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目標をしっかり掴む

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す幼児教育・学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

当塾では、近い将来「難関大学・医学部」を目指すことができる塾生を育てるのが目標です。

さて、その為のよすがとして、当ブログで度々ご紹介しています石井式漢字教育指導法で著名な石井勲先生が松下政経塾で昭和57年から3年ほど行われた「大学」の講義をまとめた書「初めて読む人の『大学』講座」(石井勲著 致知出版社)から、引用してご紹介します。

目標をしっかり掴む

止まることを知って而(しか)る后(のち)に定まること有り。定まって而る后に能(よ)く静かなり。静かにして而る后に能く安し。安くして而る后に能く慮(おもんばか)る。慮って而る后に能く得(う)。

まず究極の目標・理想というものを掴むということを確認する。それが「止まることを知る」ということです。認識すること、その究極の目標を捉えるということです。そうすると「定まること有り」。つまり、心がが安定するわけですね。迷いがなくなる。ああしようかどうしようかと迷っているのは目標がないからです。目標がはっきりと掴めていないからです。

皆さんだって究極の目標を掴まえておれば迷いはないわけです。迷うということはつまり、究極の目標がわかっていないということ。「止まることを知る」というのは、そういうことです。目標が掴めれば迷いがなくなるから安定するのです。

定まって而る后(のち)に能(よ)く静かなり。」静かというのは動揺しないということ。自分では安定していたつもりでも、何かちょっとした事件があったりすると「はてな?俺はこんなことでいいんだろうか」なんてグラグラするのは、心に動揺があるということです。これは結局、安定していないということです。安定すれば、つまり目標がちゃんと掴めて、迷いがなくなって、心が安定すれば、何があったって動揺することがなくなる。

静かにして而る后(のち)に能(よ)く安し。」とは、本当に迷いなく、一途に目標に突き進んでいくことができる。「定まる」とか「静か」とか「安し」というのは、実をいうと大体みんな同じことです。迷いがなくて、少々のことがあっても、心が動揺しないという状態、それができて「而る后(のち)に能(よ)く慮(おもんばか)る。」というわけです。

物事を考える場合には、ちょっとしたことで動揺するような時期には、いくら学問をしても深まりません。この「慮」という字は学問を深める。つまり大いに思考を重ねるというという意味です。「慮」という時は、虎冠に「思う」という字がついていますように「思考する」ことです。十分な思考というものは、心に迷いや動揺があってはできないわけですね。心に迷いなくしっかりと定まれば、自然と深い考察ができる。そうすれば「能(よ)く得(う)。」で目的を達することができるというんです。

 

・・・私共の塾の基本は、「自主・自立 自ら律して学ぶ」ことを身に付けることです。

これを、十歳を越える前に日々の習慣付けにしていきたいと考えています。蓋(けだ)し、幼児期から年齢を経ると、学ぶこと努力することを厭い(いとい:嫌と思う)がちになり、安易に流れてしまうからです。それが経験的に、十歳前と後の境目にあると考えています。

真面目に取り組むことを尊重する人達と、足を引っ張るマイナスな人達はいつの時代も併存し、世の中ではどちらかというと後者の人達が大多数です。

我が子を人かどの人物に育て上げるためには、周囲の意見にとらわれず、純粋に我が子にとって何が必要であるかを見極める親の識見(物事に対する正しい判断・考え)が必須です。

以上、羅針塾が考える三歳児くらいから始まる幼児教育と、それに連続する学びの重要性を取り上げました。

石井勲先生の目標をしっかり掴む」とは、「自主・自立 自ら律して学ぶ」ことを身に付けることが前提であると考えます。

 

posted by at 15:37  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

言葉遣いは品格を決定する

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す幼児教育・学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

さて、

「言葉は気品の泉源なり」というコラムが「日本の礼儀作法」〜宮家のおしえ〜 竹田恒泰著(マガジンハウス)に、論考がありますので、引き続き引用してご紹介します。

「言葉は気品の泉源なり」

「言葉が変われば人生が変わる たった一言で一目おかれる魔法の言葉とは」

(前略)

言葉遣いは、使い手の品格を決定付ける重要な要素であることに疑問を挟む人はいないだろう。先に箸の上げ下げについて述べたが、それと同様、たかが言葉されど言葉、言葉を変えるだけで人生が変わるなら、美しい日本語を取得しない手はない。

階級社会の英国では、 (中略)

いくら外見を上品に装っても、言葉を変えない限り、簡単に見破られてしまう。外見を装うのは比較的簡単なことだが、言葉を変えるのは、よほど努力しないといけない。

しかし、幸い日本は英国のような階級社会ではないため、アクセント一つで先祖代々の職業を判断されることはない。日本はだいぶおおらかである。誰もが一目を置くような「美しい日本語」を話せるのは、皇族などに限られるわけではない。日本語の正しい知識を持ち、少々訓練をすれば、誰でも「美しい日本語」の使い手になれるのである。

・・・確かに、公共の場や公共交通機関を利用していると、「ヤバイ! ヤバくない!まじぃ、信じられない」などという言葉を頻繁に耳にします。

その場にいても、そのような言葉遣いをする人の顔をふと見てしまうぐらい、別世界の言葉であるように思えます。

「言葉は世につれて」変化するものですが、本来の言葉の意味合いとは違う意味で用いられると、さすがに違和感があり、そのような言葉遣いをする人達の家族の背景はどのようなものだろうかと、要らぬ世話ですが考えてしまいます。

子供さんでも正しい言葉遣いをしていると、その育ちの良さを感じます。

日本人は、代々家族の良き有り様を繋いできた民族です。「品」の良し悪しは、誰しもその社会的な地位に限らず、大事にしてきた根本であると考えます。

posted by at 15:50  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

幼児教育は何故必要か。

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す幼児教育・学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

幼児教育は何故必要か。

これを受けることによって、自らの未来を切り開いていく切っ掛けとなるからです。

長い人生を歩んでいくと、ふと我身の来し方を考えることがあるのは何方も同じでしょう。幼い日の一コマが鮮やかに蘇ってくる。将来の日本を支える子供達が、いずれ大人になり、そして年老いて過去を振り返ってみるとき、自らのご両親の教えや薫陶が有難いことに気づく。幼い頃の一日一日が重なってこそ、今があると。

さて、週刊こぐま通信「代表のコラム」に「将来の学びの基礎としての宇治教育」に参考となる記事がありましたので、引用してご紹介します。https://www.kogumakai.co.jp/column/president/891.html

これまで全く教育に関係のなかった企業が小学校受験をビジネスの対象にし、教育の原理原則を踏まえない「合格させればなんでもあり」の発想による教え込みの教育によって、業界は混乱しています。大小を問わず、明確な指導理念を持って子どもの指導に当たってきた幼児教室がこうした動きに影響され、苦悩しています。そうした「合格請負人」の詰め込み教育で多くの子どもたちが傷つき、そうした子どもたちの入学後の問題行動に、小学校側からも懸念が表明されています。
幼児教育に対する動機づけとして「小学校受験」は意味があると思います。ただ、幼児教育の原理原則もなく、自動車教習所のような訓練を受験教育と思われたのでは、これまで小学校受験に真摯に向き合ってきた指導者が報われません。今こそ受験教育のあり方を糺す時だと思います。

・・・日本全国の塾、学習教室の心ある指導者は、同じような思いを持っていることでしょう。

賢く智慧のある人になって欲しいと念願しながら、子供達と接している指導者は日々精進しています。

posted by at 15:07  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

礼に始まり礼に終わる

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す幼児教育・学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

挨拶を交わす際、相手との関係、時や場合によって、その仕方が異なります。塾生には、場面に応じた対応ができるようになってもらいたいと考え指導しています。幼児さんの場合は、何事も基本から始めます。

さて、「動作の作法」の基本について、「日本の礼儀作法」〜宮家のおしえ〜 竹田恒泰著(マガジンハウス)に、論考がありますので、引き続き引用してご紹介します。

礼に始まり礼に終わる

日本には「礼」を重んじる風習がある。礼も一瞬の所作だが、正しい礼は美しく、見るものの目を引く。しかし正しく礼ができる人は意外と少ない。品格のある人は、そのような決められた動作、すなわち「型」通りの動作ができる人である。動作の作法の中で、最も重要なのは「礼」ではないだろうか。礼とは会釈やお辞儀のことだが、その一瞬の動作ができるか出来ないかによって、その人の評価が決まってしまうのである。

(中略)

礼には「型」があり、いつどのような礼をするかは、全て慣習によって決められている。その「型」通りにに礼ができるかどうかが問題である。そのためには、礼の決め事を知識として知っておく必要がある。礼自体は決して難しいものではないので、その「型」を知れば誰でも実践できると思う。

礼は相手に対して敬意を表する動作で、代表的には次の四つの場合がある。

①出会いと別れ際の挨拶、②御礼や謝罪などで相手に礼を尽くすとき、③部屋の入退室時、④各種動作の前後、である。部屋の入退室時と動作の前後で礼をすることはあまり実行されていない。ということは、これを行なうかどうかで大きく差が付くのである。動作の前後に礼をする姿は実に美しいものである。

・・・一般論としては上記の通りですが、では具体的には?、ということでお話は続きます。

例えば、家に招かれた場合、次のようなときに礼をする。まず一礼して建物に入り、出迎えてくれた方に挨拶をするに当たって礼をする。そして、応接間に誘導されたなら、一礼してから入室する。主人と会ったら挨拶に当たって礼をして、椅子を勧められたなら、一礼してから着席し、また一礼する。そして、お茶やお菓子を出されたら一礼してお礼の言葉を述べ、頂くときには「一拝一拍手」の作法を行うか、もしくはそれを簡略化して一礼して「いただきます」と述べるのもよい。そして食べ終えたら、また「一拝一拍手」もしくは一礼して「ごちそうさま」と述べる。何かを拝見するときは、その前後に一礼。何か品物を差し出すときや、受け取るときも、その動作の前後で一礼する。そして帰り際は、まず一礼してから席を立ち、また一礼。部屋を出たら寝屋の内部に向かって一礼し、別れ際の挨拶に当たって礼して、最後建物の外に出たら、建物の内部に向かって一礼する。

・・・様々な「礼」をする場面があります。相手を敬う気持ちの表現、招かれたことに敬意を表すること、また、接待を受けることや、接待させていただくことへの感謝の気持ちを表すことなどです。

その「型」を身につければ、何事にも対応することができ、優雅な挙措動作となります。

 

posted by at 15:26  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

受験に臨む動作の作法

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す幼児教育・学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

小学校・中学校・高等学校・大学と受験の機会にある面接試験。これは面接試験の会場への入退室、面接官との面接へと続く一連の流れがあります。その際に、それぞれの場面に応じた動作があります。それを正しく、美しくできることは、受験の高い評価につながります。

幼児さんが受験する試験も同様です。面接官の前に出る以上、幼いからといってぞんざいに面接に臨めば、良い評価は得られません。

その為に「動作の作法」の基本について、「日本の礼儀作法」〜宮家のおしえ〜 竹田恒泰著(マガジンハウス)に、論考がありますので、引き続き引用してご紹介します。

美しい動作には型がある

正しい礼は人を感動させるほど美しいもの 礼には作法の全てがあると言ってよいかもしれない

決まった動作を決められた通りにこなすことは、美しい動作の基本である。例えば、能楽の型付け、歌舞伎役者の見得を切る動作、力士の四股(しこ)を踏む動作などは、「型」という伝統的に決められた動作で、その型にはまった動作が実に美しい。型は先人たちが何百年も研究と改良を積み上げてきた結果であり、一人の浅はかな経験で完成できるものではない。伝統芸能の所作が完成されたものであるのは、型を重んじてきたからである。

そういった「型」という決められた動作は、伝統芸能の中にのみあるのではなく、私たちの日常に溢れている。例えば、人と会った時や別れ際に何気なく交わす会釈や挨拶はその典型で、一瞬のことながら、その人の品格が知れる。とはいえ、型から外れてはいけないということはない。ただし、しっかりと型を持った人があえて型を外すと「型破り」といって肯定されるが、型を持たない人が型を外すとただの「型なし」になってしまう。やはり、まずしっかりと型をおさえておくことが肝要である。

このように、決められた動作を正しくできれば、必ず美しいものになるはずである。そして、型通りの振る舞いができる人は、「常識のある人」として信頼される。日常動作の型を自然体でこなせるようになるためには、①型を知ること、そして②日々その型通りの動作を繰り返して自分のものにしておくことが大切である。儀礼を行う決まった作法を「礼式」という。

・・・立ち振る舞いの「美しさ」は、見るものに清々しさを与えます。日本人の長い伝統の中で培われた「動作の作法」は、代々受け継いでいくべきものです。

当塾では、幼児期からしっかりと動作の作法を伝えます。すぐに出来なくとも、繰り返し練習しつつ過ごすことで、身についていきます。話す相手と正対し、目を見ながら応答することから始まります。

posted by at 15:25  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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