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漢字を覚える能力は年ごとに低下する

御代替りまで後五日となり、歴史の新しい一頁が捲(めく)られていきます。平成を振り返ると様々なことがあったことが分かります。

さて、 石井勲先生の「漢字興国論」第一章 早くからの漢字教育は子供の能力を大きく伸ばす――私の漢字教育実践記――に、「漢字を覚える能力は年ごとに低下する」という項が有ります。引用しながらご紹介します。

私は、昭和 35 年に担任した一年生を、卒業するまで 6 年間に亘って 担任しました。私はこの子供たちにも「社会で漢字表記をしてゐる言葉 は総て漢字で表記し、決してかな書きしない」といふ石井方式の基本原 則に従って指導しましたから、1 年生が一番数多くの漢字を学習し、学 年が進むにつれてその数が減って行きました。

6 年生の学習漢字は、1 年生の時の 3 分の 1 にも足りない程なのに、 その習得に苦しんでゐました。同じ子供たちを 6 年間通して指導してみ て、漢字を覚える能力は 1 年生の時が最も高く、その能力は年ごとに低下して行くことをはっきりと観て取りました。

丁度その頃、大脳生理学で有名な時実利彦先生とお話をする機会 があり、この話を申上げた所、「丸暗記する能力は、生後の 3 年間が最 も高くて、三歳を過ぎたら低下する一方だと言へると思ひます。だから、 漢字の学習においてもさういふ結果になるのは、私も当然だと思ひま す」といふ事でした。

(中略)

然し、能力の高い時に負担が軽くて、能力が低下するにつれて負担 が重くなる漢字教育を受けてゐる子供たちの事を思ふと、暗然たる気 持にならざるを得ませんでした。

こんな見当違ひの漢字教育を続けてゐる限り、教科書が満足に読め ない子供が多く出るのは当り前です。教科書が満足に読めなくて楽し い学習が出来るわけはありません。そこから登校拒否する子や非行少 年少女が生れるのです。

昭和35年当時の子供達の例が最初に記されています。これと比較して現在の子供達の漢字を伴う国語力は、さらに低下していると思います。何故なら、漢字熟語を平仮名との交ぜ書きで表記してある教科書を学校教育で用いているからです。例えば、「友情」を「友じょう」、「心理描写」を「心りびょう写」などと表記されれば、文章を読み続けることが嫌になってしまいます。

幼児期から、「聞く」力をしっかり身につけ、「読む」ことは大人と同じように漢字を日常的に用いると、自然と語彙力が増してきます。小学校での漢字教育・国語教育は、国公立・私立を問わず、まだまだ不十分と感じるのは筆者だけでしょうか。小学生をお持ちの親御さんには、子供さんの漢字ノートを日頃から確認して頂き、正しい漢字力をつけるよう導いて欲しいものです。

posted by at 08:42  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

全国学力テスト 「読む・聞く・書く・話す」の4技能が問われる

文部科学省が4月18日に実施し、約212万の小中学生が参加した全国学力テストが行われました。全国的な学力テストは、かって、学校の序列化につながるといって日教組などが反対していましたが、最近はそれも沈静化しているようです。学力の調査は、国の将来を担う子供さん達の力を評価する一つの物差しとして客観的に見るべきものです。要は、データをより良い方向に活用できるか、ということに尽きます。

さて、その学力テストについて簡単にまとめた新聞記事が目につきました。産経新聞(2019.4.18)からの引用です。https://special.sankei.com/f/life/article/20190418/0001.html?_ga=2.120790344.153116473.1555073393-1517775901.1521938718

初導入の英語で思考力・表現力試す 国語では新聞使った出題 全国学力テスト

文部科学省が18日に実施し、約212万の小中学生が参加した全国学力テスト。初めて行われた英語では、「読む・聞く・書く・話す」の4技能が問われたが、自分の意見を英語で表すような問題もあり、より深い思考力や表現力が試されたといえそうだ。

 「あなたの考えを理由とともに25語以上の英語で書きなさい」

 4技能のうち「書く」では、デザインが異なる2つのピクトグラム(案内用図記号)を示し、どちらがよいかを選ばせた上、その理由を英語で書かせる出題があった。問題を作成した国立教育政策研究所では、「与えられたテーマについて考えを整理し、まとまりのある文章を書けるかどうかをみるため」と、出題の趣旨を説明する。

 「話す」では、海外のテレビ局のインタビューを受けるという場面設定で、自分の将来の夢と、その実現のために頑張っていることを1分間で考えさせ、30秒で話すという出題も。暗記型の学習では解答するのが難しく、戸惑った生徒も多かったとみられる。

 同研究所では、「実際のコミュニケーションに活用できる思考力、表現力などを測ることを重視した」としている。

 新聞から必要な情報を読み取り、考える力を試す問題も出された。情報活用能力などを重視する新学習指導要領の趣旨を反映したといえそうだ。

新聞を使った問題が出されたのは中学3年の国語。架空の「全国中学生新聞」に掲載された記事や短歌を読ませ、読解力、思考力、表現力を試す内容になっている。読者の「声の広場」に投稿する際の、封筒の書き方を問う出題もあり、日頃から新聞を読んでいるかどうかでも、正答率に差が出そうだ。

 国立教育政策研究所の笹井弘之センター長は「急速に情報化が進展する社会の中では、さまざまな情報をより主体的に活用する力を身につける必要がある。新聞や雑誌なども読み、自分の考えをもつことも重要。これからの子供たちに求められる力を踏まえて出題した」と話している。

・・・「読む・聞く・書く・話す」の四技能については、繰り返し繰り返し強調されていますが、本来常識ある成人であれば当然身につけておく基礎的な力です。それを殊更に強調せざるを得ないほど、教育への危機感があるということです。

国際競争力のあるグローバルな人材育成を図りたい、と文部科学省は夢見ているようですが、一朝一夕にはことは進みません。昔から、「教育は国家百年の大計」と言われるように、他の欧米先進国に合わせる前に、日本人としての矜持を保つ人材育成を図るべきではないでしょうか。

その為にも、先ずはしっかりした家庭教育から始まります。

尚、実際の問題については下記サイトへ

国立教育政策研究所 平成31年度全国学力・学習状況調査の調査問題・正答例・解説資料についてhttp://www.nier.go.jp/19chousa/19chousa.htm

posted by at 08:10  | 塾長ブログ

「御代替わり」前に

今年の春は、平成から令和への歴史的な「御代替わり」を寿(ことほ)ぐかのように、櫻を四月中旬まで楽しむことが出来ました。筆者は、春期講習後、塾生さん達の「学業成就」を祈願しに神宮(じんぐう;伊勢神宮のこと)へ参詣いたしました。

神宮には、いわゆる外宮(げくう)と呼ばれる豊受大神宮(とようけだいじんぐう)https://www.isejingu.or.jp/about/geku/index.html

内宮(ないくう)と呼ばれる皇大神宮(こうたいじんぐう)https://www.isejingu.or.jp/about/naiku/index.htmlがあります。

およそ二千年前、垂仁天皇の御代から五十鈴川のほとりに鎮まります皇大神宮(こうたいじんぐう)は皇室の御祖先であり、我々国民から総氏神のように崇められる天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りしています。豊受大御神は内宮の天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)であり、衣食住、産業の守り神としても崇敬されています。

下の写真は、内宮の入り口に当たる宇治橋前の鳥居(早朝参拝時、往路:一枚目)

復路の宇治橋前後の鳥居(写真中央の宇治橋の先の鳥居が上記鳥居を反対側から見たもの:二枚目)

本年五月一日に元号が令和となります。三十一年目となっていた平成も間も無く幕を閉じます。

posted by at 22:47  | 塾長ブログ

聴く力

羅針塾では、春休みなど長期休暇の時期に塾生の学力の長所・短所を見極めた対応をしていきます。学年・年齢を超えて、学力の土台をしっかり作るべきと考えるからです。それぞれの取り組むべき課題について、音読をしながら取り組みます。

文部科学省の学習指導要領には、国語科の学習内容として「聞く力」「話す力」「読む力」「書く力」の四つが上げられています。古来、日本では子供に身につけさせるべきことの代表のように「読み、書き、算盤」を重視してきました。その結果、「聞く力」と「話す力」には特別な配慮をしてきていません。何故なら、聞いたり、話したりするのは敢えて学ばなくても、成長に従って自然に身につけていくものだと考えられてきたからです。

しかし、幼児期に「聴く力」を育み、想像力を膨らませておかないと、その後の成長や学力の向上に結びつかないように思います。つまり、お母さんやお父さんが絵本や童話などを読んであげることが、幼児期の子どもさんの脳の発達には非常に大事であるということです。

実際に読解力のある子供さんは、学年・年齢差は無関係です。つまり、「聴く力」に優れ、内容を良く把握しています。昔から「目は口ほどに物を言う」と言いますように、聴いている姿勢が良く「目の輝き」が活き活きとしています。

関門海峡の春の満ち潮

 

受験や学力の向上についてのご相談の中に、「様々な習い事をしているのですが、学校の成績に結び付いていない」、と言われるケースがあります。例えば、「読み、書き、計算」については、小さい頃からそれに特化した教室に何年も通ってきました、などです。また、定期的に届く通信教育教材や、「読み、書き、計算に加え英語を早い時期から身につけさせたい」と複数の教室をはしごするケースもそうです。

確かに、それぞれの教材や教育方法は、一定の理論付けがなされて編み出されています。しかし、それらが対象としているのは、一定の「理解力」「読解力」を持つ子供さんを前提としています。もちろん、それらの力がない場合には、親御さんが家庭でサポートすることが大前提です。つまり、その力に応じて宿題や課題として家庭学習しなければならない、ということです。結局「労多くして功少なし」という結果に終わります。

小学校三年生までに各教科の成績が満足のいくものでない場合は、「聴く力」不足で「考える力」を育てる根本的に大事な基礎教育が置き去りにされていると考えなければなりません。当然、小学校高学年なら早急に手を打たなければ、学力不足のまま中学校・高校に進学することになります。更に、高校、大学に進学した後に学力が伸びないとか、社会人になって仕事に対応できないというケースをよく耳にします。

これらは、幼児期からしっかりとした「聴く力」をつけるていくという「学びの根っこ」を等閑(なおざり)にしてきた結果と言えます。「聴く力」は「話の内容理解」として、「話す力」は「話づくり」として、幼児期に学ぶべきことです。それが長ずるに従って、「聴く」ことによって他人の意見を理解し、それを踏まえて自分の意見を述べ、「話し合う」ことが出来ていく。現在喧(かまびす)しく言われている「コミュニケーション能力」を発揮することになります。

何より子供さんには、幼児期に「聴きとり」名人になって欲しいものです。

posted by at 09:03  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

輪読中の「白村江」の読みから

春期講習中の羅針塾の一日。歴史と合わせて国語力の増強のために、分厚い日本の通史(「日本国紀」百田尚樹著)を小学生が輪読をしています。子供向けではなく大人が読むレベルですが、漢字の力のある小学生が「読み」を手助けしながらの輪読です。

七世紀の飛鳥時代の当時の日本を取り巻く国際環境は、現在の日本の置かれている国際的な緊張関係と同じく厳しいものがありました。「白村江の戦い」をすんなり「はくすきのえ」と読める小学生はまずいません。しかし、皆で協力しながら、読み進めます。

この戦いについて書かれたブログ記事のご紹介です。

国際派日本人養成講(http://blog.jognet.jp/201903/article_5.html)からの引用です。

白村江の戦い
      ~ 朝鮮半島及び中国由来の危機ゆえの国運を賭した戦争

 わが国は、朝鮮半島及び中国由来の危機ゆえに幾度も国運を賭して戦争をした。一例が7世紀に唐、新羅連合軍と戦った「白村江の戦い」である。

■国運賭けた「白村江の戦い」

 わが国は、朝鮮半島及び中国由来の危機ゆえに幾度も国運を賭して戦争をした。その都度驚嘆すべき努力を重ね、信じ難い大変革を成し遂げた。一例が7世紀に唐、新羅連合軍と戦った「白村江の戦い」である。

 余りにも古い話だと思われるだろうか。私はしかし、東アジアの大戦争だったその重要な話を、歴史を学ばないゆえに忘れてしまっていることこそ勿体ないと思う。白村江の戦いは日本が国運をかけて臨んだ「筋を通した義戦」だった(夜久正雄『白村江の戦』国文研叢書15)。義に命を捧げた古えの人々のおかげで、後述するようにわが国は真の意味で中華の世界から独立できた。

 当時、朝鮮問題は多年の懸案だった。「日本書紀」には、継体天皇の527年、欽明天皇の562、推古天皇の600年、602年、623年と、幾度も万単位の兵を百済救済のために渡海させた記録がある。

 日本に仏教文化を伝播した百済は660年に新羅と唐の連合軍に敗れた。百済王らは人質にとられ国は滅びた。しかし臣下らが百済の再建を目指して日本に救済を求めた。対して女帝斉明天皇が決然たる詔書を発した。

「危急をたすけ、王位の絶えたるをつぐことは、永久の規りである。百済の国はいま窮迫して、我が国をたより、国が滅びて依るところなく、告げるところもなく、戈を枕にし胆を嘗めて、必ずや救援を得て国を興したいといふ。遠くより来てその思ひを述べる。志、奪ひがたいものがある」(前同)。

 これより前の607年、聖徳太子は随の皇帝に「日出処の天子」という手紙を送り、独立を宣言した。その独立国日本が「大唐、新羅の連合軍に対して百済の救済のために兵を発する」と凛として命じたのである。

 斉明天皇は68歳、7世紀にあっては高齢だ。しかし老体自ら築紫の国に赴き、決意を示した。2万7000の兵を1000艘の船に乗せて西へ送ったが、斉明天皇は遂に崩御し、日本軍は惨敗した。天智天皇は唐・新羅連合軍の侵攻に備えて都を内陸部の大津に遷し、北九州、瀬戸内海、大和に堅固な国防体制を敷いた。

■日本に学んだ新羅

 敗れたりといえども唐に屈せず国防の気概を高める日本の姿に最も刺激を受けたのが新羅だった。彼らは発奮した。国とは何か、民族とは何か、一国を担うとはどういうことかを、彼らは日本の姿から学んだであろう。百済滅亡の姿から、一国が滅びることの意味を、衝撃をもって知ったであろう。そして心に決したであろう。断じて唐の支配下で傭兵の国であり続けてはならない、と。

 新羅は唐と共に日本に迫るべきときに、逆に唐に反攻し、その後の676年に朝鮮半島を統一した。そのとき新羅は日本を蔑称の「倭国」と記さず、「日本」と記したのである。夜久氏はこれを「七世紀後半の東アジアの大事件」と形容した。

 先に進む前に、当時の日本人の教養の高さについても知っておきたい。白村江の戦いのため「築紫に送られた諸国の防人の歌」が万葉集におさめられている。防人の歌の集録は天平勝宝7年(755年)で、白村江の戦い(663年)から約90年が経過した時点のことだ。夜久氏は「防人の歌は、実に世界の奇蹟」、「どこの国に、西暦755年代にかくも多くの兵士たちの詩を残した国があっただろうか」と賞賛した。

 詩には兵士たちの名はおろか、妻の名さえ残されている。万葉集におさめられた約80首は、みな優れた歌である。このような人々が我が国の防人だった。当時の人口は400万から500万とみられるが、一般の大衆が歌を詠む国、教養ある国が日本だった。

 日本の教養は当初、中国に学んだ文字によって支えられた。技術、律令制度等も中国に学んで国造りを進めた日本はしかし、大和の価値観を尊び、中国とは異なる形で民を守り、文明を育んだ。そして遂に唐と対等の地位を確立した唯一の独立国となった。

・・・世界史的に観ても、日本は独自の文化圏を形成し、飛鳥時代において防人である一般の庶民でも歌を読めるほどに高い教養を持っていたという事実は驚きです。当然、識字率も高かったはずです。

更に、ゆとり教育のせいで平成10年(1998)の小学校指導要領の改訂によって、一度教科書から旧石器時代と縄文時代(新石器時代)は消えていましたが、その縄文時代が新たに脚光を浴びています(因みに、平成20年(2008)にはようやく復活しましたが、その記述はわずかしかありません)。

考古学の画期的な発見やDNA分析の進歩により、これまでの縄文時代の常識が覆っています。つまり、縄文の文化は、渡来人の文化によって一掃されたと考えられていましたが、それは大きな誤りだったということが判明しつつあります。遺伝的に日本の縄文人達は特異な特徴を持ち、その暮らしは決して原始的でなく、現代日本に通じる信仰と習俗と生活が出来上がっていたのです。天皇のあり方も縄文的特徴を帯びていることや、日本の神話とされている例も縄文時代に起源があるのではないか、とまで言われています。

現在ある食生活の一例として「寄せ鍋」がありますが、これもすでに縄文時代に縄文土器で「寄せ鍋」をしていたとも言われています。薬味に山椒の葉や実などを活用していたとか。まさに、その頃から日本人はグルメであったようです。

posted by at 18:28  | 塾長ブログ
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