‘ 国語力ブログ ’ カテゴリー

辞書を引く習慣づけ

長崎市江戸町(令和6年7月に移転)にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、片仮名・平仮名が読めるようになったら、国語辞典を用いて字義(文字の意味)・単語・熟語について調べるよう指導していきます。

幼児期にはハードルが高そうですが、少しづつ字引きに慣れていきます。小学一年生になったら、分からない言葉は全て自分の力で引いていくように指導します。

当然ですが、探す言葉に辿り着くまでには時間が掛かります。それから、言葉の意味を音読(声に出して読む)していきます。そして、ノートに筆記します。

辞書を引くー音読するー筆記する という一連の流れは、塾生の学年(小中高生全て)を問わず行います。

辞書を引くことが当たり前になると、分からないことは自ら調べるという習慣となります。教科書、参考書、問題集のいずれであっても、分からないことはどうすればわかるようになるか、と自問していきます。

これが自律・自立した学びに繋がっていきます。

posted by at 14:05  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

夏休み、後半の学び

長崎市江戸町にある
難関大学・医学部を目指す
幼児教室 学習塾
羅針塾です

羅針塾の塾生さん達のうち
お盆休みに入る子には
「何に取り組むべきか」
一人一人に伝えています

取り組んだか、取り組んでいないかの
成果はあまり問いません
それは、成績という結果で出るからです
模試や検定試験で良い点数が取れれば
休暇期間中しっかりと
自宅で学んでいたなあ〜と思う先生達です

「素直に前向きに取り組みなさい」

この言葉を素直に守れる子は
成績はしっかりと伸びていきます
手を抜いたり、諦めたりする子は
成績は伸びないし、勉強することを
投げてしまします

「賢い子」になるために
毎日の積み重ねが結果になります
少しの時間でも必ず毎日!
大切なことです

「本物のトップ!」になるために
将来の方針が決まると 目標に向かって
どんどん学んでいく塾生さん達
何かを言われることなく
やらない理由も考えず
毎日毎日学び続けていきます

posted by at 18:28  | 国語力ブログ

勉強する 學問をする

長崎市江戸町(令和6年7月に移転)にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、日頃から国語辞典を用いて漢字、熟語の意味について理解するよう指導します。

ある日、小学校低学年の塾生に「勉強する」「學問學問をする」の意味合いを問うてみました。すると皆首を傾げます。

そこで、漢字を「勉」「強」、「學」「問」と分けて、それぞれの音読み・訓読みを聞いてみます。

すると、なんとなく分かったような、分からないような顔をします。

しかし、「学問」の「学」の字が「學」となっていて、知らない文字です。

不思議そうな顔を見ながら、説明を始めます。

「勉強」の文字は、「勉める」(つとめる:力を尽くしてあることをする)プラス「強いる」(しいる:相手の気持ちを無視して無理にさせる、無理に押し付ける)だよね。

結局、「誰かに押し付けられて、力を尽くす」という意味になるね。

一方の「學問」は、ツカンムリの「学」ではない、本来の「學」を用います。この画数の多いカンムリは、もと、子供に世の中のしきたりの手ぶりを習わせることをいう。ひいて、ものを学ぶ意、なんです。それプラス、「問」は「問う」(とう:知りたいことを尋ねる、質問する)ですから、「知りたいことを尋ねて、ものを学ぶ」の意味になります。

さて、君たちは「誰かに押し付けられて」か、または「知りたいことを尋ねて」のどちらで「学びたい」かな?

・・・・・・・その答えは自ずから分かりますね。

posted by at 18:02  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

何故、難関大学又は医学部を目指すのか。

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと「学ぶ力」をつけていって欲しいと考えます。

当塾では、近い将来「難関大学・医学部」を目指すことができる塾生を育てること、が目標です。

なぜそのように考えるようになったか。

患難辛苦(かんなんしんく:災難や困難に当たって、悩み苦しむこと)を与え給え、との気概を持った若者が、必ず存在すると考えるからです。

大東亜戦争後、79年が経とうとする中、震災を直接体験しない限り、多くの国民、子供達は辛抱することの大切さ、有難さを考えることはなかなか有りません。

しかし、歴史に興味や関心を持つ子供達は、日本の数多(あまた)の先人達は、どのように困難や苦しみを乗り越えてきたのだろうか、と考える力が有ります。

そうであれば、「もし、こうなったとき、どう対処するべきか」というsimulate(模擬行動、想定行動)することが出来る力もあるということになります。

文部科学省が文部行政の中で声高に主導しなくても、主体的、自律的、自立的に学ぶ力をもった子供達が、将来の日本を支えて行くと考えられます。

主体的、自律的、自立的に学ぶことが出来る子供達は、「学ぶ」ことに忌避感や嫌悪感を持つことはありません。むしろ、わかるまで、理解できるまで、「学び」続けることを厭(いと)いません。

それを支え、勇気付けることが出来る立場にあるのが、所謂(いわゆる)「先生」です。

そうであれば、安易な道、楽な道を辿って「大学進学」する「他力本願」では無く「自力本願」で、敢えて苦難の道へ進むことでの成長を促すべきではないでしょうか。

そして、自らの力で艱難辛苦を乗り越えて成長出来る機会が、難関大学・医学部への挑戦だ、と指し示す。敢えて、挑戦する意義を説くべきと考えます。

これを乗り越えた体験は、その子供達が更なる苦難に巡り合っても乗り越えることが出来るし、「世の為、人の為」に尽くす人物になって行くことでしょう。

 

posted by at 15:43  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

子供の喜び 親の喜び

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと「学ぶ力」をつけていって欲しいと考えます。

当塾では、近い将来「難関大学・医学部」を目指すことができる塾生を育てること、が目標です。

なぜそのように考えるようになったか。

「ときは世につれ、世はときにつれ」と申しますが、変わらないものは、親が子の幸せを願う心です。

日本人が、おそらく遥か遠い昔から、子を慈しむ、子の幸せを祈る、というのは変わらない事実です。

親がどれほど財産を残そうとも、どれほど地位を残そうとも、その子が自ら生き抜いていく力を身につけなければ

泡沫(うたかた)の泡(あわ)の如し、です。

「実語教」に、

山高きが故に 貴からず (やまたかきがゆえに たっとからず)

樹有るを以て 貴しとす (きあるを もって たっとしとす)

人肥へたるが故に 貴からず (ひとこえたるがゆえに たっとからず)

智有るを以て 貴しとす (ちあるをもって たっとしとす)

富は是 一生の財 (とみはこれ いっしょうのざい)

身滅すれば 即ち共に滅す (みめっすれば すなわち ともにめっす)

智は是 万代の財 (ちはこれ ばんだいのたから)

命終われば 即ち随って行く (いのちおわれば すなわち したがって いく)

玉磨かざれば 光無し (たまみがかざれば ひかりなし)

光無きをば 石瓦とす (ひかりなきをば いしかわらとす)

人学ばざれば 智無し (ひとまなばざれば ちなし)

智無きを 愚人とす (ちなきを ぐにんとす)

倉の内の財は 朽つること有り (くらのうちのざいは くつることあり)

身の内の才は 朽つること無し (みのうちのざいは くつることなし)

千両の金を 積むと雖も (せんりょうのこがねを つむといえども)

一日の学には 如かず (いちにちのがくには しかず)

 

・・・正に、実語教に書かれている通りです。

実語教は平安時代から明治初期にかけて普及していた教訓です。

「一日学ぶことは、千両の金を積むよりも価値がある」

これに気付くことができれば、「学ぶこと」の方向性が決まります。

実語教 その一

posted by at 15:34  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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