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元気な脳を育てる『論語』

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。その一環として「論語」の素読も日々行なっています。

筆者が尊敬し、度々記事を引用させて頂く『国際派日本人養成講座』主宰・伊勢雅臣氏(https://note.com/jog_jp)の記事からの引用とご紹介です。

JOG(667) 『論語』が元気な脳を育てる https://note.com/jog_jp/n/n2ab7ecc177df

現代の脳科学は、『論語』が活き活きとした脳を育てる事を示しつつある。

(前略)

どう生きるか、という姿勢が、実は脳の健康にも大きく影響しているのかもしれない、というのが脳外科医の篠浦伸禎(しのうら・のぶさだ)さんの研究テーマである。その中で特に示唆に富むのは「動物脳」と「人間脳」の部分である。

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 次に脳を上下に分けてみます。脳の中心下方には大脳辺縁系という動物的な本能、保身にかかわる脳があります。これを便宜上「動物脳」と呼びます。

 一方、大脳辺縁系の上方・外側には大脳新皮質という進化の過程で新しくできた脳があります。人間はこの大脳新皮質が他の動物に比べてより発達しているため、これを便宜上「人間脳」と呼びます。
・・・動物脳は本能的に自分の身を守る働きをしています。この動物脳は自分の身を第一に考えるという点で、人間学的にいうと「私」、『論語』でいえば「小人」的なあり方として表される行動にかかわります。

 一方の人間脳は、組織を作ったり技術を進歩させたりすることにかかわります。動物脳に対して人間脳は外に目を向けて全体を考えるという点で、人間学的にいうと「公」、『論語』でいえば「大人」的な態度にかかわる脳ということができそうです。
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・・・所謂(いわゆる)、「公」と「私」を分けて自らを律するのが日本人の生き方の基本です。「私」の動物脳中心の生き方と世のため人のために尽くす「公」の人間脳では、具体的にどのような差が出るのでしょうか。

『論語』で小人の生き方として戒められている項目は、動物脳による保身本能から説明できる。

 たとえば学而篇で出てくる「巧言令色(こうげんれいしょく)鮮(すく)なし仁」。「言葉巧みに、表情を取り繕っている人には仁が少ない」という意味である。

 篠浦氏はいろいろな人と接するうち、「巧言令色は動物脳が主体になって自分かわいさのあまり出るものだ。そのような人は仁のない人間であり、信用してはいけない」と痛感するようになったという。

子路篇の「君子は泰(ゆたか)にして驕(おご)らず」は、「立派な人物は、ゆったりとして驕ったところがない」という意味で、逆に小人ほど驕り高ぶるとされている。これを篠浦氏は次のように解説している。

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 驕りほど進歩を阻害するものはありません。それは、動物が自分より弱いものを見ると威嚇して大きく見せようとしているのと全く同じで、動物脳が脳の主役となって働いている証拠です。
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 動物脳中心に保身本能で生きている人は、自分より強い人に対しては巧言令色でゴマを摺り、弱い者に対しては驕り高ぶって見せる。どちらも小人の生き方である。

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 たとえば、「仁」は相手を思いやる心ですが、動物脳が主体で自分の保身のみ考えると結果的に相手を思いやる心の余裕は生まれず、相手を利用することばかり考えるようになります。

「義」は正義(=弱い者を助ける)ですが、動物脳が主体になると正義どころか私腹を肥やすほうにばかり頭を使うようになります。

「礼」は相手に敬意を払う態度ですが、動物脳が主体になると弱い者に対して傲慢にふるまいがちです。

「智」は知識を得ることですが、動物脳が主体になると、年をとったり、あるいは自分の得にならないと思ったことに対して、知ろうとする意欲が失せていきます。

「信」は信用ですが、動物脳が主体になると自分の利益のみを考え、相手に利用価値がないと判断すると離れてしまうため、結果的に信用を失います。
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・・・上記の例では、如何に動物脳を抑制し、人間脳中心の生き方をするかでより良い人生を生きていくことができるかを示しています。では、元気な人間脳を育てる為にはどうすれば良いか。

篠浦氏の本を読むと、現代日本で自殺や校内・家庭内暴力、引きこもり、メンタルなどが目立ってきた理由がよく分かる。それは「公」のために生きるという姿勢を、戦後教育が否定し、その結果、人間脳が未発達なまま、ストレスを受けては動物脳が暴走する「小人」を作ってきたからであろう。

 伝統的な我が国の教育では、『論語』を生き方のお手本としてきた。「私心」を去る事で動物脳を抑制し、「公」のための志を持つ事で、人間脳を発達させ、艱難、すなわちストレスを活力源に変える生き方を説いてきた。

 孔子が説いてきた生き方は立派な社会を作ると共に、健康で活力に満ちた脳を育てる道である事を、篠浦氏の研究は示しつつある。

(参照)篠浦伸禎『脳は「論語」が好きだった』致知出版社http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4884748735/japanontheg01-22/

posted by at 17:28  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

素読の効用

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、素読に実語教、論語などを暗誦します。

幼少期に四書五経を素読してきた日本人の中で偉人となった人物についてGrokに尋ねてみました。

日本史において、幼少期に四書五経を素読し、その影響を受けて偉人となった人物は複数存在します。四書五経は儒教の基本的な経典であり、江戸時代には武士や庶民の教育において重要な役割を果たしました。以下に、代表的な例を挙げます。

1. 吉田松陰(1830-1859)
吉田松陰は幕末の思想家・教育者で、松下村塾を主宰し、多くの志士を育てました。彼は幼少期から四書五経を含む儒学を学び、11歳の時には藩主に兵法を講じるほどの才能を示しました。『論語』などの教えが彼の思想や人格形成に大きな影響を与え、国家への忠義や自己犠牲の精神を育んだとされています。

2.  渋沢栄一(1840-1931)
「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一は、実業家として近代日本の経済発展に貢献しました。彼もまた幼少期に四書五経を学び、特に『論語』の影響を強く受けました。後に「論語と算盤」という経営哲学を提唱し、道徳と経済の調和を重視する姿勢は、儒教の教えに根ざしています。

3.  西郷隆盛(1828-1877)
明治維新の立役者である西郷隆盛は、薩摩藩の武士として幼少期から儒学教育を受け、四書五経に親しみました。彼の仁愛や正義感、自己を律する姿勢は、儒教の影響が色濃く反映されており、それが維新という大事業を支える精神的な基盤となりました。

これらの人物は、四書五経を素読することで、礼儀、道徳、責任感といった価値観を幼少期に身につけ、それが後の活躍につながったと考えられます。江戸時代の寺子屋や藩校で広く行われた素読教育は、知識の習得だけでなく、人格形成にも寄与したことがうかがえます。ただし、四書五経を学んだ全ての人が偉人になったわけではなく、その後の努力や環境も重要な要素であったことは言うまでもありません。

・・・江戸時代の武家教育では、幼少期から論語・大学・中庸・孟子などの「四書」、易経・詩経・書経・春秋・礼記などの「五経」を素読することが重視されていました。これは知識や論理の習得だけでなく、幼児期に素読を繰り返すことで脳の活性化が促され、その後の成長に大きな力を与えるものです。

 

国語力の基本ー素読の効用 1

国語力の基本ー素読の効用 2

国語力の基本ー素読の効用 1

posted by at 15:46  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

吹田市(大阪府)での「基幹教育」講演会

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、御縁のある方々と様々情報を交換しつつ、より良き塾生を育てていく所存です。

令和7年(2025)3月23日(日)大阪府吹田市において、お招きに預かり「せんりこどものいえ」主催の「基幹教育」についての講演を致しました。主催者様の熱心なお声掛けを頂き、教育水準も高く教育に熱心な地域の親御さん方にご参集頂きました。講演・質疑応答で二時間強の間熱心にお話を聴いていただきました。

○「基幹教育」とは

小学校就学前の日本人の早期(幼児)教育。 乳・幼児期の心・智・体を総合的に融合した学び。

○具体例

素読 音読

「言霊の幸ふ國」

自信を育む教育

・・・などについてお話ししました。

○質疑応答(一部)

・基幹教育を受けると、受けていない子供に比し『どのようなタイミング』で『どのような差』が見られるか。

・小学校入学までに身につけておきたいこと

・推薦図書

・「国語力」の伸ばし方

・諦めずに、やり抜く力を育てる為には

・・・等等、お尋ねになりたいことは沢山ありました。

ご来場になられた方々、主催された「せんりこどものいえ」の先生方及び関係者の皆様方、誠に有難う御座いました。感謝!

posted by at 14:19  | 塾長ブログ

『大学』を素読する17 完

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、素読に実語教を暗誦します。「山高きが故に貴からず 樹有るを以て貴しとす 人肥えたるが故に貴からず 智有るを以て貴しとす」

智が有ることを貴いと明言しています。

さて、『大学』を素読する17です。「大学」全文を17回に渡り現代語訳してきましたが最終回です。

孟獻子(もうけんし)曰く、馬乗(ばじょう)を畜(か)えば、鶏豚(けいとん)を察(さっ)せず。伐冰(ばつぴょう)の家には、牛羊(ぎゅうよう)を畜(か)わず。百乗(ひゃくじょう)の家には、聚斂(しゅうれん)の臣を畜(やしな)わず。其の聚斂(しゅうれん)の臣有らんよりは、寧(むし)ろ盗臣(とうしん)有れと。此(これ)を國は利を以て利と為さず義を以て利と為すと謂うなり。

國家に長として財用(ざいよう)を務むる者は、必ず小人(しょうじん)に自(よ)る。彼(かれ)之(これ)を善くすと為して、小人(しょうじん)をして國家を為(おさめ)使むれば、菑害(さいがい)竝(なら)び至る。善者(ぜんしゃ)有りと雖(いえど)も、亦(また)之を如何(いかん)ともする無し。此(これ)を國は利を以て利と為さず、義を以て利と為すと謂うなり。

(現代語訳) 魯の大夫の孟獻子が下級の大夫となって四頭立ての馬車に乗り、俸禄もそれなりに多くなれば、零細の農家の収入源である鶏や豚を飼うことを思わないようになる。更に夏氷を切って祖廟の御供物の腐敗を防ぐことのできる卿大夫の地位につけば、俸禄も一層多くなるので、牛や羊を飼って収入を大いに増やそうと考えなくなる。百乗を持つことの出来る家老の家では、厳しく税金を取り立てる有能な家臣を用いない。その取り立ての厳しい家臣より、むしろ家の財を横領する家臣のいる方がまだましである。これを国は目先の利を以て利とせず、義を以て真の利とするというのである。

国の責任者として財用を司る者は、必ず才能のすぐれたいわゆるやり手によって事務を処理する。然し、彼がよく出来るからといって、これに高い地位を与えて国政に当たらせると、天災人害が共にやって来る。。たとえ立派な人物が下位にあっても、どうすることもできない。これを国は目先の利を以て利とせず、義(道理に叶った人間の道)を以て真の利とするのである。

・・・「『大学』を素読する」の前書きに、

明の王陽明先生は初学の者に対しては、必ず『大学』を以て教えたと伝えられています。

わが国に於いても、近江聖人と称せられる中江藤樹先生が十一歳の時、大学の

「天子自(よ)り以て庶人に至るまで、壹(いつ)に是れ皆(みな)身を修るを以て本(もと)と為す」

の一句にいたく感動して聖賢の道に志しました。また野の聖人と称せられる二宮尊徳先生が少年の頃、薪を背負いながら常に読み続けたのが大学です。

とあります。

 

posted by at 19:22  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

『大学』を素読する16

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、素読に実語教を暗誦します。「幼(いとけな)き時、勤め学ばずんば、老いて後、恨み悔ゆると雖も尚(なお)所益有ること無し 故(かるがゆえ)に書を読んで倦むこと勿れ 學文に怠るとき勿れ 眠(ねぶ)理を除いて通夜(よもすがら)誦(じゅ)せよ 飢えを忍んで終日(ひねもす)習え」

さて、『大学』を素読する16です。

唯(ただ)仁人(じんじん)之を放流し、諸(これ)を四夷(しい)にしりぞけて、與(とも)に中國(ちゅうごく)を同じうせず。此(これ)を唯(ただ)仁人(じんじん)能(よ)く人を愛し、能(よ)く人を惡(にく)むを為すと謂う。

賢を見て擧(あ)ぐる能(あた)わず、擧(あ)げて先んずる能(あた)わざるは命なり。不善を見て退くる能わず、退けて遠ざくる能わざるは過ちなり。

人の惡(にく)む所を好み、人の好むところを惡(にく)む。是を人の性に拂(もと)ると謂う。菑(わざわい)必ず夫(そ)の身に逮(およ)ぶ。

是(こ)の故に君子に大道(だいどう)有り。必ず忠信(ちゅうしん)以て之を得(え)、驕泰(きょうたい)以て之を失う。財を生ずるに大道(だいどう)有り。之を生ずる者衆(おお)く之を食する者寡(すく)なく、之を爲(つく)る者疾(はや)く之を用(もち)うる者舒(おもむろ)なれば、即ち財(ざい)恒(つね)に足る。

仁者は財を以て身を發(おこ)し、不仁者は身を以て財を發(おこ)す。

未(いま)だ上(かみ)仁を好みて、下(しも)義を好まざる者は有らざるなり。未(いま)だ義(ぎ)を好みて、其の事終わらざる者は有らざるなり。未だ府庫(ふこ)の財、其の財に非ざる者は有らざるなり。

(現代語訳) ただ仁人であってこういう人物を思い切って追放し、これを外国に退けて国内で共に居ないようにする。これを唯仁人のみが能く人を愛し、能く人を悪むを為すというのである。

智徳兼備の優れた人物、賢人を見ながら挙げ用いることができず、挙げても上位に引き上げて、其の能力を充分発揮させることの出来ないのは君主の怠慢である。不善の人を見ながら退けることができず、退けても遠ざけることのできないのが過である。

人の悪むところ即ち同義にはずれた行為を好み、道義にかなった正しい行為を悪む。これを人の本性にもとるという。そういう者には禍がその身に及んでくるものだ。

そこで君子に歩むべき大道がある。必ず忠信(まこと)の心を以て実践することによって高い地位は得られるが、おごりたかぶり、そしてなまけることによってせっかく得た地位を失うことになる。財を生ずるにも大道がある。生産する者が多く、これを消費する者が少なく、生産を早くして消費をおもむろにすれば財は常に足るのである。

仁者は財を世に施してその身をおこすが、不仁者は身を犠牲にして財をつくる。

まだ上位にある者が仁を好んで、下位にある者が義を好まない者はない。まだ義を好んで、物事が首尾よく終わらない者はない。まだ国庫の財も当然の財として人手に渡ったことはない。

posted by at 19:13  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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