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努力前進 

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

致知出版の2025年9月号の「人生は挑戦なり」という特集記事が目に入りました。

引用してご紹介致します。

〝神の手〟を持つ男・福島孝徳医師に学んだこと

困難を極める脳外科手術において、患者の負担を極限まで抑える「鍵穴手術」を編み出し、世界中で活躍した〝神の手を持つ男〟福島孝徳医師。生前、日本で衣鉢を継ぐ愛弟子を数多く育てたが、その筆頭に挙げられるのが森山脳神経センター病院(東京都)の根本暁央医師だ。〝神〟と仰がれる領域にまで達した師にいかに食らいつき、自らを高めてきたのか。

・・・導入部分から、興味を引く内容です。どのような世界でも、人には師匠に当たる先立がいます。人の生死に直接関わる医療分野は、医療技術と医師の人間性が如実に表れる世界です。

努力前進ー師を”超える”道

先生からこんな質問をされたことがあります。
「手術でもゴルフでも何でもいい、上達するために大事なことは4つある。一つは才能、一つは指導者、一つは努力、もう一つは運。これを大事な順に並べてみろ」
僕は最初に才能、次に指導者、努力、最後に運と答えました。そうしたら「おまえは本当に馬鹿だな」と。
福島先生は「指導者、努力、才能、運」と言われました。
なぜかというと、いくら才能があっても、一人で努力したところでちゃんと上達することはできない。いい指導者に就くことが一番大事。そこで努力するからうまくなる。才能はそこに肉づけをしてくれるものだと言うんです。――がんちくある教えです。

先生が亡くなる前、僕は若い医師に先生の指導を受ける機会を増やしたいと思って、3年ほど距離を置いていたんですよ。2023年秋、久しぶりにお会いした時は、ほぼ一方的に、僕からその間のことを報告していましたね。
そこで言われたことが、「根本を見て思ったことがある。数をこなさなきゃだめだ」と。「それは先生、あの4つのどこに入りますか」と聞くと、4つ全部そろった上で、一番最後が場数。僕を見てそれに気がついたよって。最高の褒め言葉ですよ。それが、先生との最後の会話になりました。

――最後に最高の褒め言葉を。

僕の座右の銘は、「努力前進」です。努力とは、積み重ねること。つまり昨日よりも1歩前へ、道があろうとなかろうと進む。逃げないということです。
といっても、僕は先生を超えることを目指していません。むしろ目指してはいけない。先生を超えるなんて、先生より自分が優秀だと思っていることになります。そんなこと、あり得ないですから。

僕の人生における挑戦は、福島先生から学んだことを、自分の得意分野を通してアレンジして、超えるべき部分で超える。再構築という意味での継承です。それを次世代に伝えるべく、努力前進していきたいですね。

・・・この記事の本文は、致知出版の2025年9月号の「人生は挑戦なり」を読んでいただきたいものですが、上記の内容でも十分に含蓄があります。
やはり日本人は、様々な分野で仕事に真摯に取り組み、日々精進を続ける人々が国を動かし、多くの人を感動させます。これは長い歴史のある日本の国柄です。これからの日本を支える子供達にも、先人の努力や歴史的な事実を伝えていかなければなりません。
posted by at 15:13  | 塾長ブログ

学びと潜在能力

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

「脳が求める生き方 さらに前進する人の思考はどこが違うのか」(スポーツ脳科学者 林成之 日本大学医学部名誉教授)という記事が目につきました(致知20248月号)。詳細は致知をご覧頂きたいのですが、一部を引用してご紹介いたします、

キャッチ・コピーに「脳の本能を生かし、限界を超えて前進する秘訣を体験から解き明かしていただく。」とあります。

長年、塾を通して子供さん達を見ていると、「勉学」に向かう姿勢、心の持ち方、努力し続ける気持ち等、まさに千差万別です。

脳の最も厄介な”5つ目の本能”

脳は、いくつかの〝本能〟を持っています。中でも強い影響力を持つものがこの5つです。

「生きたい」

「知りたい」

「仲間になりたい」

「伝えたい」

「自分を守りたい」

これらの美しい本能を生かせば人は素晴らしい力を発揮できますが、なかなかそうはいきません。なぜなら、5つ目の「自分を守りたい」という自己保存の本能が、往々にして悪さを働くからです。

嘘をつく、失敗を隠す、言い訳をする。小さい子供でも自分を守る言動をします。何かに取り組む際にも目標を小さくさせるため、潜在能力を発揮する機会を奪う、最も厄介な存在と言えます。

・・・勉学をするか否か。

子供にとって「する」理由より、「しない」理由の方が圧倒的に多い。つまり、勉学は一日二日では終了せず、まさに「し続ける」必要があり、耐える力がない場合には、悪しき「自己保存の本能」が働くからです。

ただ、人間誰しも失敗はあります。大切なのは失敗しないことではなく、失敗しても止まらず、前に進み続けることでしょう。その意味で「さらに前進」、この言葉は脳の仕組みからして大変面白い、示唆に富んだ命題と言えます。

では、実際に脳の本能と向き合って「さらに前進」、潜在能力を発揮するにはどうすればよいか。

・・・「請われて様々な競技のトップアスリートの指導をさせてもらってきた経験」を元に、「脳にプラスになる言葉」を使うことが非常に重要であると、述べられます。

これは、「勉学」に向かう子供にとって、「脳にプラスになる言葉」を使うことが非常に鍵になることを示します。従って、スポーツにおけるコーチの役割を、親、先生が担えば良いのです。

潜在能力の弱点を知る

一方で、潜在能力には不思議な弱点があることも知っておかなくてはなりません。

その一つが、〝ゴール〟や〝終わり〟を意識すると途端に消えてしまうということ。

脳には「悔しい」「勝ちたい」のような言葉を使うことで潜在能力が消えていくこと。

潜在能力の大きな弱点が、否定語です。

試験の途中でも、全力を投じている時に「苦しい」「つらい」「もう無理かも」と後ろ向きの考えが浮かぶと、脳は新しい情報にすぐ反応するため、マイナスに機能してしまいます。否定語を話すことはもちろん、頭にも浮かべない。大変難しいことですが、いたずらに練習や勉強にエネルギーと時間を費やすより、これを徹底するほうが効果的と言えます。

・・・「勉学」と「スポーツ」には、多くの共通項があります。

例えば、一つの大きな目標に向かって「鍛錬すること」「努力の継続」「計画を立てること」などです。それらを継続し続けて、更に効果的に成し遂げるには・・・

さらに前進こそ脳が求める生き方

潜在能力を最大限に高め(鍛え)、発揮するには何が大切か。

脳のたくさんの神経核が連動することで潜在能力が生まれます。その力が発生する「原点」に従って「全力投球」することです。

人は往々にして原点を外れ、自分の都合がいいように書き換えてしまいます。この相手に絶対に勝ちたい、このテストで周りよりいい点を取りたい、というように。既に述べた理由で、これでは脳の多様な領域が連動しなくなります。

潜在能力が最も引き出される原点とは「人のために生きる」ことです。具体的には「誰かに勝ちたい」ではなく「観た人が感動する勝ち方をしたい」と願うことです。

(中略)

変化の激しい時代ですが、失敗を恐れていては決して前進できません。失敗は当然と考え、原点に立ち返り、失敗をカバーするほどの全力投球をすれば潜在能力は高まっていきます。「さらに前進」を合言葉に、脳が求める生き方を追求していきたいものです。

・・・原文は、世界的なレベルで戦うアスリートの例を挙げて説明されていますが、「勉学」の世界でも同様です。

潜在能力が最も引き出される原点とは「人のために生きる」こと、とありますが、これは子供にとっては、「勉学」し続けることが、身近な親だけでなく、「世の為、人の為」になるという意識を持つことです。そうすれば、さまざまな失敗や挫折も乗り越えていきます。

「失敗は成功の母」と言いますが、「さらに前進」という気概を持つことで潜在能力を活かし続けることができます。

posted by at 18:57  | 塾長ブログ

英語の筆記体を活用する

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

「日本の中学校で英語の筆記体を教えなくなったのは何故ですか」とAIのChatGPTとGrok3に尋ねてみました。

Grok3の回答が納得できたのでご紹介しつつ、英語の筆記体の効用について考えてみようと思います。

日本の中学校で英語の筆記体を教えなくなった主な理由は、以下の通りです:

1.  学習指導要領の改訂(ゆとり教育の影響)
2002年の学習指導要領改訂により、筆記体の指導が必須から任意に変更されました。これは「ゆとり教育」の一環で、生徒の学習負担を軽減し、基礎的な学力やコミュニケーション能力を重視する方針に基づいています。筆記体は実用性が低いと判断され、ブロック体(活字体)のみで十分とされたためです。

2.  デジタル化による実用性の低下
パソコンやスマートフォンの普及により、手書きの機会が減少し、筆記体を使う場面が激減しました。英語圏でも、日常的に筆記体を使う人は少なく、特に若い世代ではブロック体が主流です。ビジネス文書や試験問題もブロック体で作成されるため、筆記体を学ぶ必要性が低下しました。

3.  読みにくさと採点の問題
筆記体は個人の癖が出やすく、読みにくい場合があります。試験の答案で筆記体を使用すると採点者が読めない可能性があり、減点の原因になることも。このため、読みやすさを優先してブロック体が推奨されています。

4.  英語圏での筆記体離れ
アメリカなど英語圏の多くの地域でも、筆記体の使用頻度が低下しています。2010年の米国「コモンコア」基準で筆記体がカリキュラムから外れた影響もあり、若者は筆記体を読めない・書けないことが一般的です。ただし、イギリスや一部のヨーロッパ諸国では依然として筆記体が使われる場合もあります。

背景と経緯

•  かつて(1947年以降)、筆記体は中学1年生で指導され、速く書ける利点や教養としての価値から必修でした。しかし、1993年以降の学習指導要領で「指導してもよい」に変更され、2002年に完全に任意化。脱ゆとり教育後も復活しませんでした。

•  一部の中学生は「カッコいい」と感じ、独学で筆記体を学ぶケースもありますが、授業ではほぼ取り上げられません。

結論

筆記体を教える時間が英会話や他の実践的な英語学習に割かれるようになり、デジタル化や実用性の観点から、日本の学校教育では筆記体がほぼ姿を消しました。ただし、歴史的文書やサイン(署名)など、特定の場面で役立つ可能性はあるため、興味に応じて個人で学ぶのは有意義かもしれません。

 

・・・筆者は、大学生の頃から家庭教師をしていたので、英語の単語や英作文を学ばせるためには、まず筆記体をスラスラ書けることを前提としていました。従って、スラスラ書くことができない場合には、それを練習した上で先に進みます。

ところが、2002年の学習指導要領改訂により、筆記体の指導が必須から任意に変更された頃以降、筆記体が書けない生徒が急増。それに従って、英語を苦手とするものが増え始めました。それは英単語を覚えることを苦にし始めたからです。

ブロック体で英単語を書くのと、筆記体で書くのでは、圧倒的に後者が速度が速い。筆者の中学生の頃からの実体験でもあるのです。

英単語を覚えたり、英作文を書いて覚えるのにも、筆記体がスラスラ書くことがで出來、いわゆる体で覚えることに繋がります。ブロック体で書いて覚えるより、数倍効率が良いのです。

羅針塾では、小学校で会話中心の英語を始める頃から、ヘボン式のローマ字を始め、筆記体を覚えさせます。英語を筆記体で書くことが出来れば、ブロック体も自由自在となります。必要に応じて使い分けるのも自由です。

posted by at 18:35  | 塾長ブログ, 英語力ブログ

子供の読書習慣が学力を決める10(人生を開く良い本)

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

読書をする習慣をいかに幼少期につけていくかが、子供の学力向上に直結しています。

「致知」令和元年(2019)9月号からの引用の続き(最終回)をご紹介いたします。

よい本を読めばよい人生が開ける

川島 読書をすると頭の中でいろんなイメージが膨らみますけど、それは未来に想いをせるいい訓練になると思います。人として一番大事なことは、未来にイメージを膨らませることだと僕は思っているんです。
ところが、現代人の多くはいまを生きることだけで精いっぱいになっています。それでは犬や猫と変わりません。動物は過去や未来に想いをせることもありませんからね。多くの人はまさに動物化していて、いまがハッピーかどうかが行動原理になっているのを痛感するんです。

土屋 本当におっしゃる通りだと思います。

川島 しかし、読書をすれば先人の知恵に触れることができます。そしてもっと大きいのは、そこから新しいものを生み出していけることです。人類はこれまで、そうやって未来へ想いを馳せてきたからこそ発達してきたんです。
そういう意味で、いまは人類の発達を止める社会になっていて、そこにあらがう一番大きな力を持っているのが読書だと僕は思っています。未来を創るという点に読書の意義があると僕は思っているんです。

土屋 同感です。ただ、僕はやっぱり過去にもこだわりたいんです。現在は過去の累積の上にあるものですし、現在の延長上に未来もあるからです。そのことを日本はこれまで疎かにしてきたと思うんですよ。
読書には、自分を知るという大切な効能もあります。本を通じて古今東西の優れた人物と触れ合い、対話することを通じて自分を知ることができるからです。
僕は現役の教員だった頃、佐藤先生の勉強会で戦後教育の問題を痛感していましたから、日教組には入りませんでした。そのために散々いじめに遭って辛い思いをしてきたんですが、その時に和辻哲郎の『偶像再興』の「樹の根」という文章に出合って、鞭で打たれたような衝撃を覚えたんです。
和辻は書いています。「私は老樹の前に根の浅い自分を恥じた。そうして地下の営みに没頭することを自分に誓った。(中略)成長を欲するものは(中略)上にのびる事をのみ欲するな。まず下に食い入ることを努めよ」と。
それを読んで、和辻の書いている言葉がそのまま自分に当てはまることを痛感しましてね。自分はまだまだだと、気持ちを入れ換えて精進に徹してきたわけです。

川島 いいお話を伺いました。

土屋 そういう素晴らしい言葉に出合って自分を知る喜びを得られることが、やっぱり読書の醍醐味だいごみだと思うんです。
子供たちを観ていて感じるのは、彼らが読書を通じて様々な言葉を自分たちの中に入力していくと、だんだんその言葉に宿る命が、子供たちをコントロールし始めていくように思うんです。逆に言えば、子供たちは入力された言葉を実現しようと心が働いてしまうように感じているのです。
ですから、よい言葉をたくさん入力した子供は、それを実現しようと心が働くから、結果としてよい生き方が実現できる。そういう意味でも、子供たちに優れた人物の伝記やよい詩文に触れてもらうことは、とても意義のあることではないかと僕は思うんです。

川島 脳の働きから見ると、言語というのは思考のツールです。ですから我われの思考のレベルというのは、自分の内にある言語のレベルによって決まるんです。
例えば海外に行って向こうの人と英語で議論すると、僕らはなかなか勝てないんですよ。言語のレベルに思考のレベルが押し下げられてしまうからです。日本語でやれば対等に議論できるんですけど、向こうでは小中学生の言語レベルで議論するから完敗するわけですね。
同じことは子供たちを見ていても感じます。語彙の少ない子は思考の幅が狭いし、考え方が幼い。それはやっぱり思考のツールを十分持ち合わせていないからなんです。思考の脳は言語の脳がベースになっていることが明らかですから、子供たちには脳科学の面からもぜひよい本をたくさん読んでほしいですね。

土屋 きょうはおかげさまで国語の大切さ、読書の大切さを科学的な面からも理解することができました。僕はいま76歳で、いよいよ起承転結の結の人生に入りました。今回のお話も踏まえて、残りの人生を日本の教育のために精いっぱい捧げていきたいと念じています。

 

・・・「語彙の少ない子は思考の幅が狭いし、考え方が幼い。」

「それはやっぱり思考のツールを十分持ち合わせていないから」

語彙を増やす方法は、良い本をたくさん読むこと。そして、意味が分からない言葉が出てくると、辞書(字引き)を引いて、その意味を理解すること。それを繰り返すことによって、語彙が増えていき、人の考えを理解し、自分の意見を言えるようになります。また、考えを文章にすることもできるようになります。

これからの日本を担う子供たちには、スマホやゲームから離れ、良い本と巡り会い、志の高い良き友と出会って欲しいものです。

posted by at 18:26  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

子供の読書習慣が学力を決める9(本を読めない若者)

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

読書をする習慣をいかに幼少期につけていくかが、子供の学力向上に直結しています。

「致知」令和元年(2019)9月号からの引用の続きをご紹介いたします。

 

本を読めない若者たち

 

川島 子供に薦めたい本に限らず申し上げると、僕が大人になってから一番衝撃を受けたのが宮澤賢治の作品でした。大学に進学して以来東北に住んでいることもあって、ずっと意識していたんですけど、ある時朗読を聞いて体に電気が流れるような衝撃を受けたんです。

土屋 あぁ、朗読を聞いて衝撃を。

川島 自分で読んでいる時もそれなりにイメージしてきたつもりだったんですけど、朗読を聞いて賢治の書いている東北の景色が強烈に頭の中に飛び込んできて、そこから俄然、宮澤賢治の作品が面白くなりましたね。
それから、子供や若い人によく言うんですけど、映画を観ただけでその作品を理解したつもりになってほしくないんです。

土屋 原作を読んでほしいと。

川島 そうなんです。例えば『ハリー・ポッター』にしても、原作を読めばもっとイメージが広がるし、映画とはまるっきり違った印象を受けるからと。ディレクターのステレオタイプのイメージの中に押し込まれたものを観て満足してしまうのは不幸です。本を読めば、無限の解釈ができる面白さにぜひ気づいてほしいんですよ。
ただ、いまの若い人たちは本を読めないんです。脳に本を読む体力がない。特にスマホ社会になってからは、集中力が30秒続かないんですよ。

土屋 深刻な問題ですね。

川島 彼らのスマホの使い方を見ていると、ゲームをやっていると思ったらLINEラインでメッセージのやり取りをし、そうかと思えばもうユーチューブを観ている。一つのことにじっくり集中できないので、本を与えてもつらくなってすぐ投げ出してしまうんです。
本を読むという行為は、結構集中しないとできないし、ある程度の分量が記憶に残っていないと文脈をつかめないじゃないですか。いまの若い人はそれがどうもできないんですね。ですから、きょう土屋先生にご紹介いただいたような短い文章を読むところから再教育をしていかないと、ダメなんだなと痛感しました。

土屋 ここで先ほどの読み聞かせについて一つ付け加えておきたいことがあります。読み聞かせをすると子供たちは一所懸命聴くんですけど、それで読書する習慣が身に付くかというと、実はそうでもないんです。です。ですから、幼児期のうちにいかにして自分で文字を読む力を養ってあげるかが大事です。
戦後の日本の教育は、何でも易しくみ砕いて教えようとして逆に子供の成長の機会を逸していると思うんです。子供って易しいことはすぐつまらなくなるんですよ。石井式漢字教育法で有名な石井勲先生は、漢字は目で見る言葉だという考えで、幼児にも遠慮なく漢字で教えることを提唱なさっていました。書けなくてもいいから一つ読めるようになれば、語彙が一つ増え、その分思考力も高まります。ですから僕は、「漢字の読み先習せんしゅう」で子供たちの語彙力向上に一所懸命取り組んでいるんです。

 

・・・『ハリー・ポッター』(1997)の原作は、映画に先行して発売されていますが、これを読んだ人はストーリー展開に魅了され、そのイメージと比し映画には結構落胆しているようです。筆者の経験でも、洋画で人気の作品は原作を読むと、必ずその方が面白いと感じていました。

今の若い人たちは脳に本を読む体力がない。特にスマホ社会になってからは、集中力が30秒続かないんですよ。」これは由々しき問題です。スマホ、ゲーム、メッセージアプリ、ユーチューブなどと、常に手元を見ている若者は町中溢れていますし、電車に乗っても同じ景色が見えます。

これが中学受験や高校、大学受験になると、長文の試験問題についていけないから、下線部のついた問題の前後だけを読んで解答しようとします。当然正解には届かなくても構わない。塾や予備校でも長文読解の問題は、解答のテクニック重視で、自らじっくり考えるということを厭(いと)います。

「読み聞かせ」についても、その教育効果に誤解があります。

「読み聞かせの唯一の欠点は、文字を読む力が育たないこと」

だからこそ、「幼児期のうちにいかにして自分で文字を読む力を養ってあげるか」が大事です。

その基礎が、やはり「素読」から「音読」へと誘(いざな)うことであると思います。

posted by at 19:08  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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