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聞き上手は、子育て上手

幼児教室・学習塾の羅針塾では、塾生が来るとある質問をします。その質問は、その日あったことに関するものです。即答できる塾生もいれば、暫く考えてから応える塾生もいます。

人間の記憶は、曖昧なところと、しっかりと覚えているところがあります。今日、昨日、一昨日、先一昨日と時間を遡るほど曖昧さが増えていきます。

今日の記憶を確認することが、記憶することの癖を付けていきます。その繰り返しは、記憶するコツを自然に身につけることになります。

さて、

「どんなにくだらない内容でも、子供の話を聞いてあげることが重要。東大生184人にアンケートを取ったところ、9割が子供時代にしっかりと親に話を聞いてもらっていたと回答していた」という興味深いお話があります。引用してご紹介します。

 

「お母さん、今日楽しかったんだよ」と言われたときに一流の母親がしている”ある質問”(柳沢幸雄北鎌倉女子学園学園長)https://president.jp/articles/-/50242 

 

「うちの子どもは口数が少ない」という親御さんに限って、子どもの話をさえぎってでもご自身がよく話すという方が多いようです。ご家庭でも、お子さんが考えて話そうとしているのに、先回りしてしゃべってしまったり、代わりに答えてあげたりしていませんか。

大人も含めて、実は多くの人はほとんどものを考えていません。この「ものを考える力」は、意識してつけさせてあげるものなのです。

考えるのは楽しいこと、心地いいことだと子どもに感じさせるのは、子どもの教育で一番大事だとさえ思います。それができるのは、実は学校ではなく親なのです。

では、親がものを考える力をつけさせるには、どうすればいいのでしょうか? その方法はいたってシンプルで、「子どもに話をさせること」です。

繰り返し説明していますが、もし子どもが話しているのであれば、とにかく喜んで聞いてあげること。どんな話だっていい。「こんなことをやってみたい」「こんな本を買ってみたい」といったような、親からすれば興味のない話も、くだらない話でもいい。

そこから、「なぜそうしたいのか」「なぜそれがほしいのか」と、親が納得するように説明させるのもいいでしょう。なんといっても、子どもが自ら話しているのですから、それをする動機はかなりあるはずです。

子どもが興味をもっているものを受け入れてあげてください。そうすると子どもはまた次の要求を考えます。「自分の要求ができる→それが受け入れられ、満たされる」ということに快感を覚えると、そこから発展していろいろなことを考えるようになります。

・・・「考える力」をつけさせるコツは、日常の生活にあります。

日々の暮らしの中で、一番子供さんと接する時間があるのはお母さんです。幼児教育のスタートは、お腹にいる胎児の時からです。お腹の子に話しかけた経験をお持ちのお母さんは、まるでその言葉に応えるかのように胎児が動くこともご存知です。産まれた後も、話しかけながら子供の成長を日々願っています。

言葉が出始めてからが、本格的に「考える力」をつけさせる機会が訪れます。よく子供の話を聞いてあげることが、子育ての要諦です。

 

大人が話をさえぎって結論を言ってしまったり、答えを求めたり質問責めにしてしまうのはやめましょう。どうしても意見を言いたければ、子どもの話を最後まで聞いたうえで、「そうか、よくわかったよ」とまず子どもの話を受け入れます。

そのうえで、次に一つだけ「こういう方法もあると思うよ」と伝えましょう。この言い方の上手さ、下手さが子どもの自己肯定感の成長に大きな影響を与えます。

子どもは、とにかく自分の話は受け入れてもらえたと感じます。賛同されたかどうかは別としても、受け入れられた、聞いてもらえたという実感が重要です。

受け入れられたうえで親が意見を言ったとしても、子どもは「別の意見もあるんだな」と思うだけで、否定されたとは感じません。そこで「自分が話すと、親は必ず意見を押しつけてくる」と感じたら、もうしばらくは話そうとはしないでしょう。子どもは親が思う以上に賢いのです。

 

・・・子供さんに「自発性」「自主性」をつけるための第一歩は、子供さんから話すきっかけを作ってあげることです。

お母さんが話している時は、子供さんから話すことはできません。子供さんが話したいと思って、言葉を探している気配を感じて、じっと待っててあげると、徐々に話そうとしてきます。

子どもにたくさん話をさせることのメリットはまだまだあります。

それが記述に強くなること。話をするためには、頭にあるものをちゃんと人に伝わるように整理して、表現する必要があります。記述にはある程度の論理力が必要なのです。子どもがこれを繰り返すほど言葉遣いはうまくなり、言葉の構成力もついてきます。

大人はすでに自分の考えを言葉に出して話す能力を身につけているため、これがどれだけ大変なのか、なかなか実感できないかもしれません。このことは、自分が外国語で何かを説明することを思い浮かべればすぐ実感できます。

少なくとも大人は、学校で英語を10年くらいは勉強していますよね。私は講演会で、「みなさんは10年くらい英語を勉強しているでしょうから、これから1分間、英語で自己紹介をしてもらいます」といって、考える時間を2分くらい用意することがあります。

すると大人たちは真剣に考え始めます。時間があるときは本当にやってもらうこともありますが、たいていは次のような話につなげます。

「ところで、あなたのお子さんは日本語を習い始めて何年ですか? たいてい2、3歳で親子の会話が始まりますから、小学6年生でも約10年間ということになるでしょうか。

そう、親御さんが10年間勉強した英語で自己紹介をするのが大変なように、まだ10年間しか日本語を勉強してない子どもたちにとって、頭に浮かんでいる事柄を人に伝わるようきちんと話すのは、とても大変なことなんです」

 

・・・確かに、英語との比較は、とても分かりやすい。子供さんにとって、何かを説明することは、親が英語で説明することと同様、困難なことです。何事にも「慣れ」は必要です。子供さんは言葉の使い方を、場面、時、相手などによって、少しずつ経験的に学んでいくわけです。

特に小さい子どもは、何を言いたいのかわからないことがあります。そのときこそ前述した5W1Hを使って子どもの話をフォローしてあげます。たとえば、「お母さん、今日楽しかったんだよ」「へえ、楽しかったんだ(と、まず受け止める)。何が楽しかったの?」。

子どもがどんどん話し始めて、話に脈絡がなくてもひとまず聞きます。そして最後に、「今日は◯◯くんと◯◯をして、1時間やり続けたんだね。それが楽しかったんだね」と要約してあげると、「そうか、そういうふうに話せばいいんだ」と子どもは学びます。そこから、自然と論理力がついてきます。

これは小さな子どもだけでなく、思春期のお子さんでも同じです。子どもが話したことを「要するに」「要は」「つまり」などの言葉を使って、「こういうことね」と要約してあげてください。あるいは、「要するに、どういうこと?」「ひと言でいうとどういうこと?」と聞いてみるのもいいでしょう。

論理力がつくと人に伝わるようになります。論理力さえつけば、文章を読んだときの読解力はまさに論理力そのものですし、書くことも論理力そのものなのです。

 

・・・子供さんは言葉を覚え、話を形作っていく過程で、それが正しい表現か、適切な説明かを誰かに聞いてもらいながら覚えていきます。その一番良い聞き手がお母さんです。

posted by at 15:43  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

18歳で司法試験合格 工夫する学び

幼児教室・学習塾の羅針塾では、語彙を増やすことが塾生の「学ぶ力」を確実ににする一番の早道だと考えています。幼児期から様々な言葉が身の回りを流れていきますが、何も気付かずに過ごすか、気に留めた言葉をしっかり身に付けていくかで、日に日に「学ぶ力」の差がついていきます。

さて、令和三年(2021)の司法試験合格者の内訳が公表されています。裁判官、検察官、弁護士となる法曹界へ進む最難関と言われる国家試験です。

合格者1421人の内、男性1026人、女性395人。合格平均年齢は28,3歳。最年長69歳、最年少18歳。その最年少合格者の「学ぶ力」について参考となる記事がありましたので、引用してご紹介します。

「刑事事件の傍聴にはまった中学生が最年少で司法試験に合格するまで・・・推しの勉強法を聞いてみた」(読売新聞配信)https://news.yahoo.co.jp/articles/985c511a189cac13c663f51ee886b87d26809380 

――満18歳3か月(受験時)での司法試験合格は、少なくとも、法科大学院修了生の受験が始まった2006年以降、最年少です。いつ、どんなきっかけで勉強を始めたんですか。  

司法試験の勉強を始めたのは高校1年の2月ですが、そもそもは、中学1年の秋に東京地裁で刑事裁判の傍聴をしたことがきっかけです。

――中1で裁判の傍聴ですか。  

はい。中学校(慶応義塾普通部)で毎年、卒業生を招いた特別授業がありました。その一環で弁護士の先生が20人くらいの同級生と一緒に傍聴へ連れて行ってくれました。  

覚醒剤取締法違反の事件でした。特別な事件ではなかったんですけど、裁判を見るのは初めてで、すごく衝撃を受けました。  

「これはフィクションではない。本当に起きた事件が、目の前で裁かれているんだ」と気づいて。一人の人間が法によって裁かれている現場を目の当たりにしたというか。その時に、司法の最前線を見たような気がしたんです。

――どこに衝撃を?  

なんというか、リアルさと言いますか……。法廷で被告人の生い立ちが語られ、「この人はどんな人生をたどったんだろう」などと色々考えてしまいました。被告人も発言していて、30歳代ぐらいの男性だったんです。「こんな普通の人が犯罪、覚醒剤をやるのか」という点もショックでした。  

とにかく、本当に実在する人間が、目の前で裁かれていると強く感じました。「裁判ってこういうものなのか」と関心を持ったことが大きなきっかけです。

――その後も傍聴を続けたんですか。  

そうです。裁判は平日しかやっていないので、学校の授業がない夏休みや春休みなどに通うようになりました。  朝に一人で行き、昼になったら裁判所地下のフードコートのような大きな食堂でご飯を食べて。今はお店が少なくなりましたが。そして午後にまた傍聴して、夕方に帰る…というようなことをしていました。  

毎日ではなく、裁判員裁判や気になった刑事裁判を見つけて、ちょっと通ってみるという程度です。傍聴記録をつけ、法廷イラストを描くこともありました。逆転無罪判決や死刑判決の言い渡しも聞きましたし、逆送された少年事件も傍聴しました。  

中学校では年に1回、数学でも美術でもなんでもいいから自分の興味、関心を追求して、作品として発表する「労作展」という展覧会がありました。中2で「裁判・司法を考える 実際に裁判員裁判を傍聴して」というリポートを作り、中3では今思えば大それた題名ですが、「刑法解釈を考える 実際の傍聴によるケーススタディー」を発表しました。

――そうした裁判や法律への関心から、司法試験の勉強を?  

そうです。「いま何の話をしているのかな?」と法律的なやり取りがわからないことが傍聴中にありましたが、高校(慶応義塾高)1年になると、そこにだんだん歯がゆさを覚えてきて。中学でリポートを作成した時にも刑法の入門書を読みましたが、「もっと勉強したいな」と思いました。  

そして「司法に参画したい」「将来は法律家になりたい」という自分の気持ちにも気づき、受験しようと決めました。

――どんな勉強をどれくらいしましたか。  

高1の(2019年)2月から、司法試験の受験指導校「伊藤塾」で学び始めました。収録されたものを自宅で好きな時間、自由に巻き戻せるウェブ講義です。“早聞き再生”で自分の部屋のパソコンで受講しました。  

友だちにも「1日何時間勉強した?」と聞かれましたが、その日によってバラバラで。高校の授業で疲れて帰ってきて寝ちゃうような時もあれば、休日は一日中勉強することもありました。それに受験の直前期は朝起きてから寝るまでずっと……みたいな感じでもありました。「1日何時間」というのは難しいんです。  

ただ、目安として、伊藤塾の講義は1回3時間、それが週3日あって計9時間。それと同じ時間をかけて復習したので、1週間で合計18時間か、やや多いくらいの時間をやっていた気がします

・・・何故、法律に興味を覚えたか。

「学ぶ為の動機」を自ら見つけ、それを追求した結果が、司法試験最年少合格という(一般の人からすると)快挙を成し遂げています。しかし、当の本人からすると、極めて自然に「学び」続けているだけ、という感じです。

興味を覚え、無理なく「学び」続ける。

「学び」の極意です。

「好きこそ物の上手なれ」という言葉がぴったりの若者の登場です。

posted by at 14:14  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

三歳から始める幼児教育

幼児教室・学習塾の羅針塾では、幼児の学びは「読み」から始まります。

落語の師匠からお弟子さんが「口伝」(くでん:口伝え)で、噺(はなし)を覚えていくように、基本は覚えるまで繰り返していきます。

さて、

ご紹介するのは、たまたま手に入った画像。米国フロリダ州のとある幼稚園の教材です。

9月から始まった幼稚園1日目の運筆(うんぴつ:鉛筆の動かし方)プリント。3歳3ヶ月の幼児さんの書き始め。家庭での学びと異なり、同年齢の子供達と並んで、先生の指示に従います。

指示:キャンディが最も多い列の絵に色を塗りなさい。

 

それぞれの文字をなぞりなさい。1からはじめ、数字の順番通りに従いなさい。矢印に注意を払いなさい。

 

海外駐在の家庭の子供さん達は、母語である日本語の国語の「読み」「書き」を家庭で学びながら、現地の幼稚園や小学校に通います。米国であれば英語の指示に従って学びます。よく言えば、bilingual(バイリンガル:状況に応じて二つの言語を使う能力)になる可能性がありますが、母語である日本語教育が疎かになるようでは、どっちつかずとなります。

その為、帰国したときの教育格差に愕然としない工夫が要ります。

これからの時代に求められる国語力

幼児教室・学習塾の羅針塾では、不断に国語力をつけていく必要があると考え、様々な工夫をしています。

国語は、「読み方」・「書き方」・「綴り方(作文)」という戦前の国語教育の基本を参考にしながら学ぶと効果があります。

正しい「読み」、正しい「書き」・正しい「綴り方」を小学校の一年生からしっかり学ぶことで、「良い癖」をつけていくべきと考えます。

文部科学省のサイトで様々な記事を読んでいると、その意図を理解できますが、具体策はどのようにしているのか、疑問が残ります。

一部引用してご紹介します。https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/toushin/04020301/003.htm

 

これからの時代に求められる国語力

1   国語力の向上を目指す理由

国語の果たす役割は極めて広範囲にわたり,文化の基盤である国語の重要性はいつの時代においても変わるものではない。その意味で,国語力の向上に不断の努力を重ねることは時代を超えて大切なことである。

   しかし,人々の生活を取り巻く環境がこれまで以上に,急速に変化していくことが予想される「これからの時代」を考えるとき,国語力の重要性について改めて認識する必要がある。社会の変化は様々な方面で同時並行的に進行しているが,これらはいずれも国語力の問題と切り離せないものと考えられるからである。

(中略)

現在,国際化の進展に伴って,自分の意見をきちんと述べるための論理的思考力の育成,日本人としての自己の確立の必要性,英語をはじめとした外国語を習得することの重要性が盛んに言われるが,論理的思考力を獲得し自己を確立するためにも,外国語の習得においても,母語である国語の能力が大きくかかわっている。

(中略)

また,情報化の進展に伴っては,膨大な情報を素早く正確に判断・処理する能力の大切さや,自らの考えや主張を的確にまとめて情報として発信していく能力の重要性がつとに指摘されている。この情報の受信・発信能力の根底にあるのが国語力であることは異論のないところであろう。

(中略)

国語力がその人間の能力を構成する大きな要素となっていると考えられるが,近年の日本人の国語力をめぐっては,言葉遣いや語彙,発表能力や文章作成能力などに種々の問題点を指摘する声が多い。これらの問題点の要因の一つとして,中学生以降の年代における読書量の低下を挙げることもできよう。
   例えば,全国学校図書館協議会と毎日新聞社が毎年行っている全国の小・中・高等学校の児童生徒の読書状況の調査によれば,平成15年度における5月の1か月間の平均読書冊数は,小学校では8.0冊であるのに対し,中学校では2.8冊,高等学校では1.3冊という結果が出ている。また,1か月に1冊も本を読まなかった者の割合は, 小学校では9%にすぎないのに対し,中学校では32%,高等学校では実に59%に達している。

・・・「児童生徒の読書状況の調査」結果は、随分以前から、読書量の減少を喧(かまびす)しく言われていることですが、この傾向はますます強まりそうです。スマートフォンなどの小・中・高校生への所持率が高まれば、書物を読むという習慣から遠ざかるのは自明です。読書量の低下が国語力の低下の大きな一因であるならば、学校教育の中で、積極的に授業時間に組み入れるということも考える必要があります。

私見ですが、学校の土曜日休日を撤廃して学校で四時間ほど読書の時間を設けるべきではないか、また、宿題は基本的に撤廃して、各自が選択した書物を読み、その要約をすることを課す、・・・と考えますが・・・

2)国語力の中核を成す領域
   この領域は,「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」の四つの力によって,構成されている。これらは,言語を中心とした情報を「処理・操作する能力」であり,国語力の中核と考えられるものである。
   また,この四つの力が具体的な言語活動として発現したものが,「聞く」「話す」「読む」「書く」という行為であると考えられる。日常の言語生活の中では,この「聞く」「話す」「読む」「書く」という言語活動が様々な状況に応じて,複雑に組み合わされて用いられている。

(後略)

 

(3)「国語の知識」や「教養・価値観・感性等」の領域
   この領域は,「考える力,感じる力,想像する力,表す力」が働くときの基盤を成すものである。また,「考える力,感じる力,想像する力,表す力」に直結している「国語の知識」の部分と各人の「教養・価値観・感性等」の部分に分けることができる。

なお,「国語の知識」とは具体的には,

      (例) 1 語彙(個人が身に付けている言葉の総体)
2 表記に関する知識(漢字や仮名遣い,句読点の使い方等)
3 文法に関する知識(言葉の決まりや働き等)
4 内容構成に関する知識(文章の組立て方等)
5 表現に関する知識(言葉遣いや文体・修辞法等)
6 その他の国語にかかわる知識(ことわざや慣用句の意味等)

といったようなものである。

 

・・・文部科学省の言わんとするところは理解できますが、これを子供さん達に具体的に教え諭していく方法が必要です。基本的に、小・中学校までの義務教育期間に、国語の基本をしっかり身に付けるべきです。

posted by at 15:43  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

日本語の崩壊 「字幕離れ」

幼児教室・学習塾の羅針塾では、幼児期の基幹教育(小学校就学前の学び)を終えたら、国語力をつける為の基本である漢字の学びを始めます。

その際、漢字の熟語は漢字・仮名交じりでは読みません。例えば、「国語」を「国ご」「食事」を「食じ」の文字では読みません。

さて、

致知出版社の人間力メルマガ 2021.8.24に、字幕翻訳者の戸田奈津子氏のインタビュー記事がありました。

筆者も仄聞(そくぶん:噂などで耳に入ること、人伝(ひとづて)に聞くこと)していたことですので、得心した次第です。引用してご紹介します。

 

字幕翻訳者の戸田奈津子さんか゛いまとても憂慮されていることがあります。
若い人たちを中心に「字幕離れ」が進んでいることです。
そしてそれは、日本語の崩壊にも繋がっていると戸田さんは指摘されています。

日本語力という話と少し関連することだけど、ここ20年の間に若い人たちの間で「字幕離れ」が進んでいるんです。
つまり、吹き替え版を好む観客が増えてきている。
ある時、映画が字幕版と知った観客が「普通の映画はやっていないんですか」と尋ねたという話を聞いて驚きました。
その人にとっては吹き替え版が普通の映画なわけですね。
おそらく字が読めない若者が増えているからなのでしょうけど、日本国としても実に憂うべきことでしょうし、文化が死んでいくことを私もとても心配しています。

これも少し前の話ですが、映画会社から「若い人は〝安堵〟という言葉が読めないから〝安心〟に変えてほしい」と言われて、強く反発したことがあります。
「安堵と安心はニュアンスが全く違う。それがどうして分からないの」と。
このことが誰も気にならなくなっているというのは怖いですね。
安堵という日本語を含めて、毎日言葉が死んでいる。
もう、あちこちに死体がごろごろ。

(──確かに日本語の崩壊は深刻ですね。)

(戸田)

何を基準にしてそうなっているか私には分からないけど、〝拉致〟を〝ら致〟と書いたって、それだけでは分かりません。
漢字なら見て意味が通じるんです。
私は絶対に〝ら致〟なんて書きたくないから、必ず漢字で書いてルビ(読み仮名)を活用するようにしています。
そんな例はたくさんありますよ。

日本は世界でも珍しい字幕国なんです。
外国映画を字幕で観る習慣がなぜここまで日本で定着したのかと言えば、
一つには日本人の識字率が高かったこと。
もう一つは本物志向が強いことです。

ゲーリー・クーパーのようなステキな声は生で聞きたいという映画ファンは多いはずです。
いわゆるヒーローものの声優さんが吹き替えをやったって、あの味は出せませんよ。
でも、それすらいまの子には通用しない。
ないものねだりというか、それが時代の流れなのでしょうけど、
字幕を取り巻く環境の変化は残念ではありますね。

洋画(外国製映画)の字幕翻訳の歴史は約90年前に遡るそうです。日本で初めて日本語字幕がついた映画は、1930年に米国で制作された『モロッコ』です。日本公開は翌年の31年。翻訳者は田村幸彦氏です。田村氏は日米を行き来して翻訳技術を学び、字幕づくりの基本的なルールを作りました。1秒3、4文字、縦字幕で1行13文字(現在は10文字)、最大2行とされる田村さんの制作のルールは、今も映像制作における字幕翻訳の基本ルールとして根付いています。

・・・映像の下部(乃至は右横部)に流れる字幕を読みながら、映像を追いかけることが出来ない若者が増えている。 驚きです。

戸田奈津子氏のお話は、日本人の高かった識字率が低下している、また国語力が落ちてきている証左(=証拠)を表しています。

更に、

国語力の低下の一因として、外来語又は外来語的な言葉を「カタカナ」表記したり、用いたりする悪しき流行り(はやり)も問題です。日本語で書いたり表現するべきなのに、わざわざ「カタカナ」に変える愚は避けるべきです。例えば、「危機管理」を「リスク・マネジメント」、「適切な距離(を保つこと)」を「ソーシャル・ディスタンス」と表記することなどです。

仮に、どうしても英語表現をしたければ、「Risk Managemennt(リスク・マネジメント)」「Social Distance(ソーシャル・ディスタンス)」と、英語などの綴りを表記すべきです。そうすれば、英語の辞書で意味を確認出来るからです。

字幕翻訳者の戸田奈津子氏の言われる「字幕離れ」は、結局、小・中学校の義務教育期間に、しっかり国語教育をしなければならないことを示しています。そして、家庭で普段から国語辞書や漢字辞書を使いこなし、日常的に語彙力を増す工夫が必要です。

「漢字や語彙力の無いことは恥ずかしいことです。常識がないと言われない様に、しっかり学ばなければなりません。」と、筆者は母親から常々言われていました。

これは、昔も今も変わらない事実です。

posted by at 15:36  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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