就学前教室(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、日々の努力の大切さを「学び」ながら身に付けていく指導をしています。努力の積み重ねが結果を生み出す事を知れば、人生の大きな財産となります。
筆者の蔵書の中にあった文章が示唆的であるのでご紹介します。
「占学遺文」という表題の明治四十三年に医師であり占術研究家でもあった人物が書いたものです。
運命開拓の鍵 (1)人生と運命 (2)運命開拓の秘訣 等々の表題の中の一節に、「努力による開運策」という項があり、これをご紹介します。尚、文章表現は明治期の雰囲気のままです。
努力による開運策
人力のあらん限りを尽くして、その上如何ともすべからざる所が即ち運命である。
努力もせず、苦闘もせずして、ああ運が悪いと嘆いたとて何人が同情するものであろうか。気随気儘に怠けていて、どうして、我に幸運が向かぬだろうなぞとコボしても、運命の神は嘲笑って逃げ出すばかりである。幸運の来るべき機会まで辛抱する事が出来なくて、早くも失望するが如きも、運を迎える術を知らない人である。真の運と僥倖との区別を知らぬ人である。真の運を愛する人は嘆かず、迫らず、悠々として機会の来るのを待ち、常に努力を怠る様なことはしない。心さえ潔白で、自ら助ける事を忘れなかったならば、運命の神は遅かれ早かれ、必ず玉の輿を以って 迎えに来るに相違ない。それが年中に来ることもあれば、晩年に来る場合もあろう。早く幸運に見舞われたからとて、慢心すべきものでもなければ、来るのが遅いからとて落胆すべきでもない。妄りに運だ運だとて天を恨む様な事があっては尚更いけません。平生の心がけと努力とによって、初めて運命は開拓せられるべきものです。
人間第一期の運命の定まるのは、普通十七〜八歳位としてあるが、実はそれ以前に定まるのです。初等教育を終えての人の品性が定まると共に、幸運の種も不運の種も、ここに芽を吹いていてしまうのです。
人は十二三歳頃、既に一生の大部分を支配すべき基礎が定められるのです。然しこの第一期の運命は、当人の責任でなくて家庭の責任です。
健実な親を持って、それに養われたものは、誠に幸福な人、そうでないものは不運の人である。この意味からすると、人の出入り多く、誘惑多く、悪影響多き富家の子女よりも、寧ろ中流以下でも健全な家庭に育った子供が、幸福の一生を送る様に思われる。運不運は必ずしも財産の有無ではない。平和の如何です。貧しくとも平和で愉快な家庭にある子供は、富んでダラシのない家の子女よりもはるかに幸運です。
富家の子供は幼少から華美な生活に慣れているから、大きくなっても虚栄心が強くて、その為に煩悶を求め、一生不運に陥る様な例は決して少なくない。
これに反して貧家の子は始終足らぬ勝ちという事を知っているから、不自由を忍ぶという力が強い。従って虚栄を求める様な場合が少ないから、そのために心身を労することがない。それだけでもまず幸運と云わなければなりますまい。
・・・平均寿命は、明治期と比べて大きく伸びている現在でも、「人は十二三歳頃、既に一生の大部分を支配すべき基礎が定められるのです。」という点は変わらないといえます。就学前の三歳前後から、十二歳までに、人格を基礎付ける躾や物事を理解する力、そして「学ぶ力」をしっかりと身に付けておかなければなりません。