長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
http://rashinjyuku.com

夏休みの宿題「読書感想文」に取り組んでいる塾生さん達
本当に難しい。
課題図書を選び、熟読して内容を理解して
やっと思いを書いていく。
日々、文章を書く訓練をしないと直ぐには出来ません。
塾生達は、私達と話をしながら
色々なヒントをもらいながら少しづつ書き進めています。

「ハキハキ!元気!賢い子」
小学一年生も初めての読書感想文に挑戦中。
あ〜 ええっ〜とか面白い言葉を発しながらでも
集中して書いています。
文章は繋がらなくてもいいから、とにかく考えたことを
素直に書くこと。
作文の最初の一歩です。
どんな読書感想文ができるか楽しみです。
難しいことに挑戦する。どんどん賢い子へとなっていきます。


初めての読書感想文
集中のあまり?気合の入りすぎ?立って書いています。

posted by at 16:07  |  学習塾 幼児教室blog

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 http://rashinjyuku.com では、夏休み期間中の塾生の海・山・旅の体験談を聞かせて貰うことがあります。子供の頃の体験は新鮮です。長じてからも、ふとした時に思い出すような様々な経験を沢山して欲しいものです。

唐比の水蓮

八月九日は長崎の原爆忌です。

昭和二〇年八月六日の広島に続いて、人類史上最悪の戦争犯罪が行われた日です。長崎では、夏休み期間中の小・中学校の登校日で所謂「平和教育」が毎年繰り返されます。

さて、「英語と歴史を同時に学ぶ」シリーズから、「もっと知りたいコラム」をご紹介です。(『新しい歴史教科書』(新版・中学社会)(自由社)英訳シリーズ その11)http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter-5-Section-2.pdf

I WANT TO KNOW MORE ABOUT… The International Laws of War and War Crimes

Approaches to the international laws of war

Throughout our long history, human societies never stopped waging wars against one another due to conflicting national or ethnic interests, and these wars always occasioned horrible atrocities. Consequently, the idea came about to set international standards on how wars could legally be conducted. These rules are known as the international laws of war. One of the most influential treaties on the international laws of war was the Hague Land War Convention, signed in the Netherlands in 1907 (Meiji 40).

The killing or wounding of non-combatant civilians and mistreatment of soldiers taken prisoner are designated as war crimes and therefore illegal under the international laws of war. In addition, it is prohibited to arm civilians and have them participate in fighting without military uniforms. If non-uniformed combatants are captured, it is permissible to punish and even execute them as spies or guerrillas following legal proceedings.

The greatest war crime of the twentieth century

Unarmed civilians were targeted and slaughtered en masse in both the Battle of Okinawa and the indiscriminate bombing of major Japanese cities. It has been said that even one of the US B-29 pilots had questioned his commanding officer about whether the proposed Great Tokyo Air Raid of March 10, 1945 (Showa 20), was a violation of international law. During this attack, 100,000 people were burned alive in a single night. As for the atomic bombings, the number of people killed totaled over 200,000 in Hiroshima and over 70,000 in Nagasaki, and these victims were ordinary citizens. Whether measured by their human or material devastation, the atomic bombings could be fairly described as the greatest war crimes of the twentieth century.

The Siberian Internment

On August 9, Soviet forces overran Manchuria and Sakhalin in violation of the Japanese-Soviet Non-Aggression Pact. They were responsible for innumerable incidents of pillage, murder, and rape against Japanese civilians. Even after Japan’s surrender, the Soviet invasion continued. It was in September that the USSR completed its conquest of the Northern Territories, an integral part of Japan. What’s more, though the Potsdam Declaration stipulated that all Japanese prisoners were to be repatriated in short order, the USSR blatantly disregarded this condition and transported more than 600,000 Japanese civilians and POWs to sites in Siberia where they were made to do brutally hard labor and denied adequate meals. Among those Japanese interned in Siberia, the officially recorded deaths alone exceeded 60,000 people.

Because the Allied Powers were the victors of the war, none of their war crimes were prosecuted.

The war crimes of the Japanese military

The Japanese military was also responsible for the mistreatment and unlawful killing of captured enemy soldiers and unarmed civilians within the areas it occupied over the course of the war. The Allied Powers dealt severely with Japanese war criminals, sentencing nearly one thousand of them to death. However, there were some cases of Japanese soldiers having been wrongfully convicted and executed for crimes that they had not committed.

 

もっと知りたいコラム

戦時国際法と戦争犯罪

● 戦時国際法の考え方

人類は長い歴史の中で国家や民族の利害の衝突から、絶え間なく戦争をしてきたし、残酷な出来事も絶えませんでした。そこで、戦争のやり方を国際的に決めようという考えが生まれました。このルールを戦時国際法と言います。1907(明治40)年にオランダで締結されたハーグ陸戦法規は、そのルールの代表例です。

戦時国際法では、戦闘員以外の民間人を殺傷したり、捕虜となった兵士を虐待することは、戦争犯罪として禁止されました。一方、軍服を着ていない者に武器を持たせたり、戦闘に参加させることは禁じられ、それを捕らえた側には、一定の手続きの後、スパイやゲリラとして処刑することも認められていました。

● 20世紀最大の戦争犯罪

沖縄戦でも、本土の大都市への無差別爆撃でも、非武装の民間人が標的にされて大量に殺害されました。1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲の攻撃命令を受けたB29のアメリカ人パイロットは、「それは戦時国際法違反ではないか」と司令官に問い質したと言われています。東京大空襲では、一夜にして10万人が焼け死にました。原爆投下による死者は、広島で約20万人以上、長崎では約7万人以上で、その犠牲者は一般市民でした。原爆投下は、その被害の規模においても、20世紀最大の戦争犯罪と言えるでしょう。

● シベリア抑留

8月9日、ソ連は日本との中立条約を破って、満州・樺太に侵攻し、日本の民間人に対して略奪、暴行、殺害を繰り返しました。ソ連は日本の降伏後も侵攻をやめず、日本固有の北方領土の占領を終えたときには、既に9月になっていました。更に、捕虜は即座に帰国させるとしたポツダム宣言の規定に違反して、捕虜を含む60万人以上の日本人をシベリアなど各地に連行し、満足な食事も与えないまま残酷な強制労働に従事させました。そのためにわかっているだけで6万人以上の日本人が死亡しました。

これら戦争の勝者である連合国側の戦争犯罪は、一切、裁かれることはありませんでした。

● 日本軍の戦争犯罪

日本軍も戦争中に侵攻した地域で捕虜となった敵国の兵士や非武装の民間人に対し、不当な殺害や虐待を行ったこともありました。連合国軍は、日本軍の犯した戦争犯罪を厳しく裁き、1000人に近い人が処刑されました。その中には無実でありながら、誤った判決で処刑された人もいます。

 

・・・一般に、小・中学校の授業では、戦争について先生方が客観的な解説をすることはありません。日本史などで、「戦さ」「乱」について教科書に記載があれば、サラッと述べる程度です。しかし、現実の世界を見渡せば、現在も世界各地で戦争や紛争が進行しています。子供達に、国際政治の現実を知らしめないことが是か非かは、各家庭の親御さんが決めることです。

客観的な事実を見極めることはなかなか難しいものです。しかし、ある事実について、立場の違いで意見や考え方が大きく異なってくるということを教えることは、子供達の論理的な理解を深める意味でも大事なことではないでしょうか。

posted by at 07:44  |  塾長blog

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
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羅針塾学習塾・幼児教室の夏期講習の取り組みは
ただ問題を解き解説をしている訳ではありません。
一つ一つ何が理解できないのか?
どこがわからないのか?
徹底して考えていきます。
様々な辞書を使って言葉の意味を調べたり
図を描いたり、話を聞いたり、映像を見たりして
なるほど!と理解してもらうようにしています。
「国語力」と簡単に言うけれど
「語彙力」がない子供達に一言で分からせるのは
難しい。
「語彙力」の差は各御家庭の生活環境に繋がっています。
日頃から何を話し、行動させているか。
忙しい!が先。
携帯やテレビが優先な割りには
手を掛け過ぎていると言葉を発せなくなります。
言葉というツールがないと、いくら問題を解いても
「国語力」はつきません。

「ハキハキ!元気!賢い子」
国語力は一日にて成らず。
現学年相応の言葉を使って話す時
理解ができない時には、学年を巻き戻した形で
伝えていきます。
急がば回れ。
理解度を深めるために。
「だいぶん戻った」と悩まれる親御さんもいらっしゃいます。
しかし、時間をかけ辛抱強く取り組むことによって
「語彙力」がつき「国語力」がアップします。
賢くなりトップへとなっていくのです。
きっかけは小さな所から
調べ尽くした塾生さん達のノートは
一生の財産になると思います。

賢くなるのも一日にして成らず。

日々の努力と根気強さが必要です。

小さな幼児さんも、小学生も中学生も同時間に
個々の学び。様々なことに取り組んでいます。

posted by at 17:05  |  学習塾 幼児教室blog

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
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夏期講習中の羅針塾学習塾の小学生。
宿題が殆ど終わり、やり直しやまとめの作業に入っています。
英語も毎日、四技能を取り組んでいますよ。
小学生の学びは各学年でカリキュラムを組むのではなく
同学年でも、同じ教科でも取り組ませることが異なります。
習熟度はもちろんですが「今」これを学んで欲しいことを
今日の課題として取り組ませます。
塾の宿題を出さない。出したくないのが羅針塾学習塾の方針。
塾生もしっかりと理解していますから
一人一人の時間をしっかりと集中しています。

「ハキハキ!元気!賢い子」
昨日の長崎新聞の記事に「全国学力テスト」の結果が出ていましたね。
全国平均を下回っている長崎県。
気がけている御家庭や志高い御家庭が
子供達のその後の進路をいい方向に向かわせて行くと
考えます。
何が、子供達の学びに必要なのか?
一人一人にとっていい導きが
賢い子へと変化させていきます。

納得いかないのですが・・・先生飾ってください。
また、創ります。と小学生の女の子
恐竜好きと創作意欲は賢く・賢くさせていきます。

posted by at 18:13  |  学習塾 幼児教室blog

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 http://rashinjyuku.com では、暑い夏にも関わらず塾生が元気に夏期講習に通塾しています。当塾では、それぞれの目標や為すべき学びを粛々とこなしていきます。

あるとき、塾生の一人と筆者が話をしていますと、「勉強をいつまでしなければならないか」という話題に及びました。その塾生は毎日学校へ元気に通い、学校生活を満喫しています。通常の学校の勉強もしっかり取り組み、読書好きです。出来ればずっと本を読みたい、という思いから、所謂「勉強」をサッサと済ませたい。そんな中での質問です。・・・その回答は想像にお任せして、ネット上で以下の記事が目に入りました。

諸葛亮の羽毛扇に秘めた物語

http://www.epochtimes.jp/2018/01/30458_amp.html?__twitter_impression=true

諸葛亮の画(ウキペディアより)

中国の三国時代、蜀の劉備に仕えた軍師・諸葛亮。天文学や地理、兵法に通じ、神のごとく敵を翻弄する戦術で稀代の大天才と謳われた。諸葛亮の幼少時代については謎が多いが、中国ではこんな伝説が残っている。

 諸葛亮が8、9歳の時、まだ喋ることができなかった。家は貧しく、父は彼に近くの山で羊の放牧をさせていた。

 その山の中に道教の寺院があり、白髪の道士が住んでいた。道士は毎日寺院を出て散歩し、諸葛亮に会えばあやすように話しかけていた。諸葛亮は道士の話に身振り手振りで一つ一つ楽しそうに答えた。

 道士は諸葛亮のことが気に入り、彼の病を治して言葉が話せるようにしてやった。「家に帰ってあなたの両親に、私の弟子になるということを伝えなさい。読み書きや天文地理、陰陽八卦、兵法などを教えよう。ご両親がそれに同意したならば、毎日ここに勉強しに来なさい。一日も怠けてはいけない」。

 それから諸葛亮は道士に弟子入りし、雨の日も風の日も、毎日山へ行って教えを請うた。諸葛亮は勉強に励み、一度目を通した文章は全部憶え、一度聞いた話はしっかりと記憶した。道士はますます諸葛亮のことが気に入り、熱心に教えた。

 7、8年が過ぎたある日、諸葛亮が山から帰宅する途中、小さな荒れたお寺を通る時に突然、豪雨に見舞われた。諸葛亮が雨宿りをするために急いで寺に駆け込むと、一人の若い女性が諸葛亮を寺の中に招き入れた。ふと見ると、この女性は細長い眉に美しい大きな目をしており、まるでこの世に下りてきた天女のようだった。諸葛亮が寺から出ようとした時、彼女は微笑みながら言った。

 「今日、私たちはご縁があって知り合いになれました。これからは山へ行く時も山から帰る時も、喉が渇いたり疲れたりした時には、いつでもこちらでお茶を飲んでお休みください」。

 諸葛亮は寺から出ると、「今まで一度もここに人が住んでいたのを見かけたことはなかったのに」と不思議に思った。

 それからというもの、諸葛亮はよく寺に来るようになった。女性はいつでも優しく、手料理を作ってもてなしてくれた。食後、二人は談笑しながら囲碁や将棋に興じた。道士のところに比べると、この寺は非常に心地よかった。諸葛亮はこのころから勉強に身が入らなくなり、考えもまとまらず、道士が話したことはすぐに忘れてしまうようになった。

 道士は諸葛亮の様子に落胆し、ため息をつきながら「木を潰すのは容易だが、育てるのは難しい。私は随分と長い時間を無駄にしたようだ」と嘆いた。

 諸葛亮は道士に頭を下げ、「私は師父からの恩に背くことは決して致しません」と話した。道士は諸葛亮を見ながら、「私はお前が賢い子だと思い、必要とされる人間に育てるために病気を治し、弟子にしたのだ。数年前のお前は賢く、努力家だった。しかし、今のお前は怠け者に変わってしまった。こうなれば、いくら賢くても意味はない」と話した。

 さらに道士は、「風が吹かなければ、木は揺れない。船が揺れ動かなければ、水は濁らない」と述べ、庭にある藤に巻きつかれた一本の木を指差した。「あの木は、どうして元気がなく成長できないのか分かるだろうか?」

 「藤に強く巻きつかれているからです」と諸葛亮は答えた。

 道士は、「石が多くて土の少ない山に生えた木は成長するのが難しいが、一所懸命に根をおろし、枝を伸ばして、暑さにも寒さにも負けない頑丈な木に成長する。一方、藤に巻きつかれた木はどうだろうか。強く巻きつけられると、その木は成長することができなくなる。木は、柔らかい藤に巻きつかれるのを一番恐れるのだ」と続けた。

 諸葛亮は頭をたれて、「師匠はすでに、全部ご存知なのですか」と尋ねた。

 道士の顔は厳しくなった。「お前が親しくしているあの女性は、普通の人間ではない。彼女は、もともと天宮の一羽の鶴で、王母の桃を盗んで食べたために天宮から打ち落とされたのだ。人間の世界に来て美女に化け、勉強もせず努力もせず、ただ遊び暮らしている。お前は彼女の美貌に惹かれただけで、怠けている彼女の一面を知らなかったのだ。もしお前も彼女と同じようにふらふらしていれば、一生何も成し遂げられないだろう」。

 諸葛亮はそれを聞いて慌てふためき、これからどうすればよいのかと尋ねた。

 

 道士は言った。「あの鶴は毎晩、夜中の1時に鶴の姿に戻り、天河まで飛んでいって風呂に入る。この時、お前は彼女の部屋に入り、彼女の衣服を燃やしなさい。この衣服は彼女が天宮から盗んできたもので、燃やしてしまえば二度と美しい女性に化けることができなくなる」。

 諸葛亮は、道士の指示通りに行なうことを決心した。出かける間際、道士は諸葛亮に一本の杖を渡した。「あの鶴は、寺が燃えているのを見れば直ちに天河から飛び降りてくるだろう。もしお前を攻撃しようとしたら、この杖で追い払いなさい。このことをしっかりと覚えておきなさい」。

 諸葛亮はその日の夜中の1時にそっと寺まで行き、ベッドの上の衣服に火をつけて燃やしてしまった。

 ちょうどその時、天河で風呂に入っていた鶴は異変に気付き、急いで地上に降りてきた。鶴はくちばしで諸葛亮の目をつばもうとしたが、諸葛亮は道士から貰った杖を振って鶴を地面にたたきつけ、その尻尾を捕まえた。鶴は必至で抵抗して逃げ去ったが、鶴の尻尾の羽毛だけが諸葛亮の手に残った。

 鶴は尻尾の羽毛が無くなったため、天宮の他の鶴たちと形象が違ってしまった。それ以降、二度と天河で風呂に入ることができなくなり、永久に人間の世界に留まって白鳥の群れに混ざって生きていくことになった。

 それからというもの、諸葛亮は勉学に一層励み、この教訓を忘れないために鶴の尻尾の羽毛を保存して常に己を戒めた。それから数年後、道士は諸葛亮に教えを伝え終えると別れを告げた。

 道士は去る間際に、諸葛亮に一つのものを残して行った。それは、諸葛亮がよく着ることになる八卦衣(道士が着る服)だった。

 その後、諸葛亮は道士が自分に授けた教訓を忘れないために、鶴の尻尾の羽毛を使って羽毛扇を作り、常に手に持って慎重に物事に対処するよう心がけた。これが有名な、諸葛亮の羽毛扇の由来である。

(2010年5月31日の記事を再掲載致しました)(翻訳編集・和田美野里)

京劇の諸葛孔明(ウキペディアより)

『三國志演義』での孔明像をふまえて、頭に綸巾を戴き、手に羽毛扇を持ち、身に八卦衣を纏っている姿。

・・・所謂「三國志」は、ゲームソフトにも取り上げられるほどの血湧き肉躍るお話です。諸葛 亮は、支那後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍師。字は孔明。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐しました。伏龍、臥龍とも呼ばれます。

posted by at 07:57  |  塾長blog
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