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向上心を持つ

羅針塾 学習塾・幼児教室では、塾生には「向上心」を持つ人となるように意識付けをしていきたい。その為には、幼児期からの倫理観、日々の学び、忍耐力の醸成が不可欠ではないかと考えています。

一定の学びを日々繰り返すには、飽きずに行うための動機付けが必要です。何の為に学ぶのか、は親御さんの言葉一つで決まります。

「向上心」とは、「現在の状態に満足せず、よりすぐれたもの、より高いものを目ざして努力する心」(大辞泉)、とあります。基本的には、人である以上全ての人が持っていて然るべきものですが、十人十色というように、向上心の有る無し、向上心の濃淡は有ります。

向上心の高い人は、

1、目標がある。

2、素直である。

3、前向きである。

4、忍耐力がある。

5、観察・洞察力がある。

6、失敗を恐れない、挑戦する気概がある。

等々、「七転び八起き」の精神で取り組みます。

片や、向上心が低い人は、

1、明確な目標がない。

2、素直ではない。

3、出来ない(しない)理由が先立つ(後ろ向き)。

4、飽き性、継続できない。

5、好奇心が無く、無関心である。

6、失敗を怖がる。

等、ではないでしょうか。

小学校受験に始まり様々な試験の中で、面接試験がある場合、短時間で「向上心」のあることを示すことができるかが、合否の鍵となります。

posted by at 14:30  | 塾長ブログ

学校の宿題の本当の目的

羅針塾 学習塾・幼児教室では、塾生の学校の宿題は、基本的に必ず済ませることから学びが始まります。塾生の学習の基本は学校の授業です。それを抜きにして、どんなに先取り学習をしても、足が地につかない学びになってしまいます。塾生には、何よりも先ず先生の目をしっかり見ながら、良くお話を聞くように指導します。その基本が出来ている塾生は優秀です。

基本を疎かにする人は、応用が効かないのは自明です。

宿題について参考になる記事がありましたので引用してご紹介します。

みんなが忘れている「学校の宿題」の本当の目的

https://president.jp/articles/-/29905

中学棋士だった藤井聡太七段は、かつて「授業をきちんと聞いているのに、なぜ宿題をやる必要があるのですか?」と発言した。麹町中学校の工藤勇一校長は「宿題の目的は『こなすこと』ではない。わからないものを理解するのが本当の目的だ」という――

(中略)

宿題の提出が成績に直結するのもまた事実です。

なぜ宿題がなくならないか。それは、大半の学校では子どもを評価する手段として宿題が重宝がられているからです。その背景には国の制度上の問題があります。

宿題が、出す側の問題である面も指摘しておかなければなりません。ご存じの方も多いと思いますが、公立校の成績のつけ方は相対評価から絶対評価に変わりました。相対評価の時代は「1」のつく子どもはクラスの7%、「2」が24%、「3」が38%、「4」が24%、「5」が7%と配分が明確に決まっていました。40人学級なら「5」がもらえる生徒は40×7%=2.8人なので2人だけ。つまり「5」がついたらクラスで2番以内で、昔の「オール5」とはまさに神童レベルでした。

しかし、その仕組みでは、クラス全体のレベルが高いと、勉強はできるのに相対的に評価が低くなる。そこで評価が、「絶対評価」に変わりました。ここまでは理にかなっています。しかし今度は、どのレベルを超えたら「5」を出すのか、といった判断基準が必要になります。この基準設定がとても難しいのです。

「絶対評価」になって宿題は急増した

ちなみに文科省の推奨する絶対評価の基準は以下の4項目が25%ずつの配分になっています(一部の教科は5項目)。

1 関心・意欲・態度
2 思考・判断・表現
3 技能
4 知識・理解

2~4はペーパーテストで測れます。しかし、1「関心・意欲・態度」の項目が先生にとっての曲者。一斉授業型のスタイルでは差が見えづらいのです。そのため、「関心・意欲・態度」を「宿題をやってくるかどうか」で判断する先生が急増しました。

極端な話、宿題の中身は関係なし、提出したかどうかだけを見る教員もいます。その場合も二通りいて、勉強が苦手な子に対して、宿題の提出を評価してあげたい善意タイプの先生もいますし、そもそも忙しすぎて中身まで見ていられない先生もいます。

いずれにせよ、公立学校の宿題は、文科省が評価制度を絶対評価に切り替える通達を出してから一気に増えました。すべての教科の先生が同じように悩むので、すべての教科で宿題が増えたのです。

・・・公立学校の宿題事情や背景が理解できるお話です。しかし、私立学校も似たような状況にあるのではないか、と思います。筆者の立場からすると、塾生が学校から与えられた宿題の質と量は、先生方の意図や力量を判断する物差しのようなものです。

子供達に家庭学習を自律的にするよう促す宿題ならば、自然に取り組むことができるのでしょうが。授業内容と宿題の内容がうまく連動していると学習意欲も湧く筈です。

posted by at 19:53  | 塾長ブログ

言葉の習得=鉄は熱いうちに打たなければならない

乳幼児が一歳過ぎてくると、言葉らしい発声をし始めます。お母さんの言葉を聞き分けるかのような目の動きは、とても真剣です。古来、「目は口ほどに物を言う」と申しますが、澄んだ眼差しでお母さんの目と口元を見るようになると、言葉の学びのスタートです。

さて、石井勲先生著作「石井方式ー漢字の教え方 原理編」(1969)からの引用です。

鉄は熱いうちに打たなければならない

チンパンジーやオランウータンを、どんなに教育してみても、言葉を 習得させることだけはできない、ということです。彼等は人類に次ぐ高 等動物であり、言葉以外の物事では、かなりの学習能力のあることを示 しています。しかし、言葉だけは習得できないのです。

つまり、“言葉の習得”は、人類の大脳だけがもつ能力であり、人類 は、この能力をもっていたために、経験を次代に伝えることができ、知 恵を蓄積することができて、他の動物に卓越した文化を享受することが できるようになったわけです。

“言葉の習得”こそ、人類だけに許された切り札的な能カであります が、この力も五歳ころまでに学習しませんと、言葉を受け入れ、言葉を 使いこなす能力を失ってしまうことが、先のカマラの例(*1)、ポール・ショシ ャールの報告(*2)、その他今までの多くの調査研究で明らかにされました。

それは、ちょうど、赤熱した鉄は、伸ばすことも曲げることも実に容易 にできますが、その時期を過ごしてしまったら最後、どんなにたたいて みてもどうにもならないのによく似ています。

幼児期は、言葉を習得するための、まさに〝鉄の赤熱した時期〟に 当たっています。この時期をはずしますと、もう後では取り返しがつか ないのです。しかも、問題なのは、人間の人間としての能力は、すべて、 〝言葉を習得〟したところから育ち始める、ということです。

複雑な思想はもちろんのこと、喜びや悲しみといった感情でさえ、〝 言葉を習得〟しない間は育たないのです。カマラの観察記録によれば、 人語を解しなかった数年間は、喜びも悲しみも決して表現しなかった、 と伝えています。

六、七年たって、会話がかわせるようになって初めて、喜びや悲しみ を表現するようになり、さらに、恥じらいさえ表現するようになったと報告 されています。

(*1)狼少女カマラ=一九二〇年、インドのベンガル州で、シング牧師の手によって、狼 の洞窟から救い出され、入間の社会に復帰した少女カマラの観察記録。

カマラが救出された時の年齢は七、八才だった、と推定されていま す。狼に育て始められたのは、生後半年くらいの時と推定され、したが って、それ以後の七年間を狼に育てられた、と推定されています。

救出後、シング牧師夫妻によって、愛情ある行き届いた養育を受け たのにもかかわらず、人語を初めて発声できるようになったのは、養育 を受けて実に二か年という月日がたった後でした。

その後、四年間に三十語、さらにその後の二年間に四十五語が、や っと使えるようになった、と報告されています。

このような、言語における遅々たる発達は、乳幼児期に狼に育てられ、 人語を聞くことが全くなかったためだ、と断定されており、決して彼女が 精薄児ではなく、知能そのものは通常児であったことを、カマラの研究 にたずさわった心理学者たちは断定しています。

(*2)ポール・ショシ ャールの報告=フランスのポール・ショシャールは、植民地の多くの原住民の子供た ちを観察調査した結果、「五歳以前にフランスに移住した原住民の子供 は、完全なフランス語をあやつる能力を身につけ、フランス人と全く同 等の、文化を享受する能力を獲得するようになるが、六歳以後にフラン スに移住した場合、それも、六歳より遅くなればなるほど、フランス語の 習得がうまくいかなくなり、フランスの文化的な生活に適応しにくくなっ ている。」ということを事実に基づいて報告しています。

・・・再三綴っているお話ですが、子供さんを一廉の人物に育て上げるには、「鉄は熱いうちに打たなければならない」という諺通りであることです。言葉の教育は、幼児期にこそ必要である、と肝に命じてお母さん方には取り組んで頂きたいものです。

posted by at 19:47  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

教科書に乗らない歴史上の事実 5 「三種の神器」

塾生には幼児さんに限らず、児童・生徒に常識として知っておくべき様々な質問をします。常識(ある社会で、人々の間で広く承認され、当然持っているはずの知識や判断力)の有る無しは、社会人になる為に最低限持っておくべき素養とも言えます。これは、日頃から家庭で身に付けさせることとして、日本人なら代々、祖母から母、母から娘(息子)へと継承されてきたものです。

筆者は幼児期に母から敬語の用い方を学んだ記憶があります。どういう時に、どのような人に、どのような場面で用いるか。更に、最高敬語として「陛下」「行幸」「崩御」なども教えられました。当然、音の「へいか」「ぎょうこう」「ほうぎょ」で記憶し、のちに長じて改めて辞書で再確認しました。不思議なもので、歳を経るごとに様々な言葉が蘇ります。

さて、度々引用させていただく「国際派日本人養成講座」からのご紹介です。

国柄探訪:「三種の神器」が示す「和の国」ぶり http://blog.jog-net.jp/201908/article_3.html

   国柄探訪:「三種の神器」が示す「和の国」ぶり

 我が国の「和の国」ぶりは、すでに神話の中で示されている。

■1.遠い神代につながる三種の神器の由来

 本年5月1日午前10時30分、新帝陛下が皇位の証(あかし)として三種の神器を引き継がれる「剣璽等承継の儀」が執り行われた。

 完全な沈黙の中で、三種の神器のうち草薙太刀(くさなぎのたち)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、および、国璽(国家の印章)と御璽(天皇の印章)が御前の白木の台に置かれ、その後、陛下の御退出と共に、それらも運び出される、という5分程度の簡素な儀式である。

 勾玉を璽とも呼び、国璽・御璽を含めて、「剣璽等」と呼ばれる。三種の神器のもう一つは八咫鏡(やたのかがみ)だが、これは宮中三殿の賢所の御神体であるため、動かされない。

 いずれにせよ、剣璽とも箱に収められ、布に包まれていて、天皇ですら、その中をご覧になる事ができない、という神秘的なものである。

 三種の神器の由来を辿ると、それは我が国の遠い神代に繋がっていく。

 まず八咫鏡と八尺瓊勾玉(数多くの勾玉を長い緒に貫き通した玉飾り)は、古事記によれば、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が弟・速須佐之男命(はやすさのをのみこと)の乱行に責任を感じて天の岩屋に閉じこもってしまわれた際に、榊(さかき)にかけて大御神を引き出す際に使われた。

 また、草薙大刀は高天原を追放された速須佐之男命が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した際に尾から出てきたもので、天照大神に献上されたものである。

 後に、天照大御神が皇孫・天津日高日子番能瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと、「天の高い所からにぎわしい恵みをゆきわたらせる日のみ子」)を葦原中国(あしはらのなかつくに)に下される時に、これら「三種の神器」を授けられたのである。

・・・因みに、筆者は幼児期に絵本で速須佐之男命が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した話を読み、更に小学校六年生の学芸会で速須佐之男命役として八岐大蛇を退治し、草薙大刀を頭上に掲げた記憶があります(最近の公立小学校で学芸会の演目に神話が上がることはないのではないかと思いますが・・・)。

■2.三種の神器は「和の国」を作るための三大原則を示している

 そもそも大御神が葦原中国に皇孫を差し向けたのは、「道速振(ちはやぶ)る荒振(あらぶ)る国つ神等(ども)が多(あま)た居(あ)る」(勢いはげしく、荒ぶる国つ神たちが大勢いる)」状態なのを、何とか平和に治めたいとの願いからである。

 田中英道・東北大学名誉教授の画期的な学説によれば、縄文時代には温暖な気候のもとで、日本列島の人口はほとんどが関東・東北に住んでいた。高天原とは当時の東日本に存在していた「日高見国(ひだかみこく)」であったとする。それが紀元前10世紀頃からの気候の寒冷化によって、人口が南下し、また大陸・半島からの難民・移民も増えて、西日本が不安定になった。

 天孫降臨の目的とは、この不安定となった西日本に「和」をもたらす事であった。その際に大御神が与えた三種の神器は、どのように「和の国」を作るべきかが示されている。

 まず、八咫鏡に関しては、大御神は次のように言われている。

__________
此の鏡は、専(もは)ら我が御魂と為(し)て、吾が前を拝(をろが)むが如く、いつき奉れ」(この鏡はひたすら私の御魂として、私を祭るように祭り仕えなさい)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 統治者は鏡に自分の心を映して、そこに和を希求する大御神の御心を継承しているか、私心で曇らされていないかを省みよ、との教えであろう。

 第二の八尺瓊勾玉は、すべての人はこの玉飾りのように一つの命で結ばれている事を暗示し、その平等観、同胞感をもって民を大切にせよ、という事のようだ。

 第三の草薙太刀は、八岐大蛇など、この世の和を乱す者と戦う勇気の象徴である。

 三種の神器こそは、天照大神が地上において「和の国」を建てるために示された原則であり、それを継承して代々「和の国」を統治されてきたのが歴代天皇である、という事になる。

■3.「清明心」が「和の国」の基盤

「和」との関連から、三種の神器の指し示す所を掘り下げてみよう。まず、鏡の象徴する「無私の心」。和を実現するには、一人ひとりが私心による心の曇りがないか、よく省みなければならない。

 現代の我々も、例えば電車の中で目の前に杖をついたお年寄りが立っているのに席を譲らないでいたら、心が落ち着かない。そんな時、思い切って席を譲ったら、清々しい心持ちになる。

 身を守る牙も爪もない人間は共同体を作って、互いに助け合うことで生き延びてきた。その過程で、共同体を保つための利他心を本能として発達させた。電車の中で席を譲ることで心が晴れ晴れとする、というのは、利他心という本能を満足させた快感なのである。

 そういう人間心理を観察力豊かな我々の先祖はよく知っていて、利他心に満ちた心を「清明心(きよくあかき心)」と呼んで大切にした。それは共同体を築き、維持するための原動力である。鏡が象徴する清明心こそ、「和の国」を成り立たせる基盤なのだ。

 後に聖徳太子が十七条憲法で「和を以(もっ)て貴(たふと)しと為」すとの理想を掲げられたが、それは単に「仲良くすることが大事だ」という次元の「お説教」ではない。「和」とは共同体の各人が「背私向公(私に背いて公に向かう)」、すなわち私心に「背い」て、「公」すなわち共同体のために心を向ける、という姿勢によって築かれるものだ、と説かれたのである。

 この「背私向公」が、戦時中に唱えられた「滅私奉公」とは全く異なる点に留意したい。「和の国」は「私」のないロボットによって成り立つ全体主義社会ではない。「私心」は人間の性(さが)として滅ぼせないものだ。しかし、各自が鏡に映った自分の姿を見て「私に背いて公に向かう」処に、清明心が広がり、互いに信じ合い、助け合う「和の国」が成り立つのである。

・・・利他心に満ちた心を「清明心(きよくあかき心)」と呼ぶ。この意味合いを、幼い頃から知ることが出来れば、「世の為、人の為」に学ぶ意義を見出していくのではないでしょうか。

■4.勾玉の示す平等感、同胞感

 第二の勾玉(まがたま)はおたまじゃくしのような不思議な形をしているが、それは胎児の形を模したものという説がある。たしかに、[1]での比較写真を見れば、勾玉は胎児のレントゲン写真と区別がつかないほど、そっくりである。その勾玉が緒でつながっているということは、それぞれの命が、「神の分け命」であることを象徴しているようだ。

 こういう生命観は、人間は男女や階級に関わらず、生まれながらに平等な同胞である、という人間観をもたらす。万葉集で天皇から農民、兵士に至るまで社会的地位や貧富に関係なく、真心の籠もった歌を集めているのは、こういう平等感、同胞感の表れだろう。「和の国」の民は、こういう平等感、同胞感で結ばれていなければならない。

 ここで留意すべきは、同胞感といっても、同じ大和民族の中だけに留まらない点だ。たとえば、百済からの帰化人・王仁(わに、中国系という説も根強いが)の次の歌は『古今集』の仮名書きの序文で紹介されている。

難波津(なにはず)に咲くやこの花ふゆごもり今は春べと吹くやこの花
(難波津に吹く木の花よ。長い冬ごもりが終つて、さあ春が来たぞとばかりに、あのやうに盛んに咲く木の花よ)

 この歌が「歌の父母のやうに」手習う人のはじめに習うべき教材とされている事からも、当時の人々の間では外国人という差別意識はなかったと思われる。

 この歌は、仁徳天皇が即位前にその弟君と皇位を譲り合って3年間も経ってしまった際に、弟君の学問の師として呼ばれた王仁が、仁徳天皇に即位を勧められた歌であるという。王仁に私心があれば、自分が教えている弟君を推したであろうが、この歌には仁徳天皇に「さあ、ご即位なされよ」と呼びかけられた清々しい心が感じられる。

 外つ国に生まれた人でも、清明心をもって公のために尽くそうとする人々は、同胞感をもって迎えられたのである。

■5.草薙太刀による「言向け和す」

 第三の草薙太刀はどうだろうか。まず確認すべきは、この剣は由来からして「防衛的」だ、という事である。前述のように、この太刀は速須佐之男命が退治した八岐大蛇の尻尾から出てきた。命が大蛇を退治したのは、8人の乙女のうち7人まで食べられてしまって最後に残された櫛名田姫(くしなだひめ)を救うためだった。

 また、後にこの太刀は第12代景行天皇の皇子・倭建命(やまとたけるのみこと)が東征をされた折り、相模の国で火攻めにあった際に、草を刈り払って、向かい火をつけて身を守った時にも使われた。これが草薙太刀の名前の由来となっている。

 景行天皇は倭建命に次のように命ぜられていた。

__________
 東の方の十二(とをあまりふたつ)の道の荒ぶる神とまつろはぬ人等(ひとびと)とを言向(ことむ)け和(やわ)し平らげよ。
(東の方にある十二の国の荒れすさぶ神と、服従しない者たちとを説得し、平らかにせよ)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 小学館『全文全訳古語辞典』によれば、「言向く」は「言葉を用いて服従させる。説得して従わせる」、「やわす」は「和らげる。平定する。帰順させる」とある。すなわち、争いに明け暮れている地方豪族たちに、大和朝廷に帰順して平和に暮らすよう説得する事である。

「言向け」や「言向け和す」は古事記の中に何度も使われている。そもそも天照大神も葦原中国の平定を任すべき神を問いて「何れの神を使はしてか言趣(ことむ)けむ」と神々に相談された。その後、任務を果たした建御雷神(たけみかづちのかみ)は、「葦原中国を言向け和し平らげつる状(かたち)」を復奏している。

各地で相争う地方豪族たちに、平和的に国家建設に参加せよと勧めるのが日本神話で語られたアプローチであった。戦って相手を降伏させたのでは、相手は恨みを抱き、その結果、清明心をもって「和の国」に参加する事にはならない。

 しかし、説得に応ぜすに、戦い続ける相手、あるいは「和の国」を害そうとする相手とは、剣をもって戦わなければならない。「和の国」は「非武装平和」では建設も維持もできないのである。

・・・我が国の歴史を他の国の歴史と比較した場合、「説得に応ぜすに、戦い続ける相手、あるいは「和の国」を害そうとする相手とは、剣をもって戦わなければならない。」という国柄の日本とは異なるように思います。それは、歴史を遡ってみると、古事記の神話に言う大國主の命の「国譲り」に由来があるようです。

大国主命(ウィキペディア掲載写真)

■6.「うしはく」と「知らす」の違い

 葦原中国平定の任務を果たすために、建御雷神はその地を支配する大国主命(おほくにぬしのみこと)に対して、こう問いただした。

__________
 汝がうしはける葦原中国は、我が御子の知らさむ国と言依(ことよ)し賜ひき。故(かれ)、汝が心は、奈何に。
(お前が領有する葦原中国は、わが御子の治められる国であると(天照大神は)ご委任なさった。そこで、お前の心はどうか。)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 大国主命が「うしはける」葦原中国は、我が御子の「知らさむ」国であるという。この「うしはく」と「知らす」の違いは何か。

 明治帝国憲法の起草者の一人、井上毅(こわし)は、記紀を研究する過程で、天照大神や歴代天皇に関わるところでは、すべて「治める」という意味で「しらす」が使われ、大国主神や一般の豪族たちの場合は、「うしはく」が使われていて、厳密な区別がなされていることを発見した。

 ここに日本国家の根本原理があると、井上は確信した。「しらす」とは「知る」を語源としており、民の喜びや悲しみ、願いを知ることである。それは民の安寧を祈る無私の心につながる。

 それに対して、「うしはく」は「自分の財産として領有する」という意味であり、中国の皇帝や欧州の王のように民を財産として、支配する事を指す。それは私心に基づく支配である。

「知らす」こそ「和の国」の統治原理を示した言葉なのである。国家の中心に無私の心をもって、民の幸せを祈る中核があることが、「和の国」の原理である。その無私の祈りが国民に伝播して、国民がそれぞれの立場で公のために尽くしていく。そこに「和の国」の美しさと勁(つよ)さがある。

■7.「八百万の神、天の安の河原に神集い集いて」

 鏡に象徴される清明心、勾玉の平等感・同胞感、剣の「言向け和す」、それらによる統治原理としての「知らす」。「和の国」の根底にあるのは、人間を心ある存在として捉え、その心が活き活きと働いて、自立的主体的に共同体を支える姿である。

 そこには民を家畜のように領有する専制皇帝や、人民をロボットのように支配する独裁者の姿はない。この「和の国」の形は、現代の自由民主主義に通ずる。現代の民主主義は、古代ギリシャ、ローマ、ゲルマンの「民会」に起源を有するようだが、それに酷似した光景が日本神話にも出てくる。

 たとえば、速須佐之男命の悪行に責任を感じて、天照大神が天の岩屋に閉じこもってしまわれた際には、「是を以(も)ちて、八百万の神、天の安の河原に神集い集いて(それですべての神々が天の安の河原に集り)」、どうしたら良いかを相談したのだった。しかも、その際は、思金神(おもいかねのかみ)に案を出させている。まさに間接民主主義である。

 無事に天照大神を天の岩屋から引きずりだした後も、「八百万の神、共に議(はか)りて」(すべての神々は一緒に相談して)、速須佐之男命を追放処分にすることを決めている。

 このように「和の国」の伝統的な統治形態は自由民主主義に酷似している。明治維新に際し、五箇条の御誓文を出して、第一条に「広ク会議ヲ興(おこ)シ、万機公論二決スベシ」と宣言したのも、この伝統があったからだろう。

 我が国の「和の国」ぶりは、以上述べたように神話時代からの生命観、人間観、社会観に根ざしているのである。

 

・・・伊勢雅臣氏主宰のブログ「国際派日本人養成講座」は、様々な視点から世の人を啓蒙する記事を掲載されています。

posted by at 12:05  | 塾長ブログ

間違いから学習する能力

「失敗は成功の基(元)」の類義語は、「しくじるは稽古のため」「七転び八起き」「失敗は成功の母」「失敗は成功を教える」「禍を転じて福と為す」と、数々あります。

英語では、Failure teaches success.(失敗が成功を教える) He that never did one thing ill can never do it well.(一度も失敗を経験したことの無い者は成功できない)等があります。

これらの警句は、古今東西を問わず、人は失敗や間違いを犯すものである、失敗をしない者はいないということから、それをどのように生かすか、に力点が置かれています。

Twitterの記事に、面白いものを見つけました。

「より速く適切に学べる人、その理由:ほめ方の研究」https://wired.jp/2011/10/18/「より速く適切に学べる人」:その理由/

引用してご紹介します。

間違いから学習する能力の高い人は、そうでない人とは異なる脳の反応を示す。そして、生徒の知性をほめた時と、努力をほめた時の影響の違いは驚くほど大きい。

物理学者のニールス・ボーアは、専門家とは「非常に狭い範囲で、生じうる間違いのすべてを経験した人」だと定義した。この警句は、学習というものの重要な教訓をまとめている。つまり、人は何度も何度も間違いをおかすことで、正しいやり方を学ぶということだ。教育とは、数々の間違いから搾り取られた知恵のことなのだ。

(中略)

スタンフォード大学の心理学者キャロル・ドゥエック氏は、知能に対する人間の姿勢(マインドセット)を2種類に分けている。

ひとつは、「自分の知能レベルはこのくらいであり、ほとんど変えることはできない」という固定的な姿勢(fixed mindset)、もうひとつは、「必要な時間とエネルギーさえ費やせば、ほぼどんな能力も伸ばすことができる」という成長志向の姿勢(growth mindset)だ。固定的な姿勢をもつ人は、間違いを「ぶざまな失敗」とみなし、与えられた課題に対して自分に十分な能力がない証拠だと考える。一方、成長志向の姿勢をもつ人は、間違いを、知識を得るために必要な前段階、学びの原動力ととらえる。

・・・興味深い研究の詳細は、上記サイトでお読みください。

よくある単純な「褒めて伸ばす」教育に対する反論となる研究ですが、「褒め方」にも工夫が要るということです。

生徒の「賢さ」をほめることの問題は、教育というものの心理学的なリアリティを誤った形で示すことにある。それは、「間違いから学ぶ」という最も有益な学習活動を避けさせてしまう。間違いをおかすことで生じる不愉快な反応を経験しない限り、われわれの脳が既存のモデルを修正することはない。いつまでも同じ間違いをおかし、自信を傷つけないために、自らを成長させる機会を逃し続けるのだ。

サミュエル・ベケットは適切にもこう言っていた。「試してみたら失敗した。それがどうしたというのだ。もう一度試せ。もう一度失敗し、よりよく失敗するのだ」

 

・・・幼児期から、失敗を恐れず、学ぶことの大事さを身に付けることが出来れば、マインドセット(「気持ちの持ち方」、「信念」に近いもの)は、能力は努力次第で伸びるという「成長志向の姿勢(grouth mindset)となります。

その為には、親御さん自身が子供さんに対し「成長志向の姿勢(grouth mindset)を示し続ける必要があります。正に、死ぬまで前向きに歩む気持ちと姿勢を保つことが肝要です。

posted by at 12:23  | 塾長ブログ
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