‘ 学習塾・幼児教育 ’ カテゴリー

「今こそ必要な宗教心」

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す就学前教育(プレスクール)学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。その為には、日本の伝統・文化・歴史などを踏まえた人間形成が必要です。その一助となるessay(随筆)がありますので引用してご紹介します。

さて、藤原正彦お茶の水女子大名誉教授の「いまこそ必要な宗教心」(読売新聞2004年10月18日)という随筆を引用してご紹介します。

お伊勢参りをした。伊勢神宮には五キロほど隔てて内宮(ないくう)と外宮(げくう)がある。内宮は天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつり、外宮は衣食住や産業のお守り豊受大御神(とようけおおみかみ)をまつる。とりあえず内宮へ向かった。

土産物屋の並ぶ通りを抜けると五十鈴(いすゞ)川にかかる大きな橋がある。かってお伊勢参りの人々は、ここで身と心を清めたと言う。なるほどと思わせる清浄な流れである。優雅な曲線を描く川上に目をやると、どこか荘厳な緑の山々が連なっている。橋を渡ると玉砂利の境内である。神域とも言えるここに足を踏み入れた江戸時代の人々は、ありがたさに涙したといわれる。

名所観光なのだろう。旗を立てた団体客が玉砂利に大きな音を立て、運動靴を引き摺る若者達が、冗談口を叩きながら砂煙を立てていた。瞼(まぶた)を拭う者などどこにもいない。往時は五十鈴川で履きかえた新しい草履で、口数も少なく粛々と歩いたのだろう。

境内を埋める鬱蒼(うっそう)たる巨木に圧倒されつつ、正殿へ向かった。皇祖をまつるというからにはさぞかし豪壮なものだろう。と想像していたら、切妻萱(きりずまかや)ぶきの屋根に高床づくりの質素なものだった。宮殿というより弥生時代の立派な倉庫の趣である。一瞬あっけにとられてから、この慎み深い古代美を、華美に走ることなく二千年近くを守り通した日本人の、見識と美意識に感銘を受けた。

高下駄を吐いた神官に導かれ、御前でうやうやしく参拝した、二礼二拍手一礼がきまりだが、歴代天皇も参拝された皇祖神ということでさすがに緊張したのか、礼を一つ余計にしてしまった。冷や汗をかいたが、多い分はていねいに過ぎたということだから、天罰も降るまいと考えた。

江戸時代、お伊勢参りは頗る盛んで、多い年には五百万に達したらしい。当時の人口を考えれば五人に一人である。庶民に旅行は許されなかったが、寺社参拝のためなら許されたから、『東海道中膝栗毛’とうかいどうちゅうひざくりげ)』のように、物見遊山(ものみゆさん)を兼ねてお伊勢参りや善光寺参りに繰り出したらしい。。一生に一度のお参りのため、小額の金を出し合い伊勢講を組み、毎年くじに当たったものが行く、などということをしていた。白衣に菅笠(すげかさ)、筵(むしろ)を背負っての旅立ちだった。参宮者を助けるのは功徳ということで、街道沿いの裕福な商家や寺は食事や宿舎をただで提供したという。なんと美しい日本の風景であろう。

彼らは各地でのお寺参りやお宮参りで、私と同じように無病息災や加護を祈り感謝を捧げたのだろう。彼らの意識に、宗教の違いや教派の違いはなかったろう。神と仏の違いさえなかったのではないか。日本人が神仏に手を合わせるのは、宗教ではなく宗教心である。戦後、公立学校では、宗教教育が禁止されたはずみで、宗教心までが切り捨てられた。神仏に手を合わせるという先祖代々の美風、日本人の心髄と言って良いものが捨てられたのである。何か人間をはるかに超えた存在にひざまずく、という心は物質主義、功利主義、傲慢の氾濫する現代にこそ、求められる。心髄を失った国民は風にそよぐしかない。

 

・・・神宮(じんぐう)とは、三重県伊勢市にある内宮(ないくう)および外宮(げくう)を指します。詳細は神宮のホームページに→https://www.isejingu.or.jp/

内宮の一の鳥居

・・・二千年の歴史を有し、日本人の「心の故郷」と称される伊勢神宮は、日本全国にある8万5千以上もある神社の最高位とされます。

しかし、学校では教えない近現代史として、

先の大戦後昭和20年(1945)12月15日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本政府に対して覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」いわゆる神道指令(しんとうしれい)を発しました。

指令を受け、幣原喜重郎内閣は12月28日に、ポツダム勅令で宗教法人令を公布施行し、宗教団体法を廃止して、、宗教団体の国家統制を廃止しました。

つまり、日本占領下において、強制的に日本の法律を廃止させたのでした。その時、神社本庁は指令により神道の信仰が「不当に圧迫された」としましたが、その当時の抵抗は、言わば「蟷螂の斧(とうろうのおの」でしかありません。

葦津 珍彦(あしづ うずひこ・日本の神道家)は神道指令に関する昭和35年(1960)の論文で、「重大な障害がない限り」(”as long as there is no serious obstacle”)占領軍は「被占領地の信仰と慣習に干渉すべきでない」(”should not intervene in the religious faith or customs of an occupied area”)ということがハーグ条約で定められていたとして、日本占領軍による神道の弾圧は国際法からの逸脱だと批判したそうです。(wikipediaからの引用)

 

・・・宗教弾圧によって大打撃を受けた神社は、現在では見事に復活していますが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の呪縛は日本に大きな傷跡を残しています。

 

答えを安易に教えない

長崎市五島町にある
難関大学・医学部を目指す
就学前教育(プレスクール)
学習塾 羅針塾です

羅針塾は最初から解き方を
教えません
良書のテキストを読んで
解き方を自分自身で導き出していきます

そのように出来るように「国語力」の基本基礎を
磨いていきます
しっかりと聞き取ること
確実に読む力
圧倒的な語彙力
早くミスのない計算力を身につけます
同時にノートを自分自身でしっかりと
書きとることを学びます。

近年、基本基礎力を疎かにし
応用問題や受験対策問題ばかりに
注力する傾向があります
その結果はどうでしょうか?

一部のできる子(圧倒的に成績がいい子)と
全くできない子の二極化が進んでいます。

国立公立校も
確実な学力をつけさせることに
目を背けている状態
進学塾では全くできない子に
思いっきり時間とお金をかけさせるという
なんともいびつな教育になっています

基本基礎をしっかりと理解すれば
自分自身で考え解きだす、学びだす
これが本物の学問だと考えています

「賢い子」になるために
一度間違えた問題を丁寧に解き直す
図や絵に書いてみたとき
一つ一つ調べてみたとき
少しづつヒントをあげたとき

「あ!!そうだ!!わかった!」となります

このときの顔は(もう教えないでくださいっっ!!)の顔です

「本物のトップ!」になるために
どうしても「今」わからないときは
一度、寝かせるのも手だよ。と言います
他の問題を解いている時に

「あ〜あ〜ああああ〜!できた!!」と

自分自身で解けたときはスカッとします。
この体験がトップ!!に近づいていきます

posted by at 19:34  | 学習塾・幼児教育

「できなかった」は理由にならない

長崎市五島町にある
難関大学・医学部を目指す
就学前教育(プレスクール)
学習塾 羅針塾です

確実に、素直に、前向きに学ぶ子には
何も指摘することがなく
黙々と取り組む塾生さん達

近年、駆け込みで入塾する中学受験
その取り組みを見ていると
「家で、できませんでした。」と
堂々と言う子が特に多い。

先生達は、受験するのは誰だろう?と
話をします。

成績が伸び悩む子
なかなか軌道に乗れない子
に限って

できない理由を色々と話します。

同じように、小学校受験の学びでも
なかなか定着しない子は
自宅での復習が甘い
できない理由をお母様が話します。

しかし、
受験間際にバタバタと慌てるのは
お母様達
「どうにかしてください。」と焦ります

確実に、一歩づつ学ぶ御家庭は
着実に成長していきます。

学びに「できない理由」
「できなかった理由」はありません
特に羅針塾では通常宿題はありません
決められた復習と確実にできる量に
取り組んでもらいます

正しく、丁寧に学ぶ

羅針塾の先生達がいつも話します
確実に理解できるようにする
そのための演習であり復習です

「賢い子」になるために
幼児期から
小学校低学年から
着実に学ぶことはとても大切です

やりたくない理由を
できない理由、できなかった理由に
すり替えることがないように

自分自身で学ぶ力をつけることが
必要です。

「本物のトップ!」になるために
確実に理解する、良問を解き
演習量を確実にこなしていく
なんとなくの予習ではなく
確実な予習が必要です。

posted by at 19:25  | 学習塾・幼児教育

机に向かう習慣をつける

長崎市五島町にある
難関大学・医学部を目指す
就学前教育(プレスクール)
学習塾 羅針塾です

自ら素直に、前向きに、学ぶ姿勢をつくる
幼児期から少しづつ取り組ませていく
羅針塾

幼児さんに次はこれをしてね
次はこんなことをすると
「はい!」といい返事で
準備をし取り組んでいきます

学び出す時期がはやいと
自然と年上の中学生や小学生を観察して
真似ていきます。

また、小学校受験のために
学び出す幼児さんも
段々と自分自身の
「我」をコントロールして
一所懸命に学ぶようになっていきます

お母様達は
「「これをしなさい!」「まだやってないの!」と言うことがないですね。通塾がない日でも帰ったらすぐに机に向かってやらなくてはいけないことを終わらせ、また興味があることを取り組んでいます。本当に羅針塾で学んでいるお陰です。」

嬉しいことをお話ししてくれました

自分で学ぶことができるように
なってくると学ぶことを厭わなくなります
もっと!知りたい。
もっと!力をつけたい。と
考えるようになります。

「賢い子」になるために
正しく学ぶ、丁寧に学ぶことが大切です。

「とにかくプリントをさせれればいい」では
賢くなりません
「プリントばっかりは面白くない。つまんない!」と
幼児さんの言葉です。

「本物のトップ!」になるために
一日も休まずに学び続ける
自分のために学び続ける
継続は力なりです。

posted by at 19:41  | 学習塾・幼児教育

学ばせるべきは誇り高き日本の文化

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す就学前教育(プレスクール)学習塾 羅針塾では、「国語力が基本」という「学ぶ」為の大前提があります。その為の方策を工夫しています。「千里の道も一歩から」というように、就学前から素読、片仮名・平仮名の文字から始まり、一歩ずつ進めていきます。

さて、藤原正彦お茶の水女子大名誉教授の「学ばせるべきは誇り高き日本の文化」(産経新聞2004年3月29日)という随筆を引用してご紹介します。小学校の英語教育必修化以前の20年ほど前の文章ですが、根本的な問題点を指摘しています。

(前略)

小学校での英語教育を主張する人の大多数は、英語が不得意の人である。自分ができないのを何かのせいにする、というのは人情である。かっては、文法や読解に重点をおいた従来の英語教育法が悪い、と声高に叫ばれた。その結果、教科書や授業で会話英語が大幅に取り入れられた。そんな教育を受けてきた大学生の英語基礎力の低下は、関係者からよく指摘されることである。しからば他の理由ということで、「小学校から始めなかったことが悪い」となった。

英語力ゼロに近いほとんどの小学校教諭が、児童に一体何を教えるのか。ブラックユーモアとしてなら世界中に受けること必定だが、教えられる子供達は気の毒である。

たいていの日本人が英語をなかなか会得できないのは、日本人にとって英語自体が極端に難しいからという理由に尽きる。何かが悪いからではない。日本にいて英語をマスターしている人はすべて、外国語適性の高い人が膨大な時間と労力をかけた結果である。

英語は文法的にも文化背景からいっても、日本語からあまりに遠い。アメリカ国務省は、外交官などのために外国語学習の難易度をランキングしているが、日本語はアラビア語とならび最難関とされている。この距離ゆえに、日本人にとって英語は根本的に難しいのである。そのうえフィリピン、シンガポール、インドなどと違い、日本で日常生活を送るうえで日本語以外の言語はまったく不必要である。どうしても習得しなければ、という動機も覚悟も湧きにくい。

これらは嘆くべきことではない。外国語が不必要というのは、他のアジア・アフリカ諸国と異なり、かって欧米の植民地にならなかったという栄光の歴史を物語っている。英語から遠いという事実は、世界を席巻しつつあるアングロサクソン文化に対し、自然の防波堤を有するということである。母国語こそが文化の中核だからである。我が国に美しく花開いた稀有の文化、人類の宝石ともいうべきものを、荒波から守る為の神の思し召しと感謝してよい。

英語をマスターすれば国際人になれる、という驚くべき誤解が国民の間に根強いようだ。いうまでもなく国際社会では、一芸に秀でた人はともかく、一般には英語という伝達手段の巧拙ではなく、伝達内容の質で人間は評価される。質の向上には自国の文化や歴史などの教養とそれに基づく見識が必要である。米英で4年余り教えたが、この意味での国際人は私の見るところ、両国でもたかだか数パーセントである。逆にぎこちない英語ながら、国際人として尊敬されている日本人を何人も知っている。

伝達手段の英語をマスターし、かつ自らの内容を豊かにすることは、並の日本人には不可能という辛い現実を素直に国民に伝えねばならない。内容を豊かにするためには、読書を中心とした膨大な知的活動が必要であり、これが膨大な英語習得時間と、並の人間にとって両立しないのである。うまく両立させられる日本人は、千人に一人もいないと考えてよい。

ある統計によると、仕事のうえで英語を必要としている人は18パーセントにすぎない。基本的に英語は、中学校で全員が学んだ後、必要に迫られている人やそんな仕事につきたい人が猛勉強して身につければよいものである。この場合でも教養や見識は英語より上にくる。海外駐在商社マンも日本の文化や歴史を知らないと、然るべき人間と見做されず商談の進まないことがある。

国を挙げてのフィーバーは、滑稽を通り越して醜悪である。為政者は、国際化だ、ボーダーレス化だ、などと軽薄な時流に乗って国民を煽るより、真に誇るべき日本の文化や情緒を子供達にしっかり学ばせ、祖国への自信と誇りを持たせることが肝要と思う。

 

・・・20年ほど前は、小学校への英語導入の可否が喧(かまびす)しく議論されていました。筆者は基本的に英語の小学校導入、その後の必須科目化には反対です。蓋(けだ)し、かって文科省が採った「ゆとり教育」という大愚策の修復も為さず、国語力の充実も図らず、安易に小学生にとって難しい英語科目導入で無理な負担を課すことになるからです。

藤原先生の言われる「英語は文法的にも文化背景からいっても、日本語からあまりに遠い。」ことを、日本の小学生に強いることは、日本全国に英語嫌い、ひいては勉強嫌いを蔓延させるようなものです。

・・・しかしながら、英語が教科化され、成績評価される以上は、それに対応するしかありません。筆者は、就学前教育や小学校低学年時に、しっかり国語力(語彙力、読解力)をつけた子供達から、英語教育に入っていきます。

さらに記事を表示する

月別アーカイブ

長崎|羅針塾学習塾トップページ

羅針塾 SNS

  • Facebook
  • Instagram
  • Twitter
PAGE TOP

新着ブログ

  1. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  2. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  3. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  4. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  5. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支…

月別アーカイブ

羅針塾 SNS

  • Facebook
  • Instagram
  • Twitter