‘ 塾長ブログ ’ カテゴリー

学問の木(葉書の起源 多羅葉)

少し前になりますが、郵便局へ向かう道筋で多羅葉の木を発見しました。中央郵便局の裏手の植え込みです。

多羅葉の表面

 

これは「郵便局の木」とされ、郵便局の周辺に植えられていることがあります。これについて詳しく解説しているサイトがあります。「庭木図鑑 植木ぺディア」(https://www.uekipedia.jp/常緑広葉樹-タ行/タラヨウ/)から一部引用してご紹介します。

【タラヨウとは】

・本州中部以西の山間を原産地とする常緑樹。葉の裏面を硬い棒などで傷付けると、しばらくして傷付いた部分だけが黒く残る性質がある。戦国時代にはこの性質を利用して情報のやり取りをしたことから、「ハガキノキ」という別名がある。

・郵便局の木とされ郵便局前に植栽されることもある。ハガキ(葉書)の語源になったという説もあり、現代でも定形外郵便としてハガキに利用できる(ただしタラヨウの葉に限らない)。

・弘法大師がこれを用いて字の勉強をした「学問の木」とされ、学校や寺社に植栽されることも多い。しかし本来、インドで経文を書くのに使われたのは「タラヨウジュ(=オオギヤシ、タラジュ、貝多羅樹)」というヤシ科の植物であり、本種はこれにちなんで命名されたに過ぎない。

筆者が、多羅葉の葉の裏面に竹串で文字を書いてみますと、以下の様にまるで2Bの鉛筆で書いたかのような、くっきりした文字が浮かび上がりました。

多羅葉裏面

 

確かに、紙が貴重であった昔の日本では、弘法大師のみならず江戸時代の武士の子弟も文字の手習をしたというのはよく理解できます。

散歩がてらに子供さんを連れて多羅葉の木を探し、「葉書」を書いてみると楽しいこと請け合いです。

 

 

言葉の豊富さと学力の伸び

羅針塾学習塾・幼児教室の令和二年春季講習中のある日、某学校の先生が講習時間中に訪問されました。教育に情熱を傾けておられる先生で、筆者とも時々意見交換を致します。

たまたま、新小学校一年生数名が国語辞典を引きながら漢字ノートに意味調べをしていました。小学校就学前の塾生が辞書を引き意味調べをする光景は、羅針塾では当たり前なのですが、これにひどく驚かれたのです。

「新一年生ですよね。もう、これだけの意味調べをして漢字で筆記するのですか」、と。

驚かれるのは、当然です。

その意味合いを、石井勲先生著作「石井式で漢字力・国語力が驚くほど伸びる」の「第一章 これが遊びいっぱいの漢字学習法」に、「言葉の豊富な子供ほどどんどん伸びる」という項目があります。引用してご紹介します。

言葉の豊富な子供ほどどんどん伸びる

学校の給食の献立表に「むしぱん」とかなで書かれていたため、 「虫の入っているパンが出てくるのかと心配しちゃったよ」と嘆いた生 徒がいたそうです。これは、その子供が「むし」といえば「虫」だけで、 「蒸し」という言葉があるのに気づかなかったことから起こったことでし ょう。

このように、私たちは、言葉(専門的には「内言語」といいます)でものごとを考え、認識しています。ですから、言葉の豊かな子供は、思考の幅が広く正確になります。

このとき、言葉を頭に蓄え、その意味を理解し、ものごとの概念を正 しく認識するには、日本語では何といっても漢字の力を高めることが カギを握ります。

たとえば「しかく」という言葉を想像してください。そのときどきに応じ て、この言葉を正しく認識するには、「四角」「視覚」「資格」「死角」「刺 客」といった豊かな漢字力がベースになければなりません。

ところで、岸本裕史氏(学カコンサルタント)が、小学生を対象に、 知っている言葉の数と成績の関係を調べた、非常に興味深いデータがあります。

それによれば、小学一年生では、五段階評価の成績の上位([5])、中上位([4])、中位([3])、中下位([2])、下位([1])の順に、語彙数が 7000、4000、3000、2000、1000 となっていました。何と、上位と下 位では三倍以上の差があったのです。

一方、小学六年生を調べてみたところ、成績の順に、語彙数が 37000、20000、16000、11000、8000 でした。やはり、上位と下位では 三倍以上の差が認められました。

この結果、「知っている言葉の数の多い子供ほど、成績がよい」とい う傾向が明らかにされたのです。

さらに、「読書量の多い子供ほど、成績がよい」というデータも出て います。これは、六学年全体を対象に、月間読書冊数を調べたもの で、成績が上位の子供では 38~80 冊、中上位では 10~20 冊、中位 では 3~5 冊、中下位では 1~2 冊、下位では 0 冊でした。

もちろん、学校の成績だけで子供の能力を測ることはできませんが、 岸本氏の調査は、少なくとも成績のよい子供ほど、知っている言葉の 数が多く、読書量も多いことをはっきり表しています。

日本語は、その特徴として、内容の深い言葉の多くが漢字を基本にして作られた「漢語」です。ですから、漢字に強くなるほど内容豊か な言葉をたくさん蓄えることができます。

そうすれば読む力がついて、おのずと読書の楽しさに目覚め、読 書量も増えますので、国語力が高められます。その国語力が他の教 科の理解力を高めますので、全体的に学力が向上してくることはいう までもありません。

ところが、小学校に入った子供たちが受ける国語教育、とりわけ漢 字教育には大きな問題があります。

小学校一年生が学ぶべき学年別配当漢字は、わずか八十字です (小学校六年間では合計で 1006 字*筆者注)。この数字に限定されているの は、読める漢字は同時に書けないといけないという考え方(つまり「読 み書き同時学習」)で国語を教えているためです。しかも、この「読み 書き同時学習」で子供に教えようとすると、「交ぜ書き」という極めて効 率の悪い学習を余儀なくされます。

たとえば、はじめにでも触れましたが、「予防注射」という漢字を学 習する場合、小学校一年生と二年生の配当漢字表には、四つの漢字 はどれも合まれていないために、「よぼうちゅうしゃ」とすべてひらがな で習うことになります。

三年生になると、「予」と「注」という漢字は習うので、「予ぼう注しゃ」 と交ぜ書きで表記することになります。

五年生になると「防」という漢字を習うので「予防注しゃ」となり、六年 生になって射が出てきてやっと「予防注射」とすべてを漢字で表記で きることになります。

こうして、「予防注射」と表記して読みと書きができるまでに何回も習 い直すわけですから、これを能率が悪いと言わずして何と言うでしょう。 それに子供だって混乱するばかりですし、だいたい途中で飽きてしま うでしょう。

これを解決するには、読みと書きを別にして、最初から「予防注射」 として表記し、一年生から読ませるようにするだけでいいのです。こう すれば、どんなに簡単にこの言葉を覚えられるか、容易に想像がつく でしょう。

実は、こうした「交ぜ書き」が教育現場で用いられてきたのは、幼い 子供ほど漢字よりひらがなのほうが覚えやすいだろうという誤った考 え方があるからです。くわしくは、のちほど述べますが、事実はまった く逆なのです。零歳や一歳の子供でさえ漢字ならば絵を見るように喜 んで覚えてしまうのです。

*筆者注:2017年(平成29年)に告示された新小学校指導要領で改定され、全1026字となった。義務教育で習う常用漢字2136字のうち、これら1026字を除いた残りの1110字を中学校で習うことになる。

・・・この石井勲先生著作「石井式で漢字力・国語力が驚くほど伸びる」はなんと、2001年に書かれた19年前の著作です。約20年前の教育事情から今日まで、果たして義務教育年齢の小・中学生の「国語力」、「読解力」は向上したのでしょうか。

正直なところ、「国語力」、「読解力」が向上したとはとても言えないのが筆者の実感です。

従って、前述の先生が小学校就学前の当塾生が辞書を引き意味調べをする光景に驚かれるのは、現状の小学校では有り得ないことなのでしょう。

笑う門には

羅針塾学習塾・幼児教室では春の講習が無事に済みました。

令和二年の1月から4月まで、武漢ウィルスの日本での蔓延が時々刻々伝えられ、また欧米諸国の感染者数が日々伝えられると、大人のみならず子供達の精神衛生上、少なからず影響が大きいと考えました。

そこで、ザ・ドリフターズのメンバーで武漢コロナウィルスによる肺炎の為、令和二年三月二十九日に七〇歳で亡くなられた志村けんさん追悼「8時だヨ!全員集合」大観賞会を塾内で実施しました。

無論、「8時だヨ!全員集合」は1970年代から1985年までの番組ですから、現在の塾生は全く知りません。塾生のお父さんもお母さん方も年代によっては、旬がずれればご存知ではない。

さて、どんな反応が?

ひたすら学びに集中している塾生に、前もって告知する事なく、昼食後に突然「今日は、皆さんに志村けんさん追悼の番組をお見せします」と言って、始まり、始まり・・・

面白い事、楽しい事は、時代を超えて塾生に伝わります。

大爆笑!、大爆笑!!、大爆笑!!!

腹を抱えて、大笑い。椅子から転げ落ちたり、床に寝転がって、大声をあげての大笑い。男子女子の差なく、大笑い。

約40年前後の年代の差があるにもかかわらず、令和二年の子供達が、昭和の子供達の生放送の舞台を鑑賞する際にあげる歓声や拍手と、シンクロして(同調して)、「8時だヨ!全員集合」の映像に向かって拍手し、歓声を挙げ、大笑いしたのです。

筆者も驚きました。

笑うツボは世代に関係なく、同じ。普遍的な笑いを志村けんさんは提供していたのです。

勿論、ドリフターズのリーダーいかりや長介、加藤茶、仲本工事、高木ブーさん等との掛け合いから生まれた絶妙の間、笑いが現代の塾生にも大受けだったのです。

「笑う門には福来たる」 武漢ウィルスに負けず終息するまで、元気に学びを続けていく。「笑う」ことは免疫力を上げる大きな手段です。

いろはより 二宮翁夜話

11歳の塾生との会話。

「最近、何か本を読んでいる?」(筆者)

「はい。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』です」(塾生)

「そうなんだ」と言いつつ、速攻検索。(「ああ、新聞の書評欄で斜め読みした本だ、」)と思いながら、

「それで、どんな感想を持ったの。」(筆者)

「まだ全部読んでないのですが、現在のイギリスの世相がよくわかります。」(塾生)、と。

ネット検索して、内容紹介を読むとなかなか面白い。テンポよく11歳の男の子と母親の日常が描かれています。英国の教育事情や階級社会・人種問題の現実が反映され、とても興味深い。

 

話は変わって、二宮翁夜話 巻之一 十四から。

翁曰、万巻の書物ありといへども、無学の者に詮(セン)なし、隣家に金貸しありといへども、我に借(カ)る力なきを如何せん、向ひに米屋ありといへども、銭なければ買ふ事はならぬ也、されば書物を読(ヨマ)んと思はゞ、いろはより習ひ初(はじ)むべし、家を興さんと思はゞ、小より積(ツミ)初むべし、此外に術はあらざるなり   

・・・二宮翁が仰るには、万巻(ばんかん:多くの書物のこと)の書物があるとはいえ、無学(学問・知識の無いこと)のものにとっては詮(その行為に見合う効果)は無い。隣家に金貸しがあるといっても、我(自分)に借りる力が無いのはどうしようもない。向かいに米屋があるといっても、銭(金銭)が無ければ買うことは出来ない。

然れば(そうであるから)、書物を読もうと思えば、イロハより習い始めるべきである。家を興さんと(打ち立てようと、興隆しようと)思えば、小より積み始めていくべきである。この他には術(方法、手段)はありようがない。

・・・先に述べた塾生は、幼稚園の年長さんの時、正に「いろは」から、倦まず弛まず(飽きたり、気を緩めたりしないで物事をなす心掛け)学びを続けています。漢字検定は既に準二級を高得点で合格し、学ぶ姿勢は真摯(しんし:真面目で直向きな様)そのものです。筆者と交わす会話のレベルも並の高校生以上の語彙力を使いこなすことが出来ます。これも親御さんや祖父母さんの姿勢の賜物のように思います。結果、それを見習って年若の塾生の学ぶ姿勢も立派になってきます。此れも「善の循環」ですね。

 

千里の道も一歩ずつ 二宮翁夜話

武漢ウィルスの蔓延で人混みの中に行くことは自粛することが肝要です。考えてみると、日本人は昔から親から子へと、「人混みは避ける」「人混みの中へ行ったら、帰宅すると嗽(うがい)・手洗い」を伝えていました。

春休み期間中ですが、もう直ぐ小学校一年生になる塾生さん達は、就学前の学びを日々行っています。素読・音読をし、レベルに応じて辞書を引き、意味を書き写していきます。身につけていくべき言葉を一つずつ、一つずつ。まさに「千里の道も一歩から」です。

さて、積み重ねることの大事さを説く二宮翁夜話 巻之一 十四から引用してご紹介します。

翁曰(いわく)、大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし、小積りて大となればなり、凡(およそ)小人の常、大なる事を欲して、小さなる事を怠り、出来難き事を憂ひて、 出来易き事を勤めず、夫故(それゆえ)、 終(つい)に大なる事をなす事あたはず、 夫(それ) 大は小の積んで大となる事を知らぬ故なり、 譬(タトヘ)ば 百万石の米と雖(イヘド)も、粒の大なるにあらず、万町の田を耕すも、其(その)業(ワザ)は一鍬づゝの功にあり、千里の道も一歩づゝ歩みて至る、山を作るも一簣(ひトモツコ)の土よりなる事を明かに弁へて、励精(レイセイ)小さなる事を勤めば、 大なる事必(かならず)なるべし、 小さなる事を忽(ユルガセ)にする者、大なる事は必(カナラズ)出来ぬものなり 

・・・二宮翁が仰るには、大事(物事の根本に関わるような重要なこと。大事業)を為そうと欲するならば、小さなること(重要ではない、小さいこと)を、怠らず(途切れなく、中断することなく)勤む(精を出してつとめる)べきである。

凡そ(おおよそ、大体)小人(器量の無い、人徳の無い人)の常(習い、習わし)は、大きな事を欲して、小さいことを怠り(なまける、手落ちがある)、出来難い(可能性がない、仕上がりにくい)ことを憂いて(心配して)、出来易い(可能性がある、仕上げやすい)ことに努力を傾けない。

それ故、終に(最後に、終わりに)大きいことを成し遂げることが出来ない。それは、大は小を積み重ねていくことによって大になるということを知らないからである。

譬えば(例えば)、百万石(石:穀物などを量る単位。1石は10斗、約180リットル。大名・武士の知行高を表す)の米といえども、粒が大きいわけではない。万町(町:区画した田地)の田を耕すといえども、その業(業績、成し遂げたもの)は、一鍬づつの積み重ねの功績である。

千里の道も一歩ずつの歩みの重ねにより到達が出来る。

山を作るにも、一簣(もっこ:縄を網のように四角に編み、石や土を四隅をまとめるようにして担いで運ぶ道具)の土よりなることを明確に弁えて(道理を承知して)、励精(心を励まし努力すること)して、小さなことから精進すれば、大きなこと(大事業)も必ず成就する。小さなことを忽(ゆるがせ:物事をいい加減にする、なおざりにする)にする者は、大きなこ

と(大事業)は必ず出来るわけがない。

 

・・・毎日毎日、一字、一字、一語彙ずつ。漢字帳や帳面に一行ずつ、一頁ずつ。その積み重ねが、一月、半年、一年となります。そして小学校、中学校へと。

筆者の記憶を振り返ると、小・中・高、更に大学へと続く中で、クラスで一番、学校で一番という同級生は、クラスで、また学校で一番努力を積み重ねてきた人でした。

以下は、報徳博物館(https://www.hotoku.or.jp/sontoku/)からの引用です。

報徳博物館から引用

 二宮翁(二宮金次郎、尊徳)は、足柄平野の栢山村(小田原市)の比較的裕福な農家の長男として誕生。幼少時から教養のある父に教育を受け、一方では優しい母の慈愛を存分に得て幸せに育ちました。
しかし、不幸にして異常天候のため酒匂川の氾濫が度重なり、荒廃した田畑の回復もかなわず、父母は心身疲労で相次いで死去、一家離散という事態に陥りました。

金次郎は伯父万兵衛の家に預けられますが、逆境にもめげず卓越した才能を発揮します。
作業の合間に、稲の捨て苗や菜種を空き地に植えて収穫、毎年その収益を増やして田畑を買い戻し、成人後間もなく家の再興に成功しました。

その手法を生かし近親者の家政再建を行ったほか、奉公に出た小田原藩の家老・服部家で「五常講」という金融互助制度(のちの信用組合のはしり)をはじめ、服部家の立て直しを依頼されるなど、その才覚を表してきました。
やがて、そのすぐれた発想と実践力が小田原藩主・大久保忠真から見込まれ、財政難に苦しむ藩主の身内である旗本の野州(栃木県)桜町領の財政再建を託されます。

金次郎はこれを契機に財政再建・農村復興の仕事(報徳仕法)にまい進することになります。
桜町領再建は苦節10年の難事業でしたが、その成功はたちまち近隣の注目を集め、諸領諸村からの仕法の要請が相次ぎ、復興事業や飢饉救済に多忙を極めます。
晩年には幕臣に取り立てられ、日光神領をはじめ一部幕府領の再建に総力をあげて取り組みますが、かたわらすぐれた弟子たちを介して、諸家、諸領の復興指導も続けました。

安政3年(1856)、70歳でその生涯を終えるまで、報徳仕法の手ほどきを受けた地域は600か村に達したといわれています。

さらに記事を表示する

月別アーカイブ

長崎|羅針塾学習塾トップページ

羅針塾 SNS

  • Facebook
  • Instagram
  • Twitter
PAGE TOP

新着ブログ

  1. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  2. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  3. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  4. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  5. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支…

月別アーカイブ

羅針塾 SNS

  • Facebook
  • Instagram
  • Twitter