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小学校受験後がスタートです。

小学校の受験を経験すると、幼児から小学生へと階段を一段登ります。

人生の長い道程に例えると、

赤ちゃんから幼児までの時期は、親に付き添われて平坦な道を歩むことに似ています。抱っこされているところから、ヨチヨチ歩き。親に手を繋がれて歩く。手を振りほどいて自分の意思で歩く。外出しているほとんどは、必ず側に親が付き添いますし、道も安全な道を通ります。

平坦で安全な道から、小学生への階段を一段登ると、人生の登山道の上り坂に踏み入ります。そこからは自らの足と意思で一段ずつ、登り続けなければなりません。踏み石があれば幸いな方で、泥道やガレ場(大小さまざまな石が散乱する礫地。不安定な石が多い)もあり、足元や進むべき道筋を自分の目で確かめながら登り続けなければなりません。

 

その為には、平坦な道を歩む幼児期から徐々に小学校以降の登山道に耐えうる脚力をつける必要があります。つまり、子供の「脚力」=「国語力」と考えるべきなのです。

国語力をつける「学び」を重ねていくことは、まさに脚力をつけ人生の難関峰に挑戦できる気力と体力、そして強い意志を育てることになるのです。

先にご紹介したカール・ヴィッテの教育法(https://rashinjyuku.com/wp/?s=カール・ヴィッテ)にあるように、子供に「学ぶ」忍耐力をつけさせるには、親御さんの強い意志が不可欠です。

 

小学校六年、中学校三年の義務教育期間は、親にとって長いようですが、あっという間に過ぎ去る、との印象を多くの親御さんが後にもたれます。そして、この九年間は人生の基盤をつくる非常に重要なときです。そのスタートの号砲は、小学校受験後(幼稚園・保育園卒園後)から小学校入学前に鳴る、と考えるべきではないでしょうか。

小学校に上がってから、小一時間の授業についていけない子供さんがいるという事実は、山道に入って登り続けるだけの脚力をつけないまま登山道に踏み込んでいることを示します。当然、子供さんは前に進めず泣きじゃくるしかないことになりかねません。

片や、小学校就学前からしっかり「脚力」(=「国語力」)を子供さんにつけておくと、率先して先頭を歩み出します。先頭を歩み続けて真っ先に頂上に到達する爽快さを知ると、自分の意思で新たな山(目標)を目指すことになります。

小学校就学前に、「読み」・「聞く」・[話す」は、しっかり身につけておかねばなりません。登山道に入る際に、登山靴を履き、適切な衣服を身に付け、必要な水や食料を携行しなければならないのと同様です。

 

posted by at 08:53  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

難関校がより狭き門に

大学受験の最盛期になり、以下の様な記事が目に入りました。

【入試最前線】(1)難関校がより狭き門に なぜ有名私大で定員抑制」(産経新2019.1.12)からの引用です。https://www.sankei.com/nyushi/news/190112/nys1901120001-n1.html

【入試最前線】(1)難関校がより狭き門に なぜ有名私大で定員抑制

 予備校や高校などが開催する保護者向けの大学受験説明会。担当者たちの多くは冒頭で「お父さん、お母さんの受験知識はいったん捨ててください。親時代と今とは受験事情がずいぶん違うんです」と説明する。親世代のなかには、どうしても自分自身の受験知識をもとに子供の進路を考えてしまうという人が多いからだ。

 学習指導要領の改訂などを受け、各教科について、学校現場での教え方も大きく変わりつつあるなか、センター試験が終了し、平成33年度入試から「大学入学共通テスト」が導入されるなど、入試の現場も大きな変革期にある。入試の最前線はいったいどのように変わっているのか。学校現場の担当者たちや大手予備校、河合塾の担当者らへの取材などから、その実像の一端に迫ってみたい。

1回目のテーマとしてとりあげるのは、ここ数年、有名私大で行われている「定員抑制」の現実だ。

 「少子化」や「大学全入時代」といったキーワードの広がりもあって、受験生の親世代らのなかには「大学は昔よりも入りやすくなっている」と考えている人も多いかもしれない。確かに18歳人口は減少、かつてに比べ大学進学率も上昇しているが、実際はそう単純な話ばかりでもない。

進路担当もため息

 「去年は例年よりも浪人が増えました。今年の3年生たちも影響を受けるでしょうね」。大阪府内の公立高校で進路担当をしている教諭はため息交じりにこう話した。近年、早稲田や慶応といった首都圏のトップ私立大のほか、上智、立教、明治、法政といった有力私大、関西の関西大、関西学院大、立命館大、同志社大(関関同立)といった大学群が軒並み合格者数を減らす傾向にあるのだ。

大学側が、前年よりも合格者数を減らすということは、それだけ実質的な難易度が上昇することにもなる。河合塾の集計によると平成30年度の私大の一般入試の実質的な倍率は平成15年以来、15年ぶりに4倍超に。難関校がより狭き門となっていることで受験地図全体も塗り替わりつつあるのだという。

狙いは地方の活性化

 なぜ、有力私大が合格者数を減らすのか。背景には文部科学省の政策がある。

 大都市圏の私立大では定員数を上回る学生が入学している学校も多いが、地方には入学者が定員に満たない学校が少なくないというという現状があった。

 大都市圏の私立大の定員オーバーをなくせば、その分、地方の大学の学生が増えるのではないか-。そんな狙いがあったのだという。

 それが、平成26年末に閣議決定された「まち・ひと・しごと創生総合戦略」で、大都市圏に学生が集中している現状を踏まえ、「大都市圏、なかんずく東京圏の大学等における入学定員超過の適正化について資源配分の在り方を検討し、成案を得る」とされた。

 この年、各大学で定員を超えて大学に入学させていた学生数の合計は全国で約4万5千人。このうち、約8割の約3万6千人が東京・名古屋・大阪の3大都市圏に集中していた。

助成金基準厳格化で効果

 文科省は大学の定員管理を厳格化。基準を守れない私立大に対しては、交付されている助成金の給付を見直す-という厳しい態度を見せつけた。

助成金がもらえなくなってしまう入学定員の上限が、大規模私大(収容定員8千人以上)の場合は1・2倍、それ以外の大学では1・3倍だったが、これを厳格化。大規模私大の場合、28年度は定員の1・17倍、29年度は1・14倍、30年度は1・10倍と上限を段階的に下げた。

 また、助成金に関するルールとは別に、新しい大学や学部の設置の認可する際においても、定員管理の基準を厳しくした。

 私立に限らず大学などが新しく学部を設置する場合、全学年を対象とした「平均入学超過率」がもともとは一律で1・3倍未満であれば認可がおりていたが、これを厳格化。29年度の開設分から段階的に上限を下げ、31年度以降、規模に応じて1・05~1・15倍未満にしないと認可されなくなった。

 この政策は効果てきめん。定員を超過させていた私立大が次々と合格者数を絞り込んだ。

・・・都会の難関大学は、長年に亘り学生募集に苦労することなく大学運営をすることができましたが、そこに文科省はメスを入れ、合わせて地方大学の学生数確保を図ろうとしています。「狭き門」に殺到する受験生のニーズを地方に向けさせるには、地方の大学の魅力を上げていかなくてはなりません。地方大学の更なる創意工夫を期待します。

posted by at 17:04  | 塾長ブログ

小学校受験の意味

就学前の幼児さんが小学校に進学する際、受験を経るか否かで、小学校就学後の成長の度合いに違いがあります。

一般に、幼児さんが小学校受験をする際に、小学校に上がる前から受験準備の学びをすることに反対気味なのがお父さん。お母さんは、男親に無い独自のお母さん人脈の情報から、「鉄は熱いうちに打て」という原則通り、我が子の成長の為の受験にも学びが必要であると考え準備をします。

私共は、塾生をお預かりし国語教育を基本に据えて、「読むこと、聞くこと、話すこと、書くこと」を徹底することが、学力の向上に必須である信じています。幼児さんが就学後、様々な科目に取り組む際に、内容を理解するには、1に国語力、2に国語力、3に国語力、と言える程、国語力は学ぶ為の基盤です。

その国語力をつけるには、受験は良い切っ掛けになると考えています。

就学希望の幼児さんに受験を課す小学校は、建学の精神、教育の目的、理念などにより、一定水準の試験を設けます。小学校側が求める水準と親御さんの教育に対する熱意や考え方が学校側と基本的に一致しているか否かで、合否が決まります。幼児さんに求めるものは、学ぼうとする素直さや一所懸命さなどです。

幼児さんからすると、受験をすることは大きな試練です。

つまり、家庭内で読んだり書いたり、描いたりすることは日常です。ところが、受験の場で赤の他人である試験官から指示されて行動したり、質問に応えたり、限られた時間内に問題に取り組むことなど、非日常を初めて経験するからです。

小学校受験は、身近な人では無い他人と初めて接することから、例えて言いますと、成長する為の「通過儀礼」的なものです。

この様に考えると、幼児さんが小学校受験を経て、しっかり国語力をつけていくと、一年後には見違えるほど、お兄さん、お姉さんになってきます。

posted by at 16:44  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

謹賀新年 平成三十一年

明けましておめでとうございます。

平成三十一年が始まりました。本年は約二百年ぶりの天皇陛下のご譲位とそれに伴う改元が有る歴史的な年です。

そこで、日本の歴史を振り返ってみると、我が国は神話の時代から現在までの世界に比類のない継続性を持っていることがわかります。

今話題の百田尚樹著「日本国紀」(幻冬舎)の第1章「古代〜大和政権誕生」の冒頭を引用します。

日本の古代史を語る上での大きな障壁は、六世紀以前のことがよくわかっていないことだ。考古学的な資料を除けば、『魏志』をはじめとする中国の史書と、『古事記』と『日本書紀』が文献資料のほとんどすべてである。しかし、中国の史書における日本の記述には伝聞や憶測が多くあり、『古事記』と『日本書紀』にも神話が多数含まれているため、どこまでが事実かはっきりしない。

ただ、私がむしろ素晴らしいと感じている点はまさにそこで、日本の歴史は神話と結びついているからこそ、格別にユニークなものとなっているのである。古代ギリシャも神話と結びついている国といえるが、ギリシャは紀元前には滅んでしまった。ところが、我が国、日本は神話の中の天孫の子孫が万世一系で二十一世紀の現代まで続いているとされている。こんな国は世界のどこにもない。

しかも『古事記』も『日本書紀』もただの作り話ではない。そこここに考古学的な裏付けのある話が鏤(ちりば)められている。

そもそも神話というものは、実際に起こった出来事が暗喩を用いて象徴的な物語として描かれていたり、別の何かに置き換えられて書かれていたりすることがよくある。一見荒唐無稽に思える話の中に、真実が隠されているのが神話なのだ。

(後略)

「日本国紀」百田尚樹著(幻冬舎)

・・・塾生と学びの合間にする会話の中で、御両親や御祖父母、そのまた先の御先祖のことを話す機会があります。当然会ったことのない現在の自分に繋がる御先祖に想いを致すことが、我が国の歴史や文化を学ぶ切っ掛けとなります。

国語教育と辞書

国語辞典や漢字辞典などを日常的に引いていると、言葉や文字に対する感度が鋭くなります。塾生には意味のわからない言葉や漢字、自分の口で説明できないものは、辞書を引いて音読し、ノートに記すよう指導しています。

ある塾生(小1)が、「消息」を調べ、ノートに「便り」とだけ記しています。そこで、質問。

「便りとはどんな意味?」

「ん〜ん。」

「自分で説明できないなら、もう一度調べてみたら。」

素直に再度辞書を引き、「知らせ。あることのようすや成り行き。」とノートに記しました。

意味調べをするのは、低学年の子供にとってとても大事な学びの機会です。更に、漢字の読みが分からない時には、漢字辞典で調べます。国語辞典や漢字辞典を両方とも使いこなすことが出来るようになると、子供さんの語彙力は飛躍的に上がり始めます。

 

さて、石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第四章 「漢字を教えない」のが漢字教育の基本」に、「『智慧』のある子に育てよう」という項目があります。引用してご紹介します。

「智慧」のある子に育てよう

「知」という字がありますが、口と矢でつくられています。「矢」は速い ことを意味するもので、昔は矢より速いものはなかったのです。光陰矢 の如しといったように、矢のように速いという形容が、昔からよく使われ ています。口から早く答えが出てくるということは、頭にその知識が十分 にあるということを示しているわけです。

」というものは、私たちの頭に入っている知識を総称した字なので す。しかし、この「知」の働きというものは、磨けばもっと偉大な働きをし ます。この「知」を磨いて、それ以上のものになったときに「」という字 になります。遂に、この「知」が使われないでいると、その機能が衰えて きます。その状態が「」です。つまり、これらは元は一つの言葉で、知、 智、痴の三つがなければ不完全なのです。ところが国語審議会は、当 用漢字を制定するときに「智」の字を削ってしまったのです。

「知」のある人間のことを知者といいます。言葉として知者といえば知 者智者痴者と三つが考えられるわけです。しかし、当用漢字が制定 された昭和22年以後、この智者という言葉はなくなってしまったのです。 ですから、今の日本には智者がいないのです。たとえいたとしても、そ れを表現することができません。漢字がなくなると正しい表現ができな くなるわけです。このように漢字というのは重要な働きをするのです。

教育は、知識を増やすのが目的ではありません。常用漢字の中には 「智」という字はないけれど、「智慧」というのは本当はこの字でなければならないのです。知識としてはないけれども、ものを解決する能力、 それが「智慧」です。そこへもって行かなければならないのですが、学 カテストとか入学試験は、知識だけを問題にしています。いかに知識の 多い人間を採用するかというのが、今の学校側の姿勢です。

知識というものは、頭の中に入れておく必要はありません。それを取 り出す方法さえ知っていればいいのです。いくら頭がよくても、詰め込 む知識には限界があります。機械的に知識を詰め込んでも、正確に簡 単にそれが引き出せなければ、何の意味もありません。

今は、智慧のある人がいないから、世の中がおかしくなっているので す。頼るのは知識ばかりで、知識を生かす方法、つまり智慧がないの です。

そもそも、現代の教育は、小学校から大学に至るまで詰め込み式に 知識を植えつけるだけです。ようやく知識偏重教育の弊害に気づいた のか、就職試験の際に、学歴を問わないとか、面接を重視するというと ころも出てきました。会社にとって大事なのは、知識の多い人間より智 慧のある人間です。

ポイント:「書く」ことは自分の思いを表現することなのですから、少なく とも小学校の中、高学年になってからやればいいのです。作文 教育も、小学校一年生からやるなどということは本当に無意味で す。

・・・「智慧」とは、「事の道理や筋道をわきまえ、正しく判断する心の働き。事に当たって適切に判断し、処置する能力。」

また、仏教的な意味合いでは、「空など仏教の真理に即して、正しく物事を認識し判断する能力。これによって執着や愛憎などの煩悩を消滅させることが出来る。六波羅蜜の一つ。般若。」

更に、哲学的には、「単なる学問的な知識や頭の良さではなく、人生経験や人格の完成を俟って初めて得られる人生の目的・物事の根本の相に関わる深い知識。叡智。ソフィア。」

とあります。

塾生それぞれの個性を見定めて、少しでも「智恵」を深めてもらえたらと念じつつ接している毎日です。

posted by at 08:35  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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