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勉強のコツ

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、春期講習も最終日となり、塾生も一所懸命に学習やお楽しみに取り組みました。

「ちょっとした勉強のコツ」外山滋比古著(みくに出版)という読んで楽しい著作があります。勉強の骨(物事の核心)を掴むか否か、は長い人生で考えると、大きな差を生み出す素です。その中の一節から引用してご紹介します。

朝飯前

かってある人が、ヨーロッパからオーストラリアへ移住した。ヨーロッパには長く厳しい冬があるけれども、オーストラリアでは常夏のように年中、何か花が咲いている。それを見てこの移住者は養蜂業を始めようと思いついた。こんなに花があるのなら、さぞ蜜が沢山取れるだろうと考えたのである。

早速ヨーロッパから優秀な蜜蜂を輸入して、仕事は始まった。最初の年は大成功だったが、二年目には収穫が激減、それから年々大きく減り続け、やがてほとんど蜜を集めなくなってしまった。おかしいと思って調べて貰ったら、いつも花があるからだという意外なことがわかった。ヨーロッパで働き蜂といわれるほどに勤勉であったのは、花のなくなる冬があるからだったのである。年中花のある恵まれたところに移って、蜂はハングリーでなくなってしまったらしい。

それは蜂の話、人間は別だ、とは言い切れないようである。人間も概して、厳しい環境におかれた方がよく働く。欧米の人たちは、雪の降る国でないと、文化、文明は栄えないと信じているようだ。寒いところの人間は、温暖なところで生活する人に比べると、おしなべて勤勉で努力する。それがやがて社会の繁栄に結び付く、そう考えるのである。悪条件のもとでは、ハングリーにならずにはいられない。ハングリーならよく働くというわけだ。

一人一人についても同じことが言える。いまアメリカで最も優秀な学生は、ベトナムやカンボジアからボート・ピープルとしてアメリカへ渡った 難民家族の子女である、と言われる。ハーヴァード、イエール、プリンストンなどの名門大学へすいすい入学する。ハーヴァードなどでは定員の二十パーセントを超えて問題になったほど。

ベトナム、カンボジアからの難民が秀才、才媛だけを連れて行ったわけではあるまい。物心ともに不自由、不如意な環境で育ったために、石に齧りついても、といった勉強をした。ハングリーだったからこそ、目覚ましく学力を伸ばしたのである。

誰でも難民のような境遇になれるわけではなく、そういったハングリーな生き方をするのも困難である。しかし、特に厳しい暮らし方をするのではなくても、腹をすかせていれば、おのずとハングリーになることができる。仕事をしようと思ったら、満腹、飽食はいけない。

テレビやラジオのアナウンサーは、放送する何時間も前から食べ物を口に入れない。胃にものが入っていると、言い間違い、読み違いが多くなる。神経を張り詰めた仕事をするに空腹でなくてはいけないのを経験で知っている。ハングリーの状態が良いのである。逆に言うなら、ものを食べたあとは、精神を集中させることは避けるのが賢明だということになる。昔の人も、親が死んでも食休み、と言った。

また動物の話になるが、ライオンに芸、例えば、火の輪をくぐらせるというようなことを仕込むのは、空腹時に限るという。火の輪の向こうに肉の切れ端をぶら下げておく。くぐったらそれを与える。腹をすかせたライオンは肉切れが欲しくて火の輪をくぐる。満腹のライオンは首を縦に振ることすら大義がる。

学校の授業で、昼の食事の後は居眠りが多い。これは体が食休みを要求している証拠である。こういう時間の勉強はあまり効果がない。

ハングリーであるには、1日の早い時間ほどよいようだ。一番よいのは朝ということになる。頭の仕事にとって、朝は金の時間である。ただし食事をするとたちまち鉄の時間になる。昼食前は銀の時間。食後は鉛の時間になるが、夕方の腹の空いているときはまた銀の時間がやってくる。夕食後は鉛の時間を通りこして、夜の十時以後ともなれば石の時間である。夜型などと称してそんな時間になってから頭を使っていれば、石頭になっても不思議ではなかろう。

つまり、頭を使うのは、朝、しかも食事の前がベストだということになる。その時間なら心身共に快適でハングリーな状態にある。ここで朝飯前ということばがあるのを思い合わせる。

この言葉は、今では、朝食を食べる前に仕上げられる仕事というところから、ごく簡単なことの意味になっている。しかし、もとの心は、朝、ものを食べる前は心身爽快・きわめて能率が良いから、たとえ厄介なことでもさっさと片付けられる、というところから出ているに違いない。

前の晩に、どうしてもうまくいかなかったことが、一夜明けてから、朝食前にしてみると、あっけないほど簡単にできてしまう。そういうことを経験した人は少なくないはずである。

朝食前の時間は、よほど早起きをしない限り、ほんのわずかしかとれない。それを伸ばす工夫として、私はかって、朝食をおくらせ、昼食といっしょにすることを考えて実行した。これだと午前中がすべて朝食前になる。医者は健康のために朝食をとれと教えるが、頭をうまく使うのに朝昼の食事を合併させるのは名案である。英語のブランチは朝食と昼食を兼ねた食事である。朝食前の時間を大切にする人たちが考えたことに違いない。

・・・学習の効率を上げたいと考える人ならば、必ず考えたであろうことの一つが、食事と眠気のコントロールではないでしょうか。筆者の母がよく問わず語りで言っていた言葉が、「腹の皮が突っ張れば、目の皮が緩む」、つまりお腹いっぱい食べると、瞼が重くなって眠くなる、ということです。一般に、若いときはいつまででも眠っていたいというほどよく寝ます。勉学に励まないといけない試験前などは、さあ頑張る為に腹ごしらえ、と思うと必ず眠気を催してしまった苦い経験を持つ人は多いと思います。育ち盛りの時期に、空腹で学習に取り組むというのは至難の技ですね。

posted by at 19:12  | 塾長ブログ

文部科学省の幼稚園教育要領について

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、文部科学省の進めようとしている教育改革に留意しつつ、日々塾生と努力をしています。

さて、文部科学省は、幼稚園教育要領の解説書を公表したという記事が目につきました。産経新聞(2018.4.4)の「幼稚園でどんな力を育てる?4月からの新教育要領」からの引用です。http://www.sankei.com/life/news/180404/lif1804040001-n1.html

文部科学省は、幼稚園教育要領の解説書を公表しました。

 2018年度から全面実施される新しい幼稚園教育要領の考え方などを解説したものですが、幼稚園と小学校とのつながりを重視して、幼稚園修了時までに子どもたちにどんな力を身に付けさせるべきかという「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」を説明しています。保護者が知っておくべきポイントは何でしょうか。

「資質・能力」は幼稚園も同じ

 「小1プロブレム」と言われるように、遊びを通して学ぶ幼稚園から、教科の授業が中心となる小学校に上がる段階で、戸惑う子どもたちは少なくありません。最近では「スタートカリキュラム」と呼ばれる子どもの発達の変化に合わせたカリキュラムを作成する小学校も増えています。小中学校などの次期学習指導要領は、知識偏重から思考力などの育成を重視する方向に転換しようとしていますが、幼稚園はどうなのでしょうか。

(1)知識・技能(2)思考力・判断力・表現力等(3)学びに向かう力・人間性等…という三つの柱で資質・能力を身に付けさせるという基本的な考え方は幼稚園でも同じですが、(1)と(2)には「~の基礎」を付けています。これについて解説書は、知識・技能の基礎を「豊かな体験を通じて、幼児が自ら感じたり、気付いたり、分かったり、できるようになったりすること」と説明。思考力・判断力・表現力等の基礎は、「気付いたことや、できるようになったことなどを使い、考えたり、試したり、工夫したり、表現したりすること」としています。こちらのほうが、保護者もイメージしやすいのではないのでしょうか。

教え込みとは無縁

 そして、これらの資質・能力を身に付けた「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」を例示して、教員が一人ひとりの子どもたちに必要な支援をしていくよう求めています。

具体的には、「健康な心と体」「自立心」「協同性」「道徳性・は、規範意識の芽生え」「社会生活との関わり」「思考力の芽生え」「自然との関わり・生命尊重」「数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚」「言葉による伝え合い」「豊かな感性と表現」の10項目です。

 たとえば「思考力の芽生え」は、遊びや体験の中から「それぞれの幼児の考えを受け止め、そのことを言葉にして幼児たちに伝えながら、更なる考えを引き出していくこと」や「他の幼児との意見や考えの違いに気付き、物事をいろいろな面から考えられるようにすること」などとしています。

 また、「数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚」では、遊びの中で人数を数えたりするなど具体的な指導方法を示すと同時に、「正確な知識を獲得することを目的にするのではないことに十分留意する必要がある」と注文を付けています。

 小学校に上がるまでに、きちんと学習態度や生活習慣、学力を身に付けさせておきたいと思う保護者は多いことでしょう。しかし、小学校との接続を重視する幼稚園教育要領解説が求める「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」は、文字や数字を覚えておくことではなく、さまざまなことに興味・関心を持ち、自分と異なる人間と付き合う基礎を身に付けることのようです。

・・・この記事では、「小学校との接続を重視する幼稚園教育要領解説が求める「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」文字や数字を覚えておくことではなく、さまざまなことに興味・関心を持ち、自分と異なる人間と付き合う基礎を身に付けることのようです。」と結論付けていますが、そのためのアプローチがまさに難題です。様々なことに興味・関心を持たせるためには、その為に必要な言葉の量と質を身に付けさせる必要があります。「言うは易く行うは難し」と考えるのは、筆者だけではないと思います。

posted by at 18:05  | 塾長ブログ

優れた授業

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、小学校からは学校の「授業」をしっかり学ぶことが何よりも大事だと考えています。近年の一部の風潮に、受験の為に学校での授業や教科書を大事にしなくてもよい、といったことが行われている例があります。これは学校の先生方に「授業力」がないことが原因とも言われています。戦後の日本の教育する力を貶める施策(米国主導)である師範学校の廃止は、七〇年経過すると、大きなマイナスとなって日本の教育に影を落としています。

さて、日本の教育界で長年教鞭をとられ、、教育の技術を法則化する運動をされている向山洋一先生の記事が目につきました。産経新聞(2018.4.4)の「優れた授業は努力からうまれる お手本を見て学び、何年もかけて」からの引用です。http://www.sankei.com/life/news/180404/lif1804040006-n1.html

授業の上手(うま)い教師がいる。下手な教師もいる。下手な教師は上手くなるように努力しなければならない。上手い教師のお手本を見て学び、やってみる。問題点を指摘され修正する。簡単な道のりではない。何年もかかる。誰だってそうやって上達していくのだ。

 ところが、校内研でも教委の研修でも、「授業の上手さ」について、ほとんど検討されていないという。指導主事や管理職が主に指摘するのは「『めあて』と『振り返り』を板書したか」「1時間の学習の流れを構造的に板書したか」といったことだ。しかも形式的すぎる。例外を認めない。ベテラン教師でも従うよう指示される。板書の仕方が全クラスで統一されていることを誇らしげに保護者に語る校長もいる。形だけは同じだが、子供をひきつけるエネルギーがその授業にはない。

 授業によって子供たちが熱中したのか、学力は上がったのかが大切である。その大切な点を見ていないのだ。

 私は、授業は上手い方であったと思う。全国からの参加者が千人以上になる公開研を幾度も経験してきた。筑波大付属、広島大付属、新潟大付属などでの公開授業をしてきた。著作も数多く著してきた。しかし、「めあてと振り返り」を板書したことは一度もない。「構造的な板書」もしていない。

それでも(だからこそ)、子供たちの学力は上がった。教室のすべての子が熱中して学習に取り組んだ。教師の力量とは「めあてと振り返りの板書」といった形式的なことにあるのではない。熱中する授業をするところにある。新しい学習指導要領では子供たちの「主体的・対話的で深い学び」が重視される。討論的な授業が期待される。この方針がすべての教室で生かされることを願う。

 授業の力量を上げ、子供たちを引きつけるためには原則的なことを学ぶことがまず必要だ。

 『授業の腕をあげる法則』という私の本は、教育書では史上最も売れたベストセラーでありロングセラーである。三十数年前に出版され、毎年数回増刷されこれまでに50万冊以上が先生方の手に渡っていった。この本の中で私は、授業の原則を10カ条にして示した。例えば「指示するときはその意味を説明しなさい」「一時に一事を指示しなさい」「発問・指示は短く限定して述べなさい」といったことである。

 次のような原則に基づく授業行為が必要なのである。

 (1)授業の導入でどのように子供たちを引きつけていたか。

 (2)教師の発問は子供たちをどのように思考させていたか。

 (3)指示は全員の子供をまきこみ、適切に活動させていたか。

 (4)授業のリズム・テンポ、時間配分等は流れるようであったか。

 (5)にこやかに子供と目線を合わせて授業を展開していたか。

 

こういった内容がもっと大切にされなければならない。TOSSでは文部科学省の委託事業を受け「若手教員の授業力」について研究した。ぜひアクセスしていただきたい。(toss.gr.jp/kyoushiryoku/

 戦後、師範学校が廃止され、教員養成はリベラルアーツの学部として出発した。師範学校で教えていた授業技術や学級経営などの実務に優れていた教員たちは職を追われた。海外の教育思想は紹介されるようになったが、発問の仕方も、机間巡視の仕方も分からない素人同然の教員が大量生産された。

 日本の教師の長い年月をかけた努力をひきついでいくことをTOSSは自分に課している。

・・・熱意を持ち意欲のある先生方は沢山おられるはずです。ところが指導や訓練する「先生の先生」や「先生の先輩」を配置し、研修システムを充実しなければ、先生方の力量を上げていくことは出来ません。子供さんたちの学力の低下は、先生方の教育力・指導力の低下がもたらしていると言っても過言ではありません。意欲ある先生方を応援していかなければ、未来ある子供達の学力を上げることは出来ません。

 

posted by at 18:56  | 塾長ブログ

英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 18

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、鉢植えの花々も明るく色付き、櫻の満開に合わせているかのようです。

さて、英語と歴史を同時に学ぶ」シリーズです。第4章 近代の日本と世界(1) 幕末から明治時代 第1節 欧米諸国のアジア進出 の続きになります。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%204%20Section%201,%202.pdf

  Topic 50 – The rise of the sonno joi movement
How did the sonno joi movement arise during the waning years of the Edo shogunate?

The conclusion of the Treaty of Amity and Commerce
In 1858 (Ansei 5), the shogunate went ahead and concluded the Treaty of Amity and Commerce with the United States, despite the Imperial Court’s pointed refusal to sign on. Consequently, five ports, Hakodate, Kanagawa, Niigata, Hyogo (now Kobe), and Nagasaki, were opened to American trade.

Soon after, Japan signed similar treaties with other foreign countries.1 However, these were unequal treaties, in that Japan forfeited tariff autonomy, meaning its right to set its own import duties, and guaranteed extraterritoriality to foreign nations, meaning their exclusive right to try their own citizens in consular courts for any crimes they committed on Japanese soil.

*1=In accordance with the treaties, trade in Japan was carried out with gold and silver coins used by foreign countries. However, the exchange rate in Japan was one gold coin to five silver coins, whereas in foreign countries it was one to fifteen. Because of this large disparity, Japan’s gold was flowing abroad and being rapidly depleted at home, which put significant strain on the economy.

 

 

50 尊王攘夷運動の展開

 幕末の尊王攘夷運動は、どの様な経過をたどっていったのだろうか。

 日米修好通商条約の締結

 幕府は、朝廷の許可を得られないまま、1858(安政5)年、日米修好通商条約を結び、箱館(函館)、神奈川、新潟、兵庫(神戸)、長崎の5港を開いた。

 その後、日本は諸外国と同様の条約(*1)を結んだが、これらの条約は、日本における外国人の犯罪を日本側で裁くことができず(領事裁判権)、日本に輸入関税率を自由に決定する権利(関税自主権)のない、不平等条約だった。

*1 この条約により、外国の金貨銀貨が通用するようになった。ところが、金銀の交換比率が日本でおよそ1対5、外国で1対15と、約3倍の差があったため、金貨が大量に海外に流出し、国内経済を混乱させる原因となった。

 

 The sonno joi movement

The conclusion of the Treaty of Amity and Commerce elicited a storm of criticism from those who felt that the shogunate had ignored the will of the Imperial Court and surrendered to foreign pressure. This discontent gave rise to a new political movement, insisting that Japan preserve its independence. The slogan adopted by its supporters was sonno joi, which means “revere the emperor and expel the barbarians”. Between 1858 and 1859, Great Elder Ii Naosuke, a proponent of the shogunate’s decision to sign the treaty, launched a far-reaching crackdown on all the court nobles, daimyo, and patriotic samurai who had criticized the diplomatic policies of the shogunate and were sympathetic to the sonno joi movement. Tokugawa Nariaki, the former daimyo of Mito Domain, was placed under permanent house arrest, and Yoshida Shoin of Choshu Domain (modern-day Yamaguchi Prefecture) and Hashimoto Sanai of Echizen-Fukui Domain were both beheaded. This is referred to as the Ansei Purge.

In 1860 (Manen 1), as Ii Naosuke was passing near Sakurada Gate on his way to Edo Castle, he was ambushed and killed by masterless samurai, many from Mito Domain, who wanted revenge 

for the Ansei Purge. The assassination of Ii Naosuke, known as the Sakurada Gate Incident, was a major blow to the shogunate, which had lost its strongest leader in a single stroke.

The Choshu Domain, whose territory had been reduced by the shogunate hundreds of years earlier following its defeat at the Battle of Sekigahara, became the focal point of opposition to the shogunate’s policies. Yoshida Shoin had left a profound impact through his passionate advocacy of sonno joi at Shokason-juku, a private academy in Choshu. After Yoshida’s execution during the Ansei Purge, his former students, such as Takasugi Shinsaku and Kido Takayoshi, became powerful figures in Choshu politics. At their direction, Choshu joined forces with certain court nobles and gradually convinced the Imperial Court to take a hard-line stance in favor of expelling the barbarians.

 

Excerpts from the Treaty of Amity and Commerce

“Article 4 – Duties shall be paid to the Government of Japan on all goods landed in the country, and on all articles of Japanese production that are exported as cargo, according to the tariff hereunto appended.”

“Article 6 – Americans committing offenses against Japanese shall be tried in American Consular courts, and, when guilty, shall be punished according to American law.”

桜田門外の変(江戸東京博物館蔵)

 

尊皇攘夷運動

幕府が朝廷の意向を無視して通商条約に調印したことに対し、外国に屈服したとの批判が沸き起こった。その批判は朝廷を盛り立てる尊王と、外国を打ち払う上位の要求が結びついて日本の独立を守ろうとする尊皇攘夷運動に発展していった。条約の締結を推進した幕府の大老・井伊直弼は、1858年から翌年にかけて幕府の外交方針を批判して尊皇攘夷を唱える公家、大名、志士たちを大量に処罰した。前水戸藩主の徳川斉昭は永蟄居を命ぜられ、長州藩(山口県)の吉田松陰や越前福井藩の橋本左内は斬刑に処された。これを安政の大獄という。

1860(万延元)年、井伊直弼は江戸城に出勤する途上、桜田門の近くで、安政の大獄に憤った水戸藩などの浪士達に暗殺された(桜田門外の変)。最高責任者が暗殺されたことにより、幕府の権威は一挙に失われた。

買って関が原の戦いに敗れて領地を縮小されていた長州藩は、幕府批判勢力の中心だった。吉田松陰は、松下村塾という私塾で、弟子達に尊皇攘夷を説いて大きな感化を及ぼしていた。松陰が安政の大獄で処刑されると、その弟子であった高杉晋作や木戸孝允らが班を動かすようになり、長州藩は一部の公家と結んで、朝廷を強硬な攘夷論へと導いていった。

 

日米修好通商条約

第4条 すべて日本に輸入・輸出する商品は別に定める通り、日本政府へ関税を収めること。

第6条 日本人に対して法を犯したアメリカ人は、アメリカ領事裁判所で取り調べの上。アメリカの法律によって罰すること。(一部要約)

 

・・・外交交渉における米国の圧力と、国内の尊王攘夷運動との板挟みになった江戸幕府。現在からみれば、結果が分かっているので、何故と思うことでも、当時の幕府の要路に居た老中などの政治家の苦悩は計り知れません。現在の政治家と比較するのも烏滸がましいですが、幕府を支える武士には人格・識見共に素晴らしい人物が多く存在していました。

posted by at 12:00  | 塾長ブログ

受験で求められる力

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、春期講習中です。このような長期休暇は、子供さん達にとって成長する良い機会です。様々な科目の学習だけではなく、関連する事項や、普段学ぶ時間が取れないこと、また実地に学べるものなどにも時間を割くことが出来ます。図書館・美術館・博物館・科学館など、公共施設も活用したいものです。遠近に関わらず、数日間の小旅行も世間を知る良い機会です。

さて、「これからの高校受験で求められる力とは」という産經新聞(2018.3.30 )の記事が目につきましたので引用してご紹介します。。http://www.sankei.com/life/news/180330/lif1803300004-n1.html

これからの高校受験で求められる力とは

大学入試改革の方向性を受けて、高校入試でも思考力・判断力・表現力を問う問題が増えています。「受験生」というと、学校の後は塾などに通い、机に向かってひたすら勉強…といったイメージを持つかたが多いと思いますが、机の上での勉強時間が長ければ思考力がつくとは限りません。

 

変わりつつある高校入試

 まず、お住まいの地域の公立高校の入試問題を、ぜひお子さまと一緒に見ていただきたいと思います。

 都道府県によって差はありますが、「自分の学生時代とは違うなあ」という印象をお持ちになる保護者のかたが多いのではないでしょうか。

 たとえば東京都(2018年)の社会では、「写真を見て、その撮影地点が含まれる地形図を選ばせる」、「1961年に制定された『農業基本法』の内容と関連して、同じ地域の地形図を見比べ、道路の変化について簡単に記述させる」「『情報』をテーマに、様々な時代の出来事を述べた選択肢を年代順に並べる」といった問題が出されています。

 また、英語では英文を聴いて答えを自分で書く問題や、英文のEメールを読んで、その返信の内容を考え、条件に合うように3つの英文を書く問題が出ています。

 すべて中学校で習う基礎事項をもとにした問題ですが、解答するためにはどの知識が使えるか、頭を柔軟に働かせる必要があり、覚えた用語をそのまま答えればよいような問題は減っています。

求められるのは初見の問題にも対応できる力

 都道府県や高校によっては、たとえば神奈川県の「特色検査」のように、教科を超えた総合的な問題や作文・小論文、スピーチなどを課すところもあります。文書やグラフ・表、写真や絵画など様々な資料を読み取り、自分なりに問題点を理解した上で「自分の考えを述べる」「解決策を考える」というような、正解がひとつに決まらない問題は、今後ますます増えていくでしょう。

 その背景には、学習指導要領の改訂と、それと並行して進められている大学入試改革があります。初めて出会った問題に対して柔軟に思考し、対応する力が求められているのです。このような力は、これからの変化の激しい時代を生き抜く上で、必ず役に立つのではないでしょうか。

受験勉強のイメージも変わる?

 初見の問題にも対応できる思考力・判断力・表現力をつけるには、中学で教わる基礎事項を、使いこなせるレベルまでしっかりと身につけておくことが大切です。その上で、社会の動きに関心を持ち、「これはなぜだろう」「こんなとき、自分ならどうするだろう」などと様々な角度から考えることに慣れておく必要があります。

 受験生活も「毎日、学校と家、塾などの往復だけ」「机に向かってひたすら暗記と問題演習」といった従来のイメージとは違ってくるでしょう。保護者のかたは、新聞やテレビのニュース、生活にまつわる身近な出来事を家族で話題にする、一緒に学校見学や社会見学に出かけるなど、お子さまの「考えるきっかけ」づくりに協力していただければと思います。

・・・大学入試改革プラス学習指導要領の改訂は、高校のみならず、中学・小学校の指導内容に大きな影響を与えます。常々申し上げているように、子供さん達に「考える力」をつけ、その上でそれを「表現する力」をつけるには、幼少期からの「読む」・「書く」訓練は必須です。年齢が来たら、自然に覚えるようになる、というのは、ある意味博奕のようなものです。確かに、一見放っているように見える子供の中で、利発な子は確かに存在します。しかし、「玉磨かざれば光なし」という様に、どんなに素晴らしい宝石の原石であっても、上手に研磨しなければ、光輝な光を放たない様に、学力の基礎は徹底して行う必要が有ります。

posted by at 12:30  | 塾長ブログ
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