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漢字は学問の基礎である

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生が日々国語辞典や漢字辞典などの辞書を活用しています。言葉の意味合いをしっかり理解すると、話したり本を読んだりするのが楽しくなります。

石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第5章お父さんとお母さんのための漢字の常識」に、「漢字は学問の基礎である」という項目があります。非常に示唆的であるので、引用してご紹介いたします。

漢字は学問の基礎である

漢字というものは本当に素晴らしいもので、あらゆる学問の基礎、日 本人にとっては基礎中の基礎なのです。この力を伸ばして、より多くの ものを身につけさせてやるということが、教育でいちばん重要なことで す。

子どもには自ら進んで学ぼうとする本能があるから、それを正しく伸 ばしてやり、自ら求めさせるような環境をつくって、いたずらに詰め込ん で口を開けて待つような子どもに育てないでいただきたいのです。

今の幼児教育は、あまりにもいろんなことをやり過ぎます。欲を出さ なくていいのです。あれもこれもできるということは、何もかもいい加減 にしかできないという欠陥を、当然秘めているわけです。昔から「多芸 は無芸」といいます。何もかもできるということは、何もできないというこ とに通じます。

一芸に秀でていればいいのではないですか。その一芸の、いちば ん基本になるものは何でしょうか? それは、まず読解力を養うことで す。読解力を養うためには、その基本である漢字を身につけねばなり ません。これさえやれば、どんな道でも自然に開かれていきます。

幼児に対する漢字教育は、詰め込み教育であってはいけません。そ ういうやり方をすると、最初は興味を持っても間もなくそっぽを向くように なります。そうなるともう伸びなくなります。子どもは自分で知りたがっているということを、いつも念頭に入れておいてください。

子どもが持っている“目分から求める”能力を生かすようにしないと、 子どもは親から指示されなければ何も考えようともしないし、学ぼうとも しなくなります。まして自分の頭を使って、新分野を開拓する気持ちは起きるはずがありません。

今の教育は、子どもたちが本来持っているヤル気の芽を摘むようなやり方です。

私の漢字教育の基本は、「漢字で教える」ことです。大人が「漢字を使う」ことです。大人が使ってみせることで、かたわらで聞いている子ど もの言語生活が豊かになっていくのです。

いちばん必要な能力は、本を読む力です。楽々と読むのと苦労して 読むのでは、一生の間に大変な違いが出てきます。子どものときから 本を読めるようにする、本に興味を持たせるためには、幼児期からの漢 字教育は不可欠です。

小学校から漢字を学ばせる――これが常識になっている今日の教 育者の認識では、まったく理解におよばないでしょう。しかし幼児期か らやればどんな子どもだって容易に本が読めるようになります。ところ が大事な幼児期を無為に過ごして、小学校へ入ってから始めるので、 苦労しても身につかないだけなのです。

筆者は、幼児期に母親と一緒に市場に買い物に行くのが楽しみでした。今では日常の買い物に「市場」に行くことはほとんど無いのが現状ですが、当時は市場への往復や市場の中にも様々な漢字が溢れていました。看板や商品の表示など、漢字表記ですから、目に入る漢字は全て母親に尋ねたものです。漢字の熟語もあれば、送り仮名のついた漢字もあります。その都度都度、丁寧に説明してくれました。おそらく、子供が一つ一つ尋ねることと、それに応えることを母親は楽しんでいたのでしょう。毎日毎日、ほぼ同じ道を歩くわけですし、また他の用事で違う町に行くと、さらに様々な漢字が出てきます。これを繰り返す事で、自然に様々な漢字を読めるようになりました。一つの漢字を読めると、もっと知りたいという自然な欲求が出てきます。また、人名にも様々な漢字が用いられていますから、母親の側で日常を過ごしていると、同様にその都度尋ねます。音読み訓読みの違いもすんなりと入ってきていますから、小学校に上がっても授業が易しすぎて詰まらないと感じた思いがあります。結果、人名漢字も同じ年齢の子と比較して読めた記憶があります。

引用した石井先生のお話は、経験上首肯できることが多々有ります。時代が違うと言われればそれまでですが、街中にある看板や様々な表示は、随分漢字が減ってきています。アルファベットや漢字仮名交じりが当たり前のような状態です。

従って、幼児期の語彙力をいかに増やしていくか。漢字の学びをどのようにしていくか。親御さんの創意工夫が必要です。

 

 

posted by at 10:15  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

「人を育てる力」

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生の教育に役立つ情報を常に摂取しています。先日「肥前佐賀幕末維新博覧会」が開催されている佐賀城本丸歴史館に研修に参りました。

佐賀城本丸歴史館資料館

上記資料には、「佐賀藩は、外様各藩の中で八番目の石高三十五万七千石を誇り、二百六十年もの長きにわたり鍋島家が治めました。佐賀城本丸歴史館は、十代藩主鍋島直正が天保九年(一八三八)に再建した本丸御殿を忠実に復元した、日本最大級の木造建築です。」とあります。

鍋島直正公銅像

佐賀城本丸歴史館の資料の一つに齋藤孝明治大学教授の「佐賀藩の『人を育てる力』の秘密とは?」があります。引用してご紹介します。

藩全体がまるで「学校」だった

佐賀藩はなぜ、多くの優れた人材を輩出できたのか。それを考える際、やはり10代藩主鍋島直正(閑叟 かんそう)の功績は無視できません。幕末の佐賀藩には、藩校の弘道館のみならず、蘭学、英語などを学ぶ場所があり、まさに開かれた学問の世界があった。直正は蘭癖(らんぺき)と呼ばれるほど西洋文化を積極的に吸収し、藩全体にも奨励しました。明治維新は下級武士から起こった改革と言われますが、佐賀藩ではそれを藩主自らリードしたのです。

ただ、学校があれば人材が育つとは限りません。もちろん、講道館の役割は大きかったと思いますが、私はむしろ、佐賀藩に受け継がれてきた歴史や精神こそが人材を輩出する土壌を作り、それをまとめ上げたのが直正だったと考えています。

では、佐賀藩の土壌となったものは何か。一つは佐賀藩が長崎の警備を担当してきたという歴史です。つまり佐賀藩は200年以上にわたり直接、オランダ、中国から技術や情報を手に入れてきました。

特に幕末には、中国でアヘン戦争が勃発、日本への影響を想定すれば、それらに対処するため、世界情勢や国際法に精通しておかねばならないし、武力も必要になります。

直正は「先憂後楽(せんゆうこうらく)」を座右の銘にしていたそうですが、このような状況に直面し「先に憂えた」からこそ、知識や見識を広げる必要性を感じ、反射炉や鉄製大砲、実用蒸気船まで作った。直正および佐賀藩の先進性は、こうした危機感から培われたものだと思います。

・・・義務教育や高校の歴史教科書では、表面的な説明しかしませんので、佐賀城本丸歴史館資料館などの施設を見学すると、より理解が深まり学ぶ意欲も増してきます。

江藤の先進性を育んだ佐賀藩の風土

佐賀藩が生んだ人物の中で、直正の思想を受け継いだ人物の一人に江藤新平(えとうしんぺい)がいます。彼は安政三年という早い時期に「図海策(とかいさく)」を記し、「通商を盛んにし、軍艦を買って富国強兵をすべし」と主張しています。ただ、この主張は、江藤一人の発明ではない。そこには直正の思想や佐賀藩の風土が色濃く反映されています。

 佐賀藩がユニークなのは「攘夷」と聞いて「外国船を打ち払えばいい」という思考に陥ることなく、むしろ国を開き国力を増強をし、日本の独立を守ることが真の攘夷だと考えたことです。「攘夷」と「開国」は、本来すぐには結びつきません。ただ、本当の攘夷とは「日本の独立を守ることである」と考えれば、むしろ国を開き国力を高めるべきだという考えに至ります。

 こうした日本の独立は保たねばならないという思いが、佐賀藩士たちの共通認識となったのでしょう。早稲田大学を創設した大隈重信(おおくましげのぶ)が「学問の独立」を建学の精神に据えたのも、副島種臣(そえじまたねおみ)が外務卿として優れた業績を上げられたのも、佐賀藩のこの精神風土が大きく影響していると感じます。

・・・江藤新平は、初代司法卿として明治新政府の法制度の確立に努め、三権分立に基づく国家制度の構築に尽力しました。しかし、志半ばにして非業の死を遂げます(享年四十一)。

様々な逸話が残されていますが、一例をご紹介すると、

自分が低い身分から起ったので、司法卿に栄進しても少しも尊大ぶらず、面会を求むる書生は誰でも引見し、その才幹を認むれば直ぐにも登用した。それ故、郷国の官途につこうとする者は、先ず江藤を訪い、志望を述べ採用を頼むので、その私邸にも役所にも常に一二人の訪問者が絶えなかったそうだ。新平はこれ等の人を引見しては、先ず先に『貴公は本を読むか』と尋ねる。読みますと答えると、『どういう種類を読むか』と反問して、その答えに依りてその人物を察し、登用の程度を決めたそうである。まだ第二の試験方法としては、政治法律上の問題をあたえて、これについて意見を書いて来いと言い、論文を徴するか、または直に論題を提出して、その議論を聴取するのが例であった。この試験に及第しさえすれば、即日にも採用するが、もしこれに落第した者は如何なる情実があろうが、決して用いる事はなかった。ゆえに江藤の登用した人物には、一人として屑は無く、適材を置くの主義で、皆一廉の働きを現した。(『江藤新平』鹿島桜巷著 実業之日本社)

・・・江藤新平の七言律詩句に、

「才(さい)短(たん)にして

百方(ひゃっほう)の功(こう)

未(いま)だ就(な)らず

途(みち)窮(きゅう)すれど

千里の志 猶(な)お存す」

と、あります。江藤新平は、「維新の十傑」「佐賀の七賢人」の一人に挙げられます。

江藤新平(司法卿時代)佐賀城本丸歴史館蔵

十代藩主鍋島直正(閑叟 かんそう)の

「彼は異日有用の器たり。之を斬に処せしむべからず」

と述べていた逸話も残されています。

posted by at 09:23  | 塾長ブログ

本庶佑氏(京都大学特別教授)ノーベル医学生理学賞受賞

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾 https://rashinjyuku.com/wp では、日々世界中の様々なニュースの中から、塾生にとって有益な情報を示していきたいと考えています。

新たな台風の接近に一憂している中、素晴らしいニュースが飛び込んできました。

[ストックホルム 1日 ロイター] – スウェーデンのカロリンスカ研究所は1日、今年のノーベル医学・生理学賞を、免疫システムを用いたがん療法で画期的手法を開発した米テキサス大のジェームズ・アリソン教授と京都大学の本庶佑・特別教授に授与すると発表した。

 

2018年ノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑氏(写真左)と米国人のジェームス・アリソン氏(2014年9月18日撮影、2018年10月1日作成)。(c)Sam YEH / AFP〔AFPBB News〕

これについて、わかりやすい解説をされている記事(JB PRESS 伊東乾氏)がありましたので引用致します。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54279

(前略)

ノーベル財団のHPは今年の授賞を

“for their discovery of cancer therapy by inhibition of negative immune regulation.”

 「彼らの、免疫抑制機構を停止することによる癌治療の発見」に対して授与したとしています。

(中略)

「彼ら」が発見したのは

 「ガン細胞が、私たち人間が誰しも持っている免疫という本質的なシステムのウィークポイントを利用して、一掃されないよう忖度させていた(negative immune regulation.)免疫の働きを停止(inhibition)させて、私たち自身の免疫の力によってガンをやっつけるという、本質的に革新的なガン治療法を見出すに至る、基礎的な免疫の分子生物学メカニズムを明らかにしたこと」 が評価されているわけです。

(中略)

この仕事の背景には2つの選考業績があります。

 1つは「モノクロ―ナル抗体の発見」(1975 G.ケーラー C.ミルステイン → N.イェルネと共に1984年ノーベル医学生理学賞受賞)

 いま1つは「抗体(免疫グロブリン)」が自在に変形する特異な遺伝子機構の解明(利根川進 1976 → 1987年ノーベル医学生理学賞受賞)

 これら2つの、免疫学における最先端の業績を横目に、日本と米国を往復しながら免疫学の先端で業績を上げていた東京大学医学部の本庶助手は考えます。

(・・・どうして、抗体は自由自在に形を変えるのだろう・・・)

 世の中には、無数と言っていいほど、多種多様な黴菌やウイルスが存在します。しばしばそれらは進化して、より質が悪い形をとって私たちに襲いかかってくる。

 ところが不思議なことに、私たち生物(脊椎動物)は、そうした未知の敵に対して、的確に攻撃を仕かける免疫のシステムを持っており、抗体が様々な形に変って、ピンポイントで敵をやっつけていく。

 その大きな謎に、同世代(生まれ年で2学年違い)で、同じ京大で理学部出身の利根川さんが決定的な業績を上げ、答えを出したのが1976年でした。

 37歳の利根川さんが過去7年間無駄なペーパーゼロで、この仕事だけに取り組み、場外ホームランを打ち上げることに成功するのを34歳の本庶助手はまぶしく見たに違いありません。

 早くからこの分野の基礎に業績を上げていた本庶青年は38歳で阪大医学部教授、43歳で京大医学部教授と、基礎研究の王道を進み、ガン治療の特効薬探しなどをしていたわけではありませんでした。

 1992年、本庶研究室の大学院生石田靖雅氏は、研究していた免疫細胞の一つ T細胞が(古くなるなどして自ら命を絶つ)「自殺」(アポトーシス)を行う際に現れる特異的な「鍵穴」(受容体分子)を見つけます

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC556898/pdf/emboj00096-0084.pdf

ちなみにこのとき本庶さんは50歳です。

この鍵穴が何であるのかは、しばらくのあいだ分かりませんでした。しかし、地味で地道な基礎研究の結果、この鍵穴は免疫活動を抑制する働きのある鍵穴であることが分かりました(1997-2000)。

http://jem.rupress.org/content/192/7/1027

 本庶先生が55から57歳にかけてのお仕事になります。さて、これは面白いものを見つけました。

 つまり、ここに「鍵」を指し込めば、オソロシイ免疫細胞の攻撃を免れることができるわけです。この鍵穴が報道されている「Pd-1」と呼ばれるもので、一部のガンはこれを活用していることが分かりました。

ガンの治療が難しいのは、それが「私たち自身」の細胞であることによります。免疫は異物を除去していきますが、私たち自身の細胞は、自己自身であるため免疫機構の攻撃を受けません。

 ガン細胞はそれを知っていて、鍵穴PD-1に合致する鍵PD-L1を表面に帯びているのです。

(中略)

だとすれば、仮にこのPD-1に対応する抗体(抗PD-1抗体)を的確に設計して、ガン細胞より先に免疫細胞に結合してやれば、細胞は本来の免疫システムを発揮して、ガンをたちどころに退治してしまうことができるはすです。

 実際、そのような抗体を、先ほど記した「モノクローナル抗体」としてデザインすることで、本庶グループはガン治療を一変させることに成功します(https://academic.oup.com/intimm/article/17/2/133/843513)。

(中略)

本庶先生のお仕事は20代にスタートし、30代同世代チャンピオンのノーベル賞も横目に40代、50代と地道に、素朴に「なぜ?」を考え、基礎メカニズムの解明に集中してきた研究者が60歳を過ぎて、実際にそれを治療に応用してみよう、と一歩を踏み出し、結果が結実したものと言えます。

 2004年に基礎医学の成果として可能性が示された、自分自身の免疫力でガンを根治するモノクローナル抗体=「忖度から鍵穴を守る水戸黄門の印籠」は「免疫チェックポイント阻害療法」として臨床応用が検討開始。

 2010年「ニボルマブ(Nivolumab)」と呼ばれる「IgG4 PD1」抗体の臨床試験開始が公表され、2014年、世界で初めて日本で製造販売が承認、同年9月 小野薬品工業から商品名「オプジーボ」(https://www.ono-oncology.jp/contents/patient/opdivo_about/03.html)として発売され、臨床で治療実績を上げ始めます。

 本庶先生はすでに72歳、前年には文化勲章も受けた碩学が、70代にして基礎研究を臨床応用に結びつけ、実際に全世界の患者さんの救命に利用されるようになりました。 それから今回のノーベル医学賞まで4年です。

・・・本庶佑先生(京都大学特別教授)が倦まず弛まず、「何故?」と考え続け、並外れた精進を続けてこられたからこそのノーベル賞受賞です。正に、「世の為、人の為」と、未来をかける若人にとっても大きな目標となります。

 

 

 

 

posted by at 08:13  | 塾長ブログ

「大学入学共通テスト」の英語で導入される民間検定試験

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾 https://rashinjyuku.com/wp では、日々、塾生に国語力をつける工夫を重ねています。何事を学ぶにしても、母国語をしっかり身につけなければなりません。何より、日本語は世界を見回しても比類のない語彙の豊富な言語です。知的レベルを上げるのには、これを活用しない手はありません。

さて、大学入試改革の中で「読む・聞く・書く・話す」の4技能を測る民間検定試験の導入に、冷水をかけるかのような、否、拙速な導入に冷静さを取り戻すべきだと言わんばかりの記事が目に入りました。

産経新聞(2018.9.26 )からの引用です。http://www.sankei.com/life/news/180926/lif1809260029-n1.html

東大、民間英語試験の成績を出願要件必須とせず 調査書に英語力記入で代用も可

東京大学は26日、平成32年度からの「大学入学共通テスト」の英語で導入される民間検定試験について、初年度の入試では受験生に成績提出を義務付けないとの基本方針を公表した。「公平・公正と実施の観点から、受験生が安心して受けられる体制が整っているとはいえない」ことが理由。文部科学省や大学入試センターの入試制度全体への責任体制に見通しが立ったとして出願要件の選択肢の一つに採用するが、高校の調査書などで一定の英語力が証明されれば出願可能とした。

 さらに、事故や病気など何らかの事情がある場合は、受験生が理由書を提出すれば出願を認める。3つの資料のいずれかの提出を求めるが、合否判定には用いないとしている。東大が民間検定試験の成績提出を必須としないと決めたことで、他大学に影響を与える可能性がある。

 東大によると、受験生に求める具体的な英語力の基準は、語学力の国際標準規格「CEFR(セファール)」で下から2番目の「A2」(英検で準2~2級相当のスコア)レベル以上。高校での成績評価で同等の英語力があるとみなされれば、民間検定試験の成績がなくても出願資格を認める。

 東大は3月、民間検定試験を合否判定に使わない意向を表明したが、4月末には一転して活用の方向と発表。しかし、その後も家計や居住地域で受験機会が左右されるとの懸念が指摘されるなど、意見が統一できなかった。

 共通テストの英語は最初の4年間、従来型のマークシート式試験と、「読む・聞く・書く・話す」の4技能を測る民間検定試験が併存。大学入試センターは今年3月、英検(新方式)など7団体の8種類を認定した。

・・・管見では、英語の民間検定試験の成績を出願要件(必須)とすることに反対です。何故なら、受験生が通常の受験勉強以外に、英語の民間検定試験を受けるのは負担が大きいからです。当然、受検費用も馬鹿になりません。また、大都市と地方を比較しても、受検会場にばらつきがあり、受検機会の公平性の観点からも問題があります。

そもそも大学入試センター試験のような選択肢問題を受験生に課すこと自体に筆者は否定的です。前身の共通一次試験が導入される前の、各大学が独自問題を作成し、大学の個性が表れる入試が本来あるべき姿のように思います。どの科目であれ、記述問題や論文問題をしっかり課すことにより、受験生の本当の力を見極めることが出来ます。受験生は、それを乗り越える力を身に付けなければ、本当の学力はつきません。

大学の先生方が、学生の力が落ちているとよく言われます。これは、考える暇を与えず、第一関門のセンター試験の選択肢問題をテクニックで解く訓練を高校や予備校でひたすらせざるを得ない状況を作り出した入試制度が一因ではないかと思います。

posted by at 14:34  | 塾長ブログ

世界最古の土器

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生との何気ない会話の中でも論理的に話すことの大事さを伝えていきたいと考えています。

さて、日本の素晴らしさを伝える「国際派日本人養成講座」(http://blog.jog-net.jp)からの引用です。

「なぜ世界最古の土器が日本列島から出土するのか?」http://blog.jog-net.jp/201809/article_1.html

1万年以上も自然と共生し、平和が続いた縄文時代は「文明先進国がどこも体験することのできなかった貴重な時間」だった。

■1.日本列島から出土した世界最古の土器の一つ

 東京・上野の国立博物館での縄文展を見た。大変な人気である。特に中国やメソポタミアなどの土器との比較もできるようになっていて、縄文時代の火炎土器は年代もはるかに古いのに、立体的な造形美は比較にならないほど美しかった。また、細かい縄紋、すなわち縄目の模様の精巧さにも驚かされた。

 現在、世界最古と考えられている土器の一つが、青森県大平山元(おおだいらやまもと)遺跡から出土したもので約1万6500年前。これは模様のない無文土器だが、約1万4500年前ごろには、粘土ひもをはりつけた「隆線文土器」が生まれ、全国に広がっている。

 世界の他の地域では、南アジア、西アジア、アフリカでの最古は約9千年前、ヨーロッパが約8500年前で、これらに比べると、飛び抜けて古い。岡村道雄・元文化庁主任文化財調査官は、日本列島の土器は「質量ともに世界の他の時代や地域のものとくらべても際立っている」と述べている。

 従来の歴史では、メソポタミア、エジプト、インダス、中国が世界の「4大文明」であり、日本は文明を中国から教わった後進地域だった、と教わった。近年の考古学はその歴史観を覆しつつある。しかし、なぜユーラシア大陸の東端にある日本列島で、世界最古の土器が出てくるのだろうか?

■2.縄文人たちの「持続可能な開発」

 従来の文明観では、石器時代の人類は狩猟・採集による移動生活を送っていたが、約1万2千年前くらいから、世界の各地で農耕と牧畜を始めてようやく定住生活ができるようになり、そこから文明が始まったというものだった。

 この文明観から完全にはみ出しているのが、1万5千年前くらいから始まった日本の縄文時代だった。そこで我々の先人たちは狩猟や採集のまま定住生活を始めたのである。

 日本列島を巡る海では寒流と暖流がぶつかり合って世界有数の漁場をなし、豊かな森林からは木の実やキノコなどがとれた。さらにイノシシやシカ、ウサギなどの動物も豊富だった。こうした自然の恵みで、縄文人は農耕や牧畜をしなくとも、四季折々の豊かな食物に恵まれていたのである。

 一般に、農耕・牧畜は狩猟・採集よりは進んだ文明段階であると考えられているが、メソポタミア、エジプト、インダス、中国の黄河流域がみな砂漠化している事を考えれば、農耕・牧畜が自然破壊を伴っていることがよく分かる。

 森を切り開いて畑にすれば、樹木がなくなってやがて表面の土壌が失われてしまう(水田は別だが)。牧畜でも家畜が草の芽まで食べてしまうので、植生が失われ、土壌が劣化する。それに比べれば、縄文人たちは1万年以上もこの日本列島で暮らし、しかも豊かな自然を残してくれたのである。

 近年、国連が「持続可能な開発」(Sustainable Development) という概念を打ち出したが、縄文人たちの生活はまさにそのお手本なのである。

■3.数百種類の食材を、旬を考えながら採っていた

 縄文人たちは自然の恵みをただ受けとっていたのではない。それぞれの品目ごとに「旬」を知って採っていたようだ。

 シジミやハマグリは貝の断面の成長線を調べると、全体の70%は4月から6月にかけて食べていたことが分かった。現代の潮干狩りと同様で、この時期がもっとも脂がのっているからである。同じくイワシ、ニシンも春に盛りを迎える。夏はアジ、サバ、クロダイ、秋はサケ、ブリ等々。同時にクリ、クルミ、シイ、トチなどの木の実のシーズンとなる。

 冬になると、脂肪を蓄えたキジ、ヤマドリ、カモ、イノシシ、シカ狩り。年を越すとワラビ、クズ、セリ、ゼンマイなどの若葉、若芽が採れる。縄文遺跡の食料の残滓から獣60種類以上、魚70種類以上、貝350種類以上が遺されている。これに木の実や野菜、果物、キノコなどが加わる。[2, 963]

 今日の日本料理が多種多様な食材を、それも「旬」を考えて出すのは世界の料理の中でもユニークな特色だが、それは縄文時代から続いている伝統だろう。

 この数百種類の食材に対して、どれが食べられるのか、どこで採れるのか、いつが旬なのか、どう料理するのかを縄文人たちは考えながら、食べていた。一口に狩猟・採集とは言っても、麦だけを植え、牛だけを育てる農耕・牧畜よりは、複雑な知識を使っていたのである。

■4.定住と知識・技術の進化

 縄文人の食の多様性をさらに大きく広げたのが土器だった。土器による煮炊きによって、木の実のアクを抜き、植物の根や茎を柔らかくして食べやすくし、魚や獣の肉の腐敗を防げるようになった。土器は保存容器としても、通気性や通水性によって表面の水分が気化して低温を保つので、食物の長期間保存を可能とした。

 縄文人たちは定住することで、大きな重い土器を作り、使う事ができるようになった。一定の場所から粘土を見つけ、それを形にし、火で焼くという作業は定住していなければできない。

 また、定住生活では身体の弱ったお年寄りも脱落することなく、その経験や知識を次の世代に伝える事ができる。それによって様々な食材を食べられるかどうか判別し、いつどこで採ったら良いかを考える、という知識と経験の積み重ねが容易になった。土器の発達も、定住生活ができるようになったから加速しただろう。

 定住が土器を発達させ、食材に関する知識を蓄積できるようにした。逆に土器と食材に関する知識が定住を可能とさせた。この定住と技術・知識の蓄積は、車の両輪として暮らしの進歩をもたらしたようだ。

■5.縄文人の円の思想

 こうして自然の中に抱かれて暮らしていた縄文人の世界観は、また独特のものがあった。それを明治学院大学・武光誠教授は「円の思想」と表現している。「自然界ではすべてのものが互いに深くつながって存在している」という世界観である。

__________
 夏が終われば秋の山野の恵みが、冬が終われば春の食物が現れる。縄文人は、人間とは、このような終わりのない自然界の恵みによって生かされている存在なのだと考えた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 獣も魚も貝も木も草も、生きとし生けるものはすべて精霊が宿っている。人間もその一部である。その精霊の命を少しだけ戴いて自分たちは生かされている。その無限の命の循環の中に自分たちは暮らしている。とすれば、魚を取り尽くしたり、獣を小さいうちに食べてしまうなどということは、縄文人にとっては許されない行為であった。

 森を切り払って畑にしたり、牛のための牧草地にしてしまう農耕・牧畜の民よりも、はるかにエコロジカルな世界観である。1万年以上もの間、自然と共生してきた生活の基盤には、こういう生命観があった。

 自然に抱かれた縄文人たちは「自然との共感共鳴」をしていて、それが日本語の中にも残っていると小林達雄・國學院大學名誉教授は指摘する。日本語は擬音語、擬声語が豊かなのが特徴だ。川が「さらさら」流れる、風が「そよそよ」吹く、などである。小林教授はこう語る。

__________
 風が「そよそよ」吹くというのがありますが、あれは風が吹いて、音を立てているのではない。ささやいているのです。
 どういうことかと言うと、音を、聞き耳を立ててキャッチしているのではなく、自然が発する声を聞いているのです。音ではなくて「声」です。・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 縄文人は、人間同士で互いに語り合うように、自然の「声」にも聞き入っていたのである。

特別展「縄文―1万年の美の鼓動」(東京国立博物館

https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1906

・・・小中学校で学ぶ日本の歴史は、縄文時代がどれほど素晴らしい時代であったか、を示していません。様々な研究によって、日本の縄文時代が世界の四大文明よりも古い時代に、豊かで文化的であったことが判り始めています。私達の遠い先祖が、どれほど豊かな食生活をしていたのか。「数百種類の食材を、旬を考えながら採っていた」という指摘には、現在の和食の起源をみる思いがします。

縄文時代のわたくし達のご先祖様が、自然を大事にして食生活を営んでいたグルメだと考えると豊かな気持ちになってきます。

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