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質の高い幼児教育

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室https://rashinjyuku.com/wpでは、教育に関する様々な動向にも目を向けていますが、以下の記事が氣になりました。

幼児教育、肝心なのは「質」(産経新聞2017.10.16 )

http://www.sankei.com/life/news/171016/lif1710160033-n1.html

日本では、憲法で無償が保障されている義務教育などに比べて、幼児教育や高等教育の費用負担を家庭に依存していることが、かねてから問題になっていました。このうち高等教育の無償化は現在、議論が始まったばかりですが、幼児教育に関しては、既に政府・与党の方針で、段階的な無償化に乗り出しています。ただ議論の中心が、財源をどう確保するかに追われ、肝心な教育の中身は、文部科学省などに任されているのが現状です。

経済協力開発機構(OECD)は先頃、2017(平成29)年版の「図表でみる教育」(*)を公表しました。教育に関するさまざまなデータを比較・分析して、各国の政策に生かしてもらうためです。

アンドレアス・シュライヒャー教育・スキル局長は、日本の記者向けに行ったインターネット会見で、広がる経済格差の解消に効果的な教育政策は、早期からの質の高い幼児教育に公的な資金を積極的に投資することだと指摘する一方、質の高い幼児教育とは単に「お世話」をすることではなく、社会情動的スキルや認知機能を高めることだと述べ、そのためにも力のある教員を充てるべきだと注意を促しました。

(*)「図表でみる教育」http://www.oecd.org/tokyo/newsroom/benefits-of-university-education-remain-high-but-vary-widely-across-fields-of-study-says-oecd-japanese-version.htm

社会情動的スキル」の育成こそ

ここで改めて、シュライヒャー局長の指摘に注目したいと思います。

社会情動的スキルは「学びに向かう力」とも言い換えることができ、OECDはベネッセ教育総合研究所と共同研究を行いました。2015(平成27)年3月に東京で行われたシンポジウムで無藤隆・白梅学園大学教授(当時)は、社会情動的スキルを「興味を持ち、集中し持続し挑戦する」力のことだと説明しました。OECDでは、一歩引いて自分をコントロールできるような「認知的スキル」と相まって、意欲を持って積極的に自分から学んだり、人と交わったりすることで、結果的に人生でも活躍できるようになる……と見ています。

中央教育審議会で無藤教授が中心になって改訂を提言した新しい幼稚園教育要領(2018<平成30>年度から全面実施)では、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」として、(1)健康な心と体(2)自立心(3)協同性(4)道徳性・規範意識の芽生え(5)社会生活との関わり(6)思考力の芽生え(7)自然との関わり・生命尊重(8)数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚(9)言葉による伝え合い(10)豊かな感性と表現……を示しています。

小学校に入った時、これらが生活科を中心とした「スタートカリキュラム」を通じて、各教科などの学習にスムーズにつながっていく……という考え方です。

詳細は、上記サイトをご覧いただきたいと思いますが、幼児期・児童期に育てるべき資質・能力として世界的に関心が高まる「社会情動的スキル」とは?

曰く、

 社会情動的スキルは、「(a)一貫した思考・感情・行動のパターンに発現し、(b)学校教育またはインフォー マルな学習によって発達させることができ、(c)個人の一生を通じて社会・経済的成果に重要な影響を与 えるような個人の能力」と定義することができる。これらのスキルは、目標を達成する力(例:忍耐力、意欲、 自己制御、自己効力感)、他者と協働する力(例:社会的スキル、協調性、信頼、共感)、そして情動を制 御する力(例:自尊心、自信、内在化・外在化問題行動のリスクの低さ)を含んでいる。・・・と。

詳細は、「家庭、学校、地域社会における社会情動的スキルの育成」をご覧ください。http://berd.benesse.jp/feature/focus/11-OECD/pdf/FSaES_20150827.pdf

翻訳からくる説明なので、わかったようなわからないような・・・社会情動的スキルを「興味を持ち、集中し持続し挑戦する」力のこと、と言われると簡明ですね。

69ページにわたって詳細に述べられている論文から一部だけ抜き書きしますと、

生涯にわたるスキルの発達

スキル発達の速度は、個人の年齢と現在のスキルの水準に大きく左右される。現在では、スキル発達に は敏感期があることが認識されている。子どもの幼児期は、将来のスキル発達の基礎を築くことから、ス キルの発達にとって非常に重要である。幼児期介入における投資は、高い水準のスキルや大人になってか らの良好な成果を確保することにおいて最大のリターンをもたらす(Kautz et al., 2014)。この時期におい ては、家庭は非常に重要であり、親子の関わりのパターンは、認知的、社会情動的スキルに大きな影響を 与える。(p.14)

過去のスキルは現在のスキルの重要な決定要因である

「スキルはスキルを生む」とは、図 2.3 に示されるように、個人の持つスキルの水準が高いほど、スキル の獲得が大きいことを示す(Carneiro and Heckman, 2003)。これは、同一のスキルの蓄積の過程にあて はまる。例えば、学校入学時に数学的リテラシーが同級生に比べて比較的高い子どもは、学年末により 高い数学的リテラシーを持つ可能性が高い。さらに、あるタイプのスキルが他のスキルの育成を助ける、 いわゆる相互生産性についてのエビデンスもある(Cunha and Heckman 2007; Cunha, Heckman and Schennach, 2010)。特に、社会情動的スキルが認知的スキルの発達に役立つことから、高い水準の社会情 動的スキルを持つ個人に当てはまる。例えば、非常に計画的で粘り強い子どもは、同じ水準の数学のスキ ルを持ちながら自制心や粘り強さの水準が低い子どもよりも、数学のスキルを伸ばすことができる可能性 が高い。自制心や粘り強さにより、子どもが授業に集中し宿題を毎回こなす可能性が高くなると考えられ る。したがって、認知的スキルと社会情動的スキルは密接に関連している。スキルの高い子どもは、知識 を向上させるような手段を選択したり、成長のためのさらなる機会(例:課外活動)を求めたりする可能性 が高い。

認知的スキルと社会情動的スキルの動的相互作用

 重要なことに、社会情動的スキルの敏感期は、認知的スキルの敏感期と同じではない。あらゆるスキ ルにおいて早期の投資は有益だが、社会情動的スキルは、認知的スキルに比べ、生涯のうち遅い段階に おいても変化させることが可能である(Cunha and Heckman, 2007; Cunha, Heckman and Schennach, 2010)。さらに、青年期は社会情動的スキルが特に激しく変化する時期であると見られる。例えば、青年期は、 自制心(勤勉性)・友好性(協調性)・情緒安定性の低下と関わっている傾向にある(Soto et al., 2011)。こ うした否定的な変化は、特に一部の子どもたちに影響を与えると見られ、こうした否定的影響の一部をど のようにして和らげることができるかを理解するため、さらなる研究が必要である。(p.15)

別の資料に、山登りを例に、社会情動的スキルを伸ばすのに適した環境を考えてみるという例示があります。

・・・たとえばアルピニストは、ある程度の認知的スキル(登山行程、登山道具の使い方、天候などの情報)と、社会情動的スキル(勇気、自信、モチベーション、コミュニケーション)の両方を備えて登山を開始します。出発後、各段階によって必要なスキルは変化しますが、上記二つのスキルを土台にして、シェルパを含む登山パーティーと助け合いながら困難な状況を乗り切り、ようやく頂上に辿り着くことができます。重要なのは、これらのスキルが登山のプロセスを通じて伸びうることです。

確かに、具体的な例を挙げられると、すんなりと理解できますね。

posted by at 19:13  | 塾長ブログ

父と子

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室https://rashinjyuku.com/wpでは、漢字の字義(文字の意味)をよく理解するように指導します。その為にも、多くの書物に接する機会を持つことがとても大事です。親子での図書館の活用や、辞書を座右に置くことをお勧めします。

さて、『論語に学ぶ〜論語は美しい言葉と智慧の宝庫』(講師 安岡定子氏)の講演会を先にご紹介しましたが、その御祖父安岡正篤先生のご紹介です。公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館からの引用です。https://www.noushi-kyogaku.com/index.html

安岡正篤とは、

世の中を良くするのは主義主張やイデオロギーではなく、公私ともに優れた人物であるとの信念の下、在野に在ってその養成に一生を尽くす。特に国民の幸不幸は政治の影響が大きいとし、政財官界の指導者層の啓発・教化・指導に力を注ぐ。その教えの基本は、日本の伝統を大切にする立場からの東洋的な思想・哲学であった。昭和20815日正午、天皇陛下の「終戦の詔書」がラジオで放送された。この詔書を最終的に刪修(さんしゅう)したのが安岡正篤である。また、元号「平成」の考案者であり、吉田茂から中曽根康弘に至る歴代の総理大臣の指南番的存在でもあった。
※刪修=不要な字句又は文章を削り取って改めること。

安岡正篤は、なによりも古典と歴史に学ぶこと、そしてそれを実生活の上に活かすこと、つまり「活学」しなければならないと教える。なぜなら、現代の諸問題も、既に古聖賢哲がその対処・解決法を古典の中に残しているからであると言う。そして、自身が若き日から命懸けで学んできた和・漢・洋の古典と歴史に立脚し、東洋哲学的な観点から、実践的な指針を我々に示すのである。

生前はほとんど表に出ず、知る人ぞ知る存在だった。しかし没後、著書や講演録、講録のテープ・CD等が相次いで出版され、30年以上経た今でも、己の生き方や国家の在り方を真剣に考える人々に熱く支持され、深い感動と人生の指針を与えている。
またその教え=安岡教学・安岡人間学に基づいた大小様々な勉強会や集りが、道を求める人々によって全国各地で催されており、一燈照隅(*)が実践されている。

(*)安岡正篤先生は、天下国家をあれこれ論じるよりもまず自分がいる場所を明るく照らせる人間に、という意味を込めて「一燈照隅・萬燈遍照」とおっしゃっています。

「自分か居るその場を照らす。これは絶対に必要なことで、また出来ることだ。真実なことだ。片隅を照らす! この一燈が萬燈になると『萬燈遍照』になる。こういう同志が十万、百万となれば、優に日本の環境も変わりましょう。」、と。

筆者も様々な安岡正篤先生の書籍に触れてきましたが、含蓄のある言葉に、鼓舞されてきた記憶があります。「一燈照隅」とは、一つの燈(ともしび)を以って、一隅(ひとすみ)を照らすこと。ひいては、その燈が、十にも百にも、更に萬の燈となって遍(あまね)く国中を照らすことができる、即ち「萬燈遍照」であるとの意です。

ところで、

先日塾生のお父様方と話をする機会がありましたが、父と子、母と子の役割について様々なご意見がありました。丁度、以下の安岡正篤先生の言葉がありました。

http://kyogaku.or.jp/kotoba12.html

父と子

「父子の間は善を責めず。善を責むれば即ち離る。離るれば即ち不祥焉(これ)より大なるは莫(な)し。」(『孟子』離婁上)

 父というものは子に対して、あまり道義的要求をやかましくするものではない。それをやると、子が父から離れる。父子の間が疎くなる。父と子の間が離れて、疎々しくなるほど祥(よ)くないことはない。

 立派な人がなぜ自分の子を教えないのか。それは、やろうたって、勢いやれないからである。父が子を教えるからには、必ず父自身これが正しいことだと信ずることを子に納得させ、実行させようとするのである。それだけに、それが行われないとすると腹が立つ。子に対して腹を立てれば反って打壊しである。子供は子供で、なんだ阿父(おやじ)、俺に道徳を責めるが、御自分様は何でも御立派というわけでもないじゃないか、と内心おもしろくない。こうなると父子両方で打壊しである。これはいけない。

 だから昔の聖人も子をとりかえて教えたものである。つまり他人に師事させた。(中略)道徳は根本において真実でなければなりません。自然——誠でなければなりません。したがって、のんびりして、明るくなければならないのです。ぎこちなく硬ばっていたり、陰気でじめじめしているのは決して道徳的正ではありません。

 しからば父は子を教えることはできないか。(中略)少なくとも父は子を放っておくより外はないかというと、そんなものでもありません。宋の王安石は(中略)、孟子のここの意味を釈(と)いて、『孝経』には「争子」という言葉さえある。(注=父の不義不正を諫争する子という意味で、喧嘩する子ではない。)ただ、その争も善を責める意味ではなくて、盲従せずに正義を主張することで、父が子に対しても、正しくないことは戒めるだけであると申しております。

 元来父子の間というものは、同じ人間関係(人倫)の中でも、師弟や朋友の間と違って骨肉、すなわち血を分けた間柄、より多く自然的関係でありますから、情愛・恩愛が本領で、理性による批判や抑制である正とか義とかを建前にすべきではないからであります。

(『身心の学』—古教照心—より)

子を持つ父親として、熟読玩味すると得心できるお話です。

因みに、お父様方はご自分を子供さんにどのように呼ばせていますか。お父さん、パパ、ひょっとして父上。外交評論家の加瀬英明氏が「加瀬英明のコラム」で蘊蓄を述べられています。http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

 今日の日本では、多くの人々が心を軽んじて、自分本位になるなかで、人々のあいだの絆だけではなく、家族が崩壊しつつある。家族の崩壊は、やがて国の崩壊をもたらす。

 祖先を崇めて深く感謝することは、家族の結束を強め、親が子を子が親を大切にすることにつながる。

 いま、子に親を「パパ」「ママ」と呼ばせる家族が多い。「パパ」は、英語ではない。

 「パパ」は、イギリスのインド統治から、ヒンズー語が英語に入ったものであり、「ママ」は「マザー」(英語)、
「ムター」(ドイツ語)などヨーロッパ諸語に由来するが、中国語でもある。

 父を敬い、母に感謝するのなら、どう呼ぼうとよいが、日本語のもととなっている古代の大和ことばでは、父は「トト」(尊い)、母は「カカ」(太陽がカッカと照る)と呼ばれたことを、知ってほしい。

日本では、古来「言霊(ことだま)の幸(さきは)ふ国」(言葉の霊力が幸福をもたらす国)と言われています。現代の日本語の大元である「大和言葉」では、尊いの「ト」から「トト」、「トウ」(父)→「トウサン」(父さん)となったのでしょう。

母は、「カカ」(太陽がカッカと照る)から、「嬶(カカア)」→「カアサン」(母さん)。太陽神を表す日本古来の天照大神(あまてらすおおみかみ)は「女神」ですから、「太陽がカッカと照る」は、家庭を元気にしたり、暖かくする母親の役割をうまく表現していますね。

posted by at 09:31  | 塾長ブログ

論語に学ぶ 学びの里講演会

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室https://rashinjyuku.com/wpでは、長崎くんちの最終日、十月九日に佐賀県多久市で開催された『論語に学ぶ〜論語は美しい言葉と智慧の宝庫』(講師 安岡定子氏)を受講してきました。遠くは沖縄からも参加者があり、多久市の教育にかける力を感じさせるものでした。

講師の安岡先生は、知る人ぞ知る歴代首相の施政方針に朱筆を入れ助言された漢学者、安岡正篤先生のお孫さんです。「銀座・寺子屋こども論語塾」の代表として、『論語』をわかりやすく講義されています。http://www.sadakorongo.com/?p=301

その講義の資料からの引用です。

■孔子はどんな人?(前五五一〜前四七九年)

「人間いかに生きるべきか」を生涯追求した人物。

 二千五百年前、中国の春秋時代に魯の国に生まれた大思想家・学者・教育者です。特に儒学の祖として知られています。始めろの国の下級役人となり、五四歳の時に大司寇(司法と警察を司る長官)になります。魯の国の大改革をしようとしますが、反対派によって失脚させられます。その後の十数年は諸国を遊歴し、諸侯に自分の思想・哲学を説き、理想の政治の実現を目指しました。しかしその思いはなかなか受け入れられず、晩年は故郷の魯に帰り、門人の教育と古典の整理・編纂に力を尽くしました。

 気難しく、堅苦しい道徳や倫理ばかりを述べている人物のように思われていますが、決してそのようなことはなく、かなりの苦労人であり、人間味豊かでユーモアもある人物像は、とても魅力的です。人間にとって一番大切なものは、仁ー思いやりの気持ちーであると語り続けました。

 ■「論語」について

 古典中の古典。人生必読の書。

『論語』は中国の古典、四書五経の一つです。孔子の言行や弟子たちとの問答などを記録した書物です。二〇編約五〇〇章からなり、講師の思想の真髄を伝えるものとして、後世に大きな影響を与えてきました。また孔子の人柄を知る上でも、貴重な書物です。その中心的主張は「仁ー思いやりの心・愛情ー」の重要性です。戦乱の世にあって、理想の人物像・理想の政治の実現に最も大切なものは、「仁」であると孔子は説いています。

 日本では、江戸時代に藩校や寺子屋で盛んに読まれていました。大きな声で元気に繰り返し読んでいるうちに、名文・名句が体に心に染み込んでいきます。成長と共に経験や知識が加わり意味を理解できるようになり、やがてその言葉の魅力に気づきます。

 日本人の豊かな感性、優しい心、清く強い精神力、あるいは困難や悲しみを乗り越える力は、こうしてゆっくり育まれてきました。そして往くべき道に悩んだ時、くじけそうな時、様々な場面で心の拠り所となってきました。実業家・渋澤栄一氏や湯川秀樹博士をはじめとする、多くの実業家や学者、政治家、作家なども影響を受けています。私たち日本人には、とても身近な書物だったのです。

多くの論語の文言の中から、安岡先生は以下を例示されて子供さん達の導きの手法を講義されました。

学ぶこと・友達を作ること・理想の人を目指すこと。

学んで時に之(之)を習う、亦説(またよろこ)ばしからずや。

朋(とも)有り、遠方より來る、亦(また)楽しからず。

人知らずして慍(いきどお)らず、亦(また)君子ならずや。

昔の人の教えを大切にする。

故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以(も)って師と為(な)るべし。

先のことを考えて行動しよう。

人にして遠き慮(おもんばか)り無ければ、必ず近き憂(うれ)い有り。

良い習慣が大切。

性(せい)、相(あい)近し。習い、相(あい)遠し。

素敵な人からたくさん学ぼう。

教えありて、類(るい)無し。

★志を持つ。

道に志(こころざ)し、徳に拠り、仁に拠り、芸に游ぶ。

よき仲間を持つ。

君子は文(ぶん)を以(もっ)て友を会し、友を以(もっ)て仁を輔(たす)く。

講演会の後、早速孔子を祀る廟である多久聖廟に詣りました。https://www.city.taku.lg.jp/main/5084.html

多久家の四代領主多久茂文(たくしげふみ)は人材育成に重きを置いた人物で、のちに東原庠舎(とうげんしょうしゃ)と呼ばれる学問所を建て、そのシンボルとして宝永5年(1708年)に孔子像、四配(しはい・顔子、曽子、子思子、孟子)を祀る廟として多久聖廟は完成しました。多久は藩よりも小さい「邑(むら)」でしたが、この孔子廟はすばらしいものでした。国内に存在する孔子廟では足利(あしかが)学校(栃木県)、閑谷(しずたに)学校(岡山県)についで古く、またもっとも壮麗な孔子廟だといわれています。

多久市孔子の里発行の「論語カルタ」と「論語日めくり」

このように孔子と論語については、多久市が教育面で大いに力を注いでいるようです。東原庠舎(とうげんしょうしゃ)も見学しましたが、因みに、庠(しょう)は「まなびや、学校、故郷の学校の意」です。

当塾では、古典教育を重視していますので、今回の講演会は筆者にとっても改めて学び直しとなりました。多久市の関係者の方々に感謝申し上げます。

 

 

posted by at 16:09  | 塾長ブログ

勉強プラスα(アルファ)の教育

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、世界や日本の社会にも目を向け、様々な情報を集め、分析し、自らのしっかりした意見を持つ、少年・少女になって欲しいと思います。様々な意見や見解をよく聞き、その上で自らの見解を述べる、という姿勢を持つ。その為には、国語力をしっかり身につける必要があります。母国語である日本語の力がしっかりと身に付けば、英語などの外国語も同様に用いることができます。敢えて言えば、漢字力のある児童・生徒は、英語の単語を覚えることは造作もないと思います。

さて、このような記事が目につきました。

「心の知能指数=EQ」育てる教育が必要だ

 精神科医、国際医療福祉大学教授・和田秀樹

http://www.sankei.com/life/news/171002/lif1710020003-n1.html

統計数字を無視して「学歴エリートは道徳観に乏しい」というような短絡的な考え方が、無責任なコメンテーターなどを通じて社会に流されると、子供の教育に悪影響を与えないか、と危惧するだけだ。

 私が見るところ、日本のエリートに足りないのは、勉強プラスα(アルファ)の教育である。しかし、一般的な道徳知識を教え込むだけの教育では不十分だ。それは、これらの知識が十分すぎるくらいあるはずの山尾氏の言動をみると示唆されることである。

 アメリカでもかつて、ハーバードのビジネススクールのような一流の大学院を出ても、社会で成功できない人間が2割もいることが問題視された。

 日本と異なり、単なるペーパーテストだけでなく、面接もリポートも評価され、また学者による講義的な教育だけでなく、政治家や経営者のような社会の成功者がディスカッションなども行っているのに、むしろ日本の高学歴者より成功確率が低いのである(大成功を収めるものはもちろん日本より多いが)。

 そして、そういう人たちの研究を通じて、彼らに足りない能力があぶり出された。

 それが「心の知能指数」とされるものだ。これをタイム誌がIQ(intelligence quotient=知能指数)に対抗する概念としてEQ(emotional intelligence quotient)と呼んで以来、この呼び方が一般的になった。

≪EQ導入で人材の破滅を防げ≫

 EQ概念を考案したエール大学のピーター・サロベイ氏とニューハンプシャー大学のジョン・メイヤー氏によると、EQの5大要素は以下の通りだ。

 (1)自分の感情を正確に知る、(2)自分の感情をコントロールできる、(3)自己を動機づけられる、(4)相手の感情を知る、(5)社交能力がある-。

(中略)

 日本でもEQを紹介する本が翻訳され、大ベストセラーになったことがあるが、IQを否定してそれに代わるもののような紹介のされ方だった。

 しかし、アメリカでは高いIQを持つものにEQ教育を行うことで、その能力を引き出すという考え方で、IQ教育にEQ教育を追加すべきだというのが、提唱者たちの主張である。実際、高校教育や大学院生や社会人のリーダーシップ教育に導入され、大きな成果を挙げているといわれる。

 たとえば感情のコントロールにしても、テクニックを知るだけでは不十分かもしれない。しかし、かつてと比べパワハラで訴えられるリスクが高まり、またいつ録画・録音がされているか分からないのだから、このテクニックを知るだけでもかなりの価値がある。

 少なくともエリート候補の一流大学などに導入されて、有能な人材の破滅を少しでも減らしてもらえればと願う。

・・・なるほどなあと思いながら、上記の「EQの5大要素」と米国の基準を見ると、実は日本人が本来持っている倫理観で説明できるように思います。

EQの5大要素

(1)自分の感情を正確に知る、

内省(ないせい:自分自身の心の働きや状態を顧みること)

(2)自分の感情をコントロールできる、

克己(こっき:自分に打ち勝つこと。心の中に起きる衝動や欲望を自己の意思の力によって押さえつけること。)

(3)自己を動機づけられる、

志(こころざし:心に決めて目指すこと。世の為人の為に、何を為すべきか、何を行うかを心に決めること)

(4)相手の感情を知る、

忖度(そんたく:他人の氣持ちを推し量ること、推察すること。)

(5)社交能力がある

接待(せったい:心を込めて客を持て成すこと)。

「アメリカでは高いIQを持つものにEQ教育を行うことで、その能力を引き出すという考え方」があるようですが、日本古来の教育の理念には、「内省、克己、志、忖度、接待」と、社会的な地位に関わらず、当然の如く幼児期から学んでいました。

従って、欧米流の考え方を推奨されると、それらしく思わせられますが、実は「灯台下暗し」で、古来からの日本の教育の歴史を紐解けば、無理なく理解できます。欧米の思想や理屈をありがたがる風潮は、明治以降の所謂進歩的知識人の通弊(つうへい:一般に共通してみられる弊害)のように思います。

posted by at 23:59  | 塾長ブログ

世界大学ランキング2018

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生の個性に応じた将来をイメージしながら、今日為すべきことを指導します。

さて、「世界大学ランキング、日本勢が振るわないのはなぜ?」http://www.sankei.com/life/news/170925/lif1709250027-n1.htmlという記事が産経新聞に掲載されていました。

日本トップの大学である東京大学は前年の39位から順位を落として46位と過去最低となりました。ランキング(1,000位以内)には日本から71校が入っているものの、上位200位以内に入っているのは東京大学の他には京都大学の74位(前年91位)だけです。

なぜ日本の大学の順位は伸びないのでしょうか。

日本の大学には不向きな評価基準

英国の教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)の大学ランキングは、世界的にも権威があり、主要国の有名大学がランキングをめぐってしのぎを削っています。日本政府も大学改革の一環として、2023(平成35)年までに世界ランキング100位以内に日本の大学を10校ランクインさせるという目標を掲げていますが、その目標実現は非常に困難であるのが実情です。

しかし、その理由は日本の大学の実力不足ばかりとは言えません。

そもそも大学をランク付けすること自体に意味がないという意見も大学関係者の間には根強くありますが、グローバル化の時代には何らかの指標は必要でしょう。

ランキングの1位はオックスフォード大学(英国)、2位はケンブリッジ大学(英国)、3位はスタンフォード大学(米国)とカリフォルニア工科大学(米国)で、トップ10はほぼ英米の大学で占められています。

THEのランキングは研究力や国際性などに重点を置いた13指標で決められており、教育に重点を置く日本の大学の評価には不向きです。また、外国人の教員比率、論文の被引用数など国際化の面でも、日本の大学は日本人教員が中心で日本語の研究論文が多いという点が大きなマイナスになっています。

ただ、同じアジア圏でもシンガポール国立大学や北京大学などは東京大学よりも上位にランクされており、日本の大学がグローバル化に乗り遅れているというのは事実なようです。

 

予算削減など日本の大学政策にも原因が

これに対して文科省は、スーパーグローバル大学創成支援事業を展開し、旧帝大系など13大学を、世界100位以内を目指す「トップ型」に指定して、重点的に予算を配分していますが、あまり大きな成果は得られていないのが現実です。

一方、国立大学の主要財源である国からの運営費交付金は年々削減が続いている他、私立大学への私学助成も実質的に減少しています。大学教育全体の予算を削り、一部の大学に少しだけ財源を上乗せするという現在の政府の大学政策は、必ずしもうまくいっているとは言えません。日本の大学の世界ランキングの低迷は、日本の大学政策にも大きな原因がありそうです。

一方、英国の教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)教育力などに重点を置いて評価した「世界大学ランキング日本版」を作成しています。https://japanuniversityrankings.jp/rankings/

これによると、総合ランキングを「教育リソース(どれだけ充実した教育が行われて可能性があるか)・教育満足度(どれだけ教育への期待が実現されているか)・教育成果(どれだけ卒業生が活躍しているか)・国際性(どれだけ国際的な教育環境になっているか)」の4分野で評価しています。

1  東京大学 88.5

2   東北大学  87.4

3   京都大学 86.8

4   名古屋大学 86.3

4   東京工業大学86.3

6  大阪大学     86.1

7  九州大学  85.1

8  北海道大学   82.8

9 筑波大学  81.7

10 早稲田大学 75.9

11 慶應義塾大学 75.4

12 広島大学  75.2

13 神戸大学  74.4

14 一橋大学  72.4

15 国際基督教大学71.8

16 千葉大学  70.6

17 長岡技術科学大学69.8

18 上智大学  69.1

19 金沢大学  68.6

20 国際教養大学 67.9

以下、150位まで掲載されています。エリア・学問系統・大学名での絞り込み、総合順位・分野別スコアでの並び替えが可能ですので、上記アドレスにアクセスしますと、様々な参照ができます。

子供さんの将来を考えると、現時点でのこのような情報も一つの判断材料にはなります。各大学でも、意欲が高く有能な学生を集めたいわけですから、このようなランキングによって切磋琢磨するのも必要ではないでしょうか。

 

posted by at 09:20  | 塾長ブログ
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