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学びの癖をつける

長崎市五島町の幼児教室・学習塾の羅針塾では、小学校就学前後の子供さんをお持ちのお母様方から、「厳しく育てること」と「伸び伸び育てること」についてのお尋ねがあります。

躾(しつけ)や教育に関し、ご自分の方針が揺らぐことがあるのは、誰しも経験があります。

基本的に、「厳しく育てる(しつける)こと」と「伸び伸び育てること」は、二項対立(*)的な関係にはありません。

(*二項対立=論理学で、二つの概念が矛盾または対立の関係にあること。また、概念をそのように二分すること。内側と外側、男と女、主体と客体、西洋と非西洋など。二分法。)

一個の人としての人格形成に必要な常識・礼儀・作法は、日本人として身に付けておかなければなりません。これが出来ていないと、「お里が知れる」「親の顔が見たい」「非常識」と大人になってから、暗に批判されかねません。

芸能,芸道、武芸、武道,などにおいて,技芸上の典型として,また規範,規則として尊重されるものに、「型(かた)」があります。いわゆる名人の域に達する人と言えども、初学者の時は厳しく「型(かた)」を覚え込まなければならず、出来るまで厳しく叱責されます。

一方、

「子どもの本性を尊重して、自由で自然な成長を促すことが教育の根本である」、というジャン・ジャック・ルソーの『エミール』で著された考え方もあります。また、これを支持する我が国の教育者もいます。

『エミール』は教育理論の古典となっていますが、酷薄非情な父親が高邁な子育て論を書いた偽善の書とも言われています。何故なら、ルソーは自分が作った5人の子供をすべて孤児院に棄てているからです。

さて、

「厳しく育てる(しつける)こと」と「伸び伸び育てること」の矛盾しない一つの例として、「日本の礼儀作法」〜宮家の教え〜(竹田恒泰著 マガジンハウス出版)p.11~から引用してご紹介します。

名前を大切にすること

父も厳しかったが、それに増して厳しかったのは父方の祖父母だった。私は小学校二年生から三年生にかけての約一年間、家の事情で高輪の祖父母の家に預けられていた。そこで習ったのは、礼の仕方、箸の上げ下げ、風呂の入り方、服の畳み方、神前での作法、玄関では靴を揃えること、そして、我慢すること・・・。大切なことは頭ではなく体で覚えさせられた。三十年近く前に教わったことが自然と身についているのは、幼少期の躾のお陰だろう。今の私の立ち居振る舞いは、子供じぶんに既に決定されていたように思える。

この一年間は、私の人生の中で、最も厳しい躾を受けた時期だったと思う。祖父母とも普段は優しく接してくれたが、決して贅沢(ぜいたく)はさせてもらえなかったし、我儘(わがまま)は一つも聞いてもらえなかった。そして、私が何か間違いを起こすと、祖父の雷が落ちて、小学生だった私はその度に震え上がって泣いた。テレビを見ている祖父の視線を遮って怒鳴られたことは何度もあった。

忘れもしない、ある晩のことである。私は食堂の大きな机に着いて、祖父の前で学校の宿題をしていた。私が提出する宿題に、自分の名前を汚い字で殴り書きするのを目にした祖父は、平手を机に叩きつけて立ち上がり、宿題の紙をずたずたに破り捨てて、耳を擘(つんざ)くほどの大声で怒鳴った。

「自分の名前を粗末にするな!」

祖父の突然の剣幕に恐れおののく幼い私をよそに、祖父は自分の部屋に行ってしまった。すると、それを見ていた祖母が、わなわなと震える私に優しく声をかけてくれたのだった。「ぐすん、ぐすん」と泣く私に、字が汚いから怒られたのではなく、名前を粗末にしたから怒られたということを教えられた。そして「竹田」というのは明治天皇から賜ったもので、「恒泰(つねやす)」という名は祖父がつけてくれたことを初めて聞かされた。

(中略)

祖父は「自分に誇りを持て、家に誇りを持て、先祖に誇りを持て、そして皇室と日本に誇りを持て」と言いたかったのだと思う。

(中略)

社会人になってから、大切にすべきは、自分の名ばかりではないことを知った。人には必ず名前があって、それぞれに思いが込められている。だから、人様の名前を書き間違えたり言い間違えたりすることはあってはならないことであり、名前は丁重に扱わねばならないことがわかった。手紙の宛名を丁寧に書くのも同じである。

以来、私は自分の名前を粗末に書いたことは一度もない。もしあの時、祖父の怒りに触れていなければ、あのまま、名前を大切にしない大人になっていたことだろう。怒鳴られずに、宿題のプリントを破り捨てられずに、ただ優しい言葉だけで説明されても、きっと骨身に染みることはなかったと思う。

・・・最近の風潮として、「叱る」べき時に、躊躇なく叱るのではなく、説明して判らせようとする親御さんもおられるようです。考え方は様々ありますが、時や所、場合に関わらず、「叱るべき」ときには「為らぬものは、為らぬ」と叱る親や祖父母など周りの大人の気概は必要です。

怒鳴られずに、宿題のプリントを破り捨てられずに、ただ優しい言葉だけで説明されても、きっと骨身に染みることはなかった」と、大人になっても感謝出来る人に、日本の子供さん達にはなって欲しいものです。

人としての有り様(ありよう:有るべき姿、理想的なあり方)を、躾や作法を通して身に付けることが、「学び」の癖をつけることにも繋がります。

 

 

posted by at 18:35  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

なぜ国語教育が必要か。

長崎市五島町の幼児教室・学習塾の羅針塾では、『学び』の大前提として「国語教育」に力をいれています。

若いお母さん方の中には、英語教育を早く始めると、native(出生地の、自国の、その国に生まれた固有の)の発音が身につくから、これからの時代には必須である、と勘違いをされている例があります。

英語の早期教育の功罪はともかく、母語である日本語が大事であることは誰しも認めることでしょう。

その「大事」さの中身は、一般に日本語の会話、漢字の読み書きや意味合いを指している様です。我が国に住んでいれば、放っていても会話や発音、漢字の意味合いは年を経ると分かる様になります。ある意味、子供さんに会話力があれば、親御さん方が改めて「国語」を学ぶ意味合いや重要性に気付かず、「教科としての国語」に力を入れようとは考えません。

筆者自身が学んできた経緯を振り返ってみても、小・中学校と国語(現代国語)指導の良き教材とそれを活用する先生に学んだ記憶がありません。従って、国語(現代国語)の試験対策は、時間も手間もかけていませんでした。ところが、高校以上へ進学後に、自ら「国語」力の無さに気付かされることになりました。

自らの反省に立つと、現代国語の学びの浅さを補ってくれたのが、「古文」や「漢文」です。

「古文」は漢字仮名混じりなどで書かれていますが、読んでみても分かった様な分からない様な・・・また、「漢文」は漢字のみで綴られています。

つまり、読んで理解するにはしっかりと古典文法や漢文の文法を学ばない限りは、「古文」や「漢文」は理解不能なのです。「古文」・「漢文」の大部(たいぶ:ページ数の多い書物)の参考書をしっかり読み込んでいくことによって、古典・漢文が理解できる様になると、結果として現代国語の理解が進む様になりました。

そこに気付いて、改めて「国語(現代国語)」の文法や熟語などの意味合いをしっかり理解していくと、納得がいく様な結果が出せる様になりました。

 

日本人として母語である国語をしっかり学ぶことは、外国語の習得にも大いに役立ちます。英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語等々の外国語も、しっかりと理解するには文法が極めて大事ですし、文法は日本語で書かれています。同様に、幸いにも多くの外国語の文献は日本語に翻訳されているので、日本語の読解力があれば、学術的な文献も読むことができます。

2018年2月6日に当ブログのページに取り上げた(https://rashinjyuku.com/wp/post-1084/)「国家の品格」の著者藤原正彦氏(お茶の水女子大学名誉教授)は、「子供の勉強で大事なものは一に国語、二に国語、三・四がなくて五に算数」と述べられています。

つまり、数学者である藤原正彦氏が、「算数より国語が大事」と言っておられる訳は、「算数や数学は、論理立ててものごとを考える力を養うことには役立つが、日本人としての繊細で深い感性を養うには国語教育が欠かせない」からです。

話は変わって、

17歳の高校生棋士、藤井聡太新棋聖は、AI (人工知能)との共存期における棋士の可能性を問われて「将棋界の盤上の物語の価値は不変」と答えたそうです。

この「将棋界の盤上の物語の価値は不変」という言葉を、若干17歳の高校生が語れるのは、相当な分量の語彙と、それを用いることが出来る「国語力」が無いと語ることは出来ません。

次から次へと、日本の若者が各界で活躍しています。その代表格に、中卒の、日本棋院東京本院所属の囲碁棋士、九段、芝野虎丸(しばの とらまる)氏がいます。

2020年6月26日最年少で名人、王座、十段の3冠を達成。インタビューの中で、将棋の藤井聡太七段(当時)に言及し、「年も近い。藤井さんのダブルタイトル(棋聖、王位)挑戦のニュースは励みになった。自分も負けていられない。」と答えています。そして、同年7月16日、藤井聡太七段が史上最年少で棋聖のタイトルを獲得した際には、ツイッターで「藤井先生、おめでとうございます」と祝意を述べたそうです。

参照:柴野虎丸名人会見(https://www.youtube.com/watch?v=gJmxcUEJIBU

これだけのコメントを語れる若者が存在する以上、日本の未来は明るいと思います。

何故か、日本の伝統的な将棋、囲碁の世界から若者のスーパー・スターが現れることが、ヒントの様です。改めて、親御さん方が古典や伝統的な世界を渉猟(広い範囲を探し求めること。沢山の書物をあさり読むこと)すると、子供さん達をより良き方向に導くことが出来ると考えます。

 

 

posted by at 22:12  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

授業の遅れへの対応

長崎市五島町の幼児教室・学習塾では、国立・公立・私立を問わず、武漢ウィルスの影響で授業が行われず、家庭学習に終始せざるを得ない状況で不安に思われているご家庭にも対応しています。

学びの基本は、先ずはしっかり教科書を完全に理解することから始まります。ある意味で、武漢ウィルス騒動で学びの基本に戻ることができます。

つまり、学校の一斉授業を児童・生徒が普段から受け身で受けていると、授業が行われないとどうすれば良いか不安になっていることでしょう。しかし、教科書さえあれば、自分の力で音読し、内容を理解し、与えられている問題を解くことで、自学自習ができます。教科書の分からない語彙は辞書を引き、自ら記すことで、自主的な学びになっていきます。

インターネットを活用し授業をデジタル配信することで学校の授業の不足を補おうとの試みがなされていますが、これも教える側からすると良かれと考えていますが、児童・生徒には意外に不人気です。

教科書が本当に優れた教材の基本であるならば、教科書をしっかり理解し、隅から隅まで頭に入れることで、授業の遅れは解消できるはずです。

現在の学校教育では一斉授業が基本ですから、先生方はその機会が奪われることで、教育の遅れを危惧されているのでしょう。むしろ、「ピンチがチャンス」と考えて、児童・生徒にテーマを与えて自学自習するきっかけにすれば、「災転じて、福と為す」ことができます。

武漢ウィルスの再燃が危惧され、再び学校が閉鎖されないとも限りません。

仮にその様な事態になっても、教科書を基本にして、自ら進んで学び、探求したいことを自主的な学習としていけば、これが本当の意味での「アクティブ・ラーニング」となっていきます。

パンデミックと源氏物語2

長崎市五島町の幼児教育・学習塾の羅針塾では、幼児さんを子育て中のお母さん方からの質問も受け付けています。言葉が出始める前後から、急に玩具や絵本などが家の中に増え始める時期と重なります。

絵本も国内並びに海外の翻訳ものなど多種多様です。玩具も所謂(いはゆる)知育玩具からキャラクターものまで百花繚乱。

何気なく購入したり、頂いたりしたものまで数えると、結構な量になります。

本や玩具は、年齢や知力に応じ「断捨離*」する必要があります。

*断捨離(だんしゃり)・・・沖正弘が提唱したヨガの思想。断捨離は、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、ヨーガの行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)を応用し、

  • 断:入ってくるいらない物を断つ。
  • 捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。
  • 離:物への執着から離れる。

として不要な物を断ち、捨てることで、物への執着から離れ、自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的である。ヨーガの行法が元になっている為、単なる片付けとは異なるものとされている。(wikipediaより)

元気なハバネラの小さな花

 

さて、源氏物語についての「加瀬英明のコラム」「パンデミックは奇貨となるだろうか」http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgiからの引用です。

さまざまな香り――薫香が、もう1つ物語の進行を取りしきっている。名香に、梅花香、侍従、黒方(くろぼう)、荷(か)葉(よう)、薫衣(くのえ)香、百歩香などという名がつけられているが、おそらく6、70種類の薫香が舞台回しのように出てくる。

香りはくらしに密着していた。屋内にくゆらしただけでなく、袖や、紙、扇に香りをたきしめた。それも、自分なりの芳しい香りを工夫して、四季にあわせて調合した。

今日の日本では、クラブのホステスや、名流婦人が、不粋なことに1年を通して同じ西洋香水をつけているのには、辟易させられる。大量生産された安いガラス瓶に、はいっている。

源氏の世界では自分だけの香の壺を、四季にあわせてもっていた。

香りは清めであり、人々ははかない香りに感傷を託して、宇宙の静寂を感じた。

西洋の香水は、今日、日本の家庭に普及している除臭剤とかわりがないが、源氏の世界の香りは、優美なものだった。

自然は静かだが、人間は煩さすぎる

「匂」という字は、もとの中国にない。日本でつくった国字だ。よい香りがたつことだけを意味していない。

日本刀の小乱れした刃紋も「匂う」と表現するが、美しく輝いていることをいう。「朝陽に匂う山桜哉(かな)」という句がよく知られているが、山桜が朝の光をいっぱいに受けて、輝いているという意味である。

『源氏物語』のなかで、女性が「匂ひやか」というと、美しいことを表している。

桜の花は馨らない。光源氏が桜の花が美しいのに、香りがないことを慨嘆している(若菜)。

香を賞(めで)るというが、香りと静けさは1つのものだ。心を落着かせて集中しないと、身心を香りにゆだねることができない。

ゆとりがなければ、香を賞でることができない。香を嗅ぐことによって、ゆとりが生まれた。人生に間をはかることが、大切なのだ。

世間で“引きこもり疲れ”とか、“自粛疲れ”という言葉が流行っているが、自分を取り戻すよい機会だろう。

 

・・・なかなか蘊蓄(うんちく:深く研究して身につけた知識)のあるお話しです。源氏物語の中に流れる日本民族の感性の一端が紹介されています。殊更貴族階級だけのものではなく、大和言葉は広く一般の人々も同じ様に理解し用いていたことから、日本人独自の「感性」は連綿と現在まで繋がっています。

但し、現在の良くも悪くも「洋風化(グローバル化)」した風潮の中で、日本人の歴史・伝統・文化を踏まえた教えや習い事などを家庭でさせることができていれば、これからも日本人の「感性」は伝えていけることでしょう。

幼児教育の一環として、所謂、「道」のつく習い事(香道、書道、茶道、華道など)を幼い時から継続することはお勧めです。今ある小学校以上の学校での学びは基本ではありますが、子供さんの家庭や家系の伝統に基づく習い事は、人間形成に大きく関わり、その人となりの根幹を基礎付けます。

posted by at 15:00  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

パンデミックと源氏物語1

長崎市五島町の幼児教室・学習塾の羅針塾では、学びの合間に塾生に応じた会話を交わすことがあります。学ぶ教科に関連することから、敷衍(ふえん:押し広げること、展開すること)したり、時には話が脱線してあらぬ方向へ行くこともあります。塾生には、世界情勢や、歴史や自然科学の方面など、様々な物事に興味を持って欲しいものです。

さて、時折引用しているブログからご紹介です。→「加瀬英明のコラム」「パンデミックは奇貨となるだろうか」http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

ようやく全国に外出自粛を強いていた、緊急事態宣言が解除された。

 といっても、相手は疫病神(えやみがみ)だからまだ安心できない。しばらくはマスクを着用して、人々とのあいだの距離をとることになるのだろう。

 武漢(ウーハン)ウィルスの大流行という奇禍によって、自宅と近くの事務所を往復して逼塞する日々を過していたが、自分の時間を落ち着いて持つことができたのは、珍しい財貨――奇貨というものだった。

 予想もしなかったが、おとなになってから、はじめて長い休暇に恵まれたと思った。

 インスラ、アウタルキア

 2つの小さな島に似た、自宅と事務所に籠るうちに、英語で「孤立、隔離」を意味するアイソレーション*1の語源が、海外に留学した時に学んだラテン語の島の「インスラinsulaであるのを思い出した。英語のアウタルキー(自給自足)*2の語源が、ラテン語の「アウタルキア」autarkiaだったと、頭に浮んだ。

 自粛中は人出や、交通量が大きく減ったから、喧噪が失せて静かだった。

 仕事や会合や、絶え間ない都会の騒音によって、関心がつねに散らされて、自分をおろそかにしていたが、案じることから感覚まで自給自足するようになった。

 自宅が表通りの裏の路地に面しているが、狭い庭に集まったスズメの囀りや、近くの皇居の森から飛んでくる野鳥が鳴きかわす声が、はっきりと聞えて嬉しい。

 街が静かになったからだ。玄関を出入りする時に、家人が植えた花の甘い香りに気がついて、狼狽(うろ)たえた。喧騒のなかで視覚や聴覚を酷使していたために、五感が鈍ってしまったのだと思った。

 つい、4、50年前までは、私たちは東京に住んでいても、自然が心身の一部になっていたから、自然を身近に感じたものだった。

 だから樹木が芽をふくころに、屋根や緑を静かに濡らす雨は、春雨(はるさめ)だったし、五月に入ると五月雨(さみだれ)、秋から冬にかけて降る雨や、通り雨は時雨(しぐれ)といった。

 春なら霞(かすみ)、秋は霧といったのに、いまでは環境が人工的になったためか、心が粗削(あらけず)りになってしまったためか、1年を通してただ霧としか呼ばない。

 英語は季節感が乏しいので、霞も、霧もすべて「フォッグ」fogか、「ミスト」mistか、「ヘイズ」hazeであって、季節によって呼び分ける繊細さを欠いているから、味気ない。

*1 isolation=隔離、分離、孤立、絶縁 *2 autarky=経済的自給自足

・・・外交評論家としてご健在な加瀬英明氏は、該博(がいはく:広く物事に通じていること)な知識と、軽妙な文章表現をされるので、読んでいても楽しいものです。氏が述べられている様に、日本語の情趣豊かな表現は、外国語の追随を許さないと言えるでしょう。

筆者は、日本語字幕の外国映画をよく鑑賞しますが、セリフが英語表現の際に、度々上手く字幕を訳しているなあ、と感心することがあります。英語のセリフは、場面が違っても同じ様な英語表現であるのに、日本語の字幕は漢字を交えているので、場面に応じて日本人の翻訳者が上手に表現していることが多々あるのです。

 

『源氏物語』を読む

私は『源氏物語』、川端文学の優れた訳者として有名な、エドワード・サイデンステッカー教授と昵懇(じっこん)にしていた。

「サイデンさん」と呼んだが、下町をこよなく愛していたので、山の手で育った者として、下町文化のよい案内役をえた。永井荷風文学をよく理解できるようになった。

(中略)

私は『源氏物語』を、サイデンさんの知遇をえるまで、製紙、香料の産業史の本として読んでいたが、サイデンさんの導きによって、王朝文学として親しむことができた。

香りは舞台回し

『源氏物語』には数えたことがないが、50種類あまりの紙が登場する。溜漉(ためす)き*3の紙は中国で発明されたが、源氏に「唐の紙はもろくて朝夕の御手ならしにもいかがとて、紙屋(かんや)を召して、心ことに清らかに漉かせ給へるに」(鈴虫)と、述べられている。

流し漉き*4の丈夫な和紙は日本で発明されたが、物語のなかで紙が重要な役割をつとめている。

 

*3溜漉(ためす)き=紙の手漉き法の一。簀 (す) をはめた漉桁 (すきげた) へ紙料液をすくい入れ、揺り動かして繊維の絡みをよくし、水を漏下させて紙の層を得るもの。

*4流し漉(す)き=手漉き和紙の漉き方の一。ねりとよぶ植物性粘液を混ぜた紙料液を、ばね式につるしてある漉き桁 (げた) の中へ手前からすくい入れ、揺り動かして繊維の絡みをよくし、向こう側へ余分な水を流し、これを数回繰り返す。漉き上がった湿紙を重ねても、ねりの粘度が急速に減退するので、1枚ずつはがせる。

・・・源氏物語の中で、「唐の紙はもろくて朝夕の御手ならしにもいかがとて、紙屋(かんや)を召して、心ことに清らかに漉かせ給へるに」の部分は、与謝野晶子版「源氏物語」でご紹介しますと・・・

五島美術館蔵 鈴虫

すずむしは釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)のおん弟子の君のためににと秋を浄(きよ)むる

夏の蓮(はす)の花の盛りに、でき上がった入道の姫君の御持仏の供養が催されることになった。

(中略)

仏前の名香(みょうこう)には支那の百歩香(ひゃくぶこう)がたかれてある。阿弥陀仏と脇士(わきし)の菩薩(ぼさつ)が皆白檀(びゃくだん)で精巧な彫り物に現わされておいでになってた。閼伽(あか)の具はことに小さく作られてあって、、白玉(はくぎょく)と青玉(せいぎょく)で蓮の花の形にした幾つかの小香炉(こうろ)には蜂蜜の甘い香を退けた荷葉香(かようこう)が燻(く)べられてある。経巻は六道を行く亡者(もうじゃ)のために六部お書かせになったのである。宮の持経は六条院がお手ずからお書きになったものである。これを御仏(みほとけ)への結縁としてせめて愛する者二人が永久に導かれたい希望が御願文(がんもん)に述べられてあった。朝夕に読誦(どくじゅ)される阿弥陀経は支那の紙ではもろくていかがと思召(おぼしめ)され、紙屋(かんや)川の人をお呼び寄せになり特にお漉(す)かせになった紙へ、この春ごろから熱心に書いておいでになったこの経巻は、片端を遠く見てさえ目がくらむ雅さはことさらにいうまでもない。

・・・とあります。

それに付けても、平安時代の高貴な方々の世界とはいえ、優雅で心の持ちようが現代人では想像を絶するほどのものです。現在の私達よりも、自然を敬い、仏道を如何に大事にしていたかが理解できます。

 

posted by at 17:37  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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