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「失敗しても良い」

就学前教室(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、「失敗しても良い」からやってみなさい、という声掛けをします。また、「失敗は成功の母」などの諺の意味も教えます。

さて、

東京大学工学部のAさんは神奈川県出身。地元の県立高校に入ったが、1年の冬に留年が決定。失意の中、約800kmも離れた西日本の山間部にある寮付き高校に入学し直した。当初は大学へ行くつもりがなかったにもかかわらず、3年後に“赤門”を突破した。田舎での生活で起きたミラクルとは――。

で始まるプレジデント・オンラインの記事が目についたのでご紹介します。

「高一で退学」した男子が予備校もない山間部の高校に入り直し逆転東大合格を晴らすまでの全記録

https://president.jp/articles/-/51255?cx_referrertype=mail&utm_source=presidentnews&utm_medium=email&utm_campaign=dailymail

全文は当サイトでお読みいただくとして、

受験を経て中学、高校、大学に進学したものの、言わば「燃え尽き症候群」とも言える入学後のやる気喪失で、学校に馴染めない、学校生活がつまらない、などという例が起きています。

まさに、その様な体験をした若者が、主体的に自らの環境を変えて、新たな目標を掲げ、東京大学に入学するまでを述べています。

当然、そこに至る過程にはさまざまなドラマがありますが、家庭での教育方針に、一貫して主体性を持たせること、があります。

 

Aさんが育った家の子育てで一貫していたのは、「自分の意思で決めたらやらせてみる」ということだ。

「親が止めて失敗させないよりも、たとえ失敗してもやらせたほうがいい。その失敗もまたよい経験になると考えていました」(母親)

その具体例として・・・

中学2年生のとき、横浜の家から北海道の富良野にある祖父母の家に、青春18きっぷを使い、一人旅したこともあった。夜行列車と普通列車を乗り継いで2泊3日かけて向かった。

高校1年生の夏休み、つまり学校を休みがちになった頃からは、学生限定の格安のバスツアーを使って泊りがけで震災ボランティアに参加し始めた。

・・・「可愛い子供には旅をさせよ」(我が子が可愛いなら、親の元に置いて甘やかすことをせず、世の中の辛さや苦しみを経験させたほうがよいということ。)という諺は、教育についての箴言(しんげん:戒めとなる短い句、教訓の意味を持つ短い言葉)です。

旅をするには、交通機関が発達し、コンビニやスマートフォンが当たり前の現代と異なり、昔(昭和以前)は、困った時には赤の他人に助けを求めたり、自ら足が棒になる程歩き続けなければならない、といった様々な苦労や困難を乗り越えなければなりませんでした。その経験が人を大きく成長させる。正に、利便性の高い現代では、敢えて求めなければその機会はありません。

結局のところ、ボランティアなどの社会活動をするにも、自らの意思で一人で飛び込んでいく気概を持つ必要が有ります。その為には、幼い時から「小さい失敗」を体験することも大事になります。

 

 

posted by at 19:46  | 塾長ブログ

詰め込み教育、詰め込まれ教育?

幼児教室・学習塾の羅針塾では、塾生からそれぞれ通学している学校情報が入ることがあります。同級生、先輩、後輩、先生について、極めて冷静、客観的に物事を観ていることが分かります。

「人の振り見て、我が振り直せ」(他人の行動を見て、良いところは見習い悪いところは改めよということ。)という諺を例に、塾生には様々な智慧を身につけて欲しいと考えます。学校生活の中で日々学ぶことが沢山あります。

・・・学校情報の一例をご紹介します。

あるクラスの担任の先生は、塾禁制令を出しているとのこと。何故なら、「詰め込み教育」となるから、と。

なかなか骨のある先生です。

筆者は基本的に賛成です。

えっ!と思われるかもしれませんが、塾を主宰していても正論は正論です。本来であれば、学校教育の中で児童・生徒がしっかり理解し、学力が向上する様に導くのが先生の役割だからです。

ところが、学力不足又は受験競争に勝ち残るために鍛錬したい、という需要があるから、塾はそれに対応する訳です。大学制度ができた明治期から、塾の需要はあったことから、昔も今も変わらないことがわかります。

上述の先生が言われる「詰め込み教育」は良くない

・・・その心は?

詰め込み教育と詰め込まれ教育とも言うべき差異があると考えます。

まず、誰が「詰め込む」のか?

例えたら、フォアグラ。ガチョウやアヒルに食欲の如何を問わず、沢山の餌を与えて肝臓を肥大化させてつくるフランス料理の代表的食材ですが、これは生産者がガチョウやアヒルに「詰め込む」。

同様に、学ぶ者にどこまで理解しているか否かを問わず、学ぶべき量を与え続ける。これは限られた時間、カリキュラムに合わせた塾・予備校側が、生徒・児童に「詰め込む」例です。

前者は、生産者の都合でガチョウやアヒルには迷惑な話。

 

後者は、塾・予備校側が成績向上を願う需要(needsニーズ)に応じたやり方ですから、これに合うか、合わないかによって、評価が分かれるところです。

従って、成績向上の為に、限られた時間で成績を上げることを望んだ以上は、詰め込み教育も承知の上ですから、否定的に捉えることはありません。

結局、自ら望まないのに、又は能力を超えて詰め込まれた教育は、学ぶ者にマイナスになるということです。

・・・本来の学びは、自らしっかりと教科書を理解し、その程度を確認する問題を解き、さらに力を付ける為程度の高い問題や応用問題を自主的に解いていく。常に、自主的に自発的に取り組むことが出来る様に努力を積み重ねる。

先述の先生は、その力を付ける為に授業を展開されているのでしょう。

自らの力で考え、問題解決をする児童・生徒になって欲しいとのお考えから、問題を解くknow-how(ノウハウ)やtechnic(テクニック)を詰め込む教育、又は詰め込まれる教育は、小手先の学びとなって身に付かず、将来に禍根を残す事になる。

学校・塾のいずれも、学ぶ意欲のある児童・生徒にする為尽力しなければなりません。

 

 

 

posted by at 18:33  | 塾長ブログ

「勉強嫌い」になるのではないか。

幼児教室・学習塾の羅針塾では、各年代の塾生の「学び」に対する気持ちや考え方を尋ねることがあります。

大人となった親御さんは、ご自分の子供の頃と比べて、子供さんの気持ちを忖度しますが、意外なことに、子供さんは現実的に「学び」を捉えています。単純ですが、楽しかったり、面白い、と思うとすんなりと学んでいきます。

大人でも、仕事の好き嫌いがあると、仕事への熱意が変動します。同様に、子供さんの「学び」に対する意欲も常に変化します。

一般的に、

小さい時から勉強させると「勉強嫌い」になるのではないか、という意見があります。

・・・これに対する筆者の考え方を述べますと

「勉強」の本来の意義は、「物事に励むこと、努力すること」、です。「勉強」を「学習すること」という意味で捉えると、「勉強」つまり、強いて勉めるという字義と意味合いが異なる、と筆者は思います。

戦前の四年生修身教科書第十一課「よい日本人」に、「学問を勉強する」という表現があります。その箇所を引用しますと、

規律ただしくし、學問にべんきょうし、迷信におちいらず、又常に身體を丈夫にし、克己のならはしをつけ、よい習慣を養はなければなりません。大きくなっては志を立て、自立自營の道をはかり、忠實に事にあたり、志を堅くし、仕事に励まなければなりません。

と、あります。

小さい時から勉強させると「勉強嫌い」になるという意見は、小さいときには気ままに過ごさせてやる方が、いずれ嫌でも勉強しなければならなくなるので、急ぐ必要がない、ということでしょう。

このような考え方の根本には、「仕事」「勉強(学習)」に対して、率先して取り組むというよりも、しなければならないから、仕方なくする、という現実的な意味合いがあります。

ところが、本来の日本人は、「仕事」「勉強(学習)」は、率先して取り組む方が、気持ちも前向きになり、結果にも大きな成果が得られる。という考え方があります。

ある意味、キリスト教的な「仕事は神から罰として与えられた」という考えと、日本神話にある「神様も働くのが当然である」という考え方の違いかもしれません。

つまり、小さい時から「学び」の意味合いを理解させ、自然と取り組めるように持っていくことが大事である、ということです。

別の言い方をしますと、

「学ぶ」ことが、成長することである、と小さい子供さんに浸透させていくことが親御さんの務めではないでしょうか。

子供の成長は、赤ん坊から始まり、幼児、少年・少女ととても早いものです。身体の成長と同時に、心と頭脳の成長も、正しく導かなければ、心身のバランスを崩しかねません。

心身ともに正しく健やかに成長することが何より大事です。

 

posted by at 15:16  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

聞き上手は、子育て上手

幼児教室・学習塾の羅針塾では、塾生が来るとある質問をします。その質問は、その日あったことに関するものです。即答できる塾生もいれば、暫く考えてから応える塾生もいます。

人間の記憶は、曖昧なところと、しっかりと覚えているところがあります。今日、昨日、一昨日、先一昨日と時間を遡るほど曖昧さが増えていきます。

今日の記憶を確認することが、記憶することの癖を付けていきます。その繰り返しは、記憶するコツを自然に身につけることになります。

さて、

「どんなにくだらない内容でも、子供の話を聞いてあげることが重要。東大生184人にアンケートを取ったところ、9割が子供時代にしっかりと親に話を聞いてもらっていたと回答していた」という興味深いお話があります。引用してご紹介します。

 

「お母さん、今日楽しかったんだよ」と言われたときに一流の母親がしている”ある質問”(柳沢幸雄北鎌倉女子学園学園長)https://president.jp/articles/-/50242 

 

「うちの子どもは口数が少ない」という親御さんに限って、子どもの話をさえぎってでもご自身がよく話すという方が多いようです。ご家庭でも、お子さんが考えて話そうとしているのに、先回りしてしゃべってしまったり、代わりに答えてあげたりしていませんか。

大人も含めて、実は多くの人はほとんどものを考えていません。この「ものを考える力」は、意識してつけさせてあげるものなのです。

考えるのは楽しいこと、心地いいことだと子どもに感じさせるのは、子どもの教育で一番大事だとさえ思います。それができるのは、実は学校ではなく親なのです。

では、親がものを考える力をつけさせるには、どうすればいいのでしょうか? その方法はいたってシンプルで、「子どもに話をさせること」です。

繰り返し説明していますが、もし子どもが話しているのであれば、とにかく喜んで聞いてあげること。どんな話だっていい。「こんなことをやってみたい」「こんな本を買ってみたい」といったような、親からすれば興味のない話も、くだらない話でもいい。

そこから、「なぜそうしたいのか」「なぜそれがほしいのか」と、親が納得するように説明させるのもいいでしょう。なんといっても、子どもが自ら話しているのですから、それをする動機はかなりあるはずです。

子どもが興味をもっているものを受け入れてあげてください。そうすると子どもはまた次の要求を考えます。「自分の要求ができる→それが受け入れられ、満たされる」ということに快感を覚えると、そこから発展していろいろなことを考えるようになります。

・・・「考える力」をつけさせるコツは、日常の生活にあります。

日々の暮らしの中で、一番子供さんと接する時間があるのはお母さんです。幼児教育のスタートは、お腹にいる胎児の時からです。お腹の子に話しかけた経験をお持ちのお母さんは、まるでその言葉に応えるかのように胎児が動くこともご存知です。産まれた後も、話しかけながら子供の成長を日々願っています。

言葉が出始めてからが、本格的に「考える力」をつけさせる機会が訪れます。よく子供の話を聞いてあげることが、子育ての要諦です。

 

大人が話をさえぎって結論を言ってしまったり、答えを求めたり質問責めにしてしまうのはやめましょう。どうしても意見を言いたければ、子どもの話を最後まで聞いたうえで、「そうか、よくわかったよ」とまず子どもの話を受け入れます。

そのうえで、次に一つだけ「こういう方法もあると思うよ」と伝えましょう。この言い方の上手さ、下手さが子どもの自己肯定感の成長に大きな影響を与えます。

子どもは、とにかく自分の話は受け入れてもらえたと感じます。賛同されたかどうかは別としても、受け入れられた、聞いてもらえたという実感が重要です。

受け入れられたうえで親が意見を言ったとしても、子どもは「別の意見もあるんだな」と思うだけで、否定されたとは感じません。そこで「自分が話すと、親は必ず意見を押しつけてくる」と感じたら、もうしばらくは話そうとはしないでしょう。子どもは親が思う以上に賢いのです。

 

・・・子供さんに「自発性」「自主性」をつけるための第一歩は、子供さんから話すきっかけを作ってあげることです。

お母さんが話している時は、子供さんから話すことはできません。子供さんが話したいと思って、言葉を探している気配を感じて、じっと待っててあげると、徐々に話そうとしてきます。

子どもにたくさん話をさせることのメリットはまだまだあります。

それが記述に強くなること。話をするためには、頭にあるものをちゃんと人に伝わるように整理して、表現する必要があります。記述にはある程度の論理力が必要なのです。子どもがこれを繰り返すほど言葉遣いはうまくなり、言葉の構成力もついてきます。

大人はすでに自分の考えを言葉に出して話す能力を身につけているため、これがどれだけ大変なのか、なかなか実感できないかもしれません。このことは、自分が外国語で何かを説明することを思い浮かべればすぐ実感できます。

少なくとも大人は、学校で英語を10年くらいは勉強していますよね。私は講演会で、「みなさんは10年くらい英語を勉強しているでしょうから、これから1分間、英語で自己紹介をしてもらいます」といって、考える時間を2分くらい用意することがあります。

すると大人たちは真剣に考え始めます。時間があるときは本当にやってもらうこともありますが、たいていは次のような話につなげます。

「ところで、あなたのお子さんは日本語を習い始めて何年ですか? たいてい2、3歳で親子の会話が始まりますから、小学6年生でも約10年間ということになるでしょうか。

そう、親御さんが10年間勉強した英語で自己紹介をするのが大変なように、まだ10年間しか日本語を勉強してない子どもたちにとって、頭に浮かんでいる事柄を人に伝わるようきちんと話すのは、とても大変なことなんです」

 

・・・確かに、英語との比較は、とても分かりやすい。子供さんにとって、何かを説明することは、親が英語で説明することと同様、困難なことです。何事にも「慣れ」は必要です。子供さんは言葉の使い方を、場面、時、相手などによって、少しずつ経験的に学んでいくわけです。

特に小さい子どもは、何を言いたいのかわからないことがあります。そのときこそ前述した5W1Hを使って子どもの話をフォローしてあげます。たとえば、「お母さん、今日楽しかったんだよ」「へえ、楽しかったんだ(と、まず受け止める)。何が楽しかったの?」。

子どもがどんどん話し始めて、話に脈絡がなくてもひとまず聞きます。そして最後に、「今日は◯◯くんと◯◯をして、1時間やり続けたんだね。それが楽しかったんだね」と要約してあげると、「そうか、そういうふうに話せばいいんだ」と子どもは学びます。そこから、自然と論理力がついてきます。

これは小さな子どもだけでなく、思春期のお子さんでも同じです。子どもが話したことを「要するに」「要は」「つまり」などの言葉を使って、「こういうことね」と要約してあげてください。あるいは、「要するに、どういうこと?」「ひと言でいうとどういうこと?」と聞いてみるのもいいでしょう。

論理力がつくと人に伝わるようになります。論理力さえつけば、文章を読んだときの読解力はまさに論理力そのものですし、書くことも論理力そのものなのです。

 

・・・子供さんは言葉を覚え、話を形作っていく過程で、それが正しい表現か、適切な説明かを誰かに聞いてもらいながら覚えていきます。その一番良い聞き手がお母さんです。

posted by at 15:43  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

18歳で司法試験合格 工夫する学び

幼児教室・学習塾の羅針塾では、語彙を増やすことが塾生の「学ぶ力」を確実ににする一番の早道だと考えています。幼児期から様々な言葉が身の回りを流れていきますが、何も気付かずに過ごすか、気に留めた言葉をしっかり身に付けていくかで、日に日に「学ぶ力」の差がついていきます。

さて、令和三年(2021)の司法試験合格者の内訳が公表されています。裁判官、検察官、弁護士となる法曹界へ進む最難関と言われる国家試験です。

合格者1421人の内、男性1026人、女性395人。合格平均年齢は28,3歳。最年長69歳、最年少18歳。その最年少合格者の「学ぶ力」について参考となる記事がありましたので、引用してご紹介します。

「刑事事件の傍聴にはまった中学生が最年少で司法試験に合格するまで・・・推しの勉強法を聞いてみた」(読売新聞配信)https://news.yahoo.co.jp/articles/985c511a189cac13c663f51ee886b87d26809380 

――満18歳3か月(受験時)での司法試験合格は、少なくとも、法科大学院修了生の受験が始まった2006年以降、最年少です。いつ、どんなきっかけで勉強を始めたんですか。  

司法試験の勉強を始めたのは高校1年の2月ですが、そもそもは、中学1年の秋に東京地裁で刑事裁判の傍聴をしたことがきっかけです。

――中1で裁判の傍聴ですか。  

はい。中学校(慶応義塾普通部)で毎年、卒業生を招いた特別授業がありました。その一環で弁護士の先生が20人くらいの同級生と一緒に傍聴へ連れて行ってくれました。  

覚醒剤取締法違反の事件でした。特別な事件ではなかったんですけど、裁判を見るのは初めてで、すごく衝撃を受けました。  

「これはフィクションではない。本当に起きた事件が、目の前で裁かれているんだ」と気づいて。一人の人間が法によって裁かれている現場を目の当たりにしたというか。その時に、司法の最前線を見たような気がしたんです。

――どこに衝撃を?  

なんというか、リアルさと言いますか……。法廷で被告人の生い立ちが語られ、「この人はどんな人生をたどったんだろう」などと色々考えてしまいました。被告人も発言していて、30歳代ぐらいの男性だったんです。「こんな普通の人が犯罪、覚醒剤をやるのか」という点もショックでした。  

とにかく、本当に実在する人間が、目の前で裁かれていると強く感じました。「裁判ってこういうものなのか」と関心を持ったことが大きなきっかけです。

――その後も傍聴を続けたんですか。  

そうです。裁判は平日しかやっていないので、学校の授業がない夏休みや春休みなどに通うようになりました。  朝に一人で行き、昼になったら裁判所地下のフードコートのような大きな食堂でご飯を食べて。今はお店が少なくなりましたが。そして午後にまた傍聴して、夕方に帰る…というようなことをしていました。  

毎日ではなく、裁判員裁判や気になった刑事裁判を見つけて、ちょっと通ってみるという程度です。傍聴記録をつけ、法廷イラストを描くこともありました。逆転無罪判決や死刑判決の言い渡しも聞きましたし、逆送された少年事件も傍聴しました。  

中学校では年に1回、数学でも美術でもなんでもいいから自分の興味、関心を追求して、作品として発表する「労作展」という展覧会がありました。中2で「裁判・司法を考える 実際に裁判員裁判を傍聴して」というリポートを作り、中3では今思えば大それた題名ですが、「刑法解釈を考える 実際の傍聴によるケーススタディー」を発表しました。

――そうした裁判や法律への関心から、司法試験の勉強を?  

そうです。「いま何の話をしているのかな?」と法律的なやり取りがわからないことが傍聴中にありましたが、高校(慶応義塾高)1年になると、そこにだんだん歯がゆさを覚えてきて。中学でリポートを作成した時にも刑法の入門書を読みましたが、「もっと勉強したいな」と思いました。  

そして「司法に参画したい」「将来は法律家になりたい」という自分の気持ちにも気づき、受験しようと決めました。

――どんな勉強をどれくらいしましたか。  

高1の(2019年)2月から、司法試験の受験指導校「伊藤塾」で学び始めました。収録されたものを自宅で好きな時間、自由に巻き戻せるウェブ講義です。“早聞き再生”で自分の部屋のパソコンで受講しました。  

友だちにも「1日何時間勉強した?」と聞かれましたが、その日によってバラバラで。高校の授業で疲れて帰ってきて寝ちゃうような時もあれば、休日は一日中勉強することもありました。それに受験の直前期は朝起きてから寝るまでずっと……みたいな感じでもありました。「1日何時間」というのは難しいんです。  

ただ、目安として、伊藤塾の講義は1回3時間、それが週3日あって計9時間。それと同じ時間をかけて復習したので、1週間で合計18時間か、やや多いくらいの時間をやっていた気がします

・・・何故、法律に興味を覚えたか。

「学ぶ為の動機」を自ら見つけ、それを追求した結果が、司法試験最年少合格という(一般の人からすると)快挙を成し遂げています。しかし、当の本人からすると、極めて自然に「学び」続けているだけ、という感じです。

興味を覚え、無理なく「学び」続ける。

「学び」の極意です。

「好きこそ物の上手なれ」という言葉がぴったりの若者の登場です。

posted by at 14:14  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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