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貝原益軒の説く「幼児教育」其の五

幼児教育についての貝原益軒先生の言、時代を超えた普遍的名言です。
「和俗童子訓」は、
巻の一 総論上、
巻の二 総論下、
巻の三 随年教法 読書法
巻の四 手習法
巻の五 教女子法
と、詳細にわたり縷縷述べられています。

長崎市五島町の羅針塾 学習教室・幼児教室では、子供達の将来に資する幼児教育の古典である「和俗童子訓」も活用していきたいと考えています。

さて、
貝原益軒先生の「和俗童子訓」。
江戸時代の子を持つ親に向けて分かり易く説いています。

貝原益軒 和俗童子訓 巻第一 総論上

<読み下し文>

 凡そ小児の教えは、早くすべし。
しかるに、凡俗の知なき人は、小児を早く教ゆれば、気くじけて悪しく、只、其心にまかせてをくべし、後に知恵出でくれば、ひとりよくなるといふ。
是必ず、おろかなる人のいふ事なり。
此(この)言(ことば)大(だい)なる妨げたり。
古人(いにしえびと)は、小児の初めてよく食し、ものいふ時より、早く教ゆ。
おそく教ゆれば、悪しき事を久しく見聞きて、先入の言(ことば)心の内に早く主(あるじ)となりては、後に善き事を教ゆれども、移らず。
故に、早く教ゆれば人やすし。
常に善き事を見せしめ、聞かしめて、善事に染み習はしむべし。
をのづから善にすすみやすし。
悪しき事も、すこしなる時、早く戒むれば去(さり)やすし。
悪長じては、去がたし。

<現代語訳>

・・・一般に、小児教育は、早くするべきである。
然るに(そうであるのに)、凡俗(世間並み)の知なき人(ものの道理を知り正しい判断を下すことができない人)は、小児に早くから教育をすると、やる気を削ぎ良くないので、ただその子の心の赴く(おもむく)にまかせ、成長して知恵がついてくれば、自然に良くなってくる、と言う。
これは愚かなる人(考えの足りない人)が必ず言うことである。
この様な言葉(や考え方)は大きな妨げ(障害)である。
古人(昔の世の人)は、小児が初めてよく食べる様になり、言葉を話す時から、早く教育を施す。
教育を遅く始めれば、悪いこと(良くないこと)を長い間見たり聞いたりして、前もって心の中に入った言葉が心の中の中心を占めることになり、後に善い事を教えようとしても、心の中に移す(染み込ませる)ことができない。
故に、早くから教育すれば容易く(たやすく:わけなく)教えることができる。
普段から常に、善い事を見せたり、聞かせたりして、善事(善いこと)を染み込ませるように習わせるべきである。
そうすると、自然に善(善いことや道理にかなったこと)へ向かう様になる。
悪いことも、少しである時は、早く戒める(同じ過失を繰り返さない様に叱る)と除く(取り去る)ことができる。
悪いことが増大すると、除く(取り去る)ことが難しくなる。

<読み下し文>

 古語(こご)に、「両葉去らざれば、将に斧柯(ふか)を用んとす」といへるがごとし。
婦人及無学の俗人は、小児を愛する道を知らず、姑息のみにして、ただうまき物を多く食わせ、よき衣を暖かにきせ、ほしゐままに育つるをのみ、其子を愛するとおもへり。
是人の子をそこなふわざなる事をしらず。
今の世にも、其(その)父、礼をこのみて、其子の幼き時より、しつけを教え、和礼を習わする人の子は、必ず其子の作法よく、立ち居ふるまひ、人のまじはり、ふつづかならず、老(おい)にいたるまで、威儀よし。
是(これ)其(その)父、早く教えしちからなり。
善を早く教え行はしむるも、其しるし又かくの如くなるべし。

<現代語訳>

・・・古語(古人の言った言葉)に、
「両葉(双葉、二葉)のときに切り取っておかないと、大木になってからでは斧を用いなければならなくなる(*)」というようなものである。
(*悪事や災いは小さなうちに取り除いておかないと、あとで面倒なことになるということの例え。両葉は芽が出たばかりの双葉。斧柯は斧の柄、また斧のこと。)
婦人及び無学(学問・知識のないこと)の俗人(世間一般の人)は、小児を愛する道をしらないで、姑息(根本的に解決するのではなく、一時の間に合わせにすること)のみで、ただ単に美味いものをたくさん食べさせ、よい着物を暖くなる様に沢山着せ、ほしいまま(やりたい侭に振る舞うこと)に育てるだけで、その子を愛していると思っている。
このようなことが人の子をそこなう(悪い状態にする、害する)わざ(行為、行い、振る舞い)であることを知らない。
今の世の中でも、その子の父が、礼(社会生活をする上で、円滑な人間関係や秩序を維持するために必要な倫理的規範)をこのんで(自分から進んで行い)、その子の幼時の頃より、躾(しつけ:子供に礼儀作法を教え身につけさせること)を教え、和礼(日本の倫理規範、礼儀作法)を習わせられた人の子は、必ずその子の作法は良く、立ち居振る舞い、人との交際などに、不束(ふつつか:教養がない様。嗜(たしな)みがない様)ではなく、老年に至るまで、威儀(挙措動作が礼式にかなっていること)が良いのである。
これは、その父が早くから教育を施した力である。
善を早く教え行わしめることは、その験(しるし:ある行為を積み重ねたことによる効果)はまたこのように如実である。

**********************

豊臣秀吉が立ち寄り先での茶を給仕する挙措動作や心遣いを高く評価し石田三成を見出した故事は、礼(社会生活をする上で、円滑な人間関係や秩序を維持するために必要な倫理的規範)を重んじて幼い時から教育したことの表れです。
日本人の教育の基本中の基本が示されています。
単なる知識教育だけでは役に立たない証左ではないでしょうか。

posted by at 13:03  | 塾長ブログ

貝原益軒の説く「幼児教育」

長崎市五島町の羅針塾 学習教室・幼児教室では、「就学前の学び」の大事さを常々指摘しています。

第11回親子セミナー、「親子で学ぶ偉人伝」では、貝原益軒の三百年前の教育書である「和俗童子訓」を採り上げました。

日本の子供達の読解力低下が指摘されて久しいのですが、経済協力開発機構(OECD)が昨年12月に公表した国際学力調査の結果では、15歳の読解力が4位から8位に順位を下げたとか。
マス・メディアが喧伝しますが、このような調査結果や他国との比較に一喜一憂することなく、教育に携わる大人達が目の前の子供さんと向き合うことが大事です。

「和俗童子訓」のみならず、日本の先人達は幼児教育がいかに大事かを縷々述べています。

   和俗童子訓(中公文庫)

貝原益軒 和俗童子訓 巻第一 総論上 から、幼児教育の要諦を若干紐解いてみます。

凡そ人は、善き事も悪しき事も、いざ知らざる幼(いとけ)なき時より、習い馴れぬれば、まづ入りし事、内に主として、既に其の性となりては、後に又、善き事、悪しき事を見聞きしても、移り難ければ、幼なき時より、早く善き人に近づけ、善き道を、教ゆべき事にこそあれ。

・・・一般に、善い事も悪い事も、分別のつかない幼い時に習い馴れてしまえば、身についてしまい定着すると、後になって善い事や悪い事を見聞しても、修正する事が難しくなる。幼い時よりいち早く善い人に接し、善の道を教える事が肝要である。

 人となる者は、必ず聖人の道を、学ばずんばあるべからず。
其の教えは、予(あらかじめ)するを先とす。
予(あらかじめ)すとは、かねてよりといふ意(ところ)。
小児(しょうに)の、いまだ悪に移らざる先に、かねて、早く教ゆるを云う。
早く教えずして、悪しき事に染み習いて後は、教えても、善に移らず。
戒めても、悪をやめがたし。
古人(いにしえびと)は、小児の、初めてよく食し、よくものをいう時より早く教えしと也。

・・・人となる者は、必ず聖人の道を学ばなければならない。
其の教えは、物事の始まる前に、前もってしておかなければならない。
予めすとは、以前からという意味合いである。
小児(幼児)の、まだ悪いことが身につくよりも前の小さな時から教えることである。
早く教えないで、悪いことが身についてしまった後には、たとえ教え導いても善きことは身につかない。
戒めても(叱り、注意をしても)、悪いことを止めることは難しい。
古人(昔の優れた人)は、小児(幼児)が普通の食べ物を食べ始め、しっかり言葉を話せる頃には、教え始めるべきであると云う。

 凡(およそ)小児の悪しくなりぬるは、父母、乳母(めのと)、かしずきなるる人の、教えの道知らずして、其の悪しき事をゆるし、從ひほめて、その子の本性(ほんせい)をそこなふゆえなり。

・・・一般に、小児(幼児)が悪くなるのは、両親や乳母、その他の使用人が教えの道(人としての倫理)を知らずに、悪い事を許したり、何でも褒めたりすることで、無邪気な子供の本質を損なってしまうからである。

  凡(およそ)小児を育つるに、初生(しょしょう)より愛を過すべからず。
愛すぐれば、かへりて、児(こ)をそこなふ。
衣服をあつくし、乳食にあかしむれば、必ず病多し。
衣をうすくし、食を少なくすれば、病すくなし。
富貴の家の子は、病多くして身よはく、貧賤の家の子は、病すくなくして身つよきを以って、其の故を知るべし。
小児の初生には、父母のふるき衣を改めぬひて、きせしむべし。
きぬの新しくして温なるは、熱を生じて病となる。
古語に、「凡そ小児を安からしむるには、三分の飢(うえ)と寒(かん)とを帯ぶべし」といへり。

・・・一般に、小児(幼児)を育てるには、赤ん坊の頃より過保護にしてはいけない。
過保護にして育てれば、かえって子供を損なってしまうことになる。
衣服を厚着にし、乳児食ばかりを食べさせると、必ず病気がちになる。
衣服を薄着にし、少食にすると病にかかることは少ない。
金持ちの家の子は、病気がちで身体虚弱であり、貧乏な家の子は、病気もせず身体強健であることから、其の理由を知るべきである。
小児(幼児)の赤ん坊の頃は、父母の着古した衣を縫い改めて着せることである。
衣服が新品で温かいものは、暑すぎて却って病気になる。
古い言い伝えには、「一般に子供を健全に育てるには、十のうち三分の飢え(腹七分目)と寒さ(薄着で少し寒いくらい)の状態を維持するべきである」という。

古来「煖(暖)衣飽食」は、暖かい衣服に困ることなく、飽きるくらいの量の食料があるという意味から、贅沢な生活のたとえです。幼児から其のような生活に慣れ親しむと、環境や状況が変わると対応できなくなります。
寒暑や飢餓状態に耐えることは、厳しい学問の道や仕事の厳しさにも耐え抜く力をつけることに繋がります。

心の持ち方も、幼児からしっかりと人倫の道(人として歩むべき道、人のあり方)を教え込むことの大事さを貝原益軒は説きます。

posted by at 15:25  | 塾長ブログ

国立大学で広がる<文理融合学部>

長崎市五島町の羅針塾 学習教室・幼児教室では、昨年九州大学の春日キャンパスのオープン・スクールに塾生と親御さんで参加をしました。幼児さんも様々な施設や催しに興味を示し、楽しいひと時でした。
その九州大学が平成30(2018)年度から「共創学部」を新設するというニュースが、注目を集めています。
国立大学で広がる<文理融合学部> 産経新聞(2017.1.27 )http://www.sankei.com/life/news/170127/lif1701270039-n1.html
(引用)

 人文社会系と理工系の学問を融合した教育がポイントとなっていますが、「文理融合」は九州大学だけではありません。
2017(平成29)年4月から新潟大学は「創生学部」をスタートさせるなど、他の国立大学でも、文理融合は、国立大学改革のキーワードの一つとなりそうです。

 2017年度から相次いで創設

 九州大学の計画では、共創学部(入学定員105人)は、従来の手法では解決が困難な問題に対して、文化や宗教などの多様性を理解しながら、分野横断的な発想をもって解決手段を見つけることのできる人材を育成するため、既存の学問分野を横断した「文系マインド・理系マインドや多様な方法論」を身に付けることを狙いとしています。
文理融合を正面から打ち出した学部といえるでしょう。

 新潟大学では、「課題発見・課題解決能力」の育成を目指して、人文社会系と理工系の他学部が提供する22科目を選択して学ぶことができる、文理融合の教育を柱に掲げています。
 同様に2017(平成29)年度新設の学部を見ると、横浜国立大学の「都市科学部」、滋賀大学の「データサイエンス学部」、島根大学の「人間科学部」なども、社会科学系の分野に自然科学系の学問を取り入れたり、あるいは理工系分野に社会科学系の学問を取り入れたりするなどで、文理融合を図っています。
 この他、2016(平成28)年度からスタートした宮崎大学の「地域資源創成学部」でも、地域のリーダー育成のカリキュラムの中に「生物学」「食品学」「作物栽培学」などの科目を取り入れています。

九州大学のホーム・ページを見ると、http://www.kyushu-u.ac.jp/ja/faculty/undergraduate/kyosogakubu

「九州大学は平成30年4月に、12番目の学部として国際社会で活躍するグローバル人材を育成する学生定員105名の共創学部を設置する予定です。

昭和42年6月の歯学部設置以来、約50年ぶりに新たな学部を設置し、複雑・多様化するグローバル社会において、多様な人々との協働から異なる観点や学問的な知見の融合を図り、共に構想し、連携して新たな物事を創造する「共創」により新たなイノベーションの創出を担う人材の育成に取り組みます。」
・・・と、あります。
かなり、気合の入った宣言です。

更に、「構想概要」として

「急速な社会変化から生じた複雑・多様化した課題・問題を抱えるグローバル社会においては、単なる知識の蓄積や技術の改良だけでは課題・問題を解決することが困難であり、課題や問題の背後にある社会的背景(言語、文化、宗教、価値観、経済力など)の多様性も理解したうえで、自らの問題意識に基づき、地球規模の課題を分野横断的な発想をもって解決手段を見つけることができる人材を育成することが必要であると考えます。」

また、「コンセプト」は、

「社会的課題の設定から課題解決策を考え【構想】、課題解決に向け他者と取り組み【協働】、構想から協働までの一連の【経験】を通じて、【共創】を目指す。」

と、なっています。

     科目イメージ

 

      科目イメージ

 

時代の大きな変化に対応出来る人材を育てる為には、大学が先ず改革していかなければならない。
その為、
国立大学の文理融合の教育を積極的に進めていくということです。

その理由は、
社会のグローバル化やICT(情報通信技術)の急速な進歩により、従来の学問分野で区切られた教育だけでは、これからの社会をリードしていく人材を育てられなくなっていると考えられるからです。

すでに世界的な囲碁棋士を負かすAI(人口知能)は驚異的な進歩をし続けていますし、Big Data(ビッグ・データ)の活用は当たり前の時代です。

これから大学を目指す受験生は「文理融合」は新たな進路選択の一つとなります。

posted by at 11:28  | 塾長ブログ

教科書に載らない歴史上の人物 21-1 貝原益軒(福岡藩の儒学者)

大学入試センター試験は、独立行政法人大学入試センターによって、例年1月13日以降の最初の土曜日・日曜日の2日間にわたって行われる日本の大学の共通入学試験ですが、最終合格を目指す前期日程試験が2月25日から始まります。
本試験を一番寒さが厳しく積雪などの影響が出やすい時期に実施することは、受験生に対する配慮の無さを感じます。
受験生の親御さんなら痛感されると思います。

長崎市五島町の羅針塾 学習教室・幼児教室では、幼児期から心身ともに健やかに育ち、辛抱する術を身につけて欲しいと考えています。
受験は誰しも同じ条件で競うわけですから、精神的にtough(タフ)でなければなりません。

さて、教科書に載らない歴史上の人物の再掲(加筆)です。

心身ともに健やかになる術を平易に示した先人のお話です。
***************************

「83歳の貝原益軒は、自身の体験から編み出した、心身ともに健康で充実した幸福な日々を送る術を書き残した。」

貝原益軒は、筑前国(現在の福岡県)福岡藩士。
藩費による京都留学で本草学や朱子学等を学ぶ。
7年間の留学の後、1664年35歳の時、帰藩し、150石の知行を得、藩内での朱子学の講義や、朝鮮通信使への対応をまかされ、また佐賀藩との境界問題の解決に奔走するなど重責を担った。
藩命により『黒田家譜』を編纂。
また、藩内をくまなく歩き回り『筑前国続風土記』を編纂する。

幼少のころから読書家で、非常に博識であった。
但し、書物だけにとらわれず自分の足で歩き、目で見、手で触り、あるいは口にすることで確かめるという実証主義的な面を持つ。
また世に益することを旨とし、著書の多くは平易な文体でより多くの人に判るように書かれている。

国際派日本人養成講座
名著探訪:『養生訓』~ 人々がみな幸せに仲良く暮らせる国を創る道 からの引用です。
http://blog.jog-net.jp/201404/article_7.html

    貝原益軒像

一本の木を育てるように、自分の身体の世話をする

 福岡藩の儒学者・貝原益軒が『養生訓』を著したのは、正徳2(1712)年、83歳の時であった。人生50年と言われた当時に、「いま83歳にいたりて、なほ夜細字をかきよみ、牙歯(は)固くして一もおちず」と心身壮健を誇り、世のため人のための著述に励んだ。

 そして自らの生活の中で実践して掴んだ、長命健康を実現して、充実した人生を楽しむための方法論を体系的に説いて、人々の参考に供しようとしたのが、この書物であった。

『養生訓』というと、なにやら老人のための健康法を説いた本のように思われるが、益軒は「わかき時より、はやく此(この)術をまなぶべし」と説いている。
自分の身体を一本の木のように捉えれば、枯れかかってから世話を始めるのではなく、若木の頃から適度の水や肥料をやり、虫をとって、丈夫に育ててこそ、健康で長命な成木になる。

 そして、その木が豊かな果実を実らせて、世のため人のために役立つことで、充実した幸福な生となる。
そのために自分の身体という「木」の世話をする「術」を具体的に説いたのが『養生訓』であった。

 

posted by at 21:15  | 塾長ブログ

「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」で記述式問題の導入が検討

「記述式入試の導入、読解力低下…どう対応すればよい?」という産経新聞(2017.1.18 )の記事が目につきました。
http://www.sankei.com/life/news/170118/lif1701180026-n1.html

長崎市五島町の羅針塾 学習教室・幼児教室では、科目に関わらず普段から音読をします。
正しい日本語の習得には、鼻呼吸プラス腹式呼吸でゆっくりでも滑らかに、句読点をしっかり意識して読むことが肝要です。

以下の写真は、筆者の親世代が学んだ尋常小學 國語讀本です。
戦前の日本の教育の素晴らしさは「音読」などの基本をしっかり身につけさせていることです。
二年生まではカタカナ表記のみで様々な事柄を学びます。

  国語讀本巻一 表紙

 

  国語讀本巻一一頁

 

上記の記事にもあるように、
読解力の低下の背景には、「高校生の読書量が減っていることや、新聞を読む小中学生の減少とともに、スマートフォン(スマホ)を通じたインターネットの利用時間が増加することで、一定量の論理的な文章に接する機会が教科書ぐらいしかなくなっていること」があると指摘しています。

今後の入試改革をめぐっては、2020(平成32)年度から導入される「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」で記述式問題の導入が検討されている他、国立大学協会(国大協)も、理系も含めた全国立大学受験生に個別入試で「高度な記述式試験」を課す方針を打ち出しています。
そうしたなか、12月に発表されたPISA(経済協力開発機構<OECD>の「生徒の学習到達度調査」)の結果では、日本の子どもの読解力に課題があることがわかりました。

 大学だけでなく社会でも必要とされる力に

 これほど入試で記述式問題がクローズアップされているのは、これから大学に入ろうとする人には「複数の情報を統合し構造化して新しい考えをまとめる思考・判断の能力や、その過程を表現する能力」(2016<平成28>年3月の文部科学省「高大接続システム改革会議」最終報告)が、ますます必要とされるからです。

 大学生のレポートや卒業論文などを書く力が落ちてきているということは、かねて指摘されていました。
一方で、自ら主体的に課題に取り組み、自分の頭で考え、先生や友達と議論しながら自分なりの解決策をまとめ、文章やプレゼンテーションで発表していく力は、大学教育だけでなく、卒業後の職業生活や社会生活にも不可欠です。
社会がどう変化していくかわからない時代には、そんな能力を持った人を、大学でこそ養成することが求められます。
高校でも、そんな大学生活を意識して、日頃の授業を通じて、思考力・判断力・表現力を身に付けることを意識する必要があります。

 さらに文科省は、小学校に入学する前の段階から知っている言葉に差がついていて、それが入学後の学力差につながっているとして、低学年からの「語彙(ごい)力」を強化していきたい考えです。

 家庭でも、幼少時に絵本の読み聞かせをすることから始め、次第に本に親しませながら、言葉や文章に対する親しみを持たせることが重要でしょう。
目に入るところに新聞がなければ、手に取って読もうとは、なかなか思えません。
地域の公共図書館は大きな味方となってくれるはずですし、入学後には学校図書館があります。

 学校の授業では、PISAの結果を受けて、全教科などで「言語活動」を充実することになるでしょうし、次期学習指導要領では、これを「アクティブ・ラーニング」(主体的・対話的で深い学び、AL)へとパワーアップさせたい考えです。
こうした学習に一生懸命取り組むことが、ひいては記述式入試への対応にもつながることでしょう。

子供さんの語彙力を如何につけていくか。
度々その重要性を本ブログでも取り上げていますが、賢い子供さんほど語彙の量と質を背景にして、しっかりした会話をすることができます。
当然、文章力にもそれが反映されていきます。

posted by at 14:20  | 塾長ブログ
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