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実語教 その五

例え成績優秀でも辛抱すること、忍耐することを身につけていないと、社会に出てから仕事の厳しさに耐えられず、転職する例があります。また、近年問題となっている所謂「ひきこもり」や精神的に不安定となり社会生活が営なめない場合もあります。原因は個別具体的には様々あるとは思います。

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では勉学を通じて忍耐強く取り組む姿勢を身につけて欲しいと考えています。
一つ言えるのは、幼少期からの精神的な鍛錬が如何に大事であるか、ということです。
その意味でも、ご紹介している「実後教」が説く意味合いを反芻する必要性があると思います。

    不交三学友

 

<漢文(白文)並びに読み下し文>

 不交三学友 何遊七覚林
  三学の友に交はらずんば、何ぞ七覚の林に遊ばん。

 不乗四等船 誰渡八苦海
  四等(しとう)の船に乗らずんば、誰(たれ)か八苦の海を渡らん。

 八正道雖広 十悪人不往
  八正(はつしやう)の道は広しと雖も、十悪の人は往(ゆ)かず。

 無為都雖楽 放逸輩不遊
  無為(むゐ)の都は楽しむと雖も、放逸の輩(ともがら)は遊ばず。

 敬老如父母 愛幼如子弟
  老いを敬ふことは父母の如し。幼(いとけな)きを愛することは子弟の如し。

<現代文>

○三学(*)の友に交じわらなければ七覚(*)の林に遊ぷことが出来ない。
(三学の修行が出来ねば七覚の林に入りて悟りを開くことが出来ない。)

*三学とは、仏教を修行するに際して必ず学ぶべき最も基本の修行法。
すなわち戒学(かいがく),定学(じようがく),慧学(えがく)をいう。
戒は禁制の意味で,身心の悪い行を抑制すること,定は心の動きを静め,精神を統一すること,慧は理性により道理をありのままに悟ることである。
これらの三つは互いに不即不離の関係にあり,仏道修行にとってどれが最も大切か,大切でないかという区別はなく,また,その一つは必ず他の二つを伴って完成されるものである。

*七覚とは、仏教で、悟りを得るために役だつ七つの事柄の意。
(1)択法(ちゃくほう)覚支(教えのなかから真実を選び、偽りを捨てること)、
(2)精進(しょうじん)覚支(一心に努力すること)、
(3)喜(き)覚支(真実に生きる喜びをもつこと)、
(4)軽安(きょうあん)覚支(心身をつねに快適に保つこと)、
(5)捨(しゃ)覚支(対象への執着(しゅうじゃく)を捨てること)、
(6)定(じょう)覚支(精神統一をすること)、
(7)念(ねん)覚支(智慧(ちえ)を念ずること)の七つをいう。

○四等(*)の船に乗らざれば八苦(*)の海を渡ることが出来ない。
(心の世界を例えて海といい、その海を渡るには四等の船に乗らねばならない)

*四等(しとう)とは、 仏教において説かれる徳目の一つ。
あまねく世界に限りなく及ぼされるべき四つの心。慈、悲、喜、捨の四つをさす。
慈とは他者への慈しみ、悲とは他者へのいたわり、喜とは他者の喜びを己(おの)が喜びとすること、捨とはいっさいの感情を離れて他者のすべてを平等にみること。

*八苦とは、人間の八つの苦しみ。
生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとくく)・五陰盛苦(ごおんじょうく)を加えたもの。
愛別離苦(愛するものと別離する苦)
怨憎会苦(憎むものに会遇する苦)
求不得苦(求めるものが得られない苦)
五盛陰苦(五種の根幹存在よりなる輪廻的存在の苦)

○八正道(*)を正しく修むることによりて涅槃の悟りが開かれるその道はまことに広いのであるが、十悪(*)の人はその道に往くことができない。

*八正道とは、涅槃に達するための八つの正しい実践行のこと。
原始仏教以来説かれる仏教の代表的な修行方法。
八つとは,
(1)正見(正しいものの見方),
(2)正思惟(正しい思考),
(3)正語(いつわりのない言葉),
(4)正業(正しい行為),
(5)正命(正しい職業),
(6)正精進(正しい努力),
(7)正念(正しい集中力),
(8)正定(正しい精神統一)
釈迦は,それまでインドで行われていた苦行を否定し,苦行主義にも快楽主義にも走らない,中なる生き方,すなわち中道を主張したが,その具体的内容として説かれたのがこの八正道である。

*十悪とは、身・口・意の三業(さんごう)がつくる十種の罪悪。
殺生・偸盗(ちゅうとう)・邪淫・妄語・綺語(きご)・悪口(あっく)・両舌・貪欲(とんよく)・瞋恚(しんい)・邪見の総称。

○無為(*)の都はこの世の様に苦楽がなく真に楽しいところであるが、放逸にして心の儘に振舞って悪事をつくるものはそこへ行つて遊ぶことは出来ない。

*無為とは、因果関係に支配される世界を超えて、絶対に生滅変化することのないもの。
すなわち、涅槃(ねはん)・真如(しんによ)といった仏教の絶対的真理のこと。
無為の都というのは涅槃界のこと。

(不交三学友より放逸輩不遊までは、仏教の所説をその儘に挙げて、人人がその魂を養育するための教えを示しています。三学、七覚、四等、八苦、八正道、十悪、無為都など、仏教の所説の重要なるものが挙げてあります。)

○お年寄りには我が父母の如くに敬まい、幼少のものには我が子弟の如くに愛せよ。

posted by at 17:22  | 塾長ブログ

実語教 その四

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では諺、四字熟語など普段から親しむ様にしていますが、
今日はまさに「天高く馬肥ゆる秋」

久し振りに中腹から金比羅山に登りました。何度も登ったことのある親しみのある山です。
然程高くないのですが、眺望は素晴らしい。
東の雲仙普賢岳、西の五島灘、南の野母半島、北の大村湾、と三百六十度楽しめます。
頂上まで登り金比羅宮に参拝すると、何百年にも渡り、先人達が登山道を整備して下さっていることが良く分かります。
一つ一つの石段にも魂が篭っているかの様です。

天晴れな空の下、金比羅山から望む長崎港

 

<漢文(白文)並びに読み下し文>

 父母如天地
  父母は天地の如く、

 師君如日月 親族譬如葦
  師君は日月(じつげつ)の如し。親族は譬(たと)へば葦(あし)の如し。

 夫妻猶如瓦 父母孝朝夕
  夫妻は猶(なを)瓦(かはら)の如し。父母には朝夕(てうせき)に孝せよ。

 師君仕昼夜 交友勿諍事
  師君には昼夜に仕へよ。友に交はつて諍(あらそ)ふ事なかれ。

 己兄尽礼敬 己弟致愛顧
  己(おのれ)が兄には礼敬(れいけい)を尽くし、己(おのれ)が弟(をとゝ)には愛顧を致せ。

 人而無智者 不異於木石
  人として智無きは、木石に異ならず。

 人而無孝者 不異於畜生
  人として孝無きは、畜生に異ならず。

<現代文>

父母は天地の如く 師と君は日月(太陽や月)の如し。
(父母は私を産み給う。天地が万物を生ずるに比ぶべき存在である。師と君は恭敬・恩愛の心を以て下に臨むものであり、人を教え導き、陽と陰を表象する太陽と月の様な存在である。)

親族は葦の(群がり生ずるが)如くに多い。夫妻は(父母・師君に比すれば、卑しきこと)瓦に比すべし。

父母には朝夕に孝行せよ(孝とはよく父母に仕へまつること。朝夕油断することなく孝を尽くしなさい)。
師と君には昼夜厭うことなく仕えなさい。
友とは争いや諍いをすること勿れ。

自分から(我より)兄たる人には礼を尽して敬まいなさい。
自分から(我より)弟たる人には愛しみ(慈しみ)顧みなさい。

人として智恵がなければ無情の木石に異ならない(人たる道を知らねば木石と異ならないではないか)。

人(万物の霊にして、忠孝の道は正しかるべきものである)として忠孝の道を欠くものは、畜生(犬や猫などの動物)と異なることはない。

posted by at 16:03  | 塾長ブログ

実語教 その三

「実語教」は、大人である私たちでもスラスラ読めて暗記することは結構苦労するぐらいの、漢文の白文(48連、480文字)です。
江戸期には、数えの三歳から七歳(満二歳から六歳)に学び始めます。
素読を通じて暗記する力をつけるには、この年齢期に訓練し始めると効果があると、長い歴史の中で見出してきた経験則なのでしょう。
漢文の素読ですから、ルビもふってあるわけではありません。
しかし、「習うより慣れろ」ということでスラスラ音読することが鍵です(成長するにつれて意味の理解はできるようになります)。

長崎市五島町の羅針塾 学習教室幼児教室では、
どの科目も音読でスラスラ読めるようにすることが基本です。

  学文に怠(をこた)る時勿れ

 

<漢文(白文)並びに読み下し文>

学文勿怠時 除眠通夜誦
 学文に怠(をこた)る時勿れ。眠(ねぶ)りを除ひて通夜(よもすがら)誦(じゆ)せよ。

忍飢終日習 雖会師不学
 飢へを忍んで終日(ひねもす)習へ。師に会ふと雖も、学ばずんば、

徒如向市人 雖習読不復
 徒(いたづら)に市人(いちびと)に向ふが如し。習ひ読むと雖も、復さざれば、

只如計隣財 君子愛智者
 只隣(となり)の財(たから)を計(かぞ)ふるが如し。君子は智者を愛す。

小人愛福人 雖入冨貴家
 小人は福人(ふくじん)を愛す。冨貴(ふうき)の家に入(い)ると雖も、

為無財人者 猶如霜下花
 財(ざい)無き人の為には、猶(なを)霜の下の花の如し。

雖出貧賤門 為有智人者
 貧賤の門(かど)を出づると雖も、智有る人の為には、

宛如泥中蓮 
宛(あたか)も泥中(でいちう)の蓮(はちす)の如し。

<現代文>

学問するときには、怠ることなかれ。

夜眠たくとも夜通し(一晩中)書を声を出して唱えよ。

空腹をも堪えて、昼夜を問わず、もの学びをせよ。

師(師匠)に出会っても、自ら学ばなければ、
単に市人に交わるが如くにして無益である。
(真の師は、弟子から物を学ばざれば何事をも言はぬのであるから、師から善きことを聴かぬのは誠に勿体ないことである)

学問をして習読するも、何度でも繰返して読まざれば、(例えば)隣家の財宝を計算することと同じで何の用にも立たない。

君子(*1)は智者を愛し(親しみ)、小人(*2)はただ経済力のある人と愛する(親しむ)。
(*1君子=徳が高く品位のある人 *2 小人=度量や品性にかけている人)

富貴(*)の家に入りて、俄かに金銀を得ることがあっても、その任に当らざる者は、
(*富貴=資産があり、且つ地位や身分が高いこと)

霜の下で衰え枯れていく花と同じである。

(例え)貧賤(*)に生れても、智恵の有る人は、蓮の花が泥の中より生じて泥に染まらず、清く正しく生きるが如しである。
(*貧賤=貧乏で身分が低いこと)

posted by at 12:37  | 塾長ブログ

実語教 その二

平安末期から明治初期まで広く用いられた初歩教科書ともいえる実語教。
幼童にも朗読しやすいよう経伝などのなか から格言を取り入れ、五言絶句 48連の体裁をとります。

人間の本質なり価値を「智」におき、その無限的価値を強調し、「智」の体得のためには幼童からの読書勉励と、道徳的実践とが必要であることを力説しています。

日本人の識字率は、平安末期から明治初期まで世界に誇れる高さがあるという一つの証左が「実語教」の存在です。

実語教 江戸期

漢文(白文)並びに読み下し文

 

倉内財有朽 身内才無朽
倉の内の財(ざい)は朽つること有り。身の内の才(ざい)は朽つること無し。

雖積千両金 不如一日学
千両の金(こがね)を積むと雖も、一日(いちにち)の学には如(し)かず。

兄弟常不合 慈悲為兄弟
兄弟(けいてい)、常に合はず。慈悲を兄弟とす。

財物永不存 才智為財物
財物(ざいもつ)、永く存せず。才智を財物とす。

四大日々衰 心神夜々暗
四大(しだい)、日々に衰へ、心神(しんしん)、夜々(やや)に暗し。

幼時不勤学 老後雖恨悔
幼(いとけな)き時、勤め学ばずんば、老ひて後、恨み悔ゆると雖も、

尚無有所益 故読書勿倦
尚(なを)所益(しよゑき)有ること無し。故(かるがゆへ)に書を読んで倦むこと勿(なか)れ。

<現代文>

倉の内に入れている財(財産)は、その家(家運、家業)の衰ふるによりて朽ち果ることがある。
身の内にあるところの才(才覚、才能)はいかほど使っても朽ることがない。

千両の金を積むといえども、一日の学問の方が価値が高い。
(財貨には価値がないというのではないが、それに執着して心の迷いを持つよりも、日々学問に専心すべきである)

兄弟は(共に父母より分かれたものであるが、しかしながら、)その志が何時でも同じく行われるものではない。
一切のものを愛する慈悲の心となれば、すべての人に対しての交はりは兄弟と同じである。

財物は永い間存することはない(いつの間にか消失してしまう)。
才智こそ(いつまでも消失することがないから)財物とすべきである。

四大(*)は日日に衰へていく(遂に分散すれば死に至る)。
(四大*とは、宇宙の根本の元素である地・水・火・風の四つを指す。この元素が集まって人の身を成す)
人の身が日日に衰えるに従って根気も疲れ、心神(魂)も次第に暗くなるものである。

されば、幼いときに学問しなければ、年老いて後に恨みや悔いても所益(幸福に繋がる利益)あることなし、というのである。

それ故に、書を読み学問するときには殊に励みて怠ること勿(な)かれ、と。

posted by at 14:57  | 塾長ブログ

実語教 その一

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室で9月25日親子セミナーでご紹介しました「実語教」。
なかなか素晴らしい教訓に満ちています。
「童子教」とともに童蒙(*)学習書の筆頭に挙げられ、平安時代末期から明治初期にかけて普及していた庶民のための教訓を中心とした初等教科書です。江戸期には寺子屋などで修身並びに習字の教本として用いられています。

(*童蒙=幼くて道理の分からないこと。また、其の者や其の様。)

「実語教」は日本人の幼児教育の根本をなすものと思いますので、其の全文を回数を分けてご紹介いたします。

    実語教教本

 

実語教 白文

漢文(白文)や読み下し文は本来縦書きですが、ブログの書式上致し方なく横書きでご紹介いたします。
其の次に現代語訳を記します。

山高故不貴 以有樹為貴
  山高きが故に貴(たつと)からず。樹(き)有るを以て貴しとす。

 人肥故不貴 以有智為貴
  人肥へたるが故に貴からず。智有るを以て貴しとす。

 富是一生財 身滅即共滅
  富は是(これ)一生の財(ざい)。身滅すれば即ち共に滅す。

 智是万代財 命終即随行
  智は是万代(ばんだい)の財(たから)。命(いのち)終れば即ち随つて行く。

 玉不磨無光 無光為石瓦
  玉磨かざれば光無し。光無きをば石瓦(いしかわら)とす。

 人不学無智 無智為愚人
  人学ばざれば智無し。智無きを愚人とす。

現代文

山はどれほど高くても、高いのみで貴しとすべきではない。山には様々な樹がある故に貴いのである。

同様に、人もただ肥えたるのみでは貴しとすべきではない。智恵があればこそ貴いのである。

金銀や財産に富んで居るからといつても、それは人人がこの世にある間だけの財である。
命が終れば皆これを捨てて行かねばならぬのであるから、身滅すれば即ち共に滅すというのである。

智、即ち物の道理を知り、正しい判断を下す能力は、万代、即ち永久の宝である。
これは人の命が尽きても、その身に随って行くものである。

玉(宝玉、宝石など)も磨かねば光がない。
光がなければ玉も石や瓦に等しいのである。
(玉は本来石の内にあるもので、石を割りみがきて玉となるのである。)

人も生れながらにして智慧があるわけではない。学問して始めて智恵が出来るのである。
学問をしない人は愚人にして石や瓦に等しいものである。

posted by at 17:15  | 塾長ブログ
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