長崎市五島町にある学習塾・幼児教室
羅針塾学習塾です。http://rashinjyuku.com

一人一人の個性は豊か。ということは
解き方も千差万別。受験のテクニックに嵌めない。というのが
羅針塾学習塾の方針
特に幼児さんの受験は。

幼児さんを観ていると本当に勉強させられます。
物の見方、考え方。話し方、表現の仕方。
なるほどなあ〜と。基盤は家庭生活の中にあります。
その中でどのような会話をし、物の見方考え方をさせているか
日々の積み重ねが学ぶ時に様々な形で出てきます。

受験当日までやることは沢山あります。
一つ一つを仕上げないといけません。
焦っても、不安な時こそ
丁寧に。確実に。基本に。

「ハキハキ!元気!賢い子」
テクニックだけで理解すると
後々、綻びが出てきます。
本当に理解している子は受験のテクニックを教えても
理解が深く、応用が効きます。
理解が浅い子に、テクニックを理解させても
後々の学びにはつながりません。

柔軟な考えを行う時 想像力を限りなく広げる時
どんどん賢くなっていきます。
考える力、判断する力、表現する力
そして伝える力をつけていきます。
そんな子達が世界に羽ばたいていくのだと考えています。
羅針塾学習塾は、可能性豊かな子供達を
育てていきたいと考えています。

posted by at 20:03  |  学習塾 幼児教室blog

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羅針塾学習塾 冬期講習の面談が始まっています。
と・・・いうより、終わり間近です。
総復習と、これからの飛躍の為、個々に目標を掲げて面談をおこなっております。
笑いあり、涙あり、毎回様々なお話が聞けるのも嬉しい事です。
どう考えても、勉強から離れた話が多いのではないか?と思うこの頃。
それだけ、信頼して下さりお話をして下さることに感謝しております。
本題の話に戻すと「あ〜そうでしたね。」
「ウンウン、分かりました。大丈夫ですよ。予定組みますね。」って
そんな感じです。(笑)

終業式から冬休み、始業式までの限られた日数ではありますが
しっかりと取り組み三学期からのスタートへ向けて準備したいと考えております。

「ハキハキ!元気!賢い子」
羅針塾学習塾の冬期講習は
ただ机に向かうだけではなく
様々な取り組みを行っていきます。
年齢、学年関係無くみんなで様々な事に
一所懸命に取り組んで「面白かった!」「楽しかった!」と
言ってもらえたらなあと考えています。

posted by at 18:31  |  学習塾 幼児教室blog

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室
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長崎大学教育学部附属幼稚園の受験に合格した塾生さんから
可愛い!可愛い!御礼の手紙が届きました。

も〜ぅぅうね。
嬉しいぃぃ。
貴方は賢い子!!キャア〜嬉しいぃ。その一言。です。
塾長も。私も。
家宝です。あっ!塾宝かあ〜。(笑)

様々なドラマがあり、その日の、その時間に臨んだこと。
ただただ、お母様は、ご縁のために!この子の未来のために!です。
お遊戯会でご一緒になったお母様からも大変だったみたいですよ。
けれど、、、、結果は素晴らしいじゃ無いですか!!先生!!何したの!!
と。。。。。。

ねっ!合格の切符をいただければ
嬉しい!!想い出です。

この可愛いお手紙は
今からの受験生のお守りです。
合格power!!!!!!を感謝して頂きます。
一人のpower!!は周りを巻き込み
全てを導く!

「ハキハキ!元気!賢い子」

絶対ですね。合格ラインに持っていきます。絶対に!
嬉しい!今日のお母様のメール。
この一言が塾生を突き動かしていくのです。
ご縁へ!そして!トップへ!

先生達は、塾生の最高の笑顔を観たいと。
そのための全ては尽くしてあげたいと考えています。

posted by at 20:16  |  学習塾 幼児教室blog

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 http://rashinjyuku.com では、塾生の年齢や個性に応じて指導することを心がけています。同じ年齢であっても、横並びで一斉に成長するわけでは無いからです。

漢字教育で著名な石井勲先生の著書「幼児はみんな天才」に紹介されているカール・ヴィッテの教育法には様々示唆に富むことが記されています。

 

そして彼が実践したやり方といふのは、かうでした。赤ん坊のカールの前に指を動かしてみせます。すると、カールは指をつかまうとして手を伸ばします。最初は見当がはづれて、なかなかつかめないのですが、つひには成功し、大喜びで父親の指を口に入れて吸ひ始めます。すると父親はその時、ゆっくりとはっきりとした口調で、「ゆび、ゆび」と何回か言ふのです。

 このやうにして父親は、カールの眼の前に色々なものを出して、その名前をゆっくり、そしてはっきりとした口調で数回発音して聞かせました。するとカールは間もなく、さうした物の名前をはっきりと発音できるやうになりました。

 次には、カールを抱っこして家の内外の物、道具や衣服、草木や花、虫、そして動詞や形容詞などの言葉も、教へました。そして、かういふ物事を教えるときには、皆、カールとの簡単な、しかし楽しい会話の中で教へました。根気よく、しかし、無理矢理に、詰め込まうとするのではなく。

 かうしてカールが少し話を理解するやうになりますと、両親は毎日カールにお話をして聞かせました。そして又、カールにそのお話を繰り返させました。さうしないと、そのお話の効果が十分に上がらないからです。

 この結果、カールは、五、六歳までの間に約三万語の単語をやすやすと覚えることが出来たさうです。そして、これも大事なことですが、カールの父親は、決してカタコトや方言を使ひませんでした。そしてカールが正しく発音した時には「上手だね」と言って頭をなでててほめました。正しく発音できないと妻に「お母さん、カールは何々と言へないよ」などと言ひ、妻の方も「さうですか、そんなことが言へないんですか」などと答へました。すると、幼いながらも、カールは懸命に正しく発音しようと努力して、つひにはそれが出来るやうになったといふことです。かうして、まだ親に抱かれてゐるうちから、カールは言葉を極めて明晰に喋ることが出来たのです。

 又、父親はカールが単純な言ひ回しに満足せず、複雑な言ひ回しを理解したり、自分でも使ったり出来るやうに教育しました。そして、曖昧な言ひ回しをせず、極めてはっきりした言ひ方をするやうに注意しました。これは、頭を明晰にするには、まづ言葉を明瞭にする必要があるとの彼の持論から出た事でした。それで、両親はまづ自分たちが、正しく美しいドイツ語を使ふやうに努力したさうです。

 

 カールが読書を始めたのは三歳半の頃でした。父親のやり方はかうでした。まづ、子供向きの絵本などを買って来ます。そして、それについて、カールに面白く話して聞かせてから「お前が字を読むことが出来れば、こんな事が皆解るんだが」などと言って、好奇心を刺激しました。また、全く話をして聞かせずに「この話はとても面白いのだけれど、とても話してやる暇が無い」などといふこともありました。いづれにせよ、カールとしては何とかして字を読むことを覚えたいといふ気になるわけです。さうなってから、初めて字を教えたといふことが書いてあります。これも非常に大切なことだと思ひます。

 カール・ヴィッテの父親は大変聡明な人でした。そのしつけは厳格ではありましたが、専制的ではありませんでした。子供の判断力を育てることに主眼を置き、叱るときにも一方的に叱ることはせず、なぜそれが悪いのかを納得できるように説明してやりました。         (続く)

子供を抱っこしている段階から、「家の内外の物、道具や衣服、草木や花、虫、そして動詞や形容詞などの言葉も、教へました。そして、かういふ物事を教えるときには、皆、カールとの簡単な、しかし楽しい会話の中で教へました。根気よく、しかし、無理矢理に、詰め込まうとするのではなく。」・・・一日や二日なら誰しも取り組むことはできますが、これを毎日、倦まず弛まずし続けることは並大抵の努力ではできません。

子供の将来を考え、日々精進する親の姿があればこそ、成長した子供が有為の人物となっていくのです。

五、六歳までの間に約三万語の単語」を覚えたということに近い例は、記録に残されてはいなくても、歴史上数多いるのでは無いかと思います。一つ挑戦してみようと思われる親御さんの登場をお待ちします。

posted by at 17:26  |  塾長blog

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 http://rashinjyuku.com では、ご縁のある方々には子育てや家庭教育についての有益な情報も伝えて行こうと考えています。

早教育の例として取り上げられるカール・ヴィッテの教育法について述べられたものがあります。漢字教育で著名な石井勲先生の著書「幼児はみんな天才」から引用してご紹介します。長文ですから、数回に分けてのご紹介です。

英語版Wikipediaにはカール・ヴィッテは以下のように記されています。

Johann Heinrich Friedrich Karl Witte (born July 1, 1800 ; died March 6, 1883 i) was a German jurist and scholar of Dante.

Witte was the son of pastor Karl Heinrich Gottfried Witte who encouraged a fairly intense program of learning. When Karl Witte was nine, he spoke German, French, Italian, Latin, and Greek, and on April 10, 1814, at the age of 13, he became a doctor of philosophy at the University of Giessen  in Germany. As a result, Witte was listed in  The Guinness Book of World Record as the “youngest doctorate”, a record that still stands; however, The Guinness Book of World Records lists his age as 12.

ヨハン ハインリッヒ フリードリッヒ カール ヴィッテ(1800年7月1日生れ、1883年3月6日亡)はドイツの法学者でダンテ研究者(学者)。ヴィッテはかなり強烈な学習プログラムを奨励したカール ハインリッヒ ゴットフリード ヴィッテ牧師の息子でした。カール ヴィッテが9歳のとき、独語、仏語、伊語、羅甸(ラテン)語、希臘(ギリシャ)語を話し、1814年4月10日13歳の時、ドイツのギーセン大学の哲学博士になりました。その結果、ヴィッテはギネスの未だもって世界記録であると記されている「最も若い博士号の学位」として列せられています。世界記録ギネス本には彼の年齢は12歳とされている。

カール ヴィッテ

カール・ヴィッテは一八〇〇年、ドイツの小さな村に牧師の子として生まれました。牧師だった父は、非常な卓見の持ち主で、当時としては驚くべき独創的な教育論を持ってゐました。それは一言で言えば「子供の教育は、子供の知力が見え始めたと同時に始めるべきだ」といふものでした。さうすれば、大抵の子供は将来非凡な人間になるといふのです。ただし、彼はその著書の中でこう言ってゐます。「自分は天才を作るつもりで、このやうな教育をわが子に施したのではない。ただ円満な人格の人間を育てようとした結果、このやうになったのだ」と。

 とかく早教育や英才教育は批判の的になります。かういふ教育の結果、偏った人格や病気がちの弱い肉体の持ち主になってしまふといふ心配をする人があります。それにカール・ヴィッテの父親は答へたといふわけです。実際には、カール・ヴィッテは偏った人格とはおよそ程遠い円満な人柄で、健康面でも八十三歳といふ当時としては大変な高齢まで元気で法学者としての仕事を続けてゐましたから、かういふ批判は当たりませんでした。

カール・ヴィッテは、幼児期に既に三万語の語彙を持ち、フランス語、イタリア語、ラテン語、英語、ギリシャ語をマスターし、特に数学では将来を嘱望されるほどの才能を示しました。僅か九歳でライプチッヒ大学に入学を許され、十三歳で哲学博士、十六歳で法学博士になり、ドイツの各大学で法学の講義を行ひました。かたわら、イタリア留学中に興味を抱いたダンテについても、その道の専門家も舌を巻くほどの研究があったといふ多方面にわたる学者でありました。

 さて、カール・ヴィッテの父が息子に早教育を施した直接のきっかけは、教育者と牧師とから成るグループの間の議論から生まれました。まだカールが生まれる前のことでしたが、「子供の能力を決めるのは遺伝か、それとも後天的な教育か」といふ議論が、このグループの中で、交されたのです。カール・ヴィッテの父は、以前から、「遺伝より、教育が大事だ、それも生まれた時から五、六歳までの教育の良し悪しによってきまる」といふ意見を持ってゐましたので、それを主張しました。しかし、この説を支持したのはわづか一人だけで、他の人々は皆こぞって反対したので、「では、もし私に子供が出来たら、その子を私の教育で非凡な人間に育て上げてお目にかけませう」と言ったのださうです。

 その後間も無く、子供が生まれましたが、残念なことに、この子は死んでしまひました。次に生まれたのが、カールでした。父親はこの子を自分の信念に従って、細心の心づかひをもって育てたのです。

 ここで注目したい事はカールは決して生まれつき知能の勝れた子供ではなかった事です。反対に、白痴かと思はれるほど、鈍い子供だったさうです。母親でさへ、「こんな子は教育しても駄目です」と諦めてゐたといひます。しかし、父親の方は、諦めませんでした。

 「我々は子供を社会に送り出すにあたって、出来るだけハンディキャップを少なくしてやる義務がある」と考えてゐた父親は、英知の限りを尽くしてカールを教育しました。

 彼の教育の根本理念はかういふことでした。

「子供の生まれつきの可能性を一〇〇とした時、子供を放りっぱなしで育てれば、その能力は発現を見ることが出来ずにどんどん減ってしまふ。五歳になれば八〇に減り、十歳になれば六〇に減り、十五歳になれば四〇に減るといふ具合に。だから子供を育てるのに大切なことは、時期を失はないうちに、潜在的な能力を発達させることである。それには、早くから子供の能力に働きかけてこれを発達させなければならない。つまり、子供の中に少しでも知力が芽生えたと見えたら、ただちに始めなければならない。では具体的にどうすれば良いのか。それは子供に早くから言葉を教へることである。言葉は知識を刈り入れる道具に他ならないから、言葉を早く、多く教へることによって、知識を獲得する能力は、素晴らしく大きなものになるに違ひない。」

(続く)

凡そ200年以上前に、 「我々は子供を社会に送り出すにあたって、出来るだけハンディキャップを少なくしてやる義務がある」と考えていた父親がいたのですね。当時のドイツでは、国民の識字率は相当に低かったし、教育は一部のエリート層のものだったはずです。父親は牧師で謂わば知識人です。しかし、自らの仮説を断固とした意思に基づき、その時代の常識を覆すほどの教育を実践したことが、現在まで語り継がれている教育法の所以です。

posted by at 14:25  |  塾長blog
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