‘ 羅針塾 ’ の投稿記事一覧

就学準備の大切さ

長崎市江戸町にある
難関大学・医学部を目指す
幼児教室 学習塾
羅針塾です

入学前の準備として「繰り返しのペーパー教材」に取り組む御家庭が多い

小学校受験の準備を
教え込み、詰め込み、量を重ねて
取り組んだだけだとペーパーでの
繰り返し学習は苦にならないのかも
しれませんが・・・

しかし、やらされている状態では賢くなりません
そして トップになることができません
それは、考える力が欠如している
からです

しっかり聞くこと
正しく確実に読むことから
始める羅針塾での学び
就学準備に向けて
先生達の問いに「考え」「行動」
していきます

何を?どのように取り組むのか?

的確に判断して学んでいきます

羅針塾での
小学校一年生からの学びは
少しづつ「自律するための学び」に
取り組みます
調べること、ノートにしっかりと書くこと
諦めずに最後までやり切ることが重要です

近年は、幼稚園や保育園でも就学前の学びを
実践しているところも多いですが
「一斉に早く!仕上げる」が基本のようです。

全ての生徒が同じ事を同じように仕上げる
のではなく、
一人一人の取り組み方を見極め
丁寧に正しく学ぶことに目も向けて
いくべきと考えます

「賢い子」になるためには
就学前の学びが入学後のやる気に
繋がっていきます
そのためにも、正確に読むこと
落ち着いてしっかりと聞くことが
基本基礎になっていきます

「本物のトップ!」を目指すなら
雑に書く文字や数字はマイナスです
丁寧に書くことから丁寧に早く書けるようになる、
に繋げていきます
就学前に早く!早く!と急かして
取り組ませると、その後に修正することは
難しいのです

丁寧に早く書けるようにするために
丁寧に正しく学んでいく
これがトップ!への近道だと考えます

posted by at 17:24  | 学習塾・幼児教育

『大学』を素読する16

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、素読に実語教を暗誦します。「幼(いとけな)き時、勤め学ばずんば、老いて後、恨み悔ゆると雖も尚(なお)所益有ること無し 故(かるがゆえ)に書を読んで倦むこと勿れ 學文に怠るとき勿れ 眠(ねぶ)理を除いて通夜(よもすがら)誦(じゅ)せよ 飢えを忍んで終日(ひねもす)習え」

さて、『大学』を素読する16です。

唯(ただ)仁人(じんじん)之を放流し、諸(これ)を四夷(しい)にしりぞけて、與(とも)に中國(ちゅうごく)を同じうせず。此(これ)を唯(ただ)仁人(じんじん)能(よ)く人を愛し、能(よ)く人を惡(にく)むを為すと謂う。

賢を見て擧(あ)ぐる能(あた)わず、擧(あ)げて先んずる能(あた)わざるは命なり。不善を見て退くる能わず、退けて遠ざくる能わざるは過ちなり。

人の惡(にく)む所を好み、人の好むところを惡(にく)む。是を人の性に拂(もと)ると謂う。菑(わざわい)必ず夫(そ)の身に逮(およ)ぶ。

是(こ)の故に君子に大道(だいどう)有り。必ず忠信(ちゅうしん)以て之を得(え)、驕泰(きょうたい)以て之を失う。財を生ずるに大道(だいどう)有り。之を生ずる者衆(おお)く之を食する者寡(すく)なく、之を爲(つく)る者疾(はや)く之を用(もち)うる者舒(おもむろ)なれば、即ち財(ざい)恒(つね)に足る。

仁者は財を以て身を發(おこ)し、不仁者は身を以て財を發(おこ)す。

未(いま)だ上(かみ)仁を好みて、下(しも)義を好まざる者は有らざるなり。未(いま)だ義(ぎ)を好みて、其の事終わらざる者は有らざるなり。未だ府庫(ふこ)の財、其の財に非ざる者は有らざるなり。

(現代語訳) ただ仁人であってこういう人物を思い切って追放し、これを外国に退けて国内で共に居ないようにする。これを唯仁人のみが能く人を愛し、能く人を悪むを為すというのである。

智徳兼備の優れた人物、賢人を見ながら挙げ用いることができず、挙げても上位に引き上げて、其の能力を充分発揮させることの出来ないのは君主の怠慢である。不善の人を見ながら退けることができず、退けても遠ざけることのできないのが過である。

人の悪むところ即ち同義にはずれた行為を好み、道義にかなった正しい行為を悪む。これを人の本性にもとるという。そういう者には禍がその身に及んでくるものだ。

そこで君子に歩むべき大道がある。必ず忠信(まこと)の心を以て実践することによって高い地位は得られるが、おごりたかぶり、そしてなまけることによってせっかく得た地位を失うことになる。財を生ずるにも大道がある。生産する者が多く、これを消費する者が少なく、生産を早くして消費をおもむろにすれば財は常に足るのである。

仁者は財を世に施してその身をおこすが、不仁者は身を犠牲にして財をつくる。

まだ上位にある者が仁を好んで、下位にある者が義を好まない者はない。まだ義を好んで、物事が首尾よく終わらない者はない。まだ国庫の財も当然の財として人手に渡ったことはない。

posted by at 19:13  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

考える力をつける学び

長崎市江戸町にある
難関大学・医学部を目指す
幼児教室 学習塾
羅針塾です

小学校受験・中学校受験・・と
受験に対し「合格」するためだけに
学ぶと、教え込み、詰め込み
解法のテクニックばかりとなり
考える力は身につきません

小学校受験で合格したのは良いのですが
いざ!授業が始まると
先生方の話を理解できず
授業の妨げになる子が多いのも現状です

羅針塾で小学校受験の
学びに取り組むとき
先生達は、小学校入学後に
トップになれるように
「考える力」をつけることを重視します

幼児期に大切な基本・基礎の学びを
しっかりと取り組ませます
よく聞き・考え・理解し
取り組む、そして伝える

なぜ、そうなるのか
なぜ、そう思うのか
一人一人が質問できる力を
つけていきます

これは、「国語力」を
つける学びを重点的に行なった
結果だと考えています
素読の際は立腰(腰を立てる)が基本
集中して取り組む一つ一つの言葉が
どのように使われるのか考える
何を使えばいいかを考える

母語である「日本語」の語彙を
増やし、
正しい会話のキャッチボールを
することにより
考える力を身につけていきます

合格するためだけの小学校受験
間違った取り組みでは必ず
勉強嫌いとなります

学ぶことは楽しい!

「賢い子」になるために、幼児教育の大切なところです

「本物のトップ!」になるために
羅針塾で取り組む素読は
いずれ、中学高校で取り組む
古典漢文に繋がっていきます
あの時、素読で繰り返し言っていたから

試験勉強要らずでした!

塾生さんたちは必ず同じことを
口にします

トップになるための基本基礎
幼児期からの学びを大切にしている
羅針塾です

posted by at 18:52  | 学習塾・幼児教育

子供の「できる、できない」を親が決めない

長崎市江戸町にある
難関大学・医学部を目指す
幼児教室 学習塾
羅針塾です

入塾前の面談にて
よく耳にするお母様からのお話
「うちの子は、算数のセンスがなく苦手のようです。国語は、まあまあできていると思います。」

だいたい、このようなお話は
少し正確ではありません。

国語がまあまあ(できていない)から
算数ができないのです
言葉を理解していないから
算数が解けない、センスを磨くことができません

「どうも・・国語力が無いような気がします」

「親子の話がなかなか繋がらないから、語彙力がなく国語の力が無いように思います。」

上記のようなお話をされる
お母様達は、子供に何かが不足している
何かを的確に学ばないと
全ての教科がダメになってしまうという
危機感を持っています。

「国語力」をつけたら大丈夫ですよ。と
お話しするとなるほど!と納得していただけます

「うちの子は算数が苦手・国語が苦手」と
親が子供のことを周囲に話すと
子供は潜在意識に「苦手」と
思い込みます

「できる」「できない」ではなく
「できない」なら「何が不足」しているのかを
しっかりとお母様が理解し
正しい学びに取り組むことが大切です

「賢い子」にするために
算数の力が不足している子は
計算の力(ルールを守って計算をする)
書く力(筆圧、運筆)
読み取る力(文章を読み、どのように立式するのか)
全ての国語の力が欠落しています

丁寧に理解するまで指導をし
読んで考えて理解する
しっかりとした数字・図を描く
満点を取れるようにします

「国語の力」がつきだすと
算数の勘違いや何となく解くや
計算ミスはなくなっていきます

「本物のトップ!」になるために
幼児期から小学生低学年から
「国語力」をつける学びを羅針塾で
取り組んでいると
「自律して学ぶ」ことができるように
なります

教科書や基本書が先生となり
何度も読み、考え、理解し
解き進めていきます
自分自身で学ぶことは
解けた楽しさと学ぶ充実感を
知ることになります

posted by at 18:21  | 学習塾・幼児教育

『大学』を素読する15

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、日々の学びの中で語彙を増やす為、「漢字検定」に向けて漢字熟語の意味を辞書で調べてノートに記していきます。

さて、『大学』を素読する15です。

康浩(こうこう 浩の氵を言偏)に曰わく、惟(こ)れ命(めい)常に于(おい)てせずと、善なれば即(すなわ)ち之を得、不善なれば即(すなわ)ち之を失うを道(い)う。

楚書(そしょ)に曰わく、楚國(そこく)は「以て寶(たから)と為す無く、惟(ただ)善以(もっ)て寶(たから)と為すと。

舅犯(きゅうはん)曰わく、亡人(ぼうじん)以(もっ)て寶(たから)と為す無く仁親(じんしん)以(もっ)て寶(たから)と為すと。

(現代語訳) 康浩(こうこう 浩の氵を言偏)に「天命はいつもその人の上にあるとは限らない」とあるのは、善は積み重ねて徳が高くなれば天命は自然に授けられるが、遂に悪行を積み重ねて徳が亡くなると意に反して天命を失うと言うことを言ったものである。

楚書(今の国語の中の楚語)に楚国には特に誇るほどの宝は無いが唯一の宝としているのは善行を積む優れた家臣である。

舅犯(晋の文公の母方の伯父)が文公を戒めて「我々亡命中の者には、宝とすべきものは何もない。ただ親の死に仁の道を以て対することを宝とする」と言っている。

秦誓(しんせい)に曰わく、若(も)し一个(いっか)の臣(しん)有らんに斷斷(だんだん)として他技(たぎ)無く、其の心休休(きゅうきゅう)として、其れ容るる有るが如し。人の技(ぎ)有る、己(おのれ)之(こ)れ有るが若く、人の彦聖(げんせい)なる其の心之を好みし、啻(ただ)に其の口より出ずるが如きのみならず、寔(まこと)に能く之を容(い)流。以(もっ)て能(よ)く我が子孫黎民(れいみん)を保んぜん。尚(こいねが)わくば亦(また)利あらん哉(かな)。

人の技(ぎ)有る。媢疾(ぼうしつ)して以(もっ)て之を惡(にく)み、人の彦聖(げんせい)なる、之に違(たが)いて通(つう)ぜざらしむ。寔(まこと)に容るる能(あた)わず、以(もっ)て我が子孫黎民(れいみん)を保んずる能(あた)わず。亦(また)ここに殆(あやう)い哉(かな)と。

(現代語訳) 秦誓(書経周書の篇)に、ここに一人の重臣がある。生真面目ではあるが特に秀でた才能があるわけではないが、その心はおおらかで、全てのものを包み込むようである。人の秀れた才能のあるのを見て、自分があるように喜び、人が大変立派だという評判があると、それを心からよいとして、単に口先で褒めるだけでなく、本心からこれを受け入れる。こうして我が子孫万民を保んずるであろう。まことに心から利があるように願うばかりである。

それとは逆に、人の才能のあるのを悪み、人が秀れて評判が良いのを見て世に通じないようにする。このように本心から包み込むことができない。これでは子孫万民を保んずることはできない。なんと危ういことだなとある。

・・・「善は積み重ねて徳が高くなれば天命は自然に授けられるが、遂に悪行を積み重ねて徳が亡くなると意に反して天命を失う」の例は、所謂(いわゆる)『善因善果 悪因悪果』とも言われます。善行の勧めは四書(大学・中庸・論語・孟子)の中にさまざまな表現と共に繰り返し述べられています。

また、日本の『実語教』にも、「己が身を達せんと欲せば、先ず他人を達しめよ』とあります。「利己ではなく利他」の心を持つことが、結局最後は我が身に返ってくる、と。

 

posted by at 19:26  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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