‘ 2016年 8月 ’ 記事一覧

生徒の英語力に関する都道府県別データの公表

長崎市で幼児教育や学習塾を行う羅針塾は、5年後、10年後を見越して、現在学ぶ子供たちの成長の先を見ておく必要があります。その意味で、以下の記事の内容が目に付きました。

文部科学省は平成28年8月4日、平成27年度の英語教育実施状況を公表しました。
全国の公立高校と公立中学校の各3年生のうち、政府が掲げる目標レベルに達している生徒の割合を示すものです。

最も高かったのは、高校が群馬県の49・4%、中学校は千葉県の52・1%です。

卒業段階で高校生が英検準2級以上相当、中学生が英検3級以上相当の英語力を、それぞれ全体の5割が身に付けるよう文科省は求めています。
しかし、調査結果では目標レベルを達成した生徒の割合は全国平均で、高校が34・3%(前年度31・9%)、中学が36・6%(4・6%)にとどまっています。
因みに、 長崎県は高校が34.5%、中学校が32.7%です。

長崎県のこの数字をどのように見るか。

公立学校の英語教育は、先生方個々人の努力では如何ともし難い、というのが正直なところではないかと思います。
これは、中学校や高等学校の英語教育以前に、小学校高学年までの国語教育、つまり音読・書き、カタカナから始まり平仮名、漢字、それからローマ字に至る流れ、が全くできていないことが原因の一つと考えます。

更に、教科書がまるで良くない。
湧く湧くするような話がなくて、音読のリズムもない。
賢い子供さんを引きつけるような物語や偉人伝も無い。

当然、中学校、高等学校の国語も英語教科書も全く面白みもなく、知的興味を引かない。

一斉授業の限界がそこに表れています。
同じ学年の子供さんであっても、教育環境や両親の考え方如何で、知的成長の度合いがそれぞれ全く異なります。
従って、賢い子供さんは詰まらない。力が付いていない子供さんは分からない。
それを同じ一学級の中で同時に授業をし理解させなさい、というのは不可能を強いる技でしかありません。

羅針塾 学習塾・幼児教室では、子供さん個々人の現状の力や御両親の願いを踏まえて、年齢如何を問わず、伸ばすべきところは伸ばしたい!と考えています。
従って、子供さんたちの10年後、20年後の成長を楽しみにされている親御さん方のお尋ねには可能な限りお応えできるよう日々精進いたします。

posted by at 18:42  | 塾長ブログ

母の教えと教訓歌 2 平田篤胤

子供さんの教育を真摯に考えておられる親御さんは、ただ学校の成績や試験の結果が良ければそれで良し、とはお考えになりません。やはり、学力をつけるとともに、全人格的に優れた人に育って欲しいと考えておられます。長崎市中心部五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室はその様な方々とご縁させていただいています。

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「人のことを羨んだり、蔑んだりするのは、人の道ではない」との意味で、よく聞かされた
「上見れば切り無し、下見れば切り無し」
という母の言葉。
他と比べるのではなく、自分の進むべき道を切りひらきなさい、という意味で使っていたのではないかと、今推察します。

教訓歌として、江戸後期の国学者、平田篤胤(ひらた あつたね)の歌があります。

「上見れば 及ばぬことの 多かれど 笠脱ぎて見よ 及ぶ限りを」

「上を見ると自分には及ばないことが多いものではあるが、狭い範囲だけを見るのではなく、できる限り広い世界を見、視野を広げることが肝要である。」

「井の中の蛙 大海を知らず」のように、自己を過大評価する奢りを戒め、世間の広さを知り、自分の知らないことが沢山あることを知る。それによって、自らの向上心につなげ、合わせて謙虚さも身につけていく。
そのような自己練磨が如何に大事であるかを歌に託しているのですね。

     <平田篤胤像>

 

秋田藩士の子として生まれ、二十歳で脱藩。

そもそも故郷を捨て江戸に出奔するのは、自著で「己は何ちふ因縁の生れなるらむ」と述べるほど、幸せとは程遠い幼少年期を送ったのではないか、と言われています。

二十歳の寛政七年一月八日に出奔(正月八日に家を出るものは再び故郷に帰らないという諺に因み)、無一文同然で頼る処とて無く江戸に出たものの、生活を支える為に数多の職業に就き、火消しや飯炊き、三助などもしながら苦学したという。

寛政十二年二十五歳の折、勤め先の旅籠で備中松山藩藩士代々江戸在住の山鹿流兵学者であった平田藤兵衛篤穏(あつやす)の目にとまり養子となる。江戸では、独学で国学を学び、偉大なる国学者本居宣長(もとおりのりなが)の学問を研究。

処女作『呵妄書』を著し、以後、膨大な量の著作を次々に発表していく。
篤胤の執筆する様子は、何日間も寝ずに不眠不休で書きつづけ、疲れが限界に来たら、机にむかったまま寝て、十分に寝ると再び起き、また書きつづけるというものだったとの事。

縁あって、学問の道に進むことで

上見れば 及ばぬことの 多かれど 笠脱ぎて見よ 及ぶ限りを

の境地に至るのでしょうか。

国学者として名を上げて、『古道大義』『霊能真柱(たまのみはしら)』等多数の著作を発表。
多くの門人に慕われたが、幕府の禁に触れ、江戸での著述や活動を禁じられ、更に秋田に追放され二年後に亡くなる。

支那の儒教思想を一掃し、日本の国柄の核である神道を打ち立てて尊皇思想を重視した平田篤胤の思想は、死後も影響を与えた。
その結果、彼の思想は江戸幕末の尊王攘夷、明治維新の原動力となる。

・・・まさに「智の巨人」というべき偉人です。
「艱難汝を玉にす」という譬えそのままの人生であったのでしょう。

やはり、困難なときに如何に本領を発揮するか。
これは古今東西変わらない原理のように思います。

 

posted by at 16:56  | 塾長ブログ

母の教えと教訓歌 1 千利休

・・・長崎市の中心部五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室では、日本人の先人が遺した素晴らしい言葉や歌なども是非伝えていきたいと考えています。
子供の頃には理解し難い言葉や歌も、長ずるに従い脳裏に浮かび、創意工夫できる人となってもらいたい、との念いからです。

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「好きこそ物の上手なれ」という五七調の言葉を聞かされた経験のある方はたくさんおられると思います。
これは所謂「教訓歌」というものの一節です。

ある程度の年齢になると、和歌、短歌、俳句などはお馴染みなってきますが、「教訓歌」という言葉はあまり聞きなれていません。

教訓歌とは、道歌、道徳歌、訓戒和歌とも言われます。
形式としては和歌・短歌同様 五・七・五・七・七の三十一文字。
(因みに、三十一文字を「みそひともじ」と読み、和歌・短歌を意味します。)

和歌・短歌は、
自然を愛で恋愛を含む人生の悲哀を歌いつつ、格調高く芸術性を追求する三十一文字で表す文学と言えます。
一方、
教訓歌は、
道徳、教訓、処世訓という「人のあるべき道」を歌い、古来から人口に膾炙(※)してきたものです。
(※人口に膾炙する・・・世間の人々に広く知れ渡ること。)

筆者がよく聞かされた上記の「好きこそ物の上手なれ」。
母は、その時々の私の様子や気分を見つつ、このような言葉を投げかけていたのでしょう。
長じて何事かある度に、このような言葉が脳裏に浮かぶということは、相当繰り返し聞かされていた証左です。
今思うと、ありがたいなあとつくづく思いますが、その頃は分かったようなようなわからないような言葉でした。

そもそも、「好きこそ物の上手なれ」とは?

 

「好きこそ物の上手なれ」のオリジナルは、
「器用さと 稽古と好きの そのうちで 好きこそものの 上手なりけれ」

茶の湯の教えの基本とも言えるこの歌は、千利休の教えが口伝で伝わったものです。

其の意は、
「ものごとを上達するには、『器用であること』『稽古をすること』『好きであること』の三つがあるが、其の中でも殊に『好きであること』が最も肝要である」
ということ。

<千利休像 (長谷川等伯画、春屋宗園賛)>

 

やはり何事にも通じる教えです。

ご存知のように、千利休は安土桃山時代の茶人です。
織田信長に茶頭として用いられ、信長亡き後は豊臣秀吉に重用されます。
「利休」の名も賜り、秀吉の豪壮な聚楽第内に屋敷も与えられ三千石の禄までも賜ります。
茶人として頂点を極めますが、一転秀吉の逆鱗に触れ、切腹を厳命されます。
茶の弟子である大名たちの助命嘆願や、周囲の秀吉への許しを乞う助言も聞き入れることなく、自刃してしまう剛毅さも併せ持つ風流人。

千利休には所謂著書はありませんが、高弟の山上宗二(やまのうえのそうじ)の残した茶書や、門人が書き記した書物によって、その教えや言葉が伝えられています。
利休は、茶の湯を教える際に、歌の形式にしたと伝えられています。

「器用さと 稽古と好きの そのうちで 好きこそものの 上手なりけれ」

利休の心は時代を超えて息衝いています。

posted by at 16:22  | 塾長ブログ

ダッカテロ事件分析

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室です。

アスファルトとビル群に囲まれた長崎市の中心部、五島町羅針塾にも、細やかな季節を感じる植物があります。

その柔らかい若葉に何と精霊飛蝗(ショウリョウバッタ)、別名米搗飛蝗(コメツキバッタ)の赤ちゃんが10匹も。

 

米搗飛蝗

さて、以前のホームページのブログ記事の再掲です。

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一般の学校や塾ではなかなか話題にしないことを敢えてこれから述べます。

家族をお持ちのお父さんやお母さん方は、普段から万一の時に家族がどのように行動すべきか、子供達に教えていますでしょうか。
家族が一緒のとき。
家族がばらばらで連絡が取れないとき。

地震や風水害、事件や事故の際、それぞれが自分自身の身を守る術を身に付けているか。

大東亜戦争終戦以来七〇余年もの間戦争のない平和な時を過ごし、危機感のない日本国内で安穏と過ごしてきた中で、今まさに激動の国際社会にあって日本人が如何に生き残ることができるか、と問われています。

その最たる例の一つが、先にあった所謂ダッカテロ事件(バングラデシュの飲食店襲撃事件)です。

海外に進出している企業や国際的な業務に就かれている立場のお父さんやお母さん方は、危機管理の何たるかはご存じでしょう。しかし、そうでない一般の人たちは、短期の仕事や観光旅行で海外を訪れる際に、まさか事件や事故に巻き込まれることはないだろうという淡い期待感をもって海外旅行をしています。

ところがいつ何時でも事件、事故、災害に巻き込まれてもおかしくない、という当たり前のことを明確に意識して、普段から「備えよ常に」と準備しておかなければなりません。

子供さん達に状況に応じた対処の仕方をしっかり教え、万一のことが起きたらどう判断するかを本人に決めさせておくことも大事になります。

posted by at 18:42  | 塾長ブログ

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