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学校はそもそも何をする所か

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生がしなければならない学校の宿題から始めます。学校の授業が、学びの根本と考えるからです。それぞれの学校の先生方が、一所懸命に準備して下さった授業のメッセージが宿題に託されています。

さて、「学校はそもそも何をする所か」と、様々な思いを込めた記事が目に入りました。産経新聞201.2.7

http://www.sankei.com/life/news/180207/lif1802070007-n1.htmlからの引用です。

学校はそもそも何をする所か 「学びを軽んじる教育機関」にさせてはならない 教育評論家・石井昌浩

 鎌倉初期・足利学校創立のときから、学校はひたすら学ぶところだった。

 学校の機能には多様なものがあるが、いかなる時代にあっても学ぶことがその中核だった

 時が移り、今では、部活動が教師の長時間労働を招き、教師を疲弊させる元凶のように言われている。しかし、これは「木を見て森を見ない」批判ではないかと思う。

 たしかに、OECDの調査では、日本の小・中学校の教師の勤務時間は対象国で最長である。しかも授業に使う時間が対象国の平均を下回る一方、部活動など課外活動の指導の時間が際立って多い。文部科学省の調査でも、長時間勤務が浮き彫りになっている。過労死の危険が高まるとされる月平均80時間を超す残業をする公立学校の教師が中学校で約6割、小学校で約3割に達している。

 ここ数十年、学校、特に公立学校が困難に陥っている最大の原因は、学校が伝統として守ってきた教育機能が総体として衰えたことにあると思う。これは部活動を工夫して時間を短縮すれば解決するほど単純な話ではない。部活動の在り方を含めて、学校が抱える問題全般が噴き出した結果とみるべきだ。

 ところで、子供たちが学校で学ぶ内容は学習指導要領で定められていることは大方の保護者が知っている。指導要領を基にして教科書がつくられ、子供たちが、何を、いつ、どのくらい学ぶかを決めているのも指導要領である。指導要領に従い学校がカリキュラムとか時間割といわれる教育課程を定める仕組みになっている。

 ちなみに、平成29年3月に改定された学習指導要領は、部活動について、学校運営上の留意事項として、概略次のように説明している。「教育課程外の学校教育活動と教育課程の関連が図られるように留意するものとする。特に、生徒の自主的、自発的な参加により行われる部活動については、スポーツや文化、科学等に親しませ、学習意欲の向上や責任感、連帯感の涵養(かんよう)等、学校教育が目指す資質・能力の育成に資するものであり、学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること」

 この記述で明らかなように、部活動は正規の教育課程には位置づけられていない。しかし、学校教育の一環でもあるため、教育課程との関連にも留意するように念押しされている。丁寧な書きぶりだが、分かるようで分からない、あいまいで複雑な言い回しである。

 ここで、子供たちを取り巻く教育環境を見渡してみると、学校が教科指導の力を失った部分を、学校外教育機関である塾や進学教室が補っている事実が明らかになる。学校教育の根幹である教科を教える機能の「外注化」が進んだ結果として、学校は次第に、部活動や生活指導に重点を移さざるを得なくなってきているのだ。

 見逃せないのが近年の大学入試の在り方の変化が、学校の部活動重視の傾向に拍車をかけていることだ。「部活がウリ」になるからだ。私立大学の入試の45%がAO入試と推薦である。最近は私立だけでなく国公立大学でもAO入試・推薦方式を導入する動きが加速している。

 教師の本当の値打ちは日常の教科指導の場面で試される。多くの教師は十分に時間をかけて準備した授業で子供たちに接したいと、心から願っている。

 授業以前に疲れ果てて、授業準備にあてるゆとりのない学校など本末転倒だ。学舎(まなびや)の伝統を守り続けてきた日本の学校を「学びを軽んじる教育機関」にさせてはならない。

・・・学校の先生方の悲鳴を代弁しているかのような論説です。

筆者は、塾を主宰していますが、公立・私立の学校が本来の教育を純粋に追求出来ていれば、学校の授業を補完するような、また受験をする為だけの塾は、本来不要と考えます。要は、これからの日本を支える子供達を、大人が如何に支え、その力を伸ばしてあげることができるか、です。学校の先生方も悩んでおられることでしょう。それらの先生方の力を発揮出来る様にすることが、これからの日本の教育を良き方向へ導いていくことになります。

 

 

 

posted by at 23:35  | 塾長ブログ

英国の話 2

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、日々の学びに、辞書を手にしての漢字の練習は欠かせません。

さて、英国がらみの話題が目に付きました。

「加瀬英明のコラム」 Date : 2018/02/07 (Wed) 「イギリス王室に見る尊厳と大衆化の相克」 http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgiから。

ヘンリー・オブ・ウェールズ王子と米女優メーガン・マークル

 和歌「君が代」は、おそらく世界で今日まで歌い継がれている、もっとも古い祝歌であろう。

 1000首以上を収録している、『古今和歌集』(西暦905年)に載っているが、もとの歌は「わが君は千代に八千代に‥‥」と始まっており、庶民も含めて、婚礼をはじめとする祝賀の宴で、祝われる者の長寿を願って、朗唱されてきた。

 明治に入って、西洋に倣って国歌が制定されると、「わが君」を「君が代」に置き換えた。

 私は『君が代』を斉唱するたびに、心が高揚する。

 おそらく人類の祝い事のなかで、世界のどこにおいても、結婚がもっとも寿(ことほ)がれるものだろう。結婚するから、人類が存続でき、未来を手にすることができることを、理屈抜きで知っているからだろう。

 昨年11月に、イギリスのヘンリー王子(イギリスでは、ハリー王子の愛称で呼ばれる)と、美しいアメリカ女優のメーガン・マークルさんの婚約が発表され、日本のマスコミも騒がした。

 マークルさんはカトリック(旧)教徒だが、2人の婚約はイギリスで王族がカトリック教徒と結婚することを禁じた王位継承法が、2013年に改正されたことによって、可能になった。イギリス国教会は中世にカトリック教会から独立して以来、敵対していた。

 マークルさんには1回、離婚経験があり、前夫のハリウッド映画プロデューサーが健在であることも、妨げにならなかった。

 また、マークルさんの母親がアフリカ系の黒人であることも障害にならなかったが、5、60年前のイギリスであったら、考えられなかったことだった。

 チャーチル元首相をはじめ、国民のほぼ全員が白人の優位を確信し、劣る有色人種を植民地支配していたことを、正当化していた。日本が先の大戦でアジアを解放し、その高波がアフリカまで洗ったことによって、人種平等の世界がもたらされたのだった。

 ハリー王子とマークルさんの2人の幸せを、祈りたい。

 もっとも、私はイギリス発祥の『ブリタニカ大百科事典』の最初の外国語版の編集長をつとめていたことから、エリザベス女王の妹君のマーガレット王女が来日された時に、大使館主催の歓迎パーティでお話する機会があったが、マークル妃と会って、同じように敬意を払えないと思う。

 エリザベス女王がフィリップ殿下と結婚された時には、王族が結婚できるファミリーは200あまりしかなかったろうが、この40年のあいだに、社会規範が大きく変わった。

 ハリー王子の父君のチャーチル皇太子がダイアナ妃と結婚したのは1981年だったが、ダイアナ妃は下級貴族の出身だったから、イギリス社会が“シンデレラ・ストーリー”として沸くかたわら、驚かせた。

 開かれた王室は、大衆の手の届くところに降りてくるから、大衆化して王室らしくなくなる。王家という家を基準とせずに、自分本位の自由恋愛によって、配偶者を選ぶことになると、王家を支える尊厳が失われてしまう。

 その家にふさわしい配偶者ではなく、自分本位に自由に相手を選ぶことによって、結婚と家が切り離された。

 ついこのあいだまで、世界はどこへ行っても貧しかった。そのために家族や、地域社会の人々が生活を支え合ったが、物質的な豊かさがもたらされたことによって、人類にとって当然のことだった絆を、破壊してしまった。

 子育て支援や、生活保護などの福祉制度も、このような傾向を助長している。

 結婚は今日のように悦楽ではなく、家や、社会に対する務めであって、神聖な行為だったから責任をともない、自制と節度を必要とした。人類を存続させるためという、暗黙の了解があったにちがいない。

・・・昨今のおめでたい結婚の話の背景には、様々な逸話があります。結婚を望む当事者は、お互いの姿しか目に映って居ません。しかし、新郎・新婦には、それぞれの家族があり、両親の思いもあります。「結婚は今日のように悦楽ではなく、家や、社会に対する務めであって、神聖な行為だったから責任をともない、自制と節度を必要とした。人類を存続させるためという、暗黙の了解があったにちがいない。」という言葉には、日本の歴史を踏まえた大きな意味合いが含まれています。結婚後に思い悩むより、結婚前に様々な場合分けをして、生涯の伴侶となる人を互いに見極める必要はあります。これは、将来の子や孫などの卑属(基準となる人より後の世代の血族)に繋がっていくことだからです。

 

 

posted by at 11:20  | 塾長ブログ

英国の話 1

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、日々、新鮮な情報に接しながら、塾生に何を伝えていくべきかを考えています。世界中、それぞれの国で、子育てに苦労し悲喜交々の日々の暮らしがあります。日本は、他の国々からすると相当恵まれた社会です。何故なら、所謂「Street Children(ストリート・チュルドレン)」を、街中で見ることはないからです。「上を見ればキリなし、下を見ればキリなし」と言われるように、本当に悲惨な暮らしをしている子供達が、(他国と比較すると)居ないのは、それだけ日本の先人達が苦労されて作り上げた安心できる社会であるからだと言えます。

筆者がかって見た上海の街角には、両足の膝下がない十歳前後の男の子(上半身裸で、ボロ切れのようなパンツを穿き、滑車の四個付いた合板に体を載せて、手で這いながら移動する)が、乞食をしている姿がありました。日本の社会では見られない衝撃的な光景です。また、赤ん坊を抱えた見窄らしい母親が、渋滞している道路の中を縫うようにしてそれぞれの車の運転手に対し、空缶を手に小銭を恵んでくれるよう乞うている場面にも遭遇しました。

それらと比べると、日本の子供達ははるかに恵まれていると言えるでしょう。だからこそ、しっかり学んで「世の為人の為になる」人物になってほしいと願って居ます。

さて、「1万年前の英国人」の記事が目に付きました。産経新聞2月8日http://www.sankei.com/world/news/180208/wor1802080031-n1.htmlからの引用です。

発表された約1万年前の英国に住んでいたヒトの頭部の復元=7日、英ロンドンの自然史博物館(AP、提供写真)

 

1万年前の英国人、黒い肌 骨からDNA解析

 英国の洞窟で見つかった約1万年前のヒトの骨から採取したDNAを解析した結果、現在の英国に当時住んでいたヒトは緑がかった青い瞳で、肌は「浅黒い色から黒い色」だったことが明らかになった。ロンドンの自然史博物館が7日発表した。

 研究チームは、英国にいたヒトが白い肌になったのは、これまで考えられていたよりずっと後の時代だった可能性があると分析している。

 同博物館と英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのチームは、1903年に英南西部のチェダー渓谷で見つかった「チェダーマン」の遺伝子を調査。チェダーマンは中石器時代の狩猟採集民で、ほぼ完全な形で見つかった人骨としては英国で最も古い。

 解析の結果、チェダーマンの肌には、サハラ砂漠以南のアフリカ人に通常見られるような色素沈着の特色があり、髪の毛は浅黒い巻き毛だった。男性で身長は166センチ、20代とみられる。(共同)

・・・現代の科学の力で、ここまで解析出来るのですね。人の起源はアフリカにあると言われていますから、英国のみならず、日本にはどのようにして我々のご先祖様が来られたのでしょうか。我国には、「古事記」という立派な記録がありますから、いつの日にか神話と言われる分野も実証できる日が来るかもしれません。考古学の未来に期待したいところです。

 

posted by at 13:23  | 塾長ブログ

英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 13

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、日本人として当然のことですが、しっかり挨拶をすることができることを重視しています。子供さん達が長じて社会に出たときに、挨拶、言動・行動にメリハリのある人となってもらいたいと考えるからです。人前で、しっかり声を出すことは元気あることの物指しです。

さて、英語と歴史を同時に学ぶ」シリーズです。第4章 近代の日本と世界(1) 幕末から明治時代 第1節 欧米諸国のアジア進出 の続きになります。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%204%20Section%201,%202.pdf

Europe’s Industrial Revolution

The dawn of the eighteenth century brought changes to the daily lives of the peoples of Europe. Traditional woollen fabric fell out of favor, and people instead began to wear clothing made of cotton imported from India. Cotton was not only lighter and more durable than wool, but also cheaper and more sanitary. It became so popular that the production of cotton garments, which were hand woven with simple tools, could not keep pace.

In the face of this mounting demand, a variety of new machines were invented in late-eighteenth century Great Britain to quickly mass-produce cotton textiles. There were both spinning machines to create thread and weaving machines to manufacture the garments. To generate the energy needed to run the new machines, more powerful coal-burning steam engines were developed. People clustered in large factories and worked in groups alongside the machines. Productivity rose dramatically, fulfilling the needs of society and even generating new demand. These remarkable advances in the production process are referred to as the Industrial Revolution.3

*3=Great Britain was once an agrarian society with a vast rural countryside traversed only by quiet, horse-drawn carriages. However, the Industrial Revolution transformed Great Britain into an industrial society crisscrossed by iron railway tracks and dotted with great cities filled with smoke-belching factories.

Over the course of the nineteenth century, France, Germany, and the United States experienced their own industrial revolutions. After having undergone both industrial and people’s revolutions, the Western nations sought to expand their power worldwide.

イギリスの産業革命 1840年ごろのシェフィールドの製鉄工業。煙突から出る煙で空がどんより曇っている。

 

 ヨーロッパの産業革命 

18世紀になると、ヨーロッパの人々の生活に変化が起こった。人々は従来の毛織物に変わって、インド産の木綿を原料にした軽くて丈夫な綿織物の衣服を好んで着用するようになった。綿製品は、衛生的で安価なことでも人気があり、簡単な道具を用いた手作業では、生産が間に合わないほどだった。

 このような需要を背景に、18世紀の後半にイギリスでは、綿糸を作る紡績業や、綿糸で布を織る綿織物業の分野で、素早く大量に製品を製造できる機械が次々と発明された。また、石炭を燃料とする蒸気機関も改良され、紡績機や織機など動力として用いられるようになった。人々は大きな工場に集められ、機械のそばで集団で働いた。生産力は飛躍的に増大し、社会の需要を満たすとともに、新しい需要を作り出していった。このような生産方法の大革命を産業革命*3という。

*3=かってのイギリスは、田園が広がり、馬車がのどかに行き交う農業中心の社会だった。しかし、産業革命の結果、黒い煙を吐き出す工場が立ち並ぶ都市が出現し、鉄道も発達して、工業中心の社会に変化していった。

 産業革命は、19世紀にはフランス、ドイツ、アメリカにも広がっていった。市民革命や産業革命を達成した欧米の国々は、世界各地に進出する動きを加速させた。

ランカシャーの織物工場 蒸気機関の導入で様々な生産工程が動力化された。

 

綿織物の輸出額の推移 産業革命とともに、インドからの製品輸出はほとんど消滅している。

 

・・・現在も政治経済分野で時折問題となる国際通商摩擦の起点が「産業革命」にあったのですが、小・中学生の歴史の教科書で「産業革命」を学んでも直ぐには理解できません。子供さん達には、分野を問わず様々な事柄や知識を身につけてほしいものです。多くの知識を得ることは、物事を論理的に考えたり判断する際に、大きな力となります。マス・メディアやインターネット、様々な書物から学ぶことは多々ありますが、比較検討してわが身に取り入れる術を、子供さん達は物心が付いてから学んでいかなければなりません。

 

posted by at 15:14  | 塾長ブログ

小学校英語導入に対するある識者の見解

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、文部科学省の小学校英語の教科化に対する関心の高まりが、一部マスコミや英語教材関連業者や英語教室などの利害関係者の中では顕著ですが、英語に造詣の深い識者などからは、寧ろ英語の小学校導入に批判的であることを興味深く観察しております。

様々な識者の中で、藤原正彦 お茶の水女子大学名誉教授の書物やエッセイなどに首肯(しゅこう:肯定的に同意すること)することが多々あります。藤原先生は、アメリカ留学記「若き数学者のアメリカ」(1977年)で、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞され、「国家の品格」でベストセラーを取られた数学者。エッセイストとしても活動。身辺雑記からイギリス滞在記や科学エッセイ、数学者の評伝に至るまで様々なジャンルに筆を割かれています。

藤原正彦 お茶の水女子大学名誉教授

父は、「太郎・次郎・三郎」と称される、戦後日本の代表的な小説家「司馬遼太郎・新田次郎・城山三郎」のなかの新田次郎です。

新田次郎

また、母藤原ていは、敗戦後の昭和二十年(1945)、日・ソ不可侵条約を一方的に破り、多くの日本の無辜の民を殺戮したソビエト軍の追撃の中で、子供を抱えながら満州から引き上げ、遺書のつもりで書き上げた体験記「流れる星は生きている」を書かれたベストセラー作家です。

藤原てい

藤原先生の英米を含めた諸外国の体験を踏まえての、小学校英語の導入についての以下のエッセイ「管見妄語」(週刊新潮2月第1週)が目に入りました。そのテーマは、ズバリ「愚かなる小学校英語」。あまりに的確、正論故、引用してご紹介します。

 愚かなる小学校英語

二〇〇二年、国際理解教育の一環として英語が小学校で教えられることになった。二〇一一年に小学校五、六年生の必修となり、二〇二〇年にはいよいよ教科に格上げされる。教科になるということは、教科書が作られ、テストが行われ、通知表に成績がつくということである。さらに三、四年生も必修となる。こうなれば私立中学入試にも英語が入り、英語教育が一気に加熱するだろう。日本の初等教育が一変する。

一九九〇年代から英語教育関係者が中心となり、「世論の高まり」を理由に小学校英語の導入を主張し、それに経済界や文科省が乗ったから、導入、必修化、教科化と三段跳びの格上げがなされたのである。実際、ほとんどの世論調査や意識調査で、約八割の国民が小学校英語を支持してきた。しかし世論の中味を精査した研究によると、英語の不得意な人々が小学校英語の主たる支持層という。また、最近の統計では、国民の九十一%英語を不得意に思っているという。私は、海外で活躍した人々や大学の英文科教授で小学校英語を支持する人に、出会ったことは一度もない。彼らは、国語をまずしっかり身に付けることが先決で、英語は中学校から始めても遅くない。国際人になるには流暢な英語より教養、ということを知っているからだ。発音は早期に始めた方が多少はよくなろうが、英語が国際語となった今日、フランス人は仏語訛り、中国人は、インド人は・・・・・と訛り丸出しで話しているのも知っている。小学校英語支持とは、英語に対する漠然とした憧れ、英語を話せないのは小学校から勉強しなかったからという誤解などの反映といって過言ではないのだろう。日本の将来、子供の将来を深く考えた末での世論とはとても思えない。そもそもAIの専門家たちは、十年足らずでスマホに自動音声翻訳機能がつく、と断言している今日なのだ。世論調査とは、個人的感情や自らにとって有利か不利かの計算によって回答されるものである。その世論を大事にする政治のおかげで、英語は我が国の小学校におけるハイライト教科になるだろう。英語導入の当初から反対していた私は、「小学校五、六年で始めても効果が上がらないからいずれ三、四年からとなる。それでも効果が上がらず一、二年からとなる。それでも話せるようにはならない。」と十数年前に書いた。その通りになりそうだ。

 小学校教員で英検準一級以上を持つ者は一%もいないという。三人に一人が過労死ラインを超えている教師に更なる大負担が加わる。先生や生徒が英語にかまけていると、学校の一週間は二十数時間しかないから、肝腎の国語や算数など基礎基本にもしわ寄せが来る。英語塾に通う子も増えるだろうから読書の時間も奪われる。小学校時代とは、童話、物語、偉人伝、詩などをできるだけたくさん読み、感動の涙とともに、惻隠の情、卑怯を憎む心、正義感、勇気、家族愛、郷土愛、祖国愛などを胸に吹き込む時だ。この時期を逃しては取り返しがつかない。このままではやがて、英語の発音が少しばかりよいだけの、無教養で薄っぺらな日本人で溢れることになる。それだけではない。世界中の子供が英語を幼少時から学ぶようになれば、英米文学は世界中で読まれ、日独仏露中などの文学は翻訳でしか読めなくなる。政治経済文化と広範な領域で、英語を母国語とする英米の発信力が飛躍的に高まり、英米文化が覇権を握ることになる。小学校英語はこれに手を貸すのと同じだ。地球は多文化であってこそ美しい。チューリップは美しいが、世界中がチューリップ一色だけの地球なんて爆発してなくなった方が良いのだ。我が国における小学校英語とは、幼い頃から英語を上手に操る人への憧れと劣等感を育み、我が国の欧米崇拝や対米屈従を助長し、日本人を愚民化する、最も適切な方法と言えよう。

・・・我が意を得たり、というエッセイです。

国語をしっかり身につける前に、中途半端な英語への取り組みを始めると、ほんの一部の英語も出来る児童・生徒とほとんどの英語も出来ない児童・生徒の集団に分かれてしまうのではないかと懸念します。「英語も出来ない」ということは、基本の国語や算数は無論、社会科目や理科科目も極めて心配な状態になっている可能性が高い、ということです。そのようにならない為の対策をしっかり親御さんは立てておかなくてはなりません。つまり、英語が始まる前までに、国語の力を十分につけること、です。

posted by at 20:06  | 塾長ブログ
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