‘ 塾長ブログ ’ カテゴリー

親も一緒になって楽しむ教育

0 歳から始める脳内開発」(石井勲先生著書)という表題は、平成9(1997)年出版当時、流行した言葉ですが、いつの時代も変わらない日本人の子供さんをよりよく育てたいという教育熱を表しています。

食べるのに汲々としていた時代は、親が子供さんと共に学んだり、家庭教育に関わることはなかなか出来ません。現在では、年間の祝祭日など暦の上での休日が増え、職場や学校での週休2日などで、親御さんが子供さんと接する機会が増えています。

その意味では、親も一緒になって楽しむ教育という観点からみると様々なヒントが有りそうです。

石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「プロローグ 「まえがき」にかえて」に、「親も一緒になって楽しむことこそ真の教育」という項目があります。引用してご紹介します。

親も一緒になって楽しむことこそ真の教育

 詰め込み式に漢字を学習させられた私たち大人にとって、漢字には いいイメージがありません。漢字の書き取り試験のための勉強は苦痛 でした。大人になって試験から解放されて初めて、漢字は楽しいという ことに気づく人も多いと思います。

 ある出版社の編集者に聞いたのですが、ビジネスマン向けに漢字の 本を出版したら 10 万部をこえるベストセラーになったそうです。また、こ の出版社では、やはりビジネスマン向けに『数学がわかる本』とか『数学 オンチのための微分と積分』という本を出したら、これも 10 万部を超え る売れ行きだそうです。

漢字も数学も試験があるから嫌いになってしまうのです。しかし、本 当は漢字や数学の面白さを知っているのです。ですから大人になって、 ちょっとややこしい漢字や面白い漢字に出会うと新鮮に感じられるので す。微分や積分の本が売れるのも同じ理由でしょう。今さら微分や積分 を知ったからといって、仕事には何の役にも立ちません。昇格試験に 出題されるわけでもありません。でも微分や積分の面白さはわかって いるのです。

現在の小学校で行われている漢字教育では、漢字を好きになること はできません。100 人の子どもに聞けば、ほとんどが嫌いだと言います。 たぶん好きだと言う子どもはいないでしょう。原因は一つです。漢字を 書かせているからです。書くことにエネルギーをとられてしまい、漢字が読めることの楽しみを実感できないから好きになれないのです。 テレビで育った世代のお父さんやお母さんは、自分たちもあまり本を 読まないから、漢字は不得手だという方も多いでしょう。生活の中でこ れだけ漢字に囲まれていますから、多少の漢字コンプレックスもあるの ではないでしょうか。そんなときに、自分も子どもと一緒になって漢字教育を始めるのは楽しいことです。

この本の後半に出てきますが、漢字の成り立ちを知ること、“かんむり”や“へん”の持つ意味を知って漢字を見ると、面白くなってきます。親も興味を持って漢字と接し、その気持ちを子どもに伝えながら一緒に 学習して行くと、子どもの漢字への興味もわいてきます。自分でその喜 びを知ろうとします。文字の形を見て推理する能力も養われてくるので す。

 漢字を覚えて読書の喜びを知った子どもは、自分で解決しようとする 能力や自主性が育っていくのです。自分で考えるよいトレーニングにも なります。そのためには漢字は早くから読めたほうがいいのです。

私はこの本を通じて、親と子が一緒になって楽しく漢字を学んで欲し いと思っています。

漢字は読むものであり、遊びであると思えば、今までの漢字に対す るイメージがまったく違うものになってくるのではないでしょうか。

・・・多くの親御さん達は、ご自分の子供の頃を思い出すと、同じ漢字を漢字練習帳に繰り返し書く様に指導されてきています。筆者も、親の忠告をきかず日中は遊び呆けてしまい、寝る頃になって思い出し、学校の漢字の宿題を泣きながらしていた遠い記憶があります。当然、書き順などは等閑視。漢字熟語の意味合いなど考えもせずに、帳面(ノート)の頁(ページ)を埋めることだけに集中していました。

今振り返ると、それも決して無駄では無いのですが、石井先生が言われる様に、その労力を楽しい読書に振り向けていれば、より楽しい小学生時代であったろうと思います。

現在でも、小学生の塾生全員に学校からの宿題を問うと、「漢字〇〇ページです」と答えが返ってきます。もう少し学校の先生方に漢字の宿題の出し方を工夫して欲しいものですが、おそらく先生ご自身の経験を基にして、十年一日の如く宿題を出し続けているのでしょう。

当塾では、子供さんの理解力や習熟度に応じて、国語辞典や漢字辞典を活用しつつ、工夫しながら漢字や熟語の語彙を増やしていきたいと考えています。

posted by at 10:00  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

漢字を教えてはいけない

幼児教育に於いて「多芸は無芸」に通じる、と喝破された石井勲先生。→「漢字は学問の基礎である」(https://rashinjyuku.com/wp/post-1615/

筆者も常日頃考えていることをズバリ指摘されています。つまり、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」的な考えで、様々な幼児教育を子供に同時並行的に受けさせることの愚、についてです。成人で体力も忍耐力もある人ならばともかく、幼い子供さんは体力も忍耐力もこれからつけていこうという時期です。植物に例えると、やっと双葉が開き、根も浅くしか土に伸ばしていない段階。1週間のほとんどを習い事に通っているという幼児さんもいます。これでは、風に晒される双葉のように、体力も気力も萎えてしまいます。

石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「プロローグ 「まえがき」にかえて」に、「漢字を教えてはいけない」という項目があります。カール・ヴィッテの教育法に通じる強い信念を持つことの大事さを教えてくれます。引用してご紹介します。

漢字を教えてはいけない

子どもに漢字教育をするというと、つい勘違いしがちなことは、「漢字 で教える」ということと「漢字を教える」ということがまったく別なのだとい うことに気づかないで、あくまでも教え込んでしまっているということで す。

 私は「漢字」と「漢字」ということを厳密に区別しているのですが、 漢字教育というと、どうしても「漢字を」教えてしまうケースが多いのです。 しかも、悪いことに、子どもがどれくらいわかったかを“書かせる”ことに よってチェックしてしまいがちなのです。

しかし、漢字を覚えさせることが目的となったり、書かせたりすること はまったく無意味です。鉛筆もまだろくに持てない幼児に「旗」などとい う字を書かせることには無理があります。無理なことは苦痛になります から、結局、身につかないのです。それどころか、無理に漢字を教える から漢字嫌いになってしまうのです。

 私が提唱している石井式漢字教育では、次の三つを基本理念として います。

一、漢字を教えてはいけない

一、漢字をどれだけ覚えたか、テストをしてはいけない

一、漢字を書かせてはいけない

漢字教育をする場合、子どもに漢字を書かせる必要はまったくありません。ないどころか、漢字を書く能力は幼児の才能開発にとって何のプラスにもなりません。小学校に入ってからでも、漢字を書き取る能力 はほとんど必要ないのです。

極端なことを言うようですが、小学校に入って、もし書き取りの試験で 悪い点を取ってきても、叱る必要はまったくありません。むろん、わざわ ざ漢字で零点をとってきた子どもの頭をなでてやる必要はありませんが、 叱ったり、復習させる必要はないということです。

 漢字のテストでいい点を取ることと、子どもの脳を活性化させることと は少しも関係ありません。漢字は読めさえすればいいのです。漢字が 読めるようになると、親が放っておいても本を読むようになります。そう すると、幼児の脳は活発に動き始めるのです。

現に、私は息子が小学生になって書き取りの宿題を出されて帰って きても、息子には一切やらせませんでした。書き取りをやって、それが できるようになったからといって頭がよくなるはずがないと確信していた からです。

一時間も二時間もかけて漢字の書き取りをさせるくらいなら、本を読 ませたほうがはるかにいいのです。今だから言えることですが、息子の 代わりに、私が宿題の書き取りをしたこともあるほどです。わざと子ども の字を真似てヘタに書いてやったものです。そこまでしなくても……と 思われるかもしれませんが、それほど、子どもにとって漢字を書かせる ことは無意味だと考えていたからです。

 

・・・カール・ヴィッテの父が「我々は子供を社会に送り出すにあたって、出来るだけハンディキャップを少なくしてやる義務がある」との信念で、叡智の限りを尽くし子供を教育したことに通じるものがあります。https://rashinjyuku.com/wp/post-951/

一般的に、日本人は自分だけが突出して物事を行うということはありません。農事暦に基づき、段取りを考えていく米作農民の様に、季節ごとに為すべきことを為すことで収穫ができる歴史を重ねてきていることも背景にあるのでしょうか。基本的に周囲の人と横並びにすることで摩擦を回避する傾向が強い。子供さんの教育も然り。

自分の信念で、子供の教育を計画的に行うというよりも、Aさんは何々、Bさんはこれこれ、という情報を入れつつ、我が子の教育を考える、というのが普通の様です。つまり、他人さんの例(成功例、失敗例)を横目に見つつ、試行錯誤して行く。

子供の教育は、必要不可欠なことを徹底して学ばせるということに尽きる様です。

 

posted by at 08:47  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

漢字は学問の基礎である

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生が日々国語辞典や漢字辞典などの辞書を活用しています。言葉の意味合いをしっかり理解すると、話したり本を読んだりするのが楽しくなります。

石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第5章お父さんとお母さんのための漢字の常識」に、「漢字は学問の基礎である」という項目があります。非常に示唆的であるので、引用してご紹介いたします。

漢字は学問の基礎である

漢字というものは本当に素晴らしいもので、あらゆる学問の基礎、日 本人にとっては基礎中の基礎なのです。この力を伸ばして、より多くの ものを身につけさせてやるということが、教育でいちばん重要なことで す。

子どもには自ら進んで学ぼうとする本能があるから、それを正しく伸 ばしてやり、自ら求めさせるような環境をつくって、いたずらに詰め込ん で口を開けて待つような子どもに育てないでいただきたいのです。

今の幼児教育は、あまりにもいろんなことをやり過ぎます。欲を出さ なくていいのです。あれもこれもできるということは、何もかもいい加減 にしかできないという欠陥を、当然秘めているわけです。昔から「多芸 は無芸」といいます。何もかもできるということは、何もできないというこ とに通じます。

一芸に秀でていればいいのではないですか。その一芸の、いちば ん基本になるものは何でしょうか? それは、まず読解力を養うことで す。読解力を養うためには、その基本である漢字を身につけねばなり ません。これさえやれば、どんな道でも自然に開かれていきます。

幼児に対する漢字教育は、詰め込み教育であってはいけません。そ ういうやり方をすると、最初は興味を持っても間もなくそっぽを向くように なります。そうなるともう伸びなくなります。子どもは自分で知りたがっているということを、いつも念頭に入れておいてください。

子どもが持っている“目分から求める”能力を生かすようにしないと、 子どもは親から指示されなければ何も考えようともしないし、学ぼうとも しなくなります。まして自分の頭を使って、新分野を開拓する気持ちは起きるはずがありません。

今の教育は、子どもたちが本来持っているヤル気の芽を摘むようなやり方です。

私の漢字教育の基本は、「漢字で教える」ことです。大人が「漢字を使う」ことです。大人が使ってみせることで、かたわらで聞いている子ど もの言語生活が豊かになっていくのです。

いちばん必要な能力は、本を読む力です。楽々と読むのと苦労して 読むのでは、一生の間に大変な違いが出てきます。子どものときから 本を読めるようにする、本に興味を持たせるためには、幼児期からの漢 字教育は不可欠です。

小学校から漢字を学ばせる――これが常識になっている今日の教 育者の認識では、まったく理解におよばないでしょう。しかし幼児期か らやればどんな子どもだって容易に本が読めるようになります。ところ が大事な幼児期を無為に過ごして、小学校へ入ってから始めるので、 苦労しても身につかないだけなのです。

筆者は、幼児期に母親と一緒に市場に買い物に行くのが楽しみでした。今では日常の買い物に「市場」に行くことはほとんど無いのが現状ですが、当時は市場への往復や市場の中にも様々な漢字が溢れていました。看板や商品の表示など、漢字表記ですから、目に入る漢字は全て母親に尋ねたものです。漢字の熟語もあれば、送り仮名のついた漢字もあります。その都度都度、丁寧に説明してくれました。おそらく、子供が一つ一つ尋ねることと、それに応えることを母親は楽しんでいたのでしょう。毎日毎日、ほぼ同じ道を歩くわけですし、また他の用事で違う町に行くと、さらに様々な漢字が出てきます。これを繰り返す事で、自然に様々な漢字を読めるようになりました。一つの漢字を読めると、もっと知りたいという自然な欲求が出てきます。また、人名にも様々な漢字が用いられていますから、母親の側で日常を過ごしていると、同様にその都度尋ねます。音読み訓読みの違いもすんなりと入ってきていますから、小学校に上がっても授業が易しすぎて詰まらないと感じた思いがあります。結果、人名漢字も同じ年齢の子と比較して読めた記憶があります。

引用した石井先生のお話は、経験上首肯できることが多々有ります。時代が違うと言われればそれまでですが、街中にある看板や様々な表示は、随分漢字が減ってきています。アルファベットや漢字仮名交じりが当たり前のような状態です。

従って、幼児期の語彙力をいかに増やしていくか。漢字の学びをどのようにしていくか。親御さんの創意工夫が必要です。

 

 

posted by at 10:15  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

「人を育てる力」

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生の教育に役立つ情報を常に摂取しています。先日「肥前佐賀幕末維新博覧会」が開催されている佐賀城本丸歴史館に研修に参りました。

佐賀城本丸歴史館資料館

上記資料には、「佐賀藩は、外様各藩の中で八番目の石高三十五万七千石を誇り、二百六十年もの長きにわたり鍋島家が治めました。佐賀城本丸歴史館は、十代藩主鍋島直正が天保九年(一八三八)に再建した本丸御殿を忠実に復元した、日本最大級の木造建築です。」とあります。

鍋島直正公銅像

佐賀城本丸歴史館の資料の一つに齋藤孝明治大学教授の「佐賀藩の『人を育てる力』の秘密とは?」があります。引用してご紹介します。

藩全体がまるで「学校」だった

佐賀藩はなぜ、多くの優れた人材を輩出できたのか。それを考える際、やはり10代藩主鍋島直正(閑叟 かんそう)の功績は無視できません。幕末の佐賀藩には、藩校の弘道館のみならず、蘭学、英語などを学ぶ場所があり、まさに開かれた学問の世界があった。直正は蘭癖(らんぺき)と呼ばれるほど西洋文化を積極的に吸収し、藩全体にも奨励しました。明治維新は下級武士から起こった改革と言われますが、佐賀藩ではそれを藩主自らリードしたのです。

ただ、学校があれば人材が育つとは限りません。もちろん、講道館の役割は大きかったと思いますが、私はむしろ、佐賀藩に受け継がれてきた歴史や精神こそが人材を輩出する土壌を作り、それをまとめ上げたのが直正だったと考えています。

では、佐賀藩の土壌となったものは何か。一つは佐賀藩が長崎の警備を担当してきたという歴史です。つまり佐賀藩は200年以上にわたり直接、オランダ、中国から技術や情報を手に入れてきました。

特に幕末には、中国でアヘン戦争が勃発、日本への影響を想定すれば、それらに対処するため、世界情勢や国際法に精通しておかねばならないし、武力も必要になります。

直正は「先憂後楽(せんゆうこうらく)」を座右の銘にしていたそうですが、このような状況に直面し「先に憂えた」からこそ、知識や見識を広げる必要性を感じ、反射炉や鉄製大砲、実用蒸気船まで作った。直正および佐賀藩の先進性は、こうした危機感から培われたものだと思います。

・・・義務教育や高校の歴史教科書では、表面的な説明しかしませんので、佐賀城本丸歴史館資料館などの施設を見学すると、より理解が深まり学ぶ意欲も増してきます。

江藤の先進性を育んだ佐賀藩の風土

佐賀藩が生んだ人物の中で、直正の思想を受け継いだ人物の一人に江藤新平(えとうしんぺい)がいます。彼は安政三年という早い時期に「図海策(とかいさく)」を記し、「通商を盛んにし、軍艦を買って富国強兵をすべし」と主張しています。ただ、この主張は、江藤一人の発明ではない。そこには直正の思想や佐賀藩の風土が色濃く反映されています。

 佐賀藩がユニークなのは「攘夷」と聞いて「外国船を打ち払えばいい」という思考に陥ることなく、むしろ国を開き国力を増強をし、日本の独立を守ることが真の攘夷だと考えたことです。「攘夷」と「開国」は、本来すぐには結びつきません。ただ、本当の攘夷とは「日本の独立を守ることである」と考えれば、むしろ国を開き国力を高めるべきだという考えに至ります。

 こうした日本の独立は保たねばならないという思いが、佐賀藩士たちの共通認識となったのでしょう。早稲田大学を創設した大隈重信(おおくましげのぶ)が「学問の独立」を建学の精神に据えたのも、副島種臣(そえじまたねおみ)が外務卿として優れた業績を上げられたのも、佐賀藩のこの精神風土が大きく影響していると感じます。

・・・江藤新平は、初代司法卿として明治新政府の法制度の確立に努め、三権分立に基づく国家制度の構築に尽力しました。しかし、志半ばにして非業の死を遂げます(享年四十一)。

様々な逸話が残されていますが、一例をご紹介すると、

自分が低い身分から起ったので、司法卿に栄進しても少しも尊大ぶらず、面会を求むる書生は誰でも引見し、その才幹を認むれば直ぐにも登用した。それ故、郷国の官途につこうとする者は、先ず江藤を訪い、志望を述べ採用を頼むので、その私邸にも役所にも常に一二人の訪問者が絶えなかったそうだ。新平はこれ等の人を引見しては、先ず先に『貴公は本を読むか』と尋ねる。読みますと答えると、『どういう種類を読むか』と反問して、その答えに依りてその人物を察し、登用の程度を決めたそうである。まだ第二の試験方法としては、政治法律上の問題をあたえて、これについて意見を書いて来いと言い、論文を徴するか、または直に論題を提出して、その議論を聴取するのが例であった。この試験に及第しさえすれば、即日にも採用するが、もしこれに落第した者は如何なる情実があろうが、決して用いる事はなかった。ゆえに江藤の登用した人物には、一人として屑は無く、適材を置くの主義で、皆一廉の働きを現した。(『江藤新平』鹿島桜巷著 実業之日本社)

・・・江藤新平の七言律詩句に、

「才(さい)短(たん)にして

百方(ひゃっほう)の功(こう)

未(いま)だ就(な)らず

途(みち)窮(きゅう)すれど

千里の志 猶(な)お存す」

と、あります。江藤新平は、「維新の十傑」「佐賀の七賢人」の一人に挙げられます。

江藤新平(司法卿時代)佐賀城本丸歴史館蔵

十代藩主鍋島直正(閑叟 かんそう)の

「彼は異日有用の器たり。之を斬に処せしむべからず」

と述べていた逸話も残されています。

posted by at 09:23  | 塾長ブログ

本庶佑氏(京都大学特別教授)ノーベル医学生理学賞受賞

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾 https://rashinjyuku.com/wp では、日々世界中の様々なニュースの中から、塾生にとって有益な情報を示していきたいと考えています。

新たな台風の接近に一憂している中、素晴らしいニュースが飛び込んできました。

[ストックホルム 1日 ロイター] – スウェーデンのカロリンスカ研究所は1日、今年のノーベル医学・生理学賞を、免疫システムを用いたがん療法で画期的手法を開発した米テキサス大のジェームズ・アリソン教授と京都大学の本庶佑・特別教授に授与すると発表した。

 

2018年ノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑氏(写真左)と米国人のジェームス・アリソン氏(2014年9月18日撮影、2018年10月1日作成)。(c)Sam YEH / AFP〔AFPBB News〕

これについて、わかりやすい解説をされている記事(JB PRESS 伊東乾氏)がありましたので引用致します。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54279

(前略)

ノーベル財団のHPは今年の授賞を

“for their discovery of cancer therapy by inhibition of negative immune regulation.”

 「彼らの、免疫抑制機構を停止することによる癌治療の発見」に対して授与したとしています。

(中略)

「彼ら」が発見したのは

 「ガン細胞が、私たち人間が誰しも持っている免疫という本質的なシステムのウィークポイントを利用して、一掃されないよう忖度させていた(negative immune regulation.)免疫の働きを停止(inhibition)させて、私たち自身の免疫の力によってガンをやっつけるという、本質的に革新的なガン治療法を見出すに至る、基礎的な免疫の分子生物学メカニズムを明らかにしたこと」 が評価されているわけです。

(中略)

この仕事の背景には2つの選考業績があります。

 1つは「モノクロ―ナル抗体の発見」(1975 G.ケーラー C.ミルステイン → N.イェルネと共に1984年ノーベル医学生理学賞受賞)

 いま1つは「抗体(免疫グロブリン)」が自在に変形する特異な遺伝子機構の解明(利根川進 1976 → 1987年ノーベル医学生理学賞受賞)

 これら2つの、免疫学における最先端の業績を横目に、日本と米国を往復しながら免疫学の先端で業績を上げていた東京大学医学部の本庶助手は考えます。

(・・・どうして、抗体は自由自在に形を変えるのだろう・・・)

 世の中には、無数と言っていいほど、多種多様な黴菌やウイルスが存在します。しばしばそれらは進化して、より質が悪い形をとって私たちに襲いかかってくる。

 ところが不思議なことに、私たち生物(脊椎動物)は、そうした未知の敵に対して、的確に攻撃を仕かける免疫のシステムを持っており、抗体が様々な形に変って、ピンポイントで敵をやっつけていく。

 その大きな謎に、同世代(生まれ年で2学年違い)で、同じ京大で理学部出身の利根川さんが決定的な業績を上げ、答えを出したのが1976年でした。

 37歳の利根川さんが過去7年間無駄なペーパーゼロで、この仕事だけに取り組み、場外ホームランを打ち上げることに成功するのを34歳の本庶助手はまぶしく見たに違いありません。

 早くからこの分野の基礎に業績を上げていた本庶青年は38歳で阪大医学部教授、43歳で京大医学部教授と、基礎研究の王道を進み、ガン治療の特効薬探しなどをしていたわけではありませんでした。

 1992年、本庶研究室の大学院生石田靖雅氏は、研究していた免疫細胞の一つ T細胞が(古くなるなどして自ら命を絶つ)「自殺」(アポトーシス)を行う際に現れる特異的な「鍵穴」(受容体分子)を見つけます

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC556898/pdf/emboj00096-0084.pdf

ちなみにこのとき本庶さんは50歳です。

この鍵穴が何であるのかは、しばらくのあいだ分かりませんでした。しかし、地味で地道な基礎研究の結果、この鍵穴は免疫活動を抑制する働きのある鍵穴であることが分かりました(1997-2000)。

http://jem.rupress.org/content/192/7/1027

 本庶先生が55から57歳にかけてのお仕事になります。さて、これは面白いものを見つけました。

 つまり、ここに「鍵」を指し込めば、オソロシイ免疫細胞の攻撃を免れることができるわけです。この鍵穴が報道されている「Pd-1」と呼ばれるもので、一部のガンはこれを活用していることが分かりました。

ガンの治療が難しいのは、それが「私たち自身」の細胞であることによります。免疫は異物を除去していきますが、私たち自身の細胞は、自己自身であるため免疫機構の攻撃を受けません。

 ガン細胞はそれを知っていて、鍵穴PD-1に合致する鍵PD-L1を表面に帯びているのです。

(中略)

だとすれば、仮にこのPD-1に対応する抗体(抗PD-1抗体)を的確に設計して、ガン細胞より先に免疫細胞に結合してやれば、細胞は本来の免疫システムを発揮して、ガンをたちどころに退治してしまうことができるはすです。

 実際、そのような抗体を、先ほど記した「モノクローナル抗体」としてデザインすることで、本庶グループはガン治療を一変させることに成功します(https://academic.oup.com/intimm/article/17/2/133/843513)。

(中略)

本庶先生のお仕事は20代にスタートし、30代同世代チャンピオンのノーベル賞も横目に40代、50代と地道に、素朴に「なぜ?」を考え、基礎メカニズムの解明に集中してきた研究者が60歳を過ぎて、実際にそれを治療に応用してみよう、と一歩を踏み出し、結果が結実したものと言えます。

 2004年に基礎医学の成果として可能性が示された、自分自身の免疫力でガンを根治するモノクローナル抗体=「忖度から鍵穴を守る水戸黄門の印籠」は「免疫チェックポイント阻害療法」として臨床応用が検討開始。

 2010年「ニボルマブ(Nivolumab)」と呼ばれる「IgG4 PD1」抗体の臨床試験開始が公表され、2014年、世界で初めて日本で製造販売が承認、同年9月 小野薬品工業から商品名「オプジーボ」(https://www.ono-oncology.jp/contents/patient/opdivo_about/03.html)として発売され、臨床で治療実績を上げ始めます。

 本庶先生はすでに72歳、前年には文化勲章も受けた碩学が、70代にして基礎研究を臨床応用に結びつけ、実際に全世界の患者さんの救命に利用されるようになりました。 それから今回のノーベル医学賞まで4年です。

・・・本庶佑先生(京都大学特別教授)が倦まず弛まず、「何故?」と考え続け、並外れた精進を続けてこられたからこそのノーベル賞受賞です。正に、「世の為、人の為」と、未来をかける若人にとっても大きな目標となります。

 

 

 

 

posted by at 08:13  | 塾長ブログ
さらに記事を表示する

月別アーカイブ

長崎|羅針塾学習塾トップページ

羅針塾 SNS

  • Facebook
  • Instagram
  • Twitter
PAGE TOP

新着ブログ

  1. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  2. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支…
  3. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  4. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  5. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…

月別アーカイブ

羅針塾 SNS

  • Facebook
  • Instagram
  • Twitter