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教科書に載らない歴史上の人物16 根本 博 その1

学習する際の「音読の効用」については皆さんよくご存知と思います。
しかし、これを日々実践するとなると如何でしょうか。
学校であれ、家庭であれ、正しい呼吸法に基づいて大きな声で、句読点に留意し、内容に応じて強弱や抑揚を工夫しながら読む。
長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室は、「正しい音読」を日々実践しています。
当塾が「正しい音読」を重視するのは、有名無名を問わず私達の先人の幼少期には、古典の音読が必須だったからです。

さて、教科書に載らない歴史上の人物の再掲(加筆)です。

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平成22年4月30日出版の「この命、義に捧ぐ」-台湾を救った陸軍中將根本博の奇跡 (門田隆将著 集英社)は、日本人の素晴らしさを伝える名著と言えるのではないでしょうか。

この命、義に捧ぐ~台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡

日本の近現代史については、再三伝えているように、真実の歴史が知らされていません。
その典型的な例が、陸軍中將 根本 博の偉業ではないでしょうか。

●大東亜戦争終戦時(昭和20年8月15日)には、モンゴル(当時は蒙古聯合自治政府)に駐屯していた駐蒙軍司令官として、終戦後もなお侵攻を止めないソ連軍の攻撃から、蒙古聯合自治政府内の張家口付近に滞在する邦人4万人を救った。

●復員後昭和24年(1949)台湾へ渡り、金門島における戦いを指揮して、中国人民解放軍を撃破、現在に至る台湾の分離確定に寄与した。

上記の事実は、一般には知らされることがほとんどありませんし、学校の歴史の授業でまるで封印されたかの如く語られることはありません(おそらくご存知の先生方もどれくらいいらっしゃるか?)。

・・・(前略)
日本列島の広さに匹敵する広大な担当区域を持ちながら、駐蒙軍は師団が二つと混成旅団が二つしかない小軍に過ぎない。既に逼迫する戦況に、駐蒙軍からは戦車師団と一混成旅団が多方面の作戦に連れ出されたまま帰って来ず、兵力の不足は覆い難いものになっていた。
 だが、軍司令官たる根本が弱音を吐くわけにはいかない。
 兵力こそ劣っているものの、根本の部下たちは、宣戦布告してなだれ込んできたソ連軍に立ち向かい、陣地への侵入をまだ一歩も許していなかった。それは根本司令官の叱咤に応えた部下たちの奮闘に他ならない。
 しかし、いよいよ敗戦が決定し、陛下自らの「終戦の詔勅」が発せられたことによって、外地にある日本軍はただちに「武装解除」を行わなければならなくなってしまったのだ。
 この時、根本には、ある覚悟がすでにできていた。

 「一切の責任は私が負う」

 マイクの前に立った根本は、エ、エンと、癖になっている咳払いをひとつすると、深く域を吸い込んでこう語り始めた。
「日本は戦争に敗れ、降伏いたしました。皆さんは今後のことを心配していると思います。しかし、我が部下将兵たちは、皆健在であります」
それは口調こそ穏やかなものの、断固たる決意が漲る声だった。
「わが軍は、私の命令がない限り、勝手に武器を捨てたり、任務を放棄したりするものは一人もおりません。心を安んじて下さい。疆民および邦人は、決して心配したり騒いだりする必要はありません」
 噛んで含めるような言い方だった。そして、根本はこう続けた。
「私は上司の命令と国際法規によって行動します。疆民、邦人及び我が部下等の生命は、私が身命を賭して守り抜く覚悟です。皆さんには軍の指導を信頼し、その指示に従って行動されるよう、強く切望するものであります」
 あなた方の命は私が身命を賭して守り抜く—司令官自らの声が、蒙疆地区のすみずみまで流れたのである。それは、敗戦を告げる「玉音」の次に放送されたものだっただけに、尚更、インパクトが強かった。
 根本はまず住民の間に動揺が走り、パニックが生じるのを真っ先に防いだのである。軍司令官決意のその放送は、全蒙疆地区に散在していた日本人たちに、どのくらい頼もしく、嬉しく響いただろうか。

2に続く

 

posted by at 12:44  | 塾長ブログ

「宿題で学力がつくというのは迷信である」

十年後の子供さんの姿を想像して現在の学習状況を判断すること、をお話しすると親御さんの真剣度が増してきます。
長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、現在の子供さんたちが十年後、二十年後に、しっかりと自分の道を歩んでいる姿を見たいと常々考えています。
その為には、親御さんの協力と子供さんの努力が連動することが肝要です。

さて、子を持つ親必読の記事(産經新聞)のご紹介です。

「学力低下を招く教育界の迷信」 TOSS代表・向山洋一
http://www.sankei.com/life/news/160921/lif1609210019-n1.html

 「宿題を出してください」という保護者は多い。
教師は、毎日のように漢字ドリルや計算ドリルを宿題にする。
教師は毎朝、宿題ノートを点検して印を押す。
教師にとって実に楽な仕事で、保護者にも評判がいい。
ところが、この方法では漢字・計算の力はつかない。
漢字・計算の学力は、授業でつけるのである。
それは教師の仕事だ。

 次に、授業中にプリントで学習する教師のクラスも学力は低い。
多くのプリントは粗悪品だ。
ミスも多い。
しかも思いつき程度の内容がほとんどだ。

 一番すぐれた教材は、教科書だ。
法律で教科書を使用することが義務づけられている。
かつて教科書を使わなかった教師たちが懲戒免職になった。
最高裁の判例(伝習館訴訟判決)でも認められている。

 子供の算数のノートを点検すると良い。
教科書の全ての問題を書いているなら安心だ。
ノートがゆったりとていねいなら文句なしにすばらしい教師だ。
9月で算数ノートは3冊目ぐらいになっているはずである。

 自分の子供の学力が心配なら、算数ノートをていねいに点検するのがよい。
もし教科書の問題が抜けていたら、担任の先生に、やるようにお願いすることだ。
拒絶されたら校長先生にお願いするのだ。
算数のノートチェックは、通信教育や塾ぐらいの効果がある。

教育技術の向上を図り、自己研鑽されている先生方は当然と考えられていることですが、
そうでない先生方には耳の痛いことをこの後の記事に指摘されています。
是非、全文をご参照ください。

posted by at 13:40  | 塾長ブログ

Er ist wieder da .「彼が帰ってきた」

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室では、これからの日本を支える子供達に不断に学び続ける姿勢を持ってもらいたいと念じております。

さて、筆者は日本のみならず、世界の近現代史を学ぶ必要があることを痛感する様な映画を観てまいりました。
邦題は『帰ってきたヒトラー』(原題:Er ist wieder da 「彼が帰ってきた」)。
公式サイト→http://gaga.ne.jp/hitlerisback/

帰ってきたヒトラー

アドルフ・ヒトラーについては、筆者自身、後述する幼少期からの経験を原点として興味を持っています。
彼については、所謂、記録映像や書籍など数多ありますが、世界史や政治史の一ページとして時代を超えて検証され続ける人物です。

筆者は幼い頃、母が映画好きだったこともあり、 「夜と霧」という映画(*)(昭和31年フランス製作)を観た記憶があります。僅か30数分の映画ですが、モノクローム(白黒)による当時の衝撃的な映像は、子供心に強烈な印象を与えました。
これを観た際に、「ヒトラー」「ナチ」「鈎十字」という言葉を母から聞きました。
(*)『夜と霧』(よるときり、仏: Nuit et brouillard)は、第二次世界大戦中、ナチがアウシュヴィッツのユダヤ人強制収容所でユダヤ人を虐殺した事実(ホロコースト)を告発したドキュメンタリー映画、記録映画。

長じてから、『夜と霧』(ドイツ強制収容所の体験記録) (著者ヴィクトール・E・フランクル訳者霜山徳爾 みすず書房)を読み、淡々とした記述に強烈な印象を受け、麻痺する様な読後感がありました。

夜と霧

(「訳者あとがき」より)

 本書は、みずからユダヤ人としてアウシュヴィッツに囚われ、奇蹟的に生還した著者の「強制収容所における一心理学者の体験」(原題)である。
「この本は冷静な心理学者の眼でみられた、限界状況における人間の姿の記録である。そしてそこには、人間の精神の高さと人間の善意への限りない信仰があふれている。だがまたそれは、まだ生々しい現代史の断面であり、政治や戦争の病誌である。そしてこの病誌はまた別な形で繰り返されないと誰がいえよう。」

映画『帰ってきたヒトラー』は、日本ではコメディ映画の扱いですが、現在のヨーロッパ諸国、ドイツの問題点を鋭くえぐっています。イスラム圏からの大量難民問題や人種問題、政治・経済や教育を、「帰ってきたヒトラー」を通して語らせ、ドイツ人の本音を晒すかの様です。

posted by at 13:40  | 塾長ブログ

教科書に載らない歴史上の人物15 ブルーノ・タウト

筆者は4月に伊勢神宮に参拝。
限られた時間でしたが、清明な伊勢の森に荘重な社殿が佇み、不思議な思いを持ちつつ参拝しました。

伊勢神宮内宮

外国人が日本文化の素晴らしさを日本人に伝えた例として、ドイツの建築家、都市計画家であったブルーノ・タウトがいます。
数寄屋造りの中にモダニズム建築に通じる近代性があることを評価し、日本人建築家に伝統と近代という問題について大きな影響を与えたとされています。

さて、教科書に載らない歴史上の人物の再掲(加筆)です。

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ブルーノ・タウト

「元気のでる歴史人物講座」日本政策研究センター主任研究員 岡田幹彦氏の産經新聞記事(H.21.1.14)からの引用です。

  ■日本を熱愛した建築家
 日本文化の価値を日本人に目覚めさせた外国人にドイツの世界的建築家、ブルーノ・タウトがいる。

 日本人は日本文化が、これまで世界からいかに高い評価を受けてきたかあまり知らない。
西洋の芸術家にとり日本の文化芸術は常に憧憬(しょうけい)の的であった。

 昭和8年、夫人と共に来日したタウトほどわが国の木造建築を絶賛し、世界的評価を与えた人はいない。
彼は日本建築の最高峰として伊勢神宮をあげ、「世界建築の聖祠」とたたえている。

 もう一つが桂離宮である。
庭園美と不離一体となった桂離宮にタウトは伊勢神宮以上の感銘を受け日本美の極致をみた。
「私たちは今こそ真の日本をよく知り得たと思った。すぐれた芸術品に接するとき、涙はおのずから眼に溢れる。まことに桂離宮はおよそ文化を有する世界に冠絶した唯一の奇蹟である。パルテノンよりもゴシックの大聖堂あるいは伊勢神宮におけるよりも、ここにははるかに著しく“永遠の美”が開顕せられている」

 明治以降、日本人はあまりにも自国の文化、芸術を軽視し、やたら外国のそれを崇拝してきた。
しかし、建築のみならず芸術、文化全般にわたり、わが国ほどすぐれたものを持つ国はどこにもない。
日本を熱愛したタウトは日本文化が今後の世界において重大な貢献をし、世界が日本の文化、文明を渇仰する日が必ず到来することを確信してやまなかった。

神社・仏閣など、長い年月を経て現存している建物には、不思議な魅力があります。
新築時には絢爛豪華であっても、年を経て木と土壁のモノ・トーンの静謐さが人を魅了します。
筆者は学生時代に桂離宮に行きたくてたまりませんでしたが、公開日との日程が合わずにご縁がないまま現在に至っています。是非参観したい建物の筆頭です。

ブルーノ・タウトとは  (さらに…)

posted by at 17:37  | 塾長ブログ

教科書に載らない歴史上の人物 14 八田與一

高校受験学校説明会(塾対象)を様々巡ると、その高校の目指す方向性がよくわかります。
長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室では、各高校の先生方の教育に対する熱意や具体的な取り組みなど、質問を交えてお伺いします。

先ずは、長である校長先生を観察(失礼な物言いではありますが)。
その意気込みや姿勢を受けての部下の先生方の様子を拝見。
校舎周りや玄関、廊下、教室、実験室等等、目を配ります。
各高校の先生方はそれぞれ努力されていますが、様々な悩みも抱えているご様子。
如何に生徒の自主性や自立心を養うか。
勉学に対する動機・意義、忍耐心の涵養など、です。
難関大学を目指すには、日々の精進は並大抵ではありません。
その為には、幼児期から小学校低学年までに「学ぶ」姿勢を身につけ、訓練を繰り返す必要があります。

さて、教科書に載らない歴史上の人物の再掲(加筆)です。

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今なお台湾で最も尊敬されている日本人の一人が八田與一である。

 八田は戦前、台湾総督府の土木技師として嘉南(かなん)平野に「嘉南大圳(●=つちへんに川の字:たいしゅう)」と呼ばれる東洋一の灌漑(かんがい)施設を作った人である。
 台湾最大の嘉南平野は洪水、干魃(かんばつ)、塩害の三重苦に悩まされる不毛の大地だった。
八田はこの地を沃野(よくや)に変えるには巨大な灌漑ダムと給排水路を作る以外になしと思い、この一大事業を企画した。

 2年間の調査を経て大正9年、工事を開始、幾多の苦難を乗り越えて10年後の昭和5年に完成した。
貯水量1億5300万トンの烏山頭(うざんとう)ダムと1万6000キロに及ぶ給排水路による灌漑施設で、総工費は今日で5000億円以上といわれる。世界の土木界を驚嘆させた嘉南大圳は、日本の灌漑土木技術の優秀さを世界に証明した金字塔であった。

 香川県の広さに相当する15万町の嘉南平野は肥沃な緑野に変貌(へんぼう)、台湾最大の穀倉地帯となった。
苦しい生活から脱却できたこの地の60万の農民たちは、八田を「嘉南大圳の父」と仰ぎ敬愛した。

 八田は大東亜戦争中の昭和17年、乗船が米軍潜水艦に撃沈され56歳で亡くなった。嘉南の人々は八田の功績を称(たた)え、遺徳を永遠に伝えんとしてダムのそばに銅像と墓(夫人も共に)を建立、毎年5月8日の命日、盛大な墓前祭を行っている。

八田與一

八田與一とは

(さらに…)

posted by at 16:53  | 塾長ブログ
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