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「大学入学共通テスト」の必要性

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、ご縁があれば様々な機会を捉えて、学び続けていこうと考えています。先日は、長崎県公立高校入試分析会に参加し、「2020年 大学入試改革」を前提にした公立高校入試の未来を垣間見ました。めまぐるしく変化する国際情勢を踏まえ、日本国も日本人もどのように対応していくか。其の為には、将来の日本を支える日本人をよりよく育てていく教育は非常に大事です。

其の会合の資料に、センター試験後継「大学入学共通テスト」は今どうして必要か、という記事(Educational Network Journal vol.41)があります。これを引用してご紹介致します。

教育改革の必要性

「大学入学共通テスト」は、文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会(以下「中教審」)の答申「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学入学者選抜の一体的改革について」に基づき、2015年に導入が打ち出されました。

これは、「日本は今、人々が思っている以上に大変な状況になっている。今までの教育を続けていたのでは、生き残っていくことができない。今すぐに、教育を変えなければならない。」という危機感の表れです。

<日本の現状>

● 生産年齢人口の減少

● 労働生産性の低迷

● グローバル化・多様化

● インターネットの加速度的な発達と浸透

● 人工知能(AI)技術の実用化  など

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大人が予想しているよりも、はるかに早い世の中の流れ

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これまでと同じ教育を続けているだけでは、これからの時代に通用する力を持つ子供を育むことはできない。

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新たな時代を見据えた教育改革が「待った無し」

これから10年後、20年後の社会がどうなっているのか、その社会で生きていくためにはどんな力が必要とされているのかといったことの「予測」すら難しいほど、変化の波は大きく早いのです。

このような状況の中では、これまでの日本で行われてきた教育は役に立たなくなり、日本という国の存亡にかかわる事さえ有り得る、というのが、現在の日本の学校教育を取り巻く認識なのです。

 

 

 何故今「大学入試改革」なのか?=現在の知識偏重と知識不問 両極端な大学入試

従来型の日本の教育が抱える問題は、大きく二つあります。

一つは、相も変わらぬ知識偏重主義。

もう一つは、知識偏重主義とは対照的に、「思考力・判断力・表現力」どころか、基礎的な「知識・技能」を十分に身につけないまま大学に入学してしまう学生の増加です。

日本の高校生は諸外国の高校生と比べて学習時間が短く、学習内容も不足していると言われます。「大学に行きさえすれば社会で通用する力がつく」と考え、漠然とした目的意識しか持たずに大学受験対策に取り組む高校生が多いため、学習への意欲が十分に育たないのです。

さらに、少子化の影響もあり、AO入試や推薦入試の門戸を広げることで学生数を確保しようとする大学の存在です。学力検査を行わない大学、高校時代の成績を問われずに入学できる大学さえあるのです。

このような教育環境が放置されてしまうと、

● 大学を出て「知識・技能」は十分身についているが、自分で考えたり、判断したり、行動したりするのが苦手

● 大学を出ているのに、基礎的な「知識・技能」さえ身についていない

といった人物が増えてしまいかねません。

こういった事態からの脱却を目指して取り組まれているのが日本の教育制度全体の改革なのです。大学入試制度の改革も、制度の変更が目的なのではなく、大学入試を変えることによって、高校での教育や、大学入学後の過ごし方を変え、これからの時代に必要とされる人材を育成することこそが、本来の目的なのです。

 

・・・確かに現状では、大学は出たけれどその人の持つ認識や基礎学力に疑問を覚える、といった人物が周りにいるのを散見します。小学校程度の算数や国語力、具体的には、分数や割合があやふやで、漢字力不足や敬語を正しく用いることができない、等々、幼児期から小学校の時期にしっかり学んでいない様が目に浮かびそうです。

posted by at 16:11  | 塾長ブログ

「大学入学共通テスト」と小学校英語

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、受験シーズンに入ってきたことから、緊張感が少しずつ高まってきました。受験を控えた塾生は日に日に力を高め、幼くても挑戦することの意味合いを理解して努力を重ねます。

さて、2020年度から従来の「大学入試センター試験」に代わる新たなテストの名称が「大学入学共通テスト」となりました(下記資料参照のこと)。

●「大学入学共通テスト」実施方針策定に当たっての考え方

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/083/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2017/07/20/1388193_6.pdf

この上記資料の中に、「外国語」等における小・中・高等学校を通じた国の指標形式の目標(イメージ)たたき台幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校 の学習指導要領等の改善及び必要な方策について(平成28年12月21日中央教育審議会答申)というものがあります。

これは、小・中・高等学校の各段階を通して「複数の力を統合的に扱う言語活動を通して求められる英語力を身に付ける」ことを目的にしています。

一つの物差しとして、「外国語の学習・教授・評価のためのヨーロッパ共通参照枠(CEFR=Common European Framework of Reference for Languages)」のA1,A2(基礎段階の言語使用者),B1,B2(自立した言語使用者),C1,C2(熟練した言語使用者)の分類を用いています。

基礎段階の言語使用者とは、(文科省は小学校高学年から中学生位までをイメージ)

A1具体的な欲求を満足させるための、よく使われる日常的表現と基本的な言い回しは理解し、用いることができる。自分や他人を紹介することができ、住んでいるところや、誰と知り合いであるか、持ち物などの個人的情報について、質問をしたり、答えたりすることができる。もし、相手がゆっくり、はっきりと話して、助けが得られるならば、簡単なやり取りをすることができる。

A2ごく基本的な個人情報や家族情報、買い物、地元の地理、仕事など、直接的関係がある領域に関しては、文やよく使われる表現が理解できる。簡単で日常的な範囲なら、身近で日常の事柄について、単純で直接的な情報交換に応じることができる。

外国語」等における小・中・高等学校を通じた国の指標形式の目標(イメージ)たたき台

CEFRの物差しを、上記の表で下段から、

小学生をPre-A1とし、中学生をA-1,A-2に相当させて、聞くこと、読むこと、話すこと(やり取り)、話すこと(発表)、書くこと、の5分類に分けて解説してあります。

小学生をPre-A1に例にとると、(筆者注:現在の中学一年一学期レベルか?)

聞くこと 

 ○アルファベットの発音を聞いて,どの文字であるかが わかるようにする。

 ○挨拶や短いごく簡単な指示を聞いて理解することが できるようにする。

 ○ゆっくりはっきりと,繰り返し話されれば,自分に関す ることや身近で具体的な事物を表わすごく簡単な語 句や文を聞き取ることができるようにする。

読むこと

 ○ごく身近にあるアルファベットの文字を識別し,発 音することができるようにする。

 ○音声で十分に慣れ親しんだ,ごく身近で具体的な 事物を表わす単語を見て,その意味を理解できる ようにする。

話すこと(やり取り)

 ○挨拶やごく短い簡単な指示に応答することができ るようにする。

 ○相手のサポート(ゆっくり話す,繰り返す,言い換 える,自分が言いたいことを表現するのに助け船 をだしてくれる など)があれば,自分に関するこ とについてごく簡単な質問に答えることができるよ うにする。

話すこと(発表)

 ○定型表現を用いて,簡単な挨拶をすることがで きるようにする。

 ○自分や身の回りの物事に関するごく限られたこ とについて,簡単な語句や文を用いて話すこと ができるようにする。

書くこと

 ○目的を持ってアルファベットの大文字と小文字 を活字体で書くことができるようにする。

 ○例文を参考にしながら,音声などで十分慣れ 親しんだ語句や文を書き写すことができるよう にする。

中学生をA1に例にとると、(筆者注:現在の中学一年二学期以降レベルか?)

聞くこと 

 ○挨拶や簡単な指示を聞いて理解することができるよ うにする。

 ○日常生活において必要となる基本的な情報を聞き取 ることができるようにする。

 ○ゆっくりはっきりと話されれば,身の回りの事柄に関 する平易でごく短い会話や説明を,視覚情報などを 参考にしながら理解することができるようにする。

読むこと

 ○日常生活において身の回りにある英語の中の語 句や単純な文を理解できるようにする。

 ○平易な英語で書かれたごく短い物語を読んで,視 覚情報などを参考にしながら,あらすじを理解す ることができるようにする。

 ○身の回りの事柄に関して平易な英語で書かれた ごく短い説明を読んで,視覚情報などを参考にし ながら,概要を理解することができるようにする。

話すこと(やり取り)

 ○相手の発話を理解できない場合など,必要に応じ て,聞き返したり意味を確認したりすることができ るようにする。

 ○相手のサポート(ゆっくり話す,繰り返す,言い換 える,自分が言いたいことを表現するのに助け船 をだしてくれる など)があれば,ごく身近な話題 について,簡単な表現を使って質疑応答をするこ とができるようにする。

話すこと(発表)

 ○簡単な語句や文を用いて,自分について話す ことができるようにする。

 ○日常生活において必要となる基本的な情報を 伝えることができるようにする。

 ○ごく身近な事柄や出来事について,事実,自分 の考えや気持ちなどを,簡単な語句や文を用 いて短く話すことができるようにする。

書くこと

 ○自分に関するごく限られた情報を,簡単な語句 や文を用いて書くことができるようにする。

 ○ごく身近な事柄について,簡単な語句や文を用 いて書くことができるようにする。

 中学生をA2に例にとると、(筆者注:現在の中学二年二学期以降レベルか?)

聞くこと

 ○短い簡単なメッセージやアナウンスを聞いて,必要な 情報を聞き取ることができるようにする。

 ○身近な話題に関する短い会話を聞いて,概要や要点 を理解することができるようにする。

 ○ゆっくりはっきりと話されれば,身近な事柄に関する 短い説明の要点を理解することができるようにする。

読むこと

 ○日常生活において身の回りにある短い平易なテク ストから,必要な情報を読み取ることができるよ うにする。

 ○平易な英語で書かれた短い物語を読んで,あらす じを理解できるようにする。

 ○身近な話題に関して平易な英語で書かれた短い 説明や手紙を読んで,概要や要点を理解できる ようにする。

話すこと(やり取り)

 ○日常生活や自分に関連した事柄に関する短い簡 単なやりとりをすることができるようにする。

 ○身近な話題や興味関心のある事柄について,あ る程度準備をすれば,会話に参加することができ るようにする。

 ○身近な話題について,簡単な英語を用いて簡単な 意見交換をすることができるようにする。

話すこと(発表)

 ○身近な事柄や出来事について,簡単な語句や 文を用いて即興で話すことができるようにする。

 ○身近な話題や関心のある事柄について,簡単 な説明をすることができるようにする。

 ○身近な話題について,自分の意見やその理由 を簡単に話すことができるようにする。

書くこと

 ○自分が必要とする事柄について,短い簡単なメ モやメッセージなどを書くことができるようにす る。

 ○身近な事柄について,簡単な語句や表現や用 いて,短い説明文を書くことができるようにす る。

 ○聞いたり読んだりした内容について,簡単な語 句や表現を用いて,自分の意見や感想を書く ことができるようにする。

・・・日本人が国際化すべきであるという前提で、文科省は基準を作っているように感じてしまうのは筆者だけでしょうか。

そもそも論として、ラテン語を基本とするヨーロッパ言語圏の語学を習得することと、大和言葉を基本とする日本語圏の私達が外来語である英語を習得することの難易度をどこまで考慮しているのだろうか、と素朴な疑問を感じます。

つまり、ヨーロッパ言語圏の語学は、二ヶ国語、三ヶ国語、四ヶ国語を習得するにしても、基本がラテン語ですから簡単に習得することができます。それと比べて、日本人は、はるか遠く離れて何千年も独自の言語を作ってきたわけですから、ヨーロッパ言語圏の語学とは比較にならないように思います。つまり、日本人がヨーロッパ言語圏の一つである英語を学ぶにはハンディがあるのは当然であると考えます。

然は然り乍ら(さはさりながら)、文科省が指導要領を作り教育の基準を作った以上は、それに対応していくのは、私達の為すべきことではあります。私達の日本の先人達が、時代や環境に応じて、臨機応変に対応してきた歴史を振り返れば、私達も同じく臨機応変に対応していくべきですね。

posted by at 22:25  | 塾長ブログ

英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 7

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、「てにをは」の使い方を幼児期からしっかりと教えていく必要があると考えています。

「てにをは」とは、助詞の古い呼び名です。
昔、漢文を読む際、漢字の周囲に点を打ち、その位置で読み方を示す方法があり、左下から順に四隅をテニヲハとあてたことに由来します。
本来は助詞だけでなく、助動詞、接尾語など、補助的な働きをするものの総称です。「は」「を」「が」「も」「に」など、語句と他の語句との関係を示したり、文章に一定の意味を加えたりする言葉が、「てにをは」と呼ばれます。

さて、

『新しい歴史教科書』(新版・中学社会)(自由社)英訳シリーズ Section 3の英和対訳部分からの引用です。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%204%20Section%203,%204.pdf

 

Rokumeikan Hall and the Normanton Incident

In 1883 (Meiji 16), the government constructed a Western-style building in Hibiya, Tokyo, called Rokumeikan Hall, which was to be the site of many lively dance parties to which foreigners were always invited. The objective was to use these parties to show the world that Japan was a civilized country like the Western powers and thus promote the cause of treaty revision. In 1886 (Meiji 19), the Normanton Incident, a case of serious criminal negligence on the part of a British sea captain, again highlighted the need for treaty revision.(*2)The consular court examining the case gave the captain of the Normanton a light sentence of just three months imprisonment, which further inflamed Japanese public opinion.

鹿鳴館での舞踏会の様子

鹿鳴館とノルマントン号事件 

 1883(明治16)年、政府は東京の日比谷に鹿鳴館という洋風建築物を作り、外国人を招いてさかんに舞踏会を開いた。日本も欧米並みの文明国であると世界に誇示し、条約改正を有利に進めようとする試みだった。1886(明治19年)、ノルマントン号事件(*2)が起きた。審査をしたイギリス領事裁判所は、船長を金庫3ヶ月という軽い罰にしたので、国民の反発はさらに強まった。

*2=The British steamship Normanton sank off the coast of Wakayama during a rainstorm. Though the British captain and his crew escaped on lifeboats, all twenty-five of the Japanese passengers were abandoned on board and perished at sea.

(*2)イギリスの汽船ノルマントン号が和歌山沖で暴風雨のため沈没。このとき船長以下、イギリス人船員は救命ボートで脱出した。しかし、日本人乗客は放置された25人全員が溺死した。

Treaty revision: The fruit of forty years of effort

Japan remained undeterred in its quest to gain equality with the Western powers in spite of their continuing rejection of treaty revision. One of the reasons that Japan promulgated the Meiji Constitution in 1889 (Meiji 22) was to further the treaty revision process.

Over time, Japan’s progress towards modernization was recognized by Great Britain, then the world’s most powerful country. With the additional motivation of countering the expansion of its rival Russia into East Asia, Britain reached out to Japan and signaled its willingness to negotiate the subject of treaty revision. Foreign Minister Mutsu Munemitsu, who was in charge of the negotiations with Great Britain, successfully concluded the landmark Anglo-Japanese Treaty of Commerce and Navigation in 1894 (Meiji 27), just prior to the start of the First Sino-Japanese War. According to the terms of this agreement, Great Britain renounced extraterritoriality in exchange for the right of its citizens to freely live, travel, and conduct business in Japan. After Japan’s subsequent triumph in the First Sino-Japanese War, many other countries, including the United States, followed suit and also abolished consular jurisdiction. Tariff autonomy took longer to regain, coming only after Japan defeated Russia in the Russo-Japanese War. In 1911 (Meiji 44), Japan struck a deal with the United States to allow Japan to set its own tariffs, finally ending the campaign to revise the unequal treaties that had been set in motion forty years earlier by the Iwakura Mission.

40年がかりの条約改正

 欧米諸国はそれでも、条約改正に応じようとはしなかったが、日本は対等な国になろうと努力を重ねた。1889(明治22)年、日本が憲法を制定した動機の一つは条約改正だった。

 やがて、最大の強国イギリスは、こうした日本の近代化の努力を認め、また極東に進出してきたロシアに対抗するためもあって、日本との条約交渉に応じた。交渉の責任者だった陸奥宗光外務大臣の努力が実を結び、日清戦争が始まる前1894(明治27)年、日本は国内での自由な居住・旅行・営業を外国人に認めるのと引きかえに、治外法権が撤廃された(日英通商航海条約)。その後、日清戦争に日本が勝利したのち、アメリカをはじめ各国とも領事裁判権を廃止した。関税自主権の回復はさらに遅れ、日露戦争に日本が勝利した1911(明治44)年に、アメリカとの交渉に成功した。岩倉使節団の交渉から40年の歳月が経っていた。

An Excerpt from Foreign Minister Mutsu Munemitsu’s Speech to the Diet on Treaty Revision (1893)

“The goal of treaty reform, or more accurately the goal of Japanese diplomacy, is to receive the rights befitting of every nation and carry out those duties to which every nation ought to commit itself. That is to say, the Empire of Japan, though located in Asia, wishes to receive special treatment from the Western powers beyond that which they have afforded to the other nations of Asia. Since that is the case, Japan must introduce domestic policies different from those of other Asian nations and the Japanese people must also demonstrate a unique spirit of enterprise beyond that of other Asian peoples.”

(Mutsu was emphasizing the implications of opening up the country and allowing foreigners to travel and work freely within Japan in exchange for the abolition of extraterritoriality.)

 条約改正に関する外務大臣・陸奥宗光の議会演説(1893年)

 「条約改正の目的、否、日本外交の目的は、国として受けるべき権利は受け、国として尽くすべき義務を全うすることにあります。すなわち、日本帝国が、アジアの中にありながら、欧米各国から、他のアジアの国が受けられない特別の待遇を受けようというのでありますから、それならば、日本国内でも他のアジアの国にない政策、方針を行い、日本人民も他のアジアの国にはない特別な進取の気性を示さなければならないのであります。」(国会議事録より抜粋)

*治外法権の撤廃と引き換えに、日本の内地を解放し、外国人の自由な活動を認めることの意義を強調したもの。

陸奥宗光

The Achievement of Mutsu Munemitsu

While serving as Resident Envoy to the United States and Mexico, Mutsu Munemitsu entered talks with the government of Mexico and negotiated a trade treaty in 1888. This was the first equal treaty Japan had signed with any nation outside of Asia. It affirmed tariff autonomy and granted consular jurisdiction to both parties. This achievement formed the basis for Japan’s later success at revising its treaties with the Western powers.

陸奥宗光の功績

 駐米公使兼駐メキシコ公使であった陸奥は、メキシコに働きかけ、1888年、通商条約を締結した。これは日本がアジア以外の国と結んだ最初の平等条約で、関税自主権を確立し、領事裁判権を互いに認めものである。日本はこの実績をもとに、西洋諸国との条約改正に成功していった。

・・・筆者の中学生の頃、教科書は異なりますが、このような記述を読んだ時、欧米諸国との不平等条約の改正、にどれほどの苦心惨憺があったのだろうか、と考えたものでした。その後、様々な書物に触れる内に、時代背景や国際関係、国際金融、軍事力(power of balance)など様々な事柄が複雑に絡み合っているものを、一つ一つ解きほぐすかのように解決していった事が分かり、日本の先人達の努力に頭が下がる思いがします。現在の日本人である子供達にも、年代に応じて解説してあげれば、先見性や洞察力を涵養することになると考えます。

posted by at 09:46  | 塾長ブログ

国語力と交ぜ書き

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室https://rashinjyuku.com/wp は、基本的に教科書や新聞などで交ぜ書き(漢字で書ける熟語を、漢字と仮名を混ぜて書くこと)をすることに反対です。蓋(けだ)し、日本人の国語力の低下を招きかねないからです。

現在の常用漢字は、社会人として知っておく必要があると定められた漢字で、新聞や雑誌も凡そ常用漢字の範囲内で書き表されています。小学校では、常用漢字のうちの一〇〇六字を学習し、中学校で残りの一一三〇字を学習します(常用漢字 計二一三六字)。

日本語の素晴らしさや表現力の豊かさは、漢字と大和言葉の融合があってのことです。しかし、常用漢字に無いからといって漢字熟語に平仮名を混ぜると、本来の意味合いを大きく減殺します。

以下は小学校2年程度の文章例です。

「近じょのえらい人ぶつにせつ明する用いがあると言う」
「子どもがじゅん番にかん字を書しゃする」
「原こうれい」

これでは、小学生が意味合いも理解も進まず、このような教科書を何度音読しても、国語力をつけるのは困難です。

 

因みに、報道機関の交ぜ書き表記の一例です。

愛きょう(愛敬、愛嬌)、安ど(安堵)、位はい(位牌)、いん石(隕石)、隠ぺい(隠蔽)、うっ憤(鬱憤)、えい航(曳航)、えい児(嬰児)、えん曲(婉曲)、えん恨(怨恨)、円すい(円錐)、えん世(厭世)、がい骨(骸骨)、改しゅん(改悛)、かい書(楷書)、外とう(外套、外灯)、覚せい(覚醒)、かく乱(撹乱)、花こう岩(花崗岩)、喝さい(喝采)、かん腸(浣腸)、完ぺき(完璧)、祈とう(祈祷)、欺まん(欺瞞)、きゅう覚(嗅覚)、きゅう舎(厩舎)、教べん(教鞭)、苦もん(苦悶)、軽べつ(軽蔑)、啓もう(啓蒙)、警ら(警邏)、けん引(牽引)、研さん(研鑽)、けん制(牽制)、けん責(譴責)、謙そん(謙遜)、けん怠(倦怠)、ごう音(轟音)、こう着(膠着、降着)、こう配(勾配)、ごう慢(傲慢)、こん身(渾身)こん睡(昏睡)、こん倒(昏倒)、混とん(混沌)、こん包(梱包)、さい銭(賽銭)、さく裂(炸裂)、殺りく(殺戮)、残がい(残骸)、惨たん(惨憺)、山ろく(山麓)、死がい(死骸)、し好(嗜好)、刺しゅう(刺繍)、自ちょう(自重、自嘲)、失そう(失踪)、し尿(屎尿)、しゃく熱(灼熱)、遮へい(遮蔽)、終えん(終焉、終演)、集じん(集塵)、しゅう恥(羞恥)、酒こう(酒肴)、しゅん工(竣工)、常とう(常套、常灯)、親せき(親戚)、真ちゅう(真鍮)、進ちょく(進捗)、信ぴょう(信憑)、親ぼく(親睦)、辛らつ(辛辣)、すい星(彗星、水星)、ぜい弱(脆弱)、石けん(石鹸)、石こう(石膏、石工)、せん光(閃光)、全ぼう(全貌)、そう快(爽快)、巣くつ(巣窟)、装てん(装填)、双へき(双璧)、だ液(唾液)、たく鉢(托鉢)、断がい(断崖)、ち密(緻密)、痴ほう(痴呆)、でき愛(溺愛)、鉄つい(鉄槌)、どう喝(恫喝)、投かん(投函)、洞くつ(恫喝)、同せい(同性、同棲)、どう猛(獰猛)、棟りょう(棟梁)、灯ろう(灯篭、灯籠)、怒とう(怒涛)、土のう(土嚢)、どん欲(貪欲)、なつ印(捺印)、軟こう(軟膏)、ねつ造(捏造)、ねん挫(捻挫)、ばい煙(煤煙)、ばい菌(黴菌)、排せつ(排泄)、配ぜん(配膳)、はえ縄(延縄)、ばく進(驀進、爆進)、はく製(剥製)、はく落(剥落)、はく離(剥離)、破たん(破綻)、抜てき(抜擢)、ばん回(挽回)、晩さん(晩餐)、秘けつ(秘訣)、悲そう(悲愴、悲壮)、ひな形(雛形)、美ぼう(美貌)、標ぼう(標榜)、比ゆ(比喩)、卑わい(卑猥)、ひん死(瀕死)、敏しょう(敏捷)、便せん(便箋)、風さい(風采)、風ぼう(風貌、風防、風暴)、復しゅう(復讐)、付せん(付箋)、払しょく(払拭)、ふ頭(埠頭)、分水れい(分水嶺)、憤まん(憤懣)、平たん(平坦)、へき地(僻地)、べっ甲(鼈甲)、編さん(編纂)、辺ぴ(辺鄙)、へん平(扁平)、変ぼう(変貌)、片りん(片鱗)、ほう助(幇助)、防じん(防塵)、泡まつ(泡沫)、補てん(補填)、まい進(邁進)、明せき(明晰)、明りょう(明瞭)、黙とう(黙祷)、もん絶(悶絶)、憂うつ(憂鬱)、ゆう出(湧出)、要さい(要塞)、容ぼう(容貌)、余ろく(余禄)、らく印(烙印)、らつ腕(辣腕)、流ちょう(流暢)、りょう線(稜線)、霊きゅう車(霊柩車)、れき死(轢死)、漏えい(漏洩)、老かい(老獪)、ろう城(籠城)、ろう屋(牢屋)、ろ過(濾過)、わい曲(歪曲)、和ぼく(和睦)・・・(報道機関の交ぜ書き故か、事件や事故の際用いられる熟語が多いのは致し方ないところです。)

漢字熟語の利点は、見た瞬間に意味合いを理解できることです。

それに比べ、交ぜ書きを改めて眺めると、一瞬何の意味合いかわからなくなります。前後の文脈から推測して、漢字熟語を思い出すために時間がかかると、速読に支障が生じます。結果、読むことに苦痛が生じ、読書離れを引き起こしかねません。まさに、憂慮すべきことです。

羅針塾では、国語力をしっかり身に付ける為にも、交ぜ書きは極力本来の漢字熟語に置き直して書けるように指導します。

 

posted by at 15:46  | 塾長ブログ

英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 6

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、しっかりと聞き取ることができる態度を身につけて欲しいと考えています。例えば、論語の素読を行う際に、耳を澄まして集中する塾生さんは的確に音読で返してくれます。これは、幼児さんであれ、高学年の塾生であれ、基本は同じです。意味は判らずとも、聞こえる「音」をそのまま返すことができるのも、一つの才能です。

さて、「歴史」を苦手にされているお母さん達からすると、「歴史」は単純に暗記だけをしなければならない、と感じておられる方がほとんどです。しかし、「歴史」は無数の人々が営々と築き上げてきた人生の集積だと考えれば、「歴史」を学ぶことは、無数の人々の喜怒哀楽や人生に真摯に向き合ってきた努力の結果を省みる、と言えるのではないでしょうか。無論、「歴史」に残る業績を上げた人が「歴史」に名を残しますが、その家族や関係者の支えがあってこそできるわけですから、その人々の代表者と見れば、様々なドラマがその陰にあると考えることができます。

「歴史」の陰にある人々の営為を想像すると、「歴史」の面白さを感じることができます。

さて、

『新しい歴史教科書』(新版・中学社会)(自由社)英訳シリーズ Section 3の英和対訳部分からの引用です。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%204%20Section%203,%204.pdf

「近代の日本と世界(I)―幕末から明治時代」

Section 3 – Constitutionalism and the wars with China and Russia

立憲国家と日清・日露戦争

Topic 58 – The struggle to revise the unequal treaties

58ー条約改正への苦闘

What strategies did Japan employ in order to renegotiate the unequal treaties signed with the Western powers during the final years of the shogunate?

 幕末に欧米諸国と結んだ不平等条約を、日本はどのように改正しようとしたのだろうか。

The problem of the unequal treaties

不平等条約の問題点

The treaties that the shogunate signed with the Western powers in its final years were humiliating to the Japanese people due to the unequal terms they forced upon Japan. Firstly, any foreign national who committed a crime against a Japanese person was tried, not in a Japanese court, but in a consular court set up by the nation of the accused criminal.1 Secondly, Japan lost the right, just as many other Asian countries had, to set its own import tariffs. The Japanese people of the Meiji period yearned to end this legal discrimination imposed by the Western powers, and revision of the unequal treaties became Japan’s foremost diplomatic priority.

*1=The exclusive right held by foreign countries to try their own citizens in consular courts for crimes committed against Japanese people was referred to as the right of consular jurisdiction, which was a form of extraterritoriality.

 幕末に日本が欧米諸国と結んだ条約は、日本人の誇りを傷つける不平等条約だった。第一に、日本人に対して罪を犯した外国人を裁く権利は、日本の裁判所にはなく、相手国の領事裁判所にあった(領事裁判権)。第二に、他のアジア諸国と同様、関税自主権を日本に与えていなかった。欧米諸国との法的な差別を解消する条約改正は、明治の日本人の悲願であり、日本外交最大の課題となった。

*1=外国人が犯罪を行なったとき、その外国の領事が犯罪者を裁判にかける権利を領事裁判権という。治外法権の一つである。

In 1872 (Meiji 5), the Iwakura Mission attempted to discuss the revision of the unequal treaties with the United States, but was rebuffed on the grounds that Japan had not reformed its legal system, particularly its criminal law.

 1872(明治5)年、岩倉使節団はアメリカとの間で条約改正の予備交渉を行おうとした。しかし、刑法などの法律が整備されていないことを理由に、相手にされなかった。

For this reason, Japan set aside the issue of consular jurisdiction and made recovery of its tariff autonomy the focal point of its bid to revise the unequal treaties. Though the United States agreed to this, the ensuing negotiations ultimately failed due to the opposition of Great Britain and France. However, in 1877 (Meiji 10), a group of British merchants were caught smuggling the narcotic opium into Japan and were arraigned before a consular court. The British consul ruled that their deeds were not treaty violations, as the opium was being imported for medicinal purposes. This unjust decision outraged the people of Japan and convinced the Meiji Government to switch the emphasis of the negotiations back to the abolition of consular jurisdiction.

 そこで日本は、関税自主権の回復に条約改正の重点を置いて各国と交渉した。アメリカは日本に同意したが、イギリスとフランスが反対し、交渉は失敗に終わった。1877(明治10年)、イギリス商人が麻薬のアヘンを密輸する事件があった。イギリスは領事裁判権を行使し、アヘンは薬として輸入したのだから条約違反ではないとの判決を下した。判決の不公平は日本人を怒らせた。日本は領事裁判権の撤廃要求に交渉の重点を切りかけた。

・・・現在の国際関係とは大きく異なり、明治期の欧米の白人国家は武力を背景としている為、有色人の弱小国家の言い分を全く聞く耳を持ちませんでした。日本の先人たちは、有色人国家が白人国家への抵抗を諦めていた時代に、果敢に切り込んでいきました。何故ならば、一日も早く自立した近代国家を築かなければ、弱肉強食の世界で日本が生存し得ないと強く自覚していたからです。

現在の日本人は、正しい歴史を学ばず、そのような先人の苦労を全く忘却しているかのようです。

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