右近は「信仰を守り、追放を受け入れる」と返答しました。秀吉は即座に右近の領地召し上げと追放を命じました。

・・・因みに、

右近は、摂津国の武将、高山友照の嫡男として生まれました。洗礼を受けダリヨの名を授かった父友照に導かれ、1563年、母と共に受洗、ユスト(ジュスト、「正義の人」の意)の洗礼名を授かったそうです。

父と共に戦国の乱世を武将・大名として生きる中で、揺ぎ無い信仰の人として成長。その人徳による感化は多くの武将・大名を受洗に導きました。また高槻城下の領民の多くがキリスト教徒となりました。

右近は、戦国の世の過酷な軋轢の中も、自らの身をもって宣教師と信徒たちを守りました。本能寺の変の後、安土城と城下が焼失すると、安土のセミナリヨを高槻に移すなどしてキリスト教の保護に尽くしました。

豊臣秀吉のバテレン追放令で、棄教を迫られましたが、地位と領土を捨てることと引き換えに、毅然と自らの信仰を守り抜き、流浪の身となることを選びました。

加賀の前田氏の招きで金沢で暮らしますが、徳川家康のキリシタン追放令を受け、1614年、加賀を出て、徒歩で京都へと向かい、大阪を経て、長崎からマニラに追放されました。現地で盛大な歓迎を受けるも、疲労と不慣れな気候から熱病を得て、到着後44日、63歳で没しました。

The interrogation of Gaspar Coelho

Around the same time, Hideyoshi sent an emissary to speak to the missionary Gaspar Coelho, who had come from Hirado to meet him.

Hideyoshi’s emissary asked Coelho the following questions: (1.) Why do you force Japanese people to convert to Christianity? (2.) Why do you destroy shrines and temples? (3.) Why do you eat the meat of horses and cattle? (4.) Why do the Portuguese buy so many Japanese slaves and take them overseas? Hideyoshi was not persuaded by Coelho’s answers. He gathered the daimyo closest to him and announced that he was reversing his policy of protecting Christianity, emphatically declaring that, “The teachings of the missionaries are those of the devil and will be the death of all that’s good in Japan!” Hideyoshi then drew up and released the Priest Expulsion Ordinance.

The text of the ordinance was put up on official notice boards throughout the country. The ordinance was primarily intended to remove the Christian missionaries from Japan without prohibiting ordinary citizens from practicing any faith. Because of this, Coelho simply ordered the Jesuit missionaries to stay where they were and go into hiding.

宣教師コエリョへの詰問

 一方、平戸から会いに来た宣教師コエリョにも使者を送り、次のように詰問しました。

①なぜ領民を強引に回収させるのか、②なぜ神社仏閣を破壊するのか、③なぜ牛馬の肉を食うのか、④なぜポルトガル人は多くの日本人を奴隷として買って連れ帰るのか。

コエリョは、秀吉を納得させる答えを出せませんでした。秀吉は側近の大名たちの前で、これまでのキリシタン保護の姿勢から一転して「バテレンの説く掟は悪魔のものだ。一切の善を破壊するものだ」と激しく批判し、「バテレン追放令」を布告しました。

この布告は高札によって広く全国に伝えられました。秀吉の布告は外国人バテレンの国外追放が主眼であって、一般領民の信仰の自由までは禁じていません。このため、コエリョは司祭たちに、イエズス会院は日本にとどまり、各地に潜伏するように命じました。

The indiscretion of a Spanish captain

In 1596 (Keicho 1), the Spanish ship San Felipe was wrecked off the coast of Tosa Province. A rumor spread that the ship’s captain had threatened a Japanese official, telling him that the Spanish would first bring in missionaries to convert the local people and then bring in an army to conquer them. Fearing the growth of religious orders that would resist central authority like the ikko ikki had, Hideyoshi responded with a renewed crackdown on Christians, even making martyrs of many of them.

スペイン船の不覚

 1596(慶長元)年、土佐沖で難破したスペイン船サン・フェリーぺ号の航海長が奉行に対して「我らはまず宣教師を送り込んで先住民を改宗させ、続いて軍隊が入って多くの王国を征服してきた」と脅したという風説が広まりました。このために秀吉はキリシタン取り締まりを強化したので、殉教者が出るまでになりました。一向一揆のような権力に反抗する宗教勢力の台頭を恐れていたからです。

 

日本二十六聖人殉教記念碑

・・・その後、

1596年10月のサン・フェリペ号事件をきっかけに同年12月8日に再び禁教令を公布、キリシタン弾圧が始まりました。
秀吉は京都奉行の石田三成に京都に住むキリスト信徒全員を捕縛して処刑するよう命じました。三成は、犠牲者を出来るだけ減らそうと努力しましたが、大阪と京都で外国人宣教師・修道士6名、日本人修道士と信者18名の合計24名が秀吉のキリシタン禁止令によって捕縛されました。
24名は、1597年1月10日長崎で処刑せよという命令を受けて一行は大阪を発ち、京都・大阪で引き回しとなり、京都では左の耳たぶを切り落とされ、厳冬期にもかかわらず歩いて長崎へ向かいました。また、途中でイエズス会の世話役ペトロ助四郎と、フランシスコ会の世話役伊勢の大工フランシスコ、2名も捕縛され殉教の列に加わり、その結果26名となりました。
同年2月4日、長崎・時津に到着、舟中で一泊。翌1597年2月5日(慶長元年12月19日)の朝、ひどい霜の中、3里(約12㌔)の浦上街道を歩き午前10時頃西坂の丘に到着。すぐに十字架に掛けられ、槍で両脇を突かれ、26名は長崎の西坂の丘で殉教しました。
一行の中に12歳の少年ルドビコ茨木がいるのを見た、寺沢半三郎は幼い少年を助けようと思い信仰を捨てるよう言いましたが、ルドビコ茨木はこの申し出を断っています。また、パウロ三木は死を目の前にして、周囲を取り囲む約4000人を超える群集の前で十字架に架けられたまま最後の説教を説いたとい言います。
この26人の殉教の出来事は、ヨーロッパその他に広く伝わり、1862年(文久2)6月8日ローマ教皇ピウス9世によって列聖され、26名の殉教者を聖人に加え、日本26聖人と称せられました。

・・・キリスト教徒側から見れば、秀吉は極悪非道の権力者ですが、当時の世界情勢を見れば、確かにキリスト教の宣教師を先導役として、キリスト教国の白人国家が様々な国を侵略し、植民地にしていった事実があります。

秀吉がバテレンに激怒した大きなポイントは、「④なぜポルトガル人は多くの日本人を奴隷として買って連れ帰るのか。」という点です。九州各地の多くの女性を奴隷として国外に連れ去ることは、日本人の感情からすると全く許されないものです。

また、秀吉の国際情勢に対する情報収集や分析力は卓越していましたから、1596年10月のサン・フェリペ号事件を契機として、日本の国益を守るためには、秀吉のキリシタン取締り強化は正しい決断と言えます。

 

歴史を評価するには、多角的な視点から見る必要があります。

posted by at 00:06  | 塾長ブログ
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