‘ 2021年 1月 ’ 記事一覧

自分自身の目標に向かって

長崎市にある幼児教室・学習塾 羅針塾
日曜日である今日も
塾生さん達が頑張っています。
ある塾生さんが

「先生。
家ではどうしても遊んでしまうから
塾に来て勉強したいです。」
とのリクエスト。

お母様にお伺いしたら
「どうしても家では
ゲームやテレビに負けて
しまいますね。どうですか?」

この一言で、
塾生さんの目標を達成するために
日曜日に通塾どうぞ。と案内しました。
通常とは異なる賑やかな日曜日。

羅針塾の
通常は、平日・土曜日に頑張って
日曜日はしっかり遊びなさい!の方針。
受験期は別になりますが。
しかし、学びたい。の意欲ある子の為には
先生達も張り切ります。

通塾した塾生さん達
黙々と頑張り、レベルを上げていきます。
途中で面白い休憩もしましたね。
日中頑張ったら、家に帰ってゆっくり
していいと考えます。
オンとオフの切り替えは大事です。

「ハキハキ!元気!賢い子」

日頃から
塾生さんの生活スタイルに
合わせて一人一人を観ていくのが
羅針塾の方針。

早い時間だったり
遅い時間だったり
各御家庭に無理のないようにと
考えています。

学ぶ時は「今」しかないと
考えています。
子供達がやりたい!と
熱意がある時。

お母様が「今」だと
考えている時。

賢くなる為には
みんなの工夫が必要です。
私達はそのお手伝いが少しでもできればと
考えています。

 

posted by at 15:53  | 学習塾・幼児教育

就学前の学び〜何を取り組むのか〜

長崎市幼児教室・学習塾 羅針塾では
小学校受験が終わると
早速、小学校準備に入っていきます。
「国語力」へのさらなる磨きです。

羅針塾の幼児期の学びは
「国語力」を基本基礎として
受験等の取り組みをおこないます。
様々なことに
一つづつ段階を経て学んでいきます。

小学校受験が終わる頃には
誰もがハキハキ!と話をしてくれる
様になり、大人の様な意見も。
日々、
しっかりと聞き
しっかりと読み
しっかりと観て
しっかりと考える
しっかりと伝える。に取り組んだ
成果だと考えます。

就学前の学びは
今まで、物や書くことで
考えていたことを
どうやったら、その答えに
導く事ができるのか。という
ことに繋げていきます。
この学びで小学校一年生の
大まか輪郭の学びは終了していきます。

「ハキハキ!元気!賢い子」

小学校に登校するということ。
初めての環境
初めての人間関係
初めての通学
独り立ちして何事も
自分自身の力で取り組まないと
いけません。
その上、机に座り
新しい学びが主となります。

羅針塾の私達は
初めての不安が和らげば。
自信持って登校できる様にと
願っています。
入学前までに得意を沢山作っておく
とても大事なことだと考えます。

小学校に上がるまでの数ヶ月
「国語力」による学びは
トップになるための基本基礎です。

 

posted by at 15:17  | 学習塾・幼児教育

躾は誰がする?

長崎市 幼児教室・学習塾 羅針塾
お母様達の相談で「躾」を
どのようにすればいいか。

現在、言い聞かせる。
褒めて育てるが一般的。
本当にできる。と
私達は聞いてみます。

「それが、無理なんですよね。」
「怒らないように、私が考えます。」

無理は理解できます。
しかし、考える・・・
よくよく話を聞いてみると
お母様が先回りして何でも
やってしまっている。
んん〜どうしたものか。

そんな時にネットに
こんな記事がありました。
一部抜粋です。

『とにかくしつけが厳しかった。
食事のときに肘をつくとか、
お箸の持ち方、
茶碗(ちゃわん)の持ち方ですね。
お箸で皿を動かしたらすごく怒られた。
お箸を持つときの肘の角度のことで
バーンとたたかれて「ハアーッ?」と
思ったことがあったんです。
ちょっと上げすぎると
「肘、広げすぎなんだよ」と怒られ、
狭めたら「狭めすぎ、45度だよ」って。
そういうとき、
ずっと茶碗を持たされていた。
口ごたえすると頬をたたかれた。
それくらい厳しかった。
でも、何回も何回も言われているうちに
少しずつ直っていくんですね。
今、社会に出てみて分かるんです。
厳しかった母親は
大切なことを教えてくれたと。
いくらお金を出してもしつけは買えない。
どんなにお金持ちになっても買えない。
プライスレスです。
お金では買えないものを
身につけさせてくれたんです。

母親は何もない、何も知らない自分に
善しあしの判断がつくことを
教えてくれた。
それも最高のものを厳しく。
これは最高の贈り物ですよ。
人は最高を知っていると、
落とすことができる。
人は最高のものを知らないと、
どうやってというのが分からない。
たとえば友達と、
あるいはそうでない人といるときには
「違い」がある。
言葉遣いや立ち居振る舞い、
服装などTPOというか。
これは最高のものを知っていないと
対応できないんです。
そこは本当に感謝しています。』
※<話の肖像画>
歌手・郷ひろみ(65)
産経ネットより引用しております。


「ハキハキ!元気!賢い子」

躾はプライスレス。
躾は最高のものを厳しく。

なるほど!
私達が伝えたいことを
書いてくださった!と感謝。

お母様達に話します。
「私達に叱られているお子様を
見たいですか。」

みなさん、いいえ。と
お答えします。

では、お母様が一番厳しく
なって下さい。
どんなに厳しくても
お母様の愛情は伝わり
子供はお母様が一番大好きです。

お母様、皆さん涙したり
納得したり。と
各御家庭の
子育てストーリーがあります。

躾は誰のため。
子供達を恥ずかしくないように
一人前に育て
立派な社会人にするために。

お母様の気合ひとつで
子供は変化していく。
どのような子供になって
もらいたいかで変化する。
躾次第で子供が変化していく。
だと考えます。

お母様の躾が行き届いている
子供達はやはり賢い。
「今」できていなくても
一つづつ丁寧に積み重ねれば
良いと考えます。

春から中学生!
沢山の本を寄贈して頂きました。
塾生の皆さんに
読んでもらおうと考えています。
本当にありがとうございました。
感謝申し上げます。

posted by at 22:14  | 学習塾・幼児教育

幼児期からの学び 中学校受験

長崎市にある幼児教室・学習塾 羅針塾
全ての受験が終わり、次のステージへ
塾生さん達が学んでいます。

年長さんから御縁がある塾生さん。
小学校受験を頑張り
日々、enjoyし
羅針塾で学んでいます。
小学校の担任面談では
「何も言うことがありません。」の
六年間。
成績は常にトップです。
苦手としていたことも前向きに
取り組み仲間や先生方にも恵まれ
児童会長となり中学校受験に臨みます。

羅針塾の私達は
中学校受験までに
漢検の二級(高校卒業程度)を取ろう。
算数は六年生の課程を終わらせよう。
英検四級程度の文法を
完全にマスターしよう。
塾生さんに合わせて少しずつ
負荷をかけていきました。

塾生さんは黙々と取り組み
全てクリア!!

中学校受験の結果は
トップの成績で入学と
なりました。

本人の努力と
お父様、お母様の
御理解と御協力のおかげです。
日々、読む本
学びへの取り組み方
長期休暇の旅行先
御家族で学べることは
些細なことでも相談して
下さいました。

何事も前向きに。

様々な可能性を試し
一つ一つを繋げた結果だと
考えます。

今、塾生さんは
漢検一級の為の学び
英語は中学校課程を
終わろうとしています。

先生達は聞きました
漢検や算数検定は嫌ではなかった。

「最初は嫌でしたが、
当たり前になるとやらないと
嫌になります。」

これが賢い子の学びです。
日々、ブレることなく
コツコツ積み上げる。
何があっても。

お母様達には
子育ての時間はわずか。
周りに流されることなく
賢い子になるための
最短の道を歩んでほしい。
と願っています。

合格!おめでとう!
幼児期からの成長に
目がウルウルの先生達です。

posted by at 12:00  | 学習塾・幼児教育

教科書に載らない歴史上の人物 28 緒方洪庵 3

長崎市五島町の幼児教室・学習塾の羅針塾では、学年(年齢)を超えて切磋琢磨をできるだけの自律性を持たせる工夫をしております。年齢の如何を超えて、人の良い所を真似することから「学び」は始まります。

さて、

教科書に載らない歴史上の人物 28 緒方洪庵 2の続きです。

5.「ついぞまくらをして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない」

 適塾での生活を、塾頭を務めた福澤諭吉が活き活きと書き残しています。常時、百人ほどの塾生が適塾に寄宿しており、一人一畳ほどのスペースしか与えられていません。

__________
 夕方食事の時分にもし酒があれば酒を飲んで、初更に寝る。一寝して目がさめるというのが、いまでいえば十時か十時すぎ、それからヒョイと起きて書を読む。夜明けまで書を読んでいて、台所の方で塾の飯炊がコトコト飯をたくしたくをする音が聞えると、それを合図にまた寝る。
寝てちょうど飯のでき上がったころ起きて、そのまま湯屋に行って朝湯にはいって、それから塾に帰って朝飯をたべてまた書を読むというのが、たいてい緒方の塾にいる間ほとんど常きまりであった。[緒方、p113]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 寝るといっても、「机の上につっぷして眠るか、あるいは床の間の床縁をまくらにして眠るか、ついぞほんとうにふとんを敷いて夜具を掛けてまくらをして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない」という具合でした。

 そんな塾生たちに、洪庵は暖かく接していました。諭吉は「先生の平生、温厚篤実、客に接するにも門生を率いるにも諄々(じゅんじゅん、よくわかるように繰り返し教えさとすさま)として応対倦(う)まず、誠に類(たぐ)ひまれなる高徳の君子なり」と記しています。

・・・適塾へ全国から参集した若者の「勉学」に対する意気込みや姿勢には、現在の人は誰も太刀打ちできないのではないでしょうか。まさに学問をすることの「氣合い」が根本的に異なります。

福澤諭吉の述べる「寝る」は、現在の一般に考える「寝る」という概念ではありません。つまり、「仮眠」でしかありません。常に考え続けている結果、その様な「寝る」で当たり前だったのでしょう。一日も早く「蘭学」を習得したいという執念が為せる技だったのでしょう。

 

6.辞書の書写で自活できた塾生

 塾では五日に一回は10人ほどの会読があり、オランダ語の文法書や文典を読んでは訳していく。その出来によって、塾生としての等級があがっていく、という純粋な実力主義でした。家柄も年齢も関係なく、勉学ができなければ、何年塾にいても等級は上がりません。

 オランダ-日本語の辞書(ズーフ)は1セットだけ、3畳ばかりの「ズーフ」部屋に置いてあって、持ち出しは禁じられていました。塾生たちは分からない単語が出てくると、その部屋に行って調べるのですが、塾生が多いので、昼間はじっくり調べることもできません。そこで深夜にズーフ部屋を使う塾生もいて、夜通し灯りがついていました。

 適塾の蘭学は、当時、日本第一と称されていました。江戸でも蘭学はさかんでしたが、江戸から学びに来る者はいても、江戸に行く時は教えに行くのだ、という気概を塾生たちは持っていました。

 これほどの塾でも、塾生の食費も含めた費用は1日100文以下でした。現在の価値では2千円以下でしょう。当時需要の多かったオランダ語辞書を1日に半紙10枚(1枚に10行20字)写せば160文になるので、塾生はそれだけで自活できました。

 1日100文以下というのは、洪庵が治療などで受け取った謝礼を適塾につぎ込んでいたからだと言われています。そのため自身の生活は質素にしていました。ある時、改まった場所に出るのに上下(かみしも、礼服)がないので、知人に借用したということもありました。すでに大阪の名士と交わる地位にありながら、自身の名利には無頓着な人物でした。

 こういう人物のもとで、明治日本を躍進させた人材が大勢、巣立っていったのです。

 

・・・「五日に一回は10人ほどの会読があり、オランダ語の文法書や文典を読んでは訳していく。その出来によって、塾生としての等級があがっていく」

これは「会読」の同一の本を「研究・討議」する利点を生かしたものです。当然、力のないものは発言する機会も無くなりますから、自然にそれぞれが必死になって学ぼうとします。

現在の大学等の受験生で、誰にも頼らず自らの力で受験科目の基本書や問題集を読破していく、という自律・自立型の若者はどれくらいいるのでしょうか?

 

「緒方洪庵と適塾」 梅渓昇著 大阪大学出版会 (1996/10/31)

7.「医の世に生活するは人の為のみ」

 洪庵が訳した『扶氏経験遺訓』の原著末尾には、「医師の義務」と題する付録がついており、洪庵はそれに感動して、「扶氏医戒之略」と題した12カ条に訳しました。その一部を拙訳とともに紹介しましょう。

__________
一 医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其業(そのぎょう)の本旨とす。安逸を思わず名利を顧みず、唯(ただ)おのれをすてて人を救わんことを希(ねが)うべし

(医者が世に生活するのは人の為だけである、自分のためではない、という事を仕事の本旨とする。安楽を思わず、名利を顧みずに、ただ自分を捨てて、人を救うことを願うべきである。)

一 病者に対しては唯病者を視るべし。貴賤貧富を顧(かえりみ)ることなかれ。長者一握の黄金を以て貧士双眼の感涙に比するに、其心に得るところ如何ぞや。

(病者に対しては、ただ病者だけを視るべきである。身分の高低や財産の多寡を視てはならない。金持ちの一握りの黄金と、貧者の感謝の涙を比べてみれば、どちらが心に迫るだろうか。)

一 病者の費用少なからんことを思うべし。命を与うとも、其命を繋ぐの資を奪わば、亦何の益かあらん。貧民に於ては茲(ここ)に斟酌(しんしゃく)なくんばあらず。

(病者の費用が少なくなるように考えなければならない。命を救ったとしても、その命をつなぐだけの資金がなかったら、何の益があろう。貧しい人々に対しては、この点を思いやらなければならない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 洪庵の精神は、塾生の間にもよく浸透していたと見えて、橋本左内などは、夜ひそかに塾を出て、貧しい者の病の手当をしていました。

 現代でも、この「扶氏医戒之略」12カ条を額に入れて掲げている病院・医院は多いといいます。コロナ禍の中で、医療従事者の無私の奮闘が社会を支えてくれています。我が国の近代医学の祖が、こういう精神を残してくれた事の有り難さを感じます。

 

・・・正に、緒方洪庵は医者として、人を導く先生として、その人間性が見事に発揮された偉人であると言えます。明治維新後、慶應義塾を創設し、明治期の言論を主導した福澤諭吉にとって、緒方洪庵は学問の大恩人であるとともに、遥(はるか)高みにある目指すべき大人物であったのではないでしょうか。

 

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