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英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 20

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、夏休み期間の講習が始まりました。幼稚園・保育園から小学校へ、小学校から中学校へ、中学校から高校へと進学した際の最初の夏休みを有効活用できるかは、その後の成績の伸びに直結します。お母さん方の動機づけと励ましが大事です。

さて、「英語と歴史を同時に学ぶ」シリーズです。第4章 近代の日本と世界(1) 幕末から明治時代 第1節 欧米諸国のアジア進出 の続きになります。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%204%20Section%201,%202.pdf

 

Topic 51 – The Satcho Alliance and restoration of imperial rule

How did the Edo shogunate come to an end?

The Satcho Alliance and movement to overthrow the shogunate

In 1863 (Bunkyu 3), the shogunate purged the Imperial Court of Choshu influence and the extremist court nobles backing the sonno joi movement. It then attempted to bolster its authority by setting up a leadership coalition with the most powerful domains, including Satsuma and Aizu (modern-day Fukushima Prefecture). The next year, Choshu attempted to regain its power by instigating a rebellion in Kyoto, but it was defeated by the shogunate. This was known as the Imperial Palace Gate Incident.

The shogunate followed up by attacking Choshu with a military force led by allied daimyo. The shogunate was victorious in the First Choshu Expedition, and Satsuma replaced Choshu as the dominant influence on the Imperial Court.

Nonetheless, the shogunate’s success was short-lived, as Takasugi Shinsaku refused to accept Choshu’s decision to capitulate. Together with Kido Takayoshi, he launched a rebellion against the government of his domain and restored the anti-shogunate forces to power. Choshu once again became a thorn in the shogunate’s side. Meanwhile, in Satsuma, Saigo Takamori and Okubo Toshimichi were exercising de-facto control of the domain. Having learned from the Anglo-Satsuma War, they focused on acquiring superior weaponry by cultivating close ties with the British.

In 1866 (Keio 2), Sakamoto Ryoma, a samurai from Tosa Domain (modern-day Kochi Prefecture), brought Saigo Takamori of Satsuma together with Kido Takayoshi of Choshu and impressed upon them the need for Japan to become a strong, unified nation-state that could resist the depredations of foreign nations. Though Satsuma and Choshu had been bitter enemies up to then, Sakamoto urged them to put aside their differences and form an alliance. Thanks to the resulting Satcho Alliance, Choshu was able to acquire state-of-the-art weaponry from Satsuma and to use it to decisively defeat the shogunate’s Second Choshu Expedition. Choshu and Satsuma then secretly agreed to work together to destroy the Edo shogunate. Thus, the sonno joi movement evolved into a campaign to overthrow the shogunate.

第二次長州征伐(山口・下関市立長府博物館蔵)

 

51 薩長同盟と王政復古

江戸幕府は、どのようにして滅亡したのだろうか。

薩長同盟と倒幕運動

1863(文久3)年、幕府は、長州藩の勢力と、これと結んだ急進的攘夷派の公家を朝廷から追放し、薩摩・会津(福島県)などの有力な藩を中心とした指導体制をつくった。長州藩は、挽回を試みて京都で挙兵したが翌年、幕府側に敗れた(禁門の変)。

 幕府はさらに、諸藩を指揮して長州藩を攻め、これを降伏させた(第一次長州征伐)。薩摩藩は長州藩にかわって朝廷への影響力を強めた。

 長州藩では高杉晋作が、幕府に屈服した藩政府に対する反乱を起こし、木戸孝允らと藩の主導権を奪い返した。長州藩は再び幕府批判の立場に転じた。薩摩藩では、西郷隆盛大久保利通らが藩政の実権を握り、薩英戦争の経験から、イギリスと接近し、軍備の強化に努めた。

1866(慶應2)年、土佐藩(高知県)出身の坂本龍馬は、外国に対抗できる強力な統一国家をつくる必要性を説き、それまで対抗していた薩長に同盟を結ばせるために、西郷隆盛と木戸孝允を引き合わせた。この薩長同盟で、長州は薩摩から新式の武器を入手し、幕府の第二次長州征伐に反撃し大勝した。薩長両藩は提携して倒幕を目指す密約をした。こうして、尊王攘夷は、倒幕運動へと変化していった。

 

 

・・・中学校の歴史教科書では、上記の様にさらっとした記述しかありませんが、この時代は多くのテレビドラマや映画などで繰り返し取り上げられています。しかし、英語の記述は、なるほどこの様に表現するのか、と興味深いものがあります。この英語と歴史を同時に学ぶ」シリーズは、中学生のみならず、高校生の英作文に活用できる素材です。英語で論述する際に、この様な英文をしっかり書ける力を持つ必要があります。

小学校で英語が本格的に教科として成績評価される様になりますが、相当に国語力のある(語彙も豊富な)児童でも、英語を合わせて学ぶのは負担が大きくなると懸念しています。漢字のみならず、英単語もしっかり書ける様にするには、工夫が必要になってきます。

posted by at 18:56  | 塾長ブログ

小学校受験、中学校受験の本質

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp は、塾生に何故学ぶのか、何故受験するのか、を考えて日々努力して欲しいと考えます。

幼児期の学びから始まり、小学校受験、中学校受験と義務教育期に於いて挑戦する選択もあるからです。

偶然読んだ記事(東洋経済ONLINE)が非常に示唆的でしたの引用してご紹介します。https://toyokeizai.net/articles/-/229249

中学受験の本質を知らない親に教えたい心得  「今だけ頑張ればいいから」はNGワード」

「中学受験で難関中学に入れれば、東大をはじめとする難関大学への道が近づく」

「大学付属校に入れれば、この先は受験をしなくてすむ」

「だから、今頑張っておけば後がラクになる」

そう考えて、「中学受験」を始める家庭が多い。だが、こんな気持ちで子どもに中学受験をさせようとしているのなら、今すぐやめたほうがいい。なぜなら、今の中学受験は親が思っている以上に過酷だからだ。

難関中学入学=難関大学入学、と直結しないことは誰しもわかっていますが、難関中学に入れば確率が高くなるという思いを持つのは、どの親御さんも同様です。

しかし、挑戦することと、その結果、またその後の推移については、なかなか思うようにならないのが現実です。

大人でも解くのが難しい「入試問題」

一般的に中学受験の勉強は、小学3年生の2月からスタートする。大手進学塾の新4年生のカリキュラムが一斉に始まるからだ。だが、その前に入塾テストというものあり、その結果によって入塾の可否と上位クラスへ入れるかどうかが決まる。そのため、早めの対策を取り、低学年のうちから塾通いをさせる家庭も多い。

4年生では週2日の塾通いも、6年生になると通常授業の他に志望校特訓や模試などが加わり、週5日、ときには毎日塾で過ごすことになる。塾では問題の解き方は教えてくれるが、勉強の進め方までは個別にフォローはしてくれない。年間の学習カリキュラムが固定されているため、その日の授業で習ったことは、その日のうちに覚えることを前提に進んでいく。そのため、知識の定着を図るために塾から大量に出される宿題は、家庭で回していかなければならない。

小学生が習う内容なんて、親でも教えられる。そう思っている人は、ぜひ難関中学の過去問を見て欲しい。いや、中堅校でもいいだろう。多くの親は容易には解けないはずだ。今の中学受験の入試問題は、それほど工夫が凝らされ、難易度が高い。

中学受験が高校受験や大学受験と大きく違うのは、学校の授業で習う内容と入試で出される問題の難易度に大きな差があることだ。また受験には、目標に向かっていつ何をするかといったスケジュール管理が不可欠だが、それが子どもの力だけではできない点も挙げられる。親の献身的なサポートがあってはじめてうまくいくというのが、中学受験の最大の特徴と言える。

4年生になるタイミングで学童代わりに塾に入れる家庭も多いが、そんな甘い考えは捨ててほしい。早くから中学受験を意識してきた家庭でも、「ここまで大変とは!」とその過酷さを思い知らされることになる。だから、中学受験をするなら、親も子も「覚悟」をもって臨まなければいけない。

東京を中心とする関東圏、また教育熱心な関西圏などの難関中学への進学は、よほどの覚悟がないと取り組めないということを、その地域の方はご存知です。それ以外の地域からすると、何故そこまでするのだろうというのが実情です。

受験の目的は「いい大学に入るため」ではない

 

一度覚悟を決めたなら、中学受験をさせること、塾に通わせることに「罪悪感」をもたないほうがいい。罪悪感をもったままだと、どうしても親の口から「これが終わればラクができるから」「今だけ頑張ればいいから」という言葉が出てしまうからだ。

「後でラクをさせたい」と言うのは大抵母親だが、その中でも特に危険なのが「高校・大学受験をしなくていい付属中に」という考え方だ。例えばスポーツや音楽などを集中的にやりたいというような考え方であれば、付属中・高は向いているかもしれない。

しかしそうではない場合、過酷な中学受験の反動から、入学した途端に勉強するのをやめてしまう子も多い。入学時をピークにだらだらと成績が下がり、せっかく身に付けた学習習慣も知識もふっとんでしまっては、その後に困るのは子どもだ。

特に「ともかく付属ならどこでもいい」というような気持ちで学校に入った場合、中学・高校の学力がつるべ落としに下降する危険性がある。大学受験で入学した学生と付属から上がってきた学生を比べると、その学力は雲泥の差。大卒という学歴は同じでも、社会に出てからどちらが苦労するかは明らかであろう。

一方、大学受験で成功している父親がよく言いがちなのは、「大学受験の時だけ集中的にやればいいじゃないか。本当に行きたい大学があるのなら、一浪くらいさせたっていい。小学生の今はのびのびさせてやれ」というもの。この考えを否定するつもりはないが、今の時代、東大や京大、国公私大医学部などの難関大学の合格者は、上位の私立中高一貫校出身者が多くの割合を占めているという現実を忘れてはいけない。

ほとんどの私立中高一貫校の場合、高2の段階で高校で習うすべての範囲を終わらせ、高3の1年間を受験勉強に充てることができるカリキュラムが組まれているからだ。そういう点においては、私立中高一貫校へ入れると「大学受験に有利」であることは否定できない。

だが、中学受験をさせる目的がそれだけなら危険だ。レベルの高い私立中高一貫校に入れば、レベルの高い子ども達に囲まれて、レベルの高い授業が受けられる。

でも、そこで力を発揮するためには、さらに努力をする必要がある。それができる子ども達が多く集まるからこそ、「難関校」は結果的に難関大学への進学率も高くなるわけであって、そうした土台をつくるものとして中学受験があるのだ。

レベルの高い中学に進むことの目的とは、さらに高度で意味のある勉強をして知識を身に付けること、受験勉強の過程で学習の仕方を学ぶこと、そして人間として成長するためであり、「いい大学へ入るため」ではない。中学・高校、そして大学を通じてしっかりとした知識や思考法を身に付けて、社会に出してあげるためだ。レベルの高い学習ができる環境で身に付けた知識や考え方は、子どもの可能性を大きく広げてくれる。だから、小学生の子どもに受験勉強をさせるのは、決して「かわいそう」なことではない。そして、正しく勉強すれば、努力の先にある喜びを得ることができる。

一般に、親御さんは、ご自分の経験で子供さんの進路云々を決めがちです。経験に基づいて上手くいった例、また上手くいかなかった例を参考にしますから、血を分けた子どもも同様だ、と考えるのはある意味で自然です。しかし、親子は姿・形は似ていても、学び方はそれぞれです。

中学受験のメリットとデメリット

受験勉強は、目標に向かって努力をする、計画を立てて実践していく、難問に粘り強く挑戦する、自分の気持ちをコントロールするなど、様々な経験をすることができる。勉強自体は志望校に合格するためだが、たとえ合格できなくても、実社会に出てから必要なもの、どんな仕事に就いても必ず役に立つものがたくさん詰まっている。受験にせよ仕事にせよ、目的を叶えるために今何が必要なのかを考えて努力できる人間になる。これが一番大事なことではないだろうか。

こうした経験を小学校4年から6年の3年間経験することは、子どもの人生にとって大きな糧になるだろう。また、それをサポートする親も一緒に成長することができる。父親、母親、そして子どもが「3人4脚」で中学受験に臨むことができれば、それは非常に強い家族の絆をつくることにもなる。

しかし、それは「正しい方法」で挑戦した場合に言えることだ。勉強のやり方や親の言い方が間違っていたら、ときには子どもを押しつぶしてしまうこともあるし、親子関係や夫婦関係が険悪になってしまう可能性もある。また志望校に合格できなかった時、子どもに不必要な挫折感だけを残すことにもなる。中学受験にはその両面があることを知ってほしい。

・・・受験は、成功しても失敗しても、長い人生を歩む上で、その後の人生のヒントを与えてくれます。

成功体験はその時で終わりです。次へ進むための一里塚でしかありません。

失敗体験も同様です。「失敗は成功の母」というように、その失敗を次の挑戦への糧にすれば良いだけのことです。

結果の如何に関わらず、済んだことに執着せず、前進していくことが大事です。

posted by at 19:01  | 塾長ブログ

早大の政経学部入試で「数学」必須へ

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp は、塾生の関心や理解度に応じて、年齢如何に関わらず様々な問いかけをしています。その応えにはそれぞれ個性が表れていて、思わず笑みが零れることも多々有ります。幼くても論理的な話をする塾生には驚きとともに、可能性の高さを感じます。

小暑の空

 

さて、以下の記事が目に付き、やっとそういうご時世になって来たのかなと興味深く思いましたので、サイエンスライターの竹内薫氏のブログから引用してご紹介します。

早大の政経学部入試で「数学」必須へ。加速する世界の「数学化」https://www.mag2.com/p/news/363603?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000125_tue&utm_campaign=mag_9999_0710&l=yxt059d94b

 

私立大学の最難関・早稲田大学政治経済学部の入試で、数学が必須化されることが大きな話題となっています。「文系の雄」ともいわれる同学部入試に数学を課す意味はどこにあるのでしょうか。(中略)

VISION:なぜ早大は政経学部の入試で「数学」を必須にするのか?

ここのところ、2020年度からの大学入試「改革」に関するニュースが目白押しだ。いったいなぜ、大学入試改革は進められているのか? 早稲田大学の政経学部といえば、日本社会に有能な人材を輩出し続けてきた「文系」の名門だが、なぜこのタイミングで数学を必須にしたのだろう?

答えは明白だ。「そうしないと世界との競争に負けてしまうから」である。改革の旗振り役の文科省だけでなく、各大学とも、実は背水の陣で戦いに臨んでいるのだ。

その戦いの場は、もちろん、急激に進行しつつある第四次産業革命である。イギリスでは2014年にプログラミングの義務教育化(5歳~16歳)が断行された。アメリカのGoogleはたった一社で、世界の人工知能(AI)研究者・開発者の約1割を雇用していると言われる。仮想通貨が「億り人」と呼ばれる億万長者を生み、世界中の中央銀行に戦いを挑んでいる。

AIも仮想通貨も、すべてはプログラミングの世界の出来事だ。そして、そのプログラミングを根底で支えているのは、当然のことながら数学」なのである。

つまり、早稲田大学の政経学部が入試で数学を必須にした背景には、「これからの世界では、プログラミングと数学の技能に秀でていない限り社会の舵取りなど不可能だ」という、第四次産業革命の厳しい宿命があるわけだ。

早稲田大学の政経学部が社会に送り出すべきは、革命期の世界において、日本の舵取りをする優秀な人材であろう。人間の仕事の半分をAIが代替するような世界において、国や企業が進路を誤らないためには、ワードやエクセルが使える程度のコンピュータ・リテラシーでは全然足りない。AIを怖がらず自らの外部脳として使いこなせるだけの能力が必須なのだ。

このような観点からは、須賀晃一学部長の「基礎的な力と同時に、論理的思考力を身につけた学生に来てもらいたい」という発言は少々気になるところだ。いま日本では、主に「文系ビジネスマン」の間で、ロンリ、ロンリという言葉が独り歩きをしているが、正直言って、教科書を一冊読んだくらいで身につく程度の論理力では、第四次産業革命後の世界ではほとんど役に立たない。

真の論理力はプログラミング技能で試されるといっても過言ではない。論理的に完璧でなければプログラムは動かない代物だからだ。プログラムのバグが取り切れないうちは論理力などないに等しいと思った方がよい。

第一次産業革命後、第二次・第三次産業革命で世界の後塵を拝し、「英国病」などと揶揄されたイギリスで、すでに始まっているプログラミングの義務教育が何を意味するのか、あるいはアメリカのMITが開発した幼児用のプログラミング言語スクラッチジュニアがどう世界を変えるのか。大きく出遅れてしまった日本はこれから必死で巻き返しを図らない限り世界の二流国への転落は必至だ。

もう一つ心配なのは、

『共通テストの外国語、国語、「数学1・数学A」を必須とし、さらに地理歴史、公民、理科、「数学2・数学B」の中から一つを選ぶ。このほか、英語民間試験と学部独自に行う日本語や英語の長文読解で受験生を選抜する。』

という選抜方法だ。これらの技能は、150年前の明治維新において、プロシアから輸入した「暗記型スキル」の試験であり、残念ながらAIが最も得意とする分野なのである。

世界の一流大学では、もはや、このような旧態依然とした選抜体制は取っていない。たしかにペーパーテストはあるが、アドミッション・オフィスは、自分の大学の卒業生たちの助けを借りて、探究心のある自律型の学生を徹底的に面接し、「創造的で多様な人材」を確保することに力を注いでいる。ペーパーテストだけでは、「暗記力に頼る均一な人材」を優先的に選抜することになってしまい、AI時代にそぐわないからだ。

少々、辛口に過ぎたかもしれないが、今回の入試改革は、「初めの一歩」だと考えれば、政経学部で数学を必須にしたこと自体は、大いに評価できる。実際、最新の経済学の教科書には、これまで物理学科でしか教わることのなかった「ラグランジアンという関数が登場している御時世なのだ(ラグランジアンは経済学では、費用を意味する)。

もはや、文系・理系という区分は無意味だ。世界はひたすら数学化(情報科、プログラミング化)されてゆく。誰もこの怒濤の流れから逃れることはできない。

 

「いま日本では、主に「文系ビジネスマン」の間で、ロンリ、ロンリという言葉が独り歩きをしているが、正直言って、教科書を一冊読んだくらいで身につく程度の論理力では、第四次産業革命後の世界ではほとんど役に立たない。

真の論理力はプログラミング技能で試されるといっても過言ではない。論理的に完璧でなければプログラムは動かない代物だからだ。プログラムのバグが取り切れないうちは論理力などないに等しいと思った方がよい。」

・・・なんと明確な指摘でしょうか。巷では、『論理的思考力』は logical thinking(ロジカル シンキング)の訳語として様々取り上げられる言葉です。曰く、「論理に基づいて思考する能力(の高さ)という意味で用いられる表現。道理や筋道に則って思考を巡らせて結論を導いたり、あるいは複雑な事柄を分かりやすく説明できる能力」として主に捉えられています。

この力は、一朝一夕に身につくものでは有りません。幼いときから、親や周りの大人達との日々の生活の会話の中で、自然と身につけていくものです。当然、親は意識してそのような環境を作るべく腐心する必要があります。

posted by at 08:04  | 塾長ブログ

国立長崎大学附属校は? 「国立大付属校の入試」の入学抽選化を提言 

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp は、「国立大付属校」の入学抽選化文科省の有識者会議が提言したことを興味深く注視しています。

この提言は、平成29年(2017)8月29日に文部科学省の有識者会議が、国立大学の付属校が「エリート化」し、本来の役割を十分に果たせていないとして、学力テストではなく抽選で選ぶことなどを求める報告書をまとめたものです。学習能力や家庭環境などが違う多様な子どもを受け入れ、付属校での研究成果を教育政策に活かし易くすることが目的で、2021年度末までに結論を出すよう各大学に求めています。

・・・国立大学付属校の本来の役割は、教員養成のため教育実習を実施し、実験的な学校教育を行うなど教育研究をサポートすることです。しかし、有識者会議では、一部の学校がエリート校化してしまい、教育課題への取り組みが不十分だというのです。これは、関東圏や関西圏、教育熱の高い地域の国立大付属のエリート校にその傾向が強いことを指します。

現在国立大付属校は、全国で256校あり(幼稚園49、小学校70校、中学校71校、高校15校など)約9万人が通っています。そのうちエリート校と称される学校では、学力の高い児童生徒が集まるため、多種多様な子どもたちにどんな教育が効果的かというような研究ができないという批判がこれまでもありました。
特に最近では、発達障害や外国人の子どもへの教育支援のニーズが高まっていて、国立大付属校には「本来の役割を果たしてほしい」との声もあるのは事実です。

これに対して、

● 選考方法に抽選を導入すると、国立エリート校の学力低下の恐れがあること

● 経済格差が学力の格差になる恐れがあること  といった反対意見もあります。

更に、

文部科学省の有識者会議に対し、RIETI(独立行政法人経済産業研究所、英語名称:The Research Institute of Economy, Trade and Industry)https://www.rieti.go.jp/jp/に、真っ向反対意見を論じている記事を見つけました。

山口一男客員研究員・シカゴ大学ラルフ・ルイス記念特別社会学教授の興味深く参考になるご意見です。

「失敗の歴史から学ばない教育政策―国立大学付属校の抽選入学制度について」

https://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0483.html(全文を引用致します)

 文部科学省の有識者会議が、国立大学付属校の入学についてテストでなく、抽選で選ぶなど入学における「学力偏重」を是正せよとの報告書をまとめた。国立大学付属校が「エリート化」し「本来の役割」を果たせないことが問題だという。単直に言って愚策である。後述する「学校群制度」や「ゆとり教育制度」の二の舞になることは火を見るより明らかだ。つまり、この政策により教育機会の不平等が増す。その理由を、中等教育(中学・高校)を例にとって説明しよう。説明には幾つかの、実際に成り立つ、以下の仮定をする。

教育機会の不平等を増加させる政策のメカニズム

仮定1:比較的安価で、家族の収入によらない基準で手に入れることが可能な質の高い公教育が存在する。

仮定2:質の高い教育の前提として、質の良い「サービス利用者(学習能力の高い生徒)」の存在が一因として存在する。

この仮定は平均的に学習能力の高い生徒だからこそ、高度な内容の教育が提供でき、また成功する傾向を意味する。教育の「コンテクスト効果」と呼び、これは実証されている。

仮定3:しかし、為政者はこの「公的サービス(公教育)」の利用者や、その内容に「学力偏重」があることを嫌い、政策介入を加えて、その「偏り」を除こうとする。

仮定4:学力を重視する大多数の旧制度の潜在的利用希望者は、政策介入後の新制度を嫌い、代替えの選択をしたり、他の制度の利用で補完したりしようとする。しかし、質的に同等な教育は、旧制度と同等に低い価格では得られない。

この仮定はそれまでの優れた公教育の同等な代替は、優れた私立校や、質の良い学習塾でしか補うことができないため、経費が高くなることを意味する。これらを仮定すると以下の結果が得られる。

結果1:政策介入後の利用者(入学生徒)の平均的学習能力が下がり、もはやコンテクスト効果は期待できないので、新制度は以前のような質の高い教育は提供できなくなる。

結果2:旧制度の潜在的利用者のうち、経済的に裕福な家庭の子女は、より高い対価を払って、同等な質の教育を受けられるが、裕福でない家庭の子女は、同等な質の教育が得られず、貧富による教育の機会の不平等が生まれる。

結果3:比較的裕福な家庭が、教育により高い価格を支払うようになるので、教育費が平均的に高くなる。

同様の失敗を招いた過去の例

具体例として、1967〜1981年に東京都が施行した学校群制度がある。制度導入以前は、日比谷、戸山、西、新宿などの都立高校が東大進学者数のトップを占めていたが、学校群導入後のこれらの都立高校の東大進学者数は一桁代に陥落し、一方開成、麻布、灘などの有名私立高校の東大進学率が躍進した。比較的裕福で学力の高い子どもを持つ家庭が都立高校を見放し、有名私立高校に鞍替えたからである。これは質の高い教育を得ることが家庭の経済状態により依存することを意味し、その結果東大進学者の親の所得が増大し、以前に比べ貧しい家庭の出で東大に進学する学生の割合が減る結果となった。「エリート都立高校」を無くそうとする政策は皮肉にも家庭環境によるエリート教育の機会の不平等を増大させたのである。後に都は学校群政策の失敗を認め廃止したが、もはや覆水盆に返らずであった。

1980〜2000年代の公立の初等・中等教育における「ゆとり教育」も同様な結果をもたらした。「知識の詰め込み」に反対し、「生きる力をつける」などと喧伝された教育であるが、平均的に求める学力のレベルを下げたため、学力低下を招いた。当然子どもの学力向上に関心のある親の多くが「ゆとり教育」に不安を持ち、学習塾の利用が増し私立中学への進学率も増大した。またその結果教育費用は高騰し、貧富の差による質の高い教育機会の不平等を生み出したのである。苅谷剛彦東大教授(当時)によると、「ゆとり教育」導入後の学習塾を含む、学校内外の学習時間は中産階級の子女では以前と変わらなかったが、労働者階級の子女では低下し、社会階層による学習への「意欲格差」をも生み出した。

進化ゲーム理論によると、人々が努力をするか否かは社会でその努力が報われる度合いに依存する。進学塾や有名私立の中高一貫校に通わないと、比較的安価な国立・公立大学に進学できないのでは、労働者階級の子女にとって努力が報われる可能性は大幅に減ってしまう。こうして、「生きる力」をつけるはずのゆとり教育は、貧富による教育機会の格差を増大させ、労働者階級の子女に対し努力が報われる機会を減らし、学習意欲という生きる力を奪う結果となった。

今回提案の国立大学付属校の抽選入学制度は、同様な結果をもたらすだろう。国立大学付属校は、優れた進学校ではなくなり、中産階級の子女は優れた私立校に行き、そうでない子女は相対的に教育の質の劣る公立校に進むことになるだろう。一例だが筑波大付属や、筑波大付属駒場などは、戦後の人材輩出度において卓越している。地方国立大付属校にも同様なことがその地方において言えるものは少なくない。これらの付属校の卒業生の一部は家庭環境でもエリートの出であろうが、そうでない者の方が当然多い。これらの付属校の質を変えて、非エリートの家庭から同じように優れた人材を社会に輩出できる保証は全くない。

人材輩出の機能を失わずに本来の目的も叶えよ

また国立大学付属校の「本来の目的」は、多様な背景を持つ生徒への実験的教育による教育方法の研究にあるというのが今回の施策提案の理由だが、優れた教育方法は学習能力と独立ではない。たとえば新しいアイデアを生み出すのに必要とされる「批判的思考」の育成は比較的能力の高い生徒にのみ有効であることが知られている。抽選にすれば、平均的能力を持つ生徒への教育法の研究法には資するだろうが、学習能力の高い生徒に対する優れた教育方法の研究には資さない。ゆえに「本来の目的」でも現行制度の選抜方法を維持しなければできないこともある。また優れた人材の輩出のためには、多様な潜在的才能を伸ばす「英才教育」の研究は極めて重要である。国立大学付属校が家庭環境の上で「エリート化」しているのであれば、入学試験だけではなく、公立中学の成績評価の入学への比重を増やすなどして、家庭環境でハンディキャップを負う優秀な生徒がより入学しやすい仕組みで補完すればよい。

政策は意図せざる結果を生む可能性を常に考慮しなければならない。今回の報告書の提案は、日本が未だ学校群制度やゆとり教育制度の、意図せざる失敗の原因について、何も学んでこなかったことを示唆する。国費での「エリート教育」に反対するというのは偽善である。それならば、いっそのこと東大・京大などのエリート国立大も抽選で入学者を決める制度にして見ればよい。東大・京大卒の市場価値は失われ、学費の高い慶応・早稲田などの有名私立大学のみがエリート大学となり、私立大学の卒業生が経済社会的に高い地位を独占し、高い学費を払えない貧しい家庭の子女は地位達成の夢など見ることはできない社会となるだろう。

 

・・・大きく首肯したい意見です。この意見が、文部科学省の教育行政の過ちを強く糾弾しています。一つの悪き例として(筆者の考えでは)、国・公立大学の授業料の高額化です。

国立・私立大学授業料の推移(引用‥http://president.jp/articles/-/22490

見にくいのですが、上記グラフは「国立・私立大学授業料の推移」を表したものです。グラフ一番左下隅の昭和46年(1971)当時、国立大学の入学金・授業料は、各1万円、年額12,000(月額1,000)円でした。余りに安いということで、翌年3倍増されましたが、それでも入学金・授業料は、各3万円、年額36,000(月額3,000円)。

その後、国立大学の授業料はどんどん高くなり、1990年の33万9600円から53万5800円へと約6割も上昇。「国立大学に入学してくれれば何とかなる」という親の期待は通用しない時代になってしまいました。勉学することで、未来を切り開き「世の為、人の為」に活躍を期す、若者の志を砕くような授業料の高騰は、明らかに文部行政の大失策だと考えます。大学の無償化ではなく、国・公立大学の授業料の低廉化を至急実施すべきと思うのは筆者だけでしょうか。

posted by at 02:42  | 塾長ブログ

負ける悔しさと失敗を恐れない勇気

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp は、台風7号の影響で塾はお休みです。その結果、たまたまとは言えWorld Cup 2018 Russia のサッカー日本対ベルギー戦を深夜から観戦。2対3と健闘虚しく敗戦しましたが、日本代表の頑張りには感銘を受けました。

ベルギーに敗れ、肩を落とす日本イレブン=ロストフナドヌー(AP) 

 

サッカーだけでなくあらゆる勝負事には、勝ち負けが有ります。無論、受験も然り。不断の努力を重ね、大一番で実力を発揮するには、そこに至るまでの前哨戦を勝ち抜かねばなりません。4年に一度のオリンピックやサッカーWorld Cupは、本番に至るまで4年もの月日が有ります。

受験も幼稚園・小学校・中学校・高校・大学と、何年かずつ準備期間があります。目標を定め、計画を立て、準備にかかり、いくつかの模擬試験を経るところは、スポーツの予選・地方大会から始まり、本戦・全国大会へと進むのと似ています。

両方の分野に共通なのは、自らの弱点を知り対策を立てるには、様々な失敗も必要なことです。力をつけるには、日々の鍛錬をしなければなりません。それは単調で苦しい基礎訓練から始まります。何十回も何百回も基本動作の繰り返しであったり、本番を想定した実戦形式の練習であったり、学習もスポーツも同様です。

努力を重ねた成果を確認するのが、模擬試験や対抗試合です。与し易い試験や対戦相手では、力が付きません。少なくとも力が拮抗しているか、相手の実力が上の方が、自らの欠点を抽出出来ます。そうなると、負けが込むのは、試験もスポーツも同じです。

そのときに、どれほど「負ける悔しさ」を心に刻みつけるかで、次の試験や対戦への準備・心算に身が入るか否かが決まります。この繰り返しが、人を成長させます。

そして、その努力を基礎に次のレベルへ挑むことになります。当然難しい試験や強い相手との闘いは、失敗の連続ということもありますが、失敗を恐れていては、前に進むことはできません。勇気を持って挑戦するというのは、誰にとっても大事なことです。

大一番に向けて、日々の努力を重ねていくには、それに適した指導者の存在もあります。日々の指導や時宜を得た助言は、受験生や競技者に大きな影響を与えます。何事も、人の協力を得られる「素直さ」を持つ人は良き指導者にも恵まれます。

 

 

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