長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 http://rashinjyuku.com では、塾生には素直で、元氣に、そして前向きに生きて欲しいと考えています。善いものは、どんなことでも吸収する心構えはとても大事な事です。其の為には、幼少期に、素直さ・前向きな心持ち・元氣の良さを、習い性になる様に導くことが肝要です。

さて、当塾の教材、戦前の修身の五年生に「公民の務め」第一課 「禮儀」には以下のような記述があります。

その当時の五年生が持っていた国語力を彷彿とさせる文言が記されています。

第一課 「禮儀」

 我等が世間の人と共々に生活するには、知ってゐる人にも知らない人にも禮儀を守ることが大切です。禮儀を守らないと、人に不快の念を起こさせ、また自分の品位を落とすことになります。

 人の前に出る時には、頭髪や手足を清潔にし、着物のきかたにも氣をつけて、身なりをととのへなければ失禮です。人と食事する時には、音を立てたり、食器をらんざつにしたりしないで、行儀をよくして、愉快な心持でたべるやうにしなければなりません。又室の出はいりには、戸・障子のあけたてを靜かにするものです。 

 汽車・汽船・電車などに乗った時には、互に氣をつけて、人に迷惑をかけないやうにすることが必要です。自分だけ席を廣くとったり、不行儀ななりをしたり、いやしい言葉づかひをしたりしてはなりません。集會場・停車場其の他、人がこみあって順番を守らなければならない場所で、人をおしのけて、われさきにと行ってはなりません。又人の顔かたちやなりふりを笑ひ、悪口を言ふのはよくないことです。

 外國人に對して禮儀に氣をつけ、親切にするのは、文明國の人の美風です。

・・・「禮儀」などの旧漢字。大字典(栄田猛猪文学博士が寝食を忘れて刻苦十有余年に渡り、編した字典 講談社)を紐解いてみると、

「禮」「五常の一。心に敬ひ、行儀に則を守る道にて、人の履み行ふべきもの。此道は神を祭る時殊に大事なる故に示と豊合す。豊は神前の供物の象なり。

「儀」「事のノリ、テホン。典礼の義」   と、あります。

やはり、人倫(人と人との間の道義的秩序)を守る為には 「禮儀」に心を用いる必要があります。日本人の徳性(徳義を弁えた立派な品性)を、後世まで伝えていくことが私達の務めです。

禮儀」を守るには、其の教えを幼少期から始めなければ、心身に浸潤することはありません。幼少期からの繰り返しが、成人後の、その人の品性に繋がっていくのではないでしょうか。

posted by at 23:14  |  塾長blog

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
http://rashinjyuku.com

羅針塾学習塾でも
お父様の子育て参加は 年々熱心になっているように感じます。
親子セミナーで一番熱心なのはお父様達。
ほぼ、欠席なしで参加してくださる方も。
「今、いろんなことに興味が出てきて子供と一緒に
学んでいるんですよ。」と聞かせてくださいます。

幼稚園、小学校受験でも一所懸命に取り組んで下さった
お父様達。
お母様達が
日々の学びでイライラしたり、感情が溢れそうになったり
悩んだりするときに本当によくサポートして下さいました。
「受験」に対して本当によく理解して下さっていました。
サクラサク!の日まで家族一丸になって取り組んでいただけたのも
お父様のお陰だと感じております。

幼児期の受験で一番大事なことは
「家族一丸で!」です。
幼い子供が一人で初めての場所に行き人に会い臨みます。
その時にしっかりと自立して。
そのためには日々の訓練が大事なのです。
保護者面接でもたくさんのドラマがありました。
「こんなに家族の事を考えて悩んだのは初めてかもしれません。」と
どのお父様もお話ししてくださいます。

「ハキハキ!元気!賢い子」
本当にお父様達とお話をする機会が増えました。
自然によく子育てに関わっているなあと思います。
目指すものは一緒でも
我が子を観るお母様からの目線
お父様からの目線では異なります。
だからこそ、より良いサポートは大事なのです。
「賢い子」にするために
何を観せ、聴かせ、学ばせ、考えさせ
どのように表現させていくか。
お父様、お母様のそれぞれの役割があるように考えます。

幼児さんとお父様と合作のイカさん。お父様は工作担当です。
いちごはこうやって実るんだよ。と近くの野菜屋さんで只今展示中。
興味津々はやっぱり幼児さん達です。

posted by at 15:33  |  学習塾 幼児教室blog

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 http://rashinjyuku.com では、塾生がしなければならない学校の宿題から始めます。学校の授業が、学びの根本と考えるからです。それぞれの学校の先生方が、一所懸命に準備して下さった授業のメッセージが宿題に託されています。

さて、「学校はそもそも何をする所か」と、様々な思いを込めた記事が目に入りました。産経新聞201.2.7

http://www.sankei.com/life/news/180207/lif1802070007-n1.htmlからの引用です。

学校はそもそも何をする所か 「学びを軽んじる教育機関」にさせてはならない 教育評論家・石井昌浩

 鎌倉初期・足利学校創立のときから、学校はひたすら学ぶところだった。

 学校の機能には多様なものがあるが、いかなる時代にあっても学ぶことがその中核だった

 時が移り、今では、部活動が教師の長時間労働を招き、教師を疲弊させる元凶のように言われている。しかし、これは「木を見て森を見ない」批判ではないかと思う。

 たしかに、OECDの調査では、日本の小・中学校の教師の勤務時間は対象国で最長である。しかも授業に使う時間が対象国の平均を下回る一方、部活動など課外活動の指導の時間が際立って多い。文部科学省の調査でも、長時間勤務が浮き彫りになっている。過労死の危険が高まるとされる月平均80時間を超す残業をする公立学校の教師が中学校で約6割、小学校で約3割に達している。

 ここ数十年、学校、特に公立学校が困難に陥っている最大の原因は、学校が伝統として守ってきた教育機能が総体として衰えたことにあると思う。これは部活動を工夫して時間を短縮すれば解決するほど単純な話ではない。部活動の在り方を含めて、学校が抱える問題全般が噴き出した結果とみるべきだ。

 ところで、子供たちが学校で学ぶ内容は学習指導要領で定められていることは大方の保護者が知っている。指導要領を基にして教科書がつくられ、子供たちが、何を、いつ、どのくらい学ぶかを決めているのも指導要領である。指導要領に従い学校がカリキュラムとか時間割といわれる教育課程を定める仕組みになっている。

 ちなみに、平成29年3月に改定された学習指導要領は、部活動について、学校運営上の留意事項として、概略次のように説明している。「教育課程外の学校教育活動と教育課程の関連が図られるように留意するものとする。特に、生徒の自主的、自発的な参加により行われる部活動については、スポーツや文化、科学等に親しませ、学習意欲の向上や責任感、連帯感の涵養(かんよう)等、学校教育が目指す資質・能力の育成に資するものであり、学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること」

 この記述で明らかなように、部活動は正規の教育課程には位置づけられていない。しかし、学校教育の一環でもあるため、教育課程との関連にも留意するように念押しされている。丁寧な書きぶりだが、分かるようで分からない、あいまいで複雑な言い回しである。

 ここで、子供たちを取り巻く教育環境を見渡してみると、学校が教科指導の力を失った部分を、学校外教育機関である塾や進学教室が補っている事実が明らかになる。学校教育の根幹である教科を教える機能の「外注化」が進んだ結果として、学校は次第に、部活動や生活指導に重点を移さざるを得なくなってきているのだ。

 見逃せないのが近年の大学入試の在り方の変化が、学校の部活動重視の傾向に拍車をかけていることだ。「部活がウリ」になるからだ。私立大学の入試の45%がAO入試と推薦である。最近は私立だけでなく国公立大学でもAO入試・推薦方式を導入する動きが加速している。

 教師の本当の値打ちは日常の教科指導の場面で試される。多くの教師は十分に時間をかけて準備した授業で子供たちに接したいと、心から願っている。

 授業以前に疲れ果てて、授業準備にあてるゆとりのない学校など本末転倒だ。学舎(まなびや)の伝統を守り続けてきた日本の学校を「学びを軽んじる教育機関」にさせてはならない。

・・・学校の先生方の悲鳴を代弁しているかのような論説です。

筆者は、塾を主宰していますが、公立・私立の学校が本来の教育を純粋に追求出来ていれば、学校の授業を補完するような、また受験をする為だけの塾は、本来不要と考えます。要は、これからの日本を支える子供達を、大人が如何に支え、その力を伸ばしてあげることができるか、です。学校の先生方も悩んでおられることでしょう。それらの先生方の力を発揮出来る様にすることが、これからの日本の教育を良き方向へ導いていくことになります。

 

 

 

posted by at 23:35  |  塾長blog

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。http://rashinjyuku.com

今年度最後の漢字検定の日。
先生もドキドキしていました。皆さん準備はいかがでしたか?
羅針塾学習塾は、バタバタの1日です。
3月には算数・数学検定と続きます。
今学年の集大成を羅針塾学習塾で行っています。
合格すると、受験時の内申に記載できますね。
今日の検定の出来はどうだったでしょう・・・
検定が終わったら先生も解いてみようと思います。
(解けるかなあ〜心配です。)

国語力、語彙力をつける一環として「漢字検定」積極的に
取り組んできました。
過去問だけではなく、じっくりと漢字の使い方を学んで欲しいと
考えています。
意味、反対語、同義語、四字熟語、熟語の成り立ち等々・・・
時間をかけて学ぶことは小学生までしかできないのが実情です。
小学生の間にどんどん力をつけて欲しいと考えています。

羅針塾学習塾の幼児さん達も受検します。
早い子は小学校二年生課程を受検しますよ。
学ぶことを楽しんでくれている幼児さん達は
呑み込みも早いですね。

「ハキハキ!元気!賢い子」
漢字の力がある子は学び理解することも
やはり早い。
熟語の意味が理解できるので
何を問われているのか?が一瞬にして解ります。
漢字力!
「国語力」なのです。
合格発表の日を楽しみにしております。

昨日の雪の様子です。 「先生!本当に積もったの?」と聞かれましたので
しっかり写真を撮りましたよ。
本当に雪!雪!雪!と格闘の日々です。

posted by at 20:16  |  学習塾 幼児教室blog

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 http://rashinjyuku.com では、日々の学びに、辞書を手にしての漢字の練習は欠かせません。

さて、英国がらみの話題が目に付きました。

「加瀬英明のコラム」 Date : 2018/02/07 (Wed) 「イギリス王室に見る尊厳と大衆化の相克」 http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgiから。

ヘンリー・オブ・ウェールズ王子と米女優メーガン・マークル

 和歌「君が代」は、おそらく世界で今日まで歌い継がれている、もっとも古い祝歌であろう。

 1000首以上を収録している、『古今和歌集』(西暦905年)に載っているが、もとの歌は「わが君は千代に八千代に‥‥」と始まっており、庶民も含めて、婚礼をはじめとする祝賀の宴で、祝われる者の長寿を願って、朗唱されてきた。

 明治に入って、西洋に倣って国歌が制定されると、「わが君」を「君が代」に置き換えた。

 私は『君が代』を斉唱するたびに、心が高揚する。

 おそらく人類の祝い事のなかで、世界のどこにおいても、結婚がもっとも寿(ことほ)がれるものだろう。結婚するから、人類が存続でき、未来を手にすることができることを、理屈抜きで知っているからだろう。

 昨年11月に、イギリスのヘンリー王子(イギリスでは、ハリー王子の愛称で呼ばれる)と、美しいアメリカ女優のメーガン・マークルさんの婚約が発表され、日本のマスコミも騒がした。

 マークルさんはカトリック(旧)教徒だが、2人の婚約はイギリスで王族がカトリック教徒と結婚することを禁じた王位継承法が、2013年に改正されたことによって、可能になった。イギリス国教会は中世にカトリック教会から独立して以来、敵対していた。

 マークルさんには1回、離婚経験があり、前夫のハリウッド映画プロデューサーが健在であることも、妨げにならなかった。

 また、マークルさんの母親がアフリカ系の黒人であることも障害にならなかったが、5、60年前のイギリスであったら、考えられなかったことだった。

 チャーチル元首相をはじめ、国民のほぼ全員が白人の優位を確信し、劣る有色人種を植民地支配していたことを、正当化していた。日本が先の大戦でアジアを解放し、その高波がアフリカまで洗ったことによって、人種平等の世界がもたらされたのだった。

 ハリー王子とマークルさんの2人の幸せを、祈りたい。

 もっとも、私はイギリス発祥の『ブリタニカ大百科事典』の最初の外国語版の編集長をつとめていたことから、エリザベス女王の妹君のマーガレット王女が来日された時に、大使館主催の歓迎パーティでお話する機会があったが、マークル妃と会って、同じように敬意を払えないと思う。

 エリザベス女王がフィリップ殿下と結婚された時には、王族が結婚できるファミリーは200あまりしかなかったろうが、この40年のあいだに、社会規範が大きく変わった。

 ハリー王子の父君のチャーチル皇太子がダイアナ妃と結婚したのは1981年だったが、ダイアナ妃は下級貴族の出身だったから、イギリス社会が“シンデレラ・ストーリー”として沸くかたわら、驚かせた。

 開かれた王室は、大衆の手の届くところに降りてくるから、大衆化して王室らしくなくなる。王家という家を基準とせずに、自分本位の自由恋愛によって、配偶者を選ぶことになると、王家を支える尊厳が失われてしまう。

 その家にふさわしい配偶者ではなく、自分本位に自由に相手を選ぶことによって、結婚と家が切り離された。

 ついこのあいだまで、世界はどこへ行っても貧しかった。そのために家族や、地域社会の人々が生活を支え合ったが、物質的な豊かさがもたらされたことによって、人類にとって当然のことだった絆を、破壊してしまった。

 子育て支援や、生活保護などの福祉制度も、このような傾向を助長している。

 結婚は今日のように悦楽ではなく、家や、社会に対する務めであって、神聖な行為だったから責任をともない、自制と節度を必要とした。人類を存続させるためという、暗黙の了解があったにちがいない。

・・・昨今のおめでたい結婚の話の背景には、様々な逸話があります。結婚を望む当事者は、お互いの姿しか目に映って居ません。しかし、新郎・新婦には、それぞれの家族があり、両親の思いもあります。「結婚は今日のように悦楽ではなく、家や、社会に対する務めであって、神聖な行為だったから責任をともない、自制と節度を必要とした。人類を存続させるためという、暗黙の了解があったにちがいない。」という言葉には、日本の歴史を踏まえた大きな意味合いが含まれています。結婚後に思い悩むより、結婚前に様々な場合分けをして、生涯の伴侶となる人を互いに見極める必要はあります。これは、将来の子や孫などの卑属(基準となる人より後の世代の血族)に繋がっていくことだからです。

 

 

posted by at 11:20  |  塾長blog
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