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ペスタロッチ

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す就学前教育(プレスクール)学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

世界中で教育界の偉人として取り上げられるヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ(Johann Heinrich Pestalozzi)について、渡部昇一上智大学名誉教授(専攻英語文法史。英語学者、歴史家、評論家)がessay(随筆)を書いておられます。引用してご紹介します。

ペスタロッチ

スイスの教育家。親友の死に会って政治家となることを諦め、絶えず子どもと共に生活し、一生を愛の教育に注ぐ。(1746~1827)

 ◎孤児を食に飽かせることは難しい。彼らの胃は空虚であるから。けれど彼らの霊を満たしむることはできる。人性は善であるが故に

スイスの大教育家ペスタロッチは、いつもこういっていた、

「自分は孤児を養うために、自ら乞食のように生きなければならなかった」

スタンツの戦争のために孤児になった少年少女救済に、独力で奮闘していたときのこと。資力もなく後援もない赤貧洗うような彼は、ただ町の人々に寄付を求めるより仕方がなく、朝に夕に町を歩いて、人々の慈悲心に訴えていた。

しかし、同情してくれるものは少ない。一方、孤児の数は日に日に多くなっていく。寄付のお金の代わりに貧しい孤児を連れて帰る日の方が多かった。しかも孤児たちは恐ろしいほどガツガツと食べる。その様子は、胃袋の中に餓えた狼が住んでいるようだった。

「ああ、1日でもかれらに腹一杯食べさせてあげられたら」

とペスタロッチは嘆いた。

しかし、孤児の心は僻(ひが)み、ねじけていた。神のような彼の愛情も、なかなか彼等の心には触れなかった。ペスタロッチはそれを悲しく思ったけれども、自分の愛がまだ足りないから、彼等の心を潤(うるおす)すことができないのだと考えた。そして彼は、孤児達の胃が飢えるよりも、その心が飢えることを恐れ、力の限り愛と誠を注いだ。

ある日、孤児達が隣の街から乞食の少年を何人も連れてきたのを見て、彼は驚いた。どうしたのかと聞いたら、こんな答えが返ってきた。

「先生、この子達も孤児です。可哀想だから連れて来ました。僕たちのパンを半分にして、この子達に食べさせてください」

その可憐な言葉にペスタロッチの目からは熱い涙がとめどなく流れた。

「孤児のお腹を一杯にさせることは難しい。彼等の胃袋は空虚であるから。しかし彼等の霊を満たしてあげることはできる。人の性は善であるが故に」

彼はそう言って小さく賤(いや)しい子ども達の心の奥に愛の気持ちが芽生えたことを神に感謝するのであった。

食べることに賤しく、性格も捻じ曲がってどうしようもないと思っていた孤児達が、もっと貧しい子達を連れて来て、自分達のパンを分けてあげてくれと言った。それを見てペスタロッチは、人の性の善なることを確信したのである。

ペスタロッチは誠心誠意、教育者であったということである。普通の先生に、ペスタロッチのようになれといっても、なれるわけはない。だが、「大教育者といわれる人は、こういう人だったのだ」「子どもというものは、そういう人に触れれば変わるものなのだ」と知ることによって、すぐにペスタロッチの真似はできないにしても、教育の参考にすることはできるのではないかと思う。

ノイホーフで妻アンナと共に子どもたちを教えるペスタロッチ

・・・フランス革命(1789)後の混乱の中で、スイスの片田舎で孤児や貧民の子などの教育に従事したペスタロッチの教育の実践は、主として初等教育段階のものでした。その後、フリードリヒ・ヴィルヘルム・アウグスト・フレーベル(Friedrich Wilhelm August Fröbel, 1782~1852)は、ペスタロッチに啓発され、幼稚園(Kindergarten)を創始しました。(ドイツの教育者、幼児教育の祖)

世界史的には、18世紀末位から「幼児教育」が始まっていますが、

驚く無かれ、日本では平安時代末期には「実語教」(本サイトで紹介→https://rashinjyuku.com/post-211/)などの教材が示すように、12世紀末には幼児教育が行われています。およそ六百年も先駆けていることになります。

やはり、教育にも国柄が反映されているように筆者は思います。古来からある日本の良き教育の精髄を活かしながら、必要に応じて日本の伝統・文化にそぐうものを取り入れるという姿勢で良いと考えます。従って、安易に外来語をカタカナ表記にしている文章が氾濫している風潮は、子ども達の国語力を低下させると思います。

「今こそ必要な宗教心」

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す就学前教育(プレスクール)学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。その為には、日本の伝統・文化・歴史などを踏まえた人間形成が必要です。その一助となるessay(随筆)がありますので引用してご紹介します。

さて、藤原正彦お茶の水女子大名誉教授の「いまこそ必要な宗教心」(読売新聞2004年10月18日)という随筆を引用してご紹介します。

お伊勢参りをした。伊勢神宮には五キロほど隔てて内宮(ないくう)と外宮(げくう)がある。内宮は天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつり、外宮は衣食住や産業のお守り豊受大御神(とようけおおみかみ)をまつる。とりあえず内宮へ向かった。

土産物屋の並ぶ通りを抜けると五十鈴(いすゞ)川にかかる大きな橋がある。かってお伊勢参りの人々は、ここで身と心を清めたと言う。なるほどと思わせる清浄な流れである。優雅な曲線を描く川上に目をやると、どこか荘厳な緑の山々が連なっている。橋を渡ると玉砂利の境内である。神域とも言えるここに足を踏み入れた江戸時代の人々は、ありがたさに涙したといわれる。

名所観光なのだろう。旗を立てた団体客が玉砂利に大きな音を立て、運動靴を引き摺る若者達が、冗談口を叩きながら砂煙を立てていた。瞼(まぶた)を拭う者などどこにもいない。往時は五十鈴川で履きかえた新しい草履で、口数も少なく粛々と歩いたのだろう。

境内を埋める鬱蒼(うっそう)たる巨木に圧倒されつつ、正殿へ向かった。皇祖をまつるというからにはさぞかし豪壮なものだろう。と想像していたら、切妻萱(きりずまかや)ぶきの屋根に高床づくりの質素なものだった。宮殿というより弥生時代の立派な倉庫の趣である。一瞬あっけにとられてから、この慎み深い古代美を、華美に走ることなく二千年近くを守り通した日本人の、見識と美意識に感銘を受けた。

高下駄を吐いた神官に導かれ、御前でうやうやしく参拝した、二礼二拍手一礼がきまりだが、歴代天皇も参拝された皇祖神ということでさすがに緊張したのか、礼を一つ余計にしてしまった。冷や汗をかいたが、多い分はていねいに過ぎたということだから、天罰も降るまいと考えた。

江戸時代、お伊勢参りは頗る盛んで、多い年には五百万に達したらしい。当時の人口を考えれば五人に一人である。庶民に旅行は許されなかったが、寺社参拝のためなら許されたから、『東海道中膝栗毛’とうかいどうちゅうひざくりげ)』のように、物見遊山(ものみゆさん)を兼ねてお伊勢参りや善光寺参りに繰り出したらしい。。一生に一度のお参りのため、小額の金を出し合い伊勢講を組み、毎年くじに当たったものが行く、などということをしていた。白衣に菅笠(すげかさ)、筵(むしろ)を背負っての旅立ちだった。参宮者を助けるのは功徳ということで、街道沿いの裕福な商家や寺は食事や宿舎をただで提供したという。なんと美しい日本の風景であろう。

彼らは各地でのお寺参りやお宮参りで、私と同じように無病息災や加護を祈り感謝を捧げたのだろう。彼らの意識に、宗教の違いや教派の違いはなかったろう。神と仏の違いさえなかったのではないか。日本人が神仏に手を合わせるのは、宗教ではなく宗教心である。戦後、公立学校では、宗教教育が禁止されたはずみで、宗教心までが切り捨てられた。神仏に手を合わせるという先祖代々の美風、日本人の心髄と言って良いものが捨てられたのである。何か人間をはるかに超えた存在にひざまずく、という心は物質主義、功利主義、傲慢の氾濫する現代にこそ、求められる。心髄を失った国民は風にそよぐしかない。

 

・・・神宮(じんぐう)とは、三重県伊勢市にある内宮(ないくう)および外宮(げくう)を指します。詳細は神宮のホームページに→https://www.isejingu.or.jp/

内宮の一の鳥居

・・・二千年の歴史を有し、日本人の「心の故郷」と称される伊勢神宮は、日本全国にある8万5千以上もある神社の最高位とされます。

しかし、学校では教えない近現代史として、

先の大戦後昭和20年(1945)12月15日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本政府に対して覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」いわゆる神道指令(しんとうしれい)を発しました。

指令を受け、幣原喜重郎内閣は12月28日に、ポツダム勅令で宗教法人令を公布施行し、宗教団体法を廃止して、、宗教団体の国家統制を廃止しました。

つまり、日本占領下において、強制的に日本の法律を廃止させたのでした。その時、神社本庁は指令により神道の信仰が「不当に圧迫された」としましたが、その当時の抵抗は、言わば「蟷螂の斧(とうろうのおの」でしかありません。

葦津 珍彦(あしづ うずひこ・日本の神道家)は神道指令に関する昭和35年(1960)の論文で、「重大な障害がない限り」(”as long as there is no serious obstacle”)占領軍は「被占領地の信仰と慣習に干渉すべきでない」(”should not intervene in the religious faith or customs of an occupied area”)ということがハーグ条約で定められていたとして、日本占領軍による神道の弾圧は国際法からの逸脱だと批判したそうです。(wikipediaからの引用)

 

・・・宗教弾圧によって大打撃を受けた神社は、現在では見事に復活していますが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の呪縛は日本に大きな傷跡を残しています。

 

学ばせるべきは誇り高き日本の文化

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す就学前教育(プレスクール)学習塾 羅針塾では、「国語力が基本」という「学ぶ」為の大前提があります。その為の方策を工夫しています。「千里の道も一歩から」というように、就学前から素読、片仮名・平仮名の文字から始まり、一歩ずつ進めていきます。

さて、藤原正彦お茶の水女子大名誉教授の「学ばせるべきは誇り高き日本の文化」(産経新聞2004年3月29日)という随筆を引用してご紹介します。小学校の英語教育必修化以前の20年ほど前の文章ですが、根本的な問題点を指摘しています。

(前略)

小学校での英語教育を主張する人の大多数は、英語が不得意の人である。自分ができないのを何かのせいにする、というのは人情である。かっては、文法や読解に重点をおいた従来の英語教育法が悪い、と声高に叫ばれた。その結果、教科書や授業で会話英語が大幅に取り入れられた。そんな教育を受けてきた大学生の英語基礎力の低下は、関係者からよく指摘されることである。しからば他の理由ということで、「小学校から始めなかったことが悪い」となった。

英語力ゼロに近いほとんどの小学校教諭が、児童に一体何を教えるのか。ブラックユーモアとしてなら世界中に受けること必定だが、教えられる子供達は気の毒である。

たいていの日本人が英語をなかなか会得できないのは、日本人にとって英語自体が極端に難しいからという理由に尽きる。何かが悪いからではない。日本にいて英語をマスターしている人はすべて、外国語適性の高い人が膨大な時間と労力をかけた結果である。

英語は文法的にも文化背景からいっても、日本語からあまりに遠い。アメリカ国務省は、外交官などのために外国語学習の難易度をランキングしているが、日本語はアラビア語とならび最難関とされている。この距離ゆえに、日本人にとって英語は根本的に難しいのである。そのうえフィリピン、シンガポール、インドなどと違い、日本で日常生活を送るうえで日本語以外の言語はまったく不必要である。どうしても習得しなければ、という動機も覚悟も湧きにくい。

これらは嘆くべきことではない。外国語が不必要というのは、他のアジア・アフリカ諸国と異なり、かって欧米の植民地にならなかったという栄光の歴史を物語っている。英語から遠いという事実は、世界を席巻しつつあるアングロサクソン文化に対し、自然の防波堤を有するということである。母国語こそが文化の中核だからである。我が国に美しく花開いた稀有の文化、人類の宝石ともいうべきものを、荒波から守る為の神の思し召しと感謝してよい。

英語をマスターすれば国際人になれる、という驚くべき誤解が国民の間に根強いようだ。いうまでもなく国際社会では、一芸に秀でた人はともかく、一般には英語という伝達手段の巧拙ではなく、伝達内容の質で人間は評価される。質の向上には自国の文化や歴史などの教養とそれに基づく見識が必要である。米英で4年余り教えたが、この意味での国際人は私の見るところ、両国でもたかだか数パーセントである。逆にぎこちない英語ながら、国際人として尊敬されている日本人を何人も知っている。

伝達手段の英語をマスターし、かつ自らの内容を豊かにすることは、並の日本人には不可能という辛い現実を素直に国民に伝えねばならない。内容を豊かにするためには、読書を中心とした膨大な知的活動が必要であり、これが膨大な英語習得時間と、並の人間にとって両立しないのである。うまく両立させられる日本人は、千人に一人もいないと考えてよい。

ある統計によると、仕事のうえで英語を必要としている人は18パーセントにすぎない。基本的に英語は、中学校で全員が学んだ後、必要に迫られている人やそんな仕事につきたい人が猛勉強して身につければよいものである。この場合でも教養や見識は英語より上にくる。海外駐在商社マンも日本の文化や歴史を知らないと、然るべき人間と見做されず商談の進まないことがある。

国を挙げてのフィーバーは、滑稽を通り越して醜悪である。為政者は、国際化だ、ボーダーレス化だ、などと軽薄な時流に乗って国民を煽るより、真に誇るべき日本の文化や情緒を子供達にしっかり学ばせ、祖国への自信と誇りを持たせることが肝要と思う。

 

・・・20年ほど前は、小学校への英語導入の可否が喧(かまびす)しく議論されていました。筆者は基本的に英語の小学校導入、その後の必須科目化には反対です。蓋(けだ)し、かって文科省が採った「ゆとり教育」という大愚策の修復も為さず、国語力の充実も図らず、安易に小学生にとって難しい英語科目導入で無理な負担を課すことになるからです。

藤原先生の言われる「英語は文法的にも文化背景からいっても、日本語からあまりに遠い。」ことを、日本の小学生に強いることは、日本全国に英語嫌い、ひいては勉強嫌いを蔓延させるようなものです。

・・・しかしながら、英語が教科化され、成績評価される以上は、それに対応するしかありません。筆者は、就学前教育や小学校低学年時に、しっかり国語力(語彙力、読解力)をつけた子供達から、英語教育に入っていきます。

AIの活用について塾生に教えられて

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、進化し続けるAI(人工知能)について、賢い塾生さんから教えられることがあります。

ふと知ったChatGPT Plusについて、「使ったことがある?」と尋ねると、「はい。Free(無料)は、少しデータが古くて、最新の情報はバージョンが上がらないと反映されていません。」と。

早速、ChatGPT Plusを試してみました。以下はそのやりとりです。

<塾長質問>(以下、Q)

米国の建国以来、対外的な戦争を引き起こすのは、民主党か共和党か。歴史的事実如何。

<ChatGPT解答>(以下、A)

米国の歴史において、対外的な戦争を引き起こすのは、民主党と共和党のどちらか一方に限定することはできません。実際に、米国の外交政策は、様々な要因によって形成され、特定の政党の傾向に従うわけではありません。

例えば、19世紀の米墨戦争は、民主党のジェームズ・ポーク大統領が始めたものでしたが、同じく19世紀のスペイン・アメリカ戦争は、共和党のウィリアム・マッキンリー大統領が始めました。

また、第一次世界大戦は、民主党のウッドロウ・ウィルソン大統領が米国を参戦させたものでしたが、第二次世界大戦は、共和党のフランクリン・ルーズベルト大統領が始めました。

更に、冷戦期においては、民主党と共和党の両方が米ソ対立の中で外交政策を形成し、また、21世紀に入ってからの対テロ戦争や中東における紛争においても、民主党と共和党のどちらか一方に限定することはできません。

したがって、米国の歴史的な事実を見る限り、対外的な戦争を引き起こすのは、特定の政党に帰することはできず、複数の要因によって決定されるということが言えます。

Q)第二次世界大戦は、共和党のフランクリン・ルーズベルト大統領が始めました。これは誤りではないですか。フランクリン・ルーズベルト大統領は民主党と思います。

(A)申し訳ありません。私の先程の回答に誤りがありました。第二次世界大戦は、民主党のフランクリン・ルーズベルト大統領が始めたものでした。私の回答が混乱を招く可能性があることを認識し、訂正していただきありがとうございます。

Q)あなたも間違えることがあるのですね。

(A)はい、私も完璧ではありませんので、間違えることがあります。私は常に最新の情報に基づいた正確な回答を提供するように努めていますが、時には間違いがあることもあります。誤りを指摘していただきありがとうございます。私は今後もより正確な情報を提供するように心がけます。

・・・ChatGPT Plusは、質問に対して、ほぼ瞬時に回答をするので、まるで人と会話しているかのようです。誤りを指摘しても、素直に陳謝して訂正し、またとても謙虚です。

AIがさらに進化すると、様々な知的専門職は職を奪われることになるかもしれないと予測する向きもあるので、これについても尋ねてみました。

 

Q)貴方のようなAIが更に学習し進化すると、人間の知的専門的な領域の仕事がなくなっていくのではないでしょうか。例えば、裁判官、弁護士などの法律専門職、公認会計士や税理士などの・・・(ここで誤ってキー操作を誤り、中途半端な質問になったのですが)

(A)現在のAI技術は確かに急速に進化しており、知的作業に関する専門職の一部を自動化することができるようになってきています。しかし、専門家の知識や経験を含む人間の能力は、AIにはまだ完全には置き換えられないものがあります。

AIが特定の分野で進化し、専門家の一部の仕事を代替できる場合でも、AIが人間の代わりに完全に仕事を行うことはできないでしょう。AIが自動化できる作業やタスクはある程度限定されており、人間の能力や判断力が必要な場面も多く存在しています。

また、AIが自動化できるタスクを担当することで、専門家たちはより高度なタスクに集中することができるようになるかもしれません。AIが単純な作業を担当することで、専門家たちはより多くの時間を、より複雑な問題の解決や創造的な活動に充てることができるかもしれません。

総じて、AIによる自動化が進展することで、一部の専門職の業務が変化する可能性があると思われます。しかし、人間の能力や判断力が必要な業務は、AIが完全に置き換えることはできず、専門家の役割が依然として必要とされることが予想されます。

・・・なんとまあ、如才のない回答に、つい様々な質問をしてみたいとつい遊んでしまいます。これからの AIの進歩が人類にどのような影響を及ぼすのでしょうか。

そこでまた質問してみました。

Q)これからの AIの進歩が人類にどのような影響を及ぼすのでしょうか。

(A)AIの進歩には、人類に多くの影響が及ぶ可能性があります。以下に、その一部を挙げてみます。

  1. 仕事の変化: AIの進歩によって、一部の仕事は自動化される可能性があります。このため、職業の変化が起こるかもしれません。一方で、AIによって新しい職種が生まれる可能性もあります。
  2. 社会的影響: AIの進歩によって、社会に大きな変化が起こる可能性があります。たとえば、自動運転車が普及することで、交通事故が減少するかもしれません。また、AIによって作られたフェイクニュースが広がることもあります。
  3. 医療の進歩: AIは、医療分野での診断や治療にも使われることがあります。AIを使うことで、より正確な診断が可能になったり、より効果的な治療法を見つけることができるかもしれません。
  4. 経済への影響: AIの進歩によって、経済にも影響が出るかもしれません。たとえば、AIによって生産性が向上することで、経済成長が加速するかもしれません。
  5. 倫理的な問題: AIによって、倫理的な問題が生じる可能性もあります。たとえば、自律型兵器システムの開発が進められることで、戦争や紛争に関する問題が発生するかもしれません。

総じて、AIの進歩には、多くの可能性がありますが、同時に多くの課題や問題も生じることが予想されます。AIの発展に対して、倫理的な観点からも十分な検討が必要であると考えられます。

 

・・・・・人間が自ら書物などで調べる頻度が大きく減ってくるのは事実ですね。現在でもネット情報の真偽を確認しながら活用していますが、AIに頼ると人間の考える力も衰えていきそうで、注意深く活用する必要があるのでは、と考え込んでしまいます。

posted by at 12:41  | 塾長ブログ

子供の自発を促すには

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、常々親御さんに子供さんの自律・自立を促すにはどのようにしたら良いかを考えていただきたいと考えています。

就学前でも、小学校就学後でも、学問を勉強するには、段階を経ていく必要があります。

普段よく用いている「勉強しなさい」という言葉は、目的語に当たる言葉が欠落しています。「何を」「強」いて「勉」める(努力する)のか。

親御さんが、子供さんを上手に机に向かせるかは本人の学ぶ「好機」を掴まなければなりません。

一つのヒントになる歴史的な話があります。上智大学名誉教授の故渡辺昇一先生著「人生を創る言葉」(致知出版社)からの引用です。

啐啄同時(そったくどうじ)。早すぎてはいけない、遅すぎてもいけない。熟し切った一瞬の気合いが、人間万事を決する。

二三歳のの家康は岡崎城の城主であった。夙に評判が高かったため、甲斐の武田信玄が家康の家臣酒井左衛門尉(じょう)忠勝に書を送って和睦を求めてきた。酒井はこの書を主君家康に取り次いだ。

その手紙の中に「啐啄」という文字があったが、これがどういう意味か誰にもわからない。散々迷った挙句、岡崎城下に逗留している一人の旅の僧侶がいたことを思い出した、これを呼び出した。

この僧侶は江南和尚という名であった。東国を回る途中というので、汚れた麻の衣、すり減らした草鞋、笠を被り、杖をついて現れた。家康の家臣の石川日向守定成が手紙を持ってきて、この和尚に文字の意味を尋ねた。

「どれどれ」

手紙を手にした老師はにっこり笑って、

「ああ、啐啄か。結構、結構。鳥が卵を破るには節(ふし)があるのじゃ。早すぎれば水で駄目、遅すぎれば腐るという意味じゃ。合点が参ろう。」

と答えた。分かったようなわからないような答えだが、石川わそういう答えをもらって家康に報告した。家康はしばし首を捻っていたが、やがて破顔一笑して、こういった。

「そうか、さすがは信玄だ。これを解釈した老師も老師だ、時節気合いの妙味がこの一語の中に含まれておるわい。武将の第一の心掛けはこれじゃ。」

この「啐啄」の「啐」は上に子をつけて「子啐」、「啄」は上に母をつけて「母啄」ともいう。「子啐」とは雛鳥が卵の内側から卵の殻をつつくことであり、「母啄」とは母鳥が外から殻をつつくことである。そして「啐」と「啄」とが内外で相応して気合い野宿した瞬間に殻が破れて新しい生命が生まれる。どちらか一方早すぎてもいけないし、遅すぎてもいけない。啐啄同時とは、うちの雛と、外の親鳥が、殻を一緒に破ることをいっているのである。

家康は『碧眼録』にある提唱を、この言葉を聞いて体得したのであった。そして満面に笑みを湛えながら、、こういうのである。

「啐啄同時じゃ。早すぎてはいけない。遅すぎてもいけない。熟しきった一瞬の気合いが人間万事を決する」

家康の生涯は、啐啄同時の言葉の通り、いつもと軌を一にするかをうまく考えた生涯ではなかっただろうか。家康は生涯の集大成として大阪城を攻めたが、それはまさに啐啄同時の妙を感じさせるものであった。早すぎれば豊臣恩顧の大名が豊臣家に味方する恐れがあった。遅すぎれば自分が歳を取りすぎる。そういうギリギリの時を測って決断を下した。

しかも、豊臣家を初めから潰すとはいわないで、和泉のあたりで六十万石くらいの大名にならないかと、一応勧めている。それは家康としては無茶な提言ではない。というのは、信長の子供を秀吉は岐阜あたりの一城主にしているからである。秀吉が信長の子孫に対してやったのと同じように、家康が秀吉の子供を一大名にするのは筋の通った話であった。しかし、現実にはそれが聞き入れられず、大阪の陣となったのである。

この提案が拒否されることも予測して、家康は頭の中で、いつつつくかということを絶えず考え、その機会を狙っていた感がある。そして「今なら行ける」というときに仕掛けたのである。

この言葉は、仕事の場でしょっちゅう使う機会があるだろう。とりわけ交渉事においては、早すぎず遅すぎずという絶妙なタイミングが問われるはずである。

 

・・・上記の家康の例は歴史に残る事例ですが、同様に子供の成長を促すことにも応用できます。

自発的に学び出すには、「学び」の時機をみて、子供に促すことは必要です。

待てど暮らせど、自発的に学び出さないということはありません。親御さんの立場では、「その機」を普段から観察していて、ここぞというときに声を掛ける。それに応じて適切に子供さんも動き出す。

・・・啐啄同時は、さまざまな場面で生きる名言です。

posted by at 16:05  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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