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活字離れと読解力や語彙力の低下

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

たまたま「致知」(電子版)令和7(2025)6月号を読んでいたら『古典・歴史の学びこそ 人格を磨く要(かなめ)であり 読書文化の復興が人類の命運を決する』(京都大学名誉教授中西輝政)という特別提言がありました。一部を引用してご紹介します。

いま日本は数々の内憂外患を抱えているが、その最たるものの一つが深刻な読書離れである。日本はかつて世界に冠たる読書大国であった。幕末の時代、日本人は圧倒的な識字率を誇り、女性や子供を含む庶民まで挙って本に親しみ、訪れた外国人は一様に驚嘆したという。それが明治期の大発展へと繋がったのだ。なぜ日本人は本を読まなくなったのか。国民の多くが読書をしなくなった国家が辿る末路とは。

・・・その内容は、日本人と我が国の未来に深刻な危惧を抱かれている思いが綴られています。(詳細は当該提言を「致知」誌上でお読み頂きたいと思います)

活字離れ、書店減少、読書文化の衰退……。これらは私がかねて危機感を抱いている日本社会の重大な問題です。日本の歴史上、かつてないことがいま起こっていると捉えています。

活字離れは30年ほど前から進行していた現象ではないかと思いますが、そこにおおかぶさってきたのがデジタル化の波です。もちろんITが発達することのメリットは否定しません。

しかし、スマートフォンの登場と共にSNSや動画配信サービスが瞬く間に普及したことにより、人々は活字を読む習慣から一層遠のくようになりました。文字情報を読み取り、それを頭脳や心に焼きつけて蓄積する。このような人間だけが持つ大事な精神活動の機会が奪われ、読解力や力も低下しています。

・・・スマートフォンの端末が多くの小・中・高校生の手元にある状況が、現在の活字離れ、書店減少、読書文化の衰退……に繋がっています。そして、読解力・国語力の低下は、小・中・高校生の学力低下に直結しています。

しかし、このような世間の風潮に流されず、しっかりと読書をし、学力を付けていく小・中・高校生も一方で存在します。

その差は、家庭の教育に対する考え方・方針に有ります。いつの世も、この点は変わりません。

実語教(平安時代には存在していた幼児教育書)に、以下の文言があります。

幼(いとけな)きとき時、勤(つと)め学ばずんば

老いて後(のち)、恨(うら)み悔(く)ゆると雖(いえど)も

尚(なお)所益(しょえき)有ること無し

故(かるがゆえ)に書を読んで倦(う)むこと勿(なか)れ

学文(がくもん)に怠(おこた)る時勿(なか)れ

眠(ねぶ)りを除(のぞ)ひて通夜(よもすがら)誦(じゅ)せよ

飢えを忍(しの)んで終日(ひねもす)習(なら)へ

・・・幼い時から、一所懸命に学ばなければ、老後に恨んだり悔やんでも、益がない(全く意味をなさない)。だからこそ、書物を読んで飽きることが無いようにしなさい。ひたすら学文(文を学ぶ、書を読む)をしなさい。怠ってはならない。睡眠以外は夜も一晩中音読しなさい。お腹が空いても辛抱し、一日中自習しなさい。・・・と、あります。

 

posted by at 15:54  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

日本の教育を破壊したのは誰か。

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

実際の教育の現場では「教育の劣化」とも言われる現象が起きているのが実情です。その例を具体例を挙げて述べているブログがあります。一部を引用してご紹介します。

「日本の大学が『小学校の算数』を教えなければならない理由」(伊藤乾 作曲家=指揮者 東京大学教授(作曲・指揮・情報詩学研究室/生物統計・生命倫理研究室/情報基礎論研究室)(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/87858

諸悪の根源は昭和二十二年教育基本法

現在の日本の教育は「履修主義」という考え方で構成されており、出席日数が大変重視されます。

授業を受けることが進級・卒業の要件で、部屋にいさえすれば極論、居眠りしていても単位がつく。

これに対して成績は、進級・卒業の要件とはされておらず、仮にどんなに成績が低くても、出席日数に問題がなければ、原則として進級できてしまう。

 これを私は冒頭で「穴の開いたバケツ」と表現したのです。

 第2次世界大戦後の日本の教育は、基本すべてこの「履修主義」で一貫しているため、小学校を卒業しても四則演算ができない、中学を出たはずなのに英語の1の1も分からない「卒業生」を組織だって量産してきた。

 6-3-3で12年間、算数や数学を履修してきたはずなのに2次方程式もよく分からず、三角関数も微積分もちんぷんかんぷん。

 中高の6年間、英語を学んできたはずなのに外国人観光客の初歩の質問に答えられなくて普通。

 こういう現在の日本国の実態は、穴の開いた教育をしているのだから必然の結果なのです。

 いつまで経ってもバケツがいっぱいになるわけがない。

・・・「本来なら小中学校で教えるはずの内容」ができていない学生に対して、丁寧に下の学年の教程を補習する大学があり、そういう努力をしなければならない(ような学生が長年、大勢を占めてきた)大学で定員割れが起きている、という現状は、いわゆるFランク大学と呼ばれる大学の存在です。これは、先の大戦後の米国の占領政策の悪弊の結果とも言えるわけです。

こういう教育にしてしまったのは1947年、いまだGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本に「進駐」していた頃に作られた法律の「教育基本法」、つまり占領軍が敗戦国の教育をコントロールするのに導入した骨抜き政策の中心に「履修主義」があったと指摘する必要があります。

「履修主義」の反対は「習得主義」といいます。戦前の日本ではこの「習得主義」の考え方が敷かれていました。

 これは文科省のお墨付きもついており、例えばこの資料にもあるように、習得主義を「課程主義」と呼んで、こう明記していました。

「課程主義」とは,義務教育制度における「義務」の完了を認定するに当たり、一定の教育課程の『習得』をもって義務教育は終了したとみなすものである。我が国の明治期から戦前にかけての義務教育はこの課程主義に属しており、例えば,「小学校令」(明治33年)においては、「尋常小学校ノ教科ヲ修了シタルトキヲ以テ就学ノ終期トス」と定められていた。

 

・・・現在の小学校・中学校の義務教育では、たとえ「九九」を覚えていなくとも、加減乗除の四則の演算ができなくとも、授業時間に座っていさえすれば卒業できるとしています。戦前の「一定の教育課程の『習得』をもって義務教育は終了したとみなす」というのが、子供の将来を見据えた教育的配慮であるべきです。言葉は悪いですが、「粗製濫造」とも言える「履修主義」を改めていかない限り、「大学は出たけれど・・・」実社会で有為の存在として活躍できる人物にはならないのではないでしょうか。

posted by at 16:12  | 塾長ブログ

元気な脳を育てる『論語』

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。その一環として「論語」の素読も日々行なっています。

筆者が尊敬し、度々記事を引用させて頂く『国際派日本人養成講座』主宰・伊勢雅臣氏(https://note.com/jog_jp)の記事からの引用とご紹介です。

JOG(667) 『論語』が元気な脳を育てる https://note.com/jog_jp/n/n2ab7ecc177df

現代の脳科学は、『論語』が活き活きとした脳を育てる事を示しつつある。

(前略)

どう生きるか、という姿勢が、実は脳の健康にも大きく影響しているのかもしれない、というのが脳外科医の篠浦伸禎(しのうら・のぶさだ)さんの研究テーマである。その中で特に示唆に富むのは「動物脳」と「人間脳」の部分である。

__________
 次に脳を上下に分けてみます。脳の中心下方には大脳辺縁系という動物的な本能、保身にかかわる脳があります。これを便宜上「動物脳」と呼びます。

 一方、大脳辺縁系の上方・外側には大脳新皮質という進化の過程で新しくできた脳があります。人間はこの大脳新皮質が他の動物に比べてより発達しているため、これを便宜上「人間脳」と呼びます。
・・・動物脳は本能的に自分の身を守る働きをしています。この動物脳は自分の身を第一に考えるという点で、人間学的にいうと「私」、『論語』でいえば「小人」的なあり方として表される行動にかかわります。

 一方の人間脳は、組織を作ったり技術を進歩させたりすることにかかわります。動物脳に対して人間脳は外に目を向けて全体を考えるという点で、人間学的にいうと「公」、『論語』でいえば「大人」的な態度にかかわる脳ということができそうです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

・・・所謂(いわゆる)、「公」と「私」を分けて自らを律するのが日本人の生き方の基本です。「私」の動物脳中心の生き方と世のため人のために尽くす「公」の人間脳では、具体的にどのような差が出るのでしょうか。

『論語』で小人の生き方として戒められている項目は、動物脳による保身本能から説明できる。

 たとえば学而篇で出てくる「巧言令色(こうげんれいしょく)鮮(すく)なし仁」。「言葉巧みに、表情を取り繕っている人には仁が少ない」という意味である。

 篠浦氏はいろいろな人と接するうち、「巧言令色は動物脳が主体になって自分かわいさのあまり出るものだ。そのような人は仁のない人間であり、信用してはいけない」と痛感するようになったという。

子路篇の「君子は泰(ゆたか)にして驕(おご)らず」は、「立派な人物は、ゆったりとして驕ったところがない」という意味で、逆に小人ほど驕り高ぶるとされている。これを篠浦氏は次のように解説している。

__________
 驕りほど進歩を阻害するものはありません。それは、動物が自分より弱いものを見ると威嚇して大きく見せようとしているのと全く同じで、動物脳が脳の主役となって働いている証拠です。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 動物脳中心に保身本能で生きている人は、自分より強い人に対しては巧言令色でゴマを摺り、弱い者に対しては驕り高ぶって見せる。どちらも小人の生き方である。

__________
 たとえば、「仁」は相手を思いやる心ですが、動物脳が主体で自分の保身のみ考えると結果的に相手を思いやる心の余裕は生まれず、相手を利用することばかり考えるようになります。

「義」は正義(=弱い者を助ける)ですが、動物脳が主体になると正義どころか私腹を肥やすほうにばかり頭を使うようになります。

「礼」は相手に敬意を払う態度ですが、動物脳が主体になると弱い者に対して傲慢にふるまいがちです。

「智」は知識を得ることですが、動物脳が主体になると、年をとったり、あるいは自分の得にならないと思ったことに対して、知ろうとする意欲が失せていきます。

「信」は信用ですが、動物脳が主体になると自分の利益のみを考え、相手に利用価値がないと判断すると離れてしまうため、結果的に信用を失います。
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・・・上記の例では、如何に動物脳を抑制し、人間脳中心の生き方をするかでより良い人生を生きていくことができるかを示しています。では、元気な人間脳を育てる為にはどうすれば良いか。

篠浦氏の本を読むと、現代日本で自殺や校内・家庭内暴力、引きこもり、メンタルなどが目立ってきた理由がよく分かる。それは「公」のために生きるという姿勢を、戦後教育が否定し、その結果、人間脳が未発達なまま、ストレスを受けては動物脳が暴走する「小人」を作ってきたからであろう。

 伝統的な我が国の教育では、『論語』を生き方のお手本としてきた。「私心」を去る事で動物脳を抑制し、「公」のための志を持つ事で、人間脳を発達させ、艱難、すなわちストレスを活力源に変える生き方を説いてきた。

 孔子が説いてきた生き方は立派な社会を作ると共に、健康で活力に満ちた脳を育てる道である事を、篠浦氏の研究は示しつつある。

(参照)篠浦伸禎『脳は「論語」が好きだった』致知出版社http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4884748735/japanontheg01-22/

posted by at 17:28  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

素読の効用

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、素読に実語教、論語などを暗誦します。

幼少期に四書五経を素読してきた日本人の中で偉人となった人物についてGrokに尋ねてみました。

日本史において、幼少期に四書五経を素読し、その影響を受けて偉人となった人物は複数存在します。四書五経は儒教の基本的な経典であり、江戸時代には武士や庶民の教育において重要な役割を果たしました。以下に、代表的な例を挙げます。

1. 吉田松陰(1830-1859)
吉田松陰は幕末の思想家・教育者で、松下村塾を主宰し、多くの志士を育てました。彼は幼少期から四書五経を含む儒学を学び、11歳の時には藩主に兵法を講じるほどの才能を示しました。『論語』などの教えが彼の思想や人格形成に大きな影響を与え、国家への忠義や自己犠牲の精神を育んだとされています。

2.  渋沢栄一(1840-1931)
「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一は、実業家として近代日本の経済発展に貢献しました。彼もまた幼少期に四書五経を学び、特に『論語』の影響を強く受けました。後に「論語と算盤」という経営哲学を提唱し、道徳と経済の調和を重視する姿勢は、儒教の教えに根ざしています。

3.  西郷隆盛(1828-1877)
明治維新の立役者である西郷隆盛は、薩摩藩の武士として幼少期から儒学教育を受け、四書五経に親しみました。彼の仁愛や正義感、自己を律する姿勢は、儒教の影響が色濃く反映されており、それが維新という大事業を支える精神的な基盤となりました。

これらの人物は、四書五経を素読することで、礼儀、道徳、責任感といった価値観を幼少期に身につけ、それが後の活躍につながったと考えられます。江戸時代の寺子屋や藩校で広く行われた素読教育は、知識の習得だけでなく、人格形成にも寄与したことがうかがえます。ただし、四書五経を学んだ全ての人が偉人になったわけではなく、その後の努力や環境も重要な要素であったことは言うまでもありません。

・・・江戸時代の武家教育では、幼少期から論語・大学・中庸・孟子などの「四書」、易経・詩経・書経・春秋・礼記などの「五経」を素読することが重視されていました。これは知識や論理の習得だけでなく、幼児期に素読を繰り返すことで脳の活性化が促され、その後の成長に大きな力を与えるものです。

 

国語力の基本ー素読の効用 1

国語力の基本ー素読の効用 2

国語力の基本ー素読の効用 1

posted by at 15:46  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

吹田市(大阪府)での「基幹教育」講演会

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、御縁のある方々と様々情報を交換しつつ、より良き塾生を育てていく所存です。

令和7年(2025)3月23日(日)大阪府吹田市において、お招きに預かり「せんりこどものいえ」主催の「基幹教育」についての講演を致しました。主催者様の熱心なお声掛けを頂き、教育水準も高く教育に熱心な地域の親御さん方にご参集頂きました。講演・質疑応答で二時間強の間熱心にお話を聴いていただきました。

○「基幹教育」とは

小学校就学前の日本人の早期(幼児)教育。 乳・幼児期の心・智・体を総合的に融合した学び。

○具体例

素読 音読

「言霊の幸ふ國」

自信を育む教育

・・・などについてお話ししました。

○質疑応答(一部)

・基幹教育を受けると、受けていない子供に比し『どのようなタイミング』で『どのような差』が見られるか。

・小学校入学までに身につけておきたいこと

・推薦図書

・「国語力」の伸ばし方

・諦めずに、やり抜く力を育てる為には

・・・等等、お尋ねになりたいことは沢山ありました。

ご来場になられた方々、主催された「せんりこどものいえ」の先生方及び関係者の皆様方、誠に有難う御座いました。感謝!

posted by at 14:19  | 塾長ブログ
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