春期講習、成長の一コマ

毎日、塾生さん達が頑張っています。
今日までが現学年なので、残っている問題集の仕上げに。
低学年は諦めずにじっくりと取り組めるように
なってきました。
高学年は、ビクとも動かず集中しています。
算数と数学の考え方を読み解いたり
国語や古文の読みを理解したりと
高度な学びを行なっています。

幼児さんたちは
少しずつ自分自身の思いを伝えることが
出来るようになってきました。
お手洗いに行くこと
物を取りに行くこと
どのように話せば誰にでも上手く伝える事ができるか
コツが掴めてきているようです。

間も無く、新学年の教材が届きます。
皆さんのキャア〜!・・?
ヒャ〜!!嬉しい?ビックリ?の
顔や声を楽しみにしたいと思います。

「ハキハキ!元気!賢い子」

安全・安心に気をつけて日々過ごさせているので
思い切り!!という事が中々出来ない春期講習。
そんな中で今日は大爆笑の渦でした。
久しぶりにひっくり返り、涙を流しながら笑う。
塾生さんたちのお腹から笑う楽しそうな姿を
見る事ができました。

感情を豊かにする事。

賢い子は表情も感情も豊かにできます。

明日から年長さん!の力作です。
乗り物好きの年長さん。
どんな乗り物の名前でも知っています。

posted by at 16:31  | 学習塾・幼児教育

いろはより 二宮翁夜話

11歳の塾生との会話。

「最近、何か本を読んでいる?」(筆者)

「はい。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』です」(塾生)

「そうなんだ」と言いつつ、速攻検索。(「ああ、新聞の書評欄で斜め読みした本だ、」)と思いながら、

「それで、どんな感想を持ったの。」(筆者)

「まだ全部読んでないのですが、現在のイギリスの世相がよくわかります。」(塾生)、と。

ネット検索して、内容紹介を読むとなかなか面白い。テンポよく11歳の男の子と母親の日常が描かれています。英国の教育事情や階級社会・人種問題の現実が反映され、とても興味深い。

 

話は変わって、二宮翁夜話 巻之一 十四から。

翁曰、万巻の書物ありといへども、無学の者に詮(セン)なし、隣家に金貸しありといへども、我に借(カ)る力なきを如何せん、向ひに米屋ありといへども、銭なければ買ふ事はならぬ也、されば書物を読(ヨマ)んと思はゞ、いろはより習ひ初(はじ)むべし、家を興さんと思はゞ、小より積(ツミ)初むべし、此外に術はあらざるなり   

・・・二宮翁が仰るには、万巻(ばんかん:多くの書物のこと)の書物があるとはいえ、無学(学問・知識の無いこと)のものにとっては詮(その行為に見合う効果)は無い。隣家に金貸しがあるといっても、我(自分)に借りる力が無いのはどうしようもない。向かいに米屋があるといっても、銭(金銭)が無ければ買うことは出来ない。

然れば(そうであるから)、書物を読もうと思えば、イロハより習い始めるべきである。家を興さんと(打ち立てようと、興隆しようと)思えば、小より積み始めていくべきである。この他には術(方法、手段)はありようがない。

・・・先に述べた塾生は、幼稚園の年長さんの時、正に「いろは」から、倦まず弛まず(飽きたり、気を緩めたりしないで物事をなす心掛け)学びを続けています。漢字検定は既に準二級を高得点で合格し、学ぶ姿勢は真摯(しんし:真面目で直向きな様)そのものです。筆者と交わす会話のレベルも並の高校生以上の語彙力を使いこなすことが出来ます。これも親御さんや祖父母さんの姿勢の賜物のように思います。結果、それを見習って年若の塾生の学ぶ姿勢も立派になってきます。此れも「善の循環」ですね。

 

千里の道も一歩ずつ 二宮翁夜話

武漢ウィルスの蔓延で人混みの中に行くことは自粛することが肝要です。考えてみると、日本人は昔から親から子へと、「人混みは避ける」「人混みの中へ行ったら、帰宅すると嗽(うがい)・手洗い」を伝えていました。

春休み期間中ですが、もう直ぐ小学校一年生になる塾生さん達は、就学前の学びを日々行っています。素読・音読をし、レベルに応じて辞書を引き、意味を書き写していきます。身につけていくべき言葉を一つずつ、一つずつ。まさに「千里の道も一歩から」です。

さて、積み重ねることの大事さを説く二宮翁夜話 巻之一 十四から引用してご紹介します。

翁曰(いわく)、大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし、小積りて大となればなり、凡(およそ)小人の常、大なる事を欲して、小さなる事を怠り、出来難き事を憂ひて、 出来易き事を勤めず、夫故(それゆえ)、 終(つい)に大なる事をなす事あたはず、 夫(それ) 大は小の積んで大となる事を知らぬ故なり、 譬(タトヘ)ば 百万石の米と雖(イヘド)も、粒の大なるにあらず、万町の田を耕すも、其(その)業(ワザ)は一鍬づゝの功にあり、千里の道も一歩づゝ歩みて至る、山を作るも一簣(ひトモツコ)の土よりなる事を明かに弁へて、励精(レイセイ)小さなる事を勤めば、 大なる事必(かならず)なるべし、 小さなる事を忽(ユルガセ)にする者、大なる事は必(カナラズ)出来ぬものなり 

・・・二宮翁が仰るには、大事(物事の根本に関わるような重要なこと。大事業)を為そうと欲するならば、小さなること(重要ではない、小さいこと)を、怠らず(途切れなく、中断することなく)勤む(精を出してつとめる)べきである。

凡そ(おおよそ、大体)小人(器量の無い、人徳の無い人)の常(習い、習わし)は、大きな事を欲して、小さいことを怠り(なまける、手落ちがある)、出来難い(可能性がない、仕上がりにくい)ことを憂いて(心配して)、出来易い(可能性がある、仕上げやすい)ことに努力を傾けない。

それ故、終に(最後に、終わりに)大きいことを成し遂げることが出来ない。それは、大は小を積み重ねていくことによって大になるということを知らないからである。

譬えば(例えば)、百万石(石:穀物などを量る単位。1石は10斗、約180リットル。大名・武士の知行高を表す)の米といえども、粒が大きいわけではない。万町(町:区画した田地)の田を耕すといえども、その業(業績、成し遂げたもの)は、一鍬づつの積み重ねの功績である。

千里の道も一歩ずつの歩みの重ねにより到達が出来る。

山を作るにも、一簣(もっこ:縄を網のように四角に編み、石や土を四隅をまとめるようにして担いで運ぶ道具)の土よりなることを明確に弁えて(道理を承知して)、励精(心を励まし努力すること)して、小さなことから精進すれば、大きなこと(大事業)も必ず成就する。小さなことを忽(ゆるがせ:物事をいい加減にする、なおざりにする)にする者は、大きなこ

と(大事業)は必ず出来るわけがない。

 

・・・毎日毎日、一字、一字、一語彙ずつ。漢字帳や帳面に一行ずつ、一頁ずつ。その積み重ねが、一月、半年、一年となります。そして小学校、中学校へと。

筆者の記憶を振り返ると、小・中・高、更に大学へと続く中で、クラスで一番、学校で一番という同級生は、クラスで、また学校で一番努力を積み重ねてきた人でした。

以下は、報徳博物館(https://www.hotoku.or.jp/sontoku/)からの引用です。

報徳博物館から引用

 二宮翁(二宮金次郎、尊徳)は、足柄平野の栢山村(小田原市)の比較的裕福な農家の長男として誕生。幼少時から教養のある父に教育を受け、一方では優しい母の慈愛を存分に得て幸せに育ちました。
しかし、不幸にして異常天候のため酒匂川の氾濫が度重なり、荒廃した田畑の回復もかなわず、父母は心身疲労で相次いで死去、一家離散という事態に陥りました。

金次郎は伯父万兵衛の家に預けられますが、逆境にもめげず卓越した才能を発揮します。
作業の合間に、稲の捨て苗や菜種を空き地に植えて収穫、毎年その収益を増やして田畑を買い戻し、成人後間もなく家の再興に成功しました。

その手法を生かし近親者の家政再建を行ったほか、奉公に出た小田原藩の家老・服部家で「五常講」という金融互助制度(のちの信用組合のはしり)をはじめ、服部家の立て直しを依頼されるなど、その才覚を表してきました。
やがて、そのすぐれた発想と実践力が小田原藩主・大久保忠真から見込まれ、財政難に苦しむ藩主の身内である旗本の野州(栃木県)桜町領の財政再建を託されます。

金次郎はこれを契機に財政再建・農村復興の仕事(報徳仕法)にまい進することになります。
桜町領再建は苦節10年の難事業でしたが、その成功はたちまち近隣の注目を集め、諸領諸村からの仕法の要請が相次ぎ、復興事業や飢饉救済に多忙を極めます。
晩年には幕臣に取り立てられ、日光神領をはじめ一部幕府領の再建に総力をあげて取り組みますが、かたわらすぐれた弟子たちを介して、諸家、諸領の復興指導も続けました。

安政3年(1856)、70歳でその生涯を終えるまで、報徳仕法の手ほどきを受けた地域は600か村に達したといわれています。

新入学の生活準備

新入学のため、卒園と同時にコツコツと
準備をしている御家庭。
使っている文房具が一新されたり
持参する通塾鞄が変化したり
キッズ携帯を新調したり・・と。
国立・私立への新入学生は
通学路の確認と通学の練習を行なっています。
どれも大事なことですよね。
後、一週間程で新生活が始まります。
慌てることがないように。
一日一日を大切に準備してほしいと思います。

「ハキハキ!元気!賢い子」

春期講習に入り、顔つきが凛々しくなってきています。
受験を経て、日々コツコツと準備を行なっているので
言葉への理解が深まり
数や形への理解が深まり
良いスタートダッシュが出来そうです。
受験に合格するための学びだけではない。
御縁する学校で、1番になるため
賢くなる為の学びです。

長崎駅の玄関口が変わりますね。
西の果ての駅。最後の日。
時代が移り変わっていきます。

posted by at 13:43  | 学習塾・幼児教育

我が道を行く覚悟 二宮翁夜話

幼児さんの塾生が一斉にある本の音読をしている際に、「おめずおくせず」という語句が出てまいりました。

「怖めず臆せず」とは、「少しも怖れたり気後れすることなく。堂々と。」の意です。塾生が長じて成人してからも、立派な日本人として怖めず臆せず、其々の行く道を歩んで貰いたいと祈念するばかりです。

さて、「我が道を行く覚悟」について、二宮翁夜話 巻一 十より、引用してご紹介します。

翁曰、 親の子における、農の田畑に於る、我道に同じ、 親の子を育(ソダツ)る無頼(ブライ)となるといへども、養育料を如何せん、農の田を作る、凶歳なれば、肥代(コヤシダイ)も仕付料も皆損なり、夫(それ)此道を行はんと欲する者は此理を弁(ワキマ)ふべし、

・・・二宮翁が仰るには、親が子に対する姿勢、農業の田畑に対する姿勢は、私にとっては同じ「道」である。親が子を育て、無頼(定職を持たず、素行の悪いこと)となるとしても、その養育料をどうしたら良いのか。農業の田を作る際に、凶歳(不作の年)となれば、肥料にかかる費用も仕付け(作物を植え付けること。特に、田植え。)の費用も、皆損をすることになる。そもそもこの道を行おうと欲する者は、この理(物事の筋道。道理。)を弁えて(善悪の区別をして)おかなければならない。

吾始(ハジメ)て、小田原より下野(シモツケ)の物井の陣屋に至る、己が家を潰して、四千石の興復一途(いちず)に身を委(ユダ)ねたり、是則(これすなわち)此道理に基けるなり、

・・・私(二宮翁)は、始めて小田原(現神奈川県の小田原)より下野(旧国名、現栃木県)の物井の陣屋(*)に赴任した。己(自分自身)の家を潰して(犠牲にして)、四千石の復興に一途(一つのことだけに打ち込む事)に身を委ねた(一身を捧げた)。これはすなわちこの道理に基づいていたのである。

(*)物井の陣屋:小田原城主である大久保加賀守忠朝の三男教信が分家して、旗本であった宇津家を再興した。その際下野国桜町領にて四千石を知行し、元禄12年(1699)この地に陣屋を創設した。
その後、五代教成にいたり、領内がすこぶる疲弊し、陣屋役所の頽廃も極度に達したため、財政改革・領地復興のために本家である小田原藩から依頼され、二宮金次郎が文政5年(1822)に赴任することになった。以来26年間、桜町陣屋を中心に活動し、桜町領の復興に成功した。
陣屋は旗本宇津家の知行所三か村(物井・横田・東沼)四千石の統治のために、元禄12年(1699)創設され、明治4年(1871)に至る172年間の役所である。敷地構内は東西約90m、南北約109m、回字形で面積1.1ヘクタール余をはかる。内部には田畑、宅地、池、井戸、神社等がある。周辺に土塁をめぐらし、外周三方に堀が通じている。
その後、二宮金次郎は日光神領の復興を命じられ、今市報徳役所にあって着々成果を上げたが、70歳で亡くなり、如来寺(現在の報徳二宮神社境内)に埋葬された。

二宮尊徳所縁の地(https://www.tochigiji.or.jp/spot/8563/)より引用

 

夫(それ)釈(シヤク)氏は、生者必滅(セウシヤヒツメツ)の理を悟り、 此理を拡充して自ら家を捨(ステ)、妻子を捨て、今日の如き道を弘めたり、只此一理を悟るのみ、

・・・そもそも、お釈迦様は、生者必滅(しょうじゃひつめつ:生ある者は必ず死ぬという事)の理(真理)を悟られ、この理を拡充(広げ、充実させること)して自ら家を捨て、妻子を捨て、今日の如き「道(仏道)」を弘められた。ただこの一理(一通りの道理)を悟るのみである。

夫(それ)人、生れ出(いで)たる以上は死する事のあるは必定(ひつじょう)なり、長生といへども、百年を越(コユ)るは稀なり、限りのしれたる事なり、 夭(ワカジニ)と云(いう)も寿(ナガイキ)と云(いう)も、 実は毛弗の論なり、譬(タトヘ)ば蝋燭に大中小あるに同じ、 大蝋といへども、火の付(つき)たる以上は四時間か五時間なるべし、 然れば人と生れ出(いで)たるうへは、必(かならズ)死する物と覚悟する時は、一日活(イキ)れば則(すなわち)一日の儲(マフケ)、一年活(イキ)れば一年の益也、故に本来我身もなき物、我家もなき物と覚悟すれば跡は百事百般皆儲なり、予が歌に「かりの身を元のあるじに貸渡し民安かれと願ふ此身ぞ」、 夫(それ)此世は、 我(われ)人(ひと)ともに僅(ハツカ)の間の仮の世なれば、 此身は、かりの身なる事明らかなり、 元のあるじとは天を云(いう)、このかりの身を我身と思はず、生涯一途(ヅ)に世のため人のためのみを思ひ、 国のため天下の爲に益ある事のみを勤め、一人たりとも一家たりとも一村たりとも、困窮を免(マヌカ)れ富有になり、土地開け道(ミチ)橋(ハシ)整ひ安穏に渡世の出来るやうにと、夫(それ)のみを日々の勤とし、朝夕願ひ祈りて、おこたらざる我(わが)此身である、といふ心にてよめる也、是(コレ)我(ワレ)畢生(ヒツセイ)の覚悟なり、我道(ワガミチ)を行はんと思ふ者はしらずんばあるべからず

・・・そもそも、人は生まれ出でたる以上は死ぬことは必定(ひつじょう:必ずそうなることは決まっていること。そうなることが避けられないこと)である。長生きをするとしても、百歳を超えることは稀であり、(所詮は)限りあることである。夭逝(ようせい:年若くして死ぬこと)というも長寿(ちょうじゅ:長生きすること)というも、実は毛弗(もうふつ:わずかな違い)の論である。

たとえば、蝋燭(ろうそく)に大中小あることと同じである。大蝋(大きな蝋燭)といっても、火がついた以上は(燃えている時間は)四時間か五時間しかない。そうであるから、人として生まれ出でた以上は、必ず死すべきものと覚悟(悟りを開くこと)するときは、一日活きれば(生存すれば)則ち一日の儲け、一年活きれば一年の益(利得)となる。故に、本来(もともと)我が身も無いものと、我が家も無いものと覚悟すれば、跡(あと:人が残したもの)は百事百般(色々なことやいろいろなほうめん、万事万般)は皆儲けである。

予(私)の歌に、

「かりの身を 元のあるじに 貸渡し 民安かれと 願ふ此身ぞ」

そもそもこの世は、私も人も共に僅かの間の仮の世であるから、この身は仮の身であることは明らかである。元のあるじとは、天のことである。この仮の身を我が身と思わず、生涯を一途に(一筋に)世の為人の為とのみ思い、国の為、天下の為に益(役立つこと)あることのみを、勤め(当然しなければならない)れば、一人でも一家でも一村であっても、困窮(貧乏で困ること)を免れ、富有(豊かで富むこと)になる。土地を開墾し、道や橋を整えることができ、安穏(穏やかで無事な様)に渡世(社会の中で働きつつ生きること)出来るようにと、それのみを日々の勤めとし、朝夕(朝な夕なに)願い祈って、怠り無い私のこの身よ、という心にて詠んだのである。

これは私の畢生(ひっせい:生涯、一生)の覚悟である。

我が道を行わんと思う者は、知らずんば在るべからず(知らずにあるべきでは無い、知らずに居られようか)。

 

・・・私達の御先祖様達は、此のような覚悟を常に心に留めて精進をしていたのです。管見ながら、古典を紐解くことによって、幼児期から倫理観と志を植えつけていくことが肝要では無いか、と。

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