‘ 羅針塾 ’ の投稿記事一覧

実語教 その四

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では諺、四字熟語など普段から親しむ様にしていますが、
今日はまさに「天高く馬肥ゆる秋」

久し振りに中腹から金比羅山に登りました。何度も登ったことのある親しみのある山です。
然程高くないのですが、眺望は素晴らしい。
東の雲仙普賢岳、西の五島灘、南の野母半島、北の大村湾、と三百六十度楽しめます。
頂上まで登り金比羅宮に参拝すると、何百年にも渡り、先人達が登山道を整備して下さっていることが良く分かります。
一つ一つの石段にも魂が篭っているかの様です。

天晴れな空の下、金比羅山から望む長崎港

 

<漢文(白文)並びに読み下し文>

 父母如天地
  父母は天地の如く、

 師君如日月 親族譬如葦
  師君は日月(じつげつ)の如し。親族は譬(たと)へば葦(あし)の如し。

 夫妻猶如瓦 父母孝朝夕
  夫妻は猶(なを)瓦(かはら)の如し。父母には朝夕(てうせき)に孝せよ。

 師君仕昼夜 交友勿諍事
  師君には昼夜に仕へよ。友に交はつて諍(あらそ)ふ事なかれ。

 己兄尽礼敬 己弟致愛顧
  己(おのれ)が兄には礼敬(れいけい)を尽くし、己(おのれ)が弟(をとゝ)には愛顧を致せ。

 人而無智者 不異於木石
  人として智無きは、木石に異ならず。

 人而無孝者 不異於畜生
  人として孝無きは、畜生に異ならず。

<現代文>

父母は天地の如く 師と君は日月(太陽や月)の如し。
(父母は私を産み給う。天地が万物を生ずるに比ぶべき存在である。師と君は恭敬・恩愛の心を以て下に臨むものであり、人を教え導き、陽と陰を表象する太陽と月の様な存在である。)

親族は葦の(群がり生ずるが)如くに多い。夫妻は(父母・師君に比すれば、卑しきこと)瓦に比すべし。

父母には朝夕に孝行せよ(孝とはよく父母に仕へまつること。朝夕油断することなく孝を尽くしなさい)。
師と君には昼夜厭うことなく仕えなさい。
友とは争いや諍いをすること勿れ。

自分から(我より)兄たる人には礼を尽して敬まいなさい。
自分から(我より)弟たる人には愛しみ(慈しみ)顧みなさい。

人として智恵がなければ無情の木石に異ならない(人たる道を知らねば木石と異ならないではないか)。

人(万物の霊にして、忠孝の道は正しかるべきものである)として忠孝の道を欠くものは、畜生(犬や猫などの動物)と異なることはない。

posted by at 16:03  | 塾長ブログ

実語教 その三

「実語教」は、大人である私たちでもスラスラ読めて暗記することは結構苦労するぐらいの、漢文の白文(48連、480文字)です。
江戸期には、数えの三歳から七歳(満二歳から六歳)に学び始めます。
素読を通じて暗記する力をつけるには、この年齢期に訓練し始めると効果があると、長い歴史の中で見出してきた経験則なのでしょう。
漢文の素読ですから、ルビもふってあるわけではありません。
しかし、「習うより慣れろ」ということでスラスラ音読することが鍵です(成長するにつれて意味の理解はできるようになります)。

長崎市五島町の羅針塾 学習教室幼児教室では、
どの科目も音読でスラスラ読めるようにすることが基本です。

  学文に怠(をこた)る時勿れ

 

<漢文(白文)並びに読み下し文>

学文勿怠時 除眠通夜誦
 学文に怠(をこた)る時勿れ。眠(ねぶ)りを除ひて通夜(よもすがら)誦(じゆ)せよ。

忍飢終日習 雖会師不学
 飢へを忍んで終日(ひねもす)習へ。師に会ふと雖も、学ばずんば、

徒如向市人 雖習読不復
 徒(いたづら)に市人(いちびと)に向ふが如し。習ひ読むと雖も、復さざれば、

只如計隣財 君子愛智者
 只隣(となり)の財(たから)を計(かぞ)ふるが如し。君子は智者を愛す。

小人愛福人 雖入冨貴家
 小人は福人(ふくじん)を愛す。冨貴(ふうき)の家に入(い)ると雖も、

為無財人者 猶如霜下花
 財(ざい)無き人の為には、猶(なを)霜の下の花の如し。

雖出貧賤門 為有智人者
 貧賤の門(かど)を出づると雖も、智有る人の為には、

宛如泥中蓮 
宛(あたか)も泥中(でいちう)の蓮(はちす)の如し。

<現代文>

学問するときには、怠ることなかれ。

夜眠たくとも夜通し(一晩中)書を声を出して唱えよ。

空腹をも堪えて、昼夜を問わず、もの学びをせよ。

師(師匠)に出会っても、自ら学ばなければ、
単に市人に交わるが如くにして無益である。
(真の師は、弟子から物を学ばざれば何事をも言はぬのであるから、師から善きことを聴かぬのは誠に勿体ないことである)

学問をして習読するも、何度でも繰返して読まざれば、(例えば)隣家の財宝を計算することと同じで何の用にも立たない。

君子(*1)は智者を愛し(親しみ)、小人(*2)はただ経済力のある人と愛する(親しむ)。
(*1君子=徳が高く品位のある人 *2 小人=度量や品性にかけている人)

富貴(*)の家に入りて、俄かに金銀を得ることがあっても、その任に当らざる者は、
(*富貴=資産があり、且つ地位や身分が高いこと)

霜の下で衰え枯れていく花と同じである。

(例え)貧賤(*)に生れても、智恵の有る人は、蓮の花が泥の中より生じて泥に染まらず、清く正しく生きるが如しである。
(*貧賤=貧乏で身分が低いこと)

posted by at 12:37  | 塾長ブログ

実語教 その二

平安末期から明治初期まで広く用いられた初歩教科書ともいえる実語教。
幼童にも朗読しやすいよう経伝などのなか から格言を取り入れ、五言絶句 48連の体裁をとります。

人間の本質なり価値を「智」におき、その無限的価値を強調し、「智」の体得のためには幼童からの読書勉励と、道徳的実践とが必要であることを力説しています。

日本人の識字率は、平安末期から明治初期まで世界に誇れる高さがあるという一つの証左が「実語教」の存在です。

実語教 江戸期

漢文(白文)並びに読み下し文

 

倉内財有朽 身内才無朽
倉の内の財(ざい)は朽つること有り。身の内の才(ざい)は朽つること無し。

雖積千両金 不如一日学
千両の金(こがね)を積むと雖も、一日(いちにち)の学には如(し)かず。

兄弟常不合 慈悲為兄弟
兄弟(けいてい)、常に合はず。慈悲を兄弟とす。

財物永不存 才智為財物
財物(ざいもつ)、永く存せず。才智を財物とす。

四大日々衰 心神夜々暗
四大(しだい)、日々に衰へ、心神(しんしん)、夜々(やや)に暗し。

幼時不勤学 老後雖恨悔
幼(いとけな)き時、勤め学ばずんば、老ひて後、恨み悔ゆると雖も、

尚無有所益 故読書勿倦
尚(なを)所益(しよゑき)有ること無し。故(かるがゆへ)に書を読んで倦むこと勿(なか)れ。

<現代文>

倉の内に入れている財(財産)は、その家(家運、家業)の衰ふるによりて朽ち果ることがある。
身の内にあるところの才(才覚、才能)はいかほど使っても朽ることがない。

千両の金を積むといえども、一日の学問の方が価値が高い。
(財貨には価値がないというのではないが、それに執着して心の迷いを持つよりも、日々学問に専心すべきである)

兄弟は(共に父母より分かれたものであるが、しかしながら、)その志が何時でも同じく行われるものではない。
一切のものを愛する慈悲の心となれば、すべての人に対しての交はりは兄弟と同じである。

財物は永い間存することはない(いつの間にか消失してしまう)。
才智こそ(いつまでも消失することがないから)財物とすべきである。

四大(*)は日日に衰へていく(遂に分散すれば死に至る)。
(四大*とは、宇宙の根本の元素である地・水・火・風の四つを指す。この元素が集まって人の身を成す)
人の身が日日に衰えるに従って根気も疲れ、心神(魂)も次第に暗くなるものである。

されば、幼いときに学問しなければ、年老いて後に恨みや悔いても所益(幸福に繋がる利益)あることなし、というのである。

それ故に、書を読み学問するときには殊に励みて怠ること勿(な)かれ、と。

posted by at 14:57  | 塾長ブログ

実語教 その一

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室で9月25日親子セミナーでご紹介しました「実語教」。
なかなか素晴らしい教訓に満ちています。
「童子教」とともに童蒙(*)学習書の筆頭に挙げられ、平安時代末期から明治初期にかけて普及していた庶民のための教訓を中心とした初等教科書です。江戸期には寺子屋などで修身並びに習字の教本として用いられています。

(*童蒙=幼くて道理の分からないこと。また、其の者や其の様。)

「実語教」は日本人の幼児教育の根本をなすものと思いますので、其の全文を回数を分けてご紹介いたします。

    実語教教本

 

実語教 白文

漢文(白文)や読み下し文は本来縦書きですが、ブログの書式上致し方なく横書きでご紹介いたします。
其の次に現代語訳を記します。

山高故不貴 以有樹為貴
  山高きが故に貴(たつと)からず。樹(き)有るを以て貴しとす。

 人肥故不貴 以有智為貴
  人肥へたるが故に貴からず。智有るを以て貴しとす。

 富是一生財 身滅即共滅
  富は是(これ)一生の財(ざい)。身滅すれば即ち共に滅す。

 智是万代財 命終即随行
  智は是万代(ばんだい)の財(たから)。命(いのち)終れば即ち随つて行く。

 玉不磨無光 無光為石瓦
  玉磨かざれば光無し。光無きをば石瓦(いしかわら)とす。

 人不学無智 無智為愚人
  人学ばざれば智無し。智無きを愚人とす。

現代文

山はどれほど高くても、高いのみで貴しとすべきではない。山には様々な樹がある故に貴いのである。

同様に、人もただ肥えたるのみでは貴しとすべきではない。智恵があればこそ貴いのである。

金銀や財産に富んで居るからといつても、それは人人がこの世にある間だけの財である。
命が終れば皆これを捨てて行かねばならぬのであるから、身滅すれば即ち共に滅すというのである。

智、即ち物の道理を知り、正しい判断を下す能力は、万代、即ち永久の宝である。
これは人の命が尽きても、その身に随って行くものである。

玉(宝玉、宝石など)も磨かねば光がない。
光がなければ玉も石や瓦に等しいのである。
(玉は本来石の内にあるもので、石を割りみがきて玉となるのである。)

人も生れながらにして智慧があるわけではない。学問して始めて智恵が出来るのである。
学問をしない人は愚人にして石や瓦に等しいものである。

posted by at 17:15  | 塾長ブログ

教科書に載らない歴史上の人物16 根本 博 その3

民進党の代表 蓮舫氏の二重国籍問題で話題の所謂「台湾(臺灣)」(現状の正式国名は中華民國)。
学校では政治が絡む時事的なニュースを取り上げることはなかなかありませんが、将来の日本を担う子供達にとっては、ニュースなどで疑問に感じることは、家庭でしっかり応えて頂きたいものです。
長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、質問があれば、考える糸口を伝え、自ら解決できるよう導きます。

さて、教科書に載らない歴史上の人物16 根本 博 の戦後における活躍について、前提として台湾をめぐる歴史に触れつつ、ご紹介いたします。

明治二十七乃至八年戦役(日清戦争の正式名称※)(明治27年(1894)7月から明治28年(1895)3月)後、日清講和条約が締結され、日本領となり台湾には台湾総督府が置かれていました。

※戦争の正式名称・・・戦争名称は閣議で決められるものです。
日露戦争は「明治三十七乃至八年戦役」、第一次世界大戦は「大正三、四、五、六乃至七年戦役」、
太平洋戦争(国際法ではEast Asia war)は「大東亜戦争」といいます。
(戦後の教科書では、日本国の定めた正式の名称を使うことがありません。)

昭和20年(1945)日本の終戦に伴い、当時中国大陸を本拠地とした中華民国の統治下に入ります。
中国大陸では、蒋介石率いる南京国民政府と毛沢東率いる中国共産党軍との間で昭和21年(1946)には国共内戦が勃発。
ソビエト連邦からの大規模な軍事援助を受けた中国共産党軍が反攻に転じ、南京国民政府軍は各地で大規模な敗北を喫します。
敗勢を挽回できない南京国民政府が崩壊すると、蒋介石を中心とする国民党勢力の一部は、アメリカの援助を受けつつ、拠点を広州、重慶、成都を経て台湾島に移しました。

中国共産党軍は、台湾島を奪取する為、福建省沿岸に位置する金門島を巡り戦いを挑みます。
それを阻止せんとする蒋介石率いる国民党軍の劣勢を挽回する為に、根本博中将が身を賭して日本から台湾に密航をするという壮大なドラマが今回のお話です。

台湾金門島

金門島詳細

「戦神(いくさがみ)」と呼ばれた男

(さらに…)

posted by at 19:50  | 塾長ブログ
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