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『大学』を素読する1

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、学びの初めは「素読」から始まります。これは入塾する年齢を問いません。

さて、「『大学』を素読する」から少しずつ本文をご紹介致します。

大学の道は、明徳を明らかにするに在り。民に親しむに在り。至善に止まるに在り。

(現代語訳) 知徳を兼ね備えて世によい影響を及ぼすような立派な人物、即ち大人となる学問の道筋は、まず生まれながら与えられている明徳を発現(明らかに)するところにある。その明徳が発現されると、自ずから通ずる心一体感が生じ、誰とも親しむようになる。更に判断が正しくなり、常に道理に叶った行為が出来るようにもなる。

・・・明徳とは、天から受けた、曇りのない本性のこと。発現するとは、隠れたものが実際におもてに出てくること。人間が本来持つ明徳を明らかにするためには、日々精進して勉学に励むことが必要です。「玉磨かざれば光無し」の日々研鑽しなければ能力を発揮して評価されることがないという意に通じます。

止まるを知りて后(のち)定まる有り。定りて后能(よ)く静かなり。静かにして后(のち)能(よ)く安(やす)し。安くして后(のち)能(よ)く慮’おもんばか)る。慮りて后(のち)能(よ)く得(う)。

(現代語訳) 正しい道理を弁えると心は一つに定まって動揺しなくなる。従って心安らいで思いを巡らし、物事を正しく会得して自ら満足して行動するようになる。

・・・道理を「弁(わきま)える」とは、物の道理を心得ること、善悪の分別をすることです。物事の正しい筋道、人として行うべき正しい道を行うことで心が安定する。その結果、冷静に物事を判断することが出来、自信を持って行動することが出来る。

物に本末(ほんまつ)有り。事に終始あり。先後する所を知れば、即ち道に近し。

(現代語訳) 物事には必ず本と末、終わりと始めがあるものである。そこで常に何を先にし、何を後にすべきかを知って行動すれば人の道に大きくはずれることはない。

・・・所謂(いわゆる)優先順位をしっかりつけて何事も行動することが肝要であり、それが人の道に叶うことに繋がるということです。

曽子が生きた時代は、紀元前505年〜紀元前435と言われていますから、約2500年前も現在も、人の心理や考え方は変わらないということです。人の道は一朝にしてならず、日々努力し続けなければならないということですね。

posted by at 16:22  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

『大学』を素読する-素読は若年ほど上達が早い

長崎市江戸町(令和6年7月に移転)にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、これからの日本を担う若者に「古典」を素読する習慣を身に付けてほしいと考えます。当塾では、幼児の塾生さんから「素読」を始めます。

これについて、伊與田覺(いよた さとる)先生のご著書(読本『仮名大学』 『大学』を素読する 致知出版社)を引用してご紹介します。

まえがき

明の王陽明先生は初学の者に対しては、かならず「大学」を以って教えたと伝えられています。

我が国に於いても、近江聖人と称せられる中江藤樹先生が十一歳の時、大学の

「天子自り以って庶人に至まで、壹(いつ)に是れ皆身を修むるを以て本(もと)と為す」

の一句に痛く感動して聖賢の道に志しました。また野の聖人と称せられる二宮尊徳先生が少年の頃、薪(たきぎ)を背負いながら常に読み続けたのが大学です。

戦前の道徳教科書である「修身」には、中江藤樹先生、二宮尊徳先生の逸話が取り上げられています。

その大学は、修己治人(しゅうこちじん)の最も手近な古典で曽子(そうし 前五〇五〜四三五)及びその弟子達によって作られたものであろうと言われています。そうし、姓は曽、名は参(しん)、字(あざな)は子與(しよ)、魯(ろ)の武城の人。孔子より四十六歳若く、孔子からは「参(しん)は魯(のろま)だ」と評され、俊秀の多い孔子門下では左程目立った存在ではありませんでした、然し大変素直で講師の教えに随喜して実践を重んずる生き方に孔子は密かに注目しておられました。ある日孔子(七十二歳)が曽子(二十六歳)に「参(しん)よ私の道は一を以って貫いているよ」と語りかけられました。すると曽子はすかさず「はい」と歯切れよく答えました。孔子は曽子の声と共に眼を見られて、まさに以心伝心と悟り、満足して立ち去られました。これを曽子は先生の一なる道は「忠恕(ちゅうじょ)」だと受容しました。そうして草子は生涯、師の道を実践し、不滅の書「大学」や「孝経」を著しました。後世孔子の至聖に対し宗聖と併称され、三省、追遠、弘毅、致知格物等(*)の彼の語が、現代にも多く息づいています。

(*)三省(さんせい:「論語」學而の「吾日に我が身を三省す」毎日三度反省すること。)

追遠(ついえん:「論語」學而の「慎終追遠 民徳帰厚矣」による語で、遠い過去を追うの意)先祖の徳を追慕して、その供養を怠らないこと。

弘毅(こうき:度量が広くて意志が強いこと、またその様。)

致知格物(ちちかくぶつ:物事の道理や本質を深く追求し理解して、知識や学問を深め得ること。

因みに、古典を学ぶ上に於いて大切なことは「素読」です。素読は天命に通ずる先覚の書を、自分の目と口と耳とそして皮膚を同時に働かせて吸収するのです。これを読書百遍で繰り返し繰り返し続けることによって、自ずから自分の血となり肉となるのです。それが時あって外に滲(にじ)み出ると風韻(ふういん:風流な趣。雅やかな趣き)となり、そういう人格を風格(ふうかく:その人の容姿や態度などに現れる品格)ともいうのです。

 

・・・幼児から始める素読は、しっかり聞き取ってから言葉を発することになるので、集中力が増してきます。古典の素読ですから、聞いたことのない言葉が出てきます。普段聞き慣れていない、言い回しや語句が滑舌も良くしていきます。

 

posted by at 15:18  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

読むべき中学生の「国史」教科書

長崎市江戸町(令和6年7月に移転)にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、日本の正しい歴史(「国史」)を学ぶことが、賢くなる近道だと考えています。

何故なら、現在の自分がここに存在し、その意味合いを理解することが、学ぶ意欲や意志に繋がるからです。

自分の親から始まり、祖父母、曾祖父母と延々と遡る血筋は、まさに日本の歴史と繋がっています。両親、祖父母を敬うように、日本の歴史を正しく認識し、尊重することが、自分を高めていく原動力となります。

さて、その意味で令和書籍の国史教科書が文部科学省の検定試験に合格し中学校で採択される可能性が出てきました。

六年かけて検定合格を勝ち取った国史教科書 (下段右隅)

 

筆者は、毎年発売される「不合格教科書」を買い続けました。

平成30「不合格教科書」(247ページ)

令和元年「不合格教科書」(351ページ)

令和2年「不合格教科書」(367ページ)

令和3年「不合格教科書」(463ページ)

令和4年「不合格教科書」(463ページ)

令和5年「合格教科書」(463ページ)

この教科書は、既存の歴史教科書と比較すると、

東京書籍(295ページ) 帝国書院(292ページ) 日本文教出版(317ページ) 山川出版(296ページ)

おおよそ150〜160ページもページ数に開きがあります。

内容や資料(写真や図表など)も既存の教科書と比較して興味深く、中学生のみならず大人の教科書としても分かりやすく学びには適切です。我が国の歴史を学ぶには、興味が湧き、文章も適切な表現で記述されています。

子供さんの歴史教科書と比較して、一読をお勧めします。

 

 

 

 

posted by at 18:46  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

素読、音読から始める学び

長崎市江戸町(令和6年7月に移転)にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、幼児であれ、小学生であれ素読・音読から学び始めます。何故なら、年齢を問わず素読で「聴く力」、音読で「読む力」を確認し、それぞれに応じた学び方の方針を決めるからです。

中学・高校生であっても、素読・音読の力が不足していると、教科書・参考書・問題集の理解力に疑問が生じます。読めども読めず!ということが多々あります。読んでいる本人は、分かっているつもりですが、文言の理解力不足で、あらぬ方向へ行ってしまいます。

素読・音読の習慣付を幼児期、小学生の低学年時にしていないと、中学・高校生のときに、修正するのに苦労します。黙読で教科書・参考書・問題集を読む場合と、音読する場合では、誤読・誤答率に大きな差が出ます。

つまり、目で見る、声に出す、耳に聴くなど五感を複数用いることで、自ら誤りがないかを確認しながら学ぶことは、黙読よりも音読が遥かに優れています。また、常々音読していると、正確に速く読むことができるようになります。

 

posted by at 12:31  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

辞書と語彙の量

長崎市江戸町(令和6年7月に移転)にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、夏休みは力をつける良き期間と考え、塾生は普段取り組めないこと、例えば徹底して辞書を引き、引いた語句をノートに書き込んでいきます。

小学生低学年では、学校で習っていない漢字であっても、そのまま漢字で書き込みます。無論、書き方や書き順の指導はしますし、音読する手助けも同様です。

まず、声に出して読むこと、語句の内容を書き記すことによって初めて知る語句を理解していきます。

下の写真は、学年ごとの辞書の使用状況を示すものです。年齢に応じて使用する頻度が上がりますから、自然に「天または地」の部分が汚れてきますし、辞書の厚みが増えてきます。

向かって右から五歳児、小学校二年、同四年、同六年生の使用している辞書(「地」の部分を写しています)

 

因みに、今夏休みにふうふう言いながら辞書の意味調べをした小学校四年生は約2.180語を調べています(二学期初めに自主学習として提出する予定です)。辞書の「地」の汚れ方が苦労の痕をを表している?ようです。

posted by at 14:50  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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