‘ 学習塾・幼児教育 ’ カテゴリー

夏期講習も終盤に2〜数学・算数検定終了〜

長崎市五島町にある
難関大学・医学部を目指す
就学前教育(プレスクール)
学習塾 羅針塾です

夏期講習、最後の土曜日
数学・算数検定の日です
この日のために小学生は
一所懸命に準備してきました。

中学生は余裕??だったかな?
(現学年の数学は終了しているので復習、試験の時間配分を掴む学びになります)

幼児さんも頑張りましたよ〜
緊張していた幼児さん
問題を読み上げる先生はヒヤヒヤしていました
間違いに気がついてくれて、ホッと一息

数学・算数検定を行うようになり
塾生さん達の算数に対する
興味も変化しました
予習で自分自身で学んでいくため
数学・算数の成績も格段にアップしました。

先生達は受験時に少しでも有利になれば
と、考えて取り組み出した
数学・算数検定
効果は抜群です!

「賢い子」になるために
算数・数学も毎日の積み重ね
ミスがないように何度も解く
身体が覚えるまでです

「本物のトップ!」になるために
数学・算数の力がつきだすと
本当にノートが美しくなります
立式も乱れることがなく
図もテキストと同じように
線分図も狂いがないように書けます

「国語力」があればこそ
何が書いてあり、問われているかが
理解できるのだと考えます。

posted by at 15:54  | 学習塾・幼児教育

大詰めの今週末

長崎市五島町にある
難関大学・医学部を目指す
就学前教育(プレスクール)
学習塾 羅針塾です

来週の月曜日から
中学生は実力試験
私立小学校では始業式と
夏期講習も今週末が大詰めです

学んだことを理解し覚えて
応用できるような柔軟な思考力を
身につけなければいけません

一問、一問が勝負になります

速く、正確に解き上げる

簡単な問題でも100点は難しい
だからこそ、何度も何度も取り組み
自分自身のミスしやすい癖を取り除いて
いきます

この、大事な勝負期に
「学校の自由研究が終わっていない」

「学校のコンクール向けの作文が終わっていない」

と、言うのはもってのほか

長い夏休み
沢山、自由時間もあったはず
夏休み最初に終わらせておくべき
お母様達も、夏休みの最初に
そばについて終わらせるべきだと
考えます

「賢い子」になるために
時間の使い方はとても大事です
学びも効率よく、ダラダラとは
解きません

夏休みの時間の使い方が
上手くなるようにお母様が
配慮した子供達は
二学期からも集中し効率よく
学んでいきます

「本物のトップ!」になるために
実力試験の範囲は3回やりなさいね。
いつも、声をかけます
そして、夏休みは
だらけることなく、3回効率よく
取り組みなさい。と
声をかけています

中学生の結果!楽しみにしています。

posted by at 17:56  | 学習塾・幼児教育

差がつく二学期〜夏休みに何を学んだか〜

長崎市五島町にある
難関大学・医学部を目指す
就学前教育(プレスクール)
学習塾 羅針塾です

後、一週間程で二学期が始まります
二学期からの授業は、猛スピードで
進んでいきます

特に「算数」の授業進度は速い
この二学期でつまづく子が多いのが
特徴です

四則計算、単位、図形、分数や小数など

算数のややこしい課程は
この二学期で全て学んでいきます

「うちの子が勉強できないような気がする・・」

と、感じるのも二学期です

夏休みに何を学び身につけたかで
大きな学力差になります

先生達は
夏休み前に入っても、学校に通学し学んでいるときと同じように自宅や塾で学ばないといけませんよ。と伝えていました。

毎日の計算、じっくり取り組める
応用問題
長い時間があったからこそ
一学期の復習
新学期からの予習を取り組むと
二学期からもスムーズに学ぶことができます

せっかくの夏休みだから、残りの一週間はゆっくりと、・・・は甘い!
もう、机に向かう準備をやらなければ!
二学期から机に向かうことが苦痛になります

「賢い子」になるために
幼児さんも小学一年生も
一所懸命に学んだ夏です
もうすぐ、小学校一年生の算数問題集終わるね。
と、伝えたら
満面の笑みで「はい!」と
答えてくれました

「本物のトップ!」になるために
二学期への準備に取り組んでいる
小学生達
自分自身の力で学び取ったことが
しっかりと成績へ反映されてきます

自信を持って学び続ける。ことが
大切です。

posted by at 18:19  | 学習塾・幼児教育

夏期講習も終盤に〜漢検終了!〜

長崎市五島町ある
難関大学・医学部を目指す
就学前教育(プレスクール)
学習塾 羅針塾です

夏期講習も残り一週間を切っています
羅針塾の学びの総まとめの一つ
漢字検定を行いました。

約五ヶ月で準備をするのですが
今回はダブル受験(二つの級)の
塾生さんが多く、いつもより学びの時間が
掛かりました

また・・・

小学生四・五年生が
高校生の級(準2級、2級)に
挑戦しています

毎日、毎日、ふ〜ふ〜言いながら
語彙力を上げるための学びを
小学校一年生から全ての小学生が
取り組んできました。

この、漢字検定が終わると
語彙力が上がり
全ての教科への読解力
理解する力がグッとアップします

もちろん、成績もアップします

よく、入塾前の面談時に
「我が子も漢検合格しています。」という
話を多く伺います。
しかし、合格しても一時的にその級の漢字が
書けるだけで、語彙力・読解力はありません。

羅針塾での学びは問題集や過去問を
解くだけではありません
自分自身の本当の力になる学び方です

「賢い子」になるために
ある模試の速報で国語満点!がでました
やはり、漢検・語彙力の賜物です。

国語力をアップする学びに取り組む

どんなに長い長文でもしっかりと理解し
速く正確に読めます。

「本物のトップ!」になるために
中学生は準一級にも取り組んでいます。
それは、難関校・医学部へ進学する
準備として更に語彙力に磨きを
かけるためです。

posted by at 17:12  | 学習塾・幼児教育

日本の素晴らしさを伝える 2

日本の素晴らしさを伝える1「上皇上皇后両陛下と硫黄島の英霊たち」からの続きをご紹介します。

上皇陛下・上皇后陛下行幸啓  硫黄島

 

■6.硫黄島での慰霊の御製・お歌

 平成の時代には様々な災害に見舞われましたが、上皇上皇后両陛下は、そのたびに被災地を訪問され、被災者たちを慰問され、救援者たちを励まされてきました。まさに共同体の絆を強めることで、大御宝である被災者たちの安寧を祈られてきたのです。

 それと同時に、両陛下が戦災地を廻られる慰霊の旅を続けてこられたことは、縦軸の共同体の絆を強めることであり、縦軸と横軸の一対をなす祈りでした。

 平成6(1994)年2月、両陛下は硫黄島に行幸されました。徒歩半日ほどで一回りできる小島を、大戦末期に2万余の日本軍将兵は36日間も持ちこたえました。米軍は死傷者2万6千近い大損害を受け、米国内では実質的な敗戦ではないか、との一大論争が巻き起こりました。こんな小さな島を奪うのに2万6千余もの犠牲を出していては、日本の本土決戦となったら、どうなるのか、と。

 この戦いの直後に、強硬に日本の無条件降伏を主張していたルーズベルト大統領が急死し、ポツダム宣言が提示されて、ようやく日本の有条件降伏への道が開かれたのです。[JOG(191)]

 硫黄島の地で、両陛下は次の慰霊の御製を詠まれました。

 精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき(天皇陛下)

 慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲(ほ)りけむ(皇后陛下)

 硫黄島にはいまだ1万3千柱の遺骨が地下に眠っています。英霊たちは一日わずか500ミリリットルの水しか与えられずに、40度、50度となる火山島の地下で壕を掘り続けたのです。

 

・・・硫黄島(いおうとう)の戦いBattle of Iwo Jima)昭和二十年(1945)2月19日〜3月26日は、大東亜戦争末期に東京都硫黄島村に属する小笠原諸島の硫黄島において日米間で行われた激戦です。当時の天皇陛下の慰霊の御製は、日本陸軍13,586名、海軍7,347名の必死の戦いに臨んだ将兵へ向けられたものです。

 

■7.お声をとり戻された皇后陛下、天に昇る無数の火柱

 実は、このご訪問の前年10月20日、皇后陛下は突然倒れられ、以来、お声を失われていました。医師の所見としては「何らかの強い悲しみを受けたことで一時的に言葉を発せられない症状が出たのではないか」ということでした。当時、週刊誌などが「皇后陛下バッシング」を盛んに行っていた事が原因であったのは、誰の目にも明らかでした。

 ですから、その4ヶ月後に硫黄島に着かれた時も、皇后陛下は言葉を失われたままだったのです。ところが、硫黄島での参拝を終えられると、突然、東京都遺族連合会の石井金守会長に「ご遺族の方たちは、みなさん元気でお過ごしですか」と声をかけられたのです。

 硫黄島の遺骨収集に参加し、両陛下ご訪問時の様子を自衛官から聞いた窪山忠成氏が次のような手記を残されています。
__________
 平成六年、天皇陛下が皇后陛下とともに硫黄島に慰霊におこしになられた。その際、両陛下は島内の「鎮魂の丘」にお立ち寄りになられ、硫黄島の戦いで亡くなられた方々に祈りを捧げられた。

 それまで硫黄島では、頻繁に『霊障』のようなものが起きていて、『おーい」と言う声が聞こえたり、ドアを叩く音が聞こえたり、廊下を歩く音が聞こえたりと、それがあまりにも多いので、隊員達は困っていたという。ところが、陛下が硫黄島を御訪問され、皇后陛下とともに祈りを捧げられたその夜、無数の多くの『火柱のようなもの』が天に登っていくのが見えたそうである。[祖國と青年]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この記事を書かれた鈴木由充氏に「霊」の話をしてくれた硫黄島駐在の自衛官は、最後にポツリとこう語ったそうです。
__________
 でもね、平成6年に天皇皇后両陛下が硫黄島に来られたことがあったでしょう。そのときに霊がピタッと出なくなったって言うんですよね・・・[祖國と青年]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■8.「姿なきあまたの御霊(みたま)国護るらむ」

 鈴木氏は以上の一連の出来事について、こう記しています。
__________
 無数の火柱が天に登っていく--それは、祖国のために精根込めて戦い、人知れず散っていったその労苦を両陛下にお認めいただいたことによって昇天した「御霊」の姿であったに違いない。そして、硫黄島の地から解き放たれた彼らは、これからは護国の英霊として「海陸のいづへを知らず」この国を護って下さることだろう。

 そう思うと、皇后陛下がお声を失われたのも、焼けつくような喉の渇きに耐え続け、ただひとすくいの水を願った将兵の苦しみを受け止めるために、神々が与えられた試錬だったのではなかったかとさえ思われてくる。その後、硫黄島で御霊との邂逅(かいこう)を果たされた皇后陛下はお声を取り戻され、御霊は昇天した。[祖國と青年]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「海陸のいづへを知らず」とは、平成9(1997)年に発表された「終戦記念日」と題された皇后陛下の次のお歌です。

海陸(うみくが)のいづへを知らず姿なきあまたの御霊(みたま)国護るらむ

 姿なき無数の御霊が、海陸を問わず、我が国を護ってくれているだろう、という御思いです。そのように先祖の霊が見守ってくれているなら、その気持ちを受け継いで、我々も子孫のために、しっかりと国を護らなければなりません。

 社会の中で互いに励まし支えあう横の絆と、先祖の護りに感謝しつつ子孫のために尽くす縦の絆とで、大和心は織りなされています。一人でも多くの日本国民がこの大和心に目覚めることで、国民が互いに「処を得て」大御宝として大切にしあう「仕合わせ」の国に近づきます。それが神武天皇が目指された「真の日本」なのです。

 

・・・魂や霊の存在を感じざるを得ない感動的な逸話です。

縄文時代(さらにそれ以前)から連綿と続く日本。幾多もの自然災害や危難を乗り越えてきた日本人の祖先達の生き抜く力があったからこそ、現在の日本人にその力を繋いできていると考えれば、これからの日本の未来を引き継いでいく子供達も希望や活力が湧いてくることでしょう。

 

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