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読めども読めず

子供さんが学習する際に、教科書や問題集を音読、または黙読する様子を観察すると、どれくらい理解しているかが分かります。読書も然り。

心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味

心ここに在らざれば、視れども見えず、 聴けども聞(きこ)えず、食(くら)えども其の味を知らず。

四書(儒教の根本経典とされる『中庸』『論語』『孟子』『大学』)の「大学」より

・・・心が上の空であれば、視ているようでも実際は肝心なことが見えていない。聴こうとしていても同様にその意味することの本質を聞いていない。食しても、食物の本来の味がわからない。何事も精神の集中が大切であるということです。

「読書百遍意自ずから通ず」と言われる程、熟読含味(文章をよく味わいながら読むこと、十分に内容を読み取ること)することは、学ぶ上でとても大事なことです。学習面では、基本中の基本である「教科書」をしっかり読み抜くことが出来なければ、言葉、熟語、概念、定義、等が身に付かず、所謂「わかった」つもりで終わり、時が経つと対応出来なくなります。

日本人には学ぶ為の『漢字』という素晴らしい表意文字(言葉を意味の面から捉えて、一字一字を一定の意味にそれぞれ対応させた文字)が有り、語彙の意味合いを理解しやすくなっています。従って、漢字の字義(文字の意味)をしっかり理解することは、学習効果を高めることになります。

さて、石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第三章 教える漢字は一日一字!」に、「読めても意味がわからないのでは何もならない」という項目があります。引用してご紹介します。

読めても意味がわからないのでは何もならない

」を知ることとはどういうことなのかとお思いでしょう。これこそ私の 漢字教育でもっとも重視していることなのです。

じつは目で見えるものは、カードを使ったり、絵本を使ったりして教え ることができますが、たとえば「冷たい」とか「熱い」とかを教えるにはどう したらいいのでしょうか。これを教えることが「」を知ることです。

「形・音・義」という言葉があります。漢字教育では「形」は書くことに、 「音」は読むことになりますが、その形や音に生命を与えているのが 「」なのです。を理解することは、その字が持つ本当の意味を知る ことです。

たとえば「冷たい」という字を「つめたい」と読めて、なおかつ書けたと します。

しかし、この意味を知らなければ何にもならないわけです。この字を 教えるには、子どもに氷の入った袋を持たせてみて、その袋に「冷た い」という漢字カードを貼っておいて、実際にこの感触を知って、指が かじかむような感覚が“冷たい”ということなんだということをわからせな ければならないのです。

この体験こそが「冷たい」という漢字の「」なのです。この「義」をもって、「つめたい」という(言葉)と「冷たい」という(字形)とに結びつけ、 そしてこれを大脳に経験として記憶させることこそ本当の漢字教育なの です。

こういう形で学習すれば、子どもは、この「冷たい」という字を見れば、 それを触ったときの感触がよみがえり、その体験を思い出します。

単に字が読めても、その字が正しく書けても、このような体験を伴わ ないとすれば、漢字教育が成功したとはいえないのです。漢字は体験 を呼び起こさせるシグナルなのです。

・・・幼児期に限らず、小学校の時期に、具体的に分かりやすく漢字の「義」(または「字義」)を学ぶと、漢字の熟語の理解が早まります。そうすると、「同義語」「対義語」や「同音異義語」など、語彙が弥増していきます。社会人として恥ずかしくない語彙力を小学校のときに身に付ければ、知的好奇心は自然と増していき、自ら学ぶ大きな推進力になります。

posted by at 17:40  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

国語(小学校)の授業時間

国語教育が何よりも重要である、と筆者は日頃から力説しています。そして、家庭教育と学校教育がより良く連動して、子供の成長に不可欠な教育効果を上げることが、家庭と教育関係者の責任です。「性相近し、習い相遠し」(せいあいちかし、ならいあいとおし:人の生まれながら持っている性質にはあまり差は無いが、その後の習慣や教育の違いによって、大きな差ができてくるということ。)と論語にあります。まさに、後天的な要素が子供の成長に良くも悪くも影響を与えるということです。

以下は文部科学省のホーム・ページからの引用です(国語のみ引用しています)。因みに、下記欄は左から小学校1年、2年、3年、4年、5年、6年生の表です(表中の数字は年間の授業時数。括弧内の数字は週当たりの授業時数)。

小学校における各教科等の授業時数等の変遷

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/attach/1399513.htm

昭和22年度~

国語 175(5) 210(6) 210(6) 245(7) 210-245(6-7) 210-280(6-8)

昭和36年度~(昭和33年改訂)

国語 238(7) 315(9) 280(8) 280(8) 245(7) 245(7)

昭和46年度~(昭和43年改訂)

国語 238(7) 315(9) 280(8) 280(8) 245(7) 245(7)

昭和55年度~(昭和52年改訂)

国語 272(8) 280(8) 280(8) 280(8) 210(6) 210(6)

平成4年度~(平成元年改訂)

国語 306(9) 315(9) 280(8) 280(8) 210(6) 210(6)

平成14年度~(平成10年改訂)

国語 272(8) 280(8) 235(6.7) 235(6.7) 180(5.1) 175(5)
  • ※ 表中の数字は年間の授業時数。括弧内の数字は週当たりの授業時数。
  • ※ 表中の1単位時間は45分。

 

 

現段階(平成14年度〜)での各学年で、国語と総授業時数との割合を計算してみると、以下のように学年が上がるごとに低くなっています。

1年生 272/782時間(23週)=34,8%

2年生 280/840時間(24週)=33,3%

3年生 235/910時間(26週)=25,8%

4年生 235/945時間(27週)=24,9%

5年生 180/945時間(27週)=19,0%

6年生 175/945時間(27週)=18,5%

・・・年間の授業時間だけをみても、その内容や成果を云々できませんが、少なくとも国が国語教育を重視しているかどうかは推測できます。先進諸外国では、基本的に国語の授業を重視しています。何故なら、算数、理科、社会など国語力をしっかりと身につけなければ、教育効果が低いと 考えているからです。約20年前(1997)の段階、つまり現在の30歳代以上のお父さんやお母さんの小学校時代、日本では全教科の四分の一の時間が国語の授業ですが、ドイツで は二分の一です。基礎教育である小学校で、国語をしっかり学ぶことが、その後の算数や理科を学ぶときに大いに役立つと考えているのです。言葉や語彙の量と質が高くなければ、しっかりした学習はできないということがよくわかっているのです。

posted by at 08:51  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

脳の発達するとき

子供の成長の過程で、いつから、どの様に子供の「学び」を始めるか。突き詰めると、お母さんが身籠った時から始まっているのではないでしょうか。所謂、胎教(妊娠中に、妊婦が精神的安定と修養に努め、胎児に良い感化を与えること)という言葉が示す様に、お母さんがお腹の赤ちゃんのことを意識しながら「学ぶ」ことが端緒です。

石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第四章 『漢字を教えない』のが漢字教育の基本」に、「テレビの「音」では脳は発達しない」という項目があります。引用してご紹介します。

テレビの「音」では脳は発達しない

子どもは、母親の言葉を通して言葉を頭の中に蓄積させていきます。 言葉をつかさどっているのは左の脳です。その他の音声は右の脳で聞 いていることは前にも述べました。ですから赤ちゃんに声をかけるとき は、それがちゃんと左の脳に響くように、赤ちゃんを見つめ、心をこめ て話しかけることが大切です。

母親の「声」は、ただの「音」とは違うということを認識してください。そ うすれば赤ちゃんはその声に応えてしゃべろうとし、脳の左の部分が 発達していきます。

小さい時からテレビで育った子どもは、母親の声にあまり反応しない し、声をかけても反応が鈍く、自分だけの世界に閉じこもりがちといわ れています。これはテレビの音は、人間がしゃべっていても、あくまで も機械の出す音だというところに理由があると思います。機械の音です から、声ではなくて単なる音と変わりありません。

その音は右の脳で処理されています。また、子どもがテレビに反応 して応えても、相手からは何も返ってこないのです。したがって右の脳 は発達しても、言葉脳である左側の発達は遅れています。それで言葉 に対する反応が悪くなっているのです。

言葉を覚えるまで、つまり子どもが三歳になるまでは、テレビは避け て欲しいという理由はここにあります。脳の神経細胞がもっとも発達する 大事な時期でもあるし、後から手遅れにならないよう、親として細心の 注意を払う必要があります。

最近、幼児向け教育ビデオを利用するお母さんが多いようです。た とえばおやつを食べるときは、テレビ画面から出る「いただきます」とい う音声に合わせて、幼児も□をそろえてしゃべります。挨拶のしかた、 食事などのしつけから、教育まで、まさにビデオがお母さんの代行をし ているのです。

しかし、幼児の視力が落ちたとか、失調をきたした例も少なくないよう です。やはりしつけはお母さんが直接行うべきで、いくら便利だからと いって、何もかもテレビに押しつけるようなことは望ましくないでしょう。

様々な幼児さんや小・中・高校生と話をしてみると、赤ちゃんから幼児になる過程で、どれくらいお母さんと目を見ながら話をしていたか、が学習能力に大きく影響を与えていると思います。論理的な話し方、語彙量などが一つの物差しです。

声掛けをするときに、目をみる、はっきりと返事をする、などが自然にできる子供さんは、必ず伸びていきます。

posted by at 15:59  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

学校教育と天才

学校教育の現状について、様々なところから情報が入ります。小・中・高の各学校で「勉強」をさせる先生方と、させられる児童・生徒達との関係は、正直なところ整合しているとはいえません。所謂「一斉授業」をせざるを得ない先生方からすると、学力差があるクラスの奈辺に照準を置いても、学力差を解消することはできません。力のある子はつまらない。そうではない子には難しい。

結局は、それぞれの子が「学ぶ」意欲を持てるかどうか、にかかってきます。教える側(親も先生も)からすると、その意欲を惹起させ継続させることができるか、です。

石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第四章 『漢字を教えない』のが漢字教育の基本」に、「天才は学校教育の中からは生まれない」という項目があります。引用してご紹介します。

天才は学校教育の中からは生まれない

知能は幼児期に形成されます。つまり家庭教育が一番大事なわけで す。家庭教育さえしっかりやっていれば、今の普通の小学校の教育は バカバカしく感じると思います。たとえば欧米でノーベル賞をとるような 学者は、小・中学校には行っていない人が多いのです。また、12、3歳 で大学に入学しています。入学試験さえ通れば年齢を問わず入れてく れるわけです。

数年前の話になりますが、イギリスのケンブリッジ大学を16歳で卒業 したという少女がいました。数学科を何と主席で卒業しているのです。 そしてこの少女をアメリカのハーバード大学が教授に迎えたというので す。驚いたことにこの少女は、小学校、中学校、そして高校には一日も 行っていないのです。父親が家庭で教育したそうです。

この父親というのがなかなか面白い人で、自分の子どもは個性が強 いから、学校へやったらダメになってしまうと思って、自分で教育する 決心をしたそうです。もともと普通のサラリーマンだったのですが、奥さ んに「すまないが働きに出てくれないか。私は家にいて、炊事洗濯から 子育てまで全部やるから」と言って、夫婦の分担をちょうど逆にして、こ の少女を教育しました。

私もこういった教育法には賛成なのです。それは個性を潰されない ほど強い子どもならいいのですが、何といっても今の学校教育は画一 的すぎると思うからです。だいたい試験のために勉強するのはおかし いです。

私自身、中学生の時には試験勉強は一切しませんでした。試験は自 分の実力を測る「ものさし」の一つではあるけれど、試験の前日に一生 懸命丸暗記して、それでいい点が取れたとしても、それはとても愚かな ことのような気がしたわけです。試験の前になるとかえって普段しない ようなことまでして遊んだものです。臍曲がりといえばその通りですが、 それでも成績は悪くなかったです。

もちろん人間の脳はいろいろな要素が絡み合ってできあがりますか ら、一概にこうと言い切ることはできませんが、やはり家庭環境は強く影 響しているといえるでしょう。

私の場合、両親は何かを教えてくれるということがなかったので、幼 児期には独りぼっちでいろいろなことを空想する、つまり一人遊びが好 きでした。与えるものが多すぎるのはダメで、自主的に考えることこそ大 切だと思ってます。

・・・現在の大学受験を目的としている普通高校での授業内容や課題(宿題)の多さを仄聞(そくぶん)すると、自主的に学ぶという意欲を削ぐことに力を注いでいるのではないか、と皮肉を言いたくなるような状況です。

筆者の受験期と比較すると、生徒達が哀れに思えるほどです。つまり、自らの判断で受験したい大学を選び、自ら計画を立て、試行錯誤しつつも目標を達成すべく日々刻苦勉励する、べきなのですが。

問題解決能力を身につけるには、「失敗は成功の母」であると経験することが近道です。

posted by at 07:57  | 塾長ブログ

家庭教育

子育ては、夫婦の一致協力があれば順調に推移します。お父さんとお母さんは、他人同士であっても、婚姻することで家族としての結びつきや責任が生じます。子供さんが生まれれば尚更です。精神的に安定した子供さんは、学習能力も自然に高くなります。

石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第四章 『漢字を教えない』のが漢字教育の基本」に、「家庭教育の重要性」という項目があります。引用してご紹介します。

家庭教育の重要性

 家庭教育というものは、夫婦が同じ方向で子どもを育てようとしない 限りうまくいきません。どんな子どもに育てるのか、どんな教育をするの か、しっかりと話し合うことが必要です。

できれば、子どもが生まれる前から夫婦で相談しておくことが大切で す。夫婦の一番大きな仕事というのは、子育てだからです。

いくら父親が外で働いているといっても、わが子を立派に育てる責任 は、母親と半分ずつ持たなくてはなりません。よく話し合って、両親が 納得した上で育てることが大切です。

どんなに忙しい父親でも、子どもの教育というのは楽しいはずです。 子どもと遊ぶということは気分転換にもなります。

そういう意味では、父親の役割も非常に大きいのです。無関心であ っては困るし、ましてや子どもの教育に対する考え方が母親と反対とい うのでは困ります。

教育の「教」という字の右側には「父」という文字が使われています。 昔は、父親は外に働きに行くのではなく、家の中で仕事をしていました。 子どもは、父親の仕事を見て育ちました。そして父親のやり方の真似を します。真似をすることを、日本では「真似ぶ」といいました。

この「真似ぶ」という言葉が「学ぶ」に変化したのです。今使われてい る「学ぶ」とは少しニュアンスが違って、本来は真似ることを意味してい ます。では、誰の真似をするのかというと、父親です。真似をしたときに、 指導助言をするのが父親の仕事です。

「そういうときにはこうするんだよ。それじゃ手を切ってしまう……。こ ういうように持ってやれば怪我をしないんだよ」

これが“教える”ということなのです。

教育の本質は父と子が交わることです。一緒にいることが教育の原 点なのです。そして子どもが自主的に父の真似をする、これが学問の 「学」の始まりです。学ぶときには、当然のことながら父親が指導助言し ます。それが独立して「教」という字になるのです。漢字の成り立ちから 調べていくと、「教」という字と「学」はまったく同じなのです。

ポイント:テレビで育った子どもには、自分で自分の世界、つまり煩わし くない自分一人の世界に閉じこもってしまい、言葉が吸収されな くなっているケースが多く見られます。たくさんの言葉が頭に入 らないから頭脳が発達しません。いろいろな言葉を使って体験 を頭の中に認識できないと、智慧というものは蓄積されないわけ です。

・・・仕事の都合や事情があって、父親が子供さんとしょっちゅう一緒にいることができない場合は、父子の意思疎通の機会を如何に設けるか、です。昨今は、メールのやり取りが日常化していますが、手紙や葉書なども有効活用すれば、かえって子供さんの言語能力や作文力を上げることも出来る好機になるのではないでしょうか。父子関係を良好にすることも創意工夫次第です。

posted by at 09:00  | 塾長ブログ
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