‘ 国語力ブログ ’ カテゴリー

知能と国語力を結ぶもの

幼児から小学生へと段階が進むと、言葉の量と質が格段に上がります。

つまり、幼児期には生活における会話がしっかり出来れば基本的に問題はありません。ところが、小学生になると「学び」の要素がぐんと増えますし、理解度を確認するために試験が始まります。そうなると、独力で問題を読み、その指示の内容を理解した上で解答していかなければなりません。

その時点で、文字を読み、問われている意味を理解し、解答を用意し、正しく文字(又は、数字や数式)を用い、書いて自分の答えを出す。これらの「読み」「理解」「書き」などを瞬時に判断していく力が、小学生になった瞬間から必要です。

では、その力を如何にして子供さんにつけていくか。

小学校に上がってから始めても、すでに授業は進み出しているわけですから、後手に回っている感は否めません。そう考えると、幼児の早い時期から、少しづつ国語力をつけて、就学前には漢字交じりの文を読み理解できるところまで子供さんを導いてあげることです。

つまり、言葉を正しく使い、その言葉の数(語彙)が多いほど知能が高いというのなら、その言葉の宝庫である国語辞典・漢字辞典を使いこなせるように指導することが近道です。

子供さんをそのレベルまで持っていく方法は様々あるでしょう。その為には、親御さんが根気強く子供さんを導いていかなければなりません。

羅針塾では、塾生の理解度や習熟度に合わせて、語彙力を弥増す方法を常に考えながら指導をしています。自主的に進んで辞書を引くことが出来ると、それぞれのやり方で言葉への理解度が増してくるのがわかります。

posted by at 08:07  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

知能は言葉によってつくられる

羅針塾では、塾生に様々な体験をして欲しいと考えています。近頃の風潮として、大人が子供を危険な目に合わせてはいけない、と余りにも過保護になりすぎている嫌いがあります。その結果、子供自身が危険を回避するという本能を研ぎ澄ます機会を失っています。「這えば、立て。立てば、歩め」と親はハラハラしつつも、自立を促すのは人類の太古の昔から行ってきていることです。

無理なく、幼児に危険を察知し、回避することを覚えさせるには、やはり、親御さんが山や海などの自然界に子供の身を置く機会を設けることです。幼児の頃から自然に親しむことが出来れば、学ぶことが数多あることに気付きます。親子で身近な山や磯辺などに散歩に行くだけでも、四季折々の自然に触れ、親子の会話も弾みます。

さて、石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第四章 「漢字を教えない」のが漢字教育の基本」に、「言葉を使って体験を表現させることが大切」という項目があります。引用してご紹介します。

言葉を使って体験を表現させることが大切

幼児への試験は大きく分けて、言語による知能テストと図形による知 能テストの二通りありますが、私は言語によるもののほうか知能指数を より正確に表現できると思うのです。というのは言語は知能そのものだ と言っていいと思うからなのです。

言葉か正しく使えて、その言葉の教が多い子どもほど知能か高くな っています。知能は言葉によってつくられるということは、今では学者 の間でも定説になっています。知能というものは、かっては生まれつき であると言われていたのですか、幼児期につくられるということもわかり ました。幼児期に言葉によって形成されることもわかったわけです。

ですから言葉の教育をしっかりやるということが、知能を正しく発達さ せる道なのです。そして言葉の中でも最も安定したものが文字ですか ら、子どもに文字を使わせることが一番の近道なのです。文字を知ることによって、子どもがひとりでどんどん学習ができるわけです。

体験ということが大事ですし、言葉を使ってその体験を表現するとい うことが、人間としての知能を向上するのに役立つのです。できるだけ 生きたいろいろな体験をさせるということは、親が子ども対してやれる最 良の教育ではないかと思います。

ペーパーテストで知識を詰め込むよりも、もっと基礎になる生活のま わりのさまざまなものを、体験をさせることのほうか大切です。体験させ るだけではなく、質問をして考えさせることが大事です。これによって、 子どもは「観察」して答えることになるのです。

言葉を通さないと、ただ見るだけでは「見れども見えず」ということに なるわけです。私たちは毎日同じ場所を往復していて、道にあるものを 見ているはずなのに、何があったかと聞かれても答えられないものが たくさんあります。それと同じことです。

ポイント:赤ちゃんのうちは世界は家庭の中だけですから、ヨチヨチ歩 きができるようになったら図書館でも美術館でも動物園でも、い ろいろなところへ連れ回して世界を広げてやることです。連れて 歩いてさまざまなものを見させ、感じさせ、場合によっては質問 して考えさせる、これが一番能力を伸ばすことなのです。知識を 詰め込むのではなくて、考えさせることです。

・・・先日、「松森天満宮での親子セミナー」を実施しましたが、その時には理解できなくとも、後になって得心することができる体験が有ります。

それらの体験について、親御さんが子供さんに質問して考えさせる。子供なりの答えを出す。そうする事を繰り返していくと、子供さんは行動する際に観察する力が増し、その観察を基にして答えるようになってきます。

日々の生活の中には、様々な体験に伴う「何故」が有ります。それについて、子供さんに質問することが、考えることになり、言葉を使って説明することが知能の向上に繋がります。

 

 

posted by at 08:29  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

小学校受験後がスタートです。

小学校の受験を経験すると、幼児から小学生へと階段を一段登ります。

人生の長い道程に例えると、

赤ちゃんから幼児までの時期は、親に付き添われて平坦な道を歩むことに似ています。抱っこされているところから、ヨチヨチ歩き。親に手を繋がれて歩く。手を振りほどいて自分の意思で歩く。外出しているほとんどは、必ず側に親が付き添いますし、道も安全な道を通ります。

平坦で安全な道から、小学生への階段を一段登ると、人生の登山道の上り坂に踏み入ります。そこからは自らの足と意思で一段ずつ、登り続けなければなりません。踏み石があれば幸いな方で、泥道やガレ場(大小さまざまな石が散乱する礫地。不安定な石が多い)もあり、足元や進むべき道筋を自分の目で確かめながら登り続けなければなりません。

 

その為には、平坦な道を歩む幼児期から徐々に小学校以降の登山道に耐えうる脚力をつける必要があります。つまり、子供の「脚力」=「国語力」と考えるべきなのです。

国語力をつける「学び」を重ねていくことは、まさに脚力をつけ人生の難関峰に挑戦できる気力と体力、そして強い意志を育てることになるのです。

先にご紹介したカール・ヴィッテの教育法(https://rashinjyuku.com/wp/?s=カール・ヴィッテ)にあるように、子供に「学ぶ」忍耐力をつけさせるには、親御さんの強い意志が不可欠です。

 

小学校六年、中学校三年の義務教育期間は、親にとって長いようですが、あっという間に過ぎ去る、との印象を多くの親御さんが後にもたれます。そして、この九年間は人生の基盤をつくる非常に重要なときです。そのスタートの号砲は、小学校受験後(幼稚園・保育園卒園後)から小学校入学前に鳴る、と考えるべきではないでしょうか。

小学校に上がってから、小一時間の授業についていけない子供さんがいるという事実は、山道に入って登り続けるだけの脚力をつけないまま登山道に踏み込んでいることを示します。当然、子供さんは前に進めず泣きじゃくるしかないことになりかねません。

片や、小学校就学前からしっかり「脚力」(=「国語力」)を子供さんにつけておくと、率先して先頭を歩み出します。先頭を歩み続けて真っ先に頂上に到達する爽快さを知ると、自分の意思で新たな山(目標)を目指すことになります。

小学校就学前に、「読み」・「聞く」・[話す」は、しっかり身につけておかねばなりません。登山道に入る際に、登山靴を履き、適切な衣服を身に付け、必要な水や食料を携行しなければならないのと同様です。

 

posted by at 08:53  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

小学校受験の意味

就学前の幼児さんが小学校に進学する際、受験を経るか否かで、小学校就学後の成長の度合いに違いがあります。

一般に、幼児さんが小学校受験をする際に、小学校に上がる前から受験準備の学びをすることに反対気味なのがお父さん。お母さんは、男親に無い独自のお母さん人脈の情報から、「鉄は熱いうちに打て」という原則通り、我が子の成長の為の受験にも学びが必要であると考え準備をします。

私共は、塾生をお預かりし国語教育を基本に据えて、「読むこと、聞くこと、話すこと、書くこと」を徹底することが、学力の向上に必須である信じています。幼児さんが就学後、様々な科目に取り組む際に、内容を理解するには、1に国語力、2に国語力、3に国語力、と言える程、国語力は学ぶ為の基盤です。

その国語力をつけるには、受験は良い切っ掛けになると考えています。

就学希望の幼児さんに受験を課す小学校は、建学の精神、教育の目的、理念などにより、一定水準の試験を設けます。小学校側が求める水準と親御さんの教育に対する熱意や考え方が学校側と基本的に一致しているか否かで、合否が決まります。幼児さんに求めるものは、学ぼうとする素直さや一所懸命さなどです。

幼児さんからすると、受験をすることは大きな試練です。

つまり、家庭内で読んだり書いたり、描いたりすることは日常です。ところが、受験の場で赤の他人である試験官から指示されて行動したり、質問に応えたり、限られた時間内に問題に取り組むことなど、非日常を初めて経験するからです。

小学校受験は、身近な人では無い他人と初めて接することから、例えて言いますと、成長する為の「通過儀礼」的なものです。

この様に考えると、幼児さんが小学校受験を経て、しっかり国語力をつけていくと、一年後には見違えるほど、お兄さん、お姉さんになってきます。

posted by at 16:44  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

国語教育と辞書

国語辞典や漢字辞典などを日常的に引いていると、言葉や文字に対する感度が鋭くなります。塾生には意味のわからない言葉や漢字、自分の口で説明できないものは、辞書を引いて音読し、ノートに記すよう指導しています。

ある塾生(小1)が、「消息」を調べ、ノートに「便り」とだけ記しています。そこで、質問。

「便りとはどんな意味?」

「ん〜ん。」

「自分で説明できないなら、もう一度調べてみたら。」

素直に再度辞書を引き、「知らせ。あることのようすや成り行き。」とノートに記しました。

意味調べをするのは、低学年の子供にとってとても大事な学びの機会です。更に、漢字の読みが分からない時には、漢字辞典で調べます。国語辞典や漢字辞典を両方とも使いこなすことが出来るようになると、子供さんの語彙力は飛躍的に上がり始めます。

 

さて、石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第四章 「漢字を教えない」のが漢字教育の基本」に、「『智慧』のある子に育てよう」という項目があります。引用してご紹介します。

「智慧」のある子に育てよう

「知」という字がありますが、口と矢でつくられています。「矢」は速い ことを意味するもので、昔は矢より速いものはなかったのです。光陰矢 の如しといったように、矢のように速いという形容が、昔からよく使われ ています。口から早く答えが出てくるということは、頭にその知識が十分 にあるということを示しているわけです。

」というものは、私たちの頭に入っている知識を総称した字なので す。しかし、この「知」の働きというものは、磨けばもっと偉大な働きをし ます。この「知」を磨いて、それ以上のものになったときに「」という字 になります。遂に、この「知」が使われないでいると、その機能が衰えて きます。その状態が「」です。つまり、これらは元は一つの言葉で、知、 智、痴の三つがなければ不完全なのです。ところが国語審議会は、当 用漢字を制定するときに「智」の字を削ってしまったのです。

「知」のある人間のことを知者といいます。言葉として知者といえば知 者智者痴者と三つが考えられるわけです。しかし、当用漢字が制定 された昭和22年以後、この智者という言葉はなくなってしまったのです。 ですから、今の日本には智者がいないのです。たとえいたとしても、そ れを表現することができません。漢字がなくなると正しい表現ができな くなるわけです。このように漢字というのは重要な働きをするのです。

教育は、知識を増やすのが目的ではありません。常用漢字の中には 「智」という字はないけれど、「智慧」というのは本当はこの字でなければならないのです。知識としてはないけれども、ものを解決する能力、 それが「智慧」です。そこへもって行かなければならないのですが、学 カテストとか入学試験は、知識だけを問題にしています。いかに知識の 多い人間を採用するかというのが、今の学校側の姿勢です。

知識というものは、頭の中に入れておく必要はありません。それを取 り出す方法さえ知っていればいいのです。いくら頭がよくても、詰め込 む知識には限界があります。機械的に知識を詰め込んでも、正確に簡 単にそれが引き出せなければ、何の意味もありません。

今は、智慧のある人がいないから、世の中がおかしくなっているので す。頼るのは知識ばかりで、知識を生かす方法、つまり智慧がないの です。

そもそも、現代の教育は、小学校から大学に至るまで詰め込み式に 知識を植えつけるだけです。ようやく知識偏重教育の弊害に気づいた のか、就職試験の際に、学歴を問わないとか、面接を重視するというと ころも出てきました。会社にとって大事なのは、知識の多い人間より智 慧のある人間です。

ポイント:「書く」ことは自分の思いを表現することなのですから、少なく とも小学校の中、高学年になってからやればいいのです。作文 教育も、小学校一年生からやるなどということは本当に無意味で す。

・・・「智慧」とは、「事の道理や筋道をわきまえ、正しく判断する心の働き。事に当たって適切に判断し、処置する能力。」

また、仏教的な意味合いでは、「空など仏教の真理に即して、正しく物事を認識し判断する能力。これによって執着や愛憎などの煩悩を消滅させることが出来る。六波羅蜜の一つ。般若。」

更に、哲学的には、「単なる学問的な知識や頭の良さではなく、人生経験や人格の完成を俟って初めて得られる人生の目的・物事の根本の相に関わる深い知識。叡智。ソフィア。」

とあります。

塾生それぞれの個性を見定めて、少しでも「智恵」を深めてもらえたらと念じつつ接している毎日です。

posted by at 08:35  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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