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『大学』を素読する 4

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、学びの初めは「素読」から始まります。

素読から始まり、自ら音読をする勉学は、一生続けることができます。長い人生で幼児期に身につける勉学の方法は、いつまでも活かすことができます。学び続けることで、前向きに何事にも取り組むことができます。

さて、「『大学』を素読する」から少しずつ本文をご紹介致します。

湯の盤の銘に曰く、苟(まこと)に日に新た日々に新たに、また日に新たならんと。

康浩(こうこう 浩の氵を言偏)に曰わく、新たにする民を作(おこ)すと。

詩に曰わく、周は舊邦(きゅうほう)なりと雖(いえど)も、其の命(めい)維(こ)れ新たなりと。

是(こ)の故に、君子は其の極(きょく)を用いざる所無し。

詩に云わく、邦畿千里(ほうきせんり)、維(こ)れ民の止まる所と。

詩に云わく、めん蠻(ばん)たる黄鳥(おうちょう)、丘隅(きゅうぐう)に止まると。子曰(しのたまわ)く、止(とど)まるに於いて其の止まる所を知る。人を以(もっ)て鳥に如(し)かざるべけんや。

(現代語訳) 殷の湯王の洗面器に刻みつけた自戒の銘に、本当に毎日自己を新鮮にして停滞することがないようにとあるが、これは新たにすることの大切さを言ったものである。

康浩(こうこう 浩の氵を言偏:書経の一編)篇には、民がそれぞれの立場に於て、自らから進んで創造性を発揮する。即ちやる気を起こして自主的に活動するよう指導するのが政治の要道であるとある。これらは新たにすることの大切さを言ったものである。

詩経(大雅文王篇)に、周は旧い伝統ある国ではあるが、そのはたらきは日々に新たで止まるところがない。ここから革命に対して維新という言葉が出て来るのである。

詩経(玄鳥篇)に王城の近く千里は文化も進み、生活も比較的豊かなので、民衆が集まり長く止まる所と思うのは当然である。

詩経(めん蛮篇)に「ゆったりとしてのびやかに黄鳥(日本の鶯に似た鳥をいう)が、丘のほとりに止まって鳴き続けている」とある。孔子は「鳥でさえ安んじて止まる所を知っているのに、人として止まるべき至善即ち正しい所を知らないでよかろうか」と言われた。

・・・「苟(まこと)に日に新た日々に新たに、また日に新たならんと」

漢文にする『 苟日新、日日新、又日新』。これは有名な言葉です。殷王朝を作った「湯王」の座右の銘。洗面の器にこの文字を刻み付け、毎朝洗面するたびにその文字を見て、政治に取り組む姿勢を改めたとのこと。

毎日毎日が異なった一日。常に問題意識を持ち、日々自分の成長を念頭に取り組むことが肝要です。毎朝、心掛けるべき言葉を目につくところに記しておくことで日々の生活が惰性に流されないようにする。勉学に必須の言葉です。

posted by at 19:55  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

『大学』を素読する 3

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、学びの初めは「素読」から始まります。「素読」を繰り返すことで、自ら学ぶ際に「音読」で教科書、参考書を読み、問題集を解いていきます。この習慣が付いてくると、集中力が高まり、理解しにくい時でも、繰り返し「音読」して理解していきます。その結果、自律的な学びを身につけていきます。

さて、「『大学』を素読する」から少しずつ本文をご紹介致します。

天子自(よ)り以って庶人に至るまで、壹(いつ)に是れ皆身を修むるを以て本と為す。其(そ)の本(もと)亂(みだ)れて末(すえ)治まる者は否(あら)ず。其(そ)の厚くする所の者を薄くして、其(そ)の薄くする所の者を厚くするは、未だ之れ有(あ)らざるなり。

(現代語訳) 天子から庶人に至るまでおしなべて自分の身を修めるのが本である。(※近江聖人と称される中江藤樹は十一歳の時この章に感動して聖賢(聖人と賢人)の道を志した。)その本である自分の身が乱れて、家をはじめ国や天下が治まることはない。 要するに、その厚くすべき本をおろそかにして、薄くすべき末の方に力を注ぎ過ぎると、所謂(いわゆる)本末転倒して、長い目で見れば終わりを全うすることはできない。

康浩(こうこう 浩の氵を言偏)に曰わく、克(よ)く徳を明らかにすと。大甲(たいこう)に曰わく、この天の明命を顧みすと。帝典(ていてん)に曰わく、克(よ)く峻徳(しゅんとく)を明らかにすと。皆、自ら明らかにするなり。  

(現代語訳) 康浩(こうこう 浩の氵を言偏:書経の一編)に、「克く徳を明らかにする」とあるのは「明徳を明らかにする」を言ったものである。

大甲(たいこう:書経の一編)に「是の天の明命を顧みる」とあるのは「明徳を明らかにする」を言ったものである。

帝典(ていてん:書経の一編)に「克(よ)く峻徳(しゅんとく)を明らかにする」とあるのは「明徳を明らかにする」を言ったものである。

昔のこれらの聖天子は、皆自ら努めて明徳を明らかにしたのである。

 

```古典の漢籍には、上記の例のように同じような意の文を、リズム良く書き連ねていきます。それが素読や音読をしていく際に、繰り返すことで体に染み込んでいくようになるのではないでしょうか。

posted by at 19:52  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

『大学』を素読する 2

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、学びの初めは「素読」から始まります。通塾当初の三歳児が六歳になり、様々な素読を経て『大学』の素読を初めています。

さて、「『大学』を素読する」から少しずつ本文をご紹介致します。

古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の國を治む。其の國を治めんと欲する者は、先ず其の家を齊(ととの)う。其の家を齊えんと欲する者は、先ず其の身を修む。其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正しうす。其の心を正しうせんと欲する者は、先ず其の意(こころばせ)を誠にす。其の意(こころばせ)を誠にせんと欲する者は、先ず其の知を致す。知を致すは、物を格(ただ)すに在り。

(現代語訳) 昔、明徳を天下に明らかにして平安を来そうとする王者は、必ず自分の国をよく収めた。自分の国をよく治めようとして、先ず自分の家をよく調和させた。自分の家をよく調和させようとして、先ず自分の身の修養に努めた。そして身を修めるに当たっては、先ず自分の心を正しくした。自分の心を正そうとして自分の意識や感情を正常にしようとした。其の意識や感情を正常にしようとして先ず生まれながら与えられている知恵を極めようとした。そして知恵を極めるというのは、即ち自己を正して本来にかえることである。

・・・人口に膾炙(かいしゃ:よく世の人々に知れ渡っていること)する文言として「修身斉家治国平天下」のことです。

物を格(ただ)して后(のち)知至(いた)る。知至(いた)りて后(のち)意(こころばせ)誠なり。意(こころばせ)誠にして后心正し。心正して后(のち)身修まる。身修りて后(のち)家齊(ととの)う。家齊(ととの)いて后(のち)國治る。國治りて后(のち)天下平らかなり。

(現代語訳) 自分を正せば知恵は自ら澄んでくる。鏡のように我が知恵が澄めば、意識や感情は正常になる。意識や感情が正常になると内なる心も正しくなる。心が正しくなることによって自(おのずか)ら身が修(おさ)まる。自分の身がよく修まると、一家はよく和やかに調和する。一家がよく調和すれば、一国がよくおさまる。一刻がよく治まることによって天下は自ずから平安となり、明徳も個々人に明らかになるのである。

※ 前段を願望課程、後段を実行課程として解説しているところに妙味がある。

・・・人口に膾炙(かいしゃ:よく世の人々に知れ渡っていること)する文言として「修身斉家治国平天下」のことです。

posted by at 17:02  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

『大学』を素読する1

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、学びの初めは「素読」から始まります。これは入塾する年齢を問いません。

さて、「『大学』を素読する」から少しずつ本文をご紹介致します。

大学の道は、明徳を明らかにするに在り。民に親しむに在り。至善に止まるに在り。

(現代語訳) 知徳を兼ね備えて世によい影響を及ぼすような立派な人物、即ち大人となる学問の道筋は、まず生まれながら与えられている明徳を発現(明らかに)するところにある。その明徳が発現されると、自ずから通ずる心一体感が生じ、誰とも親しむようになる。更に判断が正しくなり、常に道理に叶った行為が出来るようにもなる。

・・・明徳とは、天から受けた、曇りのない本性のこと。発現するとは、隠れたものが実際におもてに出てくること。人間が本来持つ明徳を明らかにするためには、日々精進して勉学に励むことが必要です。「玉磨かざれば光無し」の日々研鑽しなければ能力を発揮して評価されることがないという意に通じます。

止まるを知りて后(のち)定まる有り。定りて后能(よ)く静かなり。静かにして后(のち)能(よ)く安(やす)し。安くして后(のち)能(よ)く慮’おもんばか)る。慮りて后(のち)能(よ)く得(う)。

(現代語訳) 正しい道理を弁えると心は一つに定まって動揺しなくなる。従って心安らいで思いを巡らし、物事を正しく会得して自ら満足して行動するようになる。

・・・道理を「弁(わきま)える」とは、物の道理を心得ること、善悪の分別をすることです。物事の正しい筋道、人として行うべき正しい道を行うことで心が安定する。その結果、冷静に物事を判断することが出来、自信を持って行動することが出来る。

物に本末(ほんまつ)有り。事に終始あり。先後する所を知れば、即ち道に近し。

(現代語訳) 物事には必ず本と末、終わりと始めがあるものである。そこで常に何を先にし、何を後にすべきかを知って行動すれば人の道に大きくはずれることはない。

・・・所謂(いわゆる)優先順位をしっかりつけて何事も行動することが肝要であり、それが人の道に叶うことに繋がるということです。

曽子が生きた時代は、紀元前505年〜紀元前435と言われていますから、約2500年前も現在も、人の心理や考え方は変わらないということです。人の道は一朝にしてならず、日々努力し続けなければならないということですね。

posted by at 16:22  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

『大学』を素読する-素読は若年ほど上達が早い

長崎市江戸町(令和6年7月に移転)にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、これからの日本を担う若者に「古典」を素読する習慣を身に付けてほしいと考えます。当塾では、幼児の塾生さんから「素読」を始めます。

これについて、伊與田覺(いよた さとる)先生のご著書(読本『仮名大学』 『大学』を素読する 致知出版社)を引用してご紹介します。

まえがき

明の王陽明先生は初学の者に対しては、かならず「大学」を以って教えたと伝えられています。

我が国に於いても、近江聖人と称せられる中江藤樹先生が十一歳の時、大学の

「天子自り以って庶人に至まで、壹(いつ)に是れ皆身を修むるを以て本(もと)と為す」

の一句に痛く感動して聖賢の道に志しました。また野の聖人と称せられる二宮尊徳先生が少年の頃、薪(たきぎ)を背負いながら常に読み続けたのが大学です。

戦前の道徳教科書である「修身」には、中江藤樹先生、二宮尊徳先生の逸話が取り上げられています。

その大学は、修己治人(しゅうこちじん)の最も手近な古典で曽子(そうし 前五〇五〜四三五)及びその弟子達によって作られたものであろうと言われています。そうし、姓は曽、名は参(しん)、字(あざな)は子與(しよ)、魯(ろ)の武城の人。孔子より四十六歳若く、孔子からは「参(しん)は魯(のろま)だ」と評され、俊秀の多い孔子門下では左程目立った存在ではありませんでした、然し大変素直で講師の教えに随喜して実践を重んずる生き方に孔子は密かに注目しておられました。ある日孔子(七十二歳)が曽子(二十六歳)に「参(しん)よ私の道は一を以って貫いているよ」と語りかけられました。すると曽子はすかさず「はい」と歯切れよく答えました。孔子は曽子の声と共に眼を見られて、まさに以心伝心と悟り、満足して立ち去られました。これを曽子は先生の一なる道は「忠恕(ちゅうじょ)」だと受容しました。そうして草子は生涯、師の道を実践し、不滅の書「大学」や「孝経」を著しました。後世孔子の至聖に対し宗聖と併称され、三省、追遠、弘毅、致知格物等(*)の彼の語が、現代にも多く息づいています。

(*)三省(さんせい:「論語」學而の「吾日に我が身を三省す」毎日三度反省すること。)

追遠(ついえん:「論語」學而の「慎終追遠 民徳帰厚矣」による語で、遠い過去を追うの意)先祖の徳を追慕して、その供養を怠らないこと。

弘毅(こうき:度量が広くて意志が強いこと、またその様。)

致知格物(ちちかくぶつ:物事の道理や本質を深く追求し理解して、知識や学問を深め得ること。

因みに、古典を学ぶ上に於いて大切なことは「素読」です。素読は天命に通ずる先覚の書を、自分の目と口と耳とそして皮膚を同時に働かせて吸収するのです。これを読書百遍で繰り返し繰り返し続けることによって、自ずから自分の血となり肉となるのです。それが時あって外に滲(にじ)み出ると風韻(ふういん:風流な趣。雅やかな趣き)となり、そういう人格を風格(ふうかく:その人の容姿や態度などに現れる品格)ともいうのです。

 

・・・幼児から始める素読は、しっかり聞き取ってから言葉を発することになるので、集中力が増してきます。古典の素読ですから、聞いたことのない言葉が出てきます。普段聞き慣れていない、言い回しや語句が滑舌も良くしていきます。

 

posted by at 15:18  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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