長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、日々の会話の中でも正しい言葉遣いで話すことを奨励しています。その為にも正しい国語文法を学ぶことが大事です。
さて、『大学』を素読する14です。
詩に云わく、樂只(らくし)の君子は民の父母と。民の好む所之(これ)を好み、民の惡(にく)む所之(これ)を惡(にく)む。此(これ)を之(これ)民の父母と謂(い)う。
詩に云わく、節(せつ)たる彼(か)の南山、維(こ)れ石(いし)巗巗(がんがん)たり。赫赫(かくかく)たる師尹(しいん)、民具(とも)に爾(なんじ)を瞻(み)ると。國(くに)を有(たも)つ者は以て愼(つつし)まざる可(べ)からず。辟(へき)すれば即ち天下の僇(りく)となる。
詩に云わく、殷(いん)の未(いま)だ師(もろもろ)を喪(うしな)わず、克(よ)く上帝(じょうてい)に配す。儀(よろ)しく殷(いん)に監(かんが)みるべし。峻命(しゅんめい)易(やす)からずと。衆を得(う)れば即(すなわ)ち國を得(え)、衆を失えば即(すなわ)ち國を失うを道(い)う。
是(こ)の故に君子は先ず徳を慎む。徳有れば此れ人有り。人有れば此れ土(ど)有り。土(ど)有れば此れ財(ざい)有り。財(ざい)有れば此れ用(よう)有り。
徳は本(もと)なり。財は末なり。
本を外(そと)にして末を内にすれば、民を爭(あらそ)わしめて奪うことを施(ほどこ)す。
是(こ)の故に財(ざい)聚(あつま)れば則(すなわ)ち民(たみ)散じ、財(ざい)散ずれば則(すなわ)民(たみ)聚(あつ)まる。
是(こ)の故に言悖(もと)りて出ずる者は、亦(また)悖(もと)りて入る。貨(か)悖(もと)りて入る者は、亦(また)悖(もと)りて出(い)ず。
(現代語訳)
○詩経(南山有台篇)に、「ゆったりとして楽しげな君主は民の父母」とあるが、民の好む所を好み、民の悪む所を共に悪む。このように民と好悪を共にする君主を民の父母というのである。
○詩経(小雅節南山篇)に、「そそり立つ高いあの南山は、石がいかめしく積み重なって、天下の総ての人が仰ぎ見るように、週の太師である尹氏という人は、地位が優れて高く、民は目を睜(みは)って彼を仰ぎ見詰めている」とある。国を有(たも)つ君主は慎まねばならない。私利我欲に片寄ってわがままになると、身は弑(しい)せられ国は亡されて、大きなはずかしめを受けることになる。
○詩経(大雅文王篇)に、「殷(いん)は善政を施してまた人望を失わず上帝(天)と並んで天子の位にいたが、紂(ちゅう)に至り暴政を施して人望を失い、遂に天位を失ってしまった。そこで殷の変遷を見て、自らを顧みる鑑(かがみ)とせよ。天の大命はそうやすやすと降るものではない」とある。これは衆望(しゅうぼう)を得れば国を得、衆望を失えば国を失うことをいうのである。
○そこで君主は先ず徳を積んで慎む。そうしてそのその高徳の君主をしたって自(おのずか)ら四方から集まってくる。人が集まって来れば、土地が拓ける。土地が拓けると財物が多く生産されるようになる。財物が多く生産されれば、そこからいろいろな働きが活発に起こってくるわけである。
○要するに徳が本で財は末である。
○本である徳をおろそかにして、末である財を重んずれば、遂には民を争わせて奪い合うことを勧めることになるのである。
○そこで税を厳しく取り立てて、国に財が集まりすぎると、民衆は生活が苦しくなって他国へ去って行くようになる。逆に財を活用して民衆の幸福をはかれば、その風を聞いて他国からもどんどん集まってくるようになる。
○これと同じく道理に反した無茶な言葉を吐くとその仕返しとして暴言が返って来る。また財も無理をし入れたものは、やがて意に反して出て行くものだ。
・・・・・「徳が本で財は末である」「税を厳しく取り立てて、国に財が集まりすぎると、民衆は生活が苦しくなって他国へ去って行くようになる」などは、日本の「(経済成長しない)失われた30年」と重なります。税の国民負担率がほぼ50%にもなり、江戸時代の税負担よりも大きくなると、一揆が起きてもおかしくありません。更に、今年の米不足騒動は、大正時代の「米騒動」に匹敵します。
因みに、寛永14(1637)年の島原の乱は、島原藩主松倉勝家が領民の生活が成り立たないほどの過酷な年貢の取り立てが原因です。松倉勝家は、乱平定後一揆を招いた責任を問われ改易処分となり、後に斬首。江戸期に大名が切腹ではなく斬首とされたのはこの件のみです。