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家庭教育の重要性

「動機付け」について、塾生のお母様方とお話しする機会を先日設けました。何より、家庭教育の要はお母様ですから、子供さんの教育に熱意をお持ちの方々ばかりです。ご多用中にも関わらず約二時間お付き合い願い、感謝申し上げます。

さて、石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第四章 「漢字を教えない」のが漢字教育の基本」に、「家庭教育の重要性」という項目があります。引用してご紹介します。

家庭教育の重要性

家庭教育というものは、夫婦が同じ方向で子どもを育てようとしない 限りうまくいきません。どんな子どもに育てるのか、どんな教育をするの か、しっかりと話し合うことが必要です。

できれば、子どもが生まれる前から夫婦で相談しておくことが大切で す。夫婦の一番大きな仕事というのは、子育てだからです。

いくら父親が外で働いているといっても、わが子を立派に育てる責任 は、母親と半分ずつ持たなくてはなりません。よく話し合って、両親が 納得した上で育てることが大切です。

どんなに忙しい父親でも、子どもの教育というのは楽しいはずです。 子どもと遊ぶということは気分転換にもなります。

そういう意味では、父親の役割も非常に大きいのです。無関心であ っては困るし、ましてや子どもの教育に対する考え方が母親と反対とい うのでは困ります。

教育の「教」という字の右側には「父」という文字が使われています。 昔は、父親は外に働きに行くのではなく、家の中で仕事をしていました。 子どもは、父親の仕事を見て育ちました。そして父親のやり方の真似を します。真似をすることを、日本では「真似ぶ」といいました。

この「真似ぶ」という言葉が「学ぶ」に変化したのです。今使われてい る「学ぶ」とは少しニュアンスが違って、本来は真似ることを意味してい ます。では、誰の真似をするのかというと、父親です。真似をしたときに、 指導助言をするのが父親の仕事です。

「そういうときにはこうするんだよ。それじゃ手を切ってしまう……。こ ういうように持ってやれば怪我をしないんだよ」

これが“教える”ということなのです。

教育の本質は父と子が交わることです。一緒にいることが教育の原 点なのです。そして子どもが自主的に父の真似をする、これが学問の 「学」の始まりです。学ぶときには、当然のことながら父親が指導助言し ます。それが独立して「教」という字になるのです。漢字の成り立ちから 調べていくと、「教」という字と「学」はまったく同じなのです。

ポイント:テレビで育った子どもには、自分で自分の世界、つまり煩わし くない自分一人の世界に閉じこもってしまい、言葉が吸収されな くなっているケースが多く見られます。たくさんの言葉が頭に入 らないから頭脳が発達しません。いろいろな言葉を使って体験 を頭の中に認識できないと、智慧というものは蓄積されないわけ です。

・・・毎日忙しく日常の為すべき事をこなされているお母さん。同様に多くは外で一所懸命に働かれているお父さん。それぞれ子供さんの成長を何より楽しみにしています。

以下の写真は塾生が自作した作品。昨日お披露目。「おーっ」と思わず声が出る作品です。作った本人の身長を超える、大胆で個性的な「にゃんこだるま」です。日頃から、塾生の創作意欲を引き出しておられるお父さんの支援で完成しました。まさに「教育の本質は父と子が交わることです。一緒にいることが教育の原 点なのです。」を体現する作品です。

posted by at 08:16  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

漢字の成り立ち

幼児さんが文字にどのように反応するか。繰り返し目にするものは自然と記憶に残りますが、そうでない場合は文字の形と音の印象により記憶しているようです。漢字カードなどを用いて読みを問うと、画数が多い難しい漢字でもすらすら言えるようになります。

さて、石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第三章 教える漢字は一日一字!」に、「漢字の「漢」はどうしてサンズイなのか」という項目があります。引用してご紹介します。

漢字の「漢」はどうしてサンズイなのか

たとえば漢字の「漢」という字は「さんずい」だから、「水」に関係ある 文字です。ではどうして「漢」には水の印がついているんだろう? とい うふうに話を持ち出します。

子どもたちは不思議だなという顔をします。そこで初めて、漢字の 「漢」がどうして「さんずい」かという疑問を持つのです。

そこで漢字の「漢」のお話を始めます。まず中国の地図を書きます。 幼児のいる家庭でしたら、ぜひ世界地図と日本地図は購入しておいて ください。

こんな説明でいいのです。

「ここに黄河という川が流れているんだよ。中国の中央には揚子江と いうのが流れている。二つの川のちょうど真ん中を漢水という川が流れ ていて、そのあたりを漢といったんだ。その漢の中ほどに漢中というとこ ろがあってね。昔、この漢中の王様に劉邦という人がいて、これがもの すごい英雄だったんだ。項羽というもう一人の英雄と戦って秦の国を滅 ぼし、漢帝国という王朝をつくったんだよ。なぜ漢王朝という名前をつ けたかというと、漢水のちょうど中ほどにある、漢中の劉邦が王朝をつく ったから、漢中の『漢』をとって国の名前にしたんだよ。

その漢という国は、今から2000年ほど昔につくられた国だけれども、 中国を統一すると文字を新しく制定したんだ。漢王朝が制定した文字 だから漢字という。この文字は隷書といって今の楷書とは少し違うけれ ども、楷書の基になる、つまり今の漢字の基礎だったんだ。だから今で も漢の名前を取って『漢字』といわれている。でも漢というのは川の名前 だから、“さんずい”がついているんだね」

こういう教え方をすると、漢字とはそういうものかと目が開かれるので す。そうすると子どもは考えるのです。どんな字でも「これはこうだよね」 と言ってくるようになります。そういうときに、もし子どものいうことが違っ ていても、違うと言ってはいけません。

「面白いね、そうだね」と言ってやるのです。子どもが発明した考え方 はみんな受け入れてやりましょう。

「違うだろう、そうじゃないよ」と言ってはいけません。

子どもなりに納得できれは、その漢字について認識が深まったことに なりますから、何も「辞書にこうあるよ」などということを、いちいち言わな くてもいいのです。

 

・・・大人である私たちも、かって子供の頃、漢字の意味合いについてどのように考えたら良いのだろうと、疑問を持ったことがあります。「なんでだろう?」と問いを発するとき、子供が成長の階段を一段登るときです。この好機を捉えて、親が「学び」を促すことができれば、それが習慣化され「一人で学ぶ術」を見つけていきます。

posted by at 08:10  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

国語教育と道徳教育

国語教育は極言すれば、赤ちゃんがこの世に生まれてきた瞬間から始まります。まだ目の見えていないときでも、声のする方に注意を向けているのがわかりますし、目が見えるようになると、話し手の口元や目を見ます。従って、赤ちゃんに声をかける話し手は、正しい日本語を用いる必要があります。

赤ちゃんから幼児になると、言葉を覚える速度が飛躍的に高まります。その時期からまず教えていきたいのは、倫理(人として守るべき道)や道徳(人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行動するための規範)です。

これについて関連する記事として、あるブログからの引用記事をご紹介します。

【ニッポンの新常識】日米ともに道徳教育が不十分 戦後「修身」は GHQが禁止 K・ギルバート氏 2015.04.04  https://www.zakzak.co.jp/soc/rensai/soc33503.html

日米ともに道徳教育が不十分 戦後「修身」は GHQが禁止

世界一発行部数が多い書物は聖書である。60億冊から3880億冊まで諸説 あり、実数はよく分からない。明治維新以降、キリスト教徒が1%を超え たことがない日本でも、過去に約3億5000万冊の聖書が頒布・販売された。

大ベストセラーはよく「聖書の次に売れた」などと評される。近年では 『ハリー・ポッター』(シリーズ4億5000万部)や、『ダ・ヴィンチ・ コード』(8000万部)などが浮かぶ。

一番売れた日本語の小説は吉川英冶『宮本武蔵』の1億2000万部だそう だ。漫画では、1位は尾田栄一郎『ONE PIECE』(3億8000万 部)、2位がさいとう・たかを『ゴルゴ13』(2億8000万部)…と続く。

さて、米国には全832ページ、厚さ約5・5センチ、重さ約1・2キロも あるユニークなベストセラーがある。「第2の聖書」とも呼ばれ、3000万 部も売れ、私も1990年代に購入したこの本のタイトルは『The  Book of Virtues』、道徳読本である。著者のウィリア ム・J・ベネット博士は、レーガン政権時代に教育長官を務めた。

われわれが身に付けるべき「徳目」を10個選び、詩や寓話(ぐうわ)、 説話、名著などを引用して、学べる構成である。10個の徳目とは、「自 己規律」「思いやり」「責任」「友情」「勤勉」「勇気」「忍耐力」「正 直」「忠誠」「信仰」だ。

 米国では伝統的に家庭と教会が道徳教育を行う。家庭の道徳教育とし て、子供にベッドで読み聞かせるのに合うため、巨大な本が大ベストセ ラーになったのだ。

・・・「勧善懲悪」(善を勧め、悪を懲らしめること)に関する話は、古今東西(昔から今までと、東西四方あらゆるところ)多くの人に親しまれてきたものの一つです。最近は、ポリティカル・コレクトネス(political correctness 政治的、社会的に公正・公平・中立的で、且つ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のこと)という概念が日本でも用いられるようになり、かってから親しまれてきた寓話、説話、名著など一部の表現を論(あげつら)う(欠点短所などを殊更に言い立てること)人がいて、次第に引用されなくなっている嫌いがあります。寓話、説話、名著などが生まれて来た時代や背景を度外視して、現代の風潮で判断する愚は犯すべきではないと考えるのですが。

子供さんの教育を第一に考える親御さんの立場に立つと、善悪・正邪はしっかりと判断できる人になって欲しいと思われるはずです。その意味では、寓話、説話、名著を活用して、しっかりした道徳・倫理観を持たせつつ、国語教育に活用できる素材を常に探し求める必要があるのではないでしょうか。

posted by at 08:28  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

読めども読めず

子供さんが学習する際に、教科書や問題集を音読、または黙読する様子を観察すると、どれくらい理解しているかが分かります。読書も然り。

心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味

心ここに在らざれば、視れども見えず、 聴けども聞(きこ)えず、食(くら)えども其の味を知らず。

四書(儒教の根本経典とされる『中庸』『論語』『孟子』『大学』)の「大学」より

・・・心が上の空であれば、視ているようでも実際は肝心なことが見えていない。聴こうとしていても同様にその意味することの本質を聞いていない。食しても、食物の本来の味がわからない。何事も精神の集中が大切であるということです。

「読書百遍意自ずから通ず」と言われる程、熟読含味(文章をよく味わいながら読むこと、十分に内容を読み取ること)することは、学ぶ上でとても大事なことです。学習面では、基本中の基本である「教科書」をしっかり読み抜くことが出来なければ、言葉、熟語、概念、定義、等が身に付かず、所謂「わかった」つもりで終わり、時が経つと対応出来なくなります。

日本人には学ぶ為の『漢字』という素晴らしい表意文字(言葉を意味の面から捉えて、一字一字を一定の意味にそれぞれ対応させた文字)が有り、語彙の意味合いを理解しやすくなっています。従って、漢字の字義(文字の意味)をしっかり理解することは、学習効果を高めることになります。

さて、石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第三章 教える漢字は一日一字!」に、「読めても意味がわからないのでは何もならない」という項目があります。引用してご紹介します。

読めても意味がわからないのでは何もならない

」を知ることとはどういうことなのかとお思いでしょう。これこそ私の 漢字教育でもっとも重視していることなのです。

じつは目で見えるものは、カードを使ったり、絵本を使ったりして教え ることができますが、たとえば「冷たい」とか「熱い」とかを教えるにはどう したらいいのでしょうか。これを教えることが「」を知ることです。

「形・音・義」という言葉があります。漢字教育では「形」は書くことに、 「音」は読むことになりますが、その形や音に生命を与えているのが 「」なのです。を理解することは、その字が持つ本当の意味を知る ことです。

たとえば「冷たい」という字を「つめたい」と読めて、なおかつ書けたと します。

しかし、この意味を知らなければ何にもならないわけです。この字を 教えるには、子どもに氷の入った袋を持たせてみて、その袋に「冷た い」という漢字カードを貼っておいて、実際にこの感触を知って、指が かじかむような感覚が“冷たい”ということなんだということをわからせな ければならないのです。

この体験こそが「冷たい」という漢字の「」なのです。この「義」をもって、「つめたい」という(言葉)と「冷たい」という(字形)とに結びつけ、 そしてこれを大脳に経験として記憶させることこそ本当の漢字教育なの です。

こういう形で学習すれば、子どもは、この「冷たい」という字を見れば、 それを触ったときの感触がよみがえり、その体験を思い出します。

単に字が読めても、その字が正しく書けても、このような体験を伴わ ないとすれば、漢字教育が成功したとはいえないのです。漢字は体験 を呼び起こさせるシグナルなのです。

・・・幼児期に限らず、小学校の時期に、具体的に分かりやすく漢字の「義」(または「字義」)を学ぶと、漢字の熟語の理解が早まります。そうすると、「同義語」「対義語」や「同音異義語」など、語彙が弥増していきます。社会人として恥ずかしくない語彙力を小学校のときに身に付ければ、知的好奇心は自然と増していき、自ら学ぶ大きな推進力になります。

posted by at 17:40  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

国語(小学校)の授業時間

国語教育が何よりも重要である、と筆者は日頃から力説しています。そして、家庭教育と学校教育がより良く連動して、子供の成長に不可欠な教育効果を上げることが、家庭と教育関係者の責任です。「性相近し、習い相遠し」(せいあいちかし、ならいあいとおし:人の生まれながら持っている性質にはあまり差は無いが、その後の習慣や教育の違いによって、大きな差ができてくるということ。)と論語にあります。まさに、後天的な要素が子供の成長に良くも悪くも影響を与えるということです。

以下は文部科学省のホーム・ページからの引用です(国語のみ引用しています)。因みに、下記欄は左から小学校1年、2年、3年、4年、5年、6年生の表です(表中の数字は年間の授業時数。括弧内の数字は週当たりの授業時数)。

小学校における各教科等の授業時数等の変遷

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/attach/1399513.htm

昭和22年度~

国語 175(5) 210(6) 210(6) 245(7) 210-245(6-7) 210-280(6-8)

昭和36年度~(昭和33年改訂)

国語 238(7) 315(9) 280(8) 280(8) 245(7) 245(7)

昭和46年度~(昭和43年改訂)

国語 238(7) 315(9) 280(8) 280(8) 245(7) 245(7)

昭和55年度~(昭和52年改訂)

国語 272(8) 280(8) 280(8) 280(8) 210(6) 210(6)

平成4年度~(平成元年改訂)

国語 306(9) 315(9) 280(8) 280(8) 210(6) 210(6)

平成14年度~(平成10年改訂)

国語 272(8) 280(8) 235(6.7) 235(6.7) 180(5.1) 175(5)
  • ※ 表中の数字は年間の授業時数。括弧内の数字は週当たりの授業時数。
  • ※ 表中の1単位時間は45分。

 

 

現段階(平成14年度〜)での各学年で、国語と総授業時数との割合を計算してみると、以下のように学年が上がるごとに低くなっています。

1年生 272/782時間(23週)=34,8%

2年生 280/840時間(24週)=33,3%

3年生 235/910時間(26週)=25,8%

4年生 235/945時間(27週)=24,9%

5年生 180/945時間(27週)=19,0%

6年生 175/945時間(27週)=18,5%

・・・年間の授業時間だけをみても、その内容や成果を云々できませんが、少なくとも国が国語教育を重視しているかどうかは推測できます。先進諸外国では、基本的に国語の授業を重視しています。何故なら、算数、理科、社会など国語力をしっかりと身につけなければ、教育効果が低いと 考えているからです。約20年前(1997)の段階、つまり現在の30歳代以上のお父さんやお母さんの小学校時代、日本では全教科の四分の一の時間が国語の授業ですが、ドイツで は二分の一です。基礎教育である小学校で、国語をしっかり学ぶことが、その後の算数や理科を学ぶときに大いに役立つと考えているのです。言葉や語彙の量と質が高くなければ、しっかりした学習はできないということがよくわかっているのです。

posted by at 08:51  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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