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音読・素読・輪読・会読

国語教育の基本は、子供の成長に応じ正しい発音と発声で書物を音読することです。

形態としては、単独でする音読(声を出して読むこと)、師匠と弟子のように相対してする素読(意味を考えないで、文字だけをを声を出して読むこと)、同じ目的を持つ複数の人がする輪読(数人が一冊の本を代わる代わる読んで解釈し意見を交わすこと)や会読(数人が一箇所に集まって同一の本を読み、研究や討論をすること)などがあります。

管見では、音読の為の書物は、文章にリズムがあり、歯切れの良いものがお勧めです。文章の難易や内容は、子供の現在の理解度に合わせるのではなく、将来自ら学ぶ力を持つ素養を涵養する為に必要なものであることです。

羅針塾では、漢字を中心に語彙力が上がってくると、塾生には輪読の機会を設けます。たとえ小学生であっても、代わる代わる音読しているうちに、漢字熟語を読む力も増し、集中力も増してきます。

さて、インターネットで様々な記事を拝読しているうちに、参考になるブログを見つけました。

「日本漢文の世界」(https://kambun.jp/index.html)というサイトです。この中から興味深い記事をご紹介します。

(22)漢文訓読を現代に活かすために(「素読」から文法理解へ)

 

(前略)

現代において、この漢文訓読を活かしてゆくためには、何が必要でしょうか?

まず、江戸時代から明治の初期までと現代とでは、漢文の素養がまったく異なることを考えなければなりません。当時の教育では、子供にたくさんの中国古典を「素読(そどく)」させていました。「素読」とは、細かな意味は教えず、ただ声をだして漢文を訓読させる教育法です。大量の漢文を素読しているうちに、自然と漢文の意味が分かるようになるのです。もちろん、その域に到達するためには、非常に時間と労力をかける必要がありました。そして、このような悠長な教育法の実践は、明治以後には難しくなったため、「素読」は、今では全く廃れてしまいました。

(中略)

具体的にどの程度の素読が課されていたのか、宇野哲人・乙竹岩造・外著『藩学史談』(文松堂書店)の記事から見てみましょう。

津藩・有造館(三重県)  対象年齢 9歳~15歳 

論語 孟子 詩経 書経 易経 礼記 春秋左氏伝 十八史略 史記 前後漢書 綱鑑易知録 資治通鑑 (同書12ページ参照)

 仙台藩・養賢堂(宮城県) 対象年齢 8歳~三度落第したら退学

 孝経 小学本註 四書集註 近思録 春秋胡氏伝 公羊伝 穀梁伝 周礼 太載記 (生徒の望みにより、史記 漢書 等も教授)(同書369ページ参照)

 長州藩・明倫館(山口県) 対象年齢 8歳~14歳

 孝経 大学 論語 孟子 中庸 詩経 書経 易経 春秋三伝 礼記 小学(同書181ページ、191ページ)

さて、この明倫館の課業は厳しく、「小学生素読」の試験では、五経十一冊と小学四冊を「誤読遺忘」なきように覚えなければなりませんでした。これは容易なことではなく、合格者が非常に少なかったので、試験を分割して行うようにするなどの緩和策が講じられたほどであったといいます。(同書195ページ)

以上は各地の藩学の状況ですが、私塾でもほとんど変わらないカリキュラムで教育が行われていたようです。たとえば、福沢諭吉は少年時代に私塾で学んだ体験を自伝に書いていますが、次のような驚くべき勉強量です。(『福翁自伝』、岩波文庫旧版、23ページ) 

 白石(しらいし)の塾(じゆく)に居(い)て漢書(かんしよ)は如何(いか)なるものを読(よん)だかと申(もう)すと、経書(けいしよ)を専(もつぱ)らにして論語(ろんご)孟子(もうし)は勿論(もちろん)、すべて経義(けいぎ)の研究(けんきゆう)を勉(つと)め、殊(こと)に先生(せんせい)が好(す)きと見(み)えて詩経(しきよう)に書経(しよきよう)と云(い)うものは本当(ほんとう)に講義(こうぎ)をして貰(もらつ)て善(よ)く読(よ)みました。ソレカラ蒙求(もうぎゆう)、世説(せせつ)、左伝(さでん)、戦国策(せんごくさく)、老子(ろうし)、荘子(そうじ)と云(い)うようなものも能(よ)く講義(こうぎ)を聞(き)き、其先(そのさき)は私(わたくし)独(ひと)りの勉強(べんきよう)、歴史(れきし)は史記(しき)を始(はじ)め前後(ぜんご)漢書(かんじよ)、晋書(しんしよ)、五代史(ごだいし)、元明史略(げんみんしりやく)と云(い)うようなものも読(よ)み、殊(こと)に私(わたくし)は左伝(さでん)が得意(とくい)で、大概(たいがい)の書生(しよせい)は左伝(さでん)十五巻(じゆうごかん)の内(うち)三四巻(さんしかん)で仕舞(しま)うのを、私(わたくし)は全部(ぜんぶ)通読(つうどく)、凡(およそ)十一度(じゅうひとたび)読返(よみかえ)して、面白(おもしろい)処(ところ)は暗記(あんき)して居(い)た。

江戸時代の教育は、もちろん「素読」だけだったわけではなく、「会読」や「講義」もあるわけですが、これだけ漢文の勉強をするのは、現代においては困難です。 

 それでは、現代において、速成的に漢文の読解力をつけるには、どうすればよいのでしょうか? それには、英語の学習とおなじように、文法の理解が必要です。漢文法を習うことが、漢文読解力の向上のために、非常に有効なのです。

 英語でも、文法にもとづいて内容を理解できなければ、「直訳」すらできません。漢文も同じで、文法の理解なしでは訓読(=直訳)を誤ることにもなりかねません。ですから、訓読法を堅持する立場からも、文法の学習を忽(ゆるが)せにすることはできないのです。

・・・漢文を学ぶには漢文法を学び、英文を学ぶには英文法を学ぶべきである、という意見に全くの賛意を表します。

英語教育で所謂「読む」「書く」「聞く」「話す」の4技能を身に付けなければならないと喧伝(けんでん:盛んに言いふらすこと、世間で喧しく言い立てること)されています。

しかし、それには先ず国語力をつけなければならない。国語力をつけるには、国文法を身に付けなければならない。その上で、英語を学ぶ王道である英文法を身に付けるべきです。

詰まる所、国語力をつけるには、漢文教育プラス漢文法、国語教育プラス国文法、英語力をつけるには英語教育プラス英文法、となります。

posted by at 08:35  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

褒め方のコツ

教育を行う先生方がする児童・生徒への褒め方と、家庭教育をする親御さん方の褒め方には、それぞれ創意工夫が必要です。家庭で、所謂「褒めて育てる」式教育を漫然と行うと、子供が失敗したときやうまくいかないときに、自信を失ってやる気をなくすことがあります。

先にご紹介した「言葉は知識を刈り入れる道具 カール・ヴィッテの教育法4の中にも、知能の優れた子供への教育の難しさを記しています。

「より早く適切に学べる人、その理由:褒め方の研究」(https://wired.jp/2011/10/18/「より速く適切に学べる人」:その理由/)という記事にも興味深い研究が記されていますので、引用してご紹介します。

より早く適切に学べる人、その理由:ほめ方の研究

間違いから学習する能力の高い人は、そうでない人とは異なる脳の反応を示す。そして、生徒の知性をほめた時と、努力をほめた時の影響の違いは驚くほど大きい。

物理学者のニールス・ボーアは、専門家とは「非常に狭い範囲で、生じうる間違いのすべてを経験した人」だと定義した。この警句は、学習というものの重要な教訓をまとめている。つまり、人は何度も何度も間違いをおかすことで、正しいやり方を学ぶということだ。教育とは、数々の間違いから搾り取られた知恵のことなのだ。

(中略)

スタンフォード大学の心理学者キャロル・ドゥエックは、大きな影響を与えた研究[邦訳『「やればできる!」の研究――能力を開花させるマインドセットの力』草思社刊]の中で、知能に対する人間の姿勢(マインドセット)を2種類に分けている。

ひとつは、「自分の知能レベルはこのくらいであり、ほとんど変えることはできない」という固定的な姿勢(fixed mindset)、もうひとつは、「必要な時間とエネルギーさえ費やせば、ほぼどんな能力も伸ばすことができる」という成長志向の姿勢(growth mindset)だ。固定的な姿勢をもつ人は、間違いを「ぶざまな失敗」とみなし、与えられた課題に対して自分に十分な能力がない証拠だと考える。一方、成長志向の姿勢をもつ人は、間違いを、知識を得るために必要な前段階、学びの原動力ととらえる。

(中略)

ドゥエック氏の最もよく知られた研究は、クローディア・ミューラーとともに、ニューヨーク市内の12の学校で行ったものだ。研究では、5年生400人あまりに、言語を用いない比較的やさしいパズルを課題として与えた。テスト終了後、研究者たちは生徒たちに点数を伝え、簡潔な言葉でほめた。半分の生徒には彼らの知性をほめた(「あなたは頭がいいんだね」)。残りの半分には彼らの努力をほめた(「一生懸命やったね」)。

ドゥエック氏は最初、このほめ方の違いが大きな違いを生み出すとは考えていなかった。しょせん言葉にすぎないからだ。しかし実験の結果、5年生に与えられたほめ言葉に劇的な影響力があることがわかった。

まずは、最初の生徒たちにまた別のテストを2種類与え、生徒たち自身にどちらか好きなほうを選ばせた。ひとつは最初のものより難しいパズルだが、やればとても勉強になると説明された。もうひとつは、最初のものと同様の簡単なテストだ。努力をほめられた子どもたちは、90%近くが、難しいほうのパズルを選択した。一方、賢さをほめられた子どもたちは、ほとんどが簡単なほうのテストを選んだ。ドゥエック氏によると、知性をほめられた子どもは、自分を賢く「見せる」ことに気持ちを向けるようになり、間違いをおかすリスクをとれなくなるのだと説明している。

次に、もっと難度の高いテストが与えられた(5年生に対して8年生向けのテストが与えられた)。賢さをほめられた生徒たちはすぐ挫折してしまったが、努力をほめられた生徒たちは、このテストに熱心に取り組んだ。そして、このテストを受けた後で、両群の生徒たちは、成績が自分より低かった生徒と高かった生徒のうち、どちらかのテスト用紙を見る選択肢を与えられた。

賢さをほめられた生徒たちは、ほぼ全員が、自分よりテストの出来が悪かった生徒と自分を比較することで、自尊心を強化するほうを選んだ。これに対し、努力をほめられた生徒たちは、自分より成績のよかったテストを見るほうを選ぶ確率が高かった。彼らは失敗を理解し、失敗から学び、よりよい方法を編み出したいと思ったのだ。

最後に、最初のテストと同様の難易度であるテストが行われた。努力をほめられた生徒たちは、テスト結果が有意に上昇し、平均スコアが30%伸びた。彼らは、たとえ最初は失敗しても挑戦することを望んだので、より高い成績を得たのだ。この結果をさらに際立たせるのが、最初にランダムに「賢い」グループとされた生徒たちのスコアだ。こちらは前回から20%近くも低下した。失敗の経験でやる気をくじかれた「賢い」生徒たちは、実際に退歩してしまったのだ。

生徒の「賢さ」をほめることの問題は、教育というものの心理学的なリアリティを誤った形で示すことにある。それは、「間違いから学ぶ」という最も有益な学習活動を避けさせてしまう。間違いをおかすことで生じる不愉快な反応を経験しない限り、われわれの脳が既存のモデルを修正することはない。いつまでも同じ間違いをおかし、自信を傷つけないために、自らを成長させる機会を逃し続けるのだ。

サミュエル・ベケットは適切にもこう言っていた。「試してみたら失敗した。それがどうしたというのだ。もう一度試せ。もう一度失敗し、よりよく失敗するのだ」

*(サミュエル・ベケットは、アイルランド生まれのフランスの小説家、劇作家。 1969年ノーベル文学賞を受賞。)

・・・なかなか示唆的な研究成果です。

子供達に「失敗を理解し、失敗から学び、よりよい方法を編み出したい」という意欲をいかに持たせることができるか。

「間違いから学ぶ」コツをつかんだ子供は、大人になっても失敗を恐れず、何度でも挑戦して物事を成そうとします。

トーマス・エジソンの名言、

失敗したわけではない。

それを誤りだと言ってはいけない。

勉強したのだと言いたまえ。

posted by at 16:09  | 塾長ブログ

発音と日本語

日本人が外国語を学ぶときに、発音に苦労すると一般に言われています。その理由の一端を指摘するお話がありますのでご紹介します。

石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第五章 お父さんとお母さんのための漢字の常識」に、「日本語は世界一音韻が少ない」「日本人は音韻を区別できない」からの引用です。

日本語と中国語とは、言葉の世界の両極端だということも言っておき たいと思います。

よく日本語と中国語は同じ漢字を使っているから、言葉も近い関係に あるだろうと思っていますが、世界の言語の中で、日本語と中国語とは まったく性質を異にする言葉なのです。

日本語の足りないところを中国語によって完全に補うことができたこと が、日本語を素晴らしいものにした最大の要因です。

中国語と日本語が似たような言葉であったら、日本語に対してあまり 役には立たなかったでしょう。あまりにも性格が違っていたために、日 本語の欠点が中国語によって完全に捕われたのです。

どういうところが両極端かといいますと、まず言葉の基本になる音韻 の単位が、世界でいちばん少ないのが日本語であって、逆にいちば ん多いのが中国語です。日本語には同音異義語が相当ありますが、中 国語ではそれをすべて異った音で言い分けているのです。世界中に 民族が数え切れないほど、それらの民族のもっている言葉の音韻とい うのは、中国語よりは少なくて、日本語よりは多いのです。

ですから、日本語と中国語の間に世界中の言葉がすべて入ってしまうのです。私の知る限りでは、日本語ほど音韻の少ないものはありませ ん。

日本語は、アルファベットならわずか19個の文字ですべて表すこと ができます。全部使う必要はありません。ローマ字では「ラリルレロ」に あたるものには、「R」「L」のついたものがありますが、日本語を話す場 合にはどちらかを使えば一方はいらなくなってしまいます。「C」は「K」 か「S」のどちらかでいいし、「X」はもちろん必要ありません。

こういうふうにしてしまうと、日本語をローマ字で書くと、19個の文字だ けで完全に表記でき、発音はそれ以外にないのです。こんなに少ない 民族はありません。これが日本語の大きな欠点です。欠点であるけれ ども、一方では長所と見ることもできます。

つまり、日本語くらいどんな言い方をしても正しく伝わる言葉はありま せん。ところが音韻が少ないために、日本人の耳ははっきりしたわずか の音韻しか聞き分けることができない耳になってしまいました。

音韻を聞き分ける聴力というのは、幼児期につくられます。ですから 大人になって外国語を学ぼうとしても、とくに音韻の多い中国語は日本 人には不可能といっていいくらい困難です。

私は青年期に六年間中国語を学習しましたが、結局ものにはなりま せんでした。耳がどうしてもついていけないのです。

中国語は1644種類の基本的な音韻をもっています。日本語は百いく つかで間に合います。中国ではその発音を聞き分ける耳を、幼児期か ら養っているのです。

ですから中国人の耳というのは私たちの耳とは全然違います。中国 人は英語を学んでもドイツ語を学んでも、実に見事に聞き、しゃべりま す。これは聞き分ける耳が発達しているからです。

では、音韻の少ない日本人ではどうしたらいいかというと、これは耳 の発達する幼児期に、外国語の豊かな音韻を耳から入れるしか方法は ありません。耳さえつくっておけば、大人になってから外国語を学ぶ必要が生じたときに、きっと役に立ちます。

・・・「中国語は1644種類の基本的な音韻をもっています。日本語は百いく つかで間に合います。」という事実を考えると、日本人が外国語をマスターするには、そもそも音韻(言語音の機能と体系・構造)の壁があるということです。平たく言いますと、幼児期に日本語環境にいる限り、日本語より音韻の多い外国語は、発音をネイティヴのようにすることは非常に難しい、ということになります。

発音に苦労するのは、日本語の音韻の少なさにあると考えれば、かえってスッキリします。

日本人が外国人とコミュニケーションをとるには、結果として比較的発音のしやすい英語に頼らざるを得ないとも言えるかもしれません。

 

 

知能と国語力を結ぶもの

幼児から小学生へと段階が進むと、言葉の量と質が格段に上がります。

つまり、幼児期には生活における会話がしっかり出来れば基本的に問題はありません。ところが、小学生になると「学び」の要素がぐんと増えますし、理解度を確認するために試験が始まります。そうなると、独力で問題を読み、その指示の内容を理解した上で解答していかなければなりません。

その時点で、文字を読み、問われている意味を理解し、解答を用意し、正しく文字(又は、数字や数式)を用い、書いて自分の答えを出す。これらの「読み」「理解」「書き」などを瞬時に判断していく力が、小学生になった瞬間から必要です。

では、その力を如何にして子供さんにつけていくか。

小学校に上がってから始めても、すでに授業は進み出しているわけですから、後手に回っている感は否めません。そう考えると、幼児の早い時期から、少しづつ国語力をつけて、就学前には漢字交じりの文を読み理解できるところまで子供さんを導いてあげることです。

つまり、言葉を正しく使い、その言葉の数(語彙)が多いほど知能が高いというのなら、その言葉の宝庫である国語辞典・漢字辞典を使いこなせるように指導することが近道です。

子供さんをそのレベルまで持っていく方法は様々あるでしょう。その為には、親御さんが根気強く子供さんを導いていかなければなりません。

羅針塾では、塾生の理解度や習熟度に合わせて、語彙力を弥増す方法を常に考えながら指導をしています。自主的に進んで辞書を引くことが出来ると、それぞれのやり方で言葉への理解度が増してくるのがわかります。

posted by at 08:07  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

知能は言葉によってつくられる

羅針塾では、塾生に様々な体験をして欲しいと考えています。近頃の風潮として、大人が子供を危険な目に合わせてはいけない、と余りにも過保護になりすぎている嫌いがあります。その結果、子供自身が危険を回避するという本能を研ぎ澄ます機会を失っています。「這えば、立て。立てば、歩め」と親はハラハラしつつも、自立を促すのは人類の太古の昔から行ってきていることです。

無理なく、幼児に危険を察知し、回避することを覚えさせるには、やはり、親御さんが山や海などの自然界に子供の身を置く機会を設けることです。幼児の頃から自然に親しむことが出来れば、学ぶことが数多あることに気付きます。親子で身近な山や磯辺などに散歩に行くだけでも、四季折々の自然に触れ、親子の会話も弾みます。

さて、石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第四章 「漢字を教えない」のが漢字教育の基本」に、「言葉を使って体験を表現させることが大切」という項目があります。引用してご紹介します。

言葉を使って体験を表現させることが大切

幼児への試験は大きく分けて、言語による知能テストと図形による知 能テストの二通りありますが、私は言語によるもののほうか知能指数を より正確に表現できると思うのです。というのは言語は知能そのものだ と言っていいと思うからなのです。

言葉か正しく使えて、その言葉の教が多い子どもほど知能か高くな っています。知能は言葉によってつくられるということは、今では学者 の間でも定説になっています。知能というものは、かっては生まれつき であると言われていたのですか、幼児期につくられるということもわかり ました。幼児期に言葉によって形成されることもわかったわけです。

ですから言葉の教育をしっかりやるということが、知能を正しく発達さ せる道なのです。そして言葉の中でも最も安定したものが文字ですか ら、子どもに文字を使わせることが一番の近道なのです。文字を知ることによって、子どもがひとりでどんどん学習ができるわけです。

体験ということが大事ですし、言葉を使ってその体験を表現するとい うことが、人間としての知能を向上するのに役立つのです。できるだけ 生きたいろいろな体験をさせるということは、親が子ども対してやれる最 良の教育ではないかと思います。

ペーパーテストで知識を詰め込むよりも、もっと基礎になる生活のま わりのさまざまなものを、体験をさせることのほうか大切です。体験させ るだけではなく、質問をして考えさせることが大事です。これによって、 子どもは「観察」して答えることになるのです。

言葉を通さないと、ただ見るだけでは「見れども見えず」ということに なるわけです。私たちは毎日同じ場所を往復していて、道にあるものを 見ているはずなのに、何があったかと聞かれても答えられないものが たくさんあります。それと同じことです。

ポイント:赤ちゃんのうちは世界は家庭の中だけですから、ヨチヨチ歩 きができるようになったら図書館でも美術館でも動物園でも、い ろいろなところへ連れ回して世界を広げてやることです。連れて 歩いてさまざまなものを見させ、感じさせ、場合によっては質問 して考えさせる、これが一番能力を伸ばすことなのです。知識を 詰め込むのではなくて、考えさせることです。

・・・先日、「松森天満宮での親子セミナー」を実施しましたが、その時には理解できなくとも、後になって得心することができる体験が有ります。

それらの体験について、親御さんが子供さんに質問して考えさせる。子供なりの答えを出す。そうする事を繰り返していくと、子供さんは行動する際に観察する力が増し、その観察を基にして答えるようになってきます。

日々の生活の中には、様々な体験に伴う「何故」が有ります。それについて、子供さんに質問することが、考えることになり、言葉を使って説明することが知能の向上に繋がります。

 

 

posted by at 08:29  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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