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頑張る氣持ちと夏季講習

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室から暑中お見舞い申し上げます。

毎日蒸し暑い日が続きます。しかし、子供達は元氣です。

元気の「気」は、本来なら「」と書かなければなりません。これはという何らかのエネルギーを四方八方に発散している様を「气(きがまえ)」の中に、「米」を入れることで表現しています。

まさに、子供達は疲れ知らず。夏季講習で一所懸命に学んだら、大いに外で発散。そして、最後はお日様の下で水のシャワー。

    手作りスペース・シャトル

年長児さんの手作りスペース・シャトル。 本物と比べて観てください。

 本物です!

でも、手作りスペース・シャトルもなかなかの迫力です。

posted by at 21:17  | 塾長ブログ

夏休みの過ごし方が今後を決める

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室では、夏休み(正式名称は「夏季休業」と言いますが)は、学校の業務ないし授業が休みということであり、学力向上には休みはない、と考えています。

その為には、湿気も多い日本の夏は、冷たいものを食べてお腹を壊したり、クーラーと常温との温度差で体調を崩すことが多いので要注意です。

何より、規則正しい生活を送るためには、早寝・早起き、健康的な食生活は欠かせません。

学力向上の必須条件は、それらを維持することから始まります。

「夏休み中も正しい食生活は重要!」(産経新聞2017.7.19)からの引用です。

http://www.sankei.com/life/news/170719/lif1707190023-n1.html

小学校ではほとんど、中学校でも多くの学校に、給食があります。学校給食は、栄養教諭・学校栄養職員をはじめとした人たちの努力で、バランスのよい食事が日々提供されています。しかし学校給食も、重要な教育の一環です。食育は、現行の学習指導要領でも重視されていますし、次期指導要領でも更に充実されます。

「早寝早起き朝ごはん」の標語で啓蒙活動をしているサイト(「早寝早起き朝ごはん「全国協議会http://www.hayanehayaoki.jp)もあります。そこからの引用です。

 子供たちの健やかな成長には、「早寝早起き朝ごはん」をはじめとした規則正しい生活習慣が大切です。近年、子供たちの生活習慣の乱れが学習意欲、体力、気力の低下の要因の一つとして指摘されています。 

また更に、

「朝食の摂取と学力・体力の関係」では、朝食を毎日食べている子供の方が、学力調査の平均正答率や体力合計点が高い傾向にある、ということも指摘しています。

     学力調査の平均正答率

明らかに毎日食べている子供たちが国語、算数・数学の正答率が高い傾向にあります。

        体力合計点

スポーツ庁平成27年度全国体力・運動能力、運動習慣等調査の結果も、毎日食べている子供たちが良い値を示しています。

また、睡眠の効果について

従来から「寝る子は育つ」と言われていますが、睡眠には心身の疲労を回復させる働きのほかに、脳や体を成長させる働きがあります。
脳には海馬という知識の工場があり、睡眠中に活性化し、昼間経験したことを何度も再生して確かめ、知識として蓄積しています。この海馬の働きを助け、子供の成長に欠かせない脳内物質であるメラトニン(暗くなると分泌され、体温を下げて眠りを誘う働き)と成長ホルモン(寝入ってすぐの深い睡眠時に分泌され、脳、骨、筋肉の成長を促す働き)は眠っている間に活発に分泌されます。眠る時間が遅くなると、これらの脳内物質の分泌に影響を与えてしまうので、午後9時ごろには就寝させるように心がけましょう。

朝の光の効果

朝の光を浴びると、脳の覚醒を促す脳内ホルモンであるセロトニンが活発に分泌されます。その結果、頭がスッキリと目覚め、集中力があがります。また、自律神経が副交感神経から交感神経に切り替わり、活動に適した体になります。
セロトニン分泌は、夜寝ているときにはなく、朝起きると始まります。セロトニンの分泌を増やすには、陽の光を浴びて体を動かすことや、しっかりと噛んで朝ごはんを食べること等が効果的です。
一方、陽が沈むと睡眠を促すホルモンであるメラトニンが合成されます。このメラトニンは、セロトニンを材料にしているので、昼にセロトニン分泌を増やすような活動をすることが大切になってきます。
このように朝の光を浴びて、昼に活動を行うことにより、夜にはメラトニンがたっぷりと合成され、よく眠ることができるようになります。

朝食の効果

 脳のエネルギー源はブドウ糖です。ブドウ糖は体内に大量に蓄えておくことができず、すぐに不足してしまいます。また、私たちの体は寝ている間もエネルギーを使っているので、朝にはエネルギーや必要な栄養素が少なくなっています。つまり、朝起きたときは脳も体もエネルギーが不足した状態なのです。そのため、朝食でブドウ糖をはじめとする様々な栄養素を補給し、午前中からしっかり活動できる状態を作ることが大切です。
しかし、ドリンクやゼリーなどで栄養を摂りさえすればいいというわけではありません。朝食でもう一つ大切なことは『よく噛んで食べること』です。『噛むこと』で脳が覚醒し活発になります。また、口に食べ物が入り、胃に送られてくると腸や大腸が動き始め、内臓も目覚めます。それが朝の排便習慣にもつながります。

昔から「早寝早起きは三文の徳」というように、日本人の先人たちは多くの効用があることに気づいていたのですね。

posted by at 19:20  | 塾長ブログ

幼児さんの創造性の発露

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室では。子供さん達の個性に合わせた教育を心掛けております。

同学年の子供達であっても、興味や能力、花に例えると早咲き・遅咲き、閃き型・熟考型、感覚派・論理派など様々なタイプがあります。

それぞれの個性に合わせて指導の方針を決め、段階に応じた指導をしていきます。

年長さんの才能の煌めきを感じる作品をご紹介します。

クワガタムシ

 

殿様バッタ

 

蜘蛛

 

これらの作品の大きさは、背景と比較していただくと想像できると思います。

材料は身近な新聞紙やストロー、テープ。サインペンや色鉛筆などで色合いを表現しています。

実物を見ると、多くの人が驚かれるほどです。

大事な家庭での復習をする前に、必ず一作品は作るとのこと。

娘さんの創造性を活かす作品作りのヒントは、お父様が楽しみながら与えておられる。素敵な関係です。

posted by at 18:59  | 塾長ブログ

「日本にない危機感『国家的油断』が日本人の学力低下を招く」

大学入試改革のニュースが再三メディアに掲載され高校の先生方もそれに翻弄されながら対応に苦慮されているようです。長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室では、変化には対応しますが、文部科学省の所謂「加計(かけ)学園の獣医学部新設計画」について衆参両院で閉会中審査(平成二十九年7月10日)が行われた様を見る限り、文部科学省の推進する大学入試改革は大丈夫なのだろうか、と思わざるをえません。

その不安を鋭く指摘している産経新聞「正論」(2017.7.10)の記事があります。http://www.sankei.com/life/news/170710/lif1707100007-n1.html

抜粋し引用します(尚、太字は筆者が入れております)。

「中韓を侮るな!日本にない危機感『国家的油断』が日本人の学力低下を招く」精神科医・国際医療福祉大学教授、和田秀樹

 私がそれ以上に油断していると思うのは、日本人の科学技術や学力について、国がほとんど危機感を持っていないことである。「ゆとり教育」を撤回したので、それで大丈夫だと思っている節がある。

 

■中国にかなわない科学の影響力

 この6月、文部科学省所管の科学技術振興機構の調査結果が発表された。

 他の論文に引用された回数から、影響力で上位10%の論文を発表した学者がどこの国に属するかの調査だが、それによると中国がコンピューター科学・数学、化学、材料科学、工学で世界トップに立ち、主要8分野のうち4分野が中国、残りの4分野はアメリカがトップになっているという。日本はほとんどの分野で5~6位に甘んじている

 中国や韓国が「ひっくり返っても日本に勝てない」という楽観論はいまだに根強くある。経済については「悲観心理」が余計に不況を引き起こす側面があるので、楽観を抱くことにはある程度、意義もあろう。

しかし、研究や教育に関しては「まだ大丈夫だ」という油断がレベルダウンに直結してしまう。

 日本は毎年のようにノーベル賞を取るが、中国は取れないということを根拠に、そういうことを言う人が多い。しかし、ノーベル賞の多くは10年、場合によっては何十年も前の業績を対象にしたものである。その時代の日本の科学技術の水準の高さを示すもので、現在の水準を示すものではない。

 東大卒や東大教授が、受験に受かったときや教授になったときは優秀であるかもしれないが、その10年先、20年先の学力の高さは保証されるものではない。その後、ろくに勉強しなければ、ただの人である(東大教授になってしまえば論文を書かなくても定年までクビにならない)

 

■いまの大学入試は適切か

 かつて日本のスーパーコンピューターの性能が世界1位だったころ、「2位ではいけないのか?」といって科学研究費を削減しようとした民主党のリーダーがいた。現実には2013年から中国が1位になり、日本は2位にすら入っていない。

 中国の研究費は約38兆円で日本の2倍になっているが、国力の維持のために、何をおいても日本はもっと多くのお金をつぎ込むべきだろう。

 また、各種調査で子供の勉強時間が、中国や韓国の子供と比べて、はるかに少ないことが明らかになっている。

 1990年代の半ばに、日本の平均的な中学生の数学力が韓国や台湾に抜かれた。そのとき、「このままでは20年後には、日本がITなどの分野で韓国や台湾に抜かれかねない」と私が主張したら、当時の学者や文部省から一笑に付され、2002年からは逆に「ゆとり教育」が導入された。

 その後、iPhoneを台湾が作り、台湾の会社がシャープを買収し、日本のスマホやパソコンは韓国のサムスンに勝てないという事態が生じている。

 現在の日本人はペーパーテスト学力は高いが、表現力や創造性が足りないという理由で、20年度からは全ての国立大学をAO入試化するような答申が出され、施行の方向に向かっている。

 しかし、私には日本の子供のテスト学力が高いとはとても思えない。少子化や大学定員の増加でむしろ学力は下がり続けている。中国やアメリカをはじめとする欧米諸国では、初等・中等教育はむしろ詰め込み教育にかじを切り、表現力や創造性のトレーニングは大学に入ってから本格的に始める

 しかし、日本は大学教授が審議会の委員を握り、自分たちの保身のため大学教育を変えようとせず、大学入試のほうを変えようとする。本当にこれで大丈夫だと思っているのだろうか。

・・・的確な指摘に、大学改革を提唱する教育審議会のメンバーの方は、どのように応えるのでしょうね(無論、このような意見は歯牙にも掛けないでしょうが)。実際、県立高校の先生方のお話を聞く機会が有りますが、その言葉の端々に基礎学力の無い生徒への対応に苦慮されていることがわかります。

「各種調査で子供の勉強時間が、中国や韓国の子供と比べて、はるかに少ないことが明らかになっている。」ことや「日本の子供のテスト学力が高いとはとても思えない。少子化や大学定員の増加でむしろ学力は下がり続けている。中国やアメリカをはじめとする欧米諸国では、初等・中等教育はむしろ詰め込み教育にかじを切り、表現力や創造性のトレーニングは大学に入ってから本格的に始める。」という指摘には、改めて基礎教育(読み・書き・算盤)について再考するべきでは無いかと考えます。

そもそも、かって「詰め込み教育」の弊害を無くせという非難の嵐の中で現在の「大学入試センター試験」の前身の「共通一次試験」が開始された経緯を知る筆者からすると、四十年余経過しても却って基礎学力の低下を招くという目も当てられない結果しか産んでいないことがわかります。

結局、我が子の教育は親御さんが工夫して力をつけていくしかありません。

posted by at 12:01  | 塾長ブログ

教科書に載らない歴史上の人物 23 神武天皇以後の人物群像

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室では、教科書に書かれていないことでも大事なことは教える工夫をしています。知識欲旺盛な子供さんは、学校での学習内容を超えて学んでいきます。

さて、今回は「神武天皇の國家建設」以後の歴史上の人物たちの群像です。

先にご紹介していました「少年日本史」(平泉澄著)。
現在学校で用いられているどの歴史教科書よりも格調高く日本の國史を紐解かれています。その「神武天皇」以後の「皇紀の(上)」をご紹介します。

「少年日本史」(平泉澄著 皇學館大学出版部)15頁〜19頁

少年日本史 皇紀(上)

 

「神武天皇が、実に重要な、そして偉大な御事業であったに拘らず、正確に、また詳細に、分からないところがありますのは、その當時の記録がないからです。

何故その當時の記録が無いのか、と云えば、不幸にして其の頃の我が國には、文字が無かったからです。

日本人の中に、文字を發明するものが無く、また外國から、文字を輸入する事も無かったからです。

 支那には、文字が、古い時代に發明せられ、書物が古くから作られていました。

それが朝鮮に傳わり、朝鮮から我が國へ入ってきたのは、應神天皇の御代(みよ)であったと傳られています。

卽ち應神天皇の十五年には阿直岐(あちき)、十六年には王仁(わに)、二十年には阿知使主(あちのおみ)等が帰化して學問を傳えました。

王仁は、漢の高祖の子孫で、西文氏(かわちのふみうじ)の先祖となり、は阿知使主(あちのおみ)は後漢の靈帝(れいてい)の子孫で、東文氏(やまとのふみうじ)の先祖となり、學問を以って、朝廷にお仕えしましたので、それからは記録が出来たでしょうが、それまでは只の言葉で云いつたえて来ただけです。

口傳(いいつたえ)だけとなれば、今日から考えると、非常に頼り無い氣がしますが、それは記録が發達し、文字に賴る事になった爲に、却って記憶力が衰えたからで、文字に賴らない人は、今でも記憶力の非常に強く、むつかしい事を能く覺えているのに驚く事があります。

殊に太古(おおむかし)には、語部(かたりべ)というものがあって、物語を暗唱して傳える事を、本務とし、専門としていましたから、たとえ文字が無いにしても出来事の大筋は、云いつたえられて来たでしょう。

それが應神天皇の御代から、段々文字に寫されて、記録が出来て来たでしょう。

それを整理して、我が國の歴史をまとめようとされたのは、推古天皇の二十八年に、聖徳太子が、天皇記・國記その他の歴史をお作りになったのが、最初(はじめ)でした。

その天皇記や國記等は、皇極天皇の御代(みよ)に、蘇我氏の亡びた時、蘇我氏の爲に焼かれましたが、一部分だけは、火の中より取り出されて、朝廷へ戻りました。

然し何分にも、それは不完全であったし、また諸家に傳わった記録には、色々誤りがあったので、第四十代天武天皇は、是等を整理し、昔からの口傳(いいつたえ)を秩序立てて、これを稗田阿禮(ひえだのあれ)に記憶せしめられました。

稗田阿禮は、勅命(ちょくめい)を受けた時に、年は二十八、生まれつき聰明(そうめい)で一度見聞した事は、二度と忘れぬ人でした。

然し此の人の壽命にも限りがあるので、第四十三代元明天皇は、漢字漢文の教養の深い太安萬侶(おおのやすまろ)に命じて、稗田阿禮の暗唱する所を、文字に記録させられました。

數箇月かかって、和銅五年(西暦七一二年)正月、それが完成して獻上せられました。

是が有名な古事記で、上中下の三巻に分かれています。

古事記は古い口傳(いいつたえ)を本にしたものですが、是れとは別に、聖徳太子以来の歴史家の努力があって、外國の歴史を参考し、諸家の記録を整理し、之によって口傳(いいつたえ)に缺けていた年月を補い、我が國の歴史を大成する計畫が進められていました。

それが第四十四代元正天皇養老四年(西暦七二〇年)五月に出来上がって、総裁舎人親王(とねりしんのう)より献上せられました。

日本書紀がそれであります。

内容も詳しくなって、全部で三十巻あります。

是れは正史として、非常に重んぜられました。

その後、その續篇がつぎつぎに作られ、續日本紀(しょくにほんぎ)、日本後紀(にほんこうき)、續日本後紀(しょくにほんこうき)、文徳實録(もんとくじつろく)、三代實録(さんだいじつろく)とつづき、日本書紀と合わせて、六國史(りっこくし)と呼ばれるようになりました。

 かように我が國の歴史を書いた書物の、一番古いのは古事記であり、それについで古いのは日本書紀ですが、古事記は第四十三代元明天皇の御代に作られ、日本書紀は第四十四代元正天皇の御代に完成したのですから、神武天皇との間に、天皇の御代(ごだい)にして四十數代のへだたりがあり、年月にして一千年前後の間隔があるとしなければなりません。

もっとも應神天皇の御代頃から、漢字を以って記録する事が、段々始まったとし、それが古事記や日本書紀の材料となったとしても、その應神天皇は、第十五代の天皇ですから、神武天皇との間に、十数代のへだたりがあります。

その十数代の間は、記録が無くて、専ら口傳(いいつたえ)に寄ったとしなければなりませんから、建國當時の事、人によって、傳えがまちまちであるのは、仕方の無い所でしょう。

そこで神武天皇の御東征も、安藝(廣島縣)に七年、吉備(岡山縣)に八年、御滞留になったと、古事記は傳えているのに、日本書紀では、前者を七十日ばかりとし、後者を三年とし、非常な相違が出て来るのです。

然し細かい點には、そのような違があっても、道順は同じであり、話の大筋は變っていませんから、大體は前に述べたような事であったとしてよいでしょう。

 只一つ困る事があります。

それは古事記には、御代々の天皇の御名(おんな)と、その御代の出来事が書いてありますが、それが何時の事で、そして次の記事との間に、幾年のへだたりがあるのか、が書いてありません。

つまり古事記は、物語としては、まことに面白いが、年表を書いて、年月順に整理しようとすると、それはできない仕組みになっているのです。

之にひきかえ日本書紀の方は、年月を明記してあって、時の流れと、出来事とが、ハッキリ分かるようになっています。

殊に神武天皇の御卽位を、辛酉(かのととり)の年、春正月朔日(はるしょうがつついたち)と明記し、それを基準にして、二年、三年とかぞえる事にしてあるので、その御卽位の年を、我が國の紀元元年(きげんがんねん)とし、之によって数えるのを、皇紀と云うのです。

その皇紀では、今年昭和四十五年は、二千六百三十年となっています。

 ところが、此の日本書紀の年立(としだて)に、困る事には、無理があるのです。

それは古い時代に、長壽(ちょうじゅ)の人が多いことです。

長壽と云っても、八十、九十ならば信用出来ますが、百数十歳、或いは二百数十歳で活動するとなれば、是れは疑わしいとしなければなりません。

そのような無理は、年立(としだて)を殆んど氣にかけていない古事記にも現れていますから、古事記や日本書紀の作られた時より、かなり前に、年立(としだて)の混乱があって、それが影響したのでしょう。

人によっては、古事記や日本書紀を貴ぶのあまり、その記事を鵜呑に呑込んで信用しようとする人もありますが、それは贔屓の引き倒しで、無理でしょう。

たとえば、神武天皇の御年、古事記には百三十七歳、日本書紀には百二十七歳とあり、第十代崇神天皇の御年、古事記は百六十八歳、日本書紀は百二十歳と記しているのです。

殊に甚だしいのは、第十四代仲哀天皇は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の御子でありますが、日本書紀の記事を、そのまま見てゆくと、日本武尊のお崩(かく)れになってより、三十六年後にお誕生になった勘定になるのです。

何としても、是れはあり得ない事ですから、日本書紀の年立てには、大きな無理があり、そしてそれが古事記にも影響を與えている所から判断して、この二つの書物の書きおろされるよりは、ズッと前に、年立ての混亂、或いは無理な年立てが行われたに相違ありません。

・・・このような歴史の経緯は、敗戦後の日本では、子供達に教えられることはありません。何故ならば所謂「唯物史観」を物差しに、偏向した歴史観に基づいた執筆者などによって教科書が記載されているからです。従って、二千年以上にわたり継続した独立国として世界史上稀有な存在である日本の正しい歴史を学ぶ機会を得られないことになっています。

posted by at 19:59  | 塾長ブログ
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