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何故、「学ぶ」のか 2

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、学ぼう、学びたいという「啐啄の氣(そったくのき:得難い良い時機)」を如何に捉えるか、が指導者の役割だと考えます。勉学に関しては、無理強いは禁物です。要は、「その氣」にさせることが秘訣です。

「何故勉強が必要?」子供への模範回答(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180512-00025119-president-life)(President Online 5/12(土))

引用してご紹介します。

■28歳の救急救命医は中高6年間ずっと最底辺の成績

 【2:「勉強以外に夢中」タイプへのアプローチ法】

 「勉強する意味がわからない」という子供の中には、部活や趣味などを優先する「勉強以外に夢中」なタイプもいる。

 ある進学校での中高6年間のほとんどを自分の趣味(ミリタリー系)に費やしたため、学年の成績順位は常に下位10%だった、という28歳の男性は筆者にこう教えてくれた。

 「成績が悪かったのは、学校の定期試験に熱意を持てなかったからです。勉強することの必要性にどうしても納得感が得られませんでした。教師や親から強制されることに反発してしまう性格だったんですね。ただ、大学受験には必要性を感じたので勉強したって感じです。結局、勉強をする理由を見つけるってことが“受験”や“職業選択”には最も重要なことなのかもしれません。その理由を見つけるにはまず、(趣味など)やりたいことを自由にできる、多様な環境が必要なのだと思います」

 彼は“動機付け”ということを強調したが「必要性」を見いだした彼はその後、医学部に合格し、現在は、大学病院の救急救命医として活躍している。

・・・男子は、この様なタイプは多いように感じます。筆者の大学時代の体育界の同輩は、優秀な人物ですが、おそらく父親との軋轢もあってか高校時代に家出を繰り返していたそうです。男子はタイプにもよりますが、「勉強、勉強、と言わないほうが、それなりに悩み、考えながら「学ぶ」べき時機を決定していることが多いようです。無論、「人を見て法を説け」ですから、尻を叩いた方が良いタイプもいます。その見分けが大切です。

posted by at 22:25  | 塾長ブログ

何故、「学ぶ」のか 1

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生が「死ぬまで学び続ける姿勢を保つ」大人に成って欲しいと念じています。と申しますのは、「勉強」と「学び(学習)」とは、字義に差があるからです。文字通り「勉強」は、「強いて勉める」。「学習」は「習って学ぶ、学んで習う」と、ニュアンス(nuance:言葉などの微妙な意味合い)が異なります。

さて、面白い記事が目に付きました。「何故勉強が必要?」子供への模範回答(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180512-00025119-president-life)(President Online 5/12(土))

引用してご紹介します。

この季節、「なぜ勉強をしなければならないのか? 」という根源的な問いにハマる中高生が少なくない。そう子供に問われたとき、親としてどう答えればいいのだろうか。「いい大学にいくためだ」などと答えれば、子供は不登校になりかねない。3つの「模範解答」を紹介しよう――。

■子供に「なぜ勉強をしなければならないのか? 」と問われたら

筆者は仕事柄、中高生と話すことが多い。すると毎年、5月の大型連休後に、いわゆる「五月病」の症状に悩む生徒に出くわす。新学年、新学期の新しい環境への適応がうまくいかずに心身に不調が出てくるのだ。その中には「なぜ勉強をしなければならないのか? 」という“根源的な悩み”にぶち当たってしまう子がいる。

今回は、そういう思春期特有の悩みを持つ子供を3つのタイプに分け、親にできることは何かを探ってみたい。

【1:「秀才煮詰まりタイプ」へのアプローチ法】

ある時、東京大学合格者数ベスト10に入るほどの進学校に通う首都圏の私立中学生にこういう話をされたことがある。

「勉強をやる意味がわからないんです……。学校を辞めたい……」

会社役員である父親にそう告げたところ、その子の父親はこう返したのだそうだ。

「オマエは『駕籠(かご)に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人』という言葉を知っているか?  オマエは車で言えば、どの座席に座りたいのか、よく考えろ」

つまり、その父親は息子にも自分のように運転手付きの車の後部座席に乗る立場の人間になってほしいのだ。そのために偏差値の高い難関大学に行き、優良企業に就職しろという希望を持っているようだった。

いろいろな世の中の矛盾や理不尽に気が付いていく中で、その進学校の中学生は「勉強をやることは当然」と迫ってくる親や学校に強烈な反発心を持ってしまったのだろう。

残念ながら、その後この中学生は不登校に陥り、併設高校へは進学しなかった。父親の落胆ぶりは相当なものだったが、これは“秀才煮詰まり”タイプへの誘導を親が間違えた結果だと筆者は思っている。

優秀な子供が勉強する目的を見失った時に、大人が「試験のため」「知名度の高い大学へ行くため」「裕福な生活をするため」と言って丸め込もうとすると、親の期待とは正反対のところに着地するケースは少なくない。

そうした大人の意見は、幸せに至るひとつの“手段”であって、人生の“真の目的”ではないから子供の疑問解消には至らないのだろう。

では、このタイプの子供にはどうアプローチすればよいのだろうか?

・・・如何でしょう。親の思いと異なり、賢い子供さんに、親の価値観を強いるとパンクしてしまい、ドロップアウト(dropout:脱落、抜け出すこと、没落)してしまう例です。同学年の子供さんでも、それぞれの子供さんの生年月日や、家庭環境によっても違いがあるのですが、姿・形は親に似ていても、考えや思いは、親とは全く別物であるという根本を理解しておかなければなりません。

■「なぜ勉強が必要か」こじらせ中学生に効くコトバ

彼らは非常に賢く、また繊細なので、親が功利的な答えを下すより、子供自身にあえて問いかけたほうが「悩み」は解決の方向へと進んでいくと思われる。

例えば、以下のような話をして「君はどう思う? 」と問いかけてみるというのはどうだろうか。

筆者は多くの私立中学・高校を訪問し、校長や担当責任者に学校の教育方針などを聞いている。先日、南山大学(名古屋市)の前学長で、いまは聖園女学院中学・高校(神奈川県藤沢市)の校長のミカエル・カルマノ神父と面会した際、「人はなぜ勉強しなければならないのでしょう? 」と問いかけてみた。

神父は次のように答えた。

「勉強は自分の窓を開けるということです。学ぶことで、今まで見ていたものとはまた違う何かを見ることになります。視界を広げるために学ぶのです。例として、『なぜ外国語を学ぶのか』を考えてみましょうか。日本語で『写真を撮る』という言葉がありますね。これは英語では『take a picture』、写真はテイクするものになります。しかしながら、ドイツ語では『写真を作る』と表現するのです」

▼大人の論理・常識で丸め込もうとするのは逆効果

神父は、同じ行為・現象でも“とる”と“作る”という言葉が持つ背景やイメージが異なると説明する。その上で、こう語るのだ。

「だからこそ、物事はその国の文化を持つ言葉でオリジナルを見ないといけません。真実を見るためには、そのものが何かを追究しないといけません。ですから、学校では他国の言語を学ぶという授業がなされるのです」

もし、外国語を学ぶ意味がそうであるならば、数学は?  国語は?  音楽は?  歴史は?  と子供に問いかけ、親も考えてみる。

そして「お父さん(お母さん)はこう思うけど、自分はどう思う? 」と、ある意味“対等な関係”での議論をしたほうが秀才煮詰まりタイプの子供の納得感を得やすいのではないか。すぐには効果が出ないかもしれない。しかし、少なくとも大人の論理・常識によって丸め込もうとするのは逆効果であることは確かだ。

・・・子供さんの人格形成は、お母さんがお腹に身籠った瞬間から始まっている、とお母さんには考えて頂くことが肝要です。

そうであれば、お腹が大きくなることがなく、産みの苦しみを経験し得ないお父さんは、どのような姿勢を持つべきだろうか。筆者の子育ての苦い経験からすると、男親は我が子をなかなか客観視できないという単純な事実があることです。つまり、能書きや理想論を普段物語っても、いざ自分の子供のことになると、合理的な論理が吹っ飛び、こうあるべきだ論が頭をもたげます。「自分はこうだった、親から厳しく育てられた」みたいな。

しかし、親も子も「縁(えにし)」があって出会うという、人類が生まれてからずっと繰り返してきたことに想いを致せば、「健康」でさえあってくれれば、「御の字」であるという、極めて当たり前だけど、非常に大事な根本を常に意識しなければならない、と「男親」の筆者は自戒しております。

posted by at 01:31  | 塾長ブログ

丁寧に読むこと

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生に書物は一字一句間違わずに読むことを日々指導します。

至極当然のことですが、正確に読むことが正確に理解することです。幼児期から正しい日本語で読む。正確な発音、読み、文法など、過たずに読まなければなりません。

その為の第一歩は、素読です。良書を手本に、指導者(親であれ、先生であれ)の音読の通りに、鸚鵡返しに読むことが出来ることです。その前提として、鼻で正しい呼吸が出来なければなりません。口で息をしているようでは、滑らかに一文(長短を問わず)を素読できません。素読を正確に出来る子供さんは、何度か繰り返すと、暗唱(空で覚えていることを口に出して唱えること)ができるようになります。

次に、音読です。これは他人に迷惑をかけない限り、大きな声で朗々と読むことです。一般の書物のみならず、小学生以上ならどの科目であれ同様です。教科書は勿論、参考書、問題集も、理解するまで繰り返し音読します。その際、句読点は当然「間」(息継ぎの)を空けます。「読書百遍意自ずから通ず(注*)」と言われる如く、繰り返し音読をする習慣を付けると、子供達はよく考えて読むようになります。

注* 「読書百遍意自ずから通ず」「読書百遍義自ずから見る」   「読書百遍(どくしょひゃっぺん)義(ぎ)自(おの)ずから見(あらわ)る」とは、どんなに難解な書物であっても、繰り返し読むうちに意味が自然に理解できるようになるものである、ということ。出典は、『三国志』魏志。魏の学者董遇が弟子入りを願う者に対して言った「読書百遍義自見」から。この意には、多くの書物を読めば良いというものではなく、良い書物を熟読することに意味がある、ということも含む。英語では、Repeated reading makes the meaning clear.(繰り返し読むことは、その意味を明確にする。)

posted by at 00:37  | 塾長ブログ

丁寧に書くこと

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生に文字や数字を丁寧に書くことを常に指摘します。「耳にタコが出来る」程繰り返すのは、塾生の一生に関わることと考えるからです。つまり、上手い下手より、丁寧か雑かでは、長じて自筆で文字・数字を書く際に、人柄や人格がよく現れるからです。

最近気になるのは、子供さんのノート(典型は漢字帳、算数)を丁寧に書くよう指導している跡が見えないことです。子供さんの身近にいる誰かが指摘しないと、その悪癖は一生続きます。筆者は、子供の頃母親から、「丁寧に、綺麗に」文字を書くよう、何度も何度も繰り返し言われていました。その際、「良薬は口に苦し」「歳月人を待たず」「鉄は熱いうちに打て」という諺を使い分けて、今直さなければ、一生悔いが残ることになるという「脅し」に近い文言を聞かされていたような記憶があります。今思うと、有難いことですが。

子供さんに一番近い位置にあるのは、名実ともにお母さんです。お母さんの気持ちとしては、同じことを繰り返してものを言うことに抵抗があるかもしれませんが、子供さんの将来を考えれば、心を鬼にしてでも言い続けなければならない。ここで怯んでは、この子がダメになる、ぐらいの気迫は必要です。何事も悪癖を直すには、「十回で直せなければ、百回」「百回で直せなければ、千回」と、出来るまで繰り返すことです。

その際、子供にも自分自身に向けても、「良薬は口に苦し」などの諺を必ず添えて説くことです。そうすると、不思議にも感情的にものを言うことがなくなり、子供心にも浸透していくことになります。

posted by at 08:23  | 塾長ブログ

子供の食事作りと教育

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、社会の様々な意見や考え方に、子育てや教育に関する卓見(非常に優れた意見・見識)を見出して、当ブログでご紹介できればと考えています。

日々の生活の中で、子育て、躾、教育を家事とともに同時進行でなしているお母さん方に、一つのヒントとなる人生相談が目に付きました。

「山本一力の人生相談」(産経新聞 2018.5.6  http://www.sankei.com/life/news/180506/lif1805060010-n1.html)を引用してご紹介します。

子供の食事作り・・・完璧であるべきか

相談

 「食育」に厳しい祖母に育てられました。献立は必ず一汁三菜、おみそ汁の具材は3種以上、1日30品目を摂取といったルールを厳しく守る人でした。バランスの取れた食生活のおかげで私は健康に育ちました。しかし、このルールが呪縛のように感じるときがあります。私も3歳の娘のために毎日食事を作りますが、祖母のようにできないと、自分が手抜きをしているように感じてしまうのです。

 専業主婦だった祖母と違い、私はフルタイム正社員。必死に献立を作っても、子供は食が細く、「こんなのイヤ」と言ったり、買ってきた総菜や弁当を喜んだり。むなしい気持ちになり、イライラを子供にぶつけてしまうこともあります。食事作りに時間を割くより、遊んだり絵本を読んでやったり、子供との時間に使った方がいいのではないかとも思います。祖母の食事の再現にこだわるのはただの自己満足なのでしょうか。(神奈川県 30代女性)

 

山本一力氏

回答

 ひとはだれしもが、おいしい記憶を持っていると思う。

 食べることに始まり、食べられなくなったときに土に返るのが、ひとの一生だろう。

 もしも誕生直後の記憶を呼び起こすことができるなら。

 初めての、あのおちちの美味(おいし)さこそが、おいしい記憶の始まりではなかろうか。

 前置きが長くなった。

 あなたはひとも羨(うらや)む、幸せな記憶の持ち主だ。

 ていねいに毎食を調理してくれたおばあちゃんが、身近にいたからだ。

 おいしい記憶を1200字で綴(つづ)るエッセーコンテストが、今年で10年目となった。

 回を重ねても投稿数が減らない最大の理由は、百人百様の「おいしい記憶」があるからだろう。

 あなたが作る料理は、多品種である必要などない。

 多忙で手が回らなかったときは、炊きたてご飯に生卵をぶっかけた「たまごご飯」でいいじゃないか。

 作らなければ、ではない。

 作れるときに作ればいい。

大事なことは、一緒に食卓につくこと。

 なにを食べたかよりも、そのときの親の表情、会話が一番の滋養となるものだ。

 食育に厳しい祖母。

 そのおばあちゃんから、いかほど多くの「おいしい記憶」を、あなたはもらえたか。記憶を作るために、時間の遡行(そこう)はできない。こども時分の思い出は、そのときにしか作れない。

 新人賞に投稿を続けていた当時、カミさんは鮮魚屋さんで「魚のあら」ばかり買っていた。破格値で買えたから。

 かぶと煮が定番料理だったことで、こどもたちは器用な箸つかいを覚えた。いまも魚の食べ方が上手だと褒められる。

 料理は愛情。これは事実だ。

 こどもは知らぬところであなたを慕い、思い出を作る。

回答者

 山本一力 作家。69歳。平成9年『蒼龍』でオール読物新人賞を受賞しデビュー。14年『あかね空』で直木賞受賞。近著に『ジョン・マン6順風編』(講談社)、『牛天神 損料屋喜八郎始末控え』(文芸春秋)。

・・・含蓄を含んだ回答です。

読後、様々な母親の表情が脳裏に浮かんで来るのは筆者だけでしょうか。人それぞれ母親の思い出があります。食事を準備する母親の後姿、俎板で鳴る包丁の音、御飯が炊けた香り、味噌汁の匂い、等々。子供の頃の記憶はふとした時に蘇ります。子育てに一所懸命なのはどのお母さんも同じ。それは子供心に伝わります。子供は幼くとも母親の一挙手一投足や表情を母親の想像以上に気しています。お母さんに余裕がなく、しかめっ面をしていたら、不安が募ります。お母さんが笑顔でいてくれると、不安は吹き飛び思わず笑顔が出てきます。お母さんが、かって自分の子供の頃に感じていたように。

まさに、食事作りや躾や教育も基本は変わりません。「病める時も、健やかなる時も」変わらずに明るく、前向きなお母さんの表情や言葉が、子供を元気付けてくれます。

posted by at 04:18  | 塾長ブログ
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