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教科書に乗らない歴史上の事実 6 百姓一揆2

長崎市の幼児教室・学習塾の羅針塾では、自発的に学ぶ力をつけることを主眼としています。親から「勉強しなさい」と言われてするのではなく、自ら進んで学ぶ姿勢を身につける。

その為には、人の話を素直に聞く。良いと思うことは直ぐ実行する。

学ぶことは、自律的に訓練する事でも有りますから、幼い時からの繰り返しが何より大事となります。

さて、国柄探訪: 「百姓一揆は「革命を目指した階級闘争」ではなかった」(国際派日本人養成講座)http://blog.jog-net.jp/202105/article_1.htmlからの続きです。

■5.一揆は百姓たちの交渉カード

「農民は天下の御百姓」とは単なるスローガンではなく、実際の幕府の統治の根幹にあった考え方のようです。その発端として徳川家康は慶長8(1603)年、征夷大将軍に任ぜられると、最初の法令として「郷村法令」を出しました。

 藩の行政に不正があったら、幕府の代官や奉行所ヘ届けた上で直目安(家康への直接の訴状)を出してよい。しかし、幕府代官の不正については、そうした届け出無しに直接、直目安を出して良いとして、農民に藩や幕府代官の不正を訴える権利を認めたものです。

 実際に、幕府は「百姓成立」の義務を全うしない藩主に対しては、厳しく処分していました。たとえば、会津藩四十万石を治めていた加藤明成が、年貢率の引き上げ、無地高(土地がないのに石高だけある)の押しつけなどで百姓を苦しめていたところに、寛永19(1642)年の凶作が襲いました。

 二千人の百姓たちが一斉に「田畑を捨て、妻子を連れ、隣国に奔ること大水流のごとく」逃散を始めました。その状況が隣国から幕府に注進され、加藤氏は翌年に改易(領地没収)されました。

 幕府がこのように厳しい態度をとっていたので、藩主にとってみれば、領内の百姓に一揆を起こされたら、それは「百姓成立」の責務を全うしていない証拠と疑われる恐れがありました。そこで、冒頭の佐渡の例にも見られるように、極力、穏便に済ませようとしたのです。

 こうして見ると、江戸時代の領主は好きなように百姓を搾取できる権力者などではありませんでした。百姓たちは「百姓成立は領主の責任」という幕府の統治原則を盾にして、一揆で領主を不正や暴政を牽制・抗議する対抗カードを持っていたのです。

・・・因みに

寛永14(1637)年の「島原の乱」は、江戸幕府の存立を脅かしたものですが、これも「百姓一揆説」と「キリシタン一揆説」があります。

「百姓一揆説」:島原領主・松倉重政の子勝家の代になると、圧政が強化され、米、麦以外にナスビ、キュウリの実の数までしらべ年貢を課す。屋根税、囲炉裏税、畳税、子が生まれると頭税、葬式を出すと穴税、壁に吊った棚に税など。 数年前から続いていた異常気象と飢饉の影響で、乱勃発の引き金は代官・林兵左衛門 が百姓に殺されたことに始まります。

しかし、幕府は島原の乱を「キリシタン一揆」と断定します。

■6.仁政エネルギーはどこから来たのか?

「百姓成立」を見事に果たして「美政」であると、幕府から三度も表彰されたのが、米沢藩でした。藩主の上杉家は藩内の経済開発に努め、天明の大飢饉で平年の二割ほどに米作が落ち込んでも、備蓄米を活用して死者を一人も出さず、他藩からの難民も救いました。[JOG(130)]

 その「美政」の基礎を築いた第9代藩主・上杉鷹山(ようざん)は家訓として「伝国の辞」を残し、その一節に「国家人民の為に立(たて)たる君にて」と記しています。君主は国家人民のために尽くすのが責務であるという、まさに仁政イデオロギーを語った言葉です。

 この言葉から思い起こされるのは、神武天皇の建国宣言とも言うべき、「恭(つつし)みて寶位(たかみくら)に臨みて、元元(おおみたから)を鎭(しず)むべし」(謹んで皇位につき、大切な人民を安んじよう)」という言葉です。人民を「大御宝(おおみたから)」とし、その人民が安寧に暮らせるようにするために皇位に就くと言われているのです。

 上杉鷹山が語っている家訓は、神武天皇の建国宣言と同じ思想だと言ってもよいでしょう。しかし、両者は二千年ほども離れています。両者の精神はどこかで繋がっているのでしょうか。

・・・何にしても、江戸時代に発生した百姓一揆は1430件あるということですから、そのそれぞれに多くの人々の営みを善政で導くことが出来ていれば、起こり得なかった事ではあります。

いつの時代も国の平和と繁栄を保つには、多大な工夫と努力が必要です。その意味でも、我が国や世界の歴史を学び続ける必要があります。

posted by at 08:40  | 塾長ブログ

教科書に乗らない歴史上の事実 6 百姓一揆1

幼児教室・学習塾の長崎市五島町にある羅針塾では、人として学ぶ必要のあることは年齢・学年を問わず話したり、教えたりしていきます。そして賢明な子供さんほど、自分以外の塾生と先生との会話も聞いていて、自主的な家庭学習に実践しています。

さて、久しぶりの歴史関連のお話です。

国柄探訪: 「百姓一揆は「革命を目指した階級闘争」ではなかった」(国際派日本人養成講座)http://blog.jog-net.jp/202105/article_1.htmlからのご紹介と引用です。

■1.「戦後の日本史研究者の願望」

 近年の歴史学は、江戸時代の文書の実証的な研究などで、我々が学校で教わった百姓一揆とはずいぶん違った姿を描いています。

 東京書籍版の中学歴史教科書では江戸時代の一揆について次のように記述していました。

__________
 18世紀になると、農村では多くの村が団結して、領主に年貢の軽減や不正を働く代官の交代などを要求する百姓一揆を起こし、大名の城下に押し寄せることもありました。[東書]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この記述からは、領主は農民に過重な年貢を課し、代官は不正を働いて農民をさらに搾取していた。その搾取と戦ったのが、農民の百姓一揆であった、という歴史観が、中学生の頭の中に刷り込まれます。現象としては事実を記述しているのですが、捉え方が一面的です。最近の歴史書を読むと、次のような指摘が目を引きます。

__________
 前近代の一揆が『階級闘争』であるという主張は、事実に基づくものではなく、戦後の日本史研究者の願望によるものである。つまり、そう信じたかった、というだけの話なのである。[呉座勇一・国際日本文化研究センター助教『一揆の原理』2012]

 かつては、百姓一揆を研究すれば、いつかは、歴史のなかで革命を希求してきた変革主体としての『人民』に出会えるはずだという思いが、人々を研究にかき立てた。しかし、それは幻想に過ぎないことが明らかになった。[若尾政希・一橋大学大学院教授『百姓一揆』2018]

 江戸時代を世界に例をみないきびしい近世封建社会として独立させることに研究のエネルギーをそそいでしまった。そのため、生産社会の変化の実態をほとんど視野に入れることができなかった。[田中圭一・筑波大学教授『百姓の江戸時代』2000]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 百姓一揆が「革命のための階級闘争」であったという歴史観は、「戦後の日本史研究者の願望」にすぎなかった、というなんとも強烈な指摘です。そして東書の記述は、まだその「願望」が教科書の中には生き残っているようです。本稿では、最近の実証的な歴史研究が百姓一揆をどのように描き出しているのかを見ておきましょう。

・・・筆者も小・中・高校と「日本史」を学ぶ際に、必ず教科書の江戸の百姓一揆の項目を読む度に腑に落ちないものが有りました。その時の疑念を晴らす説明が記されています。

■2.代官所を廃止させ、奉行をクビにした一揆

 田中圭一教授の『百姓の江戸時代』では、佐渡における一揆の具体例を、当時の文章を引用しながら紹介しています。その一つとして、1760年代に起きた「明和の一揆」を見ておきましょう。明和3(1766)年7月、佐渡は大洪水に見舞われました。その年、低地にある3つの村から奉行所に嘆願書が出されました。

 年貢米を代官所に収めたところ、米俵の縄・俵が粗末で受け取れないと拒否された。縄・瓦を取り替えて治めたところ、今度は米の質が悪いということで戻された。そこで悪米を一粒一粒選んで取りさり、納め直したところ、

__________
御蔵奉行の谷田又四郎様は俵を開いて米を御蔵の土庭に引き開けてしまわれた。それはいかにも無慈悲な仕打ちである。この上は江戸表に出向いて幕府に直訴をさせてもらいたい。[田中、p180]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 佐渡は幕府の直轄領でしたが、通常の奉行所の他に、代官所が設けられていました。幕閣の一部に、奉行所が百姓と妥協しがちなので、年貢の賦課・徴収をもっと厳しくすべしという意見があり、幕府の勘定奉行所の直轄機関として設置されたのです。現代で言えば通常行政を行う県庁の他に、国直轄の徴税機関が設けられたようなものです。

 代官所の長の谷田は、「幕府を甘く見るな」と見せしめのために、非情な行為を行なったのでした。百姓たちは、自分たちが汗水垂らして作った米を土庭にばらまくという谷田の「無慈悲な仕打ち」に怒り、江戸に直訴したいと奉行所に訴えたのです。もちろん直訴は許されませんでした。

 百姓たちの怒りは治まりません。その年の10月の終わりに村々に回状が回りました。来たる11月4日六ツ時(午前6時)から、佐渡国中の男子15歳以上50歳までのものは代官所に向かい、谷田の屋敷と代官所の建物を打ち壊そう、というのです。武具(刀、槍、脇差し)の所持は固く禁じ、うちこわしの対象は谷田の屋敷と代官所の建物に絞っていました。

 5日には150人ほどの農民が代官所近くの寺の境内に集まり始めました。奉行所の役人がやって来て、彼らに説得を続けます。6日には農民たちはポツポツと帰っていきました。何が話し合われたかは文書には残っていませんが、その後の幕府の処置を見れば、農民たちの要求が大方聞き入れられたことが窺われます。

 奉行所は明和4年の年貢については、翌5年3月まで延納を認めました。明和7年、奉行谷田又四郎は江戸に召し替えされ、代官所も廃止されました。同じ年、一揆の責任者として、訴状を作成した寺の住職一人のみが斬罪に処せられました。百姓は罪を問われなかったのは、奉行所も事を荒立てたくなかったからです。

 

所謂(いわゆる)「士・農・工・商」の厳しい身分差別があった・・・というところから、教科書が記載されているので、江戸期の人々は武士以外は抑圧されていた、というステレオタイプ(stereotype:ものの見方・態度や文章などが型にはまって固定的であること)の記述がされています。

多くの歴史嫌いの子供や大人達が、「日本史」に興味を持てないのは、我が国の正しい歴史や人々の息遣いを感じることが出来ないからでも有ります。現在の自分達に繋がるご先祖様の生き様が描かれて初めて、興味や学ぶ意欲が出てくるものです。

■3.「百姓成立」は領主の責任

 この一つの逸話から、百姓たちがどのような思いで一揆を起こそうとしたのかが窺えます。それは決して「幕府の圧政を革命で覆そう」ということではありませんでした。百姓たちが怒ったのは、谷田の「無慈悲な仕打ち」であり、それが正され、奉行所の思いやりのある政治すなわち「仁政」が復活すれば、それで納得して引き下がったのです。

 当時の幕府も藩も百姓も、あるべき政治については一つの合意したかたちがありました。領主は百姓の生活が成り立つ(当時の言葉で「百姓成立」)よう保障する責務があり、百姓はそれに応えて年貢を「皆済」(すべて納めること)する義務があるという、双務的なかたちでした。これを現代の歴史学者は「仁政イデオロギー」と呼んでいます。

 現代の政府が国民の生活を守り、国民は税金を納めるというかたちと本質的には同じです。「百姓成立」とは現代の基本的人権に通じる考えなのです。

 そして幕府や藩が、腐敗や失政によって「百姓成立」の責務を果たさない場合には、百姓は一揆によって抗議し、その原因が取り除かれれば満足して一揆を止める。そういう体制内の抗議だからこそ百姓一揆は武器を持って人命を損なうことを固く禁じ、打ちこわしの対象を明確にしていたのです。

 江戸時代に発生した百姓一揆は1430件[若尾、960]。そのうち一揆が竹槍で役人を殺害した事例はわずか一件にすぎません[呉座、231] 鍬や鋤は暴動のためではなく、「百姓のシンボル」であり、「自分たちが百姓身分を逸脱していない」というアピールであったと考えられています。

・・・百姓一揆 2へ続きます。

posted by at 16:32  | 塾長ブログ

音読で磨く暗記力・読解力

幼児教育の意義や重要性を理解されている親御さんは、羅針塾での学びをとても理解をして頂いています。

幼児期の音読は、正しい呼吸法で行うと肺活量も上がり、大きな声も出せるようになり、自然に読む姿勢も良くなります。

何より、言葉が明瞭に発音出来ます。

そして、大きな目的である暗記する力と読解力が高まります。

音読教材の例

例えば、

上掲のA4サイズ一枚強の文章を、小学校受験をし見事合格した塾生は、集中して10回の音読で暗記してしまい、過たずに朗読(ろうどく:声に出して読み上げること)できるようになりました。

五歳前後から、音読の練習を繰り返していきますと、「覚え」なさいと言わなくても、自然に口からついて朗読できるようになるのは、大人から見ると驚きですが、実は昔から日本人はそのようにして学んできているのです。

これは、英語の音読についても同様です。

そして、「読書百遍、義自ずから見(あら)わる」(どんなに難しい書物でも、繰り返し読むうちに意味が自然とわかるようになるものだということ)という諺は、いつの時代でも変わらぬ真実です。

また、読解力が知らず知らずに高まるのは、年齢に関わらず、習わなくとも漢字が読めるようになり、その結果語彙が増えていくことで、文章の意味合いまで推測することができるようになります。

英語の場合、音読を繰り返すことで、発音もストレス・アクセント(強勢アクセント stress accent)も身に付けることが出来るようになります。

この頃の学校教育では、「音読」の時間がとても少ないので、これを家庭で補わない限り、その効用の恩恵に預かることは出来ません。

 

 

国語力、英語力が一段と向上しました。

国語力と英語力は多くの共通項があります。幼児教育と学習塾の羅針塾では、先ず、母語である国語、其れからの英語。

と、考えています。

例えば、しっかりと語彙力を蓄えつつある新一年生。長崎大学教育学部附属小学校受検生。最初に面談させていただいた時、シャイでお母さんの背後に隠れ、挨拶もなかなかできるかな、と思われていた塾生さん。

受験を乗り越えての入学式前の当塾の春期講習を終えた現在、音読は漢字仮名交じりの文章はスラスラ読め、漢字力は既に小学校一年生終了時の実力。

挨拶も元氣良く、通塾時の二時間の学びは全集中。一年もすると、お母様も驚くほどの成長です。

また、新六年生の例。

幼児期から英語教室に通い、小学校でも五年間英語の学びをしていましたが、英単語のスペルはあやふや、英作文はなかなか書けませんでした。

そこで、春期講習の10日余りで国語力をつける為に音読、徹底した国語辞典、漢和辞典の活用をしつつ、英語力を上げる為に英和辞典を同時進行的に引きながら、英語の筆記体で徹底的にノートに書き進めました。

すると、国語文法と英語文法を比較しつつ、上手に英作文を書き始めました。それも美しい筆記体です。

 

・・・・・筆者が指導しつつ、いつも感じることですが、日本の子供さん達の吸収力の素晴らしさ、成長力の大きさに感動すら覚えてしまいます。日本の将来を担う人となって欲しいと念願します。

「勉強ができる人」は生まれつきの才能ではない

国語・算数(数学)・理科・社会・英語の主要科目の中で、最も重要な科目は何でしょうか?

学力向上の決め手は何か、を不断に考え実践している幼児教育・学習塾の羅針塾では、国語力の向上を何より重視しています。

さて、すべての勉強の基本は「国語力」にあるという考えを披瀝している記事が目に留まりましたので、引用してご紹介いたします。

「東大卒の異彩・山口真由が考える『国算理社』で一番重要な科目」(信州大学特任准教授・米国ニューヨーク州弁護士)https://president.jp/articles/-/44235kから。

みなさんは、勉強ができる人というのはいったいどんな人だと思いますか?

地頭がいい人? それとも、長時間机に向かう根性がある人でしょうか?

わたしの答えは明確です。それは、「自分の勉強法」を確立している人です。

勉強とは、新しい知識を得て、それを理解していくことです。そして、このプロセスを短時間かつ効果的に行うための方法が「勉強法」。つまり、勉強ができる人とは、自分にとって最適な方法をわかっていて、それにしたがって進んでいける人のことなのです。

勉強法といっても、なにか特殊なノウハウを覚えるわけではありません。自分にとっていちばん「楽」で、余計なことを考えずに続けていける方法、それが自分に合った勉強法です。

・・・とても分かりやすい指摘です。 勉強法も「十人十色」です。

突き詰めると「自分の勉強法」を築くことができれば、勉強の成果を出せるようになる、ということです。

勉強は「才能」ではなく「回数」

わたしが、読むことを軸にした勉強法を推奨すると、「もともと文章の要旨を掴む才能があるのでは?」といわれることがあります。

でもわたしは、「文章に意味さえあれば、どんなに難解でも、誰もが必ず理解できる」と考えています。

なぜそう言い切れるのか?

それは、どれだけ難しいと感じる文章でも、10回、20回と繰り返し読むことで、必ず要旨を見つけ出せるからです。

もちろん、難解な専門用語が多い文章の場合は、何度読んでも理解できないかもしれません。その場合は、専門用語の一つひとつをていねいに説明している別の基本書を先に読めば、やがて文意を理解することができるでしょう。

つまり、才能ではなく「回数」の問題なのです。

難解な文章をあっさり理解するような人がいても、そこには、これまで文章を相当程度読んできた経験によるちがいがあるだけです。すぐに理解できる人は、おそらく背景知識を得るための膨大な読書を積み重ねてきたのでしょう。

 

・・・上述の具体例は「読書百遍義自ら見る*」(「読書百遍意自ずから通ず」)の諺に通じます。

* 読書百遍(ひゃっぺん)義(義)自(おの)ずから見(あらわ)るとは、どんなに難しい書物であっても、繰り返し読むうちに意味が自然とわかるようになるものだということ。

魏の学者董遇が、弟子入りを申し込んだ者に対して言った「読書千遍、其の義自ら見る」から(出典:『三国志』魏志-董遇・裴松之注)。
多くの本を読めばよいというものではなく、良い書物を熟読することに意味があるという乱読を戒める意味を含む。

Repeated reading makes the meaning clear. くり返し読めば意味がはっきりしてくるものだ。

すべての勉強の基本は「国語力」にある

わたしは、すべての勉強の基本は「国語力」にあると考えています。ここでの国語力は、インプットのための「読解力」と、アウトプットのための「表現力」を指します。

とりわけ読解力は、すべての勉強における最重要要素です。

なぜ、読解力があるといいのでしょうか? 

その理由は、文章を読んだときに、次のことを明確に掴めるからです。

・書いた人はなにがいいたいのか?
・なにが問われているのか?

個人的な経験では、大学受験はもとより、司法試験やロー・スクールの試験でも、国語力が結果を大きく左右すると感じました。

(中略)

国語力を上げる方法は、これに尽きます。

ていねいに読む。

コツは、本当にこれだけです。

国語力が低い人は、自分でも気づかないうちに文章を読み飛ばしたり、自分の思い込みで勝手に意味を補ったりして、解答が著者(出題者)の意図から離れていく場合がとても多いのです。

わたしは、国語力を上げるために特別な教育を受けたわけではなく、ただ人よりも多く本や教科書をていねいに読み続けただけです。そうして国語力に偏重したことでハーバードまで行けたと、わたしは本当に思っているのです。

 

・・・筆者もこの考え方には大賛成です。

国語に限らず、どの科目であれ「ていねいに読む」ことができない人の場合、読み違えやケアレス・ミスが多いのは事実です。

羅針塾では、幼児期から丁寧に読むこと、つまり句読点や語句のまとまりなどにも意識して、普段からしっかり「音読」することを心がけています。

posted by at 16:59  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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