幼児教室・学習塾の羅針塾では、学年に応じた「作文」に塾生を挑戦させています。夏休みの長期休暇中は文章修行には最適。普段から「作文」をする機会をなかなか取れないのが、現状の学校教育です。
成人に近づくに従って、文章修行を自力でしなければなりませんが、その基礎となる「作文」は、小学校低学年からしておかなければならない、とても大事な国語教育です。
さて、
メルマガで配信される軍事・インテリジェンス専門メルマガのインテリジェンス研究家・上田篤盛(あつもり)氏の『武器になる「状況判断力」』から。→
https://www.mag2.com/m/0000049253
「論理的思考法(スキル)の向上が創造的思考法(センス)を活性化し、その相乗効果で状況判断力が高まる」
・・・が興味深い話でしたから、少し長い記述ですが引用してご紹介します。
▼状況判断力はスキルかセンスか?
ビジネスの世界では「スキル」か「センス」かという議論があります。戦略・戦術、インテリジェンスを語る際にも同様の議論があり、ここでは「アート」か「サイエンス」かという喩えがよく用いられます。
スキルはサイエンス、センスはアートに相当します。思考法については論理的思考法と創造的思考法(直観)がありますが、前者はスキルで後者はセンスに該当します。
スキルは分解して数値化・具体化できます。たとえば、学力はスキルなので算数、国語、社会などに分類でき、英語はTOEICで何点といったように数値化できます。しかし、服装センスや人間性などは数値化・具体化できません。大衆を魅了する、異性にモテするのは総合的なセンスがあるというほかありません。
このような両者の違いから、スキルは後天的であって養成が可能とされています。企業などがKPI(重要業績評価指標)などを用いて、社員の能力を分解・評価し、それぞれの指標を定めて人材育成を行なうのはスキルの養成です。一方、センスは先天的なもの、総合的なものであり、センスを養成する確率的な方法はないと一般的によく言われています。
経営者には一般的にスキルよりもセンスが重要であり、社員はスキルが重要とされます。そして、しばしば養成が困難であるセンスを養成することが論じられます。
▼状況判断力を分解する
では、状況判断力はセンスかスキルのどちらに属するのでしょうか?
まず状況判断が統率や指揮の要素であるという視点から考察してみましょう。
統率は統御と指揮に分かれます。
統御は組織内の各個人にやる気を起こさせる心理工作であり、指揮官の個性、人格などが影響することが大きいのでセンスです。これには形になった養成法がありません。
一方の指揮は、状況判断、決心、命令、監督などに分類できす。
また、米陸軍などがマニュアル化した状況判断のアプローチは、敵の可能行動と我の行動方針を掛け合わせて、賭けゲームの理論を適用して行なう論理的思考法です。
だから、指揮は統御との対比ではスキルです。
そして指揮の一要素である状況判断もスキルと言えそうです。だからか、軍隊では戦術教育などを活用して、状況判断が必要な場面を想定し、それを学生に付与して、時間内に判断と決断を行なわせ、それに基づく計画や命令の作成などの訓練を通して状況判断能力や指揮能力を訓練します。
・・・令和3年で大東亜戦争後(昭和20年)76年経過しますが、
日本の大学教育で、軍事に関わる戦争論や戦略・戦術論の講義を行うところはないのが現状です。企業内での人材教育や企業の経営理論には、軍事分野で議論される様な様々な理論を活用しています。日本の大学の教育界は、世界の標準からすると、所謂教育の「ガラパゴス化*」とも言える状況です。
*ガラパゴス化:日本の教育が国際標準からかけ離れている現状をガラパゴス諸島の動物などの生態系に擬(なぞら)えること。
▼状況判断にもセンスが重要
しかしながら、状況判断にセンスの要素がないわけでありません。状況判断に必要な情報の収集や分析だけをとっても「情報センス」との言葉があるようにセンスが必要不可欠です。
また、実際には過去の多くの名将は、戦略眼あるいは洞察力ともいえる瞬間的な状況判断力で苦難を乗り越えてきました。このような瞬間的な洞察力や判断力をフランス語で「クードゥイユ(Coupd’oeil)」と言います。
ジョミニ中将は「どんなに優れた戦略計画を作れる将軍でも、クードゥイユがなければ戦場で敵を目の前にしたとき、自身の戦術理論を適用することはできない」(松村劭『勝つための状況判断学』)と述べています。クードゥイユとは第六感、まさしくセンスなのです。
第六感であるクードゥイユが養成できるかどうかについては意見の相違があります。
ナポレオンは、この才は神から与えられた先天的なものと考えていたようですが、クラウゼヴィッツは、「この才は、先天的に決まるものではなく、経験と教育の積み重ねによって得られるもの」と述べています。
▼ハドソン川の奇跡とは
さて、センスはまったく養成できないのでしょうか? そもそもセンスとは何でしょうか?
高度な状況判断を必要とする職業といえば、真っ先に挙げられるのはパイロットではないでしょうか。
坂井優基『機長の判断力』(2009年5月)の中で、2009年1月のチェスリー・サレンバーガー機長が行った「ハドソン川の奇跡」について書かれています。これは2016年に映画化されましたので鑑賞された方もいるかと思います。
坂井氏の著書は「ハドソン川の奇跡」が起きたわずか4か月後に出版されたました。同事件が本書の刊行の流れを決定づけたと言えますが、坂井氏は常々、サレンバーガー機長と同じような修練を積んでいたから、このような著書を短期間に書き上げることができたのだと考えます。
以下は同著からの抜粋です。
米国MSNBCの事故後の速報画面から
「2009年1月15日、ニューヨークのラガーディア空港を飛び立ったUSエアウェイズの旅客機1549便が両方のエンジンに鳥を吸い込みました。
……エンジンの中心部に吸い込まれた鳥がエンジンの内部を壊し、その結果、両方のエンジンとも推力をなくしてしまいました。チェスリー・サレンバーガー機長は、両方のエンジンが故障したことを知ると、直ちにハドソン川に降りることを決意して実行しました。それによって乗客・乗員155名全員の命が助かりました。この事故では機長の決断と行動が大勢の人の命を救いました。どれ一つを間違えても大事故になった可能性があります。……まず何が一番素晴らしかったのかというと、離陸した元の空港に戻ろうとしなかったことです。機体も乗客も両方無事着陸させたいというのは、パイロットにとって本能のようなものです。川に降りると決断した時点で、機体の無事は切り捨てなければなりません。
もし、このときに機長が離陸した空港に戻ろうとしていたら、途中で墜落して、乗客・乗員の命が助からなかったのみならず、燃料をたくさん積んだジェット機が地上に激突して、地上にいるたくさんの人も犠牲になったに違いありません。また、機長は着水場所にイーストリバーではなくハドソン川を選びました。……イーストリバーにはたくさんの橋がかかっており、もしイーストリバーを選んでいたら、橋に激突した可能性があります。さらに操縦方法の問題もあります。……着水時の速度も問題です。
……これだけの判断をしながら機長は飛行機を止める場所までも選んでいました。
このようなケースの際は、船が近くにたくさんいる場所に止めることが素早く救助してもらう鉄則です。今回はまさにフェリーがたくさんいるフェリー乗り場のそばに着水させています。……機長は全員の脱出を確認してから機内を二度見て回り、いちばん最後に自分が脱出しました。……これからどんなことが言えるのでしょうか。
いちばん重要なのはよく準備した者だけが生き残るということです。グライダーの操縦を練習し、心理学の勉強をし、NSTB(NationalTransportation SafetyBoard、国家運輸安全委員会)のセミナーに参加し、日ごろから様々な状況を考えて、頭の中でシュミレーションしていたからこそできた技ではないかと思います。
もう一つ重要なのは、切り捨てるという決断も必要ということです。もし飛行機も乗客も両方救いたいと思えば、結果的に全てを失っていたはずです。……」
▼センスであっても養成はできる部分はある
この記事は「優れた状況判断は平素からの地道な修練の賜物である」ことを如実に物語っています。ただし、機長の優れた状況判断は論理的アプローチにより手順を追って行われたというよりも、咄嗟の総合的な判断であったとみられます。つまり、機長はクードゥイユあるいはセンスを発揮して状況判断を行ない、危機を脱し、乗客の命を救いました。
ここで注目すべきは、機長は常日頃から、身体を鍛え、グライダーのライセンスを取得し、起こり得る危機を想定し、危機が現実となった時に何を判断すべきかをイメージトレーニングしていたという点です。
すなわち、常日頃からスキルを磨いていたからこそ、咄嗟のセンスが発揮できたのです。
物事や環境に対するすべての状況判断は論理的思考と創造的思考の併用よると言っても過言ではありません。「結局はセンスが大切」といって、一見小難しい論理的アプローチを一蹴し、感覚や直観だけに頼より物事を処理するではなく、意識して一定の論理的思考法や技法を取り入れることが、一部であるかもしれないがセンスを磨くと考えます。
すなわち、論理的思考法(スキル)の向上が創造的思考法(センス)を活性化し、その相乗効果で状況判断力が高まると考えます。ここに軍隊式「状況判断力」の意義があると考えます。
・・・軍隊式「状況判断力」なんて、日本の教育界では先ずタブー(taboo:言及したり、行ってはいけないこと)です。しかし、文科省の進めんとする小・中学校の「思考力・判断力・表現力等の育成」には、現実の世界で活用できるレベルにつながる様な基礎教育でなければ、単なるお題目となりかねません。その為には、現実の社会で起きた事例を、ケース・スタディ(事例研究)として活用することが肝要です。