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国語力と交ぜ書き

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室https://rashinjyuku.com/wp は、基本的に教科書や新聞などで交ぜ書き(漢字で書ける熟語を、漢字と仮名を混ぜて書くこと)をすることに反対です。蓋(けだ)し、日本人の国語力の低下を招きかねないからです。

現在の常用漢字は、社会人として知っておく必要があると定められた漢字で、新聞や雑誌も凡そ常用漢字の範囲内で書き表されています。小学校では、常用漢字のうちの一〇〇六字を学習し、中学校で残りの一一三〇字を学習します(常用漢字 計二一三六字)。

日本語の素晴らしさや表現力の豊かさは、漢字と大和言葉の融合があってのことです。しかし、常用漢字に無いからといって漢字熟語に平仮名を混ぜると、本来の意味合いを大きく減殺します。

以下は小学校2年程度の文章例です。

「近じょのえらい人ぶつにせつ明する用いがあると言う」
「子どもがじゅん番にかん字を書しゃする」
「原こうれい」

これでは、小学生が意味合いも理解も進まず、このような教科書を何度音読しても、国語力をつけるのは困難です。

 

因みに、報道機関の交ぜ書き表記の一例です。

愛きょう(愛敬、愛嬌)、安ど(安堵)、位はい(位牌)、いん石(隕石)、隠ぺい(隠蔽)、うっ憤(鬱憤)、えい航(曳航)、えい児(嬰児)、えん曲(婉曲)、えん恨(怨恨)、円すい(円錐)、えん世(厭世)、がい骨(骸骨)、改しゅん(改悛)、かい書(楷書)、外とう(外套、外灯)、覚せい(覚醒)、かく乱(撹乱)、花こう岩(花崗岩)、喝さい(喝采)、かん腸(浣腸)、完ぺき(完璧)、祈とう(祈祷)、欺まん(欺瞞)、きゅう覚(嗅覚)、きゅう舎(厩舎)、教べん(教鞭)、苦もん(苦悶)、軽べつ(軽蔑)、啓もう(啓蒙)、警ら(警邏)、けん引(牽引)、研さん(研鑽)、けん制(牽制)、けん責(譴責)、謙そん(謙遜)、けん怠(倦怠)、ごう音(轟音)、こう着(膠着、降着)、こう配(勾配)、ごう慢(傲慢)、こん身(渾身)こん睡(昏睡)、こん倒(昏倒)、混とん(混沌)、こん包(梱包)、さい銭(賽銭)、さく裂(炸裂)、殺りく(殺戮)、残がい(残骸)、惨たん(惨憺)、山ろく(山麓)、死がい(死骸)、し好(嗜好)、刺しゅう(刺繍)、自ちょう(自重、自嘲)、失そう(失踪)、し尿(屎尿)、しゃく熱(灼熱)、遮へい(遮蔽)、終えん(終焉、終演)、集じん(集塵)、しゅう恥(羞恥)、酒こう(酒肴)、しゅん工(竣工)、常とう(常套、常灯)、親せき(親戚)、真ちゅう(真鍮)、進ちょく(進捗)、信ぴょう(信憑)、親ぼく(親睦)、辛らつ(辛辣)、すい星(彗星、水星)、ぜい弱(脆弱)、石けん(石鹸)、石こう(石膏、石工)、せん光(閃光)、全ぼう(全貌)、そう快(爽快)、巣くつ(巣窟)、装てん(装填)、双へき(双璧)、だ液(唾液)、たく鉢(托鉢)、断がい(断崖)、ち密(緻密)、痴ほう(痴呆)、でき愛(溺愛)、鉄つい(鉄槌)、どう喝(恫喝)、投かん(投函)、洞くつ(恫喝)、同せい(同性、同棲)、どう猛(獰猛)、棟りょう(棟梁)、灯ろう(灯篭、灯籠)、怒とう(怒涛)、土のう(土嚢)、どん欲(貪欲)、なつ印(捺印)、軟こう(軟膏)、ねつ造(捏造)、ねん挫(捻挫)、ばい煙(煤煙)、ばい菌(黴菌)、排せつ(排泄)、配ぜん(配膳)、はえ縄(延縄)、ばく進(驀進、爆進)、はく製(剥製)、はく落(剥落)、はく離(剥離)、破たん(破綻)、抜てき(抜擢)、ばん回(挽回)、晩さん(晩餐)、秘けつ(秘訣)、悲そう(悲愴、悲壮)、ひな形(雛形)、美ぼう(美貌)、標ぼう(標榜)、比ゆ(比喩)、卑わい(卑猥)、ひん死(瀕死)、敏しょう(敏捷)、便せん(便箋)、風さい(風采)、風ぼう(風貌、風防、風暴)、復しゅう(復讐)、付せん(付箋)、払しょく(払拭)、ふ頭(埠頭)、分水れい(分水嶺)、憤まん(憤懣)、平たん(平坦)、へき地(僻地)、べっ甲(鼈甲)、編さん(編纂)、辺ぴ(辺鄙)、へん平(扁平)、変ぼう(変貌)、片りん(片鱗)、ほう助(幇助)、防じん(防塵)、泡まつ(泡沫)、補てん(補填)、まい進(邁進)、明せき(明晰)、明りょう(明瞭)、黙とう(黙祷)、もん絶(悶絶)、憂うつ(憂鬱)、ゆう出(湧出)、要さい(要塞)、容ぼう(容貌)、余ろく(余禄)、らく印(烙印)、らつ腕(辣腕)、流ちょう(流暢)、りょう線(稜線)、霊きゅう車(霊柩車)、れき死(轢死)、漏えい(漏洩)、老かい(老獪)、ろう城(籠城)、ろう屋(牢屋)、ろ過(濾過)、わい曲(歪曲)、和ぼく(和睦)・・・(報道機関の交ぜ書き故か、事件や事故の際用いられる熟語が多いのは致し方ないところです。)

漢字熟語の利点は、見た瞬間に意味合いを理解できることです。

それに比べ、交ぜ書きを改めて眺めると、一瞬何の意味合いかわからなくなります。前後の文脈から推測して、漢字熟語を思い出すために時間がかかると、速読に支障が生じます。結果、読むことに苦痛が生じ、読書離れを引き起こしかねません。まさに、憂慮すべきことです。

羅針塾では、国語力をしっかり身に付ける為にも、交ぜ書きは極力本来の漢字熟語に置き直して書けるように指導します。

 

posted by at 15:46  | 塾長ブログ

英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 6

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、しっかりと聞き取ることができる態度を身につけて欲しいと考えています。例えば、論語の素読を行う際に、耳を澄まして集中する塾生さんは的確に音読で返してくれます。これは、幼児さんであれ、高学年の塾生であれ、基本は同じです。意味は判らずとも、聞こえる「音」をそのまま返すことができるのも、一つの才能です。

さて、「歴史」を苦手にされているお母さん達からすると、「歴史」は単純に暗記だけをしなければならない、と感じておられる方がほとんどです。しかし、「歴史」は無数の人々が営々と築き上げてきた人生の集積だと考えれば、「歴史」を学ぶことは、無数の人々の喜怒哀楽や人生に真摯に向き合ってきた努力の結果を省みる、と言えるのではないでしょうか。無論、「歴史」に残る業績を上げた人が「歴史」に名を残しますが、その家族や関係者の支えがあってこそできるわけですから、その人々の代表者と見れば、様々なドラマがその陰にあると考えることができます。

「歴史」の陰にある人々の営為を想像すると、「歴史」の面白さを感じることができます。

さて、

『新しい歴史教科書』(新版・中学社会)(自由社)英訳シリーズ Section 3の英和対訳部分からの引用です。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%204%20Section%203,%204.pdf

「近代の日本と世界(I)―幕末から明治時代」

Section 3 – Constitutionalism and the wars with China and Russia

立憲国家と日清・日露戦争

Topic 58 – The struggle to revise the unequal treaties

58ー条約改正への苦闘

What strategies did Japan employ in order to renegotiate the unequal treaties signed with the Western powers during the final years of the shogunate?

 幕末に欧米諸国と結んだ不平等条約を、日本はどのように改正しようとしたのだろうか。

The problem of the unequal treaties

不平等条約の問題点

The treaties that the shogunate signed with the Western powers in its final years were humiliating to the Japanese people due to the unequal terms they forced upon Japan. Firstly, any foreign national who committed a crime against a Japanese person was tried, not in a Japanese court, but in a consular court set up by the nation of the accused criminal.1 Secondly, Japan lost the right, just as many other Asian countries had, to set its own import tariffs. The Japanese people of the Meiji period yearned to end this legal discrimination imposed by the Western powers, and revision of the unequal treaties became Japan’s foremost diplomatic priority.

*1=The exclusive right held by foreign countries to try their own citizens in consular courts for crimes committed against Japanese people was referred to as the right of consular jurisdiction, which was a form of extraterritoriality.

 幕末に日本が欧米諸国と結んだ条約は、日本人の誇りを傷つける不平等条約だった。第一に、日本人に対して罪を犯した外国人を裁く権利は、日本の裁判所にはなく、相手国の領事裁判所にあった(領事裁判権)。第二に、他のアジア諸国と同様、関税自主権を日本に与えていなかった。欧米諸国との法的な差別を解消する条約改正は、明治の日本人の悲願であり、日本外交最大の課題となった。

*1=外国人が犯罪を行なったとき、その外国の領事が犯罪者を裁判にかける権利を領事裁判権という。治外法権の一つである。

In 1872 (Meiji 5), the Iwakura Mission attempted to discuss the revision of the unequal treaties with the United States, but was rebuffed on the grounds that Japan had not reformed its legal system, particularly its criminal law.

 1872(明治5)年、岩倉使節団はアメリカとの間で条約改正の予備交渉を行おうとした。しかし、刑法などの法律が整備されていないことを理由に、相手にされなかった。

For this reason, Japan set aside the issue of consular jurisdiction and made recovery of its tariff autonomy the focal point of its bid to revise the unequal treaties. Though the United States agreed to this, the ensuing negotiations ultimately failed due to the opposition of Great Britain and France. However, in 1877 (Meiji 10), a group of British merchants were caught smuggling the narcotic opium into Japan and were arraigned before a consular court. The British consul ruled that their deeds were not treaty violations, as the opium was being imported for medicinal purposes. This unjust decision outraged the people of Japan and convinced the Meiji Government to switch the emphasis of the negotiations back to the abolition of consular jurisdiction.

 そこで日本は、関税自主権の回復に条約改正の重点を置いて各国と交渉した。アメリカは日本に同意したが、イギリスとフランスが反対し、交渉は失敗に終わった。1877(明治10年)、イギリス商人が麻薬のアヘンを密輸する事件があった。イギリスは領事裁判権を行使し、アヘンは薬として輸入したのだから条約違反ではないとの判決を下した。判決の不公平は日本人を怒らせた。日本は領事裁判権の撤廃要求に交渉の重点を切りかけた。

・・・現在の国際関係とは大きく異なり、明治期の欧米の白人国家は武力を背景としている為、有色人の弱小国家の言い分を全く聞く耳を持ちませんでした。日本の先人たちは、有色人国家が白人国家への抵抗を諦めていた時代に、果敢に切り込んでいきました。何故ならば、一日も早く自立した近代国家を築かなければ、弱肉強食の世界で日本が生存し得ないと強く自覚していたからです。

現在の日本人は、正しい歴史を学ばず、そのような先人の苦労を全く忘却しているかのようです。

posted by at 00:16  | 塾長ブログ

質の高い幼児教育

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室https://rashinjyuku.com/wpでは、教育に関する様々な動向にも目を向けていますが、以下の記事が氣になりました。

幼児教育、肝心なのは「質」(産経新聞2017.10.16 )

http://www.sankei.com/life/news/171016/lif1710160033-n1.html

日本では、憲法で無償が保障されている義務教育などに比べて、幼児教育や高等教育の費用負担を家庭に依存していることが、かねてから問題になっていました。このうち高等教育の無償化は現在、議論が始まったばかりですが、幼児教育に関しては、既に政府・与党の方針で、段階的な無償化に乗り出しています。ただ議論の中心が、財源をどう確保するかに追われ、肝心な教育の中身は、文部科学省などに任されているのが現状です。

経済協力開発機構(OECD)は先頃、2017(平成29)年版の「図表でみる教育」(*)を公表しました。教育に関するさまざまなデータを比較・分析して、各国の政策に生かしてもらうためです。

アンドレアス・シュライヒャー教育・スキル局長は、日本の記者向けに行ったインターネット会見で、広がる経済格差の解消に効果的な教育政策は、早期からの質の高い幼児教育に公的な資金を積極的に投資することだと指摘する一方、質の高い幼児教育とは単に「お世話」をすることではなく、社会情動的スキルや認知機能を高めることだと述べ、そのためにも力のある教員を充てるべきだと注意を促しました。

(*)「図表でみる教育」http://www.oecd.org/tokyo/newsroom/benefits-of-university-education-remain-high-but-vary-widely-across-fields-of-study-says-oecd-japanese-version.htm

社会情動的スキル」の育成こそ

ここで改めて、シュライヒャー局長の指摘に注目したいと思います。

社会情動的スキルは「学びに向かう力」とも言い換えることができ、OECDはベネッセ教育総合研究所と共同研究を行いました。2015(平成27)年3月に東京で行われたシンポジウムで無藤隆・白梅学園大学教授(当時)は、社会情動的スキルを「興味を持ち、集中し持続し挑戦する」力のことだと説明しました。OECDでは、一歩引いて自分をコントロールできるような「認知的スキル」と相まって、意欲を持って積極的に自分から学んだり、人と交わったりすることで、結果的に人生でも活躍できるようになる……と見ています。

中央教育審議会で無藤教授が中心になって改訂を提言した新しい幼稚園教育要領(2018<平成30>年度から全面実施)では、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」として、(1)健康な心と体(2)自立心(3)協同性(4)道徳性・規範意識の芽生え(5)社会生活との関わり(6)思考力の芽生え(7)自然との関わり・生命尊重(8)数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚(9)言葉による伝え合い(10)豊かな感性と表現……を示しています。

小学校に入った時、これらが生活科を中心とした「スタートカリキュラム」を通じて、各教科などの学習にスムーズにつながっていく……という考え方です。

詳細は、上記サイトをご覧いただきたいと思いますが、幼児期・児童期に育てるべき資質・能力として世界的に関心が高まる「社会情動的スキル」とは?

曰く、

 社会情動的スキルは、「(a)一貫した思考・感情・行動のパターンに発現し、(b)学校教育またはインフォー マルな学習によって発達させることができ、(c)個人の一生を通じて社会・経済的成果に重要な影響を与 えるような個人の能力」と定義することができる。これらのスキルは、目標を達成する力(例:忍耐力、意欲、 自己制御、自己効力感)、他者と協働する力(例:社会的スキル、協調性、信頼、共感)、そして情動を制 御する力(例:自尊心、自信、内在化・外在化問題行動のリスクの低さ)を含んでいる。・・・と。

詳細は、「家庭、学校、地域社会における社会情動的スキルの育成」をご覧ください。http://berd.benesse.jp/feature/focus/11-OECD/pdf/FSaES_20150827.pdf

翻訳からくる説明なので、わかったようなわからないような・・・社会情動的スキルを「興味を持ち、集中し持続し挑戦する」力のこと、と言われると簡明ですね。

69ページにわたって詳細に述べられている論文から一部だけ抜き書きしますと、

生涯にわたるスキルの発達

スキル発達の速度は、個人の年齢と現在のスキルの水準に大きく左右される。現在では、スキル発達に は敏感期があることが認識されている。子どもの幼児期は、将来のスキル発達の基礎を築くことから、ス キルの発達にとって非常に重要である。幼児期介入における投資は、高い水準のスキルや大人になってか らの良好な成果を確保することにおいて最大のリターンをもたらす(Kautz et al., 2014)。この時期におい ては、家庭は非常に重要であり、親子の関わりのパターンは、認知的、社会情動的スキルに大きな影響を 与える。(p.14)

過去のスキルは現在のスキルの重要な決定要因である

「スキルはスキルを生む」とは、図 2.3 に示されるように、個人の持つスキルの水準が高いほど、スキル の獲得が大きいことを示す(Carneiro and Heckman, 2003)。これは、同一のスキルの蓄積の過程にあて はまる。例えば、学校入学時に数学的リテラシーが同級生に比べて比較的高い子どもは、学年末により 高い数学的リテラシーを持つ可能性が高い。さらに、あるタイプのスキルが他のスキルの育成を助ける、 いわゆる相互生産性についてのエビデンスもある(Cunha and Heckman 2007; Cunha, Heckman and Schennach, 2010)。特に、社会情動的スキルが認知的スキルの発達に役立つことから、高い水準の社会情 動的スキルを持つ個人に当てはまる。例えば、非常に計画的で粘り強い子どもは、同じ水準の数学のスキ ルを持ちながら自制心や粘り強さの水準が低い子どもよりも、数学のスキルを伸ばすことができる可能性 が高い。自制心や粘り強さにより、子どもが授業に集中し宿題を毎回こなす可能性が高くなると考えられ る。したがって、認知的スキルと社会情動的スキルは密接に関連している。スキルの高い子どもは、知識 を向上させるような手段を選択したり、成長のためのさらなる機会(例:課外活動)を求めたりする可能性 が高い。

認知的スキルと社会情動的スキルの動的相互作用

 重要なことに、社会情動的スキルの敏感期は、認知的スキルの敏感期と同じではない。あらゆるスキ ルにおいて早期の投資は有益だが、社会情動的スキルは、認知的スキルに比べ、生涯のうち遅い段階に おいても変化させることが可能である(Cunha and Heckman, 2007; Cunha, Heckman and Schennach, 2010)。さらに、青年期は社会情動的スキルが特に激しく変化する時期であると見られる。例えば、青年期は、 自制心(勤勉性)・友好性(協調性)・情緒安定性の低下と関わっている傾向にある(Soto et al., 2011)。こ うした否定的な変化は、特に一部の子どもたちに影響を与えると見られ、こうした否定的影響の一部をど のようにして和らげることができるかを理解するため、さらなる研究が必要である。(p.15)

別の資料に、山登りを例に、社会情動的スキルを伸ばすのに適した環境を考えてみるという例示があります。

・・・たとえばアルピニストは、ある程度の認知的スキル(登山行程、登山道具の使い方、天候などの情報)と、社会情動的スキル(勇気、自信、モチベーション、コミュニケーション)の両方を備えて登山を開始します。出発後、各段階によって必要なスキルは変化しますが、上記二つのスキルを土台にして、シェルパを含む登山パーティーと助け合いながら困難な状況を乗り切り、ようやく頂上に辿り着くことができます。重要なのは、これらのスキルが登山のプロセスを通じて伸びうることです。

確かに、具体的な例を挙げられると、すんなりと理解できますね。

posted by at 19:13  | 塾長ブログ

父と子

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室https://rashinjyuku.com/wpでは、漢字の字義(文字の意味)をよく理解するように指導します。その為にも、多くの書物に接する機会を持つことがとても大事です。親子での図書館の活用や、辞書を座右に置くことをお勧めします。

さて、『論語に学ぶ〜論語は美しい言葉と智慧の宝庫』(講師 安岡定子氏)の講演会を先にご紹介しましたが、その御祖父安岡正篤先生のご紹介です。公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館からの引用です。https://www.noushi-kyogaku.com/index.html

安岡正篤とは、

世の中を良くするのは主義主張やイデオロギーではなく、公私ともに優れた人物であるとの信念の下、在野に在ってその養成に一生を尽くす。特に国民の幸不幸は政治の影響が大きいとし、政財官界の指導者層の啓発・教化・指導に力を注ぐ。その教えの基本は、日本の伝統を大切にする立場からの東洋的な思想・哲学であった。昭和20815日正午、天皇陛下の「終戦の詔書」がラジオで放送された。この詔書を最終的に刪修(さんしゅう)したのが安岡正篤である。また、元号「平成」の考案者であり、吉田茂から中曽根康弘に至る歴代の総理大臣の指南番的存在でもあった。
※刪修=不要な字句又は文章を削り取って改めること。

安岡正篤は、なによりも古典と歴史に学ぶこと、そしてそれを実生活の上に活かすこと、つまり「活学」しなければならないと教える。なぜなら、現代の諸問題も、既に古聖賢哲がその対処・解決法を古典の中に残しているからであると言う。そして、自身が若き日から命懸けで学んできた和・漢・洋の古典と歴史に立脚し、東洋哲学的な観点から、実践的な指針を我々に示すのである。

生前はほとんど表に出ず、知る人ぞ知る存在だった。しかし没後、著書や講演録、講録のテープ・CD等が相次いで出版され、30年以上経た今でも、己の生き方や国家の在り方を真剣に考える人々に熱く支持され、深い感動と人生の指針を与えている。
またその教え=安岡教学・安岡人間学に基づいた大小様々な勉強会や集りが、道を求める人々によって全国各地で催されており、一燈照隅(*)が実践されている。

(*)安岡正篤先生は、天下国家をあれこれ論じるよりもまず自分がいる場所を明るく照らせる人間に、という意味を込めて「一燈照隅・萬燈遍照」とおっしゃっています。

「自分か居るその場を照らす。これは絶対に必要なことで、また出来ることだ。真実なことだ。片隅を照らす! この一燈が萬燈になると『萬燈遍照』になる。こういう同志が十万、百万となれば、優に日本の環境も変わりましょう。」、と。

筆者も様々な安岡正篤先生の書籍に触れてきましたが、含蓄のある言葉に、鼓舞されてきた記憶があります。「一燈照隅」とは、一つの燈(ともしび)を以って、一隅(ひとすみ)を照らすこと。ひいては、その燈が、十にも百にも、更に萬の燈となって遍(あまね)く国中を照らすことができる、即ち「萬燈遍照」であるとの意です。

ところで、

先日塾生のお父様方と話をする機会がありましたが、父と子、母と子の役割について様々なご意見がありました。丁度、以下の安岡正篤先生の言葉がありました。

http://kyogaku.or.jp/kotoba12.html

父と子

「父子の間は善を責めず。善を責むれば即ち離る。離るれば即ち不祥焉(これ)より大なるは莫(な)し。」(『孟子』離婁上)

 父というものは子に対して、あまり道義的要求をやかましくするものではない。それをやると、子が父から離れる。父子の間が疎くなる。父と子の間が離れて、疎々しくなるほど祥(よ)くないことはない。

 立派な人がなぜ自分の子を教えないのか。それは、やろうたって、勢いやれないからである。父が子を教えるからには、必ず父自身これが正しいことだと信ずることを子に納得させ、実行させようとするのである。それだけに、それが行われないとすると腹が立つ。子に対して腹を立てれば反って打壊しである。子供は子供で、なんだ阿父(おやじ)、俺に道徳を責めるが、御自分様は何でも御立派というわけでもないじゃないか、と内心おもしろくない。こうなると父子両方で打壊しである。これはいけない。

 だから昔の聖人も子をとりかえて教えたものである。つまり他人に師事させた。(中略)道徳は根本において真実でなければなりません。自然——誠でなければなりません。したがって、のんびりして、明るくなければならないのです。ぎこちなく硬ばっていたり、陰気でじめじめしているのは決して道徳的正ではありません。

 しからば父は子を教えることはできないか。(中略)少なくとも父は子を放っておくより外はないかというと、そんなものでもありません。宋の王安石は(中略)、孟子のここの意味を釈(と)いて、『孝経』には「争子」という言葉さえある。(注=父の不義不正を諫争する子という意味で、喧嘩する子ではない。)ただ、その争も善を責める意味ではなくて、盲従せずに正義を主張することで、父が子に対しても、正しくないことは戒めるだけであると申しております。

 元来父子の間というものは、同じ人間関係(人倫)の中でも、師弟や朋友の間と違って骨肉、すなわち血を分けた間柄、より多く自然的関係でありますから、情愛・恩愛が本領で、理性による批判や抑制である正とか義とかを建前にすべきではないからであります。

(『身心の学』—古教照心—より)

子を持つ父親として、熟読玩味すると得心できるお話です。

因みに、お父様方はご自分を子供さんにどのように呼ばせていますか。お父さん、パパ、ひょっとして父上。外交評論家の加瀬英明氏が「加瀬英明のコラム」で蘊蓄を述べられています。http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

 今日の日本では、多くの人々が心を軽んじて、自分本位になるなかで、人々のあいだの絆だけではなく、家族が崩壊しつつある。家族の崩壊は、やがて国の崩壊をもたらす。

 祖先を崇めて深く感謝することは、家族の結束を強め、親が子を子が親を大切にすることにつながる。

 いま、子に親を「パパ」「ママ」と呼ばせる家族が多い。「パパ」は、英語ではない。

 「パパ」は、イギリスのインド統治から、ヒンズー語が英語に入ったものであり、「ママ」は「マザー」(英語)、
「ムター」(ドイツ語)などヨーロッパ諸語に由来するが、中国語でもある。

 父を敬い、母に感謝するのなら、どう呼ぼうとよいが、日本語のもととなっている古代の大和ことばでは、父は「トト」(尊い)、母は「カカ」(太陽がカッカと照る)と呼ばれたことを、知ってほしい。

日本では、古来「言霊(ことだま)の幸(さきは)ふ国」(言葉の霊力が幸福をもたらす国)と言われています。現代の日本語の大元である「大和言葉」では、尊いの「ト」から「トト」、「トウ」(父)→「トウサン」(父さん)となったのでしょう。

母は、「カカ」(太陽がカッカと照る)から、「嬶(カカア)」→「カアサン」(母さん)。太陽神を表す日本古来の天照大神(あまてらすおおみかみ)は「女神」ですから、「太陽がカッカと照る」は、家庭を元気にしたり、暖かくする母親の役割をうまく表現していますね。

posted by at 09:31  | 塾長ブログ

論語に学ぶ 学びの里講演会

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室https://rashinjyuku.com/wpでは、長崎くんちの最終日、十月九日に佐賀県多久市で開催された『論語に学ぶ〜論語は美しい言葉と智慧の宝庫』(講師 安岡定子氏)を受講してきました。遠くは沖縄からも参加者があり、多久市の教育にかける力を感じさせるものでした。

講師の安岡先生は、知る人ぞ知る歴代首相の施政方針に朱筆を入れ助言された漢学者、安岡正篤先生のお孫さんです。「銀座・寺子屋こども論語塾」の代表として、『論語』をわかりやすく講義されています。http://www.sadakorongo.com/?p=301

その講義の資料からの引用です。

■孔子はどんな人?(前五五一〜前四七九年)

「人間いかに生きるべきか」を生涯追求した人物。

 二千五百年前、中国の春秋時代に魯の国に生まれた大思想家・学者・教育者です。特に儒学の祖として知られています。始めろの国の下級役人となり、五四歳の時に大司寇(司法と警察を司る長官)になります。魯の国の大改革をしようとしますが、反対派によって失脚させられます。その後の十数年は諸国を遊歴し、諸侯に自分の思想・哲学を説き、理想の政治の実現を目指しました。しかしその思いはなかなか受け入れられず、晩年は故郷の魯に帰り、門人の教育と古典の整理・編纂に力を尽くしました。

 気難しく、堅苦しい道徳や倫理ばかりを述べている人物のように思われていますが、決してそのようなことはなく、かなりの苦労人であり、人間味豊かでユーモアもある人物像は、とても魅力的です。人間にとって一番大切なものは、仁ー思いやりの気持ちーであると語り続けました。

 ■「論語」について

 古典中の古典。人生必読の書。

『論語』は中国の古典、四書五経の一つです。孔子の言行や弟子たちとの問答などを記録した書物です。二〇編約五〇〇章からなり、講師の思想の真髄を伝えるものとして、後世に大きな影響を与えてきました。また孔子の人柄を知る上でも、貴重な書物です。その中心的主張は「仁ー思いやりの心・愛情ー」の重要性です。戦乱の世にあって、理想の人物像・理想の政治の実現に最も大切なものは、「仁」であると孔子は説いています。

 日本では、江戸時代に藩校や寺子屋で盛んに読まれていました。大きな声で元気に繰り返し読んでいるうちに、名文・名句が体に心に染み込んでいきます。成長と共に経験や知識が加わり意味を理解できるようになり、やがてその言葉の魅力に気づきます。

 日本人の豊かな感性、優しい心、清く強い精神力、あるいは困難や悲しみを乗り越える力は、こうしてゆっくり育まれてきました。そして往くべき道に悩んだ時、くじけそうな時、様々な場面で心の拠り所となってきました。実業家・渋澤栄一氏や湯川秀樹博士をはじめとする、多くの実業家や学者、政治家、作家なども影響を受けています。私たち日本人には、とても身近な書物だったのです。

多くの論語の文言の中から、安岡先生は以下を例示されて子供さん達の導きの手法を講義されました。

学ぶこと・友達を作ること・理想の人を目指すこと。

学んで時に之(之)を習う、亦説(またよろこ)ばしからずや。

朋(とも)有り、遠方より來る、亦(また)楽しからず。

人知らずして慍(いきどお)らず、亦(また)君子ならずや。

昔の人の教えを大切にする。

故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以(も)って師と為(な)るべし。

先のことを考えて行動しよう。

人にして遠き慮(おもんばか)り無ければ、必ず近き憂(うれ)い有り。

良い習慣が大切。

性(せい)、相(あい)近し。習い、相(あい)遠し。

素敵な人からたくさん学ぼう。

教えありて、類(るい)無し。

★志を持つ。

道に志(こころざ)し、徳に拠り、仁に拠り、芸に游ぶ。

よき仲間を持つ。

君子は文(ぶん)を以(もっ)て友を会し、友を以(もっ)て仁を輔(たす)く。

講演会の後、早速孔子を祀る廟である多久聖廟に詣りました。https://www.city.taku.lg.jp/main/5084.html

多久家の四代領主多久茂文(たくしげふみ)は人材育成に重きを置いた人物で、のちに東原庠舎(とうげんしょうしゃ)と呼ばれる学問所を建て、そのシンボルとして宝永5年(1708年)に孔子像、四配(しはい・顔子、曽子、子思子、孟子)を祀る廟として多久聖廟は完成しました。多久は藩よりも小さい「邑(むら)」でしたが、この孔子廟はすばらしいものでした。国内に存在する孔子廟では足利(あしかが)学校(栃木県)、閑谷(しずたに)学校(岡山県)についで古く、またもっとも壮麗な孔子廟だといわれています。

多久市孔子の里発行の「論語カルタ」と「論語日めくり」

このように孔子と論語については、多久市が教育面で大いに力を注いでいるようです。東原庠舎(とうげんしょうしゃ)も見学しましたが、因みに、庠(しょう)は「まなびや、学校、故郷の学校の意」です。

当塾では、古典教育を重視していますので、今回の講演会は筆者にとっても改めて学び直しとなりました。多久市の関係者の方々に感謝申し上げます。

 

 

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